2007年05月30日

ののしり合いの中で苦闘する中国仲裁員:

◆ 清の時代の中国に、30年間滞在した宣教師アーサー・ヘンダーソン・スミス(1845~1932)によると、中国人が人を誹謗(ひぼう)するのは、天性のものがあるそうだ。彼の著「Chinese Characteristics」(邦題「支那的性格」)(注:邦題はオリジナル)には、中国人の典型な態度として、法に訴えても期待通りの救済を得られず、いったん、激昂すると、自力救済のためならののしり続け、さらに激しい行動に出て、もはや歯止めが効かないという姿が描かれている。一種の「火病」のような性格がある、と言うわけだ。

◆ ナショナリズムの焔(ほのお)がメラメラと燃え上がると、たちまち日本などの外資系企業を暴力的に攻撃してしまう行為もその傾向の一つと言える。記事「部屋を借りた!」で、中国人の法意識に触れてcreamさんがコメントされたことは、この意味で一理あると言えよう。

◆ しかし、中国は人口約13億人もいる以上、自国民の法意識、遵法(じゅんぽう)精神が低いと嘆いてばかりおられず、できるだけ早急に、農民や一般市民の意識改革をしなければならない。むろん、それは国・自治体・企業にいる人たちの法意識の改革でもあるべきだ。中国では、毎年、法の世界で貢献度が高かった人たちを「中国十大法治人」と呼んで、中央宣伝部、司法部、それに中央テレビ局が10名を選んでいるのもその表れだ。

◆ 国民の法意識を高めることに貢献した人たちということで、2004年度に表彰された人に、張先さん(男性)がいる。2003年6月、25歳の時に張先さんは、地元蕪湖市の公務員募集に応募して、試験を受けた。その結果、受験生30名中、トップの成績を納めた。なのに、合格を取り消されてしまった。理由は、健康診断の時に、B型肝炎のウイルスに感染していたことがわかったからだ。

◆ 張先さんは黙って引き下がらなかった。中国には、1億2千万人の「B型肝炎保菌者」がいる。この人たちは、学校入学、就職、結婚などでも差別を受けている。この状況は改められるべきだ、と考えた張先さんは、憤然と蕪湖市人事局を相手取って訴状を書いた。この提訴は「B型肝炎訴訟1号」ということで、マスコミも大々的に取り上げた。そして2004年4月、勝訴の判決がおりた。

◆ 張先さんは、さらに浙江、四川、福建、広東などの省の公務員規定にあるB型肝炎保菌者の採用禁止規定の改正および国家公務員の健康基準の改正を要求して、差別の道を取り除くことに多大の貢献を重ね、晴れて栄誉の「法治人」の受賞となった。

◆ もうひとりの法の世界への貢献者として、2006年度に表彰された■群芳(女性・■は「潟」の「臼」を削った文字)さんを紹介しよう。彼女は、四川省武勝県司法局の司法所長のもとで働く末端の司法員。主に、住民のもめごとを仲裁するのが仕事だ。宣教師スミスが述べたように「誹謗するのが天性」のような中国人を相手にするのだから、彼女さんの仕事はまったく過酷なものだった。

◆ 去年5月、ついに過労のために倒れてしまった。末期の腎臓病で「尿毒症」と診断されたのである。20年間、ほとんど休むことなく、頭脳と気を使い、困難な紛争を解決してきた彼女だった。夜、暗い明かりの下で、さらに法律の勉強をして試験を受けるという矢先に病魔に襲われた。互いに主張してゆずらない中国の人々の間に入って、雨の中、風の中を駆け回って山村田野の小道で過労に倒れたという。

◆ 彼女の仲裁術は見事なもので、争いの果てに訴訟というケースはなく、また刑事事件に持ち込まれたこともなかった。社会の調和を目標に、恨みも後悔もしない紛争の調停を心がけたという。そこにあるのは、公正な心と責任感で、人々の紛争への強い関心と、庶民への愛情が、ここまで渾身的に彼女をして「人民の仲裁員」として光り輝く功績を残したと、受賞の理由は、誰もが納得する格調の高いものであった。

◆ この「十大法治人」を栄誉と位置づけるのは、なかなかすぐれたアイディアだ。日本なら誰が受賞に値するのだろうか。

参考記事
火病の国と上手に付き合う法」→汤群芳さんの辛苦を容易に想像できる。
安倍さんの政策はコンビニの棚」→懸念したことが現実化してしまった。

・・・・・・・

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May 30, 2007 06:24 PM | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年05月29日

安倍首相の慙愧(ざんき):

安倍首相は、昨日28日午後3時ごろに、
松岡農水相を弔問するために慶応病院に出向いた後、
首相官邸で記者団の質問に、

   大変残念だ。慙愧(ざんき)に堪えない思いだ。

と、答えた。
ある通信社は、この返事に対して「と農水相の死を悼んだ」と記述している。

普通なら、この首相の言葉にちょっと立ち止まるはず。
「慙愧」という日頃めったに聞かない言葉に出会うからだ。

「慙愧」とは「自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること」。
つまり自分の言動への恥を自覚、反省して恥ずかしく思うことで、
この意味からいうと、安倍首相の口からこの言葉が出るのは奇異に思える。

「慙愧に堪えない思い」は
「自分の恥が堪えられないものだ」と言っているわけだから、
インタビューを受けた状況や「大変残念だ」に続く言葉にしては、
ふさわしくないと思えるが、どうだろうか。

私は、どうも安倍首相が「慙愧」という言葉の意味を取り違えたまま、
覚えてしまっておられたのではないか、と少し心配になってきた。

たとえば、「断腸の思い」とか「痛恨の思い」という意味ならば、
「大変残念だ」という言葉の次に来れば自然である。

それにしても、記者団は、「慙愧」という言葉の使われ方に
疑問を持たなかったのだろうか。
後で、この使い方について、
首相の周囲から何か言われたような気配はある。

しかし、「慙愧」という言葉を正確に記者団が受け取っていたら、
当然なんらかの追加の質問が生まれていたはずだ。
その場でもよいし、後でもよい。
なぜなら、「自分の見苦しさや過ちを反省している」と首相が述べているからだ。

こんな風に考えてくると、
やはり安倍首相は間違った言葉を選んでしまったと言えるだろう。

記者団については、こんなエピソードもある。
かつて宇野元首相が女性スキャンダルで首相を辞任した時だったか、
「明鏡止水の心境です」と表現して自分の気持ちを語ったことがあった。
その時、記者団の一人が言葉を理解できなくて、その意味を尋ねると、
宇野元首相は「後で教えてあげるよ」と答えた。
当時、いく人かのコラムニストが記者の教養のなさを嘆いていたようだった。

個人的にも似た経験がある。

あるエッセイストのA子さんをインタビューした時のこと。
ご本を出版され、当時駆け出しライターであった私は、
当然彼女の本を購入、読んでインタビューに臨んだ。

A子さんがふと、私の手元にある著書に気づき、
「サインをして差し上げましょうか」
と、言われ、私は断るのも失礼なので「はい」と返事をした。

A子さんは、最初のページを開いて、私の名前の脇に添えて、

   恵存(けいそん)

と、書いた。そして、ご自身の署名をした。

私は声に出せず、心の中で、

   えっ・・・意味、わかってんの?

と、つぶやいた。

なぜなら、「恵存」とは、
「お手元に保存していただければ幸いでございます」
の意味で、自分の著書などを贈呈する場合に、
相手の名前の脇や下に書き添える語である。

つまり、相手の方にお金を出して購入していただいた本とは、
別扱いをしなければならないエチケットがある。
おそらく、周囲の方に、著書にサインするする時は、
「恵存と書くのよ」とだけを教えられていたのだろう。

美しい国・日本の言葉は、まことに奥が深くむずかしい。

May 29, 2007 07:47 PM | コメント (18) | トラックバック (0)

2007年05月28日

松岡農相自殺は防げたかも:

自分の資金管理団体が事務所の光熱水費で
不明朗な会計処理をしたため、
世論から厳しい責任を追及されていた。

追い討ちをかけて、官製談合事件で刑事事件になった
緑資源機構の関連団体からも献金を受けていたことが判明してしまい、
現役大臣でありながらも、スキャンダルまみれ状態にいた。

もし、権限ある者が、大臣に辞職を納得させていれば、
今回のような最悪の事態だけはまぬがれ得ただろう。

つまり・・・

   一国の宰相たる者は
   どのような時にどのような判断をするべきか、

が問われる結果となってしまった。

今回のような自殺という事態が起きなかった場合、
実際に起きない以上、宰相たる者の判断力、力量が
明白な形となって現れ出ないので、見逃されがちである。

宰相夫妻が、府中競馬場のダービーで、

   当たった、当たった

と、浮かれている時、
松岡農相が死を決意していたことは恐らく事実である。

松岡農相が自殺する・しないという予測判断は別として、
少なくとも安倍首相は、農相の退き方をうまく導くことは可能であった。
またこれを可能にしないことには、宰相として失格だった、と思う。

ただひとり、引導を渡せる立場にいたのに、
引導を渡せなかった点で、安倍首相は宰相失格だと言いたい。

人生とはこれほどまでに難しい道であり、つくづく怖い、と思う。

そして、今回の事件は、

   安倍首相が、他のさまざまな判断において
   国民の目に見えない「失敗」を重ねているのでは?

と、私たちに示唆している点で、さらに震えが来るほど怖いと思う。

May 28, 2007 04:07 PM | コメント (61) | トラックバック (0)

2007年05月27日

昔小学生のウンコは臭くなかった!:

■ こんな話を聞いたことがある。昭和30年代の学校では水洗トイレの普及率が低く、汲み取り式便所で、糞尿は自治体あるいは農家や業者が汲み取っていた。糞尿は当時肥料になるので価値があったわけだ。

■ ところが、この肥料を目的とする業者が、見向きもしなかったのが、小学校から出る糞尿だった。その理由は、小学生の糞尿にはほとんど栄養が残っておらず、肥料の役を果たさなくなっているからだ。実際、高等学校の学生が出す糞尿と小学生のそれと比べてみると、「匂いさえ違っていた」という風に、当時を知る業者から生々しい声が出る。

■ 当時の小学生たちは、今の半分以下の栄養摂取環境にあったと想像できるから、少ない栄養分を取り逃がさず、含まれる栄養素のほとんどを吸収した後、排泄しないと、とても体づくりができなかったともいえる。こんな風に書いてくると、「不足」というものは、必ずしも悪いことではなく、逆に将来の基礎固めをするためには必要だとさえ思えてくる。

■ 現在、日本の大型書店の語学コーナーには、何百という英語の学習書が並んでいる。そのほとんどが、中学レベルのやさしい本である。中身は、だいたい同じようなもので、単に体裁を変えたり、思いつき的にアイディアを入れりした本がほとんどだ。結局、これだけ多くの英語勉強本があるにもかかわらず、適切に、英語圏の人とコミュニケーションができる人がほとんど生まれない状態。

■ かつて中国の旧満州を旅した時、私を案内してくれたのは、朝鮮族の中国人だった。彼はかなり流暢な日本語を話したけど、彼が学んだのは、150ページぐらいの薄い日中の語学書で、飽きるほど何度も何度もそれを読んで覚えたことがおのずとわかるほど、すっかり手垢に汚れていた。言うまでもなくく、そのテキストのみで日本語をマスターしたとは言わないけど、少なくとも、その1冊をとにかく繰り返し学べば、日本人とコミュニケーションをとる上で困ることはないレベルには到達できたに違いない。

■ ハンガリー人はどうか。市井の人々はほとんど英語を理解できない。しかし、それは英語をほとんど学ばなかったからであり、実際に中高、大学で英語のみならず他の外国語を学んだ学生は、非常にじょうずに外国語をコミュニケーションの道具として使える。私は今回、英語でレクチャーする機会に恵まれたが、彼らの能力は十分なものだと、理解できた。

ChildrenBooks.JPG

■ 先日ブダペスト市内のショッピングセンターにある大型書店を訪れた。驚いたことは、英語に限らず、語学関連の参考書がとても少ないことであった。これほど出版物が少ないのに、あそこまで語学に堪能になれるのかと思った。これは語学だけに言えるのじゃなく、たとえば、ハンガリー人が得意とする数学の参考書の棚も見たけど、やはり少ない。500ページや600ページの辞書のような数学の参考書が目に付き、それらは1ページから順番に学んでいくと、最終ページで完全に理解できるという構成になっている。奥付をみると、1956年初版となっている。すでにオリジナル版を書いた著者は亡くなっていて、引き継いだ人が改訂発行を繰り返している。種類は日本に比べて驚くほど少ない。日本の書店では、英語と同様、数学の参考書も豊富すぎて選ぶのさえ一苦労だ。
(写真:本文とは関係ありません。ブダペストの書店の子供本の平積み状態)

■ ハンガリーに来て、朝、シリアルに果物と黒パン。お昼は、軽くベジタリアンメニュー。ちょっと不明な食べ物だけど美味しい。夜はハム、卵に黒パンと野菜スープ。という風に、できるだけ粗食にしていたら、自分の体が粗食から懸命に栄養を取ろうとしていることがわかり、体が喜んでいる。「飽食」ではなく、少し「不足」状態にしておくと、体の活き活き度が違ってくるのがわかるのかも知れない。

■ 日本では、50代の1割が糖尿病患者、2割がその予備軍だという。飽食が日本人の体のシステムを壊してしまっているとしたら、「飽書」もおそらく同様であろう。あちこちつまみ食いをしないで、定評のある本を繰り返し読んで、自分の血や肉とする方法を見つけてはどうだろうか。

・・・・・・・
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May 27, 2007 04:45 AM | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年05月26日

地下鉄駅に犬を連れた預言者:

ハンガリー、ブダペスト市を走る地下鉄M2号線に
コシュート・エラヨッシュ広場駅がある。

地上に上がると、
この国でもっとも絢爛豪華な国会議事堂の威容に
目を見張る思いがする。

この地下鉄駅は、東京ほどではないにしても、
朝夕、通勤、通学、観光客が引きも切らずに
エスカレーターを上り降りする。
国会議事堂があるからか、すでに
駅のリニューアルはすんでおり、構内も明るくスマートだ。

エスカレーターを見渡せる場所に、
ブロンズ製の彫刻があるのに気づいたのは、
ブタペストに着いた二日後だった。

teiresziasz.JPG

彫刻は、犬と男の像。
犬は、ラブラドール・レトリーバーに見える。
犬と男の像はしっかりした土台の上に置かれてある。

即座に、「なるほど、犬か」と思った。
とたんに東京渋谷駅の「忠犬ハチ公」を連想してしまった。

しかし、彫刻自体のモチーフは難解そうだった。

前を歩く犬の背後に、椅子に座った半裸、裸足の男が
左手を前に差し出し、椅子に座っている。
男の腹部はちょっとたるみがちで、
スラックスをはいているものの、ベルトはしていない。
肉体作業を仕事とする労働者のように見える。

犬は男を導いているようだ。
なぜ男が椅子に座っているのか、が解せない。

土台の前部にプレートがあった。
ハンガリー語にうとい私にも、
2005年という年と、「Teiresziasz」という名称が読めた。

おそらく2005年が彫刻の制作年であり、
「Teiresziasz」が彫刻の題名と考えられる。

しかし、題名を見て、英語表記の「Tiresias」に似ているなあ、
と、私は首をかしげてしまった。

もしそうなら、Teiresziaszって、
ギリシャ神話に出てくるテレシアスということになる。
テレシアスは、7年間、女に変えられたことで有名な盲目の預言者だ。

後日友人に聞くと、やはり彫刻のタイトルは、テレシアスであった。
彫刻をよく見ると、男の目は死んでいるようだった。
すると、犬の種類は「ラブラドール・レトリーバー」。

製作者は、ハンガリーの若い芸術家、ラスツロー・マチャス・オラーさん。
テレシアスをテーマに新しいショックを地下鉄利用者に与えた。

友人も他のハンガリー人も「なぜ」と首をかしげる始末だ。
むろん、私も・・・。

エスカレーターを利用する何千人という公務員、サラリーマン、
学生たちに向けて、ガイドする犬に案内されて、
盲人の預言者は左手で指し示している。

友人はこう言った。

   私たちにも明確な答えが得られないんだ。
   いろいろな人にこのなぞを聞いたけど、
   正解はないようだ。

渋谷のハチ公前と同じように、この彫刻前は、

   犬のとこで、7時にね。

という具合に、待ち合わせの場所となっている。

犬と預言者の傍で、私たちは、ちょっと考えてみる。

   どこへ行くのか。
   なぜそこへ行こうとしているのか。

もしこうした理由がわからなければ、
暗いトンネル(地下鉄)の真ん中に座る盲目の預言者に尋ねてみる。
彼はおそらく「光の方向」を私たちに教えてくれるだろう。
「光に向かって行け」「光を見つけろ」と・・・教えてくれるだろう。

彫刻の犬の鼻は、多くのハンガリー人や他国から来た観光客によって、
撫でられてきたようで、
テカテカになって、光り輝いている。

   人生に迷った人々に自分で考えなさい、そうすれば、道は開かれると
   この盲人預言者と盲導犬は教えてくれているに違いない。

母国語が異なる私と友人の結論はそれであった。

May 26, 2007 05:18 AM | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年05月24日

通りでお宝探し!:

神奈川県川崎市で、市の労働組合が、
ひらがな、英語、中国語、ハングル、タガログ語、
スペイン語、ポルトガル語の7ヶ国語で、
ゴミ収集日一覧表のビラを約2万枚を作成して、
地元町会への配布や街頭での掲示を始めたという。

外国人にはゴミの捨て方がわかりにくく、
そのため「外国人はゴミを分別しない」という偏見が生まれ、
その偏見をなくしたいというある在日コリアンの市職員の発案だった。

   「偏見」は言いすぎだろう。

発案のもとになったのは、この市職員が、
ある交流会で、ゴミの捨て方がわからなくて悩んでいる新しい住民の
悩みを聞いたからだという。

   ゴミで悩む? 聞けばいいじゃないか。
   教えてくれないなら、教えてくれる人を探せばいい。
   教えてくれるように聞く工夫をしないのは一種の怠慢と言える。

去年まで川崎市ではゴミ収集日一覧表の表記は日本語だけだったが、
今年から英語表記を加えた。
そして、さらにひらがなを含め7種言語の表記となった。

海外旅行をして、気づくことの一つだが、
こういう「サービス精神」を過度に発揮する民族、
そのサービスを当たり前に要求する民族などあまりいないと感じる。

「外国人はゴミを分別しない」と言われたら、
周囲にいる日本人やまた市役所に分別や収集のことを聞けば済む。

さらに、当の市職員の在日コリアンは、
「情報を共有させないで、分別できない外国人を責めるのはおかしい」
と、新聞のインタビューに応じている。

英国の大学の中でもコリアンや中国人のドはずれた要求と
いつも愚痴っている姿を嫌になるくらい見てきたが、
彼らはいつも過度の要求をしてくる。

ちょっと自分の住まいの周囲の状況を観察すれば、
日本には日本のゴミのルールがあることは理解できる。
生活圏に、すでに共有されるべき情報の手がかりがあるのだから、
人に聞いて、その情報を得ることなどいとも簡単だ。

それを言うにことかいて、お決まりの「日本人の偏見」とか、
情報を共有させないとまで言う人たちがいる。

   コレって甘えてるよな~。
   聞けばわかることで、コストをかけるな。

そう言いたい。

ゴミと言えば、ここハンガリーで、早速こんな経験をした。

ビン(大型ゴミ容器)は、私たちが住む集合住宅の1階にある。
通常はいつでも好きなときに、ビンに入れて置けば、
ブダペスト市の作業員が決まった日に収集してくれる。

ところが、先週末の18日(5月)は違った。

妻が日常のゴミを置きに行くと、
隣の部屋に住むおばさんがちょっと作業っぽいことをしていた。

   妻     ヨ ナポト!(こんにちは)
   おばさん ホジヴァン (お元気?)
   妻     クスヌム ヨール!(ありがと、元気ですよお)

クソ暗記の言葉を使って、「何か特別な日なんですか」と言うと、
なんとなくわかったらしく、
おばさんは、玄関先の道路を指さし、何か言った。
たぶん、

   あれを見てごらん

と言ったのだろう。
イーゲン(はい)と答えて、見ると・・・

rubbish.JPG

車道を挟んで、歩道に大型ゴミの山が行列を作っている。
そのゴミ山をひっくり返して、
何かめぼしいものはないか、と物色している市民、
ジプシー、物乞いの人々。
それらを周囲で監視するポリスの姿が見えた。
時々、笛の音が響き渡る。

この日18日が、私たちが住んでいるブダペスト12区の
1年に1度、無料で大型ゴミを回収してくれる日なのだ。

生ゴミを除いて、
とにかくありとあらゆる物が捨てられている。
日本人の感覚から言えば、
もう完全にイカレタ物にしか見えないけど、
それでもよく見ると、まだ資源として再利用できそうな物がある。

   ベッド、ソファ、椅子、冷蔵庫、布団、
   毛布、鍋、衣類、クツの片割れ、カーペット、
   食器、破損した窓ガラス、オーディオ機器など

ここ12地区は比較的富裕層が住まっているので、
他の地区に比べ、まだ価値ある使えそうな大型ゴミが出るそうだ。

   だから、他の地域から、クルマにのって、
   ゴミをあさりにくるんだよ。

と、通りかかりの紳士が説明してくれる。

日本では、こうした粗大ごみを拾うと、条例違反になるが、この町は違う。

rubbish2.JPG

市民は衣類や食器を持って帰るけど、
ジプシーのグループは、特別な物だけに注目している。
ここでも彼らの戦略ははっきりしている。

   鉄製品、ガラス、水道の蛇口、鉄管、
   ドアの取っ手、割れて使えないバスタブ、洗面台など

カテゴリー的には、住宅関連物か。
メタル物では、100キロが
およそ12~15ユーロ(約1900円~2400円)で取引されるので
彼らにとっては、おいしい収入になるようだ。

1年に1回、お宝の山を目指して、クルマを調達してやってくる。
つまり18日は「トレジャー・ハンティング」だったわけだ。

そう言えば、妻は、洗濯物を干すための無傷なパイプハンガーを見つけたが
まだ新米住民なので、手にするには戸惑いがあった。

May 24, 2007 10:31 PM | コメント (16) | トラックバック (0)

2007年05月23日

医者にチップを渡さないと・・・:

昨日の記事で、チップ問題を取り上げたので、
今日は、ハンガリーの知人ヤノス君から、
サービス・チップ事情について聞いてみた。

――ちょっとチップについて、いろいろ話を聞きたいんだけど。

 うん、いいよ。でもその前に日本にもチップってシステム、
  あるのかしら?

――あるよ。日常的に頻繁に使われてはいないけど。
ホテルやレストランも請求書にすでにサービス料を含んでいるからね。
冠婚葬祭で、サービスを提供する人たちにチップを包むことはあるよ。

 ハンガリーでは、チップは日常的に横行していると言っていい。

――具体例で話してくれる? チップ額の目安とかも・・・。

500HUF.JPG

 飲み食いの場合、払うチップはボラワローって言うんだけど、
この目安は、10%といったところかな。
例えば、こうして今、まさゆきと二人でカフェでカプチーノを飲んで、
740フォリント(約520円)の支払いだとするだろ。
ウエイトレスに1000(約700円)フォリントを渡し、
「お釣は200フォリント(約140円)でいいよ」と言うんだ。

――日本式に考えると、まずお釣りをきちんと返してもらって、
改めてチップとして60フォリント(約42円)渡す方が、
チップを渡したって気分になるけど・・・。

 チップを請求書に明記して請求するというやり方は、
ハンガリーのレストランでも増えてきているので、
支払い前に確認すること。
むろんセルフサービスのお店では、チップは不要だし、
ウエイトレスがテーブルに来ない限りチップは不要だ。

――何軒かセルフサービスのレストランを押さえてあるから、
経済的に過ごせて、気に入っているよ。

 それは大事なことだ。賢い生活術だよ。
まともなレストランばかり利用していると、
税金やチップ払いで、へたをすりゃ、
安い店で1回食べられるぐらいの違いがでてくる。

――ほかにどんなケースでチップを要求されるんだい?

 ハラペンズのシステムがある。
これは一種の謝礼なんだけど、医師たちに手渡すんだ。
たとえば、君たち夫婦が数ヶ月ハンガリーに滞在中、
仮に奥さんの具合が悪くなったとしよう。
我々地元人だって、病院は長い順番待ちだ。
とことん待たされる。
しかし、ここでもチップが威力を発揮する。

――「袖の下」だな。

 医師だと、1万フォリント(7千円)ぐらい渡せば、
すぐ診てもらえる。
日本の医師は、チップシステムはないのかい?

――ないと言えば、ウソになる。
ある程度、そういう裏金、袖の下は
やめようということになってきている。
実際、私のファミリードクターは、
絶対診療報酬以外の謝礼を受け取らないし、患者を区別しない。

 いい話だなあ。
ハンガリー人一人当たりのGDPは日本人の三分の一ぐらいか。
経済力が違いすぎるよ。
かなり経験を積んだ医師の月給は、
税引きでおよそ600ユーロ(約96000円)。
新米医師だと、だいたい400ユーロ(約64000円)。
ただし病院の幹部になっていくと、もっとサラリーをもらうが・・・。
ナースの月給は、400ユーロ(約64000円)よりやや少ない。

――そんな給料じゃ、生活、相当きついだろう。
かなりのインフレ傾向はスーパーへ行けばすぐわかるよ。

 だから、若い医師の多くはハンガリーを去ることになる。
地域によっては医師がいないし、ナースの数も少ないよ。
病院はいつも混んでおり、
ひどい順番待ちをしなければならないのも、理由の一つだ。

――で、もし待ちたくなければ、表向きでないやり方があるってわけだね。

 うん。友人のコネクションと謝礼だ。
通常でもちょっと医師に心づけを渡すことはやっている。
いわば、こうした謝礼は、医師や看護婦が普通の賃金に近づけるための
一種の補助金の役目を果たしていると言えるだろう。
中には、君のファミリードクターのように、
受け取らない医師も看護婦もいるけど、人間は神様じゃない。
たいてい、受け取るというか、彼らはもらえると期待している。

――外科手術を受けるためにも謝礼は必須かい?

 相場は200ユーロ(約32000円)ぐらいから始まるようだ。
これは病院や医師の腕によって相場が変わる。
もし入院して、追加のヘルスケアをナースから期待するのなら、
一日1000フォリント(700円)ぐらいのチップは必要だろう。
あくまで相対的な金額で、状況により高くなったり、
安くなったりするけど。

――なるほど。点滴をした腕で、
財布を開けたり閉めたりできる練習をしておいた方がよさそうだね。

 そのとおりだ。

(写真:私が演奏家に渡した500フォリント札(約350円))

May 23, 2007 08:30 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年05月22日

このおっさん、好みじゃない!:

連日暑い日が続くハンガリーの首都ブダペスト。
涼しい木陰を求めて、市民公園を散歩した。
市民公園は、ハンガリーのシャンデリア通りと呼ばれる
アンドラーシ通りの突き当たり英雄広場の背後に広がる緑地だ。

この広い緑地内に、池や博物館が点在し、
サーカス、動物園、遊園地などのアミューズメントセンターともなって、
ウイークエンドには、家族連れやカップルでにぎわう。

昼時、私たちは、市民公園にあるガーデン・レストランに入り、
やがて、ささやかな体験をすることになる。

私たちがレストランに入った時、
ちょうどファミリー客が帰るところで空いていた。

cherrysoup.JPG

年配の給仕さんが来て、注文をとった頃、
背後から生演奏が聞こえてきた。
振り返ると、ジプシーのトリオが演奏をしている。

妻の注文は、

   冷たいチェリーのスープ

濃厚なチェリー・ジュースのようなスープだ。

チェリーの実がそのままたくさん入っていて、
夏のハンガリーの有名な味の一つ。
サワー・ホイップがのかっていた。
このクリームがまったくしつこくなくて、
日本では味わえないと思う。
490フォリント(邦貨約340円)。

lambsoup.JPG

私が注文をしたのは、ラガービールのBecksと、
ラムのスープとパン(三切れ)。
スープはラム、ニンジン、玉ねぎ、パセリ。
全部で1100フォリント(邦貨約770円)。

この値段では、十分ご馳走さまだった。

食事中に、トリオのひとりがバイオリンを弾きながら、
私たちのテーブルに、ニタニタと笑いながらやってきた。

妻が言った。

   チップの催促をしてるよ。
   バイオリンの弦のところを見てごらん。

確かに、弦に畳んだ1000フォリント札を挟んでいた。

続いて残る二人も近づいてきて、
私たちの周囲で演奏を始めた。

私は妻に、

   1000フォリント寄越せって言うのか?

と目で合図を送ると、妻は、

   このおっさん、好みじゃないし、
   あてつけがましいわ。
   ほっとけば?

と答えた。

向こうで演奏していたのを含めると、すでに三曲目だ。
私的には落ち着きたいので、チップを渡して、
ちょっと向こうへ引っ込んでほしくなった。

他のテーブルにも、すでに
何組かのカップルや家族連れが座っていた。

私は4曲目が終わった時に、ついに、
500フォリント(約350円)を奮発した!

musicians.JPG

すると、このオヤジ(写真右端)、ニタニタして、
なんと、スキヤキ(上を向いて歩こう)の演奏を始めた。

   こびるなよなあ~、オヤジ

さらに、私は落ち着かなくなった。

リクエストを求められて、妻は「いらない」と答えると、
今度は、上着のポケットからCDを出して、売ろうとしてきた。
これには、私が「いらない」と答えた。

すると、妻の好みでないこのオヤジが、

   ワタシ、キャナザワにイッタコト、アリミャース。

と、前後の脈略なく、いきなり下手な日本語でぬかした。

   勝手に、行けよ。

妻は、相当このオヤジをうざく思っているらしく、そうつぶやいた。
たぶん、日本人観光客の誰かが「金沢から来た」と言ったのだろう。
しかし、そんなことは、どうでもよいではないか。

一仕事を終えた、オヤジトリオは、
今度は、私たちの隣りのテーブルにいた30代前半のカップル席へ
向かい、私たちにしたように、演奏を始めた。

しかし、このカップルの反応には、抜群の切れ味があった。
聞く耳持たないという態度で、拒否した。
それは「ノー・サンキュー」というレベルじゃない。
犬を追い払うように「向こうへ行け」という仕草で拒否した。

家族連れのテーブルもあったが、
このトリオはカップル席をねらい目にする戦略があるようで、
そちらには行かなかった。

ここで、私が問題にしたいのは:

有難う派
初夏のガーデン・レストランで生演奏が流れてくるのは、
よいサービスと言えるだろう。
それを提供してくれたトリオに対して、
チップを払うのは、ありがとうの意味があると思う。

この私の考え方は正しいか?

道理派
妻は、トリオのやり方は「道理が通らない」と言う。
おしつけがましい人たちだ、と考えている。
まず「演奏をしましょうか」とこちらに聞いてから、
客の許可を得て、演奏をお願いするというやり方をしてほしかったようだ。
さんざん、自分たち流にしておいて、
チップを催促するなんて、押し付けがましく、
さらに、妻にとって好みでないとすれば、不愉快さが残るといえよう。
(妻は、「道理を通す」やり方をすれば、
もっとチップをもらえて、収入になるとも言う。
お互い気持ちよい感覚でいられるとも言う)

この考え方は正しいだろうか。

拒否派
そして、30代の拒否したカップル。
この二人や他の家族連れのように、
チップを渡さず、誰かが渡したチップによって音楽を楽しむ。
ジプシーの生活や仕事は、自分たちに関係ないとしても、
拒否の態度には問題があるのではないか。
妻の言う「道理が通らない」という意見も一理はあるけど、
この仕事自体がチップで成り立つ仕組みならば、
その点も配慮してあげればいいのではないか。

毅然と拒否したカップルの態度は正しいだろうか。

May 22, 2007 08:02 PM | コメント (10) | トラックバック (0)

2007年05月21日

納得!私大中退率3%:

記事「これでも、大学に行かせますか?」(06年12月30日)で、
一部学生の学力不足や学業維持のための動機の弱さ、
さらに親に金銭的負担がかかりすぎる点から、
私は、ネコも杓子も大学へ入学する現実に警鐘を鳴らした。

大学で勉強もする気なく、
能力もないものは、高校卒業で十分で、
4年間のモラトリアムを経ることは、
無駄であり、国力を低下させるだけである。

報道によれば、2005年度の私大の中退者は、
私大550校の在籍学生約193万人の2.9%、
5万5497人に達しているそうだ。

2.9%という数字は多いのか、少ないのか。

日本で最初の消費税は3%で大騒ぎになった一方で、
失業率3%では深刻さはない。
また金貸し業の貸し倒れ率が3%ならば、
まずまずの数字だと言われる。

しかし、2005年度の中退率が3%であるから、
現在進行する状況では4%に達している可能性はある。
このまま行くと、深刻な事態になると見て、
報道は、大学側にこうした事態への対応を求めている。

こうなれば、私は逆に、

   中退者が増えるほど、よいのではないか

と、思ってしまう。

例外的に、第一次志望の大学に入れず、
滑り止めの大学でしのぎ、翌年再挑戦、合格後、
中退するケースはあるが、
今、中退で問題になっているのは、
おおかたが、能力や動機を理由に中退する大学生である。

現在、無試験に近い条件で入学できる大学が増えて、
これでは大学入学のハードルは、ほとんどないに等しい。
推薦という形で大学に入るが、実態は、
専願によって試験が免除されているだけで、
高等教育レベルでの学習能力がないにもかかわらず、
入学できる学生がいる。
この人たちは、講義にはマジメに出席しているが、
専門的な話になると皆目理解できなくて、脱落する。
高校時代に勉強をどんな風にするのかがわかっていないレベルなので、
大学レベルになるととても太刀打ちできないのである。

だから、最高学府の名はあるけど、
実際に、期末テストなどで出題される問題は、
レベルが非常に低い。

偏差値50を割る大学の社会科学系の試験問題を見たことがあるが、
ズバリ「三者択一」だったので、笑ってしまった。

   テレビのクイズ番組じゃないんだから。

もうひとつ学生側にある大きな理由は、
大学生活を続けることを妨げる誘惑が多いことだ。
入学早々の歓迎コンパ、合コンに始まり、
少し慣れてくると、飲食業でバイトをすると、
学生生活の基本時間帯がくずれ、
とたんに講義にも出なくなる。

知人の不動産屋に聞くと、

   「学生の生活が崩れていくのが、目に見えてわかります」

と言っていた。

田舎から都会の大学生生活が始まると、
単純で地道な学問に比べて、エンタテイメントに興味が向かい、
学業の軌道からはずれていく。

学生の才能が別のところで開花して、
面白ければ、学生は楽な方へ向かい、
学生生活を放り出してしまう。

大学側がカリキュラムや設備などで、学生を失望させて、
最終的には中退へ導くという理由もある。
教える技術を満足に持たない教員に教えさせることで、
また予備校教師なみの面白い講義を期待して失望、
というようなケースもある。

誰もが大学に行く時代だから、
勉強の動機も能力にも弱い人が一応、大学に行きたくなる。
結果、中退者は見込みが甘かったと言えるだろう。

自分の動機や意欲に原因を帰する中退現象は、
どんどん増えればよいと私は思う。

   とにかく最近の学生の多くは学業よりも遊びに過ぎる。
   学生証を手に入れ、4年間の自由時間を満喫というわけだ。

「三者択一」のような試験は、およそ最高学府にふさわしくない。
例えば人文・社会科学系は「××について述べよ」と記述式にするか、
口答試験を採用すべきだろう。
「不可」の成績をつけられた学生は、何度かチャンスを与えた後、
それでも単位を得られない場合、退学にするべきである。

大学側が厳しさを示せば、
中途半端な気持ちで大学進学する人が少なくなって、
大学の質があがってよいではないか。

少子化時代にもともと大学を増やす必要はまったくなく、
最高学府の名に値しない学生や教員を抱える大学は
消えていくのが、自由社会の競争原理というものだ。

   大学はレジャーランドではない。

こんなシンプルなことがわからなかった結果が、
あるいはわかっていても対策を練らなかった結果が、
中退率3%という今回の数字の真相だと思う。

May 21, 2007 07:34 PM | コメント (10) | トラックバック (0)

2007年05月20日

ハンガリー人ちの晩御飯:

気分はハンガリーのヨネスケだ。

先日地元の人の家に招かれて、出かけた。
一般家庭の一つの例を見るチャンスである。

こちらの手土産は、
花売りおばさんから買った小さなブーケと、サワーブレッド。
合計1080フォリントで、邦貨756円。

subway.JPG

市中から地下鉄(右写真)を乗り換え、ドナウ川沿いを北上して、
さらにトラムに乗る。
おおよそ片道1時間、着くと周囲はすっかり田舎。
踏み切りも改札もない、原っぱの中。
彼はここから毎日市中へ通勤している。

おうちは、一軒家で、昔は農家だったので、
屋根裏も置いてある物がプリンターの箱や予備ベッドなど
現代的な物である以外は、当時のままの作りだ。

主人(あるじ)のクリスチャン君は28歳、国家公務員である。
奥さんは大学でフランス語を教える契約講師だが、現在休職中。
子供が2人、2歳と4歳。ともに男の子だ。

奥さん手作りの夕食を庭でご馳走になった。

   スープ
   メイン
   デザート

ヨーロッパで食事にはワインがつきものと考えていたけど、
ここでは違った。
「ビールを飲みます?」と聞かれたけど断ったのは、
私は北方モンゴロイド特有の下戸DNAを持つようだから、
酒が入ると、すぐ顔が赤くなるからだ。

彼はそういうDNAがないだろうけど、子供の世話をしつつ、
キッチンで手伝ったりしなければならないし、
私たちと話もしなければならないので、
片時もゆっくりできない。

実際、子供たちは、私たちが来訪したということで、
非日常性な状況に興奮して、すこし父親を困らせる所業に及んだため、
4歳の坊やは、部屋に閉じ込められるオシオキを受け泣いていた。

さて、奥さん手作りの料理である。

maindish.JPG

まずスープは、「エルーレヴェッシュ」と呼ばれるコンソメ風。
具はエンドウ、ニンジン、カリフラワーのカケラ。
さいの目に切ったニンジンのスープと言えばわかりやすい。

メインは、ハンガリー風パスタにマッシュルームのクリームソース煮(右上写真)。
このパスタはハンガリーの伝統食で、
奥さんが1時間ほどかけて、こねたもので、
私には、どうも白玉とウドンの間の舌触りであった。

cake.JPG

デザートは、イチゴと、スポンジケーキ(右下写真)。
スポンジケーキは、プラムジャムを挟んで層になっている。
市中で食べたケーキもこのジャム挟みがやけに多い。

ガイドブックには、ハンガリー料理がいろいろ載っているが、
その隅っこの隅っこに載っている、一番安い料理やデザート、
それが一般庶民のちょっと豪華な夕食なのだろう。

May 20, 2007 11:08 PM | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年05月18日

忘れられたニッポン人の姿:

第一話から続く。

ルソン島の避暑地バギオまでの全長45キロの延長道路は、
まず5キロか6キロずつ8区に分けられて、
各区にキャンプ地を設営して労働者を収容した。

労働者は、昨日説明したように、世界46カ国から集められた内、
主力は、

   フィリピン人  約50%
   日本人     約20%
   米国人      20%弱
   中国人     約10%
   インド人、英国人他 数%

という構成になっていた。

バギオまでの地域は、すこぶる雨が多く、
とりわけ6月から9月は連日雨模様で、
道路工事の最難所の山岳地帯では、雨に加えて太陽の光がとぼしく、
移民労働者たちは、懸命に病苦と戦った。

病気とは、赤痢やマラリア。
毎日、病人と死人が続出し、キャンプは混乱した。
病院らしいものはあるが、診察なしで、
下痢だろうが、脚気だろうが、
塩酸キニーネ(マラリア治療薬)が与えられて、
病人は入院を怖れるほどだったという。

これら病気の多くは感染によるものなのだが、
病気を蔓延させたのは、食料不足だったとも言える。

石油缶で炊いた半煮えのフィリピン米と
塩漬けの牛肉だけという粗末なものだった。
野菜などいつ食べられるかわからない状況下では、
体力消耗は、ひどくなって当然である。

土木労働者が増えると、当然のように売春婦も集まってきて、
性病が蔓延しだして、逃走する「軟弱」な労働者も出てきた。

このような劣悪の労働条件に怖れをなし、
250人の労働者が山を降りて逃げていったこともある。

一つのキャンプで毎日死人がでて、
まるで埋葬キャンプ化して、どんどん労働力が低下していった。
たまに山中の温泉が湧いた場所へ休養に出かけた日本人が帰ってこないので、
探しに行くと、温泉のわきに倒れて腐乱死体化していたという例もあった。
不十分な埋葬のため、鳥や獣のえさとなった遺体も珍しくなかった。

他方、健康で頑強な体躯の労働者は、
難工事の中で危険と直面しなければならなかった。

降り続く雨のために、足場が悪く、墜落死。
一本の命綱たよりに、発破(ダイナマイト)を仕掛け、
逃げ遅れて、体を吹き飛ばされる日本労働者が続出した。
難所の工事で、日本人が命を落とさない日はないほどだった。

ベンゲット道路工事を担当するケノン少佐は、
日本人の高い労働力と労働倫理に期待していた。
実際、大量動員された日本人は、その期待に十分こたえた。

   ベンゲット道路には、50間ごとに1人の割で、
   日本人が命を失った

と言われている。

工事開始の1903年10月から、
工事完成の1905年1月までの、1年と3ヶ月の間に、
亡くなった移民の数は、なんと700名に上る。

もっとも工事の難所と言われる断崖地帯で、
日本人が命もいとわず工事を遂行したそのエネルギーと
労働倫理は何によって支えられていたのだろうか。

まず、日本人労働者の半分を占める沖縄出身者に言えることだが、
故郷で待つ家族のために、お金を稼がねばならないということだ。

   大金を儲けて、日本へ送る。

これである。
外貨を稼いで、日本を豊かにしようとしたのである。

また、日本人労働者は、毎朝作業場へ向かうとき、

   はるか日本の方を拝み、
   一日、無事でいられるように祈った。

彼らが拝む姿は、フィリピン人も真似をした。
故郷である日本国が彼らの労働意欲を支えていた。

さらに・・・

1904年、日本はロシアと開戦した。

この戦果が彼らにも伝わってきた時、
多くの兵士たちが日本の栄光を夢見て戦死していく姿を
労働者たちも自分の姿と重ね合わせ、
信じられないほどの勇気と力を与えられたのである。

日本人が担当した工事区域は、
最難事の断崖11マイルの道であった。
日本人がこの道路工事に参加していなければ、
開通することはたぶん不可能に近かっただろう。

ただ、歴史は皮肉である。
ずっと、バギオ市は米国植民地支配の最重要拠点となり、
日本人らが命を賭して作ったバンゲット道路が防衛上の要となる。

太平洋戦争末期の1945年1月から4月まで続いた
バギオ防衛戦で多くの日本兵が命を落とすことになってしまった。

道路を作った多くの労働者たち。
その道路で命を失った幾多の兵士たち。
こうした人々の累々たる屍(しかばね)の上に、
私たちが享受している現在の繁栄がある
ことを忘れてはいけないと思う。

May 18, 2007 11:13 PM | コメント (11) | トラックバック (0)

2007年05月17日

日本人が命を賭けたプライド道路:

昔、日本人の労働倫理がこれほど高かったという物語がある。

今から100年あまりさかのぼる1898年、
フィリピンでは植民地主義者のスペインに代わって、
アメリカが支配者となった。

当時、マニラなどの低地の夏の気候は、極度の高温多湿で、
慣れない米国人の中には病死する者が続出した。

そこでマニラの北方バギオにある避暑地を開発することになった。
そのために必要なのが、道路だ。

   ベンゲット道路

とよばれた。

マニラからダグバンまでは平原と丘陵地帯で、
その先は、バギオに至るまで大小の山が続き、
断崖絶壁が重なる難所となっていた。

全長約45キロ。
問題は断崖に沿って作る点にあった。

工事が着手されたしたのが、1900年。
最初から難事業になることはわかっていた。
しかし米国としては、この大事業を強行、
そして達成させることでフィリピン人を心服させられるし、
避暑地も得られるということで、一石二鳥の利があった。

平原や丘陵違いの道路はフィリピン人らで何とかなった。

しかし山岳地帯にさしかかるや、とたんに工事が停滞。
米国人の工事担当者のクビがどんどん挿げ替えられた。

労働者の延べ人数は3万、彼らは世界46カ国から集められた。
大半を占めるフィリピン人、残る米国人、中国人、インド人、
英国人らが難所で撤退して行った。

やがてケノン少佐が赴任してきた。
彼が着眼したのは、
労働力として極めて質の高い日本人の利用だった。

少佐は早速、権限をもつフィリピン行政委員会を説得し、
1903年から日本人移民を大量採用し、
この過酷な道路工事につぎつぎと送り込むことにした。

この工事の主役となったのは、沖縄出身者。
フィリピン労働者の2.5倍の賃金をもらえ、
仕事もいくらでもあるということで、集められてきた。

   命が欲しくなけりゃベンゲットへ行け

このアオリのフレーズが日本人移民を奮い立たせ、
ベンゲットへ向かわせた。

   彼らは、すさまじい悲惨な生活をどんな風に
   克服して行ったのか、

暖衣飽食の日常を送る私たちが、
彼らから教えられるものは計り知れないと思う。

(以下、次号)

May 17, 2007 10:40 PM | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年05月16日

部屋を借りた!:

ハンガリーの首都ブダペストに3ヶ月滞在するということで、
とりあえず数日ホテル滞在中にフラット(日本でいうところの
賃貸マンション)を見に出かけた。

私の場合、どんな風に決めたかを少し書いてみよう。

ハンガリー人の友人が見つけておいてくれた物件は次の2件。

(1)物件A

月家賃:400ユーロ(邦貨64,000円)。
水道、電気、ガス、ゴミ収集チャージは別払い。
デポジット(敷金):1か月(退去時返還)

大家:40代の男性

リビング、ベッドルーム、キッチン、独立したトイレと風呂。
ベランダ付きだが、庭はなし。

TV・ステレオ・ソファセットはなし。
ダイニングセットはあった。
キッチンの調理器具やや不備あり。
洗濯機・電子レンジ・冷蔵庫・掃除機・アイロンあり。

物件はブダ側の第12区にあり、
交通量の多い通りに面している。
そのためクルマ音が気になる。

建物全体のイメージはステキだ。
アールデコ調のラセン階段は気に入ったけど、
やはり部屋の中を優先したくなる。
建物は1階でマスターキーで入り、
個別の部屋で、もう一度キーを使う。

(2)物件B

月家賃:600ユーロ(邦貨96,000円)
水道、電気、ガス、ゴミ収集チャージはすべて込み。
デポジット(敷金):1か月(退去時返還)

大家:30代の男性。

リビング、ベッドルーム、キッチン、独立したトイレと風呂。
ベランダ、庭つき。
庭に大きなイチジクの木があり、
大家の自慢の一つがこの庭だった。

衛星放送TV・ステレオ(CDたくさん)・ソファーセット。
キッチン設備、ほぼ完璧。
冷蔵庫・電子レンジ・トースター・掃除機・
コーヒーメーカー・アイロン・洗濯機、
いくつもの電機スタンド、ローソク立てなど。
むろんベッド回り(シーツ、枕カバーなど)、タオル予備。
わかりやすく説明すると、人がいないだけで、
生活するための必需品は揃っており、気遣いされていた。

たとえば、各種洗剤類ややわらか仕上げ剤、トイレットペーパー、
珈琲・ティー・砂糖、コーヒーのフィルターペーパー、
シューズキーパー、交換のための電球類などまで揃えられていた。

ブダ側の第12区、緑の多いなだらかな丘陵地帯で、
環境的に申し分なく、地下鉄駅から近く、
デパート、ショッピングセンター、スーパーへの利便性も高い。

築40年、やや共産圏ぽいイメージ、
お世辞にもお洒落とは言いがたい建物の2階。
こちらでは、1階と称する。
鍵の開閉の方式は、物件Aと同じ。

大家は、英国やNYでの生活経験があり、きれいな英語を使う。

(3)契約へ

実際に現場へ出かけ、大家さんとよく話し合って決めた。
西洋での契約書には、第三者の証人が当事者間に立つ。
私の場合は、友人がその役目を果たしてくれた。

英国でもそうであったが、
ここでも私が「外国人」である。
ハンガリー人でないことなどは、まったく問題にもならなかった。

garden.JPG

保証人の必要もない。
世間話的に、日本からビジネスで来られたのですか、
という質問などは聞かれたけど。

一つネックがあったとすれば、
それは3か月という短いリースであるということぐらい。
よい店子(たなこ)に長く貸したいと思うのは万国共通だ。

しかし大家さんらは、ともに、この点も了解してくれた。
他のフラットはせめて半年にしてくれという要望であった。

ハンガリーでは公共料金は高いと聞いていたので、
込み料金はある意味魅力的であった。

言うまでもなく、私も妻も物件Bが気に入っていた。
部屋を見せてもらっている時も、大家さんは、

   何でも聞いてくださいよ、もちろん今、
   この部屋にあるものは、すべて使って下さっていいですよ、

と、言ってくれた。
「あれは使うな」「これは別料金」ではなく、
「使かってほしくないもの」は置かない。

昨日まで見知らぬ人に、
自分の持ち物を使われて平気だ、という感覚、
今日から他人が自分の家の中に入ってきてもかまわない感覚、
少し大げさに言って、「国際感覚」とはこういうレベルだとすれば、
正直、日本人の国際化はまだまだ遠いように思った。

(写真:フラットのベランダから見た鬱蒼とした裏庭)

May 16, 2007 07:28 PM | コメント (12) | トラックバック (0)

2007年05月14日

悪名高いバチ当たり日本人:

先月東京の繁華街のはずれ道を歩いていたときのこと、
前方に20歳ぐらいの若い女たちの姿が目に入った。

彼女たちは6名、どうやら道に迷っているらしい。
肌の色は少し浅黒く、東南アジア系。

   どうしたの?

と声をかけると、あるビルを探しているという。

日本語も英語もたどたどしいけど、
どうやらそのビルを訪問して、
組合の人に相談にのってもらうということを理解できた。

   どこの国から来たの?

と聞いたら、インドネシアと答えた。

短い立ち話の限りでは、
現在働いている会社でかなりの搾取を受けているようだ。

過酷な労働に耐え切れず、つかの間の休暇を利用して、
組合の人に助けを求めてきたのに、
道に迷ってしまったというわけ。

日本には、「外国人研修・技能実習制度」というのがあって、
これは、かなり歪められている。

最低賃金にも満たない超低賃金で、長時間の労働を強いられ、
言葉もままならないまま、搾取される例が、今も後をたたない。

逃亡防止のために、パスポートや預金通帳を取り上げたり、
10人を一部屋に押し込んで生活させる。
また仕事中にトイレを使う度に、罰金をとったりしている実態が
レポートされている。

   喫煙などで、さぼっている公務員に、
   いっぺんこの罰金制度を適用してもらいたいくらいだ。

日本の高い技術を学ぶつもりが、技術習得なんて二の次で、
母国以上の劣悪な労働を強いられて、
結局だまされるというケースが増えている。

正式な「外国人研修制度」からはずれても平気で、
戦前の過酷な労働へ時計の針を回そうという、
良からぬ経営者がいる。

彼らは、いつだって、
安い労働力をなんとか確保しないと、会社がつぶれてしまう・・・
という言い訳ばかりする。

自分勝手に、ルールや法を破って、何の正当性もありはしない。

一例として、あまりにきつい労働に耐えられず、
外国人研修で来日していた中国人女性が3名、
逃亡したニュースが報道されていたけど、
雇い主の縫製業者の63歳の社長さんは堂々と、
残業の時間給350円しか払っていない。

   切羽詰まって研修生を受け入れた。
   最低賃金以上を払うのなら、
   そもそも彼女たちを雇わなかった。

と、悪びれもなく、ぬかした。

そんな最悪な労働条件でしか維持できない企業なら、

   日本の恥さらしをするより、つぶれてしまえ

と言いたい。

データによると、ここ5年で受け入れた研修生から、
約1万人の失踪者が出ている。、
受け入れたのはいいが、本来の目的が達成できているかどうか
まったく心もとない状態が続いているということだ。

約束違反の過酷な労働を強いられ、
母国へ日本で抱いた恨みや怒りを持ち帰って、
日本の最悪な実態をどんどん口コミで広められることを
悪徳雇い主は考えないのだろうか。

不正がみつかっても、当局に、
是正勧告を受けて、金を支払っておしまい。
刑罰へスイッチしないと、悪の目は絶たない。

口にしないだけで、たぶん、中国やインドネシアの女性たちは、
頭の片隅に、戦前の日本人たちが行なった労働搾取の事例を
思い浮かべているに違いない。

あの時、道に迷っていた女の子たちは、うまく相談、問題解決の上、
満足できる貯金ができて、
母国に少しは楽しい思い出を持ち帰れるのだろうか。

・・・・・・・
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May 14, 2007 10:36 PM | コメント (35) | トラックバック (0)

2007年05月12日

母の日に、マルクス家のオカン:

カール・マルクス、ドイツのユダヤ系哲学者である。
たいての人は「資本論」は読んだことはないけど、
社会主義に多大な影響を与えた理論家であったことぐらいは、
知っている。

今日は、マルクスのオカンの話をしたい。

オカンの名前は、エンリエッテ。
オランダ生まれのユダヤ人。
先祖は、ハンガリーからオランダへ移民してきた。

オトンはドイツ人の弁護士で、ヒルシェル・レヴィ・マルクス。
そのオトンだが、
オカンと結婚した翌年の1817年、
ユダヤ教からキリスト教のプロテスタントに改宗して、
洗礼時にハインリッヒの名に変えてしまったもんだから、
オカンはびっくりしてしまった。

このオカン、けっこうな頑固もので、
日常ではイディッシュ語だけを話していた。
この言語はドイツ語の変形。
オカンは、ほとんど文盲状態で、標準ドイツ語の
読み書きやスピーチをマスターする気もなかった。

そのため 
オトンの考え方をまったく理解できなかった。
なにしろ彼は、18世紀啓蒙主義の合理主義的有神論とやらに
傾注しており、改宗もその結果であった。

オカンはなんと7人の子宝に恵まれ育てた。
全員、プロテスタントとして洗礼を受け、
結局オカンは自分の父の死後、改宗した。

Karl.jpg

息子のカールは、年少の頃から、抜群の頭脳を示した。
オトンは息子に立派な学者になるように願ったが、
オカンの方は、完全な蚊帳(カヤ)の外状態。
マルクス家の外のことも、親族サークルの話にもほとんど不参加で、
子供の教育にも口出しせず、家事をするだけの日々だった。
(写真:カール・マルクス)

このオカンは、カール・マルクスがコミュニスト運動の
政治哲学の基礎となった理論に打ち込んでいるときでさえ、
つたない文章で手紙を送ってきた。

内容といえば、

   父さんに従うんだよ

という一行にすぎなかったという。

労働の一種「道徳的格率」を打ち立てたカールに対する、
オカンの「道徳」的指示がそれだったことは、
ある意味、とても微笑ましい。

1838年にオトンが亡くなったけど、
さほど財産を残したわけではない。
万年学生であったカールに、オカンは

   働け、働け

とうるさく言って、職につかせようとした。
オカンからカールは一種の「穀つぶし」と非難されていたわけだ。

カールは家を出て、大陸の放浪に旅立つ。
1861年、故郷のトリーアに帰ってきたとき、
家からお金をせびるつもりだった。

オカンに対して、2枚の借入証書を破ってくれと
促した他はなんもしなかった。

で、彼は友人にこんな手紙を書いている。

   この老いた女性から得た答えといえば、
   愛情の表現はもらったけど、キャッシュはなし。
   加えて、私が知っていることばかりだった。
   その女性が75歳であること、もう経済的にはだめ
   だと感じていること・・・。

翌年、カールは再び無心に来たが、やはり失敗している。
この時が、彼がオカンに会った最後となった。

marx.JPG

さらに翌年の1863年にオカンは亡くなった。
友人のエンゲルスらからお金を借りて、
家族の借金問題を解決するために、トリーアに帰った。

カールが調べてみると、オカンが子供たちに、
遺産として残していたのはたった30ドル。

このオカンの人生、哀しいと思う。

そう言えば、明日は母の日だ。

(写真:マルクス一家が住んでいたトーリアの家)

May 12, 2007 10:27 PM | コメント (11) | トラックバック (0)

2007年05月11日

葵祭りに「お公家大学」求人難:

京都でタクシーに乗って、
運転手から「お客さん、どちらへ?」と聞かれて

   「大学まで」

と、答えたら、
それは、京都大学を指している。

京都大学は通称「お公家大学」と呼ばれているそうで、
京都の空気になじんで、ちょっとイヤミっぽい人には
なんとなく納得できる名称だろう。

これが大阪や東京で、タクシーに乗って、
同じように「大学まで」と言っても、

   「どこの大学ですか。大学なんていっぱいありますよ」
 
と運転手は答え、内心、

   「この忙しいのに、何をわけのわからんことを
   言っているんだよ、イライラさせるな」

悪態をつかれそうである。

次のようなニュースがあった。

5月15日に、京都3大祭りのトップを切って葵祭が開かれるが、
行列に加わる大学生のアルバイト、
昨年に続いて、今年もなかなか集まらなくて気をもんでいる。

アルバイトのひどい売り手市場になっている理由は、
祭りが平日開催のため、学生がなかなか参加できないからという。

必要なアルバイト人員(男性)は、
平安装束姿の約500名の行列のうち、約170名で、
日給は例年通り6500円。

4月初めから京都大、同志社大など京都市内の4大学で
募集を始めたものの、定員に約20名足らず、
開催事務局がさらに京都府立大と大谷大を追加したという。

10年ほど前には、

   京都大学のみで足りていた。

問題はここだと、私は思う。

最近は学生の応募が年々減るー方なので、
募集大学を増やしてきたというが、
10年前には、葵祭りのアルバイトで、

   大学生募集といえば、京都大学を意味した。

この平然とした感覚が問題だと、私は再度思う。

葵祭は平安装束姿の長い行列が、
京都御所から上賀茂神社までの約8キロを華やかに練り歩く行事で、
毎年5月15日に開催される。

私も学生時代に、この行列を見た時、
確かに、ある一群は、およそ御所にいるものとは思えない
なんか雰囲気が素人臭い男性たちがいるなあ、と思ったことがあつた。

祭りの文化を守るという意味では、
東に江戸つ子「三社祭」がある。

三社祭の場合はどうなのかなー。
アルバイト募集などあるのだろうか。

「三社が命」って友人がいるので、聞いてみた。

少なくとも雷門近隣の各町会では、
地元住人以外をバイトで雇う習慣はない、という。

むろん、地元住人も別にバイトで担いでいるわけではなく、
自発的に参加している。

周辺を歩いていても、

   「三社祭、担ぎ手アルバイト募集」

みたいな広告を見た記憶はないそうで、
三社祭りは、祭り共同体のメンバーで運営されていることがわかる。

御輿が町内を練り歩くときは、
町会から町会へ受け渡しが行われるのだが、
各町会とも、自町会の半纏を着ていなければ、
その町内では御輿を担げない、と友人は言う。

そして、その半纏を購入出来るのは地元住人だけ。

もちろん、そうは言っても、友達のために1枚多く
半纏を買ったりしている例はあるだろうが、
全員が住人とは限らないし、
それでも担ぎ手は希望者が多くて困るくらい。

   カネを払って集める必要はないですね。

私には、友人の言い方が誇らしげに聞こえてくる。

三社の氏子は、観音様周辺のあの狭い地域に四十四カ町あるので、
例外的に人員不足の町会もあるかも知れないが、
「人を雇っている」という噂は聞いたことがない、という。

ただ、蛇足だけど、各町会は自分の町会御輿も持っている。
また、周辺在住の祭りの同好会とか、
組関係者の中にも、自分たちだけのための御輿を持っているところもある。
だから、彼らは彼らなりのルールで
人集めをしているとは思うと、友人は言う。

道を行く祭での人員募集というのはない、となると
葵祭りとは対照的だと言える。

10年前には、募集は京都大学。
京都には大学は京都大学しかなかったようだ。
人手不足が深刻になって、ようやく3つ募集大学を増やす。

さらに、人手が足りないので、また募集大学を増やした。

昨日、欧州の学生にレクチャーの後、
雑談になり彼らが、平安時代の貴族社会のことを質問して来た。

   当時は家族のステータスや出自で階級が分けられていた。
   エリートコネクションの網によって影響をうけた
   停滞社会、閉鎖社会に避けがたい忍従と運命論を
   庶民は見ていたのではないか・・・

と彼らに説明した。

お公家の葵祭と粋のいい江戸っ子浅草・三社祭。
好みから言えば、やはり私は、三社祭が好きである。

May 11, 2007 04:06 PM | コメント (28) | トラックバック (0)

2007年05月09日

よこはま・たそがれ・ブダペスト:

5月8日夜8時過ぎハンガリーの首都ブダペストに着いた。

ここで3ヶ月近く、欧州の学生を教えたり、
専門の研究をすることになった。

とりあえず、フラットに行く前に、
時差ボケの体で食事を作ったり、洗濯から逃れるために、
四日ほどホテルの小部屋に泊まることにした。

   ホテルの小部屋

と言えば・・・

ハンガリーにアディ・エンドレという有名な詩人がいる。
日本でいうと、明治期に活躍して、
1907年に「血と金」というアンソロジーの詩集を刊行した。
トータルで10冊ほど本を出している。

空港に迎えに来てくれた、友人のハンガリー人に
早速、エンドレのことを話すと、ああー知つてるよ、と軽い返事。

   どうして、エンドレに興味があるの?

そう聞かれたけど、即答できそうにない。

私と彼との会話は英語なんだけど、
即興で詩の一つを英訳してくれた(略)。

友人によると、エンドレは「金」で資本主義をほめ、
「血」で常に死のモチーフを表現したそうだ。
またエンドレの詩のトピックは多岐にわたり、
晩年は革命と愛に向かったという。

tasogare.JPG

「ホテルの小部屋」とエンドレがどう結びつくのか。

エンドレの「血と金」には、「ひとり海辺で」という作品があって、
こんな風なフレーズで始まる。

   海辺、たそがれ、ホテルの小部屋。
   あの人は行ってしまった。
   もう逢うことはない。
   あの人は行ってしまった。
   もう逢うことはない。

ええ~~っ、ちょっと待ってくれよ。
もしかして、これって、あれじゃないか。

五木ひろしさんが歌って大ヒットした
山口洋子さん作詞の「よこはま・たそがれ」を連想させる詩だ。

友人には、なんと切り出せばいいのか、ちょっと悩んでいる。
(写真:ブダペストのホテルの小部屋より)

May 9, 2007 08:38 PM | コメント (12) | トラックバック (0)

2007年05月07日

助っ人で仕事がうまくいくのか:

仕事の能率に関する黄金ルールに、
「ブルックスの法則」というのがある。

先日、仕事でソフトウエアの開発エンジニアと話す機会があって、
その時に出た話題で、妙に話が盛り上がってしまった。

   ソフトウエアプロジェクトが遅れている場合、
   助っ人マンを追加すると、さらにそのプロジェクトは
   遅れてしまう。

という法則のことで、仮にこれを法則Aとしよう。

一方、

   あるプロジェクトがあり、助っ人を呼べば呼ぶほど
   そのプロジェクトの進行がはかどる(法則B)。

という法則もありそうで、これを法則Bとしよう。

election.JPG

法則Bの適用例としては、
たとえば、消火活動の「バケツリレー」がそうだし、
選挙でのポスター貼り(写真)や開票集計もそうだ。
人員が増えると一気に成果が上がっていく。

法則Aと法則Bが、
なぜこれほどまでに正反対の結果をもたらしてしまうのだろうか。

私とエンジニアが出した結論は、

   仕事の内容にあるのではないか、

というものだった。

打ち合わせのほとんど要らない、単純な仕事の場合、
仕事の内容を把握できているから、
助っ人マンが増えても、プロジェクトが混乱することは少ない。

そのプロジェクトに助っ人マンとして参加する人が、
その仕事を「独立した仕事」とみなしてできる仕事である場合、
助っ人マンが増えても、プロジェクトは混乱しないで、
はかどることになる。

つまり、仕事をパートわけしてみて、
助っ人がそのパートを立派にこなせれば、混乱しないわけだ。

「バケツリレー」の場合は、リレーをする人が、
リレーのパートをこなすわけだから、
リレー人数が多ければ、大きなプロジェクトの完成へとつながる。

同様に、たくさんの開票集計は、
小さな開票集計を合わせて大きな集計へもっていけるから、
その小さな開票集計をこなせる人員が増えれば、
大きなプロジェクトとしての開票集計は一層はかどる。

しかし、ソフトの開発の場合、
単純なデータの打ち込みなら、法則Bが適用できるだろうけど、
ソフト開発というパートにわけられない総合的なものになると、
法則Bが適用できなくなってしまう。

ブルックスの法則を説明するとき、しばしば、

   9人の妊婦を集めても、1ヶ月で赤ちゃんを出産できない。

という言い方がされるそうだが、ちょっとたとえがきつい。
このたとえは、誰がやっても不可能なことについて
述べているに過ぎないと思うけどね・・・どうか。

むしろ、船頭多くして、船、山に上る。

この要素の方が強いのじゃないか。

さらに、代替のきく仕事とそうでない仕事の違いのようにも思える。

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May 7, 2007 03:45 PM | コメント (14) | トラックバック (0)

2007年05月05日

ちまきが野球バットに見えた日:

学生野球憲章違反のスポーツ特待制度使用校の調査結果が出た。
調査といっても、申告によるものだったけど、
とにかく、その違反をしていると申告してきたのが、
全国376校にのぼり、公立で申告したのは1校、残りは私立校である。

常総学院高(茨城)、帝京高(東京)、横浜高(神奈川)などの
25校の甲子園優勝経験校も処分を受ける対象校に含まれている。

茨城で全国制覇を2度している常総学院は、
今回の春季大会にも出場していたが、スタメン9名のうち、
特待選手の8名を入れ替えた影響で、
格下といわれる竜ヶ崎一に、1対11で、5回コールド負けを喫した。

埼玉は、春日部共栄が特待選手7名をはずしたため、
公立の滑川総合に競り負けている。

違反校と名指しされ、選手たちの動揺も激しく、
その点をマイナス要因にできるとしても、
やはり、特待選手を外されたための戦力低下は否めないだろう。

となると・・・

chimaki.JPG

特待制度を利用して、
金で選手を集めていただけだという批判はかなり強力になってくる。
つまり特待制度の先に甲子園出場があって、
それを達成するために、金で人材を借りてきていたと言えないか。

このように考えると、
たとえ出場を果たしたとしても、人材拝借の指摘に耳をふさぎ、
目をつむる人たちは別として、それほど価値がある出場とは思えない。

5月3日の日刊スポーツの北海道発記者ブログで、
安部政信記者が、ご自分の経験を踏まえて、
地方格差の視点で記事を書いておられた。

  この記事

特色のない地方の生活の中から、
自分の力を発揮できる高校へ行くという選択肢を選ぶ場合、
やはり、それを可能にするためには、
金銭的な問題をまず解決しなければならない。

野球で力を伸ばしたい学校が他府県にあれば、
下宿をする費用だって捻出しなければならない。

先立つものは、金だということであり、
それが解決しなければ、選択肢が狭まるとすれば、
画一的な野球憲章では、こうした生徒の将来を応援することも
不可能になってくる。

安部記者が言う「地方格差」の視点を考慮すると、
その子供の家庭環境や能力判定を加味した特待制度があってもいいだろう。

そのことは、高校が「外人部隊」を雇ってでも甲子園で優勝をしたい
あざとい戦略への批判とは別に考えなければならないと思う。

子供の正当な夢や願いがつぶれる社会なんて、
それこそ、まともな未来がないのは明らかだ。
子供が将来なりたい職業のアンケートによると、
男の子たちの野球への夢は、まだまだ根強い。

「子供の日」に、粽(ちまき)を食べていると、
つい、粽が、野球のバットの形に思えてきた。
(写真:今日我が家で食べた粽)

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May 5, 2007 11:08 PM | コメント (24) | トラックバック (0)