2007年03月31日

別目的が壊した人生計画:

日本政府の施策がなぜことごとく失敗するのか。

   本来の目的に、横から別の目的が入ってくると、
   もともとの目的も失敗する。

これは、政策に限らず、ビジネスの世界でも
私たちの日常生活にも通じる黄金律と言えよう。

いくつか思いつくままに具体例を挙げてみたい。

その1。

留学時代、同じ博士課程の学生に、
30代後半の日本人男性が妻子帯同でいた。
むろん目的は、博士号を取得することなのに、
彼には目的がいくつか付随した。

   ・子どもをこの機会にバイリンガルに育てたい。
   ・奥さんは絵を描くのが趣味なので、英国で個展を開くのが夢。
   ・不動産投資で家を買っておけば、
    学位取得する数年後にはうれしいほど値上がり。
   ・この機会に英国を基点にいろいろ海外旅行を満喫。

渡英してくる親、親戚、元同僚などにホテル代わりに家を使われ、
観光ガイドもさせられ、もっとも大事な研究の時間を邪魔された。
異国での心労の末、妻も彼自身も体調を崩して帰国。
最大の目的である博士号を取得できず、中退となり、
結果的に何も実らなかった。

その2。

A子さんは、夫とは、いわゆる「出来ちゃった婚」である。
夫と結婚したいために、妊娠し、結婚へ寄り切ってしまった。
子どもは生まれたが、いつしか夫婦の関係は冷えてしまった。

そもそも子どもを持つ目的はそういう形で生まれるものではなく、
別の目的(相手の男性を結婚に思い切らせる)が入ってきてしまった。
結局、黄金律が教えるように、元の目的(結婚)さえ失敗した。

その3。

ある開業医の話だ。
医院経営が順調で、多額の日銭が入って、
ゆとりもできた頃、当初の目的は、
医院を賃貸物件ではなく、自前の土地付開業施設にする
というものだったが、いつしか、
銀行、不動産業者にすすめられるままに、
ビジネス(ビル経営、土地ころがし、駐車場経営、飲食店経営)に手をひろげ、
ついにバブって、資産をすべて失い、一介の勤務医にもどってしまった。

私の周りにいた人だけを見てもいくつか例があった。
だから、毎日のニュースに接すると、
この黄金律の正しさが理解できる事例に事欠かない。

cherry.JPG

その4。

たとえば、よくある議員の海外視察はどうか。
本来の目的は、海外視察で得た知識・経験・調査を
政治に生かすということなのに、他の目的が入ってくる。

それは、海外観光をしたいという目的。
よって、税金の無駄遣いを追求され、
つじつまを合わせるための偽領収書や日程を作らねばならなくなり、
あげくの果ては居直ることで、選挙民の失望を買って、
政治家の信用を失墜させてしまう。

目的を達成する場合、余計な目的を入れず、
できるだけ単純にして、本当に達成したい目的に絞ることこそ
その成功の秘訣であると思えてならない。
(写真:桜はこの季節に咲くことが目的だから咲くことが出来る)

March 31, 2007 10:40 PM | コメント (16) | トラックバック (0)

2007年03月30日

目的が目的をつぶす怖さ:

戦後アメリカは、フィリピンやベトナム、
最近ではイラクに莫大な金を投下してきた。

その金は、アメリカが期待するほど
需要となって跳ね返って来なかったし、
建設的な形で期待に沿うような結果になっていない。

大方の投資資金は現地の権力者にかすりとられ、
アメリカの立つ瀬がなくなるような歴史を刻んできた。

どうして、アメリカ政府の「善意」や「期待」に反して、
介入した国の国民から不平や不満が吹き出て、
投資資金が無になってしまうのだろうか。

この疑問を考えてみたい。

たとえば、イラクで治安部隊として活躍するアメリカ兵士が
反政府のゲリラの攻撃にかなりの死傷者を出したことがあった。
最新式の武器や車両による武装ではなく、
ディフェンスが劣る車両を利用したことで、
被害が増大したというのである。

なぜこういうことを招いたのかと言えば、
武装車両が旧式なため、
攻撃に対して持ちこたえることができなかったから。

とりあえず、古い武器や車両を使い切った後で、
新しい兵器を導入したいという(計算が働き、
兵士たちの貴重な命がうばわれた)目的が加わった。

もともと目的は、兵士の命を守ること、
治安を守ることであった。

ところが、この目的に、武器の在庫一掃という別目的がプラスしてしまった。

   本来の目的に、横から別の目的が入ってくると、
   もともとの目的についても失敗する。

ishokudougen.JPG

こうしたことは、常に日本政府もやっている。
(写真:二つの目的がうまく行った珍しい例「医食同源」)

毎日新聞のウエッブ記事に、

   <電子申請>1件1500万円 5官庁でIT予算むだ遣い

これなど、典型的な例だ。

国民が国へ届出をインターネットを通して行なう電子申請で、
外務省など5つの官庁システムを調べたところ、
ほとんど申請の需要がなく、
なんと申請1件あたり、約70万から約1500万円の
コストがかかってしまったというのだ。

この申請のIT化の当初の目的は何か。

   需要の多い申請をネットを使うことで簡便にして、
   コストを減らす

と、いうことだったはずだ。
しかし、これに別の目的が入ってきた。

   ・官庁の独立性を保つために官庁ごとにシステムを運営する。
   ・ITを使って、時代に乗り遅れない仕事をする。
   ・業者に新たな発注で仕事を与える。

結局、もともとの「目的のみ」できちん議論を重ねていたら、
「電子申請の需要の高さ、必要性の高さ」などは弱いことがわかり、
コスト高になる分はIT申請の必要なしの結論が出来ているはず。

上記の別の目的の三つが加わることで、
元の目的も失敗に帰すことになったわけだ。

こうした失敗を繰り返さないためには、
公務員も税金を使う時は、
自分のお金を使うような気持ちを持って
慎重に考えてからにしてもらいたいものだ。

   本来の目的に、横から別の目的が入ってくると、
   もともとの目的についても失敗する。

これは、ビジネスの世界でも日常世界でも、
応用のきく「黄金律」だと思う。

日常生活でどんな風に「別の目的」が入ってくることで、
もともとの目的も失敗してしまうのかを
明日具体例をあげて、考えてみましょう。

・・・・・・・

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March 30, 2007 10:57 PM | コメント (11) | トラックバック (0)

2007年03月29日

強い男の子が育たない理由:

先日、知人のサラリーマンのご夫婦と話した時、

   最近、強い男の子が育っていないと思われませんか

と、聞かれた。

ご夫婦には、小学校低学年の男の子がいて、
やはり男の子は強く育って欲しいという願いがあるのか、
このままの状態が続くと、女の子みたいな弱い男の子に
なってしまわないか、心配しているという。

言われてみれば確かに、どの年代かは定かではないけど、
軟弱な子が目立って多くなってきたように思う。

よく言われるように「人間は環境の動物である」から、
環境によって弱い男の子が作られてきたことになる。
環境でもっとも人に影響を与えるのは、
言語環境だから、男の子たちが育つ年少期に影響を受けているのだろう。

そうすると、保育園や幼稚園での「言語環境」が
もっとも大事な時期になるのか。

保育園や幼稚園の先生方が男の子を呼ぶとき、
正規の名前、たとえば「英男さん」、「浩次くん」ではなく、
「ひでタン」とか「コウくん」などと呼んでくれるのは困ったものだ。

園の若い女の先生にとっては、フレンドな関係を強調したいのだろうが、
この呼び名は、まったくペット扱いである。

どんな風に先生たちが、英男さんや浩次くんに話かけるかと言えば:

   ハ~イ、ひでタンお昼ですよ。
   今日は、ひでタンの好きな、ツーツースパゲッティ、
   可愛い真っ赤なお洋服のトマトさん味、
   黄色いお帽子をきたコーン君も一緒で、
   ほらほら見てごらん、ピーマンさんが呼んでるね。
   ボクちゃんもみんなの御友達にしてねって。

私なら:

   英男さん、今日の昼食はスパゲッティですよ。

幼児っぽい言葉をなくした会話は、正直デコレーションはないけれど、
だって、その後会話を続けていけばいくらでも
幅は広がっていくから・・・。
どんなスパゲッティですか、野菜がいろいろ入っている。
トマト味よ、という具合に。

しかし、例えばサムライや軍人の家庭では、
ほとんど幼児語は使われず、大人同士に近い会話であった。

それはお弁当にも言えることだ。
たとえば、こんな風なお弁当
「たこさんウインナー」「オムレツにケチャップで絵を描く」など、
食事を食事として捉えず、遊びの一種にしてしまっている。

食事をなぜ食事として理解させようとしないのか、
なぜ幼児言葉を排して、普通の言葉遣いで接しないのか。

弁当箱に漫画のキャラクター、中身はおもちゃ箱のような豊富さ、
朝から眠るまでが、おとぎの国と現実の生活が、
ない混ぜになってしまっている。

お風呂に入ってもトイレに入っても、
パジャマを着ても、キャラクターに囲まれ、
遊びながら言葉を増やそうとしていることでもわかるだろう。

幼児期にこうした甘い環境に接していたのでは、
残念ながら、とても強い子には育たないように思う。
日常的に親が子どもに早く大人言葉を教えていくしかないのだろう。

March 29, 2007 11:04 PM | コメント (17) | トラックバック (0)

2007年03月28日

食べ放題だ、飲み放題だ!:

もう10年以上前になるだろうか、
吉祥寺にある「すき焼き・しゃぶしゃぶ」で有名なお店に
妻と入ったときのことである。

隣の席は、夫婦と育ち盛りの小学生3人のファミリーで、
しゃぶしゃぶの食べ放題を注文していた。

メニューには通常と食べ放題コースがある。

それとなく見ていると、5人分の
しゃぶしゃぶ用のお肉と野菜の盛り皿が運ばれてくると、
5,6分ほどできれいにお肉が胃袋に入ってしまった。
お肉が胃袋に消える度に、
お店の人に追加注文する。またお肉が消えるという具合だ。

その間、親も子どもも会話一つかわさないで、
ひたすら、お肉をお湯にくぐらせ、
タレをつけて、まるで胃袋工場の図が隣席で展開されていた。

そして、何回目だろうか、
その家族が追加のお肉皿を追加注文した時、
お店の人が、少し気色ばんで、こう忠告した。

   すみませんが、お客さん、
   野菜も食べてくださいよ!

そのファミリーは言われて当然の食べ方をしてきており、
通常は、お肉の皿と野菜の皿を1セットとして、
食べて、そこからまた追加のお肉と野菜をいただく、
というスタイルだろう。

中には店によっては、お肉ばかり注文も可能という
ルールもあるようだが、
正直言って、野菜を抜きにして、
肉だけをがつがつ食べのでは、おいしい野菜が泣いている。
ゴミ箱へ行くのは必然だろう。

だいたい、しゃぶしゃぶは野菜を一緒に食べる方がおいしいし、
単調にお肉ばかりとるよりも、野菜がお肉の臭みをとってくれるはずだ。

親が子どもに、しゃぶしゃぶの食べ方を教えないといけないじゃないか。
(学校は教えてくれない)
いくら家族団結して、本日は肉を猛烈に食べよう、
えいえいおー! と決意を固めて、
食べ放題の戦いに参加したとしても、
家族の食事の風景としては、何だかいただけない。

もうひとつ。

次のエピソードは、数年前に、東京・渋谷の
食べ放題のシステムがある鮨屋さんで経験したこと。

私と妻が普通に食している隣席で、
30代のA子さん、B子さんが、90分制限の食べ放題に挑戦していた。

彼女たちの頼み方が、あっぱれだったので忘れられない。

まずそれぞれが、トロを8貫頼んだ。
それをあっという間に平らげて、今度はウニの軍艦巻きをそれぞれ8貫。
これはやや食べる速度が低下したものの、二人はクリアした。
残した分は買取システムだ。

付け台の鮨をクリアした後、すぐにA子さんがこう言った。

   これで、元取っちゃった!
   後は、タダだもんね!

A子は、店員を呼んで、

   もう一回、トロ!

B子は、よほどウニが気に入ったのか、またウニを8貫頼んだ。

   最後は、巻きで〆ようね!

と、A子は、高らかに宣言した。

食べ放題という食事形式が、いったいどのような理念に
支えられているかは知らないが、
「しゃぶしゃぶ」と「鮨」の光景を見ると、
どうやら、客が満したいものがいびつに思えてならない。

食べ放題は:

1 メニューが基本的に高価(ホテルのバイキングは5~6千円)。
2 あまり日ごろ食べることができないもの。
3 たくさん食べる。
4 食べるということが目的で、人との会話は二の次。

今、メタボリック症候群が問題になっているが、
この「食べ放題」は不健康を促進させる
かなりインパクトのある食事形式に思える。

この「食べ放題」に、「飲み放題」が加わってくると、
まさに暴飲暴食を勧めているわけで、
このシステム自体の存在の是非が問われるように思えてならない。

友人から聞いたのだけど、アメリカには鮨の食べ放題はあるが、
アルコール飲料の飲み放題はないそうだ。
考えてみれば、アメリカ社会で「飲み放題」システムを導入すると、
彼らの体力からして、とてつもない呑み助が出現、
アルコール依存症の人も多いだろうし、
第一、「飲み放題」で飲んだ結果、事件を起こされたときには、
かならず、野放図に飲ませた店の責任を問われることだろう。

しゃぶしゃぶは野菜と一緒に食してこそおいしいのであって、
これは鮨にもいえることで、さまざまなバリエーションの
鮨を食べてこそおいしいのであって、
トロばかり16貫、ウニばかり16貫も食べたら、
飽きてしまうように思えるが、
とことん味わい尽くしたいのは、自分の欲望に忠実なのだろう。

ただ、健康を考えたら、
市場原理でこの「食べ放題・飲み放題」を採用するのは、
もう時代遅れじゃないだろうか。

貝原益軒が養生訓として述べる「腹八分目」が
いちばん、胃にやさしいスタイルのはずだ。

・・・・・・・

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March 28, 2007 11:00 PM | コメント (13) | トラックバック (0)

2007年03月27日

その時、嫁は見た!:

昨日の記事「オレ、母さんより嫁が大事だ!」に
登場したお嫁さんが、
どんな風に姑(しゅうとめ)と心を通わせ合えたのか、
について、語ってくれました:

     *     *     *

あの日、聞いたこともないホームから突然電話があって、
私、最初、何のことか、とても戸惑いました。

でも、よく聞いてみると、どうやら、
お義母さんが手に負えない状況になっている、ってことがわかった。

娘さんたちにも連絡してるが、ラチが明かない。
弟に電話してくれ・・・って娘さんたちに言われて、
初めて息子さんが居るとわかった・・・って言うんです、ホームの人は。
取り合えず、すぐ来て欲しいと言われました。

私は、てっきり、二人のお義姉さんの所でお世話になっていると、
安心していたのに、そうじゃなかったんですね。

取るものも取りあえず、夫とホームへ行きました。
病室のドアーを開けて、もうびっくりしました。

   縛られていました。

理由は何であろう、ショックでした。
お義母さんの姿を見て、

   この人の面倒は私が見る!

そう決めましたね、ぜんぜん揺るぎなく
どうしてかわからないけど 心に決めちゃったんですよ。
人間には、勢いってあるじゃないですか。
多分男気みたいに。
私のは、「女気」かしら、ふふふ。

後で、夫は、

   無理するなよ、
   姉さんと話しあって皆で母さんの面倒は見るべきだよ。

と、言って、気遣ってくれましたが、
私、意固地じゃなく、
もうあのベットの上のお義母さんの姿を見たら、
絶対放っておけない、と決心しました。

あんなこと、二度と思い出したくもないんですよ。

あのままお義母さんをベッドへ置き去りにしたら、
私の親が笑われますもの。
何という育て方をした、どういう教育する家だ、とね。

私ね、自分は赤い血通っている、と思っているもん。
そのことをお義姉さんたちに見せたかった。

それと・・・

私ね、結婚する時、お義母さんに反対されたから仕返しに、
今、知らんぷりして、ホームへ入れたままにしても、
5分5分だと思いますけどね、
それを、私がここで断ち切らないと、悪循環になるでしょう?

私の息子も、もう大学生。
事の一部始終を見てますからね。
息子が結婚したら、真似されても良い事、
良い生き方を見せておきたいんです。
そうでないと、親なんて放っておいてもよい者みたいになるでしょう。

もう1つ・・・。

お義母さん、うちの孫二人を本当に可愛がってくれましたね。
猫可愛がりと言うのとは、違いますよ。
ここ1番と言う時のお婆ちゃんの愛情の力みたいなんですけどね、
赤ちゃんの頃、風邪で鼻水がズーズー流れて、
私がガーゼで拭いても拭いても止まらなかった。

苦しそうに泣くのを見て、お義母さんったら、
いきなり、孫の鼻水を口でかる~く吸ったら、
ズルズルっとまとまりが出て、治ったんですよ。

下の子も、3歳ぐらいの頃にね、2日ほど便がでなくて、
私、浣腸を買いにいこうとしたら、えらいおこられました。
そんなことしたら浣腸ぐせがつく、よう見ておきなさいと言って、
トイレットペパーでこより作って・・・。

こよりって知っておられますか?
それでおしりの穴コチョコチョとするんですよ。
子供もこそばくって、笑うんですが、
そのうち硬いのがポロリと出てきて、
続いていつもの便がニョロニョロでました。

変な言い方ですけど、お義母さんが亡くなる時、
昔の知恵がいっぱい詰まっている頭、残してほしい
って、バカなことを考えていたことを思い出します。
夫には、笑われましたが・・・。

     *     *     *

晩年のお母さんは、初めての人にはいつも決まって、

   私の娘です。

と、お嫁さんを紹介してくれたそうだ。

つくづく人生は長いなあと思う。
これほどまでの関係が築かれるのに、
どれくらいの悲しみや怒りや笑いが繰り返されたことだろう。
私の心糸に触れたので、
ささやかだけど、二回に渡って、ちょっと記述してみました。

March 27, 2007 08:28 PM | コメント (16) | トラックバック (0)

2007年03月26日

オレ、母さんより嫁が大事だ!:

ある年の晩秋、一人の老母のお葬式に出かけたことがあった。

私は息子さんを存じあげており、たまたま家を訪問して
お母さんとも仲良くなってしまった。

彼女は、後家を通して、1男2女を育て、
人並みに教育を受けさせ、結婚もさせた。

何度か茶飲み話を付き合って、彼女から聞き取った話は以下の通り。

     *     *     *

夫に病気で先立たれ、家計は大変だったね。
手に職はないし・・・。
私みたいな昔人間が出来ることと言えば、
家の中での仕事しかありませんね。

とりわけ惣菜を作ることは苦にならないし、
誰しも食事をしない人はいないと考えて、
家の前に小さなテーブル置いて並べてみましたら、
これがビックリするほど人気が出て、毎日売り切れました。

なんでもない普通の私が、
肉じゃが、ひじきの煮物、マカロニサラダ、ロールキャベツ、
卯の花、野菜のおしたしなど、
自分の子供に食べさせるのと同じ物を大目に作って売るわけですから、
たいして難しい事はありませんでしたよ。
ただ、揚げ物コロッケなんかは、揚げているだけで
胸がむかついてくるので、すぐやめました。

子供が中学生ぐらいになると、
それぞれ分担して手伝ってくれるようになって、
随分楽になりました。
家に少し手を入れて、店らしくもしました。

やがて結婚適齢期を向かえ、
どの子も恋愛したり、お見合いでまとまりました。

問題は長男。
連れて来たガールフレンド、これには反対しました。

理由は、その女の子が、長男の友達の元ガールフレンドだったから。
これはいけません。
友達にとって、感じが悪いし、
後々昔を思い出して気まずくなります。

最後は、私も意地になって、
母親取るか、ガールフレンド取るかになって、
結局私が折れて、結婚を許しました。

しかし、やっぱりわだかまりはあるし、
2人でイチャイチャされると、さみしかったですよ。

例えばね、ペアのセーター着たり、
手つないでカラオケに出かけたりするのを見ると、
「あー、もう私の息子じゃない」なんて、思いました。
私の若い頃は、姑の前で出来なかったことですね。

そんなこんなで、いっとき、別に暮らしたこともありますが、
私の気持ちが変わったのは、孫が生まれた時ですね。
男の子でした。
産院で生まれた孫を抱っこした時、
体が震えるほどうれしかったんです。

もう可愛い、なめまわしたい、本当に絶対この孫と一緒に暮らしたい、
離れて暮らすなんて考えられない・・・、
そんな風に思いましたね。
不思議なもので、孫の存在が大人の感情を一気に解決してくれたんです。

お嫁さんと一緒に惣菜作りをしました。
息子がバイクで配達してくれ、商売も順調で幸せでした。
それでも、寄る年波には勝てず、
体のあちこちにガタがきて、病院通いが始まりました。

勿論お嫁さんは、良くしてくれました。
中学生になった孫も、薬をもらいに行ってくれたり、
私が眠りにつくまで足を摩ってくれたり気遣いをしてくれました。

でも、いよいよ体が利かなくなると、
お嫁さんの手前、寝てるわけにもいかず、
実娘の元で寝付くことになりました。

やっぱりお嫁さんと実の娘では、気楽の度合いがぜんぜんちがいますよ。
いちいち、有難うと言わないでよろしいものね。
娘婿は、サラリーマン。
朝出かけ、夜私が眠ってる時間に帰るので、
何にも気つかわんでいいし、孫も2人おりますけど、
「あれ~、あおばあちゃんが居るの」って感じですから。

もう一人の娘の所も似たり寄ったりで、
結局1月交代で二人の娘の家で暮らしてました。

それで甘やかされたんでしょうかね、
体がひどく衰弱していきました。
布団にいる時間が長くなって来て、娘もさすがにイヤミを言い、
「いい病院見つけたから、見に行ってみよう」と言われ、
行ってみると、そのまま預けられてしまいました。

夜は眠られないわ、帰りたいわ、情けないわで、
ホームのあちこちうろうろし始めたら、
ベッドに縛られるようになりました。

手洗いが近くなり、間に合わず、
失敗したことが原因で、オシメまで・・・。
死ぬまでここから出られないのかと思うと、
私、悲しくて、毎日泣いていました。

息子に電話するにも、荷物は全部管理されてしまい、
どうしようもありませんでした。

ひと月ぐらい過ぎたある日のことです。

血相を変えて、息子とお嫁さんがやってきて、
「迎えに来た。お母さん、すぐ帰ろう!」と云うんです。
「ごめんなさい、お母さん、一緒に帰りましょ!」
と、お嫁さんも言ってくれ、
息子の配達のライトバンに乗った時、
私は、子どものように泣きじゃくりましたよ。

娘の所ならと安心していたら、まさかホームに入れられるなんて、
思いもしなかったですね。
息子はほんとんど姉たちから事情を聞かされておらず、
事情を知って、飛んできたのです。

その夜、私は息子と嫁の間に、「川」の字で眠りました

それから息子夫婦と孫二人と一緒に暮らすことになりました。

     *     *     *

「世界一小さな新聞」で老母の語りを書いたのが始めて。
市井の方の話は、誰の目にも触れず、99%が消えてしまっています。
感じることがあって、書いた次第です。

次回はお嫁さんからの聞き書きです。

March 26, 2007 09:47 PM | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年03月24日

傷つける人、傷つけられる人:

このブログで、「死者の名誉毀損」を
考えるにふさわしいという視点から、
城山三郎さんの作品が起こした事件を扱ったのであって、
城山さんを貶める意図がなかったことは明らかでした。

にもかかわらず、昨日の城山三郎さんの記事に対して、
コメンテーターのえすたさんは、以下のようにコメントを
寄せてこられました。


<<>むろんこの裁判が、城山さんの作品群を
貶めるわけではないことは言うまでもない。

裁判が城山作品を貶めるわけではないが、この記事は、貶めようとしているように思う。あるいは嫉妬か。それとも、この記事自体、筆がスベったのか。

「落日燃ゆ」を実際に読んでみれば、この記事も、この記事に対するコメントの多くも、的を射ていないことがわかるだろう。あまりに小さな枝葉末節で、訃報の直後にこれみよがしに述べるべき類いのものではない。>>(投稿日:2007-03-24 09:48:49)


まず「あるいは嫉妬」、「筆がスベった」などと、
悪意に満ちた表現をされる覚えなどまったくない。
高年齢の人に、なぜ嫉妬する理由があるのか、皆目、わかりません。

「コメントの多くも」と一からげにまとめるのは
他の多くの読者に曖昧さで濁してしまう。
他のコメンテーターに反論があるのなら、
反論したい人に述べるべきだ。

「小さな枝葉末節」とは、「死者の名誉毀損」を議論することが
枝葉末節と言っているようだが、
その考えは、まったく間違っている。
この議論は法律的にも権利の深部に触れる議論であり、
城山さんの「落日燃ゆ」事件以前以後にも、
文学作品にからんで、提訴されている。

たとえば・・・

1977年刊の「事故のてんまつ」という臼井吉見さんの小説がある。
この作品で、臼井さんが、ノーベル賞作家川端康成さんの自殺の原因を
「若いお手伝いさんに対する執着が死の一因」としたことに、
遺族がこれでは亡くなった川端さんの人格権を侵害しているとみなし、
法的処置をとった。
しかし、裁判所の判断を待つ前に、和解が成立している。

1983年に大阪地裁堺支部で判決がでたケースに、
「小説・密告」事件というのがある。
これは特高警察による俳句集団事件を題材にした、
小堺昭三さんの小説「密告」の中で、
新興俳句運動のリーダー的俳人の一人、
故西東三鬼さんが、特高のスパイであったという
虚偽の記述があり、西東の次男が死者と自分の名誉を毀損されたとして
提訴して、勝訴している。
ただ、死者である西東三鬼さんへの直接の権利保護はされていないが、
死者の名誉自体も間接的に保護された。

亡くなった方の名誉権の保護は、あの有名な
「エイズ・プライバシー訴訟」などもあって、
とても「枝葉末節」などと軽んじてよい議論ではない。

城山三郎さんが、佐分利貞夫氏の名誉毀損で遺族から訴えられ、
すくなくとも遺族を傷つけたことは事実であり、
私は、城山さんの訃報を聞いた後で、「死者の名誉毀損」が
いかに大事なトピックであるかをこのブログで示したに過ぎない。

そして、城山さんの描写には訴えられるだけの「虚偽虚妄」性を
疑われるものがあっただろうが、
私が言いたかったことは、城山さんが提訴されたことがあったという
事件のいきさつと見解だ。

裁判に勝ったから、作品の中で遺族を傷つけていることをわかりつつ
その問題の箇所をそのままにしてもよいという作家の感性は、
どう評価したらよいのだろうか。

傷つける人、傷つけられる人、
傷つけたままにした人、傷つけられたままにされた人。
なるべく、やめてほしい図である。

関連記事
元教師も一皮むけば・・・」(12月1日付)

March 24, 2007 10:53 PM | コメント (8) | トラックバック (0)

2007年03月23日

城山三郎さんの筆がスベった:

作家城山三郎さんが、79歳でなくなった。
経済学者が経済社会の現実をみすえて、
文学にまで高める作品を量産された。

たとえば、「輸出」では海外輸出の最前線を、
出世作「総会屋錦城」では、一般にはほとんど知られていなかった
総会屋の実態が描かれ、錦城が「時間」にこだわる姿は、
今も私に強い印象を残している。

サラリーマンの悲哀、官僚制度の本質、受験戦争なども
鋭い観察眼で描かれ、多くはドラマ化された。

今朝の日刊スポーツ新聞と朝日新聞は、訃報の中で、
吉川英治文学賞と毎日出版文化賞を
ダブル受賞した「落日燃ゆ」に触れている。
この作品は、A級戦犯として処刑された唯一人の文官、広田弘毅元首相の
生涯を描いているが、これはちょっと「ケチ」がついた作品だ。

両紙ともそこまで触れなかったので、
良い機会なので、ちょっと書いておきたい。

shiroyama.JPG

日本の刑法には、通常の「名誉毀損」の他に
「死者の名誉毀損」の規定がある。

日本法も英米法と同様に、死者を権利主体とは認めていないのだけど、
刑法230条の(2)(それに「死者の占有」)と著作権法60条をめぐって、
権利主体に近い形で認めるかどかで議論が紛糾してきた。

「死者の名誉毀損」に関する判例および和解事例は数例あるだけ。
「落日燃ゆ」の東京地裁判決(1977年)がその珍しい例の一つだった。

「落日燃ゆ」に登場する人物の遺族が、城山さんを訴えたのだ。

城山さんは、広田弘毅氏のライバルであった
佐分利貞男元駐支公使の昭和4年の謎の自殺にふれ、
その動機をめぐる記述のなかで、
佐分利氏の行動について、

   それに、相手は花柳界の女だけでない。
   部下の妻との関係もうんぬんされた。
   (潔癖な広田は、こうした佐分利氏の私行に、
   「風上にも置けぬ」と、眉をひそめていた。

と記述した。

この箇所を、佐分利氏の甥がとがめた。

甥は、この一節は故佐分利氏の名誉を毀損し、
故人を実父のように敬愛している自分は、
これにより、耐え難い精神的苦痛を味わっているとして、
城山さんを相手とし、謝罪広告と慰謝料100万円を求めて提訴した。

東京地裁は、死者の名誉毀損は賠償に値するとした上で、
「落日燃ゆ」の一節が、「死者の名誉毀損」の刑法条文の
一番大事な要件「虚偽虚妄」であると認定するに足りる証拠が存在しない、とした。

つまり、城山さんの行為には、違法性はないと判断され、
甥の請求は棄却されたわけだ。

しかしこの事件は控訴された。

昭和54年東京高裁判決では、
第一審と同様に死者の名誉侵害が不法行為となる可能性を肯定しつつも、
甥が訴える資格があるかどうかへの疑義を出したけど、
結果的には、問題の箇所に「虚偽」の事実が認められなかった。

控訴人の甥は、敗訴している。

私は城山さんの「筆がすべった」のだと思う。

自殺の原因を推測で書くことは、自殺者の遺族には
耐え難いほど精神的にきつい。
それを書いてしまうことは、デリカシーの問題だろう。

   城山さんの影響力を考えれば、
   読者は彼の推測を信じてしまう怖さがある。

法律レベルでの「虚偽虚妄」の事実はないかも知れないが、
作家の良心のせめぎあいには、裁判所は立ち入れないのではないか。

むろんこの裁判が、城山さんの作品群を
貶めるわけではないことは言うまでもない。

・・・・・・・

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つきまとう慰安婦問題」ハヤブサさん、フーさん、横浜人さんに注目

March 23, 2007 03:17 PM | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年03月22日

親子の特訓:

今朝、私が仕事をしていると、
妻が「ちょっと、ちょっと」と呼びに来た。

   何なの?

と、聞き返すと、唇に指を当てた妻が「シー」としながら、
私を洗面所へ連れて行く。

   聞こえるでしょ?

なるほど、小窓から小鳥の啼(な)く声が聞こえて来る。
じつに不安定で弱弱しい声である。

   キョ、キョ、キョキョ

妻が「変わった鳥みたいに思わない?」と言う。

確かに、啼いてはいるが、少し変である。
しかしよく聞くと、これはどうも鶯(うぐいす)の啼き声のようだ。
それも小鶯の声のようだ。

その後、ホーホケキョという、親鳥と思える模範発音が聞こえて、
それをまねる小鶯の声が続き、やがて交互に聞こえるようになって来た。
親は子をしつけしなければという責任を果たしているのだろうか。

15分ほど経過すると、
このキョ、キョキョという啼き声が、

   ホー、ケキョ、ケキョ

とかなり明瞭な発声音になってきたではないか。

   今、電動歯ブラシを使わないでよ、
   せっかく親子の美しいハーモニーが
   台無しになるからね

と、命じられてしまった。

日本人など、いくら英語の発音を指導しても、
半年かけてtheをzaと発音してしまうのに、
この鶯は親の指導どおり、どんどんうまくなっていく。
人間は鶯以下なのか、と思うと、少し情けない。

当然ながら、杜牧の「江南の春」の一節を思い出す。

   千里、鶯啼いて、綠、紅に映ず

March 22, 2007 11:25 PM | コメント (12) | トラックバック (0)

2007年03月21日

野中ともよさんが、コケた!:

会社の人事も再建も、むずかしい。
人事と再建が合体したら、なおさら、むずかしい状況になる。

一昨日、経営再建中の三洋電機の野中ともよ会長(52)が、
会社側に辞表を提出した。
05年6月、創業者井植敏会長(当時)の後継指名を受けて会長に就任、
副社長の井植家の長男・敏男さん(44)も社長に就任、
この二つの人事を当時は「世襲批判かわし」の話題づくりと評された。

それからわずか1年と9ヶ月で会長職を辞した。

理由はシンプル、野中さんに三洋電機の会長が務まらなかったのである。
収益を上げられない経営者はクビで当然。

今回の辞職は、過去の決算で不適切な会計処理があり、
その実態解明や再発防止をどう進めるかについて、
野中さんと他の取締役との間に対立があった。

野中さんは社外の弁護士を含めた社内調査委員会を設置して、
早急な調査を求めたが、反野中派が難色を示し、
ついに野中さんは辞表をたたきつけたという形を作っている。

形だけ見ると、早急に明らかにするために、外部の血を入れて、
調査をしようという野中さんに、反対派が抵抗する、
つまりコンプライアンス派の正義の戦いみたいな印象があるが、
金融庁が判断を示していない前に調査委員会を設置する是非
の問題を棚上げにしている。

   段取り狂わせの正義・・・か。

boat.jpg

野中さんは、なぜこの反対を受けて、辞表へ至ったのか。
結局、ここ数ヶ月彼女は辞める機会を探していて、
このチャンスを「渡りに舟」(右写真)と利用しただけと、私は思う。

昨年3月に経営再建の資金3000億円を調達するために、
主力銀行の三井住友銀行、ゴールドマン・サックス、
それに大和証券SMBCの3社に第三者割当増資を引き受けてもらった。

業績アップで答えるのが、野中さんや井植社長の仕事であり責任のはず。
ところが、野中さんらが立案した中期経営計画発表からわずか1年で
三洋の再建の歯車が狂った。
巨大な減額修正を強いられたのだ。

これって、経営者の力がなかったということであり、
経営再建が金融機関3社の主導に移ることになる。

   移るに決まっているじゃないか。

ところで、野中さんの履歴や業績を見ると、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても、
三洋電機の会長職を遂行できない。

会長職を要請した方も方だけど、引き受ける方もどうかと思う。
なんだかな~、安易過ぎる。
評価できる実績も高い評価もないのだから、
普通は断る。断るのにも頭脳と勇気はいるけれど……。

野中さんは、虚業の世界で経歴を積んだ。
社会科学の学問出身ではなく、人文系。
メーカーのビジネスの素養・感覚は、まずないとみてよい。
長くテレビキャスターを続け、10年前からは、
経済番組のキャスター、電波で名前と顔を売って、
実業界での社外取締役などの経験を積んだらしい。

しかし、業績下方修正後の役割を見ても、
新製品の発表やブランド関連での仕事に限定され、
要するに、金融側の取締役たちから見ては、
TV出身の野中ともよという立ち位置しかなかった。
彼らは、当然の評価をしたまでだ。

テレビは虚業だ。

私の知人のジャーナリストが某局のニュースワイドショーで
ニュース解説者として出演していた。その彼は、

   その番組でニュースを取り上げる時、
   キャスターのためのシナリオをつくらなくてはならない。
   つまりキャスターが僕に質問をすることまで、
   準備してあげるのさ。
   いわばお人形さんってこと。

と、語っていた。

彼女も似たような状況にあったのだろう。
キャスターなどほとんどが虚像と見てよい。

翻って三洋電機を考えれば、仕事の違いが歴然とする。
三洋電機はメーカーであって、基本は販売数量だ。
企業の成長や復活を見るのに長けているピーター・リンチも
メーカーについては、物理的な販売数量を一番気にする。

この1個1個販売していく数量が、四半期ごと、そして
年々伸びる会社であるかどうかに注目するのだ。

「野中ともよ」というキャラクターが、一つのブランドとして、
企業宣伝しようが、ほとんど役には立たないし、
肝心の製品がコケていてはダメだ。

こういう当たり前のことが、虚業にいた人には到底わからない。
一個一個製品を作り、一個一個販売していくことで成立する世界と、
虚業の中身が空っぽの似非ブランドが、
利益を生む世界のギャップに咲いた、
会長職であると思えば、今回の辞職がよく理解できるだろう。

あれでは、おそらく社員は野中さんについて行きようがなかったろう。

一つの製品をつくることに魂を入れ、生きがいを感じ、
それをこつこつ売ることに生きがいを見出している社員が、
虚業の野中さんを支持する理由は見当たらない。

少なくとも、彼らは、黙ってものづくりを認めてくれながら、
金融会社派遣の取締役が派遣本社を見ていてくれた方が
仕事はしやすいだろう。

さらに、野中さんはあろうことか、
夫の会社にまで、身びいきのおいしい思いをさせ、
三洋電機にとがめられ、信頼をなくした。

野中さんの会長就任の1年9が月前に、
今回の会長辞任を予想していた経済記者は少なくない。

「やっぱりね」である。

では、なぜこんな風に結果がわかっているにもかかわらず、
人事権を持つ人がこんなつまらない人事を決定してしまうのか
という疑問が残る。

昨日20日付の朝日新聞朝刊を読んでいたら、
2面の総合欄に、イタリア副首相兼文化相の
フランチェスコ・ルテッリさん(52)の記事があった。

日本でダ・ヴィンチ展を実現させた政治家である。

   「汚職の一斉摘発に揺れた90年代以降、
   イタリアでは財界や学会から政治家への転向組が
   幅をきかせている」

という朝日新聞の記述に対して、ルテッリさんは次のように答えている。

   「でも、政治で最終的に必要なのは
   実務知識の蓄積だと言いたいね」

私もその通りだと思うし、
野中さんにも同じことが言えたのではないか。

結局、虚業の人には無理がある。
この認識が、三洋電機の人事権を持つ人に欠落していたのだ。

世間では、これを「人を見る目がない」と云う。

March 21, 2007 08:14 PM | コメント (15) | トラックバック (0)

2007年03月20日

夜の体操はダメ!:

記事「男にも症状は出るのか?」(3月6日)で、
男の更年期障害について書いたら、早速、オバが電話をしてきた。

男はいいから、読者の中でもし更年期障害の女性の方がいて、
睡眠不足で悩んでいるなら、是非お試しの方法がある、という話だった。

   私、本当にいろいろ薬もハリもやってみたから、
   くわしいのよん。
   で、偶然、朝ガーデニングしていて、
   ついでに体を動かしてみたら発見したわけ。

オバは自分の周囲で同じ悩みを持つ女性に、
そのやり方を教えてみて、そこそこの効果を期待できるので、
是非ブログで書いてよ、と半ば強制的に言うのだった。

しかし、私としては、変な素人療法を広めて、
もし副作用でもあれば、責任問題になるから、
「できないよ」と言うと、そんな心配はなし、と話し始めた。

undo.JPG

彼女がすすめる方法は、誰でも明日から出来て、実に簡単。

   毎日30分以上、朝に軽い運動をすることよ。
   早足の散歩とか屈伸運動などね。

ええ~?とちょっと肩透かしを食らったようなやり方なのだけど、
この朝の運動が睡眠不足に効くそうだ。

   これ、朝限定の運動なの?

と、聞くと、

   そうよ、朝だけね。夜じゃ効果ありません。
   ストレッチとか腹筋とか散歩。
   私がやると、カバが体操しているみたいだけど。

どうやら効果がある理由はホルモンに関係するらしい。

エストロゲンが不足すると睡眠障害を起こしがちで、
睡眠に関係するメラトニンというホルモンをコントロールする
体内時計をセットするのに、この朝の運動が役立つという。
規則正しくホルモンが分泌されるわけか。

夜に運動をしてしまうと、寝る前は体温を低くしなければならないのに、
運動をすることで体温を上げてしまう結果になり、
逆に睡眠に運動が障害を与えてしまう。

朝の散歩、朝の運動が更年期、更年期後の女性の眠りを気持ちよく
楽にしてくれるのなら、ここに書いた甲斐があるというものだけど、
私が試しても効果のほどはわからなくて残念だ。

・・・・・・・

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スーパーで目撃、オヤジのブリッ子カゴ」たじたじさん
ホリエモンは主役じゃないよ!」たいやきやいたさん
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コメンテーター様へ」きいちさん他多数

March 20, 2007 10:09 PM | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年03月19日

コメンテーター様へ:

昨日18日に読者のマカデミアナッツさんから、
記事「スーパーで目撃、オヤジのぶりっ子カゴ」にコメントが届きました。

ここです。

この「異議申し立て」は、マカデミアナッツさんが、日本人論「日本人は・・・だ」の方法論的基礎を理解していないゆえに起こっています。

日本人論の根拠となる情報の収集については、このブログでも取り上げました「菊と刀」のベネディクトさん、日本経営論のアベグレンさん、ウエーバーの倫理仮説を江戸期の「心学」へ結びつけたベラーさん、米大使・ライシャワーさん、タテ社会の中根さんなどどなたの日本人論にも共通して、以下の特徴を備えています。当然「縮み志向」の李さんも例外ではありません。その立論のベースがほとんど、断片的なエピソードや個人的体験や実話であるということです。土居健郎博士の「甘えの構造」を読んでみても、日米の比較の折りには、比較の基準を設定せずに、事例を寄せ集めています。

bon.JPG

私が「日本人は・・・である」と述べたのも、これらと同列です。つまり自分の断片的な観察や体験やエピソードを脳裏に描きながら、カジュアルな「縮み志向」のトピックを話したのでって、その議論で私が「日本人」と言う場合、「不特定多数」ではなく、ある程度カテゴリーされた標本、たとえば「定年オヤジ」やオバさんたちを念頭に描いて、「日本人は・・・」と述べているのです。さらに李さんの「縮み志向」の仮説を演繹して、私自身の経験へフィードバックしているのも当然です。

もしマカデミアナッツさんが使った「不特定多数」という意味で「日本人は・・・である」と私が述べたのなら、それは根拠となる資料を数値データ(たとえば国勢調査など)に拠った場合です。自分の経験や印象を元にした場合、「不特定多数」ではなく、「特定少数」によって帰納的に仮説を導き出すことになります。マカデミアナッツさんが、日本人論の根拠を理解されていたら、私への突っ込みはなかったと思いますが、アトランダムの帰納法が日本人論の弱点であることは十分承知した上での話です。

また日本人論は、日本独特であると使用者の日本人が思い込んでいる言葉、例えば「義理」「腹芸」「おかげさまで」といった言葉を議論の軸にして、そのある種のニュアンスと日本人の特性を関連づけて、一種、遠巻き議論を展開しています。さらにこれは「縮み志向」というタイトルの打ち方でわかるように、「縮み」という言葉によってさらに別のニュアンスを増幅させてしまいます。しかし、言葉が使い手の現代人にどのように意識されているのか、といった問題自体が難しいわけですから、言葉から即、国民性に結びつけるにはかなりの問題があります。

加えてサンプルの問題もあり、たとえば日本人の集団性を説得させるために、たいてい終身雇用制や年功序列制が引き合いに出されているケースが多いですが、これは大企業に言えることであって、昨今、雇用の問題となっている契約社員、派遣社員、パートなどには応用が効きません。

fuji.jpg

ところで、日本人論でもっとも問題になるのは、日本人の日本人論者による「排他的な実感」を元にした議論でしょう。「これは外国人にはわからん、日本人だけが理解できる感覚だ」という排他的な姿勢です。しかし少し考えてみればわかるように、外国の事情を日本人が理解する場合、「私たちは日本人だけれど、外国のことはよくわかる」という態度で理解しているはずです。日本社会は日本人の感覚でしか理解できないと言ってしまえばおのずと、日本人研究者による外国理解は正確ではなくなってしまいます。

残る問題は、日本人を展開する時に必然的な「日本と西洋」「日本と非日本」の対比です。日本と対比する対象の「西洋」や「非日本」が、おおざっぱすぎて、「西洋」「非日本」に構成される国間に大変な差異があることを明らかに見逃してしまいがちです。

このように、科学的な完成をめざす「日本人論」でさえ、多くの欠点をかかえる議論ですが、読者傾向に従って、本ブログは意識的にカジュアルに展開させています。本ブログをもし学術論文の発表の場にすれば、一般読者は難しくて読むのが億劫になるわけです。はからずもマカデミアナッツさんが「面白い発想」とおっしゃるように、一般の読者が発想を楽しむ、ちょっと日常観察に役立てるといった姿勢で読んでいただけるとうれしいです。

>仮にも物書きとして生業をたてていらっしゃるのならもう少し言葉、言葉の使い方に敏感であってほしいと切に願います。

この文章は、ご自分が正しく私が間違いだという前提で書かれており、口が過ぎます。どうしてクールに議論にだけ集中できないのか不思議です。

March 19, 2007 09:29 PM | コメント (29) | トラックバック (0)

2007年03月17日

堀江裁判の弁護士vs判事:

昨日の記事「ホリエモンは主役じゃない!」に対して、
読者のBさんからコメントが届きました(投稿日:2007-03-17 00:18:58)。

私たちが日ごろからあまり馴染みのないことを書いておられるので、
よい機会ですから、取り上げて見ましょう。

以下<引用文>スタイルで引用していますBさんのコメントついては、
一部、改行などで編集してありますので、
興味のある方は、昨日のオリジナル・コメントをご覧ください。

Bさんのコメントは:

hikoku.JPG

<実刑判決は検察の求刑4年がなされたときに弁護士は予想しています。裁判所の判決は、よほど有利な情状が明らかにならない場合以外は、大体求刑の8割くらいと言うのが相場です。検察の求刑4年ということは、検察としては割り引いても判決は懲役3.2年、つまり3年以上の懲役にして欲しいと言うメッセージです。刑法では3年以下の懲役でないと執行猶予はつけられません。結局、検察は(有罪が前提ですが)この事件は絶対に実刑にしてくれといっているんです。そして弁護側は論告で求刑4年とされた時点で、有罪なら実刑と大体わかっているはずです。ちなみに、弁護人として執行猶予が欲しいなら、無罪を主張するのではなく、有利な情状を主張して執行猶予判決を狙うんですけど、被告人自身が無罪だと主張している以上、弁護人としては有利な情状を主張するのではなく、無罪だと主張するしかないんです。>>
(写真:日刊スポーツ紙面)

たまに検察の求刑通りの判決が出ることがありますが、
たいていは、裁判所と検察の妥協的な量刑になっています。
このことは、刑事裁判の判決にちょっと注意を払う一般人にも
わかっていることです。

複数の被害者を生む殺人でない限り、
裁判所は被告を死刑にはしない・・・という不文律だって、
わかっていることです。

現役弁護士の山口宏さんと、社会評論家の副島隆彦さんの
ベストセラー共著「裁判の秘密」(洋泉社刊)などでは、
司法の裏側がかなり赤裸々に描かれており、
人手不足で忙殺されている裁判官や検察は読んでないかも知れませんが(笑)、
一般国民は司法の手の内をある程度、知っています。

裁判官と検察の仲良しぶりは、「欲しいというメッセージ」レベルではなく、
たとえ検察の裁判所への要請が「不合理」であっても、
「ツーカー」状態で裁判所が答えてしまいます。

マスコミが興味を示す事例として、
去年7月だったかに、神戸地裁で判決がありました。
出版社社長が名誉毀損で執行猶予つきの判決を受けたのです。

この社長は、この罪状で長く拘束されたのですが、
納得できる拘束理由をきちんと裁判官は説明できず、
法廷ではしどろもどろの状態で、
検察との「仲良し関係」を露呈していました。

法曹三者(裁判官、検察官、弁護士)は、
法曹村の顔見知りであり、同じ釜の飯を食った仲間であり、
おいしい独占的既得権をもった人たちです。

法曹は、日ごろは形だけの喧嘩や紛争ぶりを見せていますが、
システムの根幹にかかわることとなると、
一気に「互助会」と化すことになります。

弁護士業に反倫理性?

Bさんの上記のコメントで、私が興味を覚えたのは:

<<ちなみに、弁護人として執行猶予が欲しいなら、無罪を主張するのではなく、有利な情状を主張して執行猶予判決を狙うんですけど、被告人自身が無罪だと主張している以上、弁護人としては有利な情状を主張するのではなく、無罪だと主張するしかないんです。>>

この部分が非常に面白く、
このまま受け取るにしては、抵抗を感じます。

通常、弁護士は依頼人があってこそ、また事件を引き受ける時に、
依頼人から着手金をもらって初めて弁護活動を開始するわけですから、
依頼人の要望をかなえることを第一義としています。

したがって、仮に弁護士は依頼人の被告人を黒と見ても、
無罪だと主張するしかない、ということになり、
仕事的には、Bさんのおっしゃる通りです。

しかし、よく考えて見れば、これには納得しかねます。

たとえば、実際に犯罪を犯しているにもかかわらず、
被告人が弁護士に多額の着手金を提示し、
その際に犯罪を犯した事実、無罪にしてほしい要望を
伝えて、弁護人がそれを承知で引き受けたとしたら、
弁護人は、反社会的行為を行っていると言えるはずです。

でも、法システムでは違法性を問わない。

弁護人は堂々と法に守られて、
このクソ被告人から感謝の言葉と金銭をもらって、
一種の「共犯」関係にありながらも、司直に拘束されることなく、
堂々と弁護士活動ができるわけです。

   では、誰がこのクソ被告人を弁護するのん?
   裁判にもかけないで、ほって置くのん?

という常套の反論は、弁護士業にある種の反倫理性が内包されているという
主張を打ち砕くほどには威力があるとは、私には思えません。

<<結局、検察は有罪なら実刑といい、被告人は実刑か執行猶予かを争わずに、無罪にしてくれといっているのですから、裁判所としては有罪であれば実刑にするしかないですね。別に裁判官と検事とが仲がいいという問題ではないです。>>

「裁判官と検察官の間には、一種の仲良し感覚があるのは当然のこと」
と、私が書いたのは、両プロフェッションが仲良し関係だから、有罪にした、
と言っているのではなく、ホリエモンが「神聖な法廷」で、
同じ釜の飯を食った検察官を侮辱したことを、
裁判官が自分も侮辱されたように感じた、
という風に受け取り、厳しい判決につながったと見たわけで、
これはひとつの考え方として成り立ちます。

弁護士の敗北

<<ホリエモンの法廷での態度が面白おかしく報道されていましたが、法廷で反省している様子を見せて執行猶予を狙うのならともかく、無罪を狙っているのだから、別にどんな態度を法廷でとろうが有罪か無罪かしかありません。法廷での態度が悪いから有罪というのでは、もはや刑事裁判ではありません。>>

日本には「法心理学」、とりわけ「法廷心理学」が未開拓ですから、
もし弁護士たちが欧米なみにこの分野の研究が進み、
学問が実際の弁護活動に生かされたら、上記のような発言はされません。

「反省しつつ無罪に持ち込むこと」も可能でしょう。

私は「法廷での態度が悪いから有罪」とは言っておらず、
「法廷での態度が悪いから、執行猶予がつかない」という含みを伝えたのです。

裁判官は、一般人の事件を扱っているにもかかわらず、
一般人としての社会経験がありません。
また欧米などに見られる、法曹ポストの相互入れ替えもほとんどなく、
書面を読むだけの超単調な日々の中で、
「異常な事件」を裁いていかねばならず、
一般人としての、彼らの人間としての強靭さが、
どこで培われているのか、に非常な興味を覚えます。

今与えられる仕事の量を完全にこなすためには、
神のレベルの能力に達しなければできないわけで、
仕事を破綻させないために、与えられた便利な「武器」が、

   自由心証主義

だと、私は理解しています。

むろん民訴の自由心証主義とは違って、
刑事裁判では、証拠能力制限とか、補足証拠とか、
合理性で制限はしていますが。

しかし事実認定にしても、確固たるルールはないわけで、
事実認定をする際、裁判官が世間を見る目とか
その人格が反映するのは当たり前なのに、
場合によっては、ひどい無知やいびつな感情が影響を与えてしまうわけです。

過去記事「ボクサー魂の再審請求」で
事実認定に当たった裁判官の非科学性を指摘してみました。

自由な心証で守られている、しかも国さえも裁けるほどの
権限をもっている裁判官が判決を下す、
その過程での裁判官の心理などを読むことについて、
この領域を無手勝流で観察している弁護士には、
法廷心理学に基づいた応用など、ほとんどできない相談だと思います。

<<ライブドアと言う会社はまだ存在しているわけで、ビジネス上の観点からマスコミを通じて世論に対してはおかしい判決と言わないとまずいけど、おそらく弁護士もホリエモン本人も有罪なら実刑と言うのは分かっていたと思います。弁護士は元検事ですから、検察の論告求刑の後で求刑4年の意味を説明したはずです。>>

弁護士活動を結果的に言えば、

   無罪
   執行猶予
   実刑

の順でしょう。無罪なら、大報酬、執行猶予ならまあまあ。
今回の場合は、求刑4年に対して、懲役2年6ヶ月の実刑――。

   これって、最悪じゃないですか。

「有罪なら実刑がわかっていた」などのんきな思いを持っていたら、
いったい何のために元検事の弁護士を雇ったかわかりません。
はっきり言って、やり直しのきかない「大失態」をやちゃったわけです。
「説明したはずです」なんてのんきなものではなく、
ホリエモンは暴れまくり、むかつき、大変な心境でしょう。
二度とあの弁護士の顔を見たくなく、二度と仕事を頼みたくなくなるのが、
一般人の感覚でしょう。

   そう思われませんか?

判事は神か?

<<それから、通常の刑事事件では、裁判官は有罪判決のあとに被告人に犯した罪に対する反省等を求めます。別にホリエモンだからしたわけではなく、説輸といいますが、普通の刑事裁判官は判決後に被告人に何らかの反省を求めたり、更正するための励ましをしたりしています。マスコミが取材しているかどうかは関係ありませんし、神様のように振舞いたいからとかも関係ないです。>>

「神」という表現は次の文章で私は使いました。

   裁判官は法廷を主催し、ほとんど「絶対神」のような顔や態度で臨んでいる。
   それほど「神聖」な法廷で、嫌悪感を与えてしまっては、
   被告に厳しい判決が出るのは当然かもしれない。

「神様のように振舞いたいから」などと、私は裁判官の気持ちに
分け入って表現したのではなく、
私が自分の経験として法廷における裁判官を見て、
その顔や態度で印象を持ったことを述べたものです。
私が指摘するこの点の違いをBさんはおわかりでしょうね。

実刑判決を受けている時って、被告人は、胸糞悪く、

   このクソたれの判事が、勝手なことをぬかしやがって!
   ビジネスのビも知らねえくせに、
   税金で飯を食い、高い台から、何を説教たれていやがる、
   死ぬか生きるかの気持ちで掻き集めた億の金を見たことがあるのか、
   血のションベンが出る思いでビジネスしてきたんだ、
   その黒衣を脱いでから、説教をたれてみろよ!

ハラの内・ムネの内って、こんなもんじゃないでしょうか。

判決に「善」を放り込んでも、自己満足なだけで、
実際、そういう判決文をもらっても、かなりの人数が再犯ですよね。

<<例えば、刑事裁判で裁かれる被告人はホリエモンでだけではなく、泥棒や人殺しもいます。その人たちに有罪判決後に反省を求めることも法廷を厳粛な雰囲気にしておくことは必要だと思います。ちなみに、刑事裁判官は幸いに人格者の人が多いので「絶対神」になりたいようなキャラクターの人はあまりいません。あくまでも刑事法廷における自分の職務を粛々と行なっているだけです。>>

これはBさんの願いですか、それとも現状報告ですか。

<<ホットな話題なので、勢いで書いてしまったのかもしれませんが、「新聞」なら、せめてやはりお知り合いの弁護士さんくらいには「取材」していただきたかったです。>>

裁判長! Bさんは、勢いで憶測と自分の希望を並べているだけです。
裁判長から、Bさんに注意を促してください・・・とでも、言っておきましょう。

March 17, 2007 10:56 PM | コメント (14) | トラックバック (0)

2007年03月16日

ホリエモンは主役じゃないよ!:

今日16日午前10時から、東京地裁で
ライブドア前社長・堀江貴文被告(34)に対して
判決言い渡しがあった。

堀江被告、いやホリエモンという愛称がおさまりがよい。

13日付の朝日新聞朝刊社会面で彼はインタビューに答えている。
3日後に言い渡される判決についての感想を聞かれ、

   (判決は)答えが出るってこと。
   のどに詰まっている小骨が抜ける、
   みたいなもんですよ。
   もちろん、きれいな抜け方するって思っているし。

「小骨はのどに刺さる」なのだけど、それはよいとして、
このコメントを読んだ時、「抜けないな」と私は思った。

裁判官に気色ばんで食ってかかったり、
「悔い改めた方がよい」などと検察官を説教する彼の態度を見て、
私は、事実認定よりも、その態度が裁判官に与える影響を考えたものだ。

裁判官は法廷を主催し、ほとんど「絶対神」のような顔や態度で臨んでいる。
それほど「神聖」な法廷で、嫌悪感を与えてしまっては、
被告に厳しい判決が出るのは当然かもしれない。
裁判官と検察官の間には、一種の仲良し感覚があるのは当然のこと。

   懲役2年6月の実刑判決

一様に厳しいという反応だったが、執行猶予がつかなかったのは、
罪状を否認しているから理解できる。
私でも理解できるのに、なぜ主任弁護士の高井さんが、
予見できなかたのだろうか。

   「堀江被告には事前に、
   「実刑は考えられない」と伝えてあった。
   私にとっても堀江被告本人にとっても意外な判決だ」

と、述べている。

むろん依頼人のホリエモンから
高い着手金をもらっている弁護士だから、
「実刑を食らう可能性がある」などとは口が裂けてもいえないとは思うけど。

だって、弁護士だって「商売」だから、
「意外な判決」といわないと収まりがつかないだろう。
もし「当然の判決」などと本音ポロリでは、
弁護士として何をしてきた、と依頼人から責められるからだ。

自社株売却益の一部を流用した宮内被告の供述について、
判決もこの流用について「強く疑われる」と認定したが、
厳しい判決に結実している点に、
裁判は、微妙なものが流れを変えることがあることを教えていると思う。

それにしても、ホリエモンは法廷でちょっと幼児性を示しすぎたようだ。
でも判事さん恐らくするだろうということを今回の判決でもした。
とりわけマスコミの話題性が高い事件でしてしまう。

   被告に対する説教である。

説教をすると気持ちがいい。
だって、判事さんは、法廷では主役だから。

いつもちやほやされてきたホリエモンは、
どうやら、法廷を自分の劇場と思い込んでいたようだが、
主役は判事さんであることを忘れていた。


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March 16, 2007 09:23 PM | コメント (9) | トラックバック (0)

2007年03月15日

スーパーで目撃、オヤジのぶりっ子カゴ:

スーパーマーケットで最近、どうも気になるものがある。

   あの小さな買い物カゴ

レギュラーサイズのカゴではなく、ハーフサイズの小さなカゴで、
お店の人に聞くと「小容量カゴ」と呼ぶそうだ。

この小カゴはもともと子ども用に、子どもがお母さんと一緒に
スーパーで買い物をすることを想定してお店に置いてある。

small.JPG

この小カゴは、大きさから言って、
シリアルのお徳用箱、でかい牛乳パック、ビール瓶などは入らなくて、
その意味では子ども用であることが納得できる。

たまに子どもがこの小カゴを持って、
初めてのお買い物ごっこをしている姿を見るのは、微笑ましい。

またあの小カゴから、入院患者におしぼりを配ってくれる
ヘルパーさんを連想したり、イチゴ狩りの時も
あのような小カゴをもつのではないか。

regular.JPG

しかし・・・
(右写真:レギュラーカゴ)

ゴルフ焼けをした定年オヤジがこの小カゴを持って
目の前を横切ってくれると、
思わず見ないことにしようと、腰が引ける。

オヤジだけではない、若干あつかましいオバさんたちも、
小カゴを手に、買い物をしている。
どうしてもこのカゴを持ちたいという
ぶりっ子への意欲が全身から湧いているように見える。

oyaji.JPG

彼らに共通するのは、
なぜか小カゴに入りきらないほどの買い物をしてしまうことだ。
しばしば小カゴから品物がはみ出しており、
そんなことなら、初めからレギュラーのカゴを使えばよいし、
カートを押す方が楽なはず。
しかし、小カゴにこだわってしまう。
(右写真:オヤジは今日も小カゴ派)

一方若いカップルの方は、たいてい小カゴを持たず、
カートを押して物を放り込んでいく。

かたくなに小カゴをオヤジやオバさんが持つ理由はなんだろうか。

韓国のイ・オリョンという学者によると、日本人には、

   「縮み」志向

というものがあるそうだ。

日本人は、拡大するよりも、縮小するオリエンテーションがあるという。
言われてみれば、日本人の生活には、確かに「縮み」の傾向がある。
たとえば、ソニーが発明した、トランジスターラジオが好例。
鉢植えに美を凝縮した盆栽もそうかも知れない。

住所の書き方も、「縮み志向」と言えるかも知れない。
日本では、最初に都道府県、市町村、番地・・・
という具合にだんだんと小さい地域へ縮む住所表示だけど、
たとえばアメリカやイギリスでは、
最初に番地を書いて、通り名・・・最後は国名へと広がる。

さて、定年オヤジやオバタリアンがなぜ子ども用の小カゴを
なぜ持つのかをちょっと考えるには、
この縮み志向という考えを引っ張ってくると面白い。

日本人は「入籠」(いれこ)が好き。
大きなカゴに小さいカゴを入れて、同じ空間を共有する。

また日本は人形の国で、
お雛様や五月人形なんかを見ればわかるが、
人々は、独特のミニチュアが気に入っているし、
それはありふれた造形美であって、
オヤジたちは非常になじみをもっている。

日本のオセチ料理、幕の内弁当などは、詰め込み文化で、
小カゴはそのラインにあると言えるだろう。

とにかくコンパクトにすることが日本人には心地よいのかも。

こんな風に考えると、定年オヤジやオバさんが
自然に小カゴを手にとって買い物をすることも、
なんとなく理解することができるのではないか。

March 15, 2007 09:52 PM | コメント (29) | トラックバック (0)

2007年03月13日

芸は人格である。:

第1話から続く。

芸歴50年を越す守田比呂也さん(82)に、
映画やテレビの芝居とご自分の人生について語っていただきました。

――敗戦後の混乱期に培ったものは、
どのように、俳優と言う職業に役立っていますか。

守田 もちろん役立っています。
その代わり、後年役者になって、
樋口可南子さんと一緒にロケやったんですよ、新宿3丁目あたりでね。
そしたら、この辺で昔の私を知っている人が出てきちゃって、声かけられて。
樋口さんに、うんと冷やかされて(笑)。
いやあ、なつかしいなあ。

hiroya4.jpg

――新宿の呑み屋から芸能界に入ったのはどういうきっかけでしたか。

守田 それはね、呑み屋をやっている時に、
大学のうんと上の人が客で来たんです。
その人の知り合いが、たまたま監督をしていたんです。
(右写真:ソクーロフ監督「太陽」で撮影所前に立つ)

――その頃は役者不足だったんですか。

守田 私でも役者やったから(笑)

――いえ、終戦後まもなくでしょうから、
まだ役者になる人がいないとか不足とか・・・。
それに何か人より抜きん出た魅力がない限り声がかからないでしょ?

守田 小さい頃から漠然と、この世界で仕事がしたいなあ、と。
監督と話したときに、役者をやろうとは思わなかった。
企画をするのが好きで、企画部にと思ったんですが、
何をするにしても、役者を一度体験しておけと言われ、
俳優部に放り込まれた。これがいけなかったのかな(笑)。
「役者と何とかは、三日すればやめられない」。

――ギャラってやはりうれしいですよね。

守田 ええ。映画のギャラは月々にもらっていました。
今は3ヶ月ぐらいかな、
下手をすると半年後でないと入って来ないですよ。
「事件記者」の頃は、その日にもらってました。
昔はNHKも民放も本番前にくれた。
一人一人に持ってくるんですよ。
亡くなった原保美さんが、某局で「鳴門秘帖」の
お十夜孫兵衛を演じられた時にね、
相手の女優さんが原さんの懐から密書を抜くシーンがあって、
ところがね、間違えて、ギャラ袋を抜いちゃいそうになった。
原さん孫兵衛が、「それではない」と呟いて、死んだそうです。

――「事件記者」ですが、テープなど残っているんでしょうか。

守田 残っていないようですね。
キネコって録画手段があったんです。
テレビ映像をフィルムに変換する装置をキネコて言います。
昔はビデオテープが高価で使い回されていたのです。
そこから起こした話が1本残っているようで。
当時は撮っては消し、撮っては消し、結局残らなかったんですよ

(事件記者:1958年~1966年まで放映された
NHKの人気テレビドラマ)

――東京映画にもおられましたね。

守田 豊田四郎監督に目をかけていただきましたね。
自称、豊田学校の生徒です。
芝居の基礎はここで学んだ、と思っています。

* *

守田さんが出演した東京映画作品を少し上げてみよう。

   1957.11.12 おトラさん  東京映画  新聞記者
   1959.09.20 暗夜行路  東京映画  船頭
   1963.04.10 喜劇 とんかつ一代  東京映画  のれん会編集長 野村
   1964.08.18 われ一粒の麦なれど  東京映画  飛松
   1975.09.06 動脈列島  東京映画  北川科警研員

守田さんが触れられた豊田四郎監督がメガホンをとったのが「暗夜行路」。

文芸作品と娯楽作品で彼のキャラ分けが明確になっているようだ。
文芸では、性格俳優として、娯楽では類型的に。
都会的なセンスと土着的な要素をうまく監督は見ていたのだろう。
個人的には、知的な職業を演じている、
とりわけ北川科警研員役などの守田さんが私は好きだ。

   1976.10.16 犬神家の一族  角川春樹事務所  主治医

「犬神家の一族」は娯楽作品ということで、
守田さんは、ここでは主治医役を演じている。

* *

――江戸の旋風に出ておられましたね。

守田 「とっつあん、とっつあん」と呼ばれる岡っ引き役でしたね。
5年間、「とっつあん」と呼ばれましたよ。

――知恵袋の役ですね。

守田 そうそう。若い同心を育てる役です。

――役者人生に対して奥様は? 何かお考えをお持ちですか。

守田 う~ん、特別なことは言わないなあ。
自分で役を考えると、殿様役と百姓役はダメかな、とは思いますね。

――でも、05年にロシア映画「太陽」で、
鈴木貫太郎総理大臣を演じておられましたでしょ。
現実に敗戦期をご存知の守田さんからご覧になって、
外国人監督の作品で何か問題はありましたか。

守田 ありましたね。
鈴木総理と大臣が10人ぐらいいて、御前会議に出席する。
ロシアの脚本では、鈴木総理が立ち上がって、

   「陸軍の内部でクーデターの計画がある、
   私はもうこれ以上内閣を引き受けることができません、
   で、辞職したい・・・」

というようなことを延々と話しているんです。

こういうセリフは有り得ないんだなぁ。
もし日本で配給したら、こういうことは通りませんよ、
と、私は言って、変更してもらったんです。

hiroya5.JPG

――時代考証家の役割もされたわけですね。
そこは「硫黄島からの手紙」の「満艦飾」な勲章や
「参謀肩章」に通じますね。
(右写真:映画「SILK/シルク」のスタッフと)

守田 セリフを変えたのですが、驚いたのは共演者で、
この変更の意味が理解できていない人が多いということ。
その時代のことを知らない。
せめて、映画に出るからには
資料の1冊ぐらい読んできてほしいと思います。

――はからずも守田さんは、映画のリアリティの大切さに
触れておられるんですが、
知識も役作りには必要でしょうね。
役作りにご苦労なさっていることはありますか。

守田 昔、私は、用があろうとなかろうと、撮影所へ出かけていました。
いつも何かやってますよね、あそこは。
それをずっと見ているんです。
それから、昔のよい映画を見ることです。
そんな風にして、意識的に自分の引き出しを増やしました
今の時代、撮影所を覗いて勉強をしてくるような
時間がないように思いますね。
たぶん、劇団で勉強している人ぐらいじゃないかな。
タレントやお笑いを見て、映画に来ちゃう、
そういう安易さがありますね。

――役柄の職業にからんで無知がでるとまずいと思うことも?

守田 でも今は、それを恥と思わないでしょ?
「だって、知らないんだも~ん」で済む。

――今の若手の役者の中で、守田さんの目からご覧になって、
先が楽しみだという方がいらっしゃれば?

守田 いいな、この人・・・と思ったのは、
上川隆也(かみかわたかや)さんかな。
彼が宮本武蔵、私が権六という爺さんをやりました。
東映スターがやってきた宮本武蔵ではなく、
人間を演じていましたね。
楽しみな俳優さんなので、期待しています。
それから、私は父親役が多いので、旬の女優さんの相手をするから、
伸びる人を見ることもできますよ。

――世阿弥の花伝書に、その時々に咲く「時分の花」って
ありますよね。枯れるまで行かないで「消える花」になりがちですが、
テレビだと、そこまで求められない。
やはり、映画や歌舞伎などの芸術とは違うんでしょうね。

守田 確かに芝居の質は違うでしょうね。
テレビは消耗品的かな。映画とはやはり違います。

――お会いしたら、ぜひお聞きしたかったことは、
「守田さんの持続力の秘訣は何か」でした。
すでに芸能界で50年を越すキャリアをお持ちで、
出演された映画、テレビドラマ、円谷プロのウルトラマン、
キムタクと共演CM(JRA)などの媒体・・・、
いずれの時代の節々にも、必ず守田さんは、
印象に残るお仕事をして来られています。
この時代性を含めて、今日まで、ずっと役者一筋で
生きてこられた秘訣は何なんでしょうか。
人間関係とか自分の中での悩みとかいろいろあって、
それでもここまでの道のりを歩んでこられたと思いますが。

守田 戦争のことを思えば・・・でしょうか。
たいていのことはそれ以上ではないから、
解決できますからね。
時間がたてば、過ぎていくものでしょう。
あまり物事にこだわらないようにしていることかな。

――尊敬する役者さんと言えば?

守田 大河内伝次郎さんですね。
京都に出かけた時に、大河内山荘というところを訪れたんですよ。
大河内さんの台本とかがあって、その最後に、

   芸は人格である

と書いてあったんですね。
最終的には、芸には演じる人の人格がでるんだ、
いくら芝居がうまかろうと、最終的には、
その人の人格が出てくるんだ
と解釈しています。
「芸は礼に始まり礼に終わる」と役者はよくいいますが、
最後は大河内さんのおっしゃったことではないかと思いますね。

--

次回は、このインタビューを通じて、
私が感じた守田比呂也さんをまとめてみたいと思います。

March 13, 2007 11:00 PM | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年03月12日

発掘! まぼろしの一枚写真:

守田比呂也さん(もりたひろや、82)は、
芸歴50年を超える、現役の名脇