2008年05月31日

ママドルの豪邸、本日も売れず:

今年1月下旬、
かつてのウソ泣きアイドル、今やママドルの豪邸が売りに出された。

場所は、東京・世田谷区A町。
4ヶ月が過ぎても、未だ売れない。

約100坪の土地に、建物は地下1階、地上2階。
築後、約11年になる。
車庫スペースも広く、2台は十分いけて、お客様もOKよ。
オシャレなパティオ(中庭)もある。
お風呂も2ヶ所、1階と2階にあって、気持ちいい。
家の前の道路は6メートルの公道であることも価値があるそうだ。

売り出し価格は、なんと、3億6千5百万円。
と言われても。
1万円札が、36,500枚と言えば判りやすい。
重たいぞ。

余計なお世話かも知れないが、ちょっと高いと思う。
売主がこの物件を買った時期はバブルの頂点ではなかったにしろ、
それに近い時期だから、地価急騰で一種強迫観念で高い買い物をしたとも読める。

seiko1.JPG

この売主は、歌手の松田聖子(46)さん、
まるで売り出し広告のような記事は、
6月10日号の「女性自身」誌に載っている。
(写真:女性自身より)

すでに売り出し物件は、空き家で、
それでも「蒲池」「神田」の二つの表札はそのままにしてあるのはなぜだろう。
どうもよくわからない。

どうしてかというと、1軒おいて左隣りに新しい住まいを購入しているからだ。

   ママドルが家を売りに出していることがわかると、
   世間体が悪いのか。

   旧居は方位が悪いので、処分したいのか。
   なにしろ、二度の離婚体験者の豪邸だ。
   と、なると、新たに結婚もありうる。
   3度目は、必ず成功させたい気持ちだな。
   前夫、前前夫の香りのない家で・・・ね。

   ヒットの願掛け?
   他のゲン担ぎ、聖子さんは人気商売だから、
   いろいろ迷ったり悩みも多いから。
   

理由はそんなところかも知れない。

seiko2.JPG

売り物件と新居の外見は非常に似ている。
(右写真:内写真が新居)

これはきっと聖子さんの好みなのだろう。
新住居からは、防犯カメラがしっかり睨んでいる。

ご近所に迷惑はかけられないから、人一倍周囲を警戒しなくてはならない。
たとえば、何年も前に、都下K市に住む三浦百恵(山口百恵)さんの家に、
あやしげな人が侵入するという事件が起きたことがあった。
幸い、百恵さんや家族は無事で安心したが、
やはりセレブの家は狙われやすい。

ということで、この女性自身の記事を読むうち、少し心配になって来た。

通常、折りこみ広告にセールされそうな物件と言えばわかるだろう。
売主も誰かわからないし、よほどその土地に詳しくないと、
物件がどこにあるかもわからない形で、間取り図とかが載っている。

ところが、この記事には、ちゃんと間取り図が載っている。
これって、ヤバくないか。
だから、私も一部、できるだけわからないように、
気を使いながら写真掲載してみた。

ご自分はマル秘間取りの新住居で生活しておいて、
もはや空き家としている旧住居の間取りを提示するのは、
いくら売り物件を早く処分したい願望からとは言え、
次に買う人にちょっぴり危険を残してしまうと思えてならない。

これに限らず、TV、雑誌などのよくある「お宅拝見」で、
自宅の内部まで見せてしまったことで、事件が起きたことも・・・。

テレビでセレブと崇められた美人美容整形外科医の娘が
誘拐された事件で、犯人はテレビ番組を通して自宅の内部を知っていた。

どこに危険が転がっているかわからない世の中だから、
人への思いやりも忘れないでね、聖子さん!

May 31, 2008 01:43 AM | コメント (5) | トラックバック (0)

2008年05月29日

あなたの身近にも能面女:

能面は日本の美だ。
こういうエントリーで使うのはとても気がひけるけど、
とりあえず、能面女という表現を使っておく。

   ぶ・き・み

最近、心底そう思う。

   何やねん、この人ら? また新人類出現か?

という気持ちを抱いてしまう。

最近、こんなささやかな事件にしきりと遭遇する。

onnamen.JPG

先日、町のベーカリーで起きた。
私は、パンをトレーにとって、レジで若い女性の後ろに並んだ。
彼女が不意に振り返り、ちょっと私のトレーに接触し、
パンが1個、落ちてしまった。

普通は「あ」と声を上げて、彼女が「ごめんなさい」と謝るよな。
ところが、彼女は無言で、まったく何ごともなかった能面モード。
(写真:無表情ではなく、モナリザに負けない深い「微笑」が浮かぶ)

私に背を向けて、レジに並んだまま。

   何やねん、こいつ!

無視した態度とは違う。
無視しているとわかるのは、相手からの「無視」の意思表示があるからだ。
彼女の場合、何ていうか、顔色、態度一つ変えない。

無感動、無表情、反応なし。
逆に私は、落ちたパンが無性に可哀想で見つめていた。

   もう勘弁して下さいよ、あなた、どーするの、このアンパンを!

すかさず気づいたお店の人が拾い上げ、事故扱いで処分してくれた。
パンを落とさせた女は、まるで白壁状態だった。

また・・・

よくあるのは、お店に黙って入ってきて、黙って出て行く人。
ニコリともせず、お店の人が気の毒になるほどの笑顔で接しているのに・・・。

客の女性は能面のまま、何もない。
回りのことが目に入らない様子で、浮いている。

なんとも薄気味悪い面貌だ。
流行の化粧が原因とは思えない。

こうした経験をするのは私だけかと思い、女性編集者に聞いてみた。
即座に、

   ああ、ありますよ、そういうのって。

と言って、トイレのエピソードを披露してくれた。

トイレで足を踏んだ事件だ。

足を踏んだり、踏まれたりすることはよくあることだけど、
この話はちょっと面白い。

女性編集者がトイレで順番を待っていると、
ボックスから出てきた人が待っている人の足を踏んだ。
編集者の足を踏んだのではない。
別の人が別の人の足を踏んだのだ。

思わず踏んだ人は「ごめんなさい」と言った。
これは当たり前の反応だから、マルだ。
でも、踏まれた人が、能面顔だったというから驚く。
相手の詫びも耳に届かず、痛くもない様子だった。

こういう態度はどこから生じるのか。

少なくとも、足を踏まれたことで、何らかの反応を見せるのが
普通だと思うのに、それがない。
生きることも面倒くさく感じる人の出現と見ればよいのか。

May 29, 2008 11:06 PM | コメント (26) | トラックバック (0)

2008年05月28日

余計な気配り:

今日5月28日(水)から30日(金)まで、
日本で第4回アフリカ開発会議が開催中。

今朝、政府広報による一面広告が大新聞に載っていた。
福田総理大臣、緒方貞子さん、そして女優。
いずれもニコニコ笑顔で、メッセージを発信、
アッピールに努めておられる。

今朝の朝日新聞では、三菱商事社長の小島順彦さんが、
商社としてアフリカ自立を助けるための戦略を
熱く語っておられるのも興味深く読んだ。

商社が注目しているのがアフリカの豊富な資源。
2000年前後にアフリカ投資をし、
それが最近の金属価格の高騰で収益に結びついている。

企業に貢献できるように、アフリカで職業訓練を手助けする。
産業基盤を作るために道路、鉄道、港湾、発送電設備建設を訴える。

そういう戦略だ。

この記事を読んで、大きく欠けているものに気づく。

   エイズである。

何よりもこれを解決するのが、焦眉の急だ。
金儲けもよいが、これを強調してほしかった。

世界に8千万人近くいるといわれるエイズ患者のうち、
その7割がアフリカに集中している。

日本のお金貢献は欧米と比肩しても負けていない額が、
アフリカに送られ、どれほど人材を育てても
現実は、人々が病に倒れ、死んでいくのだ。

私は、アフリカで人々が幸せに暮らせない最大の理由の一つが、
このエイズだと考えている。

いくら人に投資しても、
エイズがその人の命を食っていくという悪循環を変えない限り、
とても国を豊かに発展させるまでには届かない。

それなのに、政府広報の広告の中に、
「エイズ」という文字はなかった。

多くのアフリカの首脳が来訪しているから、
「エイズ」という「悲惨」さが際立つ文字を出すのは、
失礼に当たると考えたのだろうか。
福田さんや他のアイコンの笑顔を見るにつけ、
いつもの日本的な「気配り」があるのではと、思えてならない。

ここからは蛇足。

福田さんと言えば、先日中国の胡錦濤国家主席が来日した折、
歓迎の食事会で、福田さんが見せた気配りは、
フランスワインをカリフォルニアワインに変更することだったそうだ。
北京五輪がらみで、仏資本が市民に攻撃されていることに配慮して、
米国産に変えたというけど、胡さんにその気配りは届いたのかしら。

もしかしたら、胡さんはフランスワインを飲みたかったかも知れないじゃないか。
フランスとアメリカ、ついでにイタリアとオーストラリアのワインを
置いておいてあげるのが、本当の気配りだと思う。

   だって、中国人だもの、仏蘭西葡萄酒を飲みたいんじゃない?


●アフリカ関連記事
120円で1日暮らす
奴隷の子は学校へ行けない

May 28, 2008 07:15 PM | コメント (14) | トラックバック (0)

2008年05月27日

待ち時間に遅れる大物:

人と待ち合わせをした時、
相手が遅れた場合、どれくらいまで待てるか。

待ち合わせの相手が、恋人、友人、家族、ビジネスといろいろで、
遅刻に対するガマン度が違うだろうが、
自分はどうするだろうかと思ってみると、
恋人なら1時間、ビジネスなら30分で帰ってしまうだろう。

作家・故三島由紀夫氏の座右の銘は、

   約束墨守(ぼくしゅ)

だった。

私の知人のジャーナリストTさんも、時間厳守の人だ。
待ち合わせには、必ず10分前には来た。
そして、相手が遅れた場合、容赦なく15分で待つのを打ち切って帰った。

待つ時間を決めて、それを厳格に実行するのはなかなかできにくい。

自分が時間を守るのだから、相手も守るのが当然。
その当然を守れないヤツを15分以上待つ必要がないと、
Tさんは、待つ身の理由を述べておられた。

一方、仕事がら約束時間を設定しているのに、
なかなか守らないのが、美容院や病院のアポだ。

彼らはしばしば押せ押せの時間になってしまいがちで、
最初に遅刻れる人が出たら、そのまま影響されてしまう。
で、結局、約束の時間を守れない。

いろいろな状況で遅れるということはわかる。

franky.JPG

日刊スポーツ本紙の日曜日と言えば、
「日曜日のヒーロー」という人気ページ(右:大物の小さい写真)で、
毎週、時の人が登場する。

5月25日は、マルチ人間のリリー・フランキーさん(44)だった。
ベストセラー小説「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」の
執筆者であり、イラストレーター、写真家、コラムニストなど活動の幅は広い。

記者は次の文章で始めていた。

   リリーは取材開始予定時間を1時間過ぎて到着した。
   しかし、スーツはびしっ、エナメル靴はぴかぴかに光っている。
   慌てた様子はまったくない。
   さらに言えば、申し訳なさそうな様子もまったくない。
   遅刻癖は本人もいろんなところで認めている。

リリーさんは、この遅刻について次のように話していた。
ちょっと長いが、非常に面白いので引用しておく。

   人に会うときはきちんとしなさいって教えられてきましたから。
   遅刻しそうだなと思っても、何か腹に入れて頭を働かしてないと
   相手に失礼かなと思うんです。だから、朝まで飲んでても、
   約束があれば、家に帰って風呂に入って、
   ちゃんとメシを食ってから出ます。ベストの状態で会う方がいい。
   でも、まったく間に合わないってことがないんですよ。
   ラジオの生放送終了5分前に到着するとかね。
   ラジオを聞いていた井上陽水さんが、『リリー、遅刻はきわどい芸なんだよ』
   って。喜んで遅刻してるわけじゃないんですけどね

私はここまで読んで、

   遅刻をした人が待ってくれていた人に謝らないで、
   スーッと入っていける、まあ、この業界だから許されている
   甘えの感は否定できないだろう

と、思った。

基本的に遅れてきた者が、遅刻を正当化できるのは、
その人がどうにもできない理由をもっている場合だ。

たとえば、電車が遅れた、渋滞に巻き込まれた、急に体調を崩し
休んでいた、といった理由だ。

しかし、芸能界の世界では、遅刻を一つのパーフォーマンス、
自分を表現するという目的のために演じる芸として、
利用されていることがあるらしい。

井上陽水さんがアドバイスした『遅刻はきわどい芸』がそれだ。

その芸を持つ人に対して、では、取材する側が
どんな反応をしたかというと、
遅刻に怒ることもなく、実に好意的だった。

つまりこういう解釈が成り立つのではないか。

リリーさんは、一つの芸として1時間余り遅れて登場。
待つ取材陣(記者、カメラマンなど)は、それを知っていて、
(つまりリリーさんが遅刻常習犯だと知っている)
待つ者・待たせる者の空間で演技を続ける。
遅刻の理由の説明も、自分の仕事の哲学的なものに敷衍(ふえん)させている。

とは言っても、もしこれが駆け出しタレントだったら、
完全にアウトなのもこの業界だろう。

野球ではどうか。
日本ハムの中田翔君、今年4月17日に二軍の練習に遅刻、
外出禁止の処分を受けたのが、記憶に新しい。
そうやって大人度を高めて行く・・・。

●コメント更新情報

問題解決欲求が弱い」孤愁庵人さんが充電されて帰って来られました!
害コメント」14番目の月さん他多数

May 27, 2008 10:55 PM | コメント (18) | トラックバック (0)

2008年05月24日

おバカなキャラ頼み:

全国の裁判所や検察庁などのテンションが日に日に上がっている。

いまや、マスコット・キャラクターを登場させて、
いよいよ国民の間に定着させるのに懸命。

司法のキャラが競演し、目立ち争いまで起きている

裁判員制度開始を来年の5月に控え、
可愛いキャラクターをホームページのナビゲーター役に使ったり、
広報イベントやポスターにまで登場させえている。

たとえば・・・

berry.JPG

   奈良地検は、奈良公園のシカの「なっち」。
   「ならのちけん」の短縮愛称だろうけど、
   平城遷都1300年の「せんとくん」もいて、ややこシカ。

   水戸地検は特産の納豆からイメージが湧いて「わらなっちゃん」。
   「わらなっちゃん」の由来は、水戸名物の「藁納豆」か。

   札幌地検は雪だるまをモチーフにした「ユーキー」。
   「YOU KEY」とアルファベットを使って、
   「あなたが鍵だ」という意味らしい、
   ちょっとその意味に到着するまで遠くないか。

nuts.jpg

   宇都宮地検は、「べりぃちゃん」(右写真の上)、
   栃木県産のイチゴからイメージしたようだ。

   千葉地検は、その下のカップルキャラで、
   落花生からモチーフをとっている。
   千葉産で「ピー太くんとナツ実ちゃん」だ。

二日前の23日(金)には、
裁判員制度の普及や啓蒙に一役買うキャラが3つ、
鳩山邦夫法務大臣を表敬訪問した。

hatoyama.jpg
その一つ、福岡高検の「サイバンインコ」というキャラクターの
着ぐるみを鳩山大臣が着て写真撮影(写真:日刊スポーツ本紙から)。

どうやら、裁判員制度で、国民が国民を裁くイベント化を狙っているようだ。
刑罰を課すことの厳粛性をできるだけカル~ク、
心の負担をできるだけ失くさせ、親しみさえを持たせ、
「あなたも、一度は裁判員」感覚を植えつけたいのだろうか。

そう言えば、フジテレビ系で、
「オレたちひょうきん族」という人気バラエティ番組があった。
放送されたのが、1981年から1989年まで。

この年代に中学生・高校生時代を送った人が、
今や、司法機関でキャラを作りだせる権限を持つ
課長級(ひょうきんな部長でもいいけど)の人たちと重なるとすれば、
なんだか納得できないか。

(安岡)力也さんの着ぐるみ「ホタテマン」やイエス・キリストをからかった「懺悔」シーン。
限度を越えた退廃を見れば、この先の裁判員制度は、
決して平坦な道を歩めるとは思えない。

May 24, 2008 11:00 PM | コメント (8) | トラックバック (0)

2008年05月22日

夫婦ってこんなもの?:

妻はアルツハイマー病患者」から続く。

妻がある部分の記憶を欠落させることで、
一種、夫への復讐をしている結果になっているのが、
深刻な題材を取り上げつつ、ちょっと軽めで、気味良い。

しかし、このグラントという男、なんとかならないか。

すでに70歳を過ぎているのに、女好きの「病い」は昔のまま、
同じアルツハイマー病患者を配偶者にもつという身の上からのつらい者同士意識で、
オーブリーの妻との浮気を正当化してしまう。

北米での映画評価はかなり高いことを考えれば、
夫婦間の倫理基準に沿っているのだろうが、
私は、皆目このグラント爺の浮気行動が理解できなかった。

北米の夫婦は、アルツハイマー病で人格が崩壊する危機を目の当たりに見ても、
性的なものにここまで執着するのだろうか、
と思うと、なんだか、この映画が「夫婦ホラー」に覚えてきた。

away2.jpg

映画にはあまり動きがない。
グラントもフィオーナも緩慢に動くし、
グラントは病魔に苦しむ妻が回復する手助けをしないで、
傍観者的だ。
これでは、日常的に脳への血流は少なくなって、
脳が萎縮するのも当然だ。

   「二人でジョギングぐらいしてやれよ」
   「脳の血行をよくするように、音楽を聞かせたりゲームをしてやれよ」

などと非常に不満を覚え、
やがて私はフィオーナに感情移入をしてしまった。

   夫への記憶が欠落したことを逆に「幸せ」と感じ、
   オーブリーと施設で一緒に暮らす「新しい個人」として
   生れ変わったと思えばよい。

と、エールを送りたくなった。
しかし、脚本家はそのような、まことに奇妙なハッピーエンドにもしなかった。

どんな風に?

そこまで明かすのはいけないだろう。
ただ、この結末は、まったくいただけないものだった、
とだけは言っておこう。
そして他にもいくつか映画への不満を表明しておく。

アルツハイマー病が1月や2月の短期間で、
あそこまで人格が崩壊するものか。
アルツハイマー病の診断を仰ぐ時、
MRIとかCTスキャンなどのグラフィックを見せてほしかった。

どうしてかというと、老人たちは静かに取り乱すこともしないで、
現実を受け入れていく。

   でも実際は、あんな平坦なものじゃない。

脳の崩壊に対して危機感や不安を切実に覚える人々には
この映画からは、何の役立つ情報も得られないからだ。

観客を脅かしてもいけないが、
情感に流されず、しっかり細部のリアリティを描いてほしいと想った。
名医を探すとか、医師と連絡を取り合って、
自宅で訓練をするとか、彷徨のリスクを考えて、
ポケットベルを持たせるとか、もっともっとあきらめないで、
やることがあるに違いない。
この切実さが、フィオーナの記憶が欠落しているように、
グラントの意欲も欠落しているように見えて、鼻白むのだ。

今週土曜日からロードショーになる「アウェイ・フロム・ハー君を想う」。
北米で、抜群の評判をとっている。
宣伝パンフには、米国の数々の批評家賞を受賞した実績が明記され、
厳しい批評家にも高い評価を受けている。

監督・脚本はサラ・ポーリー、
「スウィート ヒアアフター」で人気がある若い女優が、
自分とは年齢的に距離がある老夫婦を描いた作品だ。

さらに製作総指揮をしたのが、
「スウィート ヒアアフター」を監督したアトム・エゴヤンだから、
若いサラ・ポーリーの感性が
老夫婦のドラマにうまく生きたに違いない、
と期待できるはずだったのに、ちょっと残念な気持ちが残る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アウェイ・フロム・ハー君を想う(ヘキサゴン・ピクチャーズ提供)
監督:サラ・ポーリー
出演:ジュリー・クリスティ、ゴードン・ピンセント、オリンピア・デュカキスら
5月31日(土)から全国ロードショー

●アルツハイマー病関連記事
私は壊れていない?
新説発見、急激な体重減がシグナル?

(追加)
コメントが一杯溜まっています。超多忙なため、アップ困難です。
順次上げていきますので、しばらくお待ちください。 (2008.5.23. 13:40更新)

May 22, 2008 10:18 PM | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年05月21日

妻はアルツハイマー病患者:

今までにも多くの映画を観てきたのに、
この一本は、観る前から惹かれたのは、
決して私だけではなかったようだ。

いつもの試写とは違って、満席。
やはり、テーマが観客を惹き付けたのだろう。

土曜日に封切りになる映画「アウェイ・フロム・ハー君を想う」について書こう。

主人公は、結婚44年目を迎えたグラント(夫)とフィオーナ(妻)。
二人は、元大学教授とその教え子だった。
深く愛し合っている二人は、
経済的、肉体的、精神的に満足な結婚生活を送ってきたかのように窺える・・・。
しかし、それでは物語にならない。

突然、妻のフィオーナにアルツハイマー病の症状が出る。
色の名前がわからなくなる。
洗ったフライパンを収納棚に入れず、間違って冷蔵庫に入れてしまう。
食事中「WINE」(ブドウ酒)という単語が思い出せない。
挙句は、散歩に出たまま、寒い夕暮れ時に道を見失う。

away1.jpg

冒頭からそういうエピソードがちりばめられ、
やがて観客に、フィオーナが病に冒されていることがわかってくる。

   アルツハイマー病に罹って苦悩する妻と
   介護する夫という構図か?

と、観客が我がことのように思い、
心の準備に入ると、新たな展開が待ち受けている。

夫のグラントは、妻をやさしくいたわっているのに、
観客の私は、

   どうも妻への献身さに不足しているのでは?

と思えてならない。

やがて、大学教授時代、女子大生と何度も浮気をして、
美貌の妻のフィオーナに惨めな思いをさせる
身勝手な夫だったことがわかってくる。

結婚生活44年を経た今、夫が妻へどれほど愛情を注ごうが、
教授時代の「罪」は消えていない。
妻の記憶の中に、夫が自分を裏切った時の気持ちは、
熾火(おきび)のように、消えないで残っている。

この映画のテーマの一つは「記憶」だ。
愛も憎しみも記憶があってこそ、
それらに関わった人間は確かめることができる。

やがてフィオーナは、アルツハイマー病患者用の訓練施設に入る。
施設の中ではちょっと浮いて見えるほどの気品と美しさを持つ彼女が、
この日以降どのように「崩れていく」か、見ごたえがある。

入所の規則として、

   グラントが妻と30日間会えない、

という愛し合う二人にとって厳しい状態が続いた。
この条件がついている理由は、アルツハイマー病患者が、
30日かけて施設になじみ、訓練に集中できるようにするためだ。

そして問題の30日を終えれば、フィオーナの外泊も
グラントと毎日面会することも自由にできる。

30日後、グラントは待ちかねるように妻に会いに行く。
しかし、訓練がうまく行き、二人が喜ぶというのでは、映画にならない。
脚本家は、残酷なエピソードを観客を用意して待っている。

グラントの目に映った妻は、彼の顔を認識できない重症患者だった。
代わって、グラントのポジションにいたのは、
同じ入所者のオーブリーという車椅子に乗った男性で、
フィオーナはまるで恋人に接するように
かいがいしく彼をサポートしていたのだ。

グラントが一番大事にしてほしい、自分への愛情、自分との幸せな日々を、
妻がすべて忘れてしまっていた。
私は、心の中で、

   フィオーナの苦しみが十分わからないおっさんへの罰だな、

と、妙に納得できた。

人は自分が一番思い出したくないものを忘れようとする。
結果、忘れられないにしても、そういう試みをして、
自分を守ろうとするものだ、と誰かが言ったっけ・・・。

実際、医学的に、アルツハイマー病患者が、この映画のような、
配偶者の存在自体をわずか30日の間に失念するのかどうかはわからないが、
この元大学教授に限っては、仕打ちをされても仕方がないし、
その方が小気味よく感じられた。

アルツハイマー病をテーマにしていながら、
この映画が現実との結びつきをどうも希薄にしている理由は何か、
と考えながら、私は映画を観続けることになる。

(次号に続く)

●関連記事
私は壊れていない?
新説発見、急激な体重減がシグナル?


May 21, 2008 12:02 PM | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年05月19日

えらいこっちゃ!メタボ財政:

大阪府の財政が破綻寸前の状態であるのは、動かせない事実。

この悲惨な財政を再建するために、
府民が圧倒的な人気で選んだのが橋下徹さん。
その願いに沿って、「財政再建プログラム試案」を発表した。

財政再建は、まず支出を切り詰めるのが鉄則。

問題は、何をどんな風に切り詰めるか。

試案の中にいくつかの文化施設の統廃合があって、
その一つ、知事は吹田市にある「大阪府立国際児童文学館」の廃止を提案した。

当然のように、反発が起きた。

4月17日に56人の文化人が連名で、文学館の存続を求める要望書を知事に提出した。
絵本作家、児童文学者、詩人、漫画家の人々。

また、香山リカ(精神科医)氏、俵万智(歌人)氏、竹宮恵子(漫画家)氏ら
27人の有名文化人と74団体も存続の要望書を知事に提出した。

この府立国際児童文学館を運営しているのは、財団法人大阪国際児童文学館。
その「業務及び財務等関連資料」を見ると、大阪府の丸かかえであることがわかる。

文学館が生む事業収入は、スタッフ一人の年収にもならない。

   えっ? ほんまかいな!

と驚いてしまう。

また催し物のメニューを見た限り、
あえて言えば、ちょっとした図書館のレベルに近い。

名称に国際がついているが、
なぜ「国際」の冠をつけるのか、という感じだ。

存続を要望する団体はかなり多く、
施設及び事業経営に対する評価」を読むと、
正直言って、別にこの文学館がなくなっても、
その団体に十分に吸収できるのではないかと思える。

ここでやっている児童文学の研究は、大学などの研究機関で十分可能だろう。
子供(大阪府)の興味を本に向けるのが目的の一つなら、
通常の公立図書館でその役割は果たせる。

香山リカ氏は、

   図書館とは違う独自の機能がある。
   一度なくなったものは簡単に戻せない。

と存続の理由を挙げるが、「評価」を見ると、
「独自の機能」はレトリックに感じてしまう。
そもそも、そういう言い方をしたら、
何にでも独自の機能はあるわけだ。

一度なくなっても、また財政に余裕が生まれたら、
戻すことも可能。

大阪府の公立の高校や大学が協力して、
その機能を委譲してもらうことだって、可能だろう。
関係者の努力でなんとでもなる話だ。

また存続させたいのなら、要望書を提出した側の「寄付行為」について
言及があってしかるべきだと思うが・・・。

研究と子供の啓蒙を一つにしようとした無理が
あのような大きな箱を用意しなくちゃならなかった。

大阪は「ドケチ」「始末」、そして使えるものは何でも使え、
という哲学をもっているのが誇りだったはず。

その精神のもと、廃止する選択で良い、と思う。

廃止の提案がなされたことを見ても、
元々この「箱」を作ったこと自体、問題があるわけで、
作る前に気づくべきだった。

May 19, 2008 10:57 PM | コメント (8) | トラックバック (0)

2008年05月18日

会社の話:東洋経済新報社(1):

会社にはエトスがある。
しばらくその会社と付き合っていると、
おのずとこちらの皮膚感覚で、
閉鎖型かオープン型の社風かなどが伝わってくる。

私は常々「会社」という組織は、自然人の集合というよりは、
一つの社会的法的フィクションだと考えるようにしている。
しかし、実際にはそこで働く人が話す言葉によって動いているわけで、
会社のエトスは、当然、社員のエトスでもあると言えよう。

このエトスは、会社の歴史を通して残っていることもあるし、
もうすでに消え去って、まるで別会社のエトスが支配しているケースもある。

では、老舗と言われる「東洋経済新報社」は、閉鎖型かオープン型か。

この会社は、日本最古の週刊誌「東洋経済」というビジネス専門誌や
「会社四季報」という季刊の会社情報誌を発行している。

★自由のエトス――★

週刊「東洋経済」の歴代の主幹は、
三浦銕太郎、石橋湛山、高橋亀吉などが担当し、
戦前の日本の軍国主義を批判した。

とりわけ戦後首相を務めた石橋湛山(いしばしたんざん)が、
岩波文化に沿った理念の下、編集長を務めていたことで、
ブランド信奉者には、

   リベラリズムのエトスが会社内に浸透している

と、理想的なものに思い込んでいる人たちが多い。

週刊「東洋経済」の人的歴史の流れで、
70年以上の伝統を持つ四季報の記者に対しても、

   あ、東洋経済の方ですかあ、

と、即通じる便利さはある一方で、
実際、記者自身は、リベラリズムの伝統に関して無反応だったり、
「タンザンって、何なんすか?」
「うーん、時代が違うでしょう」
「いや~、どうなんでしょうねえ」と反応が弱い。

すでに湛山先生の空気は、昭和の彼方に消え去り、
自由なエトスどころか、社内は硬直化傾向にあり、
はなはだ古い体質を引きずり、息苦しくさえ感じてしまう。

たとえば、部署ごとの問題発生は、処理を上へ上げ、
取締役間の協議の後、下へ降りてくるというプロセスをとられるから、
極端に言えば、本一冊手に入れることも困難になり、
問題解決のスピードは非常に遅くなってしまう。

「会社四季報プロ500」のある編集兼記者は、

   「これが会社というものなのです」

と自嘲気味に発言する。

また現場レベルで消化しづらいことは、総務部に丸投げ。
よって問題解決能力にも不安がある。
「問題解決」の書籍を4冊ほど発行しているのに、
発行元が問題解決できないのは、皮肉を通り越して、
実践に役立たない書であることを、
自分たちが一番感じているに違いない。

大方の「会社」にありがちな学閥意識は更に強く弊害となっている。
転職率が高い、よって必然的に中途採用者が多く、
生え抜きの非学閥が何とか間隙を縫って昇進できているように感じる。

このような窮屈で複雑、風通しが悪い労働環境で、
記者は仕事をしなければならないのだ。

★鵜飼の鵜(う)――★

記者は大学で経済学や経営、あるいは商学を専攻したものばかりではない。
歴史を学んだり、文学書に親しんできた社員も混じっている。
ビジネス関連書籍を出したくて入社した人や、
営業をソツなくこなしている社員が恐れるのは、
「会社四季報」関連部署に配転されることだ。

u.jpg

第一編集局局次長兼証券編集局部長の田北浩章氏は、
次のように明言している。

   「長良川の鵜飼いを思い浮かべてみて下さい。
   船の上の鵜匠が編集者、鵜が記者です。
   鵜匠が魚がいると思われるポイントに船を出し、
   鵜はより活きの良い魚を取ってくる。これが第一編集局です」

人を「鵜」(右写真)にたとえて平然としている感覚は、
一体何から生まれ、どのように培われたのか。
このちょっと傲慢な言葉からわかるように、
記者としての日常は、かなり束縛性が高いことが想像できる。

「四季報」記事は記事的には代替性が強く、単調な上、
数字のわずらわしさが強くつきまとい、
神経を使って注意を払わねばならない割に、実際は面白くない。

競馬記者が予想記事を書いて実際に馬券を買えるようには、
四季報記者は株を買うことができないという強い制約が
さらに気持ちの制約に拍車をかけ、
記事の広がりや伸びを止める結果となっていることは、
記事を読めばわかるはずだ。

この季刊誌はすでに記事スタイルのノウハウが確立しているから、
記者にとって型を学ぶことが至上命令。
この型の重要性は、優秀な校正マンや校正ウーマンによって、
記事の隅々にまで反映されており、
彼ら・彼女たちを抜きにしてはこの雑誌の今日はあり得ない。

「古米」のような社風がはびこっているのでは、
新風を吹き込むことなど望めないばかりか、
権威に弱く、トレンドに遅れをとることに結果する。

また模倣しがちといったマイナス面が目立ち、
相場が冷えると、部数が落ち込み、相場が熱を帯びると、
部数を上げていくという、まるで循環相場のように、
同じ状況が周期的に訪れるだけの刺戟(しげき)の無さを
味わうことから逃げられないのだ。

(次回つづく)

May 18, 2008 12:46 AM | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年05月15日

杜甫・成都・略奪:

地震・パンダ・杜甫」から続く。

今回の大地震で家族や家を失い、
ライフラインが閉ざされた避難民を見て、私が思い出したのは、
杜甫の長詩「茅屋為秋風所破歌」(茅屋(ぼうおく)の秋風の為に破られし歌)だった。

   ここに詩がある

詩の舞台は、大地震で一躍名が知られた四川省の省都・成都。
その郊外、浣花渓の川沿いに杜甫一家が住むかわぶきの草堂があった。
ある年の8月(陰暦)、台風に屋根のかやが無残に吹き飛ばされたことがある。

飛び散ったかやは、向こう岸の森のこずえに引っかかったり、
水溜りに沈んでしまった。
そこに現れた浮浪の少年たちが、
たちまち、かやを拾って持ち去ってしまった。

これは盗賊のしわざと言うしかない。
声を枯らして叫ぶが、戻ってくるわけもなく、
ツエによりかかって深いため息を吐くばかり。

夕刻、嵐がようやく止んだが、
今度は大雨、かやが吹き飛んだ屋根から
雨が容赦なく降り込んでくる。

ぼろぼろの布団をかぶって身を守ったところで、
その大雨から逃れることはできない。

この時、杜甫は、次のように嘆き詠うのである。

   いずくにか得るものぞ千万の間ある広き廈(いえ)
   大いに天下の寒士を庇(かば)いて倶(とも)によろこばしき顔せん
   風雨にも動かず山の如く安し
   ああ何の時か眼前に突兀(とつこつ)としてそのことき屋(いえ)を見ん
   吾が廬(いおり)は独り破れ凍りを受けて死すとも亦(ま)た足らわんものを

つまり、おおまかに言えば、杜甫は、

   私たちのような貧民を収容してくれる大きな家があればなあ・・・
   いつかそんな家が忽然と現れることなどはあるのか、
   もしそれが実現したら、私の草堂など吹き飛んでもかまいやしない・・・

というような想念を抱いたのだ。

1300年前のこの杜甫の想念は悪意の蔓延する唐衰退期に現れたこと自体、
私には、ひとつの救いのように思えてならない。

これに限らず彼の詩には、
強い「正義感」と「ヒューマニズム」が貫かれているものが多い。

そして1300年後、今朝のウエッブニュース(読売)によると、

   【綿竹(中国四川省)=牧野田亨、都江堰(同)=竹内誠一郎】
   中国の四川大地震から3日目となる14日午後、
   多数の死傷者が出た四川省綿竹市の農村地区で住民たちが
   支援物資を積んだトラックを止め、荷台の物資を奪い合う事態が発生した。

杜甫がこのニュースを聞いたら、
どのような詩を我々に聞かせてくれただろうか。


●コメント更新情報

あるレストラン物語」車椅子乗りさん
ナンパに年齢制限なし」まささん
奴隷の子は学校へ行けない」aiueoさん
癒しの哺乳ビン」ありえむさん他


May 15, 2008 07:46 PM | コメント (12) | トラックバック (0)

2008年05月14日

地震・パンダ・杜甫:

中国・北京から1500キロ奥地で大地震が起きた。
地震の惨状は、四川省の省都・成都から逐一報道されている。

行方不明者10万人を越えるという情報もある。
10万人という数は、中国得意の白髪三千丈の類いではなく、
おそらくもっと多くなるかも知れない。

中国は国土が図抜けて広いところに、人口も並じゃない。
いったん大災害が起きれば、犠牲者の数も記録的なものになる。

家族、家、そして友人を失った慟哭(どうこく)の避難民は、
瓦礫(ガレキ)の上だろうが、道路だろうが、
とりあえず安全な空間を見つけ、心身を落ち着かせている。
雨が降る中、あり合わせの毛布や布団に包まって、
震えながら、ひたすら救助を待つ。

古いビルは、軒並み崩壊しても、
隣りの政府関連ビルはびくりともしなかった。

保護区の中国の宝物・パンダたちも、無事だった。

現在、避難民は、とりあえず、雨に打たれず、
疲労困憊した身体を休め、空腹を満たし、
災害と戦える力を取り戻すための大きな広い安全な建物が欲しい、
と切実に思っている。

北京には、体育館やスタジアムなどの大きなシェルターがある。
しかし、被害地の人々は、建設計画を後回しにされたため、
いわば、天災に続いて、人災による犠牲者でもある。

私は、まともに身体を横たえる場所にも恵まれない人々の姿を
映像や報道写真で見るにつけ、
今から1300年ほど前の唐王朝に生きた杜甫(とほ)のことを思った。

toho.bmp

詩人の杜甫(写真)は、晩年の4年ほどを
今回の震災地・成都で過ごしたことがある。

杜甫が生まれたのは、712年、
この年、唐王朝の全盛を極めることになる玄宗が即位した。
時代としては、奈良の都で聖武天皇が華やかな時代を
作っていた時期と一致する。

杜甫は、言うまでも無く、唐時代に生きた天才的な詩人で、
実は、行政官を志望していた。

官吏採用試験の「科挙」を受けたものの、次々と落ちてしまった。

彼が求めたのは、単なる栄達ではなく、
自分が持ち合わせていると信じる誠実な心を
政治の場で活かしたいということだった。

しかし、四十の声を聞いてから、
玄宗皇帝の特別のはからいで手に入れた職は、
まったくささやかなものであっただけでなく、
瞬く間に失ってしまった。

玄宗が楊貴妃にうつつを抜かし、贅(ぜい)の限りを尽くした。
それゆえ、民心が離れ、安禄山の乱が起き、
ついに国都長安は陥落してしまった。
小役人の杜甫は、そのとばっちりを食らった形だ。

玄宗は、長安から脱出し、成都へ赴いたが、
楊貴妃はその途中、殺されてしまった。

杜甫は反乱軍に捕らえられたが、機を見て逃亡し、
新天子の粛宗皇帝に左拾遺という諌官として使えた。

しかしそれも1年にみたず、地方官に、そして、
自分が理想とする政治を行える場と生活のために、
漂白の旅に出た。

詩作で練磨した魂を政治の世界に活かすなど
理想に過ぎないと気づかなかった杜甫にとっては、
現実は矛盾に満ち、厳しいものだったようで、
彼は常に欲求不満を感じていた。

   杜甫がかくも熱烈に仕官にのぞみを終生もちつづけたのは、
   政治こそ人間の不幸を救うものであるという確信があったからである。
   更にまたその前提としては、しいたげられた不幸なものに対する
   はげしい関心があったからである、

と、中国文学のある学匠が、かつて述べたことがある。

今回の大地震で、家を失った民を見て、
私は、政治家志望だった杜甫のある長詩をもう一度読み返してみた。


(次号に続く)

May 14, 2008 08:30 PM | コメント (16) | トラックバック (0)

2008年05月13日

害コメント:

あるレストラン物語」に、正論さんから、
次のようなコメント(投稿日時:2008-05-12 09:59:54)が届きました。

・・・・・・・引用始め・・・・・・・

   >>通常の神経をしていたら、「人を表現するのに『害』はないだろう」
   >>と思うはずだから、私もこれからは「障がい者」という表現を使ってみたい。

   これはおかしいですね。はっきりいってただの「言葉狩り」。

   人そのものに周りに対して「害」があるというニュアンスではなく、
   あくまでその何かするときに「できない」という意味であり、
   「公害」などとは異なります。

   漢字の勉強をしてからものを言いましょうね^^

   あなたの思っている「通常の神経」は残念ながら一般的ではありませんよ。

・・・・・・・引用終り・・・・・・・

正論さんの主張ポイントは4点ある。

①『害』の漢字を使わず、障害者を『障がい者』と書くのは「言葉狩り」だ。

『障害者』は1947年に公布された「当用漢字表」で、
使用漢字が1850字に制限され、
『障碍者』を使えなくなった結果生まれた、強引な当て字と言われる。
この『障碍者』の前は『障礙者』と書いた。
『碍』の正字は『礙』、つまり『碍』は俗字である。

となると、私の『障害者』を『障がい者』に変える提案を
「言葉狩り」と称して反対する正論さんは、
『障礙者』を『障碍者』に、そして『障碍』を『障害』へと
一種の「言葉狩り」をしてきた歴史に目をつむっている。
たぶん、知らなかったのだろう。
知っていたら、このようなコメントを書くはずもない。

また「障害者」を「障がい者」と表示することが、
「言葉狩り」だとはとても思えない。

②『害』は「あくまでその何かするときに『できない』という意味だ。

『害』は「あくまでその何かするときに『できない』という意味」か?
答えは「ノー」だ。
『礙』と『碍』には「妨げる」「防ぐ」という意味がある一方、
『害』は、「妨げる」「傷つける」「わざわい」などを意味する。
ここには、正論さんが言うような単なる「できない」という意味はない。

「できない」という意味があるなら、
分数ができない人は「分数障害者」、
料理のできない人は「料理障害者」、
そして子供を産めない人は「出産障害者」と呼ぶのか。

さらに単なる語義だけでなく、
『害』を仏教用語に広げて意味を探ると、
仏教が教えるところによれば、「煩悩」の一つで、

   他者へ思いやりを欠いた心の状態

を意味する。つまり、慈悲の心もない無残さを言う。

③正論さんの漢字の知識でもってすれば、社主に
「漢字の勉強をしてからものを言いましょうね^^」と言える。

「漢字の勉強をしてからものを言いましょうね^^」と言えるかどうか。
上記のポイント①②の説明を読めば、
答えはおのずと明らかだ。

④社主の考える「通常の神経」は一般的ではなく、正論さんの神経が一般的だ。

『害』が含まれる熟語を探すと、
「有害」「害毒」「災害」「害虫」などと、好ましい意味を持つものはない。
『障害』と書き換えた人は「他人に害を及ぼす」ものだとでも、
言いたかったのだろう。
こうした印象、ニュアンスを持つ『害』という字に置き換えたことを
もし正論さんのように「一般的」であると思う人が多く、
それが社会通念ならば、決して健全な社会とは言えないと思う。

・・・・・・・

(追加)
ロッテ唐川「新勝寺」
「世界一」が期待した通り、ロッテ唐川投手、無傷の3連勝です。
おめでとう!
(午後9時51分更新)

May 13, 2008 06:42 PM | コメント (38) | トラックバック (0)

2008年05月11日

癒しの哺乳ビン:

スリが、欧米のゴシップ紙で話題になっている。

そう、スリちゃんだ、わかる人にはわかるけど。
米国俳優トム・クルーズさんと同ケイティ・ホームズさんの間に生まれた
2歳と1ヶ月の女の子のこと。

5月5日だったか、スリ・クルーズは、
ママのケイティと買い物をしている時、
ミルクの入った哺乳ビンを手に持って癒されている姿を
写真に撮られてしまった。

   この写真(INFデイリー)

★離乳の時期――★

生後25ヶ月の女の子が哺乳ビンをくわえている姿に飛びついたのが、
英国大衆紙のデーリー・メール。

   育児の専門家や小児科医は、
   親は一歳から子供の離乳をすすめる方がよろしい、
   と言っているが、スリちゃんはちょっと遅いのでは?

育児中のヤンママ(古い!)に聞けばわかるが、
我が子の「成長」にかかわる、他人からのいちゃもんは、
かなりインパクトがあって、気になる。母はつらい・・・。

   「ヒポ博士の育児ブック」という著書があるコーワン博士は、

   たいていの小児科医が哺乳ビンを赤ちゃんから離すのは、
   満1歳ですね、たいていは18か月までです。

博士はまた、スリの特殊事情に配慮して、

   クルーズご夫婦は旅行が多いですから、
   スリちゃんをカップ飲みのトレーニングさせられず、
   哺乳ビンで栄養をとらせ続けているのでしょう。

とも答えている。

下手に離乳をしてしまうと、食事も睡眠もうまくいかないことになるそうだ。
スリにとって、ママと一緒の買い物って楽しい労働だけど、
ムズがったりした時は、せっかく卒業した習慣に後戻りすることもある。
また哺乳ビンで飲むと、安心とやすらぎを与えてくれる。
小さな子供といっても、なんってたって、トム・クルーズの娘だ。
それなりに精神的ストレスもあるに違いない。

★ふびんな「三種の神器」――★

スリには、最近「三種の神器」が手放せない。
「癒しの三種」とも言える。

INFデイリーの独占写真に見るように、
一つは、今、話している「哺乳ビン」。
あとの二つは、「毛布」と片足の「赤いヒール」。

買い物途中に、スリはこの二つが気に入ってしまった。

   なぜ毛布なのか。

子供用の毛布だから、でかくも重くもない、
そして、毛布を掴んだふわふわ・やわらか感触がしっくりと来たのだろう。

片足のでかい赤いヒールを指にひっかけ、
毛布をかけ、哺乳ビンを吸う・・・
さすがセレブの子供だけあって、
この取り合わせは、一目を引き付ける。

たいていは、テディべアやミッキーが定番だろうが、
普通じゃ満足しないキャラクターをすでに発揮している。

heel.jpg

   なぜ赤い片足ヒールなのか。

恐らく、この赤いヒールへの愛着は、
ママであるバットマン女優のケイティに関係しているのだろう。
映画「バットマン・ビギンズ」で大ブレイクしたママは忙しい。
だから、淋しがり屋のスリは、ママの靴の片方を手に持っていれば、
ママはどこへも行けないと思っているのかも知れない。
(写真:淋しくなったら、これでママに電話してね?)

   なんて不憫(ふびん)やねん!

スリの表情を見ていると、
セレブ夫婦によくあるように、彼らの子供って、
愛情に飢えている風に思えてしまうのは、私だけだろうか。

May 11, 2008 06:58 PM | コメント (14) | トラックバック (0)

2008年05月10日

パパは今夜も遅いの?:

今朝の東京は静かに雨が降り、肌寒かった。
こういう日はゆっくり新聞を読みたくなる。

朝刊の日経プラス1で、ちょっと気になるコラムを見つけた。

陰山英男氏(立命館大学教授)が書かれた「子どもと伸びる」というコラムで、
サブタイトルは「だんらんはどこに」だった。

陰山氏と言えば、あの「百ます計算」だ。

さてコラムの話。
陰山氏は、一つの民間調査結果を取り上げ、

   「きっと、日本人は世界でもっとも遅くまで働く民族だ」

という強引な結論を引き出す。

どんな調査か。

3~6歳児(就学前)の父親の帰宅時間をアジア五ケ所で比べた調査で、
コラムのサイドには、五ケ所の調査結果はのせず、
東京(日本)・ソウル(韓国)・北京(中国)だけを比較した図をのせている。

ただし、帰宅時間を午後5時台から11時台まで7本の棒グラフで示す。

また欧米のデータはなく、またアジアの比較でも、三つの国の首都の比較だ。
だから、「日本人は世界でもっとも」という表現を
使うのは、明らかに飛びすぎで、正直、驚いてしまった。

さらに日本人は東京だけに住むわけではなく、
北海道から沖縄まで広範囲に分布している。
東京だけの調査で「日本人」を決め付けるのは、非常にまずい。

さて、三首都の「父親の帰宅時間」、
東京パパとソウルパパは、午後5時台にはほとんど帰宅せず、
東京パパが午後7時代から11時までほぼ一貫して10%台で推移。
9時と11時台がもっとも高い数字となっている。

ただしソウルパパは9時に約20%でピークとなり、
そこから下げ続け、11時台には、約8%に落ちている。

北京パパはすでに午後5時台に10%、
6時台にはなんと30%近くに上がり、
以後7時台の20%、8時台から10%を割り、
11時台はほとんどいない。

陰山氏は、どうやら「父親の帰宅時間が遅い」イコール
「父親が遅くまで働いている」と結論づけられたようだ。

しかし、労働状況や通勤状況が違う国や都市を
父親の帰宅時間だけで、「遅くまで働いた」かどうかを
決めてしまうのは、あまりに短絡すぎる。

私は、父親の帰宅を遅くする要因をシンプルに考えてみた。

国によって、生活様式、家庭のマネジメントに違いがあり、
簡単な話が、北京だと、夫は家事に協力的だから、
早く帰宅しなければならない。

例えば、日本では、午後5時定刻に仕事が終っても、
帰りがけに「ちょっと一杯やる」ケースがある。

通勤時間が長いという事情も無視できないし、
アフター5は、キャリアアップのため専門学校通い、
体力づくりのジム、フットネスクラブへ・・・。

こんなにいろいろある。

papa.JPG

ちなみに、ベネッセがリリースしたアジア五都市の調査結果は右写真。

日経の図で削除されていた午前零時~11時台に、
東京やソウルに9.0%と16.5%の山があったのは興味深い。

複雑な社会だから、調査からこぼれているものも多いはず。

陰山氏は、父親の帰宅が遅いので、

   日本の常識は世界の非常識。
   日本人は親子のだんらんを、
   何歳になったら十分楽しむことができるのだろう。
   この国は、生まれがいのある国か。

という嘆きの記述でコラムを締めくくっていた。

簡単なデータを持ってきて、
非常識だ、だの
日本はパパたちを異常に遅くまで働かせている国だ、だの
親子のだんらんは破壊されている、だのという結論はひどすぎると思う。
「生まれがいのある国か」どうかの判断を下すのは、
だんらんがあるかないかではないだろう。

「生まれがいのある国」は、ちょっと言い過ぎ。
どうやら中国は「生まれがいのある国」だと言いたいらしい。

「百ます計算」的シンプルさでは、
到底、複雑な日本の現代社会を把握するのは無理だと思う。


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「百ます」式で英語教育は可能か


May 10, 2008 07:52 PM | コメント (19) | トラックバック (0)

2008年05月08日

船場吉兆シンドローム:

今年の1月、偽装料亭船場吉兆が営業再開した直後、
エントリー「菊水丸を手玉にとった吉兆女将」の末尾で、
私は次のように書き終えた。

   お客様を表から入れて裏から出すようでは、
   偽装精神は、まだくすぶっているぞ。

やっぱり・・・

船場吉兆の女将(おかみ)たちの偽装精神は変らず「健在」で、
それもよりによって、客が残した料理を使いまわしていたのだ。

その期間は長く、

   「ここは料亭の割にゴミが少ないなあ」

と、思ったごみ収集の人たちと、使われた器だけが知っている。

使いまわしした料理も広範囲だ。
回数も数知れず、「偽装精神」と「もったいない精神」が合体すると、
使いまわしという「エコロジー」「リサイクル」になってしまって笑える。

今回の新たなやり口の発覚は、すでに予想されたことなのに、
残念ながら、ただ証拠がないので、
私は「使いまわし」と具体的な表現ができなかった。
それで、「偽装精神は、まだくすぶっているぞ」と記述したに過ぎない。

また「吉兆でハンガーストライキ!」のエントリーでは、すばり、

   あの料理は、まちがいなく、
   仲居さんたちが食したにちがいない、
   それとも電子レンジでチンをして次の客に回したのか、と思った。

と、私はすでに去年11月10日に表現している。

★なじみ客激励の意味――★

「使いまわし」とは、結局、
数万円を支払って、客は「残飯処理」をさせられていたことになるわけで、
温め直した鮎の塩焼き、二度揚げてんぷら、
何時間も放置したさしみのブヨブヨ味はカンベンしてよ。
会社の金やあぶくゼニを使って飲み食いしている美食客の舌も、
この程度のシロモノだとわかって愉快じゃないか。

私が興味を覚えたのは、そういうことだけではなく、
1月に営業再開した日、あちこちの常連客から、
次のような声がかかったことだ。

   おかみも、大変やったなあ。
   心機一転、がんばりや。

だまされた客がだました女将に同情する現象が起きた。

本来なら、だました料亭の料理など二度と口にしたくないはずだし、
吉兆と名のついた店には二度と足を踏み入れないぞ、
なめるな! という「気骨」ぐらいは持つのではないか。

にもかかわらず、だました側に同情してしまう常連客の一部。
私は、この現象をとりあえず五つの理由で説明してみたい。

その一。

吉兆の味に慣らされると、
情けないことに、たとえ偽装料理を出された過去があっても、
自分の口のいやしさに負けて、だました側に共感しておかないと、
料理を再び食べられないのは淋しいなどと、
強迫観念を抱いてしまうようだ。

その二。

「許してあげる」という姿勢を女将の前であえて見せつけ、
その姿勢を心の広い馴染み客として再評価してもらいたいのではないか。
中途半端な馴染みの哀れさと言えよう。

★特殊な依存心理――★

その三。

いわゆる「ストックホルム症候群」にどこか似ている感情と言えないか。
この症候群とは、

   犯罪被害者が犯人に対して抱く特殊感情で、
   犯人と一時的に時間・場所を共有することにより、
   過度の同情や好意といった特殊な依存心を持ってしまうこと。

客は、偽装料亭の女将と一緒に「美味しんぼ空間」を共有することで、
特殊な依存心を女将に抱くようだ。

「菊水丸を手玉にとった吉兆女将」のエントリーで、
女将が、菊水丸さんに裏口から出ることを勧めた時、
それに簡単に応じてしまったことを書いたけど、
菊水丸さんの判断で、女将が「何かをたくらんでいる」かも・・・
とまで読めなかったのは、この依存感情によるものかの知れない。

この依存症を「船場吉兆症候群」(C)と名づけておこう。

その四。

数万円の料理を食べられるのは、一部の富裕層といえるだろう。
ところがいくら富裕層だからと言っても、一見はお断りが高級料亭の本分。

女将から見ると、客など、値踏みの対象に過ぎない。
(少なくとも偽装事件が発覚するまで)
ところが、事件が世間に知れてしまうことによって、
女将と客のポジションが逆転する結果になった。
客は女将に同情することで、彼女より優位なポジションをとることができたのだ。

その五。

客もまた自分の仕事や人生の領域で、
大なり小なり、人をだました経験をもっている。
また現在もだましている者もいるから、
女将を自分たちと同類とみて、その境遇を哀れみ、
「がんばれや」というような口のきき方をして共感を持つ。

   そやそや。だまされる方が悪いのや。
   もっと舌を肥えさせて、だまされんようにせなあきまへんな~。

そんな風に、自虐的結論に達するのだ。

いずれにしても、船場吉兆シンドロームなど、
美食に興味のない目から見ると、
今日食べた物は、明日のトイレで終わってしまう愚だと思える。


●コメント更新情報
福田氏、日本男子柔道になるのか」ぽんぽこ
大阪府庁に仕掛け花火」ナミッキー
風呂にも作法がございます」義朝・道灌・幡随院
日本人の名前は無限?」mrmn
「耳」は捨てられた!」綾木誠之進
サッカー暴言も裏解決」SS


May 8, 2008 08:02 PM | コメント (13) | トラックバック (0)

2008年05月06日

奴隷の子は学校へ行けない:

世界に「こどもの日」あれば」から続く。


児童にとって極めつけの人権無視国家の筆頭は、
アフリカ北西部にある極貧国「モーリタニア」だろう。

宗主国フランスから独立したのが、1960年。
アラブ系ムーア人により黒人民族の奴隷化がその後も継続した。

奴隷が違法となったのが、1981年。
さらに人身売買が禁止されたのは2003年。
しかしこの国を一皮を剥けば、依然、奴隷制度はしっかり残っている。

★苗字を持たない奴隷――★

2004年暮、英国BBC放送は、
モーリタニアの首都ヌアクショットから、奴隷制度の実態を伝えた。

奴隷のモハメッド(男)とスキラ(女)が、
別々に告白している。

二人とも、逃亡奴隷で、
「奴隷生活に戻るなら死んだ方がマシだ」と異口同音に言う。

共に、生まれた時からの奴隷だ。
モハメド(男)は自分の歳も苗字も言えない。
記者に対して、どんな風に自分が生まれたのかも、知らないと答えた。

彼が生まれた時、ファミリーは皆、家畜同然の奴隷だった。
奴隷を所有する御主人のために働くことがすべてであり、
与えられる「見返り」と言えば、暴力だった。

スキラ(女)も同じ境遇だ。
気がつけば、彼女は奴隷だった。
報酬としてビタ一文、もらったことはない。

子供の頃の思い出と言えば、
水運び、家畜の飼育、料理、掃除など奴隷の仕事だけ。

粗末な掘っ立て小屋に住み、家畜のように扱われて生きた。
夜、寝静まると、男たちは彼女を襲う。
しかし男たちの力に抗うことはできなかった、という。

彼女は三人の子を産んだ。
奴隷の子だから、彼女と同じように奴隷として生きるしかすべがない。

   「私の上の子の父は、御主人様、中の子の父は御主人様の息子、
   そして下の子の父は、御主人様の甥でした」

モーリタニアの奴隷所有者は、アメリカ人植民地主義者が理想としたもの、
つまり完全服従の奴隷を育て上げたと言える、と記者は書いていた。

しかしスキラは完全服従の奴隷にはなり切れず、逃げ出した。
モハメッドも村に兵士が通った時にうまく逃げた。
しかし二人とも、家族は居残り、いまだ奴隷のままだ。

★逮捕者第一号――★

記者がモーリタニア高級官吏にインタビューすると、

   わが国は、すでに1981年に奴隷制を廃止しました。
   首都ヌアクショットの市場で、奴隷が売買されていますか?

と言いつつ、悠然とタバコをふかす。

しかし、現実には、児童を含めたヒューマンが家畜のように、
所有され、売買されているのだ。

2007年秋、一つのモーリタニア情報が、AP電で世界に流れた。

奴隷として無報酬で働かされていた10代の少年少女が、
教育を受けさせられていなかった疑いで、2名が逮捕されたのだ。

逮捕されたのは、51歳の男性と85歳の母親。
奴隷生活から救い出されたのは16歳の少女と14歳の少年だった。

この二人の母親も、10年前に奴隷として使われていたが、
逃亡し、国内の人権団体に子供の解放を求めていた。

奴隷所有に関する逮捕は、これが第一号――とは驚いてしまう。

児童が奴隷として迫害されているモーリタニアに、
2005年には、主要援助国の第4位の日本政府は、
1472万ドル(邦貨:約15億円)を援助している。
この現実をどれだけの日本国民は認識しているのだろうか。

もちろん日本の外務省官僚は、学校を設立していると弁明するだろうが、
その学校に奴隷の子は通えない。
通っているのは、奴隷の所有者の子だ。

モーリタニアの人口約320万のうち、奴隷は、10万余と推定されている。


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May 6, 2008 11:19 PM | コメント (23) | トラックバック (0)

2008年05月05日

世界に「こどもの日」あれば:

「こどもの日」は祝日法で、

   「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、
   母に感謝する」日

などと定義されている。
制定されたのは、日本の敗戦後3年経った1948年。
その前年、児童福祉の基本原則を規定した「児童福祉法」が制定された。

しかし、法が施行されたからと言って、
では子供たちがすぐに幸せになれたかというと、とんでもない。

★商品のように売られる子供たち――★

今の生活からはちょっと信じられないけど、
日本でも戦後の厳しい生活難が続く1950年代になっても、
児童福祉法を無視して、子供が売られた。

貧しい東北地方や炭鉱地帯での人身売買だけでなく、
広範囲に都市部、たとえば東京、福岡、奈良などでも人身売買事件が続出し、
1951年に判明しただけでも、8000件以上と言われる。

女の子が多く、売られた先は、接客婦、遊郭、女給など主に水商売だった。
その後、子供たちは苦界でどんな人生を歩んだのだろうか、と心が痛む。

昨日記事にした中国では、実際どうか。

近代化の途上国だから、人身売買の深刻な事態は続いている。
犠牲者のほとんどが児童と女性だ。
当局の発表では、06年に約2500件、
五輪が開催される今年から5年間にわたり、
「女性・児童人身売買防止行動計画」を実施していくという。

日本が戦後経験したように、児童が肉体市場への「供給品」となっている。

さらに中国がえげつないのは、
高い倫理を要求される人たちが立場を利用して、
人身売買のブローカーに堕落していることだ。

たとえば産婦人科医、看護師、助産婦らが結託して、
大掛かりな人身売買ネットワークの一役を買っている。
何でもありの中国とは言え、これでは悲惨過ぎる。

移送に際しては、子供が泣かないように、睡眠薬を飲ませたり、
旅行カバンに詰め込んで運ぶやり方に手抜かりはなく、
人間を扱うというより、完全にモノ扱いである。

kashiwamochi.JPG

今日は「こどもの日」。
今にも雨が降りそうな東京の街を歩いてみると、
親子連れの姿、子供たちの嬌声、レストランの行列。
人身売買、児童労働で子供の人権が著しく侵害されている現実など
どこか遠くの出来事のような気持ちになって、ピンと来ない自分が怖い。
(写真:今日、私たちが食べた柏餅)

★命がけの労働――★

19世紀の英国ビクトリア時代、
親が底辺生活を送っていれば、
その子供は悲惨を通り越して命の危険にさらされた。

よく煙突の中で子供が死んだ。
児童を酷使する者たちは、
労働者としての子供の特性をよく承知していた。

子供は小さいから、
大人が入れない小さな空間にも入り込める。
たとえば煙突掃除。
子供なら、狭い煙突の中まで入り、掃除ができるので重宝がられた。

子供は疲れてしばしば煙突の中で寝てしまう。
依頼した家の人が、煙突掃除終了と思い込み、
煙突の中を確認せずに暖炉に火を入れると、
子供掃除夫は、そのまま逃げ遅れて窒息死するというわけだ。

mine.jpg

鉱山でも化学工場でも、いわゆる3Kの仕事場には、
必ず子供がいて、ほとんど家畜のように酷使され、
結局、彼らの多くは短命で人生を終えた。
(写真:鉱山で働く少年たち)

国家の近代化の道には、かならず子供の犠牲がある。

インドも児童労働で搾取していることは知られている。
インド株が2倍になった3倍になったと騒いでも、
児童労働など人権無視で産業が盛んになったとも言えそうだ。

人権意識の高い欧州諸国が、もし人権の観点で、
インドを追及し始めたら、インド株はあっという間に
人気が離散してしまうかも知れない。

その意味でインドは火薬庫と言えよう。

たとえば・・・

9年ほど前に、英国でトップクラスのリーテイラーの
マークス&スペンサーが、「ターゲット」になった。

取引をしているインドネシアの縫製会社が児童労働で搾取しており、
間接的に利益を享受しているという理由で攻撃を受けた。
イギリス国民は、不買運動を始めたため、
マークス&スペンサーは対応に追われたという話があった。

しかし、世界がすべて、児童労働に敏感な国ばかりではなく、
場所によっては、未だとんでもないことを続けている国もある。

で、最悪の国はどこだろうか、という話になると、
おそらくアフリカ北西部にある貧国「モーリタニア」ではなかろうか。

(次号へ)

May 5, 2008 10:07 PM | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年05月04日

気持ちはすでに北京五輪開会式:

8月8日は、北京五輪の開会式。
福田康夫首相は出席するのかどうか、国民は見ている。

「行けたらね。行けたらと思います。
でもまだそういうこと、まだ決めてないです」

ぶらさがり取材で、首相はいつものように
もったいをつけて、そんな風に答えた。
国民に「どっちやねん?」と思わせるのもいつも流。
お膳立てを見てから、動くカッコつけタイプだと、私は見ている。
だいたいそれで彼の行動パターンは読める。

そして、どうやら開会式出席を外交カードに使いたいハラがミエミエとなった。

★人権擁護顔の元植民地主義者――★

日本の首相が五輪開会式に出席したのは、
ソウル五輪(88年)の時の竹下登さん以後はない。
おそらく過去の歴史に配慮をしつつ、隣国であるという理由で
出席したのだろうと考えると
今回、福田首相が出席してもおかしくない。

また福田妻の外交ぶりを見れば、
さすが、ン十年前にスッチー職に憧憬しただけあって、
北京でタラップを降りるのは自明の理と思われる。

さて、なぜ福田首相が逡巡の姿勢を見せているのかと言えば、
今回の北京大会には、チベット問題がからんでいるからだ。
チベット騒乱が五輪にからんでくるとは、
首相にとって慮外の出来事だったけど、
とりあえず、レームダックとなった福田首相だって、
ちょっとは「判官びいき」の日本国民の前で、
見栄を切らねばならない気持ちはわかる。

親中派筆頭の福田首相としては、
とりあえずの、中国向けのポーズに過ぎない。

   「いろいろ迷わせてしまって、ご苦労様。
   そしてとうとう大会に来てくれたのね」

そんな風に赤い相棒は思うに違いない、と打算したに過ぎない。

一方、アジアに遠い諸国は気楽なものだ。
もっとも遠い欧州などでは、
ブラウン英国首相、メルケル独逸首相などが、欠席を表明している。

これらの国も宰相たちは自国民の顔をみるばかりで、
人権を標榜するポーズに過ぎないのは、日本と同じ。

米国のブッシュ大統領には、民主・共和の有力候補たちが
圧力をかけて、欠席するように迫っている。

しかし、考えて見れば、英米は戦後もしばしば、
びっくりするほどの人権侵害を他国民に強いてきたのだから、
他国のことは言っていられない立場にある。

★外交ベタには無理――★

6日には、中国の胡錦濤国家主席が来日予定。
その時に、国家主席が福田首相に開会式への招待話を持ち出すのは自然な流れ。
それが外交の段取りと言えるだろう。

日本政府がもくろむ外交カードとは、
日本のプレゼンスを高めるということである、と第一に考えると、
ここで高めるプレゼンスは、チベット問題の解決への国際的貢献と、
毒ギョーザ問題などで起きている国民の嫌中意識、反中意識を改善すること。

しかし、そんな難しいことを、数々の失敗外交を続けてきた日本が、
今回だけ特別にうまくやれるとはとても思えない。

下手の考え休むに似たり、という戦略ゲーム・碁や将棋の格言がある。

開会式出席を打診された時に、
簡単に「行きますよ」と承諾すればよかった。
それで別に名折れになるわけでもない。

その後、チベット問題などで「出席」すること自体が、
なにがしか中国立場を守っているかのように非難の声が出れば、
「日本はチベット問題と出席を切り離して考えている」
と、表明すればよいだけ。
五輪に関係なく、中国が国内問題としてずっと抱えてきた未解決問題だ。

出席に迷う必要などない。

何の条件もなく、出席をOKすればよい。
五輪大会は、お祭りだ。
まあ、言ってみれば、親戚の冠婚葬祭出席と同じレベルと
考えればわかりやすい。

これを下手に政治カードに使わないやり方が、
シンプルで、賢いのではないか。

胡主席との会談で、チベット問題をからめ、
この問題の解決を条件にして、出席をOKすることだけは
止めるべきだ。

毒入りギョーザ事件も日本にとって有利に終息できなかったため、
未だギョーザだけでなく、冷凍品の売上が回復していない。
その程度のこともできかねる日本が、
チベット問題のような複雑な問題にクビを突っ込んでも、
解決に導けるわけがない。

前首相夫人アッキーがいくらダライ・ラマ14世と会談してみたって、
何の役にも立たず、逆に山口補選ではあの始末だった。

さんざっぱら、日本の外交は幼稚園レベルといわれてきたのだから、
いつもの無気力な表情ではなく、笑顔で、福田妻と五輪開会式に出席して来てほしい。

だって、それが福田さんの最後のお仕事だもの。


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May 4, 2008 10:33 PM | コメント (12) | トラックバック (0)

2008年05月03日

サッカー暴言も裏解決:

4月29日、J1のFC東京―大分戦が味の素スタジオで行われた際、
西村雄一主審が大分DFの上本大海選手に「死ね」と暴言したとされる
問題について、Jリーグと日本協会の両オーソリティから結論が出された。

事件を少し振り返っておこう。

★事件のあらまし――★

後半37分過ぎに、FC東京FWの赤嶺と大分DFの深谷が競り合ったが、
西村主審の判定は、赤嶺のファウル。
すかさず、上本大海選手が、

   ひじが入ってました。
   今日二度目ですよ。

と、異議を唱えた。
もちろん「ひじ」は赤嶺のひじのことだ。

judgement.jpg

すると西村主審は、

   うるさい。
   お前はだまってプレーしておけ。
   死ね。

と、暴言を吐いたと「される」。
あえて「される」と記述するのは、
上本選手が述べたことを踏まえているからだ。

上本選手は、試合後にも西村主審とやりとりを交わした。

   「日本協会に報告しますよ」

と主審に伝えると、

   「お前は黙っとけ。イエローカードを出すぞ」

再度暴言を浴びせられたと「される」。
試合の結果は、二人の退場者を出した大分が負けた。

★協会とJの理由――★

日本協会とJリーグは、西村主審が吐いたとされる、

   「死ね」

という発言があったかどうかを調べた。

その結果、協会とJは、「西村主審は「死ね」とは言っていない」と判断した。
つまり、主審の弁明を採用し、上本選手の主張を退けた。
平たく言うと、判断する側が主審を信じ、選手を信じなかったということになった。

「して」と「死ね」を聞き間違いしたのでは?という風に、
私見を述べていた田嶋専務理事も、会見の日には、
「(西村主審は死ねとは)言っていない」と明言している。

しかし、一方では、上本選手に死ねと聞こえたことは否定できない、とも言う。

つまり不可解な説明を入れつつ、全くつじつまが合わないにも関わらず、
結論(西村主審は「死ね」と言っていない)へ導いただけだと言えるだろう。

上本選手は「自分の発言を尊重してもらった」と
「おとな」の対応を見せているが、私ならハラワタが煮えくり返るところだ。

「言ったか」「言わないか」の判断をすべき時じゃないか。
年齢も若く、耳も頭もしっかりしている
真剣試合中の人間が訴えた事実を拒否されたら、
たいがい頭に来ると思えるからだ。

「うるさい」
「お前」
「しておけ」
「お前は黙っとけ」
「イエローカードを出すぞ」

「死ね」は別として、主審は随分な言葉遣いをするんだなあ~
と驚いてしまう。
「スポーツを通じて青少年の手本となるように」などと言われるが、
えらそ~にパワハラじゃないか。

第一、サッカーを生業にしている以上、
ビジネス関係なわけで、また「勤務中」なのに、
なぜこんなガラ悪く「お前」呼ばわりになるのか。
主審へ何らかの処分が、この言葉遣いや態度だけでも、
行われないのか、不思議でならない。