2007年08月31日
「さくらのパパ」という虚名:
「さくらのパパ」と最初に聞いた時、
「何なの、この人?」ってわからなかったという人も多かった。
「さくらのパパ」こと、横峯良郎参議院議員は、
テレビ&ゴルフ界の有名フリークである。
フリークが大好きな茶の間のヒマ人たちが、
ちょっと話題にしたので、全国的に有名になった。
「さくらのパパ」という表現自体が、
なんともオミズ道っぽいし、呼びやすい。
例えばサラリーマンが、なじみのバー「世界一」のマダムを、
セカイチのママがねえ
と呼ぶ、この響きに似ている。
全国的にテレビ放映されていなければ、
有名にはなっていない。
でも、なぜテレビ放映かというと、
だって「さくらのパパ」だもの。
こんな循環理由でなんとなく納得できるのが今時の世の中だ。
(右写真:パパ)
「虚名」を「力」「評価」だと勘違いし、でかい面を画面にさらして、
すでにテレビやゴルフの世界で扱いにくくなっていたというのに、
狭い業界の囲いの中に入れておけばまだしも、
わざわざ畑違いの国政の場に引っ張ってきたのは、蓮舫である。
なぜ蓮舫が、まったく余計なことをしてくれたのか。
やっぱり「さくらのパパ」だから。
彼女は、こういう怪しげな人物に、
面白がって票(21万1829票)を入れる馬鹿な有権者がいることを
長くテレビ界にいたので知らないはずはないだろう。
どれくらいの得票があったかというと、
21万1829票
当選すると見抜いていたのだから、
さすがに視聴率狙いで培った蓮舫の「胸算用」力は狙いをはずさない。
クラリオン・ガールがいつしかワイド・ショーのマスコット、
番組の下世話の空気も読めず、
天下国家を論じてお茶の間で苦笑され、疎まれていたけど、
誰もその志は止められず、ついにはジャーナリスト、
そして参議院議員にまで成り上がった。
今や蓮舫議員のブログには、糖衣をまとった「政策論」があふれている。
彼女は「その気にさせられて、素直にその気になる」タイプだろうが、
「さくらのパパ」とは夫婦みたいに呼吸が合っている。
週刊新潮は今週号で、横峯議員の破廉恥行状の写真を暴露したが、
それにしても、これほどひどいとは、思わなかった。
これだけの材料をもたれていてもまだ出版社を提訴するなんて、
片腹痛いと言わざるを得ない。
もはや国民は、期待もお願いもしないだろう。
国民が焦眉の急と認識している教育や福祉を論じる
国会議員の資格などあろうはずもないことが証明されてしまった。
ところで、気になるのは、
蓮舫が後押しした責任はどうなるのだろうか。
マスコミから逃げて、彼女は、
「最近は連絡とってません」と答えにならない答え方をした。
「じゃ、連絡とってよ、すぐにケータイでさ?」
と返すのもバカらしくなってくる。
なにもかも、テレビの低俗なバラエティレベルで進むのを
誰か止められるのか。
次号、「虎退治の姫」問題に続く。
関連記事
「千葉7区はオミズ道に負けた!」
「千葉7区87046票の民力」
August 31, 2007 10:58 PM | コメント (24) | トラックバック (0)
2007年08月30日
甲府に出現、指おでん?:
赤ちゃんの指しゃぶりは止めさせないといけないのか。
山梨県甲府市の保育園で、50代のおばさん保育士が、
生後3ヶ月の男児が指しゃぶりを止めないので、
その指にからしを塗ったことで、
県の監督機関へ匿名電話があり、発覚してしまった。
この保育士のクラシカルな行為の何が問題なんだろう?
匿名電話の主が報告した理由は、
おそらく赤ちゃんの指にからしを塗る行為が
いけないと思ったのだろう。
あるいは、少しうがった見方をすると、
他の保育士との人間関係からいやがらせ的に
「密告」をしたというケースも複雑な社会だからあったかも。
しかし、指にからしを塗って、
おしゃぶりを止めさせるのは、聞いたことがある。
一種の「おばあちゃんの知恵」レベルだろうけど、
専門家はすすめない。
(写真:ボクの指はどんな味?)
からし指の赤ちゃん、将来おでんを口にした時、思い出すのだろうか。
預かった男児の指しゃぶりがひどいので、
常時よだれが垂れ、皮膚がただれてしまったそうだから、
おばさん保育士はなんとしてもおしゃぶりをやめさせたくて、
1回だけ、からしを塗ったという。
昔やったことがあり、効果があった。
と、この保育士は語っている。
指しゃぶりを止めさせる方法として、
他の選択肢は考えられるか。
例えばミトンタイプの木綿の小さな手袋(右写真)をつけさせるのはどうか。
これは顔をひっかいたりできなくて便利だとも思うが、
専門家はあまりすすめない。
おしゃぶりを口に咥えさせてみるのはどうか。
西洋では、2~3歳児でもしばしば咥えているが、
特にこの年齢でおしゃぶりをするわが子を
日本のママたちは、なぜか恥ずかしいと考える。
しかし母親とのスキンシップが不足する子供は、
指しゃぶりをすることで精神的安定さを得ている。
またタオルなどを握らせるお母さんもいる。
何か代替品を与えることで、
子供は他に注意を奪われると指しゃぶりを忘れがちになっていく。
従兄弟は悪ガキで、自分の妹の口に足の親指を
しゃぶらせるような悪行に及んで、
おばさんに雷を落とされていたことをなつかしく思い出した。
そして私はどうだったのだろう。
おばさんに聞いてみた。
あなたは、しっかり母乳を飲んでいたのよ。
だから指しゃぶりより母乳をやめさせられるか
随分心配したのよ。
ある時、おっぱいにお父さんが怖い鬼の顔を描いたら、
泣き叫んだけど、この一発で乳離れ。
みんなで、可哀想なことをしたって、大笑いだったわ。
まったく当時の記憶などあるわけがないが、
できるだけ赤ちゃんは脅かさないでほしい。
なぜって、脅かさなくても、大人で指しゃぶりはいないから。
関連記事
「赤ちゃんポスト、準備完了」
「中国人は赤ちゃんポストだった」
「賀正 幼児虐待してる奴いねが」
「食べ物を疑えない消費者」
August 30, 2007 07:30 PM | コメント (12) | トラックバック (0)
2007年08月28日
舛添要一は安倍山の土になる!:
参議院議員の舛添要一さんが、安倍新内閣に入閣を果たした。
安倍政権を「学芸会内閣」だと厳しく批判し、
「裸の王様」「バカ社長」などとこき下ろしてきた、
反安倍派の先鋒であったはずだったのに・・・・・・。
組閣人事で、大方の下馬評通り、
都内の自宅に安倍総理じきじきに電話が入り、
入閣を求められ、受諾したという。
報道に添えられた各界のコメントは、
総スカン
たとえば、自称政治評論家の大仁田厚前参議員は、
今朝の日刊スポーツ紙面(写真)で、
はっきり言って、あの人には
「よ、世渡り上手!」と声をかけたい。
なにせ私が議員時代、舛添さんの「出世術」や、
青木幹雄さんへの「よいしょ&アピール」はそばで見ていて
「さすが」と思ったほどだ。
なんて処世術のたくみさを高く評価している。
結局、舛添さんって、改革派を気取り、大衆受けする大見得を切り、
もっともらしいことは言うけど、
その本質は、単なる権力欲の権化だ。
母親の介護でさえ、自分の政治宣伝に利用して、
今回の厚生労働大臣就任で、めでたく猟官運動が実ったことになる。
安倍政権に、尻尾を振って、入閣の切符を手に入れたのは、
安倍総理が舛添さんからの批判をかわす、
あるいは抱き込む戦術に負けてしまったからだ。
何のことはない、安倍総理の方が一枚上手。
舛添さんを批判する人はそう言いたいのだろう。
しかし、私は、ちょっと違う考えで、舛添さんの入閣を見ている。
ビジネスの世界や会社組織を見てわかるように、
今までライバルや敵にまわっていた人を自分の陣営に入れるという戦術は
極めて重要な効果をもたらす人事であって、
それは誰しも認めなければならない戦術の一つだ。
労使が対立している労働組合の幹部が、一転、
経営の重要ポストを与えられることは、
サラリーマンの世界でも珍しくないし、
自分はいつか今以上の大きな、重い仕事をしたいと
いわゆる「脾肉の嘆」(ひにくのたん)の状態にいた人が、
オファを受けて、応じることは決して非難されるものじゃないと思う。
ただ、舛添さんが安倍総理のオファを電話で受けた際、
ずっとあんたを批判してきた人間が
閣内に入っていいのか。
と、答えたそうだ。
これに対して、安倍総理は、
それが、むしろいいんだ。
と答えた。そう舛添さんは記者たちに説明した。
舛添さんのこの返答は、一見道理が通っているように見える。
ボクって、根性あるでしょ?
というより、これでは、単なる「念押し」だ。
次のように答えるべきであったと思った。
これからもあなたや安倍政権をきちんと見て、
批判する姿勢は変えないけど、
それでもよろしいか。
過去を問わないですか、などと女々しい聞き方では、
やはり「尻尾を振った」と揶揄(やゆ)されても仕方がない。
「噛み付くところは噛み付く」と舛添さんは、
入閣後も姿勢を崩さず、
「命がけでやる」と決意表明をした以上、
今までの50%程度の噛み付き方なら、
すでに腰が引けたとみられるだろう。
噛み付き吠えて、厚生労働行政に、
少しは異変を起こしてもらいたい。
入閣後、記者の求めに応じ、舛添さんは、
李斯の「泰山不譲土壌 故能成其大」という一節を色紙に書いて、
教養の片鱗を見せた。
高い山は小さな土くれも手放さなかったから、
あのように大きくなった。
物事は小さくとも積み重ねることが肝心だ。
ご自身を謙虚にも「安倍山の土」にたとえたようだ。
August 28, 2007 09:26 PM | コメント (31) | トラックバック (0)
2007年08月26日
陰口を叩かれた神様:
今日26日は夏休み最後の日曜日。
陽も沈んだので、散歩がてらに駅前まで出かけてみた。
わずか10分ちょっとなのに、汗が流れてくる。
熱中症を心配して、ついスタバに入る。
どうでもいいけど、最近この店のアズキ・クリーム・フラッペチーノに
ちょっと凝っていて、いつもは小さいサイズにするけど、
今日は普通サイズにしてみたいほど暑い日だった。
涼んでからスーパーに寄ってみた。
今年の暑さを象徴するかのように、そこかしこに日焼けした人々が居る。
店内を一通り見て、妻といつものようにレジに並んでいると、
どこからともなく会話が聞こえてきた。
中年の主婦とスーパーのアルバイトのお姉さん販売員とのやりとりだった。
主婦 あのーちょっとすみません
販売A ハイ、何でしょうか。
主婦 これね、先ほどレジ終えたんですけど、今見たら、
ちょうど焼き立てのを並べているみたいだから。
(と言いながら、手に焼き魚のパックを持って、
アルバイトさんに見せている)
主婦 それでね、今出て来た焼き立てと交換してくれない?
お魚の切り身も、私が買ったのよりは大きいしさ、
いいでしょう?
この言い方は、聞きようによっては、
客自身がもう自分ですでに結論をだしてしまっていると言えるだろう。
アルバイトさんは、笑顔を見せながら、
販売A ええ、いいですよ。お好きなのをお持ちください。
美味しく焼けていて、本日のおすすめ1品ですから。
有難うございました。
と、アルバイトのお姉さんは、ペコンとおじぎまでしていた。
そう言われて、客の主婦は大満足。
自分の願い通りに気に入った焼き魚を選んで立ち去った。
ここまでの話なら、よくある日常の光景。
何の問題もなかったけれど、その後で私と妻は、
思いもかけないヒソヒソ声を聞いてしまった。
販売B 何なの今の客。なにかあった?
販売A まあね、焼き魚の交換なんだけど。
販売B あ、そうなんだ、コゲてたあ?
販売A たいして変わんないのにねー、
どっちみち、食べりゃ終わりジャン。
もう、ババーって、ほんとどうでもいいこと言ってウザイよ。
あれ~? 先ほどの丁寧な対応はどこへ?って思わせる変わり様だ。
この変わり様、もし自分が買い物をして店から出た後で、
こんな事を言われていると知ったら、本当に気分が悪い。
それなら一層のこと焼き魚の交換などしてくれない方が
よほどいいのになあ、って思ってしまう。
「思いやり」から一転「陰口」へ。
どうしてこんな感情が芽生えるのか。
スーパーに限らず、日本で何かを売る場合、
常に「お客様は神様です」という不文律があることと
関係しているのではないか、と思う。
アルバイト販売員としては、お客様は神様なんだけど、
自分的には、神様だとは到底思えない。
そのギャップに気持ちの無理がかかってきて、
つい本音で言ってみて、気分をスーッ晴らしてしまうのだろう。
客の無理押しについ「従ってしまった自分」に反発して、
従いたくなかった気持ちのはけ口を求めたと言えよう。
これに限らず、どうも最近の日本人は、
誰かに従う
ということを快く思わない人が増えていると思う。
どうだろうか?
(写真:ハンガリー・ブダペストのスーパーの野菜売り場)
関連記事
「社主、スーパーへ行く」
「輝き顔、彼女のヒケツは何だ?」
「スーパーで目撃、オヤジのぶりっ子カゴ」
August 26, 2007 11:12 PM | コメント (33) | トラックバック (0)
2007年08月25日
平和ナレと戦闘ナレ:
友軍から攻撃を受けることを「同士討ち」という。
英語では「フレンドリ・ファイヤ」(friendly fire)、直訳すると「味方の攻撃」だ。
8月23日、アフガンで英軍兵士がタリバンと戦っている時、
空から米軍機が間違えて、英軍兵士に爆弾を投下、
3名が死亡、2名が負傷をした。
昨24日夜、時事と読売のウエッブ版の報道で知ったけど、
300字ほどのベタ記事扱いでしかなかった。
日本国内でこの記事がブログに引用された数も極めて低く、
日本人の関心の薄さや反応の弱さの理由がよくわかる。
一言で言えば、「平和ナレ」か。
しかし、拉致された韓国人人質問題も引きづったまま。
アフガンは非常に危険な地域が多く、
「連合軍」とタリバン兵士の戦いは現実で、続いているんだなあ、
とつくづく思う。
友軍に攻撃を受けたのは、「バイキングども」と呼ばれている
「アングリア連隊」の60名の兵士。
23日夕に、アフガン南部のヘルマンド州で、
タリバン兵を追い出すための作戦下、巡回中に、
タリバンの攻撃を受け、米軍の支援を要請したのに、
何を間違えたのか、現場周辺を飛行中のF15戦闘機が
500ポンド爆弾を友軍に向けて1発投下してしまった。
このような「同士討ち」の類は戦争・戦闘につきもので、
古く関が原の戦いでも、両軍兵士ができるだけ相手を識別可能なように
戦闘衣装に工夫をしてきたことが知られている。
年末恒例のドラマ「忠臣蔵」のヤマ場、
吉良邸へ討ち入ってからも、「山」と「川」の合言葉で、
同士討ちを避ける場面がきちんと描かれてある。
第一次世界大戦の4年間に、同士討ちで死傷したフランス兵は、
75000名を超えたという。
「アングリア連隊」の兵士60名は、タリバンに待ち伏せされ、
複数のポジションから狙われ、身動きがとれず、
米軍に支援を要請したようだ。
しかし、地上から爆撃機に無線で攻撃を指示したかどうかはわかっていない。
軍事専門家は、
「アフガン内では接近戦では空からの援護は極めて難しい」
「だからタリバン兵は接近しておけば、
空からの攻撃を避けられると知っているのだろう」
と説明する。
今回の「フレンドリ・ファイヤ」で犠牲者が出た英国の新聞では、
「英兵を連れて帰れ」という厭戦的なコメントの他、
「仕方がない」
「兵隊の緊張が続いているからミスした」
「米軍はよくやっている」
「地上から爆撃をコントロールしなければ、必ずこうした事件は起きる」
「米軍兵士は未熟だ」
「亡き兵士の遺族に哀悼の意を表したい」
などとさまざまな声が寄せられた。
他方、アメリカでの反応は比較的弱いようだ。
考えてみれば、ベトナム戦争の時には「同士討ち」で、
約8000名の米兵が死亡したと推定されている。
数的に桁違いの経験をしてしまうと、
数名の兵士の死に対して反応が鈍くなるということか。
平和ナレした日本人の反応の弱さ。
戦争慣れしたアメリカ人の反応の弱さ。
この二つの理由が異なっている点が興味深い。
去年の今日の記事
「やっぱりアメリカ人には勝てないネ」
August 25, 2007 11:30 PM | コメント (11) | トラックバック (0)
2007年08月24日
女子高生には近寄るな!:
昨春、防衛医科大学校のN教授(62)が、
朝の東京私鉄・小田急線の車内で、女子高生(17)に痴漢をしたとして、
強制わいせつ容疑で逮捕された。
容疑者は全面否定、冤罪を主張した。
東京地裁は、女性検事が求めた2年6月の懲役刑に対して、
なんと懲役1年10月の量刑を下した。
初犯なのに実刑は、ちょっと驚く。
物証もなく、被害者とされる女子高生の説明と
被告の言い分でしか判断できない状況だったからだ。
言い分だけの判断では、当然、
両者の態度、両者が置かれている状況、説明の仕方などが
裁判所の心証に大きく影響を及ぼす。
判決文の中で、裁判所は、自分に不都合なことまで話す被害者に
「真摯な説明で信用できる」と証言を採用し、
一方被告の弁解を信用できず、
被告を犯人とすることは合理的な推認だ、と述べたという。
その後、この事件はちょっと印象に残っていて、
二審はどうなったんだろう、と思っていたら、
昨日23日、二審の東京高裁で控訴判決が出た、という報道を読んだ。
東京高裁は、一審の東京地裁判決を支持して、控訴棄却とした。
保釈中のN教授は再び拘留されてしまった。
この事件を担当した高裁裁判長は、
具体的で疑問を差し挟む余地はない
という厳しい表現を判決に使い、
争点である女子高生の証言を100%信用した。
被告側の弁護士は、
被告の指からは下着の繊維が検出されていない
と、反論していたのだけど、高裁は、
下着に触れたのはかなり短時間で、
繊維が付着しにくい状況だった、
と、歯牙にもかけなかった。
私がこの二審判決記事を読んでまず驚いたのは、
事件を扱ったのが、阿部文洋裁判長だったからだ。
一週前の8月16日には、遺産相続にからんで、
弟を殺害した被告の控訴を棄却して、宇都宮地裁の死刑判決を
支持したのも、阿部裁判長だった。
この人、東京地裁判事時代には、オウム真理教事件の被告の一人、
松本智津夫の一審公判の裁判長を勤めた判事でもある。
去年の11月11日の「玄関払いにも言い訳がある」という記事で、
私は、戦前に起きたマスコミ言論弾圧の「横浜事件」の再審が
東京高裁で審理されていることを取り上げたけど、
この訴えは棄却され、その判決を下したのも阿部裁判長だった。
第8刑事部総括判事の阿部裁判長が、
さほど珍しくない破廉恥罪の公判を主宰したことにちょっと驚きつつ、
妙に納得できるまで、そう時間はかからなかった。
被告側の弁護人の名前を見たからだ。
元判事の秋山賢三弁護士
袴田事件の弁護、全国痴漢冤罪合同弁護団団長などをしてきた人だ。
私も「ボクサー魂の再審請求」で袴田事件については少し書いた。
と、なると・・・、
冤罪再審を求める弁護士 対 冤罪再審を棄却する裁判官
の構図が見えてこないか。
一見、珍しくない痴漢事件の控訴審のようだが、
実は、法廷内で一種の代理戦争が行われているように思えるのは、
私だけだろうか。
こういう構図を前提にしたら、被告に勝ち目があるのか。
なんだか、真実はいつしかどこかへ置き忘れられたみたいなんだけど。
外出に電車を利用しないわけにはいかないから、
車内では、できるだけ男同士、固まろうね。
関連記事
「植草先生の「セーラー服病」再発」
「城山さんの筆がスベった」
August 24, 2007 10:36 PM | コメント (26) | トラックバック (0)
2007年08月23日
大的中、小池防衛相のジンクス:
記事「小池百合子渡り鳥は飛んでいる」(7月5日)で、
私は、小池新防衛大臣について、
(1)能力的に適材適所ではない、
(2)テレビ人間特有の軽薄さがでている、
(3)ツーショットした人をなぜか下げてしまう
という三点で、なんだかなあ~という感想を婉曲的に書いてみた。
記事を書いた私自身が正直驚いてしまうほど、適中してしまった。
大臣就任後やったことと言えば、
A 省の食堂で割り箸・紙ナプキンの使用禁止
B 書類は両面コピー
C 省内コンビニのレジ袋廃止
D 大臣車をハイブリッド車に変更ぐらい
環境大臣の残像を引きずった、枝葉のアイディアばかり。
防衛大臣としてのビジョンもなく、能力もない。
そして、すでに(1)が的中してしまった。
「防衛省のエンペラー」と呼ばれた守屋武昌事務次官の後任人事で、
防衛省の人事ルールを破って、
「省」に「庁」(警察庁)から呼ぶ人事を守屋氏に無断でおこなった。
小池大臣が守屋氏にケータイをかけたが、
連絡がとれず、翌朝の新聞で、
守屋氏は小池人事を知り、怒り狂ったと言われている。
大事な話を面談できちんと行うのではなく、
ケータイで済ましてしまう。
まさしく軽~いディレクターらTV界の日常風景だ。
米国の講演会では、
ライス国務長官を引き合いに出し、「ライス」にひっかけて、
マダム・スシと呼んでください
と軽口を叩いたそうだけど、
顔がこわばるほど、まったくつまらないエピソードだ。
たぶんライス長官は、
この女性は、なんだ?
といぶかしく思ったに違いない。
だって、ライス長官は、
くだらないバラエティ番組を作る日本のテレビ人間に
ありがちな「あのノリ」を知らないからだ。
このエピソードのくだらなさから見て、
(2)も的中したと言ってもよいだろう。
日ごろから調子のよいことばかり言い、
態度をコロコロ変えることに反省の色もないのは、
省内でも有名な話で、やはり、ここでも、
テレビ人間ぶりを発揮し、その性格を見せている。
(3)ツーショットした人をなぜか下げてしまう。
これは的中したか?
次官候補として小池大臣が立てた西川徹矢官房長。
守屋次官に呼びつけられ詰問を受けた。
面罵されて、体を萎縮させながら、
人事案を見せて、小池大臣と決めたことを白状した。
これで、西川氏の次官の道は閉ざされてしまったと見れば、
(3)も当たったと言えるだろう。
たぶん、西川氏は「世界一小さい新聞」の過去記事を
読まなかったのだろう。
読んでいれば、こんなコケ方はしなかったのに・・・。
やはり小池ジンクスは生きていた。
「小さい」メディアだからと言って、馬鹿にしないでね。
関連記事
「安倍さんの政策はコンビニの棚」
「野中ともよさんが、コケた!」
コメント更新情報
「この自殺に思う」ぷんさん
「少子化大臣と「できちゃった婚」」臣民さん
「虎の災難、誤審の決定的証拠」最強さん
「食べ物を疑えない消費者」ジローさん
「リハビリ清原プールはアイヌ流」寄り道さん他多数
August 23, 2007 10:09 PM | コメント (29) | トラックバック (0)
2007年08月21日
リハビリ清原プールはアイヌ流:
北海道に住む知人が、上京すると、連絡をくれた。
彼と会って話すのはとても楽しみだ。
北の食べ物の美味しさ、自然の雄大さと厳しさ、
それにアイヌの歴史などを教えてくれたのも、彼だった。
彼によると、アイヌ社会には独特の観念があるという。
その一つが「共有」。
共有の概念が支配する社会だから、アイヌ社会は共同社会だった。
北の極寒地で生活してきた民族だから、
当然、命の次に大切な「食物」も共有の対象となっていた。
競争しつつ計算高い社会で生きる私たちには、想像もできない考え方だ。
アイヌが嫌ったのは、
私に余分な食料があるのに、
他の人がひもじい思いをしている
ことだった。
これは嗜好品のタバコやお酒にも通じることで、
一人でたしなむというようなことはしなかった。
かならず、相手と分け合って、
共有することで、共通の喜びを分け合った。

開拓時代、使役に耐えられず逃亡した者や物乞いが、
アイヌの集落にたどり着くと、彼らは食べ物を与え、
もし与えるものがなくなったら、近隣から調達したり、
借りてでも、続く旅に携帯させてあげた。
(写真:アイヌの古老)
しかし、こうしたアイヌの共有観念は、
人間としての誇りや満足に結びつくということだと思うけど、
逆に、彼らはその美徳がわざわいして、
皮肉にも、苦難の歴史をたどらねばならなかった。
考えてみれば、理想の教育、理想の人格は、
このアイヌの「共有」観念を土台に置いているように感じる。
人をいたわる気持ち、相手に配慮する気持ち、
一緒に何かを行うこと、分け隔てなく生活することなど・・・。
アイヌの美徳の原型が今、理想の教育に存在するのなら、
ちょっと皮肉を言えば、
その理想によって、まともに教育をされた子は、
裏切りやだますことがあふれている日本社会に生きる時、
おそらくアイヌ同様に、身ぐるみはがされても、
自分がなぜ悲劇の道をたどるのか、おそらく納得できないだろう。
ところで、久しぶりに、オリックスの清原選手のニュースを
今朝の日刊スポーツ新聞の第6面(野球)で読んだ(写真)。
記事によると、彼はリハビリ用流水プールを
米国から購入、費用2300万円を捻出するために、
愛車のベンツを売り払ったという。
このプール、メジャーの各球団が設置、
有酸素運動で早期の疲労回復や、水流によるマッサージ効果などがあるという。
清原選手は、「チームメートと一緒に使おう」という気持ちで、
球団に寄贈するそうだ。
清原選手に現れたのは、アイヌ流「共有」観念のバージョンかしら。
やはり彼は、野球が一人で成り立たないことを知っている。
August 21, 2007 11:54 PM | コメント (38) | トラックバック (0)
2007年08月20日
食べ物を疑えない消費者:
札幌「石屋製菓」の主力商品に「白い恋人」というのがある。
この一部で11年前から賞味期限改ざんが行われていた。
北海道で起きた食品裏切りでは、最近も、
苫小牧市の食品加工販売会社「ミートホープ」の食肉偽装事件というのもあった。
「石屋製菓」の社長は引責辞任に追い込まれたし、
「ミートホープ」社は倒産してしまった。
消費者は、偽装を許さなかったのだ。
その「許さない度」は、食品偽装事件においては、格別に高い。
――どうしてだろうか。

言うまでもなく消費者は、人間だ。
人間の誕生直後からの状況を考えてみれば、理解できる。
赤ん坊が生まれると、母親から授乳される。
赤ん坊は母親から命の糧となる栄養いっぱいの乳を、
何の疑いもなく
喜んで、おいしそうに飲む。
人間への信頼はこの母親の乳を飲んでスタートする。
無意識の状態で、
母を疑うな。人を疑うな、
と、身をもって教えられる。
そして、実際、人を信じるということを抜きにしては、
社会で生きることは難しい。
たとえば、カフェに入り、冷たいジュースを注文する。
もしそのカフェに不信感を抱いていたら、
カフェに入らないし、注文したジュースを飲めない。
しかし、ジュースに毒が入っていたり、腐っていないか、と
私たちが疑うことはめったになく、
カフェを信じ込んで、提供されたジュースを飲んでしまう。
それは、母親の授乳で信頼をする訓練をしてきたからだと言える。
だから、私たちは、
人を信頼する「クセ」がついている。
信頼を失った会社は、これを逆利用していたわけだ。
この意味で、人間である消費者は、
格別、口に入れるものに不正行為があった場合には、
たぶん本能的に怒り、その行為を許せないに違いない。
August 20, 2007 03:40 PM | コメント (33) | トラックバック (0)
2007年08月18日
虎の災難、誤審の決定的証拠:
17日の阪神・中日戦でまた井野審判が誤審をした。
1-3の八回裏。
川上に3安打、金本のソロによる1点に抑えられていた阪神が
猛虎と化して、反撃を開始した。
ストライクが入らずよたつく岡本を攻めて
1安打2四球で無死満塁の場面。
交代した高橋から、鳥谷が放った一打は、二塁荒木へのゴロで、
荒木は、二塁ベースに入った井端へのグラブトスに失敗、
慌てて再度トスをした。
その直後、二塁・井野塁審は「アウト」と判定した。
もう誰が見ても、一塁走者の藤原の足が二塁ベースを踏んでいるのに・・・・・・。
岡田監督は激怒してベンチを飛び出し、抗議、果ては退場となった。
右写真は、誤審の決定的瞬間を捉えている。
藤原の足がまさにベースにつこうとしており、
井端の足が遅れていることが明らかだ。
1000%、岡田監督の目は正しかった。
1000%、井野塁審は間違っていた。
男やったら、人に言われる前に自分から去るもんや。
何べん迷惑をかけたら、やめる気ィや。
ええ加減、認めろよ、間違いを。
これじゃ、あかん、いくらなんでも。
動体視力があかんのでは、使いものにならへんわ。
居直るな。
もっと誤審の怖さを自分で感じなあかん。
もう理由も何も、誰が見ても誤審だす。
コレ、医者やったら、患者死んではるでえ。
……と、虎ファンの声が聞こえてくる。
これだけ誤審を重ねる井野審判は、
審判という仕事からそろそろ身を引くことを考えるように、
「世界一」は勧めるという大きなお世話をしておく。
August 18, 2007 01:30 PM | コメント (70) | トラックバック (0)
2007年08月16日
横綱は内、朝青龍は外:
まだまだ出口の見えない朝青龍問題をウォッチしていて、「なるほど日本人って相変わらず均質性が好きなのね」と感心してしまう。
17年ほど前に面白い「日本人論」を発表した社会学者がいる。間庭充幸さんといい、現在は確か大谷大学で教鞭をとっておられるはずだ。間庭さんが著書「日本的集団の社会学――包摂と排斥の構造」で仮説としているのは、
日本人の集団には「包摂」(ほうせつ)と「排斥」(はいせき)の構造がある
というもので、ここで「包摂」というのは、「一般に集団が人間を集団の規範になびかせて同質化し、集団内部に取り込もうとすること」で、また「排斥」というのは、「一般には集団が人を異質化して外部に退けたり、集団内にいさせても、差別化して象徴的に排斥すること」を意味するそうだ。
考えてみると、家、会社、学校、官庁といった組織の存在する日本の社会では、同質のもの同士の同調性がとても強く、またそれを求められるので、自分だけが異端視されて疎外される存在になるのを極端に恐れることになり、また恐れたあまりの反応が異端的に目立ってしまいがちだ。
異端者は、組織の内で孤立し、何もできなくなり、疎外感と無気力感にさいなまれる。逆に組織は、異端者を締め出すことで、みずからの同調性を強くし、包摂力を強めていく。
「包摂」も「排斥」もどちらも組織にいる人間(小さい組織を含む)に対して行われ、組織自体は、これを行うことに反省を生じない。組織は、さまざまなアプローチを変えて、その組織に所属する人間(あるいは小さな集団)に対して、「包摂」と「排斥」を巧みに繰り返し、共同体としての力を育て、強めていく。
間庭さんの考え方をシンプルにすると、こんな風な説明になると思うけど、もしかすると、これは、そっくり今の相撲界に当てはまる考え方じゃないのか。朝青龍が、サッカー仮病事件を起こし、その責任の取り方として、日本相撲協会から課せられた罰を粛々(しゅくしゅく)と果たしていれば、今のような膠着した形とはならなかった。
粛々として果たす力士は、相撲界の集団意識や規範に同調する・してもよいと考える力士である。しかし、それに不満を覚えた朝青龍さんは、課された謹慎が、いつしか「籠城」へと移っていき、集団規範に異議をとなえる異端者だという構図になってしまった。
今回の朝青龍さんが起こした事件は、偶発的なものだと思われているようだけど、私は、どうも「必然」ではないかと思う。「必然」が言い過ぎだとしたら、相撲界が作った、一つの流れだと思う。
どんな流れかというと、相撲協会がすでに「求心力を無くし、ばらばら状態になりつつある」時に、異端児朝青龍の仮病疑惑事件が起きたということだ。現在、異端横綱に対して、相撲協会は「包摂」と「排斥」を繰り返しており、おそらく、最終的には朝青龍さんは横綱をやめざるを得なくなるだろう。
そして、彼が横綱をやめることで、非常に日本的な組織である相撲協会は、少しばかり内部統制力を高め、組織の命を存続させていくことだろう。私は、過去幾度も繰り返された、日本で典型的に見られる組織の強化のための悪用の一例として、今回の朝青龍問題を理解してみたい。
こんな風に考えてくると、横綱朝青龍さんに日本的組織の代表のような相撲協会を理解させること自体、もともと無理であり、問題を彼自身で解決できるとも思えない。モンゴルの乾いた空気になじんだ横綱にとって、この湿気が皮膚にまといつく日本で下す判断は「排斥」への道に近づいているに違いない。
August 16, 2007 11:14 PM | コメント (38) | トラックバック (0)
2007年08月15日
少子化大臣と「できちゃった婚」:
終戦記念日の今日の午後、
高市早苗大臣は東京・九段の靖国神社に参拝した。
「公務」を理由に、今年は参拝しないと表明していたのに、
首尾一貫性
筋を通すこと
を、貫いた形だ。
繰り返して言うが、13日の記事にもあるように、
私は靖国参拝の是非に触れているわけではない。
靖国神社参拝の是非の議論にはいろいろあってかまわないし、
また法に触れない限り、どのような行動があってもいいと思う。
しかし、日ごろから靖国参拝を是と見る者が、
突然変節して非の態度を示すことは、やはり問題があるのじゃないか。
この「一貫性」の意味だけを考えてみると、
「世界一小さい新聞」は、高市大臣の靖国参拝を支持したいと思う。
今の世の中、不倫をすれば、
たいてい土壇場で、男が逃げる。
一方「できちゃった婚」では、女性が男を押し切らねばならない。
クレイマーはたいてい、パパではなく、主婦ママ。
しばしば女性は、逃げられないところに
自分を追い込んで、ことを動かしがちだ。
一種の「背水の陣」と言える。
その最たるものが、
できちゃった婚
「できちゃった婚」後の離婚率の高さも、
結局、男が逃げて、ずるく振舞うところにある。
男は「できちゃった婚」になだれ込ませるようなことを
女性にしなければよいのだ。
それは、女性も認めざるを得ないだろう。
その方が、逆に男が魅力的に見えるものだ。
状況をみて、どちらにも転ぶ男性って、
自分で行動を決められないと言っているようなものだから、
女性の目から見ると、ほんとつまらないよね~
という声が聞こえて来そうだ。
首尾一貫した、「気骨」ある男性はどこへ消えたのだろう。
去年の今日の記事
「予言されちゃってた日本の敗戦」
August 15, 2007 11:29 PM | コメント (14) | トラックバック (0)
2007年08月14日
今風原爆マンガのヒット:
クリスマスが近づくと、ディケンズの「クリスマス・カロル」を読むように、
8月になると、原民喜の「夏の花」を読み返す。
広島の短編作家・原民喜は、被爆1年後、この作品で、
被爆体験を描き切ったが、掲載予定の「近代文学」創刊号は、
GHQの検閲を恐れたので、しばらく実現しなかった。
ネットでダウンロードできるから、ぜひ読んでほしい一編だ。
今日、ある編集者さんが、
「夕凪の街 桜の国」(こうの史代)
という、100ページほどの漫画単行本と、
それを原作にした映画のチケットを送ってきてくれた。
短編が三作収められ、最後の短編だけ書き下ろし、
他は双葉社の漫画アクションで掲載されたものだ。
この漫画家は女性と男性の二種のキャラクターしか描けないらしく、
どうもページ送りに混乱を強いられてしまう。
誰が誰かわからなくなってくる。
また西岸良平氏の女性版といった筆致はほのぼの調のため、
被爆の悲惨さや被爆者の被爆後の悲惨さなどが、
和らげられてしまっているのが、
よいのか、悪いのか、不思議な感覚になる。
情感は読者、とりわけ若い読者につたわるらしく、
書評も好意的で、それはそれで共感があって好ましい。
漫画らしく、いろいろ読者の知らないところでの拝借があり、
たとえば、一話目の主人公「皆実」という女性の名前は、
南区の「皆実町」から拝借されているようだ。
タイトルの「夕凪の街 桜の国」も、
広島の小説家・故大田洋子氏の「夕凪の街と人」と「桜の国」を
明らかに借用しているのだろう。
広島の被爆には事実の集積と証言がまずあって、
そのリアリティの上に、漫画でのデフォルメが
含みをもたせて進行して行っていると
私は、本作品を理解しようと試みたものの、
肝心のリアリティが描けていないのでは、
ちょっとつらかった。
しかし、今の若い読者にとっては、
それが重くもなく、しんどくもない作品になり、
すこしでもヒロシマの物語に触れるよい機会ということになれば、
それはそれで価値ある作品といえるかもしれない。
ただ、私はこの、広島生まれ、広島育ちの作家の作品のヒットにより、逆に、
ヒロシマが明白に風化しているなあ
と確信を持つことができた。
そう言えば、巻末の参考文献に、意識してかしないのか、
原民喜氏の「夏の花」を欠いていたことが印象的だった。
作者が忘れるとはちょっと考えにくいし、
あえて載せないのでは逃げているし、
忘れたのなら、ちょっとさびしい。
時間を見つけて、映画の方も観てみたいと思っている。
コメント更新情報
「アコギなNHKでございます」他
August 14, 2007 11:55 PM | コメント (14) | トラックバック (0)
2007年08月13日
えッ?行かないの?安倍さん:
東京の病院を退職された精神科医から、
最近、こんな興味深いお話を聞かせてもらった。
20年以上前のことらしい。
当時、先生の息子さんは中学生で、
ある日自宅に、友だちが5人ほど遊びにきていた。
たまたまと東京都知事選だったので、
先生は、中学生相手に選挙の話題を振ってみた。
各候補の公約や主張が載っている選挙公報を見せて、
君らだったら、誰に投票する?
と、聞いた。
いわゆる泡沫候補の顔ぶれもあった。。
たぶん、鈴木俊一さんが圧勝した頃だろう。
中学生たちは、しばらく公報資料をそれぞれ真剣な顔で読んでいた。
彼らの答えは、先生の予想を裏切り、かなり驚いたものだった。
ほんとうに、この人なの?
みんなで相談したのかい?
彼らは「してませーん」と答えたものの、全員一致で、
赤尾敏
赤尾敏さんと言えば、戦前左翼から右翼に転向。
戦後は、徹底して世の中の矛盾を糾弾し、
狂信的といえるほど筋の通った演説を繰り返してきた政治家だ。
右翼でありながらも、天皇の戦争責任があると主張する、
親米・親韓でもあった。
赤尾敏さんのイデオロギーについては、十分な知識もないし、
理解もできていない未熟な中学生なのに、
選挙公報の赤尾さんの主張を読んでみると、他の候補のウソっぽい主張に比べ、
この「憂国のドン・キホーテ」に圧倒的に強い「首尾一貫性」を感じたのでは、
と先生は分析される。
実際、先生の「なぜ赤尾さんなの?」という質問に、
中学生たちは口々にこう答えている。
だって、このおじいちゃんが言うとおりだもん!
この感想は、今もとても大事だと思う。

今年8月15日の靖国参拝をどうするかについて、
マスコミは、安倍内閣の安倍さんをはじめ、全閣僚が見送りすると報じた。
参拝閣僚ゼロは、異例中の異例のことだという。
しかし、安倍さんは、もともと首相参拝を強力に主張してきた人のはず。
今までの主張は、一体、どこへ消えてしまったのだろう。
毎年この日に参拝してきた高市早苗さんも、少子化担当相として、
公務があるから、と参拝しない。
私は、首相や閣僚の靖国参拝の是非を問うているのではない。
あの頃の中学生だった今の大人がこれを聞いたら、
安倍さんのこの「首尾一貫性のなさ」に失望しないのだろうか。
(写真:靖国神社)
関連記事
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「封印された安倍さんの史観」
「慰安婦問題、7人目の謝罪」
「安倍首相の慙愧(ざんき)」
August 13, 2007 07:43 PM | コメント (20) | トラックバック (0)
2007年08月12日
お父さん、お魚っておいしいね!:
知人のTクンから久しぶりに電話をもらった。
彼は、海釣りが楽しくって仕方がないようだ。
――いいところへ、電話をくれたよ。
話を聞かせてね。なんなのよ、海釣りのきっかけって。
釣り人 事務職だろ。部屋に閉じこもっている時間が長くて、
ちょっと体調を崩したんだ。
そこで医者に相談したら、屋外スポーツでも始めたらって。
でも、一人じゃねえ。そこで景色を楽しめた上、
家族で一緒にやれるものって、ことで・・・。
――釣りね。以前、川や池の鮒釣りをしてるって話していたじゃない?
釣り人 うん、川や池はあったけど、海は行ってなかった。
最初は、投げ釣りだった。
海釣りの魅力は、大自然と向き合っているという爽やかさと・・・
釣りを楽しんだ上に、魚をいただくなんて、
ちょっと欲張りなんだけど、この味を知っちゃうと、
もう、スーパーの魚なんかウソっぽいよ。
魚ぎらいの子供が、美味しいってトリコだよ。
――川魚も食べられないことはないけど、あまり食べないよね。
釣り人 海の魚はさ、釣った後、
すぐに調理すると造りもよし、焼いてもよし、煮てもよしで、
とにかく新鮮でうまい、もう絶対にうまいから。
(写真:日刊スポーツ紙レジャー面)
――釣りてどんなのがあるのか、教えてくれる?
釣り人 波止釣り、投げ釣り、船釣り、磯釣りくらいにわけられる。
それぞれで季節で狙う獲物が違うんだ。
全部説明すると途方もないから、
ボクがまず始めた「投げ釣り」について説明しよう。
――「投げ」っていうから遠くへ仕掛けを投げるわけね?
釣り人 そうなんだ。波止、砂浜、岩場など、
岸から仕掛けを遠くに投げて釣る、釣り方だね。
1年を通して、狙うものがあるけど、
春、秋のカレイ釣り、今だと夏のキス釣りが最も人気がある。
――「彼とキス」ね(笑)。
釣り人 二つの釣りは、対照的でね。
「キスは足で釣れ、カレイは腰で釣れ」と言われる。
キスは、1本の竿を持ちながら、砂浜をポイント移動し、
長い仕掛けで、つまり5本針、仕掛けを海底でゆっくりと引き、釣る。
ブルブルッと手元に当たりを感じても、
大きくあわせず追い食いを待って、
1投で数匹を釣り上げるんだ。
――どれぐらい飛ばすの?
釣り人 仕掛けを飛ばす距離?
――うん。
釣り人 そうだな、時には、100mを越えるよ。
当たりが遠のくと、次々とポイント移動するのが、
この釣りの大事なところで、
これが「足で釣れ」と言うことになるんだ。

――「カレイは腰で釣れ」は?
釣り人 カレイはね、3本ほどの竿を竿受けにかけて、
遠投、近投、中くらいにわけて投げわけて、
カレイの当たりをじっと待つ。
「動のキス、静のカレイ」と表現したらいいかな?
魚は一般にそうだけど、カレイという魚だって、
餌を目の前におかれても、喰う地合というものが、あって、
潮の流れや時間帯で釣果が大きく変わるんだ。
(写真:Tクンの釣ったヒラメ)
――どんな風に?
釣り人 基本的に朝まづめ、夕まづめといって、
日の出前、日没前がいいんだ。
砂浜の投げ釣りでも、違うよ。
キスは、シロギスが対象魚。
――アオギスは?
釣り人 だめだめ、今は幻だよ。
カレイは、関西ならイシカレイかマコカレイだな。
シロギスは、25センチオーバーなら大物、
カレイなら40センチオーバーが大物といっていいと思う。
どちらも、造り、天ぷら、唐揚げ、煮物、焼き物・・・
なんでもオッケー。
――いいなあ。それじゃ、すし屋になんか行ってられないじゃないか。
釣り人 ボクの場合、釣った魚は、
すべて美味しくいただかせてもらってます、へへへ。
実は、それが、魚への供養だと思っているよ。
――費用のこともちょっと気になるんだけど。
釣り人 投げ釣りにかかる費用だけど、
いい竿だと2万くらいかな。
リールが専用のものだと1万円、
おもり、仕掛けに2,3千円。
えさ代が、キスだと青虫かイシゴカイで2千円もあれば。
カレイは、マムシ、イワムシでこれは高くて5千円くらいか。
3本、竿を出すから、カレイの方がお金はかかるんだよ。
最近は、瀬戸内周辺では、キスは何とか釣れるけど、
カレイは激減している。
――へえ、どーして?
釣り人 「底引き網漁」のせいだと思うよ。
だから、岸からでなく、
ゴムボートや船外機付きのボートで短いボートロッドで釣るのが人気なの。
そうそう、友人のボートで釣りに行った時だったかな、
エンジンが火を噴いて、明石海峡をさまよったり、
日本海でゴムボートで繰り出して、急に風が出てきて、
ポイントまで10分で来たのに、
帰りは、2時間ほどボートこぎっぱなしってのがあって、
まいっちゃった。
――けっこうやばいこともあるのね。
釣り人 ゴムボートは、木の葉みたいなものなので
風に弱いんだ。
あの時は焦ったなあ、韓国まで流されるかって(笑)。

――最近は体力落ちて、ボートの代わりに船を
仕立ててるって言ってたね。
釣り人 うん。ヒラメ、アコウ釣りに興じてまーす。
電動リールで楽ちん、楽ちん。
生きたイワシを餌に釣るので獲物も大きくてね、最高っす。
高級魚ばっかりだから、充実してる。
1回の船代が、一人1万5千円もかかってしまうけど。
(写真:Tクンの友人が獲ったアコウ)
――ふーん、けっこうかかるのね。
釣り人 どんな趣味でも費用はピンキリでね、
どっかで折り合うようにしているよ。
大きな海が相手で、おいしい空気を吸って、
美味の魚とくれば、子供なんか家に帰りたがらないほど。
実は、海と接することで、
自然の怖さや危険、自然災害を含めて、
父親って頼れるなあ~と意識させられて、
ボクとしては、ちょっとご機嫌だね。
Tさんご一家の絆を深める絶好の機会がこの夏休みというわけだ。
・・・・・・・
去年の今日の記事
「この3点セット、取り扱い注意!」
コメント更新
「アコギなNHKでございます」ハヤブサさん
「内閣無能力時代がやってきた」StrayCatさん
「江原啓之の霊能後出しジャンケン」通りすがりさん
「真夏の可愛いクソガキさま」ジョニオさん
「小沢行動の勝ち」孤愁庵人さん
「「雅子妃」訳書は駄本か?」暇人さん
August 12, 2007 10:25 PM | コメント (13) | トラックバック (0)
2007年08月10日
ガキは黙って食べなさい!:
各紙は、ちょっとビックリするほどマジメに、
ニュース扱いにしているので、
また不謹慎だと言われちゃうかも知れないけど、
正直なところ、私は、
笑えるニュース
だと思った。
小学校給食で「うなぎの蒲焼」と「トンカツ」の注文数を間違えた
担任教諭が、児童に口止め料100円を渡して
とがめられたというあのニュースだ。
そう、うなぎの蒲焼とトンカツ問題。

7月13日、「事件」は、三重県津市の市立小学校で起きた。
この日、そのガッコでは、特別給食の日。
特別給食は年に2回あって、
うなぎの蒲焼かトンカツ
のどちらかを選べる。
前もって担任教諭がクラス全員の希望を聞き、
担任は自分の分も含めて、
うなぎの蒲焼 9人
トンカツ 24人
トンカツがダントツ人気。
で、この注文を出したつもりが、逆に間違えて
うなぎの蒲焼 24人
トンカツ 9人
と注文を給食室に報告した。
当日、間違えたままで配膳されてしまった。
希望しない「うなぎの蒲焼」を食べた生徒もいた一方、
食べなかった7名もいたという。
給食の目的の一つに、児童の「偏食」をなくす指導的な意味があるから、
私なら、一喝して、
おい、今日は特別、
「うなぎ」と「トンカツ」のミックス・デイ。
略して、「うなカツ」の新メニューだ!
がたがた言ってないで、食え!
と、言って、学級一同で分け合って食べさせ、
この騒動を終わらせてしまう。
この日からわずか三日後の16日に新潟地震が発生、
食事どころか、水さえ手に入れることが難しい状況が生じている。
「うなぎ」か「トンカツ」か、注文を間違えたとしても、
それだけのことで命に別状はない。
教室内の教諭の権限で処理できた問題だ。
ところが、この教諭は、「トンカツ」を食べそびれた児童を
放課後に呼んで、100円ずつを手渡した。
「口止め料」もしくは「ごめんね料」と受け取れる。
帰宅後、いきさつを保護者にしゃべった児童がいて、「事件」が発覚。
わざわざ当日と翌7月14日に、教頭と教諭が、
全児童の自宅
をまわって謝罪、さらに翌週保護者会を開き、再度謝罪したという。
お金を渡すことが不適切、と市教育委員会は指摘。
この教諭は、精神的に落ち込み、
体調を崩して学校を休んでいるという。
どうしてこんなに大きな問題にしていくのか。
1 たかだか注文を間違えたぐらいのことで、この事件を隠蔽しなければ
ならない教諭が置かれている職場環境。
2 教育委員会が指摘したように、「口止め料」を渡した。
3 教諭が「権限」で「一喝」。児童に給食教育ができなかった。
4 「うなぎの蒲焼」を要らないと言って、食べなかったガキがいた。
5 全児童宅に謝罪で回り、さらに保護者会で再度謝罪した。
6 この程度の事件で、精神的に落ち込み体調を崩す教諭がいる。
7 一般紙を含め大げさにニュース扱いをしている。
ポイントはこれぐらいだろうか。
注文間違いぐらいで、ギャーギャー、ピイーピイー、
うるさく騒ぎ立て、混乱する教室の光景は想像できるけど、
うるせえ、食事も取れない戦地の難民もいるんだ!
あれこれ、ゼイタク言わず、
ガキは黙って、食え!
もはや、今の小学校はこうした正当な指導ができないほど、
窮屈なものになっているとしたら、
その環境に浸っている子供たちは、たぶん、将来軟弱なままだろう。
関連記事
「真夏の可愛いクソガキさま」
August 10, 2007 10:42 PM | コメント (45) | トラックバック (0)
2007年08月09日
自殺を黙認した弁護士:
昨日の記事「自殺に思う」に続いて、心の「もやもや」を考えてみた。
保険金目的で妻を殺したとして逮捕された容疑者(58)が、
首吊り自殺をして、自分の弁護士宛てに「私は潔白だ」と
無罪を主張する遺書を残した。
「私は潔白だ」と宣言しても、実際に「潔白」にならないのは明らか。
しかし、自殺という命を賭して遺書で訴えると、
かなり「潔白」であると受け取る人が出てくるだろう。
もし容疑者が潔白ではなく、実際には容疑どおりであり、
重罪者の烙印を押され耐えられず生きることができない場合、
あえて潔白芝居に自殺を使ってみることは効果的だ。
しかし、死ねば容疑者本人の意識はなくなるわけだから、
死後のことを彼は理解できない。
ただ人は、自分が想像もつかない死後のことに
生きているうちからヤキモキするわけだから、
死後のためにウソの準備をしたと考えることは可能だろう。
推理作家の松本清張氏に「二階」という短編の佳品があった。
昔読んだ小説なので、これも細部の記憶はあいまいだけど、
骨子は次のような話だった。
ある夫婦が主人公。
自宅の二階で夫が療養している。
夫の身の回りを世話してくれ家政婦が同居している。
その家政婦は実は夫の愛人。
妻は、二階での夫と愛人にやきもきする。
二階への階段を上がっていけないからだ。
妻は、ある日、夫と家政婦の情死体を発見する。
遺書が残っており、
病気への絶望とかなわぬ愛が理由で心中をしたらしい。
この二人の姿を目撃した妻が考えた復讐がどんでん返しの結末だ。
妻は夫が残した遺書を破り捨て、自分も別の遺書を書き残して自殺する。
病気の夫を愛するあまり、私も一緒に自殺をします。
そして、家政婦さんも孤独な人で、
私たち夫婦に同情して一緒に死んでくれました。
そんな風な「話のすり替え」シナリオの遺書が残された。
死んでまで、口さがない世間を気にしていた例である。
人の心理は複雑だから、心は闇の中と言えそうだ。
実際、今回の妻殺しで逮捕された容疑者は、
白か黒かなど、もはやわからない。
自分自身で解明の道を切断してしまったところもあり、
容疑者が生きている時と死んだ後とでは、
真実に迫ることに大きな差が生じるのは疑いない。
遺書を残した自殺で「潔白」を主張した点で、
私の胸が「もやもや」を生じさせたのだろう。
投稿者のrikaさんがコメントで、
「とてつもない孤独と無気力感に襲われそうな気がします」
「すべては闇の中ですが」
という表現を使っておられるのは、
「二階」という短編で読者が感じる、心の闇や
孤独さに似ているのではないか、と私はふと思った。
もう一つ、考えたことは・・・。
担当の弁護士は次の理由で容疑者の自殺を報告しなかった。
死ぬ、死なないは人間の究極の尊厳。
本人意思を尊重した。
「人間」という言葉に注目してみたい。
なぜ弁護士は「人」とは表現していないのか。
「人間」と「人」との違いは、前者が社会的なものを抜きにして、
後者は社会的なものを含んだ存在だ、と理解できる。
でも、私たちって、「社会」と無縁ではないから、
倫理的な諸問題を考える場合でも、
かならず、社会の中に生きる人として考えねばならないだろう。
多くの読者は、「弁護士として」「社会に生きる人として」
「裁判を受ける権利をもった被疑者として」という
社会を根拠にして論じている点に注意してみたい。
ところが、弁護士は、
社会的なものを抜きに、抽象した人間を抽出して、
いわば、イデオロギーや理想を述べている。
私の胸に生じた「もやもや」はこんな風にまとめられるかも知れない。
社会の現実にそぐわないイデオロギーや理想を振りかざしているだけだ。
しかし人間はあくまで社会的であり、
社会の現実にある規範に従うべきであると、
考えれば、弁護士の自殺肯定論は、
まったく「社会的」には解決されない画餅的な宣言に過ぎない
と言えるだろう。
むしろ、法制度、人間関係、社会への影響、さまざまな社会的なものを
遮断した点に、担当弁護士の「反社会性」があると、指摘できると思う。
投稿者のジローさんから、
もし容疑者が”どうせ有罪だから自殺します”という意思を持っていたら、
それは弁護士にとっては”あなたはバカで無能です”と
言われている事だと思うのですが。
というコメントがあったけど、強烈な皮肉に聞こえてくる。
私が感じた「もやもや」の正体がようやくわかったように思う。
セミの鳴き声が一層暑さに拍車をかける時期に、
重い議論を展開させて恐縮ですが、
容疑者の自殺は。ある意味、ゾ~と寒気を感じます。
去年の今日の記事
「義務を超えた「善の味」」
August 9, 2007 10:42 PM | コメント (11) | トラックバック (0)
2007年08月08日
この自殺に思う:
栃木県さくら市で殺人事件が起きた。
保険金目的で妻を殺害したとして逮捕された夫の容疑者(58)が、
警察署の面会所でひもを首にかけた自殺体で見つかった。
死亡推定時刻は6日午後8時半ごろ、死因は窒息死。
担当の弁護士が接見した後、しばらくして容疑者は自殺したという。
弁護士は、すでに6月の段階で、容疑者の自殺の意思を把握していたそうで、
死ぬ、死なないは人間の究極の尊厳。
本人意思を尊重した
という理由で、県警には伝えなかった。
弁護士によれば、逮捕一週間後の接見で、
容疑者は、遺書は留置所の畳下に隠しておく、と示唆した。
看守に見つかると没収されるからで、
自殺後、遺書のありかが弁護士によって県警に報告された。
遺書は弁護士に宛てており、「潔白だ」と書かれてあったという。
警察は自殺で事件解明に支障をきたすことと、
人命にかかわることで知らせてもらいたかったが、
弁護士が依頼人の自殺意思を知りながら、
警察へ知らせなかった。
弁護士のいう「自殺は人間の究極の尊厳」「本人意思の尊重」の
二つの理由を聞いてもなお、
私の胸の内に、腑に落ちないモヤモヤしたものが残る。
これは道理が通っているのか。
やっぱりおさまり悪い話だよな~。
だから一日中、私は、ぶつぶつ言っている。
確かに死ぬか死なないかは究極の選択であり、
人間の尊厳にかかわることだ。
またこの選択にまさる本人意思は存在しないだろうし、
その意思は尊重してしかるべきなんだけど・・・。
ぶつぶつ。
容疑者が究極の選択で、自分が無実であると訴えても、
本当に無実であると人々が信じるのかどうかを
私は自問しているわけではない。
また取り調べ中の警察に更なる迷惑がかかり、
事件の解明がある部分不可能になったり、支障をきたすことを
私は考えたいのではない。
ぶつぶつ。
たとえばある倫理問題を考える時に、
直観で受け入れがたいかどうか感じて、
その後、なぜ受け入れがたいか、自分の直観で問うてみる。
実際にこれをやってみると、
弁護士の正当性は、一応通っているように見えなくもないのに、
それなのに、
どうもしっくり来ないよなあ。
人道的にどうもなんか具合が悪いなあ。
今もぶつぶつ言っているが、こうした感情をぬぐいきれない。
ねえ、そう感じません?(次号続く)
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August 8, 2007 10:24 PM | コメント (23) | トラックバック (0)
2007年08月06日
横綱、日本のウツは日本で治せ:
母国では、モンゴル大統領の次に偉いと言われる朝青龍。
皇太子も訪問時には、家にご招待できるほどの力がある。
そのためか、今回の問題が起きるまでは、まさに「王様」だった。
その「王様」がこれだけ打たれ弱いとは・・・。
「神経衰弱」という古い病名をもらって、
食欲なく「モンゴルへ帰って病気を治したい」と、
あの強気の横綱が吐くとは思えない弱音ばかりが伝わってくる。
このままでは「ウツ病」に進行して危険だ、
いや、それほど重くはない、などと憶測が憶測を呼ぶ。
誰もが知っている格言がある。
郷に入りては郷に従え
「従え」と命じられたとたんに、朝青龍が「神経衰弱」になったのだから、
それまで常にモンゴル状態、日本の郷に従っていなかったことがばれた。
朝青龍の「神経衰弱との四つ相撲」を見ていて、
私が不思議に思ったのは、
モンゴルの王様妻と子供と一緒になぜ「来日」しなかったのか。
なぜ、今、呼び寄せようとしないか、だ。
(王様は「来日」と言うそうだ。出稼ぎ横綱足りえる表現だ)
さらに、手料理を食べさせて、一日でも早く元気にしたい
「王様」の母堂がコンタクトしてくるニュースが出ないことだ。
さては・・・? またか?
と思っちゃうじゃないか。
しかし、「王様」にとっては、今回の謹慎処分は試練に違いない。
では、モンゴルへ帰って静養するという選択は正しいか。
インドで起きた下痢はインドの薬が一番効く。
イギリスで私は風邪を引いてセキが止まらない経験をしたけど、
インドのことを思い出し、そのとおり、イギリスの薬が一番効いた。
この伝で行くと、朝青龍の日本型「神経衰弱」は日本で治すべきだ。

気分転換に墨田区にある高砂部屋近くに、
ゲル(パオ)と呼ばれる移動式天幕住居を作って、
朝青龍に生活させてあげるのもいいかも知れない。
幸い、錦糸町駅(写真)近くの錦糸公園に敷地を借りればよい。
イベントとしても成功だし・・・。
近くには運河があって、水上バスが運行しているようだから、
舟遊びでストレスを解消。
その程度の外出錦糸町ぐらいはいいのでは?
そして錦糸町界隈のピンクお姉さんたちも、
ゲルまで出張して「王様」をなぐさめてあげれば、
「神経衰弱」が治るかも知れない。
ちょっとモンゴルではできない、
日本の横綱にふさわしい日本独特の治療法だと思う。
ほかに何かアイディア、ありますか?
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August 6, 2007 11:48 PM | コメント (67) | トラックバック (0)
2007年08月05日
国は国民を裏切る:
林野庁が行う「緑のオーナー(分収育林)制度」というのがある。
国有林のスギ、ヒノキの育成に、
1口50万円、または25万円のコースを選び出資、
国有林の樹木の共有者となり、
最短15年の満期を迎えた後で、落札。
伐採、その販売代金を分配する、という一種の投資システムだ。
「緑のオーナー制度」の一般公募は、
昭和59年(1984)から平成10年(1999)までの16年間続けられた。
これが、あっけらかんと、大ゴケしている。
満期を迎えた個人や団体の契約の約1万件のうち、
なんと90%以上が契約時の払い込み金額を下回る「元本割れ」となった。
公募期間中に、個人もしくは団体から、
計約8万6000件の公募によって、約500億円を調達した。
しかし、分配金は半分にも届かない。
また売れない森林も続出して、現金化できない。
林野庁の「国有林へようこそ」サイトに、
「平成18年度 分収育林箇所の分収木販売結果」が掲載されている。
恐ろしいことに、すべての販売が元本割れを起こし、
販売できない森林もかなり出ていることが一目瞭然だ。
このページの冒頭に、注釈として、
(注)1.※印の所在地については、一口25万円の契約箇所です。
という記述がある。
他の所在地については、一口何万円という明示がない。
一口50万円と明示してしまうと、
いかにひどい分配金であるかがわかってしまう。
「緑のオーナー制度」は、林野庁の完全な失敗プロジェクトだ。
一般にこういうものは、出資者の自己責任という名の下で、
相場や経済的原則から免責されがちだが、
「緑のオーナー制度」を作った林野庁はその責任をまぬがれない。
まず、林野庁は、公募当初「金融商品」ではないと判断し、
応募者に対して、
元本割れのリスクの説明をしていなかった
金融関係者のアドバイスを受けず、林野庁が素人判断で、
制度をスタートしたことがわかる。
当時の大蔵省などに聞けば、わかったことなのに、
それを怠ったのは、「縦割り行政」の弊害が出たとも言えよう。
しかし、元本割れリスクの説明がなかったことで、
法的責任へ発展する可能性がでてきていると思う。
「被害者」は集団訴訟の準備をするべきかも知れない。
報道によると、林野庁は、「緑のオーナー」システムを始める時、
年3%の利回りを想定していたそうだ。
しかし、国産木材は輸入木材に押されてしまい、
国産の価格が低迷している、という。
「低迷」という表現は、正確でないと思う。
公募を始めて数年は維持していたが、
その後、ほぼ一貫して、価格は右肩下がりを続けている。
公募以降、ほとんど回復のきざしすらなかったといえる。
(「2.木材価格の推移」を参照)
制度立案段階から通常の経済・金融知識をもっていれば、
輸入自由化が押し寄せて、
価格が下落を続けることは十分に予想できたはず。
また公募の16年間を経ないでも、
途中で公募を中止して、被害の拡大は防げたはずなのに、
それさえしていない。
考えてみれば、公募16年を経て公募を中止したということは、
林野庁は、始めての満期を向かえ、ひどい落札価格で、
販売価格が暴落していたことを見るまで、
気づかなかったとも言える。
あるいは、気づいていても、説得性を持った、
やめる決定的な理由がほしくて、
そのチャンスを待っていたとも言えるだろう。
さらに、いうまでもなく、林野庁は公募を地方自体や団体に広げていた。
林野庁の天下り先とか、頼まれ自治体などが、
出資することで、被害を広げてしまっている。
これは、林野庁の無責任さの拡大以外なにものでもない。
出資者は次のことを教訓としてほしい。
国は国民を裏切る
16年間の壮大な失敗にかかわらず、
公務員はそれでも給与を満額もらえて幸せですね
裏切られた「緑のオーナー」たちの涙声が聞こえてきそうだ。
August 5, 2007 09:40 PM | コメント (13) | トラックバック (0)
2007年08月04日
「雅子妃」訳書は駄本か?:
オーストラリアにベン・ヒルズという男性ジャーナリストがいる。
昨年末、彼が「プリンセス・マサコ」という本を出版した。
題名で察知できるように、皇太子妃雅子さまを題材にしたノンフィクションだ。
ヒルズ氏は、日本語をほとんど理解できないが、
日本人の妻はアメリカンスクール出身で、現在ジャーナリスト。
ヒルズ氏が日本語ができないことは、
「菊と刀」の著者ルース・ベネディクト女史の例をみるまでもなく、
必ずしも致命的な欠点だとは言わない。
けど、やはりできる人に読者の信頼が集まってくる。
この本に対して、すぐに抗議のリアクションをとったのは、
日本の宮内庁と外務省。
宮内庁の侍従長は今年2月1日付で、ヒルズ氏に対して
公開質問状と抗議をかねた文書を発表した。

外務省や宮内庁の抗議の根拠は、この本は、
1 事実誤認が1ページに一個以上あるといえるほど多すぎる
2 確認されないうわさ話を元にした記述が多すぎる
3 象徴天皇制の無理解と曲解
4 天皇のお仕事への無知と無理解
これらが主だったところだ。
日本語版の出版を予定していた講談社が、まず降りた。
理由は、事実誤認に対してヒルズ氏が謝罪に応じなかったためだ。
一応、道理は通っている。
一方ヒルズ氏は、
「日本国民は本の内容を知る権利がある」
「これは日本政府によるあからさまな言論の自由に対する攻撃だ」
と主張して、「検閲だ」と憤然とした。
間違った情報を世界に垂れ流されるのは迷惑なので、
明らかな間違いを直してほしいと要望はできるが、
直さないと主張する権利があるとは、とても思えない。
そんな権利主張は、道理が通らない。
論理の国にいるにもかかわらず、ヒルズ氏は意固地になっている印象がある。
確かに、日本国民は本の内容を知る権利はあるかも知れないが、
明らかに間違った内容の本を知る権利などなくてもよい。
くだらない屁理屈だな。
侍従長のヒルズ氏への要望を読んだけど、
平和主義を標榜する国民の象徴たる天皇が、
あれほど献身的におこなってこられたお仕事とは違った事実を、
検証する気もない、手立てもない外国の読者に提示するのは、
一種の「ペンの暴力」だとさえ思える。
ヒルズ氏は知らないだろうが、天皇は、
みずから裁判所に訴える権限をお持ちではない。
ここに来て、9月上旬にこの本の日本語版がようやく、
東京の出版社で刊行されることになった。
版元は、イデオロギー色の強い出版社で、
翻訳者もまた「死刑廃止論」の運動家である。
版元の代表と翻訳者のイデオロギーはまったく相反していると思えるものの、
それをここで論じたいわけではない。
特に出版を中止する理由はない。
年代の誤りなど単純なミスを直し、
完訳版を出す。
と、版元は述べている。
となると、肝心の本の内容は、日本で翻訳版を出すに値するものか。
私は、まだオリジナルの英語版を読んでいないので、
実際に読んだという、オ
