2007年06月30日
永田町にペルー産コウモリ:
たぶんどこかで亀井静香氏らは勘違いしたまま来てしまったようだ。
あまりに突拍子もないことだし、第一、道理が通らない。
ベルーの元大統領のフジモリ氏が次の参院選挙に、
軟禁中のチリから、突如、出馬することを表明した。
出馬依頼したのは、亀井静香氏の国民新党。
フジモリ氏は、当選したら、
外交と治安
北朝鮮との拉致問題
に取り組みたいとすっかりその気になっている。
フジモリ氏は、二重国籍を有する。
移民の両親がペルーの大使館に彼の出生届けを出し、
日本人の意思表示をしたため、日本国籍を保有した。
しかし、ずっとこの事実は隠されたまま、
彼はペルーの大統領にまで上りつめた。
ペルーでは二重国籍者が大統領になることは禁じられているけど、
彼はウソをついて、法を破ったわけだ。
一方、自身が二重国籍者でありながら、
二重国籍を理由に政敵に弾圧を加えたという事実が残る。
このやり方はもう誰の目にもダブルスタンダードだ。
確かにフジモリ氏の政治の力量は高い。
大統領在任中の実績は、かなり強引なやり方であったにしろ、
一定の評価は可能だろう。
大統領時代に、資金要請目的で来日。
この時、自分はペルー人であると胸を張り、
日本語を話そうとせず、スペイン語で押し通した。
対日本ではペルー人。
対ペルーでは日本のにわかサムライに、
なりすまし、大衆に受けるポピュリスト的術を心得ている。
二重国籍のエピソードから見て、
たぶん、彼は、自分が矛盾をした行動をとっても
痛痒さえ感じないタイプの政治家なのだろう。
こういう人には、同じような思考回路をとる絶対支配者のいる国との
外交を任せたい気持ちもするけど、やはり怖い。
態度のはっきりしない者。
状況次第で有利な方についてしまう者。
世間では、こうした人たちを「コウモリ」にたとえる。
(写真:こちらは役に立つコウモリ)
途中で亡命したり、相手側に立って裏切ったり、
コウモリっぽい態度に出る恐れがあるから、信を置けない。
日本の有権者は、コウモリ男を歯牙(しが)にもかけないでほしい。
・・・・・・・
コメント更新情報
「江原啓之の霊能後出しジャンケン」kobaさん
「ウ・ピンカスーでビールを飲んだ」通行人さん
「あの道の先には何があるの?」ジローさん
「夫婦の熟成度がわかる時」孤愁庵人さん
「ファイヤーになめられた選挙民」五月雨祭さん
「サッカー選手はベンツ禁止だって?」ある麻酔科医さん
「母子愛にブロックされた女社長」Kさん他
June 30, 2007 05:10 PM | コメント (9) | トラックバック (0)
2007年06月28日
アノ下着会社を会社四季報で練習した:
昨日、「使い捨てインナーウエアされた社長」と題して
テン・アローズという女性下着販売会社の社長交代劇を書いた。
今朝の日刊スポーツもこの社長交代劇を報道している。
記事はコレ
議決権のある株式の過半数を保有する創業家側が、
三屋裕子社長を含む7名の取締役のクビを切り、
新社長に、創業者の林宏子前会長(69)の長男勝哉氏(38)、
取締役に、特損という財務処理で退職金8億を受け取った宏子氏を復帰させた。
そして、この「母子二人体制」に3名の社外取締役を加えた
新しい経営陣で再出発するという。
最近は個人投資家がまた増え始めている。
ベビー日刊として思ったのは、
もしこの会社の株式投資を考えたならば、
投資にふさわしいのかどうか、ということだ。
一つのケース・スタディをしてみよう。
まずこの3点から。
どんな会社か
業績予想はどうか
株価はあがるか
テン・アローズは1990年に上場された会社だから、
企業・株価診断をしたい時に、
データブックとして利用できるのが「会社四季報」
小型電話帳みたいなアレだ。
金融ビジネス関連の老舗出版社・東洋経済新報社が
年4回発行する上場企業のデータブックである。
そしてこのデータブックを使いこなすために利用できるのが、
最近同社から出版され、最近売れセンの「『会社四季報』練習帳」。
そこで、担当の編集者Aさんに聞いてみると:
――従来の本とはどこが違いますか。
Aさん まず実践的であるということすね。
従来の本は、数字の解釈に終始することが多いのですが、
この本は、同業種での比較方法や時系列での比較方法を解説し、
とにかく分析の仕方を教えています。
この点が新しいと思います。

――この本を読者はどんな風に使えばいいんですか。
Aさん 練習帳とタイトルについている通り、
会社四季報に関する練習問題が50問以上ついていて、
解説を読んだ後、練習問題を解いていくスタイルです。
解答していく過程で、株を見る眼力が養われますので、
その点が画期的です。
株価でもなく、企業でもなく、株そのものなんです。
――著者はチャート派ですよね?
Aさん はい、チャーチストの著者が解説している
ファンダメンタルズ分析の本なので、
ファンダメンタルズ分析とテクニカル分析を
どう組み合わせて分析しているのかもうかがえます。
つまり、チャートと四季報をどう組み合わせて読むか、
ここに注目しながら読んで欲しいですね。
それじゃ、その「『会社四季報』練習帳」を使って
テン・アローズでちょっと分析練習の真似事をしてみたい。
テン・アローズの1975年創立、
1990年大証2部に上場している。
収益の柱は、レディースインナー卸とギフト卸の二本。
「四季報練習帳」著者によると、企業を読む場合、
常に、企業の変化を意識するというのが基本。
著者はまた、その変化を読むためには、
できれば「四季報」を最低1年分手元におくべきだという。
まるで、受験勉強モード。
「四季報」の記事は実に簡潔に書かれてあるから、
じっくりと読む必要があるけど、
現在発売の夏号まで記事の見出しを拾うと
こんな具合になる。
06年3集 【再出発】
06年4集 【復調】
07年1集 【増益幅縮小】
07年2集 【鈍化】
07年3集 【改善】
見出しから見て、もたついているようにも窺えるが、
再出発というものは概してこういうもので、
その再出発もリストラやコスト削減によるものだから、
売上減に結びついて当然だ。
四季報の前号(07年2集)と今号(07年3集)の比較で、
【財務】状態を見ると、
総資産が、39,134百万円から37,369百万円に減っており、
また利益余剰金が15,735百万円から13,949百万円に減っている。
四季報記事は「子会社株評価特損」と特記しているが、
前々号の記述「林前会長への退職金で特損8億円」と併せて読むと、
利益余剰金を取り崩して、減損特損を一巡させたことが理解できる。
次に設備投資に注目すると、
182百万円から、811百万円に増額されており、
この勢いを見れば、これは生産を海外へ移転させる設備投資、
拡販のための投資とみてよいのではないか。
今後の会社の戦略は、今号の記事で、
今秋インナーで大型の新シリーズ『花シャルレ』投入、
新規顧客開拓進める。ギフトはカタログ事業に資源集中、
関東物流センター閉鎖し和歌山に統合。
と書かれており、無駄の掃除が終わって、再起を期待できそうだ。
『花シャルレ』って、フレンチを意識した会席御膳のようなネーミングね。
しかしインナー、ギフトともに環境は厳しい。
環境の厳しさが、リストラ中の会社を苦境に立たせていたようだ。
営業、投資、財務の状況を客観的に知りたい時は、
キャッシュフロー(CF)を見ろ、と「四季報練習帳」は言っている。
これは、損益計算書ではわからなかった、
現実に会社のお金がどんな風に増減をしたかを
教えてくれる優れモノだそうで、
営業CF、投資CF、財務CFの三種があって、
投資家がもっとも注目すべきなのが、営業CF。
CFは、営業が生んだ利益を投資CFに回し、
その過不足を財務CFで調整するということだそうで、
営業CFがマイナスとなってしまっていると、
本業からキャッシュを生み出せなくなっていると、みなせる。
実際に、「四季報」情報で確認すると、
前々期、前期とつづいてCFがマイナスとなっている。
もしテン・アローズの創業家側が懸念するのならこのあたりか。
しかし、それでも、緊急事態による経営陣刷新理由に
引っ張ってくるには、無理がある。
私がもっとも怖れるのは、
新経営陣が、林勝哉氏と林宏子氏の両名の取締役で構成し、
協力者として一族の税理士と他の二名に
社外取締役をさせるという布陣だ。
さらに監査役を廃止するという。
意思決定を簡素化するためのシステム変えという
もっともらしい名分はついていても、
これでは、何のために、上場したのかわからなくなる。
会社の私物化を目指しているのでは?という不信は取っ払えないと思う。
女性下着販売会社にとって、
息子社長に老母コンビの経営がどんな影響を与えるのか。
クビになった三屋裕子氏は、元々、
魅力的に働く女性像と下着、
というイメージを買われての大抜擢ではなかったのか。
「会社四季報練習帳」が上げている
「株の衰退がわかる7つのシグナル」の1番目に、
①経営トップの交代
経営トップが交代するときは要注意。成長をさらに伸ばすために
経営者を交代させたつもりが、実は力量に疑問符がつくという
事態も起こりえる。
こんな風にちょっと練習帳を試してみると、この株、売りではないか。
投資家は鼻が利く、と言われる。
三屋氏クビのニュースを聞いての投資家の判断は素早かった。
本日の株価、38円安(-4.98%安)の725円。
関連記事
「うさぎの駅前赤字留学」
June 28, 2007 11:43 PM | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年06月27日
母子愛にブロックされた女社長:
神戸にテン・アローズという女性下着販売の会社がある。
大証2部に上場している株式公開企業だ。
この会社が、今日27日、株主総会を開き、
総議決権株の過半数を保有する創業家が、
社長を含む、現取締役7名を全員クビにした。
理由は経営不振。
しかし、経営不振を理由に現経営陣が総退陣に追い込まれるのは
まったく異例の事態だった。
株主総会では、総会開始直後、創業家の林勝哉氏(38)が
議長を務める三屋裕子社長(48)へ不信任動議を提出し、
可決され、その後は、勝哉氏が議長として議事を進行させた。
言ってみれば、三屋社長は、総会で、
インナーウエア姿にされちゃったわけだ。
勝哉氏が社長、勝哉氏の母・宏子氏(69)が中心になって、
3名の社外取締役と新体制を作るという。
三屋裕子さんと言えば、女子バレーボールのロス五輪で
銅メダルを取った元メダリスト。
選手引退後、マスコミで活躍中だった。
2004年6月、テン・アローズの前身「シャルレ」の社長だった
宏子氏が、知名度、経歴、イメージなどを評価して、
三屋さんを後任社長に大抜擢した。
宏子氏が経営から退いた時の退職金はなんと8億円。
その8億円をテン・アローズは特損として計上している。
この額が今のテン・アローズにどれほど負担になったか。
6年3月期の営業利益が7億2千7百万円。
営業利益とは、本業の儲けのみを表わしたものだから、
最重要で、それを越えた退職金だったことになる。
そして、今回の再登板である。
勝哉氏は退陣要求の理由として、
・三屋体制は3年間で売上高を約100億円減らした
・現役員は既存事業の整理、土台づくりはできたが、
明確な成長戦略がない。
・現体制では、抜本的な経営改革の手を打てない。
などを上げている。
創業家側は、三屋さんだけに留任を要請したが、
彼女は「自分も責任をとらないと示しがつかない」ということで、
クビを納得し、争う姿勢も株主総会前から見せていない。
辞めた後に悪いイメージが残ってはまずい、
タレント活動にも影響する、という思惑が、三屋さんにあって当然だ。
しかし、記者会見後の涙は、
イメージ維持の「念押し」と解釈できて、やや白ける。
ところで・・・
創業家が主張する退陣の理由だけど、
まず、売上高の減少を創業家が批判するのは、おかしい。
三屋さんが経営を引き受ける前の7期(7年間)を見てみると、
宏子氏体制では、減少の一途であった。
この減少は販路などの旧態さと、放漫経営による。
だから、宏子氏は三屋さんに経営を任せたわけだ。
ところが、直近3期の売上高の減少は、
時代性であり、またコスト削減などによる、
必然的な売上減少であると言えるだろう。
今減るのは、仕方がない。
現に08年3月期、09年度3月期予想では、
営業利益は20億円近くが見込まれ、一株利益も50円に届きそうだ。
経営建て直しの側面では、創業家は満足すべきだろう。
また配当も30円を継続しており、
予想配当利回りが、3.88%というのだから、
預金者が泣いている今の利息レベルから見れば、
約56%の株を持つという創業家側には満足できるものに違いない。
だったら、なぜ今、退陣なのか。
新経営陣に、かつて経営悪化を招かせた宏子氏の名前が
挙がっていることでもわかるように、
もう一度、経営の舞台に立ちたくなったようだ。
三屋体制がコスト削減やリストラで経営を立て直した後、
自分の描く青写真で、ふたたび脚光を浴びたいと思うのが
人間の自然な心理かも知れない。
自慢の息子と母子愛で、再び栄光を・・・。
勝哉氏は、テン・アローズのグループ会社で、
生活雑貨関連事業を手がけてきた。
舞台のお掃除が完了したので、
愛する息子に、自分が用意した舞台に立たせてあげたい。
そう思うのが、海より深い母ごころというわけか。
経営方針の食い違いなどを退陣の理由などと、
額面どおりにとってはいけない。
新経営陣によって、業績予想が上方修正されるのか、
下方修正されるのか、注目してみたい。
(写真:ブダペストのインナーウエア。本文とは関係がありません)
June 27, 2007 10:27 PM | コメント (7) | トラックバック (0)
2007年06月26日
ファイヤーになめられた選挙民:
ベテラン記者とシンマイ記者の会話:
ベテラン 例のプロレスラー参議員、突然、
一期限りで政界引退しちゃったんだけど。
シンマイ 国会の会期が延長、参院選が7月29日に延期したんですよ。
ベテラン 延期がどーなんだ?
シンマイ 自分の支持者の若者の多くが夏休みを取り、
声が届かない、という理由だそうです。
ベテラン 一応、屁理屈は形作っているけど。
いつものように、記者からは
厳しい批判のヒの字もでないだろうが、
何か聞いているか。
シンマイ プロレス界へ復帰するのが手っ取り早いし、
さらに地方を回って教育の現場にクビを突っ込んで、
6年間の政界で培った経験を伝えたいって
本人はやる気満々っすよ。
ベテラン 東大で学んで研究するって話、小耳に挟んだぞ。
シンマイ 能力があれば、東大でもいいっスけど、
その前に6年予備校じゃないっすか。
ベテラン 政治も片手間仕事で中途半端。
立法の能力を欠く議員が一人でも減ってくれるのは、
正直うれしいね。
シンマイ フリーク議員がこれだけ増える理由は、
やっぱ6年前の参院選で導入された「非拘束名簿」方式ですよね。
ベテラン あれだと、個人名で投票でき、
人気取りのタレントを各党が擁立ってことになっちゃうんだよね。
政治のバラエティ化、希薄化を加速させるシステムが
出来上がってしまった。
しかも一部の当選タレント議員は、
政界に失望を表明してすぐやめてしまったよな。
シンマイ 自民ですが、今度はタレント教育界のアイコン
「ヤンキー先生」が勝負をかけてくる気ですが・・・。
ベテラン 昨日月曜売りの週刊誌が、
プロレスラー議員と国交省のキャリア官僚2名の
性の乱痴気ぶりをスクープしてたけど、見たか。
シンマイ 恥ずかしい写真でしたねえ。
議員にとってまさかの事態になりましたね。
選挙民もずいぶんなめられたもんです。
ベテラン 思い出すなあ、あのノーパンしゃぶしゃぶ事件。
シンマイ まあ、季節柄、バーベキューだったそうですが。
ベテラン バーベキューじゃ、偽ミートコロッケは出なかったのか。
シンマイ コロッケは焼きませんからね。
ベテラン 英国では、ゴードン・ブラウンさんが
ようやく首相になれるんで、ファンとしては、うれしいよ。
シンマイ 4月の記事、読み返しながら、悦に入ってるんでしょ?
だいたいブラウンさんと日本のタレント議員を比較するなんて
あまりにもブラウンさんに失礼が過ぎますけど。
ベテラン まあなんだな、苦しい理由付けにしろ、速攻引退劇に、
場外乱闘なしで、首相も安心だ。
リングの上で学んだテクニックかな?
June 26, 2007 11:43 PM | コメント (15) | トラックバック (0)
2007年06月25日
ペニスの芸術的持ち方:
この記事から続く。
チェコ共和国の首都プラハを流れるヴルタヴァ川の西岸に
小説家カフカの博物館がある。
完成は、2005年。
博物館前の小広場に、ちょっと奇妙なオブジェがあって、
博物館を訪れた観光客はこの像を見て、たいてい、
驚き、笑い、恥ずかしい表情を浮かべつつ、
なんとなく惹かれるものを感じて写真撮影をする。
右写真で見るように、
男性が二人、向かい合って立ち、池の上で小便をしている。
一方の腰が動くたびに、ペニスが上下して、
小便の放物線が異なった形を見せる。
あの難解な短編小説をいくつも成功させた
カフカを記念する博物館前にあるオブジェだから、
当然、この「小便紳士」像を読むのも
一筋縄ではいかないだろうけど、
自分なりに考えてみたい。
このオブジェは何を意味しているのか?
作者はこのオブジェで何が言いたいのか?
ユーチューブで1分半のビデオを見つけたので、
これも参考のために見て欲しい。
観光客の表情も撮られていて興味深い。
考えるべきことは次の6点だろう。
1 この池は何か。
2 二人の男は誰か。
3 なぜ小便をしているのか。
4 ペニスの握り方が通常と違うのはなぜか。
5 二人の男のペニスの上向き度が異なるのはなぜか。
6 このオブジェは、なぜカフカ博物館の前にあるのか。
念のため英語圏にこのオブジェを解釈したサイトがあるかどうかを
調べてみたところ、ほとんど何も情報は得られなかった。
まず私は妻に聞いてみた。
妻はカフカについて不勉強を前提よ、とエクスキューズして、
二人の男は共にカフカを表わしている、と思うわ。
半官半民の勤め先に勤めて、一方で小説を書くように、
どうも二面性を感じる人ね。
排尿が一種の解放感を表わしているとしたら、
小説を書く時の彼の心ののびやかさを
排尿の曲線の違いで表現したのでは?
チェコという国の中で、
カフカはドイツ語をしゃべるチェコ人なわけね。
さらに、ユダヤ人であるわけで、その二重性を二人の男で
表現できている、と思うわ。
池の上に立つ二人の男を共にカフカだと解釈するのは
面白い発想だとは思うけど、残念ながらハズレだろう。
一方、私は、以下の通り。
このオブジェは、カフカが生きた時代を表現している、と思う。
1 この池は何か。
池の形状は「チェコ」の国の形状だ。
2 二人の男は誰か。
カフカは、二重帝国時代を生きたから、
オーストリア(ドイツ系)とハンガリー(マジャール人)。
チェコはこの二つの帝国に支配されていた。
3 なぜ小便をしているのか。
チェコに小便をかけることは、チョコという国、
そこに住むチェコ人を愚弄していることを意味する。
しかも、二人の男はふんぞり返っている。
英語では小便をすることを「piss」と書くが、
「be pissed off」だと、「怒る」という意味になる。
チェコ民は二重帝国に怒りを向けているわけだろう。
4 ペニスの握り方が通常と違うのはなぜか。
私は、何度かドイツ人、チェコ人、マジャール人と
連れ小便の中で検証した。
結果、この像の男たちのようなペニスの握り方を
する人たちに出会わなかった。
二重帝国によってチェコを支配できるのは、
武器によると考えてはどうか。
武器の象徴を剣、たとえばサーバルと考えれば、
二人の男のペニスの握り方は、
剣やサーベルの柄(つか)の握り方と同じになる。
(写真:剣の柄の持ち方に似ている)
5 二人の男のペニスの上向き度が異なるのはなぜか。
私は、カフカが生きた時代のドイツとハンガリーの
帝国の強さの格差をペニスの力強さと
放尿曲線の大きさで作者は表現したかったのでは、
と、推理してみた。
(右写真:ハンガリー帝国を象徴している?)
6 このオブジェは、なぜカフカ博物館の前にあるのか。
1~5までの解釈は、私の推理に過ぎない。
さまざまな解釈を許すカフカの作品にように、
さまざまな解釈を許す作品にしたかったのが、
作者の目的でもあったのだろう。
結局、ある人たちにとっては、解答が難しかしいいものを見る場合、
落ち着きが悪いけど、なぜか面白くもある。
そういう意味において、
皮肉にも、観光客のさまざまな反応、表情を見ると、
この作品は成功していると、言えるだろう。
なお右写真の池を見ると、無数のチェコ・コインが光っている。
ベビー日刊としては、これを「ピスの泉」と名づけたい。
勃起障害の人たちに幸運が訪れるといいね。
June 25, 2007 10:32 PM | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年06月24日
夫婦の熟成度がわかる時:
昨日の朝、チェコのプラハからハンガリーのブダペストへ帰るため、
ホテルを出た。
空港までは約一時間の道のりである。
地下鉄終点デイヴィツカー駅から空港まで119番のローカルバスに乗った。
さすがに、バカンスシーズンなのでバスは少し混んでいた。
バスが動き出して、5分ほど経過した頃だろうか・・・。
私 なんか、ハムの匂いがしないか。
妻 あそこのカップルよ。多分英国人だと思うけど。
私 えっ? バス内は飲食禁止だろ?
妻 すぐ終わるわよ。朝食食べて来なかったんじゃないの?
ホテルだと朝食代、安くないもん。
私 やはり英国人は締めるところは締めるからなあ。
聞こえてくる会話からも英国人夫婦だとわかった。
夫婦は、バスの中で、バゲット1本と、
スーパーで買ってきたショルダーハム2枚を、
即席の朝ごはんにしていたのだ。
飲み物なしで、バゲット1本を半分ずつ分けて、
ハムを挟んで食べている。
ステキなご夫婦ネ。
と、妻が言うので、私がカップルの方を見ると、
たまたま奥さんと目が合い、微笑みを返してきた。
1つのバゲットを分け合う。
ハムもそれぞれ一枚ずつ。
足元の荷物もそれぞれ1個・・・という具合に、
個は平等であると、こちらには映って見える情景でもある。
夫は40代後半ぐらいか、妻もそれぐらい。
二人ともナチュラル志向のようで、妻はまぎれもなくスッピンだ。
旅疲れか、妻が夫に体を預けて目を閉じている。
夫は腕を回して、時々、妻の二の腕あたりをやさしく撫でる。
妻の表情に安心感が広がっている。
この熟年カップルの旅の目的は何なのだろう。
夫婦の関係を今回の旅でも熟成できたのは間違いない。
ハンガリーに来る時、東京からアムステルダムまで
乗った飛行機に日本人の中年女性たちの団体や数組の熟年夫婦を
見かけたが、わがままし放題の喧騒をちょっと思い出して、
つい日本人が忘れたものをこのハムの夫婦に見てしまう。
観光や買い物を目的とする旅も旅だと思うけど、
やはり旅は人間の生活や関係の発見に結びつけてこそ、
意味がある旅になるように思えてくる。
「人生は旅」という表現に納得できる。
空港のターミナルまで、
妻はバスの中で夫に抱かれた安らぎの中で眠っていた。
プラハではもう一組の夫婦が印象に残っている。
「あの道の先には何があるの?」のエントリーで、
プラハにはたくさんの小路がある、と書いた。
そこを歩きまわると、大方の人は足が疲れ、ノドも乾く。
こういう時の旅行者はたいてい、
立ち止まって、とんがり帽子のアイスクリームを買う。
プラハの町には至るところ、
アイスクリーム・スタンドがあって、
とんがりコーンに好きなアイスクリームの玉を入れてもらう。
10種類以上あって1玉いくらの計算だ。
私たちが小路にあるオープン・エアのレストランで
ノドの乾きをいやしていた時のこと。
私たちの席は、アイスクリームスタンドの近くにあった。
アメリカ人の60代の妻が、四人掛けの席に着席した。
やはり60代の夫がアイスクリームを買っている。
ギャルソンがやってきて、その妻に注文を聞く。
妻は、数メートル先の夫を指さして、
今、夫がアイスクリームを買ってくれている。
と、答えた。
つまり、夫と二人で、この席に座って休息をとりながら、
アイスクリームを食べたいのだと言う。
しかし、ギャルソンは、
アイスクリームだけの客はここには座れない、
と答えた。
妻が照れくさそうな顔で笑った後、
夫を呼んで、事情を話すと、夫もまた照れくさそうに笑った。
カフェにいた他のカップルもお互いに顔を見合わせた。
夫 残念だね、座れなくて。
妻 いいのよ。旅行中は倹約しなけりゃ。
二人は、やれやれと肩をちょっとすくめて、
椅子に置いた荷物を夫がもってあげて、店を出て行った。
同じような苦笑、照れ笑い、そして互いのいたわり。
似たもの夫婦とはよく言ったもので、
この夫婦にも関係の熟成度の高さを感じてしまう。
旅は楽しいが、疲れもする。
アイスクリームを食べる10分ほどの間ぐらい、
ちょっと席にすわらせてあげればいいのに、とは思ったが、
それがハウス・ルールであれば、
スタンドの脇にでも、その表示をしておくべきだろう。
年老いた妻を真夏の太陽から守り、
冷たいアイスクリームで一息入れさせてやりたい、
と思うのは、至極当然の愛情だけど、
20代のギャルソンには遠い感覚かも知れない。
むろん彼らにも言い分はあるのだろう。
・・・と、ここまで二組の夫婦をスケッチしてきて、
不意に私の脳裏に浮かんだのは、
歌手のちあきなおみさんと亡き夫・郷英治(日活俳優)さんのこと。
英治さんが亡くなった当時、ちあきさんのあまりの悲嘆ぶりに、
英治さんの兄の宍戸錠さんは、
まるで「一心異体」の夫婦だった。
この先の彼女(ちあきさん)を想うと、
心配でたまらない。
と、語っていた。
その言葉どおり、英治さん亡き後、ちあきなおみさんは芸能界を引退、
以後、まったく人々の前にでなくなってしまった。
活動再開の声を聞かない。
ある作曲家は、ラジオ番組で、
誰が声をかけても、ちあきなおみさんを
ひっぱり出すことはできないだろうね。
と、語っていたことを思い出す。
たぶん彼女だけの世界で関係を熟成しているのだろう。
旅先では、さまざまな国からやってきた夫婦を見ることができる。
買い物アニマル、観光アニマルといった印象ではなく、
いつか日本人カップルにも、独自の夫婦熟成度の高い関係を
見ることができるのだろうか、とつくづく思う。
関連記事
「雛祭りに二組の夫婦」(3月3日)
June 24, 2007 10:37 PM | コメント (18) | トラックバック (0)
2007年06月22日
あの道の先には何があるの?:
シュールな「変身」「城」といった作品を書いた
小説家カフカは、プラハの裕福なユダヤ人家庭に生まれた。
彼は胸をわずらって病死するまでの間、小説に賭け、
まことに奇妙な読後感を与える作品群を書き続けた。
(写真:Kの直筆類)
同じ変身ものとしては「変身」よりも、私は
中島敦の「山月記」の方が気に入っている。
主人公が人食い虎に変身するくだりでは、読むたびに胸が痛む。
非常にイメージが湧いてくる中島の作品に比べ、
カフカの「変身」は私の心に入って来づらい。
でも、折角カフカが生まれたプラハに滞在しているのだから、
カフカについて触れてみたい。
カフカの「城」という作品は学生時代に読んで、
正直言って、もう細かいところは忘れてしまった。
確か主人公がお城に住む伯爵に招待される話だったはず。
主人公は城を訪れようとするのに、なかなかたどりつけず
そのありかがわからない。
なんとも浮遊したようなもどかしい読後感があったと記憶している。
カレル橋を渡ってカフカ博物館(写真)を訪れた。
Kというアルファベットを二つ重ねたオブジェの前に、
カフカ博物館があった。
博物館の前にはこのオブジェ以外に、
長身の男が向かい合って男性性器を互いに露出している、
いわば「小便小僧」のオトナ版のオブジェのイメージ。
写真を載せてもいいけど、ちょっと躊躇している。
建物内部は、カフカの直筆書簡や関係者の写真などが展示されていた。
カフカの小説に似た奇妙な感覚を覚えさせる工夫が
展示する側によっていくつか試みられており、興味深いが、
もともと半官半民の組織に勤めていた作家だから、
展示品は当然おとなしめのものとなっている。
(写真:前列右端、サナトリウムでのK。1921年)
作品「城」で私が感じたものは、
生粋のプラハッ子であるカフカが生まれたこの地に立ってみると
なんとなくしっくりくる。
プラハの旧市街は、通り、小路、裏道、抜け道などがやたら多い。
まがりくねった路が張り巡らされ、間違いなく
観光客は地図を片手に迷わされてしまっているのがよくわかる。
現代は豊富な照明や、観光客相手の識別できる店が多く、
また宗教施設のランドマークなどが目印になるので、
なんとか街を迷わず歩ける。
しかし、カフカが生きていた当時プラハの街はどうだったか。
夜ともなると、このクモの巣状態の路は、
乏しい明かりですっかり迷い路となってしまっていただろう。
(写真:ある抜け道。入れる時は信号は青、
奥から人がやってくると、赤に変わる)
彼が住んだユダヤ人地区の小道などを夕暮れ時に歩くと、
歩けばどこかへ行き着けるし、また
路は路とつながっているにもかかわらず、
このクモの巣小道で、「城」がわからなくなる感覚が理解できる。
ひょっとして、この迷いの感覚こそ、プラハの魅力の一つであり、
知らない街で味える面白さなのかも知れない。
June 22, 2007 07:49 PM | コメント (6) | トラックバック (0)
2007年06月21日
ウ・ピンカスーでビールを飲んだ:
数日前からチェコ共和国のプラハに来ている。
石畳の街は、観光客であふれ、長く続くピーカン状態で
肌はすぐに赤銅化してしまう。
本通りから抜け道(パサージュ)や路地裏まで、
まるでテント村のようなオープン・レストランとカフエがあふれている。
パラソルの下、テーブルを囲んで人々は昼間からビールを飲んでいる。
なんてったってチェコはビールだ。
種類は多いし、味は一流、しかも安いとあっては言うことなし。
いってみれば、水がわりで飲めるわけで、お好みのビールが
ミネラル・ウォータと値段が変わらないくらい。
ただ一等地の旧市街広場前のカフェは、値段が張るだけでなく、
高いプライドと観光客ずれしたギャルソンたちのやや高飛車の態度に
すこしいらつきを覚えるかも知れない。
朝から道路をわたって両手に皿とグラスを持って、
テーブルと厨房を行き来していては、
疲れてそういう態度にでてしまうのかも知れないけど。
時間にあまり余裕のない旅行者が初めて訪れた土地で、
うまい料理にすぐに出会えることはなかなか難しいし、
それを見つけるには、少しばかりの智慧がいる。
ガイドブックで紹介された店に行くのも、一つの方法だろうけど、
しばしば紹介した店の料理を書き手自身が実際食べもしないで
書いていることがある。
やはり、その土地の人に教えてもらうと、
ハズレがないし、手っ取り早い。
たとえば、モーツアルトの、コンサートチケットを買ったとき、
(コンサートなどビール並みにどこででもやっている)
チケットのやりとり以外に、ちょっといい店教えてよ?と聞くと、
チケット売りのリチャード君(写真)は、
「ニードル・ハウス」という店を教えてくれた。
料金はまったくリーゾナブルな上に、味もなかなかのもので、
猪の胸肉グリルは期待した通りで、その夜は安心して楽しめた。
教えてくれた人の人柄がわかると言うものだ。
カフェの年配の給仕が教えてくれたのは、
地下鉄A・B線ムステク駅に近いウ・ピンカスーという店(写真)だ。
創業は1843年というから、かなり老舗。
プラハでピルスナー・ウルケルを初めて客に提供したのが
この店で、今だ創業者の名前を店名に載せているのは、
やはり店への誇りをしっかり残っていると思える。
ビヴニツェ(ビア・ホール)がプラハの人々に愛される理由は、
この店の薄暗い1階を通ることでわかる。
常連客が、くつろいで談笑している。
彼らが座ると、早い速度で給仕がドラフト・ビールを運んできて、
どうやら店側も客側もビールの適温にこだわっているようだ。
その理由は、チェコビールはホップをふんだんに使っているので、
香りとにがみが左右される温度に敏感にならざるを得ないからだ。
(写真:裏庭)
ピルスナー・ウルケルは実においしかった。
生産地のピルゼン地方へは行く機会はないけど、この味を経験すると
豊かな土地であろうことはイメージできる。
次に私が注文したマスターという麦汁18度の黒ビール(写真)は
まるでワインのようにコクがあって、
ちょっと大袈裟に言えば今まで飲んだどのびールよりも美味しいと思った。
ベルギーのビールと双璧と言えるかも。
100年以上の歴史をさかのぼれば、
この店で、ハプルスブルグ家に反対する運動家たちが
毎夜議論を戦わせていたそうだ。
提供される料理のメニューは5種類の肉料理だけ。
19世紀に著名だった2代目オーナー夫人の
オリジナルレシピが、店のメニューに残っている。
私はピンカス・ビーフ・グーラッシュ(写真)をチョイス。
ダンプリングしたポテトが添えてあり、舌ざわりが絶妙だった。
妻がチョイスしたのが、ホームメイドのミート・ローフ(写真)。
あまめのマスタード風味だった。
サイドにカントリー・ポテト・サラダを置いてあり、
刻みピクルス、レモンの皮、ねぎなどが入っており、
甘酸っぱさが口の中にここちよさそうだ。
ミートローフが150グラムあるから、
女性客にはちょっと多いかもしれない。
プラハを訪れた際には、騙されたと思って、
是非に、の一店だ。
June 21, 2007 06:35 PM | コメント (20) | トラックバック (0)
2007年06月18日
働かなくてもお金が欲しい!:
今、ブダペスト市のブダ側で暮らしている。
住まいからスーパーまで行く途中に教会と公園があり、
老人たちがよくチェスを楽しんでいる姿を見かける。
そしてその一角に数面のテニスコートもある。
夏の日差しをいっぱいに浴びて、
働きざかりの人たちが終日テニスをしている。
よく見ると、顔ぶれはいつも決まっていて、
少なくとも、プレーしている数名は大手の銀行員だ。
なぜそれがわかるかというと、
フェンスにその銀行のフラッグがかけてあるからだ。
自国資本の産業がほとんどない国でも、
人々の暮らしに「勝ち組」と「負け組」の差が激しく出ていることは
すぐに理解できる。
「負け組」が、その銀行の消費者金融部門で、
長い列を作っている光景を日常的に見ることができる。
「勝ち組」は、毎日テニスをしたり、
イギリス式のパブレストランに出入りして、
生活をエンジョイしている。
先日、ハンガリー人の友人(女性)にこんな風な質問をしてみた。
あなたなら、次のどれを選択するか。
1.働かなくてお金をもらいたい。
2.働かなくてお金ももらわない。
3.働いてお金をもらいたい。
4.働いても金をもらわない。
彼女は、1を即答した。
その理由を聞いてみると、彼女は、
働かなくて、お金がもらえるんだったら最高です。
と、真顔で答えた。
では、あなたが働かないでもらったお金は、
あなた以外の誰か別の人の労働から生まれたお金ですよね。
私がそう返すと、
でも、私はやはり働かないでお金がもらえたら
うれしいですね。
彼女との会話はそれ以上進みようがなかった。
たぶん、私と彼女とでは労働観が違うのだろう。
彼女の考え方を、旧社会主義のハンガリーという国の
多数の労働観だとは、断定はしたくないが、
しばらくこの国に住んでいて、
労働をかなりネガティブに見る考え方が浸透していることに気づく。
そう言えば、スーパーなどで客に対する態度は
本当にそっけなく、いやいや仕事をしている態度、
投げやりな態度でうんざりする。
労働なんて、お金を儲ける手段に過ぎない。
お金があれば、働かない。
だから、働かないでお金をもらえるのは最高だ、となる。
働くことがこういう理解だと、
彼らの無愛想も投げやりな態度も理解できるかも知れない。
ベラーというアメリカの宗教社会学の学者がいる。
彼は、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と
資本主義の精神」を読みつつ、
似た状況を日本の江戸時代にあることに気づいた。
石田梅巌の心学や近江商人の哲学といった江戸時代の宗教的価値体系が、
プロテスタントたちの倫理性が果たしたように、
一種の経済倫理として機能していることに着眼した。
そしてこの研究は、ベラーの博士論文「徳川時代の宗教」として実った。
この倫理観が日本の産業革命の成功の原動力とされるだけでなく、
現代の企業倫理を考えるときにも役立つ思想であると思う。
とりわけ、企業不祥事の続く中、
企業の社会的責任を検証するときには、
「二重の利を取り、甘き毒を喰ひ、自死すること多かるべし」
「実の商人は、先も立、我も立つことを思うなり」
などという思想が非常に役立つ。
ハンガリーの友人の「働かず金をもらいたい」という
あっけらか~んとした考えでは、
心学の精神にそむくのは言うまでもない。
ここ2年ほどハンガリーの経済成長は鈍化している。
その理由はさまざまに分析できるだろうけど、
もしこうした考えが社会の基調にあるとしたら、
残念だけど、この国の先は見えているというべきだろうか。
June 18, 2007 05:00 PM | コメント (18) | トラックバック (0)
2007年06月17日
サッカー選手はベンツ禁止だって?:
サッカーの人気に邪魔をする事件がまた起きてしまった。
ジュビロ磐田の菊地直哉容疑者(22)が、
15歳の高1の女子生徒にワイセツ行為をしたとして、
静岡署に逮捕された。
淫行で一発、レッドカードというわけ。
報道によると、菊地容疑者は、
彼自身の年収の三分の一にあたる1280万円のベンツで市内を走行中に
女子高生を呼びとめ、道を聞くフリして声をかけた。
そして路上にベンツを止め、嫌がる生徒に淫らな行為をした。
菊地容疑者は、別れ際に女子高生に無理やり1万円札を押し付けたが、
この女子高生の自転車の前カゴに、
自分の運転免許証入りの財布を忘れたまま立ち去ってしまった。
この女子高生が友達同伴で、その日の夜、
警察へ届け出たことで、事件が発覚した。
容疑者は犯行を認め「いつばれるか、びくびくしていた」と自供している。
事件の流れを見ると、
最近よく見かける大人の少女へのわいせつ行為。
それにしても、1万円札一枚を無理やり渡すなんて、
オヤジ臭くってかなりせこいじゃないか。
この事件を報告されて、日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(70)は、
高級車自粛令
を示唆したけど、これがどうにもよく理解できなくて苦しい。
菊地容疑者は22歳。
今季の推定年俸が3600万円。
彼のクルマは、メルセデスベンツGL550のSUVモデルで、
価格は、彼の年俸の約3分の1に当たる、1280万円だ。
川淵さんは、
社会人として未熟な若い選手が高級車を乗り回すのは、
社会的な常識を逸脱する原因になっているので、
いかがなものか
と、苦言を呈したのである。
このレベルのベンツは、企業なら重役が乗る車だという。
たまにクルマ狂の若者が無理をしてローンを組んで乗ることがあるけど、
やはり精神的にいまだ未熟な者がこういうクルマに乗っては、
浮ついた気持ちに拍車がかかるという趣旨の発言だと、
一般的な理解が成り立つかもしれない。
でも、私は、率直に言って、
ワイセツ事件がなぜベンツ自粛令へ向かうのか
が、まったくわからない。
なぜ、ベンツなどの高級車に乗るのを控えなくてはならないのか?
選手が自分の年俸で、何を買おうが、どんな風に使っても、
法規違反をしない限り、他人がその使い途に口を挟むのは、野暮じゃないか。
整理すると、こんな風な疑問が浮かぶ。
疑問の①
成人のオトナが自分で稼いだお金を何に使おうと基本的に自由じゃないか。
菊地容疑者は、
自分の才能と努力と実力で年俸を得て、
自分の判断でベンツを買って乗っている。
自由意志によるこうした行為のどこがいけないのか。
疑問の②
この事件にベンツはほとんど意味を持たない。
被害者の女子高校生はベンツカッコいいと乗り込んだわけではない。
また菊地容疑者がサッカー選手であることさえ知らなかった。
(これはけっこうミジメ印ね)
クルマに押し込まれたのだから、
中古車でも盗んだ車でも変わりはないのではないか。
疑問の③
「ベンツを乗り回す」という言い方自体にすでに、
発言者の悪意が込められており、
「ベンツを乗る」と表現するだけで十分じゃないか。
そう表現すれば「ああ、乗っているんだ」で済む。
でも、普通、クルマを買えば乗るよなあ~。
例えば、医者のバカ息子だって、
親に買ってもらったベンツに乗ることはあるだろうし、
親のベンツを乗って女の子を誘うことも、別に珍しくはない。
疑問の④
もし社会人として未熟な若い選手が高級車を乗り回していけないのなら、
これをサッカーからプロ野球に敷衍して考えて、
プロ野球で高級車を乗り回す選手はど~なるのよ、と
サッカー選手は自粛令の発布をプロ野球にも及ぼしてほしいに違いない。
高校球児が高い契約金をもらい、それで家を買ったりマンション投機する時代だ。
社会人にまだなっていない未成年の段階ですら、そういう大金を使っているが、
そのことで、社会的な常識を逸脱する原因になっているとは思えない。
疑問の⑤
若い選手が親に家をプレゼントしたり、親の借金を負担している例も珍しくない。
親として子供に金銭的負担をかけるのは、
それこそ社会的な常識から見て、逸脱していると思うがどうか。
疑問の⑥
精神的に未熟な「オトナ」が、
淫行という恥ずかしい行為を行なっていることは、
新聞の三面記事を見ればわかる。
むしろ、若い性に対して浮ついているのは「オトナ」ではないか。
以上のように疑問を提示してくると、
今回の川淵さんの苦言は的はずれで、
自分の才能で稼いだ年俸で「おとな買い」をすることによって
夢の実現を見ている選手にとって、
余計な、出すぎた発言であると思わざるを得ない。
ベンツ自粛教育は必要ないし、何の関係もない。
今回の考えるべき重要なポイントは、
菊地容疑者がわいせつ行為をしたこと、そして逃げていたということだ。
こうした破廉恥行為を犯す者は、
未熟うんぬんのレベルではなく、自己のゆがんだ欲望を満足させるための
確信をいだいているのであって、
好みの女性に欲望を達成してしまったまでのこと。
その欲求の達成がたまたま犯罪行為によってなされただけだ。
例えば、容疑者がこの女子高校生に道を聞いて教えてもらったお礼に、
マックでおごってあげて、
「楽しかったよ」と、お礼に1万円札を渡して、
財布を置き忘れて警察に届けられたとしたら、
これ、ベンツが悪いと言えるだろうか。
結局、今回のわいせつ事件とベンツの因果関係はないのだから、
レトリックで言えば、
家族全員がベンツを所有できるぐらいの年俸を取れるよう
サッカー選手として活躍してくれ。
と、檄を飛ばしてくれる方がよほどすっきりするのではないか。
そうすれば、選手も奮起して、ファンも喜び、
テレビの視聴率も上がり、日刊スポーツも売れていいと思うけど・・・。
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June 17, 2007 08:13 PM | コメント (22) | トラックバック (0)
2007年06月16日
ユダヤ地区で出会った小さな友達:
昨日の記事から続く。
銃殺よりもある意味残酷なのが、
アウシュビッツ第1号収容所で行なわれた犯罪的人体実験だろう。
第10ブロックでは、
「ドクター・アウシュビッツ」と呼ばれた医学博士たちが、
スラブ民族絶滅法や新薬開発のために人体実験を繰り返し、
ユダヤ人の幼い双子や身障者は「絶好」の実験材料として
悪魔の医学者たちに重宝がられた。
実験で殺されたのは数百人にのぼり、
たとえ生き残ったとしても、
後々までいろいろな障害が残り、苦しんだ。
アウシュビッツ第1号収容所の第11ブロッグは、
特に「死のブロッグ」と呼ばれた。
建物は窓に木の板で目隠しがされているけれど(右写真)、
中庭で行なわれることを見せないためだった。
では、何が行なわれていたか。
言うまでもなく、処刑だ。
ナチスのSS隊員が数千名の囚人を銃殺。
銃殺されたのは、主にポーランドの政治犯だった。
ここは、収容所から隔離された「刑務所」として機能していた。
また「立ち牢」と呼ばれた、90×90センチの電話ボックスぐらいのスペースに
4名の囚人を押し込め、座らせない状態で、窒息死させる拷問も行なわれた。
想像するだけで身震いをしてしまう。
今、手向けの花が途切れることのない、
銃殺現場の「死の壁」(右写真)の前に実際に立ってみると、
言いようのない恐怖が皮膚を這ってくるのを感じる。
収容された人たちは、付近のポーランド人とひそかに連絡を取り合い、
収容所内に食料やクスリを持ち込んだり、
所内の戦争犯罪資料(たとえばSS隊員の名簿、証拠写真)を持ち出した。
逃亡も行なわれ、マレに成功している。
生きる気力や連帯意識を高めるために、
文化的活動や宗教的活動もひそかに続けられたという。
敷地内には、また集団絞首刑台がある(右写真)。
非常にシンプルな運動器具のように見えるが、
ここで多くの政治犯の囚人が吊るされた。
なお、後年運命的な出来事としては、1947年4月1日に、
この場所で、この収容所の元所長だったルドルフ・ヘスが
死刑執行された、
とガイドは説明していた。
アウシュビッツ第2号収容所は、第1号から3キロ離れたところにある。
ビルケナウ収容所とも呼ばれ、最大のユダヤ人絶滅収容所だった。
SS隊員の中央衛兵所の塔の窓から見ると(写真)、
左手にユダヤ人が収容されたバラック群と、
囚人を運んだ鉄道の引込み線が見える。
説明によると、
このバラックは湿地の上に基礎工事なしに作られ、
床がないので泥状態、ささやかな暖房設備があるけど、
真冬にはバラック内と外気温ともに、
零下20度にもなった
と、ガイドは説明していた。
カイコ棚のような粗末なベッドは、
一段ごとに8人の囚人が寝ることになり、
最悪の衛生状態は、多くの囚人に病気が感染し死亡に至らせた。
食事は「朝の珈琲」と呼ばれた泥水と、
腐った野菜のスープ、それに350グラムの黒パンで、
SS隊員たちは、ちょっと因縁をつけては、それをも奪った。
敷地内を一通り見学して入り口に戻ってくると、
多くの若い見学者たちが引き込み線の背後で、
暑さとやるせなさによるのだろうか、
ぐったりとして、休息をとっていた。
言うまでもないが、彼らがこの引込み線で運ばれるわけではない。
引込み線の奥には2棟の焼却炉・ガス室が、
ガレキ状態で残っている。
撤退するSS隊員たちが爆破して証拠隠滅した跡だ。
アウシュビッツ見学の翌日、
古都クラクフのユダヤ人が多く住むカジミエーシュ地区を訪れてみた。
ポーランド最古のユダヤ教会、スタラ・シナゴーグがある。
途中、通りの小さなアンティーク屋の中に入ると、
うす汚れたベア(写真)が、私たちを見ていた。
こういうのを出会いというのだろう。
店主の説明によると、このぬいぐるみは、
50年ほど前にシンドラーの工場で作られたものだそうだ。
スピルバーグの映画「シンドラーのリスト」のシンドラーである。
本当なの?
と店主に聞くと、たまたまいた近所のおばさんも、
そうよ。シンドラーの工場のぬいぐるみよ。
「なぜ区別できるの?」というこちらの質問には、
「そんなの、見たらわかるわ」と答えた。
今、このぬいぐるみは、「シンドラー」と名づけられて、
私たちの傍にいる。
恐れなくていいよ。
もうナチは来ないからね。
June 16, 2007 11:25 PM | コメント (23) | トラックバック (0)
2007年06月15日
ベビーと言えども容赦なし!:
東欧ポーランドの南にある古都クラクフ。
そこからさらに西50キロに、アウシュビッツ強制収容所がある。
訪れた先週は、真夏を感じさせ、
1.5リットルのミネラル・ウオーターを飲み干してちょうどぐらい。
多くの見学者も、補給水とカメラは必需品だった。
(内部の撮影は禁止されている)
アウシュビッツ収容所は、第1号、第2号、第3号に分けられる。
第1号は、司令体系をもった収容所。
ポーランド人らの政治犯を送り込んで
強制労働をさせるための施設だった。
(写真:第1号の処刑場で立ち尽くす見学者)
アウシュビッツ第2号は、皮肉にも、
第1号の囚人たちが作った収容バラック主体の収容所であった。
第1号から3キロはなれたところにあるビルケナウ収容所だ。
さらに収容所第3号が、
強制労働工場のあったモノヴィツェ村に建てられ、
この管理下に、約40箇所のミニ収容所が出現した。
いずれも、工場、鉄工所、炭鉱の近くに置かれて、
ナチスの侵略戦争をバックアップした。
現在特別に保存され、一般に見学可能なのが、
アウシュビッツ第1号と第2号である。
ナチスは、1940年からアウシュビッツ収容所で、
ポーランド人ら諸国民を監禁して、残虐行為の数々を行い
世界中を恐怖で震撼させた。
飢餓、重労働、医学実験、処刑によって、無垢の人々を虐殺していった。
1942年からは欧州から連行してきたユダヤ人を
絶滅させるための処刑センターと化した。
収容所に到着しても登録なしにガス室に送られる者も多く、
一体何人が処刑されたのか、あまりにも莫大な数のため、
正確な数字はつかみようがない。
アウシュビッツ収容所に限定した虐殺数でも、
歴史研究の成果では、約150万人を数えている。
ポーランド人、ユダヤ人、ロシアの捕虜、ジプシー、身障者などが
虐殺され、ナチス・ドイツにとって、不要な人たちであった。
ユダヤ人は、東欧に移住すると信じこまされ、
ナチス・ドイツからウソの土地や建物を購入してすでに
お金を奪われた者も多かった。
貴重品を持参してきたものの、収容所の検査でそれらを即、奪われ、
そのままガス室に送られた。
(写真:第1号収容所の検問所)
夫婦は引き離され、親子は別々にされ、
処刑されていった。
アウシュビッツ第1号の収容所には、
当時の写真や遺品が展示されている。
よくあるアジアの戦争記念館、独立記念館などで見られるような
戦前の日本軍がおこなった悪行を人形などで
おどろおどろしく表現する様式とは違って、
この展示は、感情を煽ったり、イデオロギーを押し付けるようなことは
まったく感じられない分、逆に胸に迫るものがある。
第4ブロックの展示でだったか、
ツアーガイドの説明を聞きながら、
いきなり私の胸に猛烈な悲しみが湧いてきて、
不覚にも涙を抑えられなかった。
それは、子供が両親から引き離されて、
ナチスの手にわたって処刑されていくエピソードが語られた時だった。
こんな幼い子供までか・・・と思うようなベビー服やベビー靴は
まともな神経をもっていたら、涙で曇って当然だろう。
ユダヤ人はほんの数日後、数ヶ月後の自分たちの運命を知らず、
展示された写真には、選別の時などに笑顔さえ写っており、
今それを見る側の胸に、するどく迫ってくる。
ガス室に入る前も、ユダヤ人は本当にシャワーを浴びられると
SS隊員の言うことを信じていたのか、
落ち着いてさえ見える。
そのまま通路を裸形で歩かされ、
シャワー室に見せかけた部屋に押し込められる。
天井から出てきたのは、水ではなく、
チクロンBという毒薬だ。
15分から20分で窒息死。
死体は焼却炉へ、運ばれ、灰となって、肥料になる。
(写真:焼却炉跡)
私たちのガイドは、
ナチスにとっては、
人間には捨てるような無駄なものがないのです。
と、説明していたが、私は「それは違うだろう」とつぶやいた。
もっとも大事な命だけは、彼らは無駄にしたのだ、と。
どれだけの人々のシアワセや、かけがえのない関係や、
二度と手にはいらないものを消滅させたことだろう。
見学ツアーの人々は、世界各国から訪れる。
日本人は最近こそ年5000名ぐらいやってくるが、
以前は数百名ぐらいであったそうだ。
私のツアーには、英国、米国、イスラエル、フランスなど
さまざまな国籍が参加していた。
見学は、後に戻れないように、前へ前へ進み展示を見て、
ガイドが説明するという形。
とにかく曳きもきらずに見学者がやってくる。
建物の中を行列を作っている見学者の姿を見ると、
私はふと、65年前の行列に思いを馳せた。
行列するという行動は同じに見えるが、
当時と今の最大の違いは、
当時のユダヤ人たちは、そのまま生きて二度と戻れない行列を作らされた。
しかし今の私たちは、
見学の後、再び外に出ることができる自由をもっていることだ。
見学を終えれば、バスに戻り、ゆっくり手足を休められるし、
おなかがすけば、サンドイッチをほうばることも自由だ。
私たちの同行者に、息子に連れられた盲人の母親がいた(写真手前)。
息子の腕にすがりつつ、目が見えない分、
ガイドの説明や私たちの質問を一言も聞きもらさまいとするかのように、
その表情は真剣である。
ツアーの後、この盲目の女性を係の女性が
トイレに連れていってあげていた。
ナチスがぶち壊した人間の絆を、
今さまざまな人々がそれぞれの立場から取り戻そうとしている。
June 15, 2007 11:33 PM | コメント (5) | トラックバック (0)
2007年06月14日
ブッシュの腕時計はこの瞬間に!:
アルバニアで市民の熱狂的歓迎を受けている最中、
ブッシュ米大統領の腕時計が消えた。
チューブの映像を見ると、明らかに何者かが、
ブッシュ大統領の手首を掴み、その後、腕時計を奪ったことがわかる。
55秒あたりから数秒にわたって、
目をこらして見ると、
腕時計が奪われたことが確認できる。
「世界一小さい新聞」は、映像開始56秒目に、
犯人の手をキャッチできた。
(写真:犯人の手が大統領の手首を掴んでいる)
ホワイトハウスの「大統領は時計をポケットに入れた」という説明も、
アルバニア政府の「時計は下に滑り落ち、ボディーガードが回収」という説明も
苦しい言い訳に聞こえる。
手品師によると、
この腕時計の盗み手口は、オーソドックスなスリのテクニックと同じで、
誰でも数時間の訓練でマスターできるという。
June 14, 2007 03:18 PM | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年06月13日
ナチスドイツは余りにもやり過ぎた!:
東欧のポーランドでは、中学・高校の課程で、
ポーランド語以外の外国語を1つもしくは2つ選択しなければならない。
2004年度の調べでは、高校課程でもっとも人気のある外国語は、
英語 82.2%
ロシア語 52.0%
フランス語 42.0%
イタリア語 25.5%
スペイン語 23.5%
となっている。
そして、その他の外国語は、2.8%。
つまり、隣国のドイツ語の人気はない。
言うまでもなく、1939年、
ポーランドはナチス・ドイツとの戦いに敗れて国を支配されてしまった。
この時ナチスがやったことは、
非ドイツ人に対する教育を制限もしくは廃止することだった。
スラブ系には、高等教育を許さないかわりに、
商売や工場労働者向けの職業教育は行なった。
では、ポーランド人に対してはどうだったか。
(写真:アウシュビッツ収容所の正面)
これが凄まじかった。
なんと、ポーランド語での教育を一切禁じたのだ。
ポーランド人をドイツ民族のための教育を受けない農奴とみなし、
もしこれに違反すれば、死刑に処した。
ナチスはポーランドのすべての高等教育機関の活動を徹底的に止め、
施設や実験室のほとんどをナチスとドイツの大学によって取り上げた。
先週、ポーランドに出かけた。
(写真:ブダペストからワルシャワへ)
私が、付け焼刃のポーランド語で挨拶を言うと、
どれだけポーランドの人々に喜ばれたことか。
ポーランド人は自国語を外国人が使うと、
心から喜んでくれた。
第二次世界大戦中、母国語が危機に瀕したから、
一層、母国語を大切にするというのが理由だと聞いていたけど、
ここまで額面どおりには、かなり驚いた。
武力によって、教育を封じ込めると思ったのなら、ナチスはバカだ。
ポーランドの高等教育は、
ポーランドの地下教育
(Polosh Tajne szkolnictwo)
と呼ばれ、ひそかにそのまま存続していた。
全国にわたって、多くの教授たちが、「秘密大学」を組織し、
1944年までにワルシャワ大学だけで、
3500人の学生、200以上の講座が開設されたという。
教科書や資料を作成するための印刷所などが地下に作られた。
「秘密大学」で修士号を受けたのは、約1000名、
博士号は、数百名に授与された。
彼らは、知識人として戦後しっかり多方面で活躍している。
地下教育では、ポーランド語を使って、高校教育も行なわれた。
ゲットーの中でも教育はされたし、
ポーランド全土に約100万人の学生が学んでいた。
最終的には、約18000人が高校の卒業証書を手にしている。
しかし、正確な授与年度は明記されず、
ほとんどが戦前の1938や39年と記されていた。
ナチスドイツに発覚することを怖れたからだが、
前後、すぐに書き換えられている。
同時に、軍事教育も地下で行なわれた。
そして、ここで忘れてはいけないことは、
宗教的指導者の養成も秘密裡に行なわれたということだ。
たとえば、亡きローマ法王ジョン・ポール二世は、
クラクフ大学の卒業生で、ポーランドの民主化に多大な影響を与えた。
これだけ、教育と母国語を封じられ、
人間扱いされなかったポーランド人が、
高等教育課程で、ドイツ語を学ぼうとしない態度を貫くのは
自然ではないだろうか。
ポーランドのもっとも繁栄した都市クラクフは、
観光都市ゆえに、ドイツ語表示があふれている。
ホテルマンは流暢なドイツ語を話すが、
それはどうやら営業上のもので、本音は別にあるのは明らかだ。
(写真:クラクフ中央市場広場)
要するに、
自分たちの誇りとするポーランド語を
奪ったドイツの言葉なんか覚えてやるものか!
という心意気だと、私は受け取っている。
翻って、日本が戦前に侵略したとする韓国、中国の
日本語に対する態度を見ると、
同じ枢軸国のナチスドイツに対するポーランドとは異なるようだ。
たとえば日朝併合時代にあっても、
優秀な朝鮮人はソウル大学へ進学できたし、日本へ留学してきた。
また日朝間の文化交流は盛んで、使う言語は朝鮮語も許されていた。
さらに、日本のアメリカへの思いはどうだろうか。
アメリカは初めて日本に対して原子爆弾を使い、
莫大な数の尊い人命を奪った。
にもかかわらず、日本人は復讐するどころか、
アメリカに友好的な態度を示し、
むしろアメリカにあこがれてきたとさえ言える。
どこからこの差が生まれるのだろうか。
ナチス・ドイツが優生思想を元にして、
特定の民族を根絶やしにしようとしたからである。
最大の標的になったのは、ユダヤ人だ。
その舞台になったのが、
ポーランドのオシフィネンチム市にある
アウシュビッツ強制収容所である。
(写真:収容所の有刺鉄線の一部)
以下次号。
June 13, 2007 11:08 PM | コメント (11) | トラックバック (0)
2007年06月12日
江原啓之の霊能後出しジャンケン:
今日の日刊スポーツに面白い記事が載っていた。
「俊輔の守り神はヤタガラス?」というタイトルの芸能情報だ。
テレビ朝日系の番組に「オーラの泉」がある。
7月7日午後7時放送予定の同番組特別版「2時間スペシャル」に
中村俊輔さん(28)が、ゲスト出演した。
収録で、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さん(42)が
次のような発言をして、俊輔さんを驚かせたという。
ヤタガラスがあなたを守る存在として
大きく関係しています。
ヤタガラスは「八咫烏」と書く。
古事記や日本書紀の神話に登場する架空の鳥だ。
神武天皇東征の道案内をしたと伝えられている。
江原さんの口から「ヤタガラス」という名称が飛び出した時は、
茶髪のゲストらは、思わず「タビガラス」の親類?と思ったのではないか。
これには、笑ってしまった。
名前が売れて、顔が売れ、そして本が売れ、
言いたい放題ができるのが、平和ボケの日本のテレビ界。
中村俊輔さんが、2002年ワールドカップの大会で選考に漏れた時、
ファンからブーイングが起きた。
当時、彼は香港のホテルの部屋で、サッカー中継を見て、泣いていたと言われる。
その時、守り神のヤタガラスはどこにいたのだろうか。
ヤタガラスは当時も日本サッカー協会のシンボルマーク。
今、彼はスコットランドで活躍している。
テレビ番組のゲストに出てもらうことで、
サッカー熱をもう一度取り戻そうと、周囲は考えているのだろうが、
ファンだったら、こんな番組に出るよりも、
自分の体を調整するために時間を使ってほしいと願うはずだ。
どうせなら、江原さんには「後出しジャンケン」ではなく、
俊輔さんが落ち込んでいる時に、
あなたにはヤタガラスがついている。
将来は、スコットランドで活躍する。
と、言ってほしかった。
江原さんは、「主護霊」をスピリチュアル的に使うが、
その定義をこんな風に説明している。
主護霊は、守護霊の中でも中心的な役割を果たしている霊魂です。
私たちがこの世に生まれる前、そして現世、死後とも本人とは
切っても切れない関係にあります。つねに寄り添い、入れ替わる
ことはありません。
この強い絆のためか、私たちはみな自分の主護霊に似た生涯を
送るとも言われています。
さらに、指導霊、支配霊、霊のヘルパーさんの補助霊などを
カテゴリーとして分けています。
支配霊は、「私たちの運命をコーディネイトしている霊魂」だそうで、
たとえば、人や出来事との出会い、新しく住む土地や環境など、
私たちの進むべき方向を調整しています。
・・・人生はすべて偶然と思っている方も多いようですが、
実はこの支配霊たちが私の人生と運命をコーディネイトして
いるのです。
ということらしい。
ここで使われる「私たち」「私」は別に日本人と断ってない以上、
世界中のすべての人々に適用する考えとみてよいだろう。
先週、私は、第二次世界大戦中に
ドイツナチスが数百万のユダヤ人らの命を奪った
アウシュビッツとビルケナウの強制収容所を訪問して来た。
被害者の残した靴、遺髪、義足などのおびただしい遺品の山を見ながら、
彼らの運命を思って、涙してしまったが、
江原さんは、ナチスのSSに虐殺されたユダヤ人、ポーランド人の政治犯、
ロシア捕虜、ジプシー、身体障害者たちがガス室へ送られたり、殺されたのは、
彼らの運命をコーディネイトした支配霊のせいだというのだろうか。
違うだろう?
彼らの人生を支配し、めちゃめちゃにしたのは、
優生思想に狂ったネクロフィリア(死体愛好者)のドイツ人だよ。
June 12, 2007 09:53 PM | コメント (60) | トラックバック (0)
2007年06月11日
アゴと腰がゆがんでしまう!:
◆ 人間の体って不思議だ。たいていの人が経験的に納得できるのは、調和がいかに大切かだろう。先週から、しっかり歩く状況にいたためか、右足の親指の裏付け根が痛いのに気づいた。見てみると、靴擦れだろうか、小さな水ぶくれができている。そして、腰もちょっと重い。自分の経験からその理由はわかっている。特に昨日は終日、この小さな水ぶくれから起きる痛みが気になって仕方がなく、痛みをカバーするように歩いたから、その負担が腰にもきたのだ。夜、入浴後に水ぶくれの水を抜いてバンドエイドを貼っておいたら痛みは消えていた。
◆ 以前取材をした方に、右小指のツメ半分が事故によって欠損した人がいた。取材はこの欠損とは何の関係もなかったけど、雑談になってその人が言うには、「小指の先っぽがあってもなくても、なんていうことがないと、普通の人は思うでしょ? ところがそうじゃなく、ビンのふたを開けるとか、大きな植木鉢を運ぶときとか、水道の蛇口を開けるときとかに、この小さな部分が「止め」の役割をしてくれないので、どうにも力が入らなくて不便なんですよ」。これは、言い換えると、体の一部にバランスを欠いてしまっているということだろう。
◆ 肩こりがひどいので、いろいろな診療科を訪れたがよくならない。たまたま歯科医に行ったとき、かみ合わせが悪いことを指摘されて、それを直した途端、肩こりが良くなるということもある。奥歯が一本欠けたままの状態を長年放置すると、そこでは噛みづらいので反対側の奥歯ばかりで噛むことを続け、やがて、顎が少しずつゆがんでくることもあるという。
◆ 寝る時は、上向けに寝るのがよい、とオジに教えてもらったことがある。いつも右を向いて寝たり、左を向いて寝ていると、少しずつ顎がゆがんでいくことがある。育ち盛りの子供をもつ親は、こうした日常の正しい習慣に関する情報には敏感になるべきだけど、なかなかそこまで気が回らない理由は、体のバランスの崩れは、かなり長い時間を経て悪い方へ変化をしていき、なかなか目に見えないからだ。昨日、今日には取り立てて変化はないが、年単位になると目に見える形にあらわれ、確実な悪化に気づく。
◆ 20代の女性Aさんは、顎が曲がってきた。高校生の時に歯科医から「このままだと、やがて顎が変形してしまいますよ」と、かみ合わせの悪さを指摘され、治療を勧められた。ところが、母親は、なめてかかり放置しておいた。顎は本当に曲がり始め、ついに痛みで口が開けにくい状態になったため、最初に警告した歯科医の下へ連れて行ったのだ。結局、大きな手術を余儀なくされ、出費もかさみ「あの時に率直に先生のおっしゃることに従っていたら」と悔いた。
◆ ところで、先日ポーランドへ出かけた。ホテルの部屋に入ると、ベッドの上に3種の枕が準備されていた。「どうぞ、お客様のお体に合ったお好きな枕をお選びください」という案内されていた。これは非常に大切なサービスだ、と思った。なぜなら、自分に合った枕を使用しないと、眠っている間に、体のバランスを崩してしまうからだ。このホテルではベッドの硬さも申し分なく快適だった。ベッドも同じように考えるべきなのは、やわらかいベッドを嫌って、スポーツ選手などは、ベッドを使わず床に寝て、背中や腰への負担をなくすのが当たり前だと聞く。
◆ 人が食事をする時は、正座が勧められる。この姿勢がよい理由は、咀嚼(そしゃく)回数が増えて、顎がしっかりとした形になるからだ。だから、正座での食事は子供にとりわけ勧めることができる。子供にとって一番悪い姿勢は、椅子に座って、足をぶらぶらさせて食事をすること。この座り方だと、顎に力が入らず、正座の咀嚼回数より3割も少なくなるというから驚く。
◆ 女性の人には、ハイヒールや足を組んで座ることなどが、腰を痛める原因になる。ハイヒールでしっかり歩く姿はまるで曲芸に見えてしまい、実に不自然で、誰の目にも腰に負担をかけているなあ、とわかってしまう。きちんとした姿勢を保とうとすると、逆にうまく足を組むことができない。うまく足を組めると、きちんとした姿勢を保っていないことになる。最近通勤時にスーツ姿のスニーカー愛好者が増えてきているが、これは正解だと思う。電車内で二人分の席を占領して、まるで背中で座っているイカレたヤンキー風がいるが、数年後は腰痛の持病に苦しむに違いない。
June 11, 2007 10:28 PM | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年06月09日
私は赤ちゃんになれない。:
昨日の記事から続く。
私が介護の根っこにあると感じている「人間の尊厳」に関して、
以前お話ししていただいた寝たきりの
お二人の老人の声の一部を紹介したい。
まず、ミツさんという82歳のおばあちゃん。
ミツさん:
この歳で、この姿でいる自分を認めるのは
正直、つらいことでございますよ。
誰しも、老います。
これはわかるのですが、中には一夜もオシメをせずに
旅立っていかれる方もいらっしゃいますから・・・
(少し、涙ぐまれる)
私だって、そんなことを願って、
なんと言いますか、人様のお世話をすれば、
自分はお世話をされずに行けるとか、
なんとかという神様にお参りに行けばいいなどと、
まどわされましたね。
でも、何の関係もなかったです。
そこで私も毎日、おふとんの上でじっとしているけど、
頭ははっきりしていますから、
こんな風に考えたんです。
赤ちゃんはどうだったかって。
そう、誰でも生まれた時はオシメしてますよね。
そしたら、人間としての最後、もう一度オシメをする。
これで、いいんじゃないのかって・・・。
つまり、子供にしたことを、今度は子供からお返ししてもらって、
プラスとマイナスで均衡がとれるのじゃないかしらって・・・。
私も意識がなくなったら、それは赤ちゃんに戻るだけ。
そして、子供がどんな風に自分を育ててくれたのか、
認識する時間を神様が子供に与えているのだと・・・。
ちょっと生意気な言い方でゴメンなさいね、神様だなんて。
半年ほど前、ちょっと風邪をこじらせて、脱水になりかけた時、
仕方なく入院をしました。
その時、否応なくオシメでした。
ところが、病院って忙しいから、
決まった時間にしかオシメ、換えてくださらないの。
まあ、オシメ代がかかるからね。
仕方ありません、ということは頭ではわかりますけど。
その時、「あ~、意識がはっきりしているのねえ」って実感しました。
だって、ものすごく気持ち悪いですもの。
私、別料金払いますから、って、
ちょっと間違っているかも知れませんが、
娘に、ヘルパーさんにチップをお渡しして、お願いって
言いましたらね、
出来ません! 決まった時間にしか換えられません!
って。
あまりの言葉に娘が、スーパーでオシメ買って来てくれて、
換えてくれました。
やはりわがままかなって思うべきでしょうか。
* * * *
次は、79歳のマサハルさん:
私はバアさんと息子夫婦に孫夫婦という
いわゆる「三世代住宅」で暮らしてます。
それもこれも老後を考えてのことでした。
息子夫婦が、家を建て
