2007年12月31日
紅白村で涙するリア・ディゾン:
歌手の北島三郎さんが「帰ろかな」を歌う場面のリハーサルで、
ステージに紅白出場のほとんどの歌手が顔を揃えた。
設定は北島さんの歌に合わせて、みんなで声援を送る。
しかし昨日のリハーサルで注目されたのは、「大御所」北島さんではなくて、
紅白初出場のリア・ディゾンさん(21)だった。
なにしろ、歌の最中に泣き顔で、腕を組んで立ち尽くしてしまったからだ。
前日の29日のリハーサルでも不機嫌が募っていたけど、
これはたぶん、初めての紅白出場で緊張、疲れ、憔悴していたからだろう。
ダンスもイマイチ、歌詞の覚えも悪く、基礎力不足を露呈したのは、
経歴から見て、まあ、無理もないなあ、という印象をもってしまう。
出身の米ラスベガスのショービズから見ると、
なんとも軟弱な個性でも、日本の芸能界はブラックホールだし、
素人同然の歌手が過去に席捲した紅白だもの、一応流行れば、
声をかけ、受け入れてくれるのがNHKだ。
しかし30日の異様な様子・態度については、ちょっと違った。
ディソンさんは、北島さんの真後ろという、
テレビに常時写し出される恵まれたポジションを得た。
ところが、日本語の歌詞を覚えられず、
日本語がおぼつかない彼女が歌詞カードを与えられても
そう簡単に歌えないことは誰だってわかるのに、
そうさせられたとなると、見方によっては紅白ハラの可能性もなくはない。
紅白ハラとは、今私が作った即席語で、「紅白歌合戦ハラスメント」のことだ。
ポジション的に「口パク」では、すぐバレルし、まったくこれでは痛い。
そして、これは、アメリカ人ならけっこうまごつくと思う。
紅白歌合戦は、戦後連綿と続く村社会、これが、紅白のコアだ。
和製ポップスは演歌に対して単なる彩りに過ぎず、
あくまで演歌主流できたという歴史的事実がある。
高齢社会では、トリは演歌が不動になり、
実際、今年の赤トリは、石川さゆり、白トリが五木ひろしとなっている。
だから、村社会にディソンさんがいきなり放り込まれたことになる。
昨日のリハーサルでカルチャーショックは、
おそらく、
大御所ってなーに? なぜ私が演歌歌手の
バックコーラスをしなくちゃならないのよ!
これではなかったか。大御所のやさしい気持ちもわかりようがない。
演歌のリズムにはとても乗れないし、ましてや歌えない。
歌う必然的な理由もない。
超エゴが自慢の米国人は、おそらくそれを侮辱と受け取ってもおかしくない。
少なくとも、日本人的意地悪とか、まごつかされたと感じたに違いない。
日本の村社会芸能界の掟として、KYであってはいけないなら、
芸能界エトス(精神風土)をきちんと理解しないと、
舞台で浮いてしまうことになる。
他のJポップの歌手は例外なく、これを理解しており、
彼女だけが涙を流し、呆然と立ち尽くしていたことでわかるように、
エトス理解の試練を受けてしまった。
では、彼女は、その試練に合格したのだろうか。
合格できていないと思う。
彼女はアキバ系の異種であることは明らかで、
日本の傍流の男の子たちに応援されているからだ。
彼女は、本流の価値観とは異なった美意識や思考が身についている。
古くはハワイのアグネス・ラム、キャンギャルのキャティ、そして
風俗だとイヴちゃんの系統を踏んだ、ソフビ系のアイドルなら、
世阿弥の言う「時分の花」に過ぎず、
北島さんが傍に立ち、ディゾンさんを慰めたくても
照れくさくって慰められなかった写真は、永久保存版となるだろう。
今日の新聞を飾った大御所との2ショットは、
国際化に苦しむ日本の07年の姿をレリーフしたようだ。
・・・・・・・
今年一年、ご愛読と数多くの面白いコメントをありがとうございました。
08年も元旦から、豪華ゲストインタビューでスタート、
しっかり記事を書いて参りますので、よろしくお願いします。
どうぞ皆様、よいお年を!
December 31, 2007 10:59 PM | コメント (10) | トラックバック (0)
2007年12月29日
家族の死は激ストレスなのに・・・:
猪年も、あと2日と少しになった。
日本国民の私たちにとっては、随分とストレスの多いー年だったと思う。
何しろ毎日の生活に欠かせない食料品まで、
いちいち細かく気を配ることを強いられる羽目になったからだ。
年末の買出し風景の中で、何だか人々目が疑心暗鬼に感じられる。
しかしー口にストレスと表現してしまっては短絡な気がする。
例えばストレスでもっとも強度なのは、「配偶者の死」だそうだ。
親族の死もストレス強度は高い数字でランクされている。
配偶者の死は二つに分けられるだろう。
(1)妻を亡くした夫
(2)夫を亡くした妻
しばしば聞こえてくるのは、
妻を亡くした夫のほうが立直りが遅く、すっかり気落ちしてしまうということだ。
毎日の生活にあって具体的に不便が生じる。
つまり日常レベルの困難がさらにストレスに拍車を駆けてしまう点に注目したい。
ところが、夫を亡くした妻の場合は、少し様子が異なるケースがある。
まず前提として、収入が少なくなる心配は避けられないが、
貯金、生命保険金などでカバー出来るし、
場合によっては家、土地などの相続で一躍リッチ仲間入りも珍しくない時代だ。
つまり金銭的な問題が解消されれば、
日常生活上、男性ほど不自由はないだろう。
こんな風に書いてくると、二人の女性を思い出す。
N美さん、36歳で、3歳下の夫がスキルス癌のため、
癌診断から4か月で亡くなってしまった。
子供は小学生の女の子が2人、土地付きー戸建ては、ローンの途中である。
しかしN美さんは夫を亡くした直後の深い悲しみからは
想像も出来ないほど立直りが素早かった。
まず昔の職にすぐもどった。
医療検査技師で、これで普段の生活費以上を充分にまかなうことができた。
死亡保険金が下りたので家のローンも怖くない。
そうなってくると、案の定心配なことに男性が近づいてきた。
投資ビジネスに誘われて、たびたび会ううちに、気分はすっかり恋人同士。
この先どんな絵が待っているのか、ある人には想像がつくと思うけど、
とりあえずは若くイキイキしている。
次のケースは、B代さん。
バツ1の夫(47)とは、彼女が36歳の時に結婚した。
バツ1夫と元妻の間に男の子がいるけど、
元妻が引き取っているため養育費を毎月5万円送ると決められている。
しかし5万円ぐらいはB代さんにとっては大金ではない。
何しろ夫はマンションのオーナー、家賃収入で暮らせる勝ち組。
しかしこの年齢差を縮めることは永久に不可能で、
夫は、B代さんが49歳、そしてー人娘が13歳の時に亡くなった。
糖尿病に加え、老化がかさなり、最後は人工透析まで受けていた。
残された母子はと言えば、当然勝ち組だから
幼稚園からお受験校に通っていて、大学までまず問題さえ起こさなければ進める。
またこれから先の暮らしもほぼは大丈夫なはずだ。
しかしB代さんは、夫の死後、事業家に変身したのだ。
夫から相続で譲り受けた古いマンションを壊し、
敷地目一杯に、テナントビルとして建て替えた。
最上階6階に母子のため特別部屋とそして娘が大きくなった時、
あるいは結婚した時用にあと一部屋準備してある。
B代さんの親族がいつ遊びに泊まりに来ても大歓迎だ。
テナントの部分には、若い女の子向けのブティック、
スイーツの店、エステの店なのに、
何故かー階にはおでん臭い場違いコンビニが入っている。
そんなビルのオーナー様として、生き生きとベンツを乗り回している。
この二つのケースを見ながら疑問に覚えるのは、
なぜ夫を亡くした妻の場合、切り替えができるのだろうか、だ。
これは子供を亡くした場合も、妻が夫より早く立直り、
もうー人、「あの子の生まれ変わりが欲しい」と、
ー年後に赤ちゃんを抱いている人がいるのにも、似ているように思う。
つまり何かに取り組み、毎日を忙しく過ごすことで悲しみから逃れたい、
と、ある意味、前向き思考でそうさせているのだろうか。
壊れていく自分を防御するための有効な方法ともとれる。
それを周囲の人たちが距離間をもって見ると
夫が亡くなっているのに、どうしてあれ程元気で生き生きしていられるのか、
というトガメの見方になってしまうのかも知れない。
家族の死が強いストレスになるのは、決して人間だけではない。
12月21日に、秋田市浜田の大森山動物園で、娘キリンが死んだ。
今年7月に生まれた娘キリンなのだけど、母キリンの急死というストレスを原因に、
自分の死亡の数日前から、エサを受け付けず、
座り込むほど体力が落ち、日増しに衰弱、
自力で立ち上がれないほどの状態だった。
後でわかったが、胃の中に潰瘍が出来、またストレスから
地面をなめたため、砂の固まりがあった。
ストレスが娘キリンを直撃していたなんて、誰も気づかなかった。
去年の昨日「二世議員、こうまで違うものかッ」
去年の今日「飲酒運転で事故ったら?」
去年の明日「これでも、大学へ生かせますか?」
December 29, 2007 09:50 PM | コメント (7) | トラックバック (0)
2007年12月27日
イチローのマスコミ嫌いは本当か:
■ マリナーズのイチロー選手が神戸市のオリックス合宿所で、昨日12月26日に合同自主トレを行い、フリー打撃などで約1時間半ほど汗を流した、と日刊スポーツに載っていた。
■ この自主トレに志願参加したのは、北京五輪アジア予選の日本代表でもあったソフトバンクの川崎選手。昨年3月のWBCで共に戦ったイチロー選手のフリー打撃を至近距離からしっかり「盗」んで、大満足だったようだ。
■ ところが、この前夜――。
■ イチロー選手は川崎選手と会った時、彼をあることで試していた。川崎選手が韓国戦の初回にヘッドスライディングをしたことをイチロー選手は説教し、もし返答次第では、この合同トレの参加を断るつもりだったらしい。
■ イチロー選手の考えだと、ヘッドスライディングは、非常に危険で、1回からやるのは無茶。
川崎選手はアマチュアではなくプロなんだから、こうしたカッコの悪いことはせず、ファンの夢を壊さないように、プロに徹するべきだ(写真:日刊スポーツ紙面から)。
■ ヘッドスライディングは、塁間でやるとか、相手チームの野手を狼狽させるためにという条件つきなら、イチロー選手自身も好きなプレーだ、というわけだ。なるほど、一理も二理もある彼らしい合理的な説明だ。
■ この記事を読みながら、私が抱いたことは、なぜイチロー選手は毎年、日本で自主トレをするのか、というちょっと根っこの部分での疑問だった。
■ 日本の空気の中でトレーニングをする方がやりやすいし、また古巣のオリックスなら気分的にも落ち着く。契約の付帯条項にたぶん日米行き来のチケットもついているし、何より日本食が豊かである。
■ 以上のことを考えつつも、私はどうも、イチロー選手が米国生活をつまらない、もっとフォーカスすると、「野球以外面白くない国だ」と感じているのではないかと思う。
■ その最大の理由として、コミュニケーション問題が原因じゃないか。
■ ベースボール・アルマナック・コムというサイトがあって、そこにIchiro Suzuki Quotesというイチロー語録集がある。そのページの後半の部分に、イチロー選手がインタビューに英語で応じている。ソースはシアトル・ポスト紙で、日付は04年3月30日。
■ 次の質問とイチロー選手の返事を取り上げてみよう。
Q: What do you like most about America?
A: I have privacy. I didn’t have privacy in Japan, and it is important for me.
I can go more places. In Seattle it is sometimes hard, but in other places,
no.
イチロー選手が日本人であることを前提に、上のインタビューを訳してみると、
質問:アメリカについてもっとも好きな点って?
答え:僕にプライバシーがある。日本ではなかった。僕にとって大切なんだ。
もっといろんな場所に行ける。シアトルでは時々難しいけど、
他の場所ではそうではない。
■ まずアメリカ人がこの英語を聞くと、たいていが驚きを避けられないだろう。イチロー選手は「日本では僕にプライバシーがなかった」と発言している。理由として、どこでどんな状態の時のプライバシーに問題があるのかが説明できていない。聞き手、読み手のアメリカ人はその説明を期待しているから、イチロー選手が答えないことに驚くわけだ。
■ 彼らの期待に反して、イチロー選手は、プライバシーが大切なんだ、という言明をしただけだ。
理由なし、説明なし
あるのは、叙述だけ。アメリカ人は、
ああ、そうなんだ、よくわかんないけど、
イチローは、そうただ言っているんだね。
それだけのことで、終わってしまう。そんだけ~。
■ シアトルでは時々難しい、つまりプライバシーがなくなる、でも他の場所(たぶん他の都市)だったら、難しくはない、ということだろう。これもなぜそうなのか、の説明や理由がない。これは多くのアメリカ人にとっては、全く面白くない答えに違いない。
■ インタビューで好きな映画は何かと問われた時も、同じように、理由や説明なしに答えた。
何々の映画が好きだ、誰々の女優が好きだ、
他にも何々の映画が好きだし、また何々の映画が好きだ。
と、「like」(好き)という動詞を連発するだけで、どんな風に、どんな点が好きなのか、それはなぜなのか、あのシーンがこんな理由で印象に残る、というように発言を重層的に組み立てるものがない。これは聞き手や読み手をイライラさせるというか、つまらないと退屈させてしまう、典型の答え方である。興味深いエピソードもない。
■ こういう味気ない会話をもし日常的にイチロー選手が行っているとしたら、チームメートからかなり誤解を受けるのは避けられないだろう。確かに彼は野球に関してはスーパースターだ。今更述べる必要もない。しかし、説明抜きの叙述ばかりの会話を続けていたら、アメリカは絶対、面白い社会だとは思えないはずだ。また同時に、イチロー選手も野球以外でのシーンで相手とハートでは互角に付き合えない。
■ 私はこうした個人的意見で、イチロー選手は、アメリカでちょっと面白くなく、日本へしばしば里帰りしていると思う。単なる感想に過ぎないが、大きくはブレていないだろう。
■ インタビューの最後に、イチロー選手は、「野球と関係ない人生の最高の瞬間って何?」と質問されて、次のようにぶっきらぼうに答えている。
結婚した時、メディアを避けるために、ロスで結婚した。
リヴィエラ・カントリー・クラブね。小さなウエディングで、16名。
■ アメリカの読者は、イチロー選手は余程メディアを嫌っているな、と思っただけだろう。そして、去年も今年も、この嫌うメディアやパパラッチが成田に着いた彼を待ち受けている日本に帰り、ニコニコ顔で野球以外のビジネスも消化していることを、アメリカ人はたぶん知っているはずだ。
なんだか、よくわからない日本人
■ これが彼らの本音だとすれば、アメリカではプライバシーが守られているにもかかわらず、イチロー選手はイマイチ、うまくアメリカ社会に溶け込んでいないのではないか。
December 27, 2007 11:21 PM | コメント (88) | トラックバック (0)
2007年12月26日
お一人様のオードブル:
街がにぎやかだ。
クリスマスから年末にかけては、どちらのスーパーでも、
あの手この手のイベント、フエア、商品のディスプレイも凝り、
メニューも普段とは違いを見せている。
「当店シェフのオリジナル・レシピで」などと大げさに表現しているけど、
何のことはない、「チキンの丸焼き」風とか、ペンネのミモザ風サラダ、
白身魚のパイ包焼き、7つのフルーツベジタブルミックスサラダなど。
それでも客の財布をゆるませようという意気込みは感じる。
そんな昨日、スーパーマーケットでのことだ。
ある惣菜のカウンターに、パーティ用のオードブルセットがいろいろ
ところ狭しと並んでいるのが目についた。
直径25センチ、30センチぐらい、まるでピザのような円形の器に、
6~8種類のオードブルが盛り付けてある。
値段は、大サイズが4000円、小サイズが2500円。
中身は、チキンのから揚げ、ミニ春巻、海老の香味フライ、
グリーンアスパラのベーコン巻、イカのフリッター、
ポテトとハムのクリームチーズサラダ、イワシのチーズ巻フライなどが
放射線状に盛り付けてあり、添え物にラデッシュ、ベビートマト、
レモン、そしてキューリの花びらカットが可愛い。
たいていの客は、このオードブルセットを見たら、
「美味しそうだから、試してみようか」と考えて見るだろうけど
私と妻は、違う反応を見せてしまう。
油だらけで、コ・ワ・イ
どれ一つとっても、油を使っていないものがないセット。
絶対に、体に悪い。
腰を引きながら油セットから遠ざかろうとした妻に、
70歳は超えていそうなお婆さんが近づいてきて話しかけた。
「これ、すごく美味しそうね、
だけど、とても-人じゃねー
食べ切れないみたいで・・・」
最近とりわけ一人暮らしに見える老婆が、
いきなり話かけてくることがある。
しかも発言の意図が読みにくい。
「どうしようかしら、それにしても綺麗で、
いい感じだわね」
いい感じね、と言われても、声をかけられた側は
相手がどんな答えを期待しているのかわからない。
欲しけりゃ、買えばいいじゃない、
そう言っては身もフタもないから、
「ええ、綺麗ですネ」
と、妻は無難に答えた。
食べ切れないと思ったら、ふつう買わない。
もし買ったら、2日に分けて食べればよい。
ところが、このお婆さん、オードブル・セットを手に持ったまま見つめ、
じっと考えている。
余程、このメニューに未練があるらしい。
年齢的にも、逡巡しがちな性格を持っておられるのだろう。
なぜか、私も妻もその場を離れられなくなってしまった。

このお婆さんは、私たちと半分っこしませんか、と言いたかったのか。
ふと私は、なつかしの名作映画で見たシーンを思い出した。
「青髭八人目の妻」というエルンスト・ルビッチ監督の作品で、
主演はクローデット・コルベールとゲーリー・クーパー(写真)だった。
デパートでパジャマの上を買いたい女と、
パジャマの下を買いたい男が出会うという面白いシーンがあった。
でも私たちの場合、相手はオードブルの半分を欲しがるお婆さんだ。
二つに分けるのは、簡単だろう。
スーパーの人にお願いすれば、半分ずつパック詰めにしてくれるに違いない。
このお婆さんは、多分―人暮らしのクリスマスに、
きっと気持ちはいつもと違うディナーにしたいのだろう。
子供も巣立ってしまい、夫も亡くし、
クリスマスもお正月もー人かもしれない。
過ぎ去ったあの頃、それは多分家族が揃い、
皆で賑やかにワイワイガヤガヤ言いながら
テーブルに乗せる御馳走を家族のために作った日が
脳裏に蘇っていたのかもわからない・・・。
買い物を済ませた帰り道、私たちはそんな想像を話してみた。
「魚だったら、僕は賛成したんだけど・・・」
「魚? 違うでしょ? オードブルだからお婆さんに
意味があるのよ。話を根底から壊さないでよ」
・・・・・・・
ベビーよりご連絡
「33歳」様、ステキなのをありがとうございました!
December 26, 2007 10:32 PM | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年12月24日
二年後はサンタも悩む:
黒須三太さん(34)は、小さな下請け玩具メーカーの職人だ。
年収は300万円に届かず、その中から、
三年前に離婚した妻に分割で慰謝料を少しずつ支払っている。
毎日、職場と社員寮を往復する決まった生活の中で、
彼には小さな楽しみがある。
それは一つの「生きがい」といってよいかもしれない。
例年、クリスマスの日に子供たちの施設を回って、
ボランティアの慈善活動をしている。
サンタクロースのコスチュームを着て、
プレゼントに自分の会社が作った玩具を配るのだ。

会社の上司にお願いして、
不良品として検品漏れした玩具を譲ってもらい、
修理し直し、年間にわたり、少しずつ蓄えて、
年に一度、子供たちの笑顔をみたいがために配るというわけだ。
(写真:お菓子のクリスマス風景)
彼がなぜそんなことをするようになったのかと言えば、
子供の頃、彼の家にはサンタが来なかったからだ。
サンタが来る家は特別な家だと思っていた。
2009年1月。
黒須三太さんは一通の手紙を受け取った。
子供たちからの手紙かと思ったら、なんと地方裁判所からの通知書。
三太さんが「裁判員候補者の名簿」に記載されたという知らせだった。
彼は、裁判所で「辞退」を希望した。
人を裁くようなことはできないし、第一、裁判所が嫌いだった。
それは「裁判所トラウマ」と呼んでいいだろう。
実は、家庭裁判所で元妻と離婚調停をしたけれど、
担当の調停委員が三太さんの考えにまったく耳を貸さず、
ウソで塗り固め、号泣する妻の発言をすべて採用、
慰謝料を支払うように勧められた。

元妻は、彼がクリスマスの日に家を開けて、
他人の子供のために慈善をすること自体を憎んでいた。
「そんなお金や時間があるなら、
なぜ私たちがクリスマスを楽しまないのか」
といつもなじっていた。
裁判所での苦い経験から、
三太さんは、辞退を申し出たのに、認められなかった。
彼の元に再び裁判所から、通知書が来たのは、同年の秋だった。
実際の事件に名簿からクジで選ばれ、
選定録に名前が掲載されたという知らせだった。
これには、三太さんもサプライズしてしまった。
12月25日に公判が開かれる事件を
担当しなければならなかったからだ。
クジに当たったためしがないのに、
なぜこういうのには当たるんだぁ~?

三太さんは、選定手続きのために裁判所に出向き、
裁判官から面接を受けた。
当然、辞退を申し入れた。
12月25日は自分にとって極めて大切な日だからだ。
しかし、三太さんの申し入れは認められなかった。
極めて個人的な理由である上に、
プレゼント配りは、代替のきく仕事であると判断されたからだ。
サンタのコスチュームを着て、配るのは他の人でも可能であり、
それができないか、と裁判官から問われ、
三太さんは、正直にも余りあるが、「ハイ」と答えてしまった。
クジで、裁判員が選任され、25日に三太さんは
公判の裁判員として出席しなければならなくなった。
今日は2009年12月24日。
彼は明日の公判にサンタクロースの赤い服で出かけ、
裁判官から「出て行け!」と言わせることを狙っている。
そうすれば、堂々と子供たちのためにプレゼント配りに行ける。
こんな風に考える三太さんは、間違っているのだろうか。
関連記事
「ホリエモンのイメージ戦術」
「裁判員制度は成功するのか?」
December 24, 2007 08:46 PM | コメント (13) | トラックバック (0)
2007年12月23日
日本「破たん坂」百景、その一:
毎日、日本が破たんの道を転げ落ちていることが、新聞を読むと実感できる。
「破たん坂」百景のその一は、森林公社。
今日の朝日新聞が、06年度森林整備公社のほとんどが
破綻状態であることをレポートしていた。
全国に42の森林整備公社がある。
朝日新聞が収集したアンケート結果によると、
42のうち39が破綻状態だ。
この公社の多くは、60年代半ばから70年代にかけて、
「分収林特別措置法」(1958年)に基づいて、各自治体が設置した。
目的は、土地オーナーに代わって借金で造林し、
育った木材を売って収入を得、それを公社とオーナーが山分けするというものだ。
結果、大失敗
国や自治体が事業をすると、失敗ばかりで全く呆れる。
莫大な借金の尻拭いは、結局また国民がしなければならない。
私は「国は国民を裏切る」(8月5日)のエントリーで、
林野庁が大ゴケさせた「緑のオーナー(分収育林)制度」について書いた。
80年代末ぐらいから、一貫して木材価格が下落し続けたため、
「緑のオーナー」の分配金は半分以下の水準にまで落ちて、
出資者は、大損状態となった。
輸入自由化で国内材が暴落することは、
ちょっと経済・金融の知識を持っていればわかるはずなのに、
事業を突き進めたおバカな林野庁の責任を問うてみた。
国内材の下落と人件費の高騰は、森林整備公社の事業をも破綻させていた。
例えば、社団法人・鹿児島森林整備公社の収支計算書や財務諸表を見ると、
民間企業ならとうの昔に潰れていることがよくわかる。
本業の事業収入が約1億6千万円に対して、
本業の支出である分収造林事業費の額が約4億3千万円だから、
それだけですでに大赤字となっている。
この事業収入に対して、補助金収入が約4.7億円だから、
自治体の補助がなくては成り立っていないこともわかる。
それでいて、長期借入金が約208億4千万円だから、
会計の素人にでも財務状態のひどさには開いた口が塞がらない。
こんな具合に台所が火の車ばかりの森林公社だから、
全国の森林公社の負債総額は、全体でなんと1兆2千億円に達している。
この中でもっとも負債額が大きいのが、滋賀県。
滋賀県には、滋賀県造林公社とびわ湖造林公社の二つがあって、
両者を合わせて、約1057億円にのぼり、ともに破綻状態だ。
「滋賀県造林公社」は11月12日に、
次いで「びわ湖造林公社」が同月15日に大阪地裁に特定調停を申し立てた。
債権者と債務圧縮などについて協議するためだ。
これは週明けの12月25日に第一回の協議に入る。
大分県は8月に「債務返済は無理」ということで、解散した。
神奈川県も解散をすでに視野に入れている。
ピリオドの打ち方に違いはあるが、間違いなく森林整備事業は大失敗、
ツケは自治体、国、つまり国民に回されるのが現状だ。
それにしても、破たんし出すと、一斉に動き出すのも、
また政府・自治体の事業の特色なようだ。
そのうちなんとかなるだろう、
でも、まさかこうなるとは思わなかった、
でもみんな破たんしているし、うちだけじゃないからネ・・・
という日本の役人の無責任楽観論でここまで引っ張ってきた、
別に珍しくも何ともない「破たん坂」風景の一つに過ぎないようだ。
去年の昨日「「おとり履歴書」で会社が試される」
去年の今日「こちらNHK、迷走放送局です」
去年の明日「サンタさんが日本に来ない!」
December 23, 2007 11:09 PM | コメント (17) | トラックバック (0)
2007年12月22日
チンジャラ・スタッフ、急募集!:
カタカナのしゃべり言葉は、日々消費するので、
どれくらいの前年度比増なのか統計が取れそうにないが、
私が感じる印象だけなら、たぶん年率20%は増えつつあるような気がする。
コンピュータについての会話になると、
カタカナ用語がなければ、意思の疎通もままならず、
まあ、仕方ないかなあ、と言える。
また留学が一般化している時代だから、英語圏から帰国した人は、
やたら、英語交じりの日本語を使い始める。
一方で耳の響きがよいということでそれをまねる国内組が、
自分流の英語合体語句を作り出すものだから、
だんだんとわけがわからなくなってしまっている。
最近よく「アウト・ソーシング」というカタカナ用語を聞く。
何のことはない、「外部業者への丸投げ」と理解しておいた方が早そうだ。
日本語で言ってくれるとすぐ理解できるのに、
いちいち意味を聞かないと分からないカタカナ用語を使われて、
コミュニケーションのリテラシーにコンフュージョンがハプンして、
カオス的シチュエーションがユービキュタスになってきているのではないか、
と、ルー大柴風にTHINKしてしまう。
カタカナ化の最たるものが、職種かも知れない。
よく「ディレクター」と呼ばれる職種を聞く。
昔はTV局で番組を演出する人をイメージしたが、
最近では「WEBディレクター」「ウエディング・ディレクター」
「フューネラル・ディレクター」というのも聞く。
時々日刊スポーツ紙の広告に載る、温泉旅館の「コンパニオン」さん。
彼女たちは昔「酌婦」と呼ばれた人たちだそうだ。
「仲居」と呼ばれた人たちも、今や「キャリー・アテンダント」
「ホールスタッフ」と呼ばれている。
私が経営者なら、「仲居アテンダント」「仲居スタッフ」という風に、
和洋折衷にするのも悪くはない。
しかし、今時は、「清掃係」は「クリーンクルー」、
「接客販売員」は「セールスキャスト」(写真)、
「守衛」は「ガードマン」が使われなくなり、「セキュリティスタッフ」、
「配達員」は「デリバリースタッフ」とすべて英語が基本となっている。
パチンコ店店員は、さしずめ「チンジャラ・スタッフ」だろうか。
職種を英語でとりあえず呼び合ってみれば、
仕事のイメージがなぜか明るく変わるし、気持ち的に楽になるだけでなく、
もしかして、本人が変われるのかも知れない。
とりあえず、ノッている間は、ま、いいか!
December 22, 2007 10:25 PM | コメント (13) | トラックバック (0)
2007年12月20日
人気のおでん屋にガッカリ:
■ 関西ではよく「関東炊き」というけれど、東京に来て「おでん」と呼ぶことにも慣れた。元々薄口の味付けが好き。自慢じゃないけど、僕の奥さんのおでんは一級だと思う。僕に万一のことがあったら、惣菜屋が出来そうだ。我が家は五島列島の「焼きアゴ」ダシを使っている。素材の美味しさを生かすためには、ダシが決め手なんだろう。だからそれがゆるい外でおでんを食べることはメッタにない。
■ それでも、以前取材で訪れた山形県のある町でぶらりと入ったお店のおでんは、とりわけダイコンが美味しく、あまりの美味しさに、思わず「美味しいですね!」とほめたら、隣席の人が、大げさではなくこの町で一番のダイコンおでんの店だと教えてくれた。何軒も探してようやく一軒にたどり着くという形ではなく、初めて行った町でいきなり遭遇するのだから、ツキがあったのだろう。
■ 先日、この記事を書くために、おでんは家で、という禁則を破って、東京・新宿の小料理屋さんで、おでんが美味しいと評判のお店を訪れてみた。気分はグルメ・ライターだ。僕はまったく美食家ではないが、少しは敏感だと思う。タバコをのまず、酒もあまりやらないからかも知れない。タバコを吸う人の美食評価などウソっぱちだと信じているし、酒を飲む人の舌もほとんど当てにしない。だから酒飲み達がたむろする店が美味しいといっても、僕はあまり信じていないけど、強く勧められたので試してみた。
■ 15種ほどのネタがおでん用の矩形(くけい)のナベに行儀よく並び、トロ火でクツクツ云っている。他にカウンターに大皿4皿ほど並び、ナスの含煮、小松菜と揚げの炊いたん、ナスとガンモの炊いたん、煮魚などが盛られている。雰囲気は田舎家風で、ありきたりの映画のセットみたい。カウンター席に座り、大皿から一つ炊いたんを選んで、売りのおでん種の、ダイコン、ちくわ、つみれ、そして豆腐を注文した。いずれもごまかせない種と言える。僕はほとんど毎日豆腐と野菜を欠かせていないから、とりわけ豆腐には厳しいが、この豆腐はスーパーの特売品、大豆が薄いから味に深みがなかった。
■ 順番に食べ進み、そして、食べ終わって、思った。
もう二度と、ここに来る必要はないし、人にも勧めない!
■ 僕なりに思ったのは、きちんとダシなどとらず、おでん種から出るダシを利用しているだけじゃないか。だから、おでん種の特色が出ず、どれもこれも特徴がなくて、ボヤ~としていて、つかみどころがない。
■ 先客はカップルで、多分、ホステスさんの同伴出勤だ。二人ともおでん鍋の前で、ぷかぷかタバコを吸い始っている。
ニコチン付きのおでんは勘弁してよ。
■ おでん種は、どこどこから仕入れていると大層なことを言って、こだわり店を装っているけど、写真を見てよ、見た目9割「並みレベル」だから。一種250円。
■ 帰ろうかと腰を上げかけた時、目の前の煮物の大皿におかみさんがまるで「魔法の一滴」ばりに、ポタポタとごま油を振りかけたのを見てしまった。料理にテカりを出して、美味しく見せるマル秘テクだ。どうりで小松菜の煮びたしまでギラギラ油っぽい。これじゃ、客が見ていないところで、どんな裏ワザを使っているんだろう。
December 20, 2007 11:29 PM | コメント (28) | トラックバック (0)
2007年12月19日
痛々しい過ぎる無学文盲:
「人はここまで差別されるのか」から続く。
戦後になると、差別戒名の調査は、少し進展してくる。
1954年、慶応大学が長野県小諸市の部落を実態調査し、
墓地調査も行ったけれど、
墓石に「僕男」「僮婢」という文字が当たり前に刻まれていることがわかった。
人権思想の発達した現代人から見ると、極めて屈辱的な漢字だ。
「僮」は子供を意味する「童」に似ているが、
中世から「僮隷」という語彙の中で使っていたようだ。
「僮」自体は、知恵の発達しない十五歳以下の子供を意味した。
いずれにしてもひどい言葉だ。
1960年、雑誌「部落」9月号に、次のようなエピソードが紹介されている。
部落で人が亡くなると、
ロクにお経もあげられない坊主がやって来て、
「畜男」や「畜女」というひどい差別戒名をつけ帰ったそうだ。
1971年には柴田道子さんが、戒名の差別と差別墓の実態をレポートしている。
1973年には、朝日新聞の連載レポート「現代の部落」が始まり、
翌年2月に差別戒名を報告し、
9月にも同紙は、墓石・戒名の部落差別を告発するよい記事を書いていた。
1979年「部落解放」では、木津醸さんが初めて「差別戒名」という用語を使って、
すさまじい差別戒名を刻印した墓石や位牌をビジュアルに見せ、
7つの県の差別実態を報告した。
たとえば、埼玉県では、1980年の墓誌に
「革門」「革女」の14霊の差別戒名が刻まれていた。
この報告は、差別戒名の実態のみならず、それを生み、
なおそれを消せない宗教人の意識そのものも批判する内容になっている。
少し興味深い資料を、
松根鷹(たかし)さんが書いたブックレット(1990年)で見つけた。
戦前の内務省地方局の「部落に関する諸統計」(1921年)の
「宗教調査」における県別の部落民所属宗派と、
差別戒名調査で確認された差別戒名の確認数を比較して、
真宗は他の仏教宗派より差別戒名の確認数がかなり少ないことになっている。
真宗が他の宗派と違って、差別をしていなかったわけではない。
その理由は「穢多寺」の存在だ。
寺が系列化して、その最下位に、この寺が、
幕府の宗教政策とあいまって、存在していたからだ。
というのが松根さんの結論だ。
つまり、この最下位の寺僧自体が、本山より出家・得度の段階から
厳しい差別待遇を受けるシステムができていたと言える。
さらに松根さんは、1980年代においてもなお、
各派の重鎮に、差別戒名を続ける宗教人の根強い差別意識の維持を
看破しているけど、今はどうだろうか。
啓蒙活動によって、宗教人のコミュニティ内の意識も改善され、
曹洞宗、真言宗などを中心に、
差別戒名を刻んだ墓石や故人の追善供養法会も各地で行われてきた。
民宿の主人は話を続けて、僕にこんなことを教えてくれた。
かつて長野の差別された老婆たちは、
昔の日本ではよく見られる無学文盲だった。
彼女たちは亡き夫の差別戒名を刻んだ墓石に
差別されたものだとは知らず、手を合わせていた。
その拝む姿を見ると、彼は、身を裂かれるほどの悲痛さを覚えたそうだ。
ところで、去年の11月6日に、長野市の人権集会に村井仁長野県知事が
来賓として出席、印象的な挨拶をされたことを市会議員の
田口悦久さんがブログに書いておられる。
知事が初めて、深刻に考えたのは通産省に勤務していた頃のこと。
野球のグローブやミットの輸出問題での規制トピックの中で
20世紀という現代にもこんな深刻な問題があったのかと驚いたと話された。
先日も佐久に行った時、差別戒名の実態も学んできたとのこと。
紋切り型の挨拶が多い中で、村井知事の挨拶は出色だったように田口さんは書いている。
新しい知事を得て、長野も変わっていくことだろう。
それにしても、初めて会った学生の僕に差別戒名の話をしてくれた、
民宿の主人にありがとうと言いたい。
December 19, 2007 11:39 PM | コメント (12) | トラックバック (0)
2007年12月18日
人はここまで差別されるのか:
今日はスポーツ紙のブログという枠組を取り払い、
「世界一小さい新聞」としては、世代を問わず知ってもらいたいと思い、
この社会学の対象をあえてエントリーしてみた。
(むろん読者の中にこの問題について詳しい方がいらして、
もし私の記述・説明に間違いがあったら教えてほしい)
学生時代、冬になるとよくスキーに出かけた。
あるシーズン、いつものように赤倉スキーに泊った。
たまたま民宿の主人から聞いて、強い感銘を受けた話がある。
人って何をするかわからない。
ここまで平然と差別をするものか!
と、驚きとともに怒りも覚えた。
仏に仕える坊さん、こんなんアリか?
仏教徒は、亡くなると生前とは違った「戒名」をもらう慣習がある。
たとえば、力道山は「大光院力道日源居士」という戒名をもらっている。
授けてくれるのは、普通は、故人が檀家となっていたお寺の僧侶。
宗派によって戒名の長さや形式は異なるものの、
亡くなった信者の遺族が戒名料として、その人物にふさわしい額を支払う。
人によっては、違ったお寺から二つの戒名をもらっていることもある。
当時、民宿の主人は、
「差別戒名」というものをご存知ですか
と、聞いてきた。
「戒名」に「差別」という言葉がくっついているのだから、
「差別された人の戒名」あるいは「差別された戒名」かな、
という受け取り方を僕はしてしまったけど、やはりその通り、両方の意味だった。
日本の各地にあるそうで、長野県にあるとのこと。
僕はスキーから帰ると、大学の図書館で差別戒名について少し調べてみた。
さまざまな文献で得た知識は次のようなものだった。
日本には、中世から、連綿と時代を経て、迫害され続けた階級が存在してきた。
その一つは「穢多」「部落民」と呼ばれた人々だ。
江戸期にこの過酷な差別はシステム化されてしまった。
士農工商のさらに下に階級をおいたわけだ。
この被差別の人々は、人間扱いされなかったと言える。
ようやく明治になって新政府が解放政策をとったが、
残念なことに、本質的問題はまったく解決されなかった。
全国水平社が1922年に結成され、社会運動が事態を少しずつ改善してきた。
戦後の新憲法で、平等精神が国家の基本の一つに制定された。
なのにでも、なお社会の細部では、未だ部落差別はなくなっていなくて、
就職、結婚、地域での生活において、
部落民出身であることが、少なからず影響を及ぼしている。
しかし、そうした差別は生きている差別だけでなく、
差別の歴史の細部を見ると、驚愕すべきことに、
人は亡くなった人に対しても侮蔑した過酷な差別を行ってきた。
それが「差別戒名」だ。
(写真:墓石に刻まれた差別戒名(「リバティおおさか」のパンフより)
言うまでもなく、差別戒名を与えたのは、仏教寺院だ。
「宗門改制度」が江戸幕府の行政機構にしっかり組み込まれ、
幕府が階級差別を意図的に作ることで、
社会統制と体制維持を強化したというわけだ。
しかし、救済仏教が、そうした差別をするだろうか。
救済するどころか、死者にムチ打っているではないか。
僕は、単純な解釈で、仏教寺院が幕府から戒名差別を一律に強要されていたと思ってきた。
ところが、この分野を研究する牧英正さんによると、そうではなく、
「貞観政要格式目」
という差別戒名の手引書が、室町後期に出回っていた。
じつにズサンな内容で、ほとんど批判や検証されないまま、
江戸初期に各宗派が作成した諸文書に取り上げられていた。
この事実から推論を立て、牧さんは、
戒名差別は、僧侶や寺院側からの意図的な封建差別体制への
迎合追従であったろう
と、結論づけておられる。
すると、差別戒名は、どの時代で問題として、取り上げられ出したのだろうか。
小林大二さんが著した「差別戒名の歴史」によると、
1926年福岡市で、第5回全国水平社大会が開かれた時、
山本彦一さんが、動議を出し、怒りをもて差別戒名の実態を指摘した。
その実態は、福岡県にある京都知恩院末寺では、部落民の戒名は、
従来から四文字と限定されいて、その理由は部落民は人間以外だから、
戒名もまた四文字に限るとされていたことだ。
これに対して本山の知恩院側はどう返答したか。
その地方で自由にやっているとして、本山との関連を否定してしまった。
ただ、「戒名の問題」は、戦前は部落解放運動の中でも、
マイナーなあつかいで、十分に検証されて来なかった。
小林大二さんの本には、次のような事実も述べられている。
長野県上田で活動する部落団体・信濃同仁会の活動記録によれば、
1936年二つの寺の過去帳を調べる指示が明記されている。
この寺は、江戸時代から部落民の檀那寺で、
議題は同寺の「過去帳」に記されている「差別戒名」を問題にしたものだ。
小林さんは、上田の願行寺の過去帳の例をあげ、
江戸から続いて部落民の檀那寺となっている寺が保存する過去帳に
記入された戒名のうち、差別を表す「革」の文字はすべて墨で消され、
さらに同寺に預かる位牌の「革」と云う刻印もすべて削られているという。
戦後になると、差別戒名の調査は、少し進展を見せる。
(以下、次号へ)
December 18, 2007 07:55 PM | コメント (16) | トラックバック (0)
2007年12月16日
15日は星野と島野の奇跡の日:
去年から始めたこのブログの3回目、
4月3日に次のようなエントリーを書いていた。
強い絆で結ばれた漫才師コンビであった紳助さんと竜助さんの間で、
不思議な現象が起きたという、あの話だ。
脳死状態にいた竜助さんの手を見舞いに訪れた紳助さんが握ったところ、
彼が握り返してくれたそうだ。
私はこれを「ラザロ徴候」によるものだと推論を立ててみたけど、
もとより真相はわからない。
今朝の日刊スポーツ紙の野球欄を読んでいて、
再び、竜助さんのこのエントリーを思い出してしまった。
島野育夫さん(63)が昨日、胃がんのため西宮市の病院で亡くなった。
島野さんといえば、中日監督時代の星野仙一監督(現在日本代表監督)を
支えた名参謀で、星野監督が阪神に移ってからも
支える生き方に変わりなく、コーチや二軍監督として大活躍しておられた。
40年来の星野・島野の絆の深さを知らない人は、まず日本球界にはいない。
(写真:日刊スポーツ誌面から)
日刊スポーツに、星野監督が手短な弔辞を述べている。
きょう、病院に行ってよかった。手を握ってこのヤマを越えろよと、
また野球ができるようになる、ここをしのげ、明日、また来るよ
と言って別れた。
手を握ることも紳助さんと同じ行為である。
そして、星野監督は次のように言う。
第1関門を突破して、報告に行ったんだけど。
しかし島ちゃんらしいね。オレのスケジュールを知らないのに。
(空いているのは)今日しかなかった。
要するに、このセリフには、星野監督にとって、
島野さんが自分のすべてを知り尽くしていた友人であった、
もう言葉も何も必要としなくていい関係だった、
と確信していることを示しているように想像できる。
ただ私には、どうも竜助さんの時と似て、
何か人為で計れない、それはもう神の領域にある出来事の
ように思えてならない。
その神の力は、星野監督と島野さんを40年前に出会わせ、
今度は星野監督をして旅立つ島野さんを見送りさせるために、
スケジュールがたった一日空いた昨日を選んだと言えるかも知れない。
あるいは、これはマジックが得意な島野さんの仕業か。
今日しかなかった。
確かに、島野さんが北京に一緒に連れて行ってもらうには、
この日しかなかった。
December 16, 2007 08:12 PM | コメント (11) | トラックバック (0)
2007年12月15日
ウワサと違った沢尻エリカさん:
第一話「山口百恵スクープのカメラマン」、
第二話「内外おセレブ、撮り続ける!」から続く。
芸能界を中心に大活躍のプロカメラマン、亀井重郎さんにお聞きしています。
――撮影現場で、タレントさんの気持ちを乗せるのって
難しいと思いますけど、どうでしょうか。
亀井さん すごいノリノリで「いいねえ! いいねえ!」と言う人、
裸になってやる人、ロックをかけてやる人、
カメラマンにもいろいろありまして、工夫してますよ。
写真以外の要素、現場の雰囲気も大切ですけど。
でも、僕はあまりそんなことはしない。
その方がやりやすいってタレントさんもいるけど。
僕は、基本的にはああせえこうせいは言わない主義です。
ジャニーズ事務所の子も毎週とっていますが、
Hey! Say! JUMPってグループは10人もいるんですよ。
一番下が12歳。声をカラして「みんなこっち向いてえ」「いいよ~」とか言って。
自由にやってもらって撮る事が多いですね。
――撮るのが難しいと言えば、女王様の沢尻エリカさんだと思うんですが、撮りました?
亀井さん ええ、撮りましたよ。他のカメラマンから、
「あの子大変よ、気分屋だから」って聞いていたし、
まあ、ウワサみたいなもので・・・。
でも、全然そんなことなかったですね。
タレントさんだって、気分がいい時も悪い時もありますしね。
――僕の印象ですが、最近の子、いい子増えてますよね。
亀井さん それは言えますね。昔はアウトロー的な要素が魅力だった。
例えばアイドルに「あなた、歌もうまいし、顔もきれいだし、
かわいそうに性格もいいんだね」。そんな風に言った。
良くちゃダメなんです、性格は。
かわいそうに、と逆なことを言われるのが、この世界で・・・。
強くて、わがままで気位の高い子の方が、生き残れた。
よい性格だと、つぶされてしまうんですね。
でもここ10年以上見てると、いい子が増えましたね、
そんなに悪い子がいませんよ。悪ガキは昔はいたのですけど。
――昔は、取材する側も女優さんにはぴりぴりしてましたでしょ?
亀井さん そうらしいですけど、少なくとも僕はないですね。
映画「氷の微笑」のシャロン・ストーンの取材を思い出しますね。
ホテルの一室でもう見るからに不機嫌で、
インタビュアーが「今、何をしたいですか」と聞いたら、
「この部屋から出て行きたい」といって、
本当に出て行っちゃって、取材は壊れちゃった。
――松田聖子さんのあの涙が出なかった会見、いらしたんでしょ?
亀井さん 涙が出ないってあの件ですね、もちろん会場で狙いました。
そりゃ、全然出ないわけじゃないですが。
神田正輝さんと結婚して妊娠かどうかってあったじゃないですか。
噂が出る度に、みんな、わ~と行って、やりますよね。
ある時に、噂が出て本人が記者会見をやった。
「妊娠してません。妊娠したらちゃんと、私言いますから」と。
ここまで言われると、こちらとしても信じますよね。
でも、帰りがけに新聞記者の人がいて「あれは妊娠しているよ」と言った。
――シグナルを見つけたんでしょうか。
亀井さん ええ、靴が低かった。山口百恵さんの時がそうでしたから。
で、聖子さん、三日後に「妊娠発表」をしたんです。
これって、騙し合いじゃないが、本人が絶対にないと言っても、
信じてはいけないことになりますね。
――記者会見の陣取りについて。あれはもちろん「行った者順」ですよね?
亀井さん そうです。今はほとんどスタジオですが、
雑誌の「ロードショー」は20年やってまして、外タレを撮ってます。
年に何度か、トム・クルーズとかブラッド・ピットなんかを
写しに行くんですけど。
ひな壇を作り、みなが並んでいて・・・。
本人が前に座る。真正面から撮るとマイクがかぶる。
だから真ん中をはずさねばならない。
タレントはどちらから現れるかによって、陣取りの位置が変わります。
――今まで話をお伺いして、やはりカメラマンは大変だなあ、と感じますね。
ただ写せばいいだけの仕事じゃないことはよくわかります。
写真学校からどれくらいの方がプロとして生き残るんでしょう?
亀井さん 誰でもカメラマンになりたければ、カメラを持って、
名刺にカメラマンと刷ればいい、簡単です、ただ仕事はないでしょうけど。
僕がいた写真学校には1学年で3000人ぐらい。
写真でだいたい1000名ぐらいだったかな、在籍。
ヨドバシカメラの販売員とかを希望する人なんかも含めて。
写真をとる仕事をするのは正確に覚えていないですが、
100人もいなかったと思う。
1年後そのままカメラマンというのが、せいぜい10名ぐらいですね。
(写真:亀井さん撮影)
――やはり「運」が大切な契機ってことでしょうか。
亀井さん たまたまとか運でしょうね、要素は。
僕だって、ゼミに入って、先生が集英社に推薦してくれたからなんです。
僕が知っている限り、当時の仲間が東京で
カメラマンやっている人はいないですね。
仲間以外でも芸能の写真では、一人か二人かな、というぐらい。
――集英社は、契約社員的身分と解釈していいですか?
亀井さん そういうことですね。機材は会社からもらっていました。
取材費ももらっていました。
――写真の売り込みってされました?
亀井さん ないですね。申し上げているように、
僕はたまたま週刊明星に入れた後、
12年間やってキャリアを積んだということです。
――ご自身のどこが・何がここまで来させたのか。
亀井さん やはり運の面が多いと思います。
まずなんとかがんばって、スタートラインに立たないといけない。
別の写真でもっと売れていたかも知れないけど、とにかく写真が好き。
1年半たって休みをもらっても、休みようもなかった(笑)。
――言葉は悪いですけど、パパラッチ的写真もありますよね?
亀井さん 一種の開き直りになるんでしょうか。
おっかけのカメラマンもやりましたが、そういう仕事にも後悔はないです。
下積み時代のことを言わない人もいますが、
僕は、人に言われて恥ずかしいとは思わない。
撮られた人は恥ずかしい思いをしたことはあるでしょうけど。
――写真は今あるものを写すわけで、亀井さんはポップ文化。
一方、ミャンマーで亡くなった長井さんのような報道カメラマンの世界もある。
芸能界などの仕事と比べて感じられることはありますか。
亀井さん 1970年プノンペンで狙撃された沢田教一さんように、
その時代に戦争があって、報道写真家としては、それはそれでよかった。
僕は1959年生まれで、それほどの戦争もなかった。
どこかで紛争はありましたが。
自分の時代に戦争で写真を撮る、一方芸能界で写真を撮るのも、
現場で動いているものを撮るわけですから、
それほどの違いはないと思いますね。
――なるほど。
亀井さん 片や死んじゃう、片や相手に殴られるくらいの違いはあっても、
世の中の動きの最前線、興味があれば戦争、
僕は芸能界、変わらないという意識がありました。
よく言われますが、「写真とは」「報道とは」、戦争写真が上で、
芸能の張り込み写真がなんで悪いの?って。
芸能界でちゃらちゃらしている、男は戦場へ行って報道写真を撮れ、
結局有名になりたいんじゃないか、という流れで
ちょっとギロンめいた話をしたことはありました。
でもね、「撮った写真をおまえは新聞社に売って、買ってもらって、
同じことだろう」というみたいな話に落ち着くんですよ。
――異色のカメラマンに不肖宮嶋茂樹さんがおられますよね?
亀井さん 彼、もともとはフライデーにいた。特に親しくはなかったけど、
彼は他のカメラマンとは違った位置から撮っていました。
張り込みでも変装して撮ったりとか。
そういうことが好きで、彼は水を得た魚のように撮ってました。
戦地へ出かけ、目の前に死に掛かっている人がいて、
「カメラマンとして助けませんか」と聞かれ、
不肖宮嶋君は「愚問ですね」と答えましたね。
「僕はカメラマンだから全部撮ってから助けます。
兵隊は人を殺しに来ている一方、カメラマンは写真を撮りにきていますからね」
という理屈です。
――フォーカスという週刊写真雑誌がありましたね。
亀井さん フォーカスが最初で、続いてフライデー。
フォーカスの人は芸能現場を広角レンズで撮ってました。
こちらは35ミリの広角、250ミリの望遠ですが、
彼らは28ミリの広角レンズを使って、全体を撮る。
フォーカスのカメラマンだけ違う位置から撮っていたわけです。
スクープ写真が数百万とかは聞いたこともありましたけど。
あくまでも噂でしたから、正確なところわかりません
――最近のプロカメラマンのトレンドはありますか。
亀井さん 若い女の子が多いですね。
スタジオの助手の子がほとんど女の子と言えそうなほど多い。
写真学校も女の子でいっぱいのようです。
うまく循環しているのでしょうね。
ブームを作って、写真集を女性が買う。
女のカメラマンが女の子をとり、賞をとっている。
カメラの性能がよくなり、押せばピントがあって、写っちゃう。
実際、知識もなく写真をとって写真集、という売れっ子作家もいますから。
笑っちゃいけないですけど。やはりそれが身近にある。
そういう写真は否定しませんし、実際に写真集を見ますと、
「あ、この感性、僕には撮れない」って思いますよ。
いいものはいいですから。
――この人を撮りたいなあ、って人を誰か。エリザベス女王でも(笑)。
亀井さん う~ん、だいたい撮りましたけど。
現実的じゃないですけど、いいのかなあ、言っちゃって。
映画の仕事やってて、けっこう古い人を撮ることってあるんですよね。
アンジェリーナ・ジョリーのお父さんが、
「真夜中のカーボーイ」の俳優ジョン・ヴォイト。
僕って、彼に感激した人なんです。
・・・週刊明星に入った時、先輩が笠智衆さんを撮ってたんだけど、
僕にはちょっと撮るチャンスがなくて・・・。
今の自分の感性でさかのぼって人を撮りたい、って強く思います。
――他には?
亀井さん 他には、椿三十郎の三船敏郎さんを撮りたいですね。
歌手の人って歌っている時にいい顔をする。
役者さんはカメラの前でいい顔をするんです。
役者さんが、瞬間顔が変わり、ドキっとしますよね。
――今日はどうもありがとうございました。益々のご活躍を期待しております。
長いインタビューを終えて、亀井さんの写真を撮らせてもらった。
数回シャッターを切った後、「もうそれでいいですよね」と
照れ笑いをしながら、亀井さんはおっしゃった。
「百恵さんに聞かせたいですね」と私たちは互いに笑った。
この発言を百恵さんに聞かせたかった。
亀井さんのもっとも撮りたい人。それは過去の人を含めて、
願いの叶わない人を今の自分の感性で撮りたいということだ。
亀井さんの「実現しないけど、夢」の話はとても面白かった。
December 15, 2007 08:38 PM | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年12月12日
橋下先生、2万%発言を翻す!:
弁護士でタレントと言うべきか、
タレントで弁護士と呼ぶべきか、教えてよ~。
いや、来年はもう一つ「知事」がつくかも知れない。
橋下徹さん(38)が、2万%出馬なしと公言していたのに、
大阪府知事選出馬否定の前言をわずか3時間後に出馬すると明言、
今朝、記者会見を開いた。
弁護士と言っても、カリフォルニア州弁護士で日本在住の外タレのように、
本業などほとんどしていないタレントに過ぎない。
地道に社会正義のため弁護士活動をする友人らの姿を見ていると、
橋下さんには、弁護士という肩書きはふさわしくないと思う。
発言を一転させた理由は、タレント業の調整がついたからだ。
タレント仲間の紳助さんやタカジンさんに
「やってみろ」と発破をかけられたからだそうで、
記者会見で口をついて出てくる言葉は、
抽象的、ムード的、ノリ発言、マネ発言、そして思いつき、
ふわ~っと羽根のように浮いているようだ。
だから、およそ大阪府知事になるに、ふさわしい人物とは思えない。
横山ノック事件で、タレント転進組を見限って、
地に足のついた政治を求めたはずだったのに・・・。
今の大阪府知事のイスを引き受ける物好きは少ない。
たまたま担ぎ出されたら、ひょこひょこ出てくる軽さは、
当たり前の時代なのかも知れない。
橋下さんの履歴を見ると、早稲田大学政経学部出身で、
司法試験を目指したことがわかる。
これはたまたまサギの被害にあい、法律に目覚めたから、
というのが本人の弁だ。
ラグビーの部活に封建制を見いだし、その精神風土や部活システムに
反旗を翻すも、改宗してしまった。
弁護士業もそっちのけで、
下手なタレント顔負けの過密スケジュールをこなし、
周囲の押しでデラシネ的にTV局からTV局へ徘徊(はいかい)する。
今回の府知事選出馬も、後押しで心変わりしたという。
橋下さんは「たまたま型」で身過ぎ世過ぎの処世術を持った人物と、私は見る。
こういう人が政治家になれば、どんな政治をするかは、
もはや明らかではないか。
「大阪を子供が笑い、職員が汗をかく」町にしたいと、抱負を述べている。
どうも一部のキャッチが東京都知事に似ており、
橋下さんもそれをすでに認めている。
さすがにバラエティ番組で養った「カン」と「調子のよさ」。
芸は身を助く――よな。
そして「売春はODA」と言った人でもある。
記者会見では、サングラスをはずした。
茶髪から黒髪にしたのに合わせたか、
黒のスーツにエンジのレジメンタルタイ、まるでリクルートファッションだ。
自分のリニューアル演出にもソツがない。
しかし人間の中身は変わらないはずだ。
府知事選への流れで見ると、「泥縄」的。
光市母子殺人事件関連の弁護士懲戒問題もたまたまの口だろうか。
関連記事
「橋下先生の「なにわ弁護士道」」
「どげんかせんないかんが知事誕生!」
●500回記念プレゼントの当選者5名様には、本日メール便にて発送しました。お楽しみにお待ちくださいね。
December 12, 2007 05:58 PM | コメント (41) | トラックバック (0)
2007年12月11日
内外のセレブ、撮り続ける!:
第一話「山口百恵スクープのカメラマン」から続く。
芸能界を中心に大活躍のプロカメラマン、亀井重郎さんにお聞きしています。
――歯医者さんの前で山口百恵さんを張り込む・・・
このシチュエーションですと、当然というか、
やっぱりあの梨本さんもいらっしゃいましたよね。
亀井さん ああ、もうあの方は必ずいらっしゃいますよ。
このぐらいの取材対象となると、常連なんです。
その時撮ったのが、スクープ写真になりました。
百恵さんは当然嫌がっていましたネ。
――そうでしょうね、もう引退なさってますし。
亀井さん はい。そうですネ。でも嫌がられても、
僕はやはり流れる現場にいられて楽しかったな~。
こういうジレンマっていろいろあって、
仲良くなったタレントさんが、たまたま事件を起こしたら、
撮りにいくしかないでしょ?
でも向こうにしたら裏切られたと思うことも、まああるわけですよね。
「何でおまえ、ここにいるんだ」みたいな。
だいぶたってからは、そういう仕事をしたくないと思ったんで、
うまい具合にそういう仕事がなくなり、雑誌も休刊した。
――一「流れる現場」面白い表現ですね?
亀井さん 若い時は「写真でお金がもらえる」ってことは考えなかったから、
とにかく現場で走りまわるのは楽しかったですよ。
なにしろテレビや新聞で見ることを目の前で見ているわけですから。
臨場感といいますか、田中角栄さんなら、東京地裁の前で撮ってみる。
新聞はすぐ写真をバイク便に乗せて号外が出る。
目の前で撮った写真が号外で出てくるので、やりがいもあって面白かった。
石原裕次郎さんが入院していた時も、気遣いしつつ、慶応病院に行ってました。
――「待ち」も仕事のうちであるわけでしょ? だから、そういう時って、
帰るにも帰られないことになって・・・。
亀井さん そうですね、そうなりますね。
冠婚葬祭があって、僕たちは近くに行く。
仮通夜ですと誰が来るかわかんないんで、家の前で張っていますね。
記者同士、お互いわかりますよね、週刊明星がいて、週刊平凡がいて。
向こうが帰らないとこちらも帰れなくて。
で、結局、お互い帰れない。
うちは帰ります、といったん帰るそぶりを見せ、遠くから見ていて、
本当に向こうが帰ることを確認するような、
ある種、駆け引きみたいなことはありましたね。
――よく言われますけど、カメラマンの勘で、「出てくるぞ」なんてわかりますか。
亀井さん 独特の現場の流れってありますよね。
20年30年前の話なんで、詳しいことは忘れちゃってますが、
ずっと現場にいたら、張り込みって10回行って10回失敗する。
週刊誌の見出しで、ビックリマークがつくことありますよね、
アレは週刊明星なら、金曜日の段階で付き合っているのがわかっているけど、
裏づけのために写真がほしい。でも撮れない。
こうなると、仕方なしに、しょうもない建物だけを撮ってくる。
玄関のインターフォンとか・・・ね。
まれに本人を撮れることはありますけど。
――そりゃ、つらいなあ。
亀井さん だから、だんだんそういう仕事は億劫になりましたよ。
百恵さんの時もそうだったけど、できるだけ、
嫌がられる写真って撮りたくないじゃないですか。
だから2、3年やるとイヤになる。
確かに現場で動いていて、
行け行けでお祭り騒ぎするのは楽しいですけど。
――でも芸能界って、「持ちつ持たれつ」の関係でしょ?
亀井さん ええ向こうも商売ですから、
スキャンダルが出てナンボということもあるんで、
本人が嫌がっても、事務所側がOKということもあります。
自分が写したものを報道でどう料理されるか、
という楽しみもあるんですけどね。
――やらせ写真ってあるんですか、こんなこと聞いちゃ、マズイですか?
亀井さん たとえば、アイドルの女の子と男の子を撮っちゃったりするでしょ。
ホテルから出てくるシーンとか僕が撮ってしまった。
事務所側に言うと、「勘弁してくれ」となりますよ、やっぱり。
「いくらなんでもホテルからはまずい」というわけで、事務所は、
「撮らせるから、公園でデートするとかにしてくれないか」って。
面白くない写真になってしまうけど、
そういうことはないと言えば、ウソになりますね。
――わざとそういうものを作り出すとか。
先日、花田美恵子さんと青木君のスキャンダルがありましたね。
経験を踏まえて、何か感じられたことはありましたか。
亀井さん まあ、二人に関係があったことは事実でしょう。
事務所も話題になればいいわけで、
ある程度、計算ずくでやったのでしょうけど、
あれもまた、なかなか計算どおりにいかないものがあって、
ダーティのイメージが過ぎて、ポシャちゃたケースだと思いますね。
――うちのブログでも取り上げましたけど、圧倒的に青木君に分が悪かったです。
亀井さん う~ん、そうかも知れません。
――そう言えば、羽賀研二さん、あのマダムキラーぶりで来られたら・・・。
亀井さん ほんと昔からうまかったですよ、取り入り方と言いますか。
心の中へ入って来方とか、天性のものがありましたね。
名刺に集英社とあると、目ざとく見つけて、
「よろしくお願いしま~~す!」みたいに挨拶と共に近づいてくるから。
――「つかみ」のうまさも、一種の才能なんでしょうね、芸能界では。
彼の場合は、とんだ方向へいっちゃったわけですけど。
一方、タレントさんなども、カメラマンの目から見て、
この人は伸びる・伸びないってわかります?
何かヤード・スティックみたいなものは?。
亀井さん 当時張り込みばかりでなく、新人さんを毎週一回紹介するページがあって、
週刊ですから1年で50人紹介するんですね。
当時500人ぐらいデビューする時代でした。
で、紹介するのは、そのうちの1割。
ふるい落とされる500人だって、みな、それぞれの子が、
日本中の学校などで人気がある、歌がうまい、可愛いという子たち。
東京へ出てきて、そこから選ばれてデビューして来た子達なわけ。
そしてさらに選ばれたのが、取り上げられる50人というわけです。
もう運の固まりばかりじゃないですか。
だからもう、これは、写真撮ってもすぐわかります。
――将棋のプロを目指す子たちとも似ていますね。
結果、どんな子が伸びますか?
亀井さん 新人としてスレている、これはツライな、という子の方が伸びるんですネ。
長澤まさみ(2000年第5回東宝「シンデレラ」オーディション、
35,153人から選考)さん。何年か前に写真を撮ってたんですが、
ほとんど記憶になくて、「世界の中心で」で顔を見て、
あ~、あの時に撮ったあの子だって、思い出しました。
――流れを見ておられるし、大人数を撮っておられるから、
そういう経験はよくあるでしょうってところからお聞きしますけど、
一般に女優さんって、やはり整形をされますよね。
亀井さん 今は自然にやりますね、
鼻の線と目のここ(指で示し)を切って、
目と目の間、高くなるのでわかります。
年召した方がシワ取りされて、
いきなり顔変わって出てきちゃって、驚くこともありますよ。
お金あるんだから、もっとうまくやればいいな、と思うことも。
――そこまで言えちゃうのは、「個人事業主」の強みですねえ(笑)。
撮られ方にうるさい人いますか。特に外国人タレントなんか主張しますでしょ?
亀井さん ハリウッドのスターはほとんど撮ってますけど、
そんなにうるさく言う人はいないですね。
最近は事務所のチェックが多いんで、
撮った写真を事務所がチェックすることの方がシビアです。
(写真:亀井さん撮影)
――どういう点をチェックするんですか。
亀井さん それがまた本当のところ、よくわからないんですね(笑)。
たとえば、人によっては笑った時に歯が見えるとはずす。
具体的な名前は出しませんが。
今までキャピキャピで売ってきたけど、これからは大人の女性で売りたいとか。
媚びているのはダメとか。事務所の戦略が影響します。
本人がチェックする時もありますが、
なぜか本人だと、似たような写真ばかり選ぶんですよね。
おかしいでしょ?
そうすると、ページの埋めようがないんです。
グラビア4ページ、5ページ、全部同じ写真になっちゃって。
――どうするんですか。
亀井さん 事務所側がタレントさんを説得するんでしょうね。
カラーをモノクロにしたり、縦イチを横イチにしたり。
――流れの現場のほか、特定の1人を追っておられますか?
亀井さん グラビアとかで女の子を取り上げることはありますが、
写真集ではないですね。男性が多かったので、アイドル系はあまりない。
舘ひろしさんとか、個人的にずっと撮っていることはあります。
僕の名前を覚えていただいて、「あの人に」ということで。
大河ドラマ「風林火山」で内野聖陽さんから、ご指名を受けたので、
この一年、ご一緒してます。相性が合うっていうか・・・、
いいお仕事させてもらっています。
(次号へ続く)
December 11, 2007 10:56 PM | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年12月10日
山口百恵スクープのカメラマン:
タレントさんの記者会見、週刊誌のグラビア、番組宣伝の写真、
ポスター、写真集などで幅広くご活躍中の売れっ子カメラマン
亀井重郎さん(かめいしげお)
テレビのワイドショーで見る記者会見などでこの人はよく
現場にいるし、私たちも知らないうちに、
亀井さんの撮影したグラビアは見ているに違いない。
内外問わず、芸能界で彼の名を知らない人はいないだろうと
さえ思える現場歴28年の亀井さんに、カメラマン秘話の一部を語ってもらった。
――お会いするの、2年ぶりになりますか。
今日はいろいろお聞きできるのを楽しみにしています。
まずありきたりの質問なんですけど、カメラマンになった経緯で、
キック・オフしていただけます?
亀井さん カメラマンって、試験がある世界じゃありませんから、
何をしてってことはないですよね。
とりあえず、写真学校(旧東京写真専門学校)に行ったんです。
たまたま写真学校のゼミの先生がいらして、
その方が集英社の週刊明星という芸能誌で、
レイアウトの仕事をしていらした。
2年ゼミの終わりでしたか、週刊明星の写真部で
どなたか若い人いませんかという話になったそうです。
――ゼミって何人いらしたんですか。
亀井さん 30人ほどいましたね。で、たまたまゼミの先生が
私を推薦してくれたわけです。
――面白い瞬間ですね。まさに生きる方向が決まったというか。
ご自分で理由わかりますか。
亀井さん 僕が思うに、やはり運じゃないかと。
そう、運は感じますね。縁とかも・・・。
で、写真学校を卒業する前に週刊明星写真部に入った。
専属という形です。10人ぐらいはいましたか。
下っ端として、働けるようになった。
それが20歳の時でした。そこからプロのカメラマンの始まりというわけです。
――初めての仕事を覚えておられます?
亀井さん そりゃもちろん、覚えてますよ。
その前にちょっと週刊明星の説明になりますが。
――ええ、どうぞ。
亀井さん 写真部に12年いて、雑誌が休刊になりました。
以降フリーで個人事業主という形でやっています。
当初はタレントさんの写真にあまり興味はなかったんですけど、
週刊明星という雑誌なので、取材対象が全部タレントさんでしょ?
駆け出しの時は、先輩にくっついて、助手をしました。
最初に一人で撮った写真が、活版記事の小さな写真でした。
――タレントさんの名前は?
亀井さん 竹内まりやさんです。インタビューつき写真でした。
これが単独の仕事で、その前に先輩と一緒にした最初の仕事で、
先輩が週刊明星の表紙を撮りました。
男女二人で、多岐川裕美さんと西川きよしさんでした。
――週刊誌のバリバリのところにいらしたわけで、
事件があるとカメラを抱えて、どこへでも飛び出して行った?
亀井さん 仕事は切れ目なくありましたね。
今は、実際いい時代ですよ、本当に。
その頃はケータイはもちろん、ポケットベルさえなかった。
誰かが会社に待機していなくちゃならない。
夜、飲みに出かけても、とりあえず居場所を教えておかないとネ。
私の前の時代には、それこそ、飲み屋に電報が来たらしい。
今じゃ考えられないけど・・・。
やがて僕もポケットベルを持たされた。
――なるほど、ポケットベルで呼び出されるわけですね。
亀井さん ええ。ポケットベルは地下は電波がダメだったので。
わかりますう?
飲み屋さんは必ず地上の店に入れって、言われましたね。
グラビア、活版、なんでもこい。
それから僕は若かったので、張り込みとかも随分ありました。
――週刊明星、週刊平凡、女性自身、週刊女性・・・抜きつ抜かれつですね。
亀井さん そうね、いつもスクープの話は出てましたよ。
週刊誌なので、毎週日曜日が最終校了。
見本が火曜日に上がって、発売が水曜日。
毎週その繰り返し。
――週刊誌を抱えていたら、キツそうで休みがないじゃないっすか。
亀井さん 写真部のボスに会った三日後の日曜日に休みをもらいました。
その次休んだのが、なんと一年半後でした。
――え~、1年半? 週刊誌って人使い、荒い世界(笑)。
今時の若いカメラマン、務まりますか?
亀井さん その次休んだのが、三年と少し後です。
会社に仮眠室、シャワーもあったし、
東京・神保町は不夜城と言われてました。
今もね・・・。
自分の黒板に仮眠室と書いておくんですよ。
待機というか、帰ってもいいんですけど、
また翌日出てくるわけですから、
その方が楽だったっていうのありますよ。
年間100日ぐらい出張があったので、
三日に一度出張というスケジュールでした。
(写真:亀井さん撮影)
――国内に限りませんよね?
亀井さん むろん海外にも出かけます。
タレントさんにくっついて行きますから。
ばたばたして、12年間はあっと言う間でしたね。
(12年間を「あっと言う間」と表現されるのを聞くと、
いかにお忙しい身体であるかがわかる気がした)
――一番印象に残っておられるお仕事を上げていただけますか。
亀井さん 一番印象に残っているのですか?
これも運みたいなんですけど、
やっぱり山口百恵さんの張り込みと言っていいかな。
百恵さんが引退した直後に私、週刊明星に入ったんですが、
百恵さんが歯医者さんに通っていることをマスコミが突き止めました。
で、ついにその日が来たということで、
歯医者前で張り込んだんですけど・・・。
(つづく)
★、「500回記念プレゼント」は厳正な抽選の結果、以下の5名の方々が当選されました。おめでとうございます!
投稿者 KI : 2007年12月06日 10:01
投稿者 秘密の森 : 2007年12月06日 17:48
投稿者 33歳 : 2007年12月07日 00:30
投稿者 tkbanker : 2007年12月08日 09:35
投稿者 通行人 : 2007年12月08日 23:55
当選者5名様は送り先の住所・氏名をコメント欄よりお知らせください。もちろん個人情報は私だけが確認するものでありまして、コメント欄に掲載される
