2007年08月25日

高桑健:

男子200メートル個人メドレーで3位、銅メダルを手にする高桑健(共同)

August 25, 2007 11:07 AM

2007年01月01日

読者の反響で再発見:

 03年11月17日に始まった「見た聞いた思った」は、今日の担当デスク、記者の座談会をもって終了することになりました。最初は9人、後に10人の記者がローテーションで担当し、現場で見て聞いて感じたことを伝えてきました。3年余りの間に登場した記者は延べ37人。読者の皆さんからはメールや手紙でたくさんのご意見を寄せていただきました。ありがとうございました。

 ◇   ◇   ◇

 南沢「普段は、取材現場で記者が感じたことや主張よりも、事実関係を優先して書くことが多いけれど、そこでそぎ落としている“感じた”こと、主張を入れた長文のコラムをやってみようとなった。『見た聞いた』は『取材』の総称で、そこに主張や感情も込めた『思った』を入れて、専門分野以外も含めてフリーのテーマで行こうと。50行じゃなく100行という長さにもトライしたかった」。

 田「いわゆる社説でなく『記者の顔が見えるコラム』としてスタートした。顔写真と略歴を付け、読者との“キャッチボール”の窓口として、反応を受け入れるメールアドレスもつけたのは今までにはなかった。特定の記者には必ず返事をくれる読者もいた。読者が書き手を近く感じる。それは狙いの1つで成功だった」。

 南沢「メールはリアクションが速い分、熱く、感情がダイレクトで厳しい指摘も届いた。かわりに褒めてくれる意見はうれしく、メールを開くたび一喜一憂した。それは新鮮だった」。

 田「このコラムだけでなく他の記事の感想が届けられたりして、こちらが読者の顔ものぞけるような気もした。批判的な意見が多かったが、いろいろな読み方をしている人がいるんだと参考になった」。

 南沢「書き手としては、ほかの分野にも意識してトライした?」。

 井上「40歳を過ぎて、ふと思うことは、担当の相撲やプロレスより、子供のことだったり、時事ネタだったりする。一番印象に残っていることを書こうと思った。『何でよく知らないのに書くの』と言われたけど、例えば北朝鮮が核持ったことに何も感じませんか。オレは感じますよ。撃ち込まれたら、どうなっちゃうんだとか。それを書いた」。

 南沢「実際には、ほかの分野を専門的に取材するのは難しい。だから、大きな意味での『取材』、例えば日ごろの体験や自分で調べたことなどの範囲を含んで、専門分野以外にトライしてみようと思った。テレビを見ただけの感想と思ったときには記者と話した。何らかの『取材』が必要だと思う。読者からも記事を書く姿勢についての厳しい指摘もあった」。

 鹿野「自分はカメラマンなので、スポーツだけでなく事件事故でも、現場に一番近いところに突進することが多く、そんな目の前で見たものを写真ではなく、言葉でいかに伝えようかと思ってやってきた。読者の反応が直接届くという貴重な経験ができ、とても勉強になった」。

 田「記者にもそれぞれ、いろんなトライのしかたがあった」。

 盧「僕は韓国人のため、日韓関係をテーマにしたコラムが多かったと思う。いろんな反応があった。『日韓友好』にプラスになればとまでは思っていなかったが、一番の収穫は『反日嫌韓』ムードが以前より減ってきたことです」。

 栗原「印象深かったのが、自分自身が骨折して救急車で運ばれたことを書いた時。消防庁が救急車の有料化を検討していることを取り上げ、医療関係者からは現場の苦しみなど多くの意見が寄せられた。当時、プロ野球担当で、そういった声に触れたのは新鮮だったし、考えさせられた」。

 井上「自分で書くようになり、日刊スポーツにはいろいろな記者がいるんですよ、というのを読んでくれる人に感じてほしいなと思った。句読点なしで100行書いた記者もいた。アイディアとしては面白いと思った」。

 田「各記者が10日に1度、長いコラムを書くことで取材のフィールド、視野を広げる狙いもあった。普段のニュース素材ではない部分で、感性を発揮して欲しかった。読者の胸にどう響くかと」。

 栗田「取材現場(当時は競輪場)での反響はものすごかった。1面などにあまり取り上げられないレースの紙面でも、いかに読まれているか。厳しい意見に、ショックが何カ月も残ったが、真剣な読者メールも印象に残った」。

 南沢「スポーツ新聞社で何年か勤務した段階で、読者の意見をリアルタイムで聞きながらコラムを書いたことは『現時点の私たち』の再確認にもなった。その気持ちを未来に生かしていきたい」。

 ◆参加者(所属は当時)
 デスク 文化社会部・南沢哲也、野球部・田誠
 記者 スポーツ部・井上真、盧載鎭、野球部・栗原弘明、レース部・栗田文人、写真部・鹿野芳博

January 1, 2007 11:18 AM

プロフィル

  • 荻島弘一(おぎしま・ひろかず)
    84年入社。スポーツ部でサッカー、五輪などを担当した後、96年からスポーツ部デスク。98~00年は日刊スポーツ出版社編集長。東京都出身。44歳。
  • 岡本学(おかもと・まなぶ)
    スポーツ部。90年入社。宇都宮通信局、スポーツ部、広告局営業担当を経て03年11月から再びスポーツ部。現在は日本サッカー協会、Jリーグ、日本代表を担当する。40歳。
  • 岡山俊明(おかやま・としあき)
    東京都出身。89年入社。整理部、レース部、スポーツ部を経て04年にレース部復帰。中央競馬を担当。41歳。
  • 桐越聡(きりこし・さとし)
    91年入社。静岡支局、スポーツ部を経て04年5月から文化社会部。事件、事故など社会面全般を担当。秋田県能代市出身。37歳。
  • 千葉修宏(ちば・のぶひろ)
    東京都出身。97年入社。整理部、静岡支局を経て01年から野球部に。ちなみに学生時代も野球部。巨人、ロッテなどを取材し、昨年から大リーグ担当。32歳。
  • 小林千穂(こばやし・ちほ)
    文化社会部、映画担当。96年に入社、整理、特報部などを経て、01年から文化社会部で社会面を担当。芸能担当になって約2年。岐阜県生まれの32歳。
  • 村上秀明(むらかみ・ひであき)
    96年北海道本社に入社。販売部から97年11月に編集部。アマチュア野球などを経て02年から中央競馬の北海道開催、冬季スポーツなどを担当。札幌市出身。32歳。
  • 山内崇章(やまうち・たかあき)
    プロ野球横浜担当。97年入社。整理部、野球部(西武、巨人を担当)を経て、03年から文化社会部で放送、韓国芸能などを取材。秋田県出身。35歳。
  • 押谷謙爾(おしたに・けんじ)
    96年西部本社に入社。総務部、レース部を経て報道部。主にサッカー担当。3年間の大分支局部勤務を経て、1月から報道部で野球を担当。滋賀県出身。32歳。
  • 松井清員(まつい・きよかず)
    94年大阪本社入社。キャップを務めた昨年までトータル7年間、阪神担当。今年からプロ野球全般を担当。ほかに整理部や近鉄、大相撲担当などを経験。大阪府泉佐野市出身、37歳。
  • 浜崎孝宏(はまさき・たかひろ)
    93年西部本社に入社。販売部、整理部から報道部。02年から2年間、ホークス担当。九州の温泉などレジャーから野球のメジャーまでカバー。鹿児島県出身。36歳。
  • 藤中栄二(ふじなか・えいじ)
    93年入社。静岡支局でJリーグ磐田、清水を担当。スポーツ部に異動し、さらに鹿島、浦和、新潟を担当。04年5月からは格闘技担当。06年11月からサッカー担当に復帰。長野・上田市出身。36歳。
  • 村上久美子(むらかみ・くみこ)
    91年大阪本社入社。社会、張り込み担当から整理部を経て、95年から芸能担当。吉本興業などお笑い、放送、音楽、演劇と、大阪でほとんど食いつぶし、昨年4月、東京転勤。大阪府貝塚市出身、38歳。趣味は阪神ファン。
  • 井上真(いのうえ・まこと)
    90年入社。野球部で日本ハム、ヤクルト、横浜、西武などを担当。総務部に異動し、03年からスポーツ部で相撲を担当。東京出身。41歳。
  • 寺沢卓(てらさわ・たかし)
    文化社会部、事件担当。89年入社。整理部、芸能、釣り、ペット、サッカーなど担当。出社前は必ず場外を散歩する。誘惑に負けてマグロ購入は数知れず。北海道生まれの42歳。
  • 沢畠功二(さわはた・こうじ)
    92年入社。静岡支局では主に高校、社会人野球を担当。プロ野球はヤクルト、巨人を担当し、現在は遊軍。茨城県出身。38歳。
  • 鳥谷越直子(とやこし・なおこ)
    90年入社。北関東支局、地方部を経て野球部。産休、育児休暇を挟みアマチュア野球9年担当。東京都出身。38歳。