2007年01月31日

お願い、私の肥満を止めて:

「発掘!あるある大事典II」を捏造だと知らずに、
踊ってしまったことでわかるように、
多くの人々がダイエットに関心を持っている。
またここまで「肥満であること」が、
罪悪視されている時代も珍しい。
ダイエットのために右往左往して、痩せる方法を求める。

欧米では痩せすぎモデルを使わない傾向が見られるように、
本当は肥満なんかしていないのに、痩せたがる。

「肥満でないことが価値だ」と見ている人が多いからだろう。

日本社会でも、欧米ほどではないにしろ、
肥満に対する偏見がある。
肥満を「わがまま」「自己コントロールが弱い」
という面からの非難もある。
確かに肥満は、意志力があれば、
どんどん体重を減らせることが出来る。

himan.JPG

そう言えば、自分で自分を意志力でコントロールできるか、
ということで、一時、欧米のビジネスパーソン、
とりわけエグゼクティブのデブっている人が、

   「自分の体も管理できないのか!」

と、体重のコントロールと、ビジネス力を関連づけられて、
とがめられ、話題になったことがあった。
(写真:向こうでは普通のレベルだが・・・)

最近、「メタボリック症候群」という言葉が流行り、

   「私、メタボみたい」

と洒落る人もいるけど、「メタボリック」は病名ではない。

このようなやわらかい表現を使うより、
「糖尿病」「高血圧」「高脂血症」といったダイレクトな表現の方が
はるかにインパクトがあって、効果的だ。

肥満は実際、内科的にも外科的にも体にわるい。
メタボリックに関係するだけではなく、
たとえば、自分の体重の重さから、腰、膝、足首を痛めたりする。

社会的にも肥満は、いろいろ言われて、
大きい体をしている割には、肩身の狭い思いをしている。

太っていて、何が悪い

と居直れなくなっている状況がある。
卑近な例はいくらでもある。
例えば、夏の暑い日、隣席に太った人が座ると、
太っている人は暑がりで汗かきだから、
暑苦しくてしょうがない。

また圧迫感もある。

映画館で前に巨漢が座れば、
スクリーンの一部が占領され見づらいし、
横の席に座られると、1~2割は腕なりが侵犯してくる。

長いフライトでたまたま隣席に巨漢が座ると、
長い道中、その対応に苦慮する。
この物理的な大きさは時にはトラブルになる。
実際、航空会社によっては、太りすぎの人に
別種のチケットを買ってもらっている会社もある。

外国では日本人のレベルを超えたびっくり肥満がいるから、
日本では想像できない深刻さもあるのだろう。

例えば、ホテルのベッドのスプリングや便座が
体の重量でつぶしてしまった。
エコノミークラスのトイレに入れないなど、だ。

一般に肥満の人はよく食べる。
肥満が家族にいると、エンゲル係数が上がる。
いったん肥満過程にいると、洋服や靴のサイズがすぐに合わなくなり、
家計簿を圧迫する。

また飲み会などで、頭割で払った場合、
見た目肥満の人はあたかも人より何倍も
食べたように思われてしまうこともある。

ある時、日・英・中・印・ポーランド・独の6カ国食事会をした。
大食いランキングは:

   ダントツで、英
   それに続いて、独、印、中、日、ポ


英は見るからに朝、昼を抜いてきたようだった。
なぜなら、ワインもビールもあったにもかかわらず、
ドリンクなし。目は料理に釘付け、当然デカ肥満であった。

ちなみに支払いは均等頭割支払い。
その後がカラオケ大会で、
英が歌ったのは、My Wayだった。

肥満と言っても、ただ悪いことばかりではなく、
肥満型と痩せ型の性格比較では、肥満型が有利だ。
肥満型の人は、見た目そうだが、
セコセコせず、明るい性格をしており、陽気だという。
太った人は太っているゆえに、動作が緩慢になるので、
内心もそういう風であると思っているだけかも知れないが。

逆に痩せ型の人は、おおらかさに欠け、
体から神経質さが透けて見えるようで、損をすることがある。

まあ、こうした他愛のない話ならいいけど、
前述したように、欧米人の肥満度は限度を超えている。
デパートやスーパーで売られている洋服のサイズの幅には
目を見張るものがある。

在英の時、フラットの2階に住んでいた
マダムの下着はまるで力士のパンツ。
対して、日本人のブラジャーは「眼帯」であった。

また米国で肥満の人たちが人権活動をしている。
たとえば、1969年設立のナーファ(NAAFA)という団体がある。
肥満への偏見が強く、生きる権利が侵害されているいう主張のもと、
グループを組んで、活動している。

肥満のために政府が1000億米ドルのコストを負担させられ、
年に30万人の命が奪われているという政府の見解に、異議を唱え、
人間って、それぞれのサイズで健康でいられるように生きるべきで、
肥満だけをとりあげて、糾弾するのは間違いだ
と、主張しているのだ。

まだ少数派だけど、サンフランシスコ市などでは、
肥満への差別を禁止する法律を作った。
ミシガン州はこの手の法を持つ唯一の州とはいえ、
2003年に仕事で差別された報告1696件のうち、
肥満関連は、わずか5件だったという。

肥満をどうしてもとめられない人もいる。
あらゆるダイエット法を試みても、
なお痩せることができない重症肥満の人は深刻である。
すでに米国では、胃袋を小さくする手術をした人が、
1998年以来10万人に達している。
この外科手術が患者に負担をかけすぎるというので、
新しい方法も開発されている。

「胃内バルーン留置術」といい、
胃袋の中に膨らましたシリコーン製の風船を置き、
少し食べるだけで満腹になるようにする方法だ。
水洗トイレの水槽に物体を入れて水かさを増し、
実際の水の利用量を節約する工夫と同じだ。
「胃バンディング術」というものある。
これは、胃の上部をシリコーン製のバンドで縛り、
食べ物を通りにくくする方法だ。

いずれも長所と短所がある。
「食べる・食べない」の「いやしんぼ管理」は、
できるだけ、自分でしたいものだ。

January 31, 2007 06:52 PM | コメント (16) | トラックバック (0)

2007年01月30日

週刊現代とガチンコ勝負したら?:

週刊「現代」が勢いづいてきた。
横綱朝青龍さんの八百長疑惑報道である。

さすがに相撲協会も知らんプリはできず、
八百長に関係したと指摘された力士さんたちのうち、
大関さんや朝青龍さん本人、そして取次ぎ役らから事情聴取した。

予想どおり、皆さん、一様に八百長を否定した。

   そりゃ、そうだろう。

聴取したのは、友綱監察委員長、伊勢ケ浜副委員長、
それに弁護士の三名。

   一通りのセレモニーだ。

素人に一番大事な取調べを任せてどうするのよ。
しかも、監察役に調べられる力士と強い利害で結ばれている。

   「私はやっていません」
   「情けないっス。信じてください」
   「ケガを押して出ているんス」

と、言われりゃ、「あー、そうか、そうか」。

chusha.jpg

大相撲に「注射」はない、と断言できる人などいない。
私は「米学者が調べた千秋楽7勝7敗」(06年7月26日)で、
統計的に見て、八百長は証明できるという主張をする学者を紹介した。
今回のように朝青龍さんがほとんどの星を「注射」したという
激震的な疑惑ではなく、「仲間うち」のナアナア主義で、だが。

星の貸し借りをしている土壌でやってきた側が、
果たして、聴取する「資格」があるのかどうかを
きちんと議論しないと、この問題の解決の糸口さえつかめない。

むろん、相撲協会の自治性や独立性を考えると、
どのような監察委員会を設けるべきかは、議論しなければならない。
最低の前提は、

その委員会が公平で公正であるべき

ということ。

そうでない監察役が、いくら聴取したといっても、
形だけの聴取、調査だったってことになりかねない。

結局、形だけが大事ということか。

そうでなくとも、相撲人気がガタ落ちの今、
こんな不明瞭なことが続いては、
人々の興味が大相撲から去っていくことに歯止めが効かないだろう。

考えてみれば、この「とりあえず、やったでしょ」型の
調査や議論がやたら日本には多いように思える。

そこで、私の提案

   1 週刊現代で記事を書いたのノンフィクションライターの武田頼政さんと
     疑惑力士さんたちのガチンコ対決の実現
   2 国技というなら、国技館で公開討論会をしてテレビ中継
   3 裁判員制度のように、国民がジャッジする。

    ♪国技というなら~、八百長するな~
     興行というなら~、八百長認めろ~
     それが筋だぜえ~
     あ~、ドスコイ ドスコイ

January 30, 2007 10:15 PM | コメント (29) | トラックバック (0)

2007年01月28日

JTは買うか、この企画を!:

2007-01-28 02:39:37の時刻に、
レギュラー投稿者のICCHIさんから、
記事「人生なめてかかる破滅型人間」(06年11月29日付)に
以下のコメントが届きました。

面白いアイディア・ご提言なので、独立のエントリーとして立ててみました。
(読みやすいように、句読点打ち、段落分けなどをしてあります)
まずお読みください。

・・・・・・・ICCHIさんの投稿始め・・・・・・・

エントリーの「破滅型人間」とはスレ違いになりますが、
喫煙問題に関して友人が妙案を提案してくれましたので、
社主様や皆様に評価していただきたく思います。

   いわゆる「煙草デポジット制度導入」。

吸殻部分であるフィルターをデポジットにするのです。

tabako2.JPG

1箱20本として仮に1本あたり5円に設定すれば、
1箱100円のデポジット料金上乗せになります。
(写真:小銭に変身する吸殻)

たばこ販売店に吸殻20本分を持ち込めば100円払い戻される仕組み。

   ・ポイ捨ての抑制
   ・積極的な拾い集めの期待
   ・改修されない保証金(黒字)を分煙装置への資金に
   ・購入時の割高感から禁煙のキッカケ

なかなか良いシステムに思えます。
本音の話、空き缶も資源として換金システムがあるために、
路上生活者の収入源になっています。
吸殻は資源価値があるかどうかわかりませんが、
デポジット制度になれば回収を期待できるのではないでしょうか。

今のところ考え付く問題点は、

(1)回収した吸殻のカウント
水を含んだ吸殻や、ほぐれてしまった吸殻の取り扱い。
本数でなく、重量でカウントしましょうか・・・。
空き缶も潰して回収という前処理が浸透しているので
吸殻も「専用せん断乾燥機」で処理後の重量でカウントしましょうか・・・。
「専用せん断乾燥機」周辺は臭いし有毒でしょうね。
店も置きたがらないかも。

(2)外国が吸殻を持ち込んで換金する問題
国策で偽ブランドタバコを製造しているところもあるくらいですから、
それ以下の価格設定にしなければいけないでしょう。
歯痒(はがゆ)いですが。

tabako.jpg

JTや国の初期投資があればランニングコストがかからない、
良いシステムができそうだと思うのですが。
議題にあげて評価してもらえませんか?

・・・・・・・投稿終わり・・・・・・・

ICCHIさんのたってのご希望ですので、一緒に考えてみましょう。

私が先に自分の考えを書いてしまうと、よく批判にありますように、
私主導の誘導ととられかねませんので、
新しい試みとして、読者のご意見を先にお願いします。

January 28, 2007 07:16 PM | コメント (26) | トラックバック (0)

2007年01月27日

今のうちにゲロちゃって下さいよ:

最近、3大紙の女性経済記者Mさんと話す機会があった。
「不二家を取材されたこと、ありますか」
と、たずねると、「いいえ」。

「不祥事を起こした企業の取材はありますか」
少し質問を修正して聞いてみると、「あります」。

不正発覚前に、Y食品とM自動車を取材したそうだ。

   「そういうのって、兆候がありましたか」

取材の目的が、即そうした兆候に結びつくものでなくとも、
事件の発覚後、別に驚かなかったそうだ。

   「なんとなく、この会社なら、やりそうだ、
    いう感覚は、不思議なことにつかめるんですよ」

と、Mさんは答えた。

取材相手の企業の態度、つまりここでは、
取材に応じる社員の態度によって、ある程度わかるというのだ。

経済記者だと、当然、相手から数字を提供してもらうケースが多いのに、
ちょっと突っ込んだ数字の話になると、
今手元に資料が揃わないとか、後ほどなどと言って、
答えを先延ばしにする。

会話の流れや相手の態度を読むことで、

   「ははーん、隠したいのね」

と、経済記者はピンとくる。

(と、ここまで書いてきて、
これって、浮気を見破る第六感に近いのか、と思ってみた)

で、本腰を入れて、取材を重ねると、
企業が隠したかったことがボロボロ出てくる。

事件記事やブツ(企画)がほしい記者なら、
そういった記者の勘を拠り所に、取材をしていくのだから、
企業の不正をネタにした記事が毎日載るはずだ。

今朝の新聞にも、三洋電機の洗濯機発火事件とその対応のまずさ、
パロマ湯沸かし器事件、社会面の下段には「お詫びとお知らせ」と
して、期限切れ原料や異物混入などの商品回収の広告記事で溢れていた。

一言で言うと、隠せる時代ではなくなっていると思う。
例えば、自分一人なら守れる秘密も、
3、4人ともなると、漏れる時は漏れるもので、
隠し事とはそういうものだ。
ましてや、従業員が千名とか1万名とかになれば、
漏れない方がおかしい。

コンプライアンス(法令順守)が時代のキーワードとなり、
ここに企業が経費をつぎこまず無視すると、
ツケがいきなり旧態依然の企業に回ってくることになる。

ここまで書いてきて、

   なぜ、漏れたら、日本中から糾弾され、
   企業の存続まで危なくなることがわかっていながら、
   繰り返すのだろうか

ここが実際、理解に苦しむ点だ。

最近の傾向では、今あえて、この時期に過去の不正を白状しておき、
ドサクサにまぎれて、消費者への悪い印象を
薄くしようという「戦略」を感じてしまう。
「みんなで渡れば・・・」という例の国民性だ。

昔、旧満州のハルビンへ出かけた。

通訳は中国人のテイさんという男性。
私たちが「撮影禁止の区域がありますか?」
と、尋ねると、テイさん、

   ありがとですね。実は日本人あまり守りません。
   欧米の人、ここで撮らないで、というと、
   必ず、なぜだ、ワケを聞きます。
   私たちが説明すると、納得します。
   でも、日本人、違います。
   ハイハイ、ワカッタと言って、
   必ず隠れて写真、うつします。
   日本人、ずるいです。

要するに、日本人のコンプイライアンスのなさを彼なりに訴えているわけだ。
もしテイさんがいうことが、日本人の国民性ならば、
まだまだコンプライアンスなど、画餅(がべい)かも知れない。

時代の人、宮崎県の東国原・新知事は、就任あいさつで、

   「裏金あるなら、いま自ら出してね」

と言った。ゲロは今や時代の要請である。

January 27, 2007 10:09 PM | コメント (20) | トラックバック (0)

2007年01月26日

ペコちゃんの今年の運勢は?:

不二家のペコちゃんは、永遠の6歳だという。

実際は、昭和25年(1950年)の寅年生まれの57歳。

   熟女である。

出身は東北、牛のことを「ベコ」と呼ぶことから、
彼女は「ペコ」という名前を得た。

彼女のフィギャーの特徴は舌なめずりをしている点にある。
牛は複数の胃袋をもち、反芻(はんすう)するので、
そのさい、しばしば舌をべろり~と出す様子が観察される。
この様子を模したものだという説がある。

さらに、乳牛のイメージが「ミルキー」へとつながる。

今回の不二家の不祥事では、このペコちゃんが舌を出していることで、

   ずっと客をだましていたことを知っていた

   舌を出してほくそ笑んでいた

   反省の色が全くない

という風に、ネガティブに見られた。

peco.jpg

ペコちゃんグッズは、ヤフー・オークションでは人気商品であったが、
いまや、人気がしょぼくなり、落札価格は下落気味。
(写真:シワはないが熟女のペコ)

平成の初めの頃か、東京・飯田橋にあるブリティッシュ・カウンシルへ
立ち寄った帰り道、神楽坂の不二家の「ペコちゃん焼」に
行列ができているのを見つけた。
チョコとカスタードを買って帰ると、妻が、

   あら、ずいぶん人相の悪いペコちゃんね。
   何だか、かわいくないわ。

と、まるで今回の事件を予知したかのような発言をしていた。

自分では気づかなかったが、よく見ると、
確かに焼かれた顔は、怖い不良づらになっていた。

ところで、ペコちゃんには、ポコちゃんというボーイフレンドがいる。
彼は、2歳年下の昭和27年(1952年)生まれ。
ペコちゃんが最後の団塊の世代とすれば、
ポコちゃんは、ビートルズ世代に属する。

57歳のペコちゃんと55歳のポコちゃんは熟年カップルだな。

ペコちゃんには、父母のフィギャーがない。
兄弟姉妹もいないし、むろん祖父母もおじ・おばもいない。

サザエさん一家、ウルトラマン一族、
リカちゃんファミリーなどに見るような、
ファミリー性が欠落しているのだ。

ボーイフレンドという触れ込みのポコちゃんがいるだけで、
実にさびしい人間関係を不二家は与えてしまった。

このポコちゃんにもファミリーはいない。
不二家はファミリーレストランを経営しているのに、
家族というものを軽視している印象がある。
ペコちゃん、ポコちゃんに愛情を教えないで育てたのか。

ただし一部の動物とは仲がよかった。

不二家はファミリー企業である。
しかし、ペコちゃんやポコちゃんは、肉親の縁が薄い。

その寂しさ、影が、今回の不祥事とあいまって、
客の気持ちを重くさせている。

ペコちゃんを含め、団塊の世代への世の中の印象は、あまりよくない。
競争にさらされ、二律背反な生き方が普通になってしまい、
変節をとがめられる人たちも多い。

実際、全共闘で武力闘争をしていた者がいつしか
体制側に組み込まれ、「勝ち組」を誇ってしまっていることもある。
醜い姿と見る向きもあるが、彼らは「カエルのツラ」のメンタリティを持つ。

だから、「ペコちゃんの裏切りは、驚かないよ」と
若い人たちは言うかも知れない。

子供に愛された可愛い偶像のイメージは、落ちに落ちてしまった。
これからどうすれば、いいのだろうか。

まだ1月ということで、運勢占いに当たってみた。
昭和25年生まれのペコちゃんの星は、「五黄土星」。
高野山真言宗・法恩院で占った今年(丁亥)の運勢を見ると、

   今年の運気は不安定。予想外の変化変動がありそう。
   従って、常に情報を得ること。
   冷静かつ臨機応変に対応することが開運の鍵。
   焦った上での対応は、さらに悪化を招く。
   禍の芽は早めに摘み取ろう。
   何か変化があれば、早めの対処方法を考慮すること。
   改革や改変、計画変更を恐れるな。
   古い慣習や計画、考えにこだわらず、時流を見て対応していくこと。
   頑固を去って柔軟に。

というご託宣が出ている。
今回の発覚をまるで予知したように、見事に的中していると思う。

   古い同族会社の膿(ウミ)を出して、出直せ!
   改革や改変を恐れるな、古い慣習を脱して、柔軟に対応せよ。

と、空海上人はおっしゃているのです。

January 26, 2007 08:21 PM | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年01月25日

亀田興毅くんがメンチを切らなかった!:

関西テレビの捏造情報番組「発掘!あるある大辞典II」の
大ヘマのとばっちりを受けて、可哀想なのが、納豆。

事件後の反応を私の周囲で見ても、
坊主憎けりゃ袈裟形式の態度がけっこうある。

これは、関西出身者が多いし、
実際に、ダイエット効果を期待して食べたものの、
ヤラセ情報だとわかって腹を立てている。

ダイエットに効くという売りがなかったら、

   誰があんな物、食べんねん!

というわけだ。

なぜ彼らは、納豆が嫌いなのか。
食わず嫌いか、単に臭いの問題か、いろいろ考えられるだろう。

臭い。

納豆最大の弱点が、これである。
冬はまだしも、夏など食事前に冷蔵庫から出して、
ちょっと他の準備をしていると、匂いがきつくなる。
私自身も、時々、やはり臭いな、とは思う。
一方、あ、これが納豆の匂いだな、と納得してしまうほど
習慣化してしまっているとも言える。

natto.JPG

そこで、この臭気が比較的抑えられている納豆も出回っている。
例えば時々食する「引き割り納豆」「刻み納豆」ならさほど臭気はない。
サラダ感覚と言えばよいだろう。
(写真:我が家の夕食の納豆2種)

あるいは、食べる直前に冷蔵庫から出して、
他のおかずを食べる前に、そのまま食べれば、
臭気はほとんど立たない。
これはかなり忙しい食べ方だけどね。

パック納豆なら、添付品のカラシ、たれの臭い消しがついているし、
アサツキ、ノリ、うずらの卵、マヨネーズなどを加えるのも手だ。
山芋をおろして抱き合わせするのも工夫。

臭いと言えば、ニンニクたっぷりのキムチ。
納豆の臭気より、はるかに勝る強烈さだと思うけど、
関西人は、コレについては非常に寛大だ。
関西に在日韓国・朝鮮人の人が多いから、
もしキムチを攻撃すればコミュニティに紛争が起きるからだろうか。

滋賀の鮒寿司や奈良の柿の葉寿司、京都の漬物スグキも
きついと言えば、きついを感じる人もいる。
しかし、抵抗感を感じる人がいても、
納豆ほどに、関西人は足蹴にはしない。

ネバネバ。

ネバネバするのが納豆の特性だけど、
これの特性をあげつらって、納豆を糾弾する人は多い。

一時、納豆をかき混ぜる方が体によいと思い、
毎食、10分くらい練りに練ったことがあった。
最後は「鳥もち」状態になり、それを口にほりこんでいたことがあった。
箸もべとべとになり、家族の評判もすこぶる悪かった。

味。

藁(わら)に巻いたのや紙カップ状のもの、発泡スチロール、プラ容器、経木包み、
値段の安いもの、高いもの、引き割り、大粒、小粒、
極小粒、黒豆納豆などいろいろあるけど、
私は引き割りの、納豆巻に使えそうな繊細な感じか、
逆に、藁包みのごつごつした豆の歯ごたえのある納豆を好む。
味は、ネバネバや臭いや舌触りなんかも加わるから、
そのどれか、たとえばネバネバが口の中に入ったら嫌な人なら、
納豆を敬遠することは理解できる。

四番目にあげられる理由は、
物理的なものではなく、精神的なものだ。

それは関西人が持つ東京人へのライバル意識である。
納豆に対する関西人の態度は特別で、
例えば、関西人は、あからさまに、

   ゲ~ッ、キモ悪いな~、納豆って。
   よう、そんな臭いもん、食べはりますね、
   いややなあ~。

堂々と、真顔で、納豆を食べている私に言う。
彼らは、食べないと明言するだけでおさまらず、
納豆を腐すことによって、一種の優越感、
つまり

   「東京人はそんな臭いものを食べて、ヤバンやなー。
    なんぼエエカッコしても、あかんやん、あ~、クサー!」

と言いたいのである。
屈折した心理を垣間見せてくれるわけだ。

さらに、思うに、こういうあからさまな無礼は、
子供がすることであって、大の大人がする所業ではない。
にもかかわらず、してしまうのは、
幼児期に、しつこく

   納豆は関西人が食べるものではない。
   昔、都があったんは、関西や

ということを吹き込まれていたからではないのか。
もしそうならば、間違いだろう。
京のお公家さんたちも、納豆を食べていたらしい。

私は関西出身なのに、納豆を食べたら、

   ほんまは東京人でしょ?

と、言われてしまう。

関西人はどうやら、納豆を目の前にすると、幼年期にもどって、
条件反射的に納豆をけなしたくなるようだ。

kameda.jpg

以上のことを踏まえて、25日付けのこの記事を読むと、
あの亀田興毅くんが、なんとも太っ腹を見せてくれた。
(写真:日刊スポーツ)

   売れなくなった分はオレが食うたる。

と、亀田くんが言う通り、一回3パックを常食して、
納豆の良質のたんぱく質であの肉体を維持している。

彼は大阪の天下茶屋で育った。

大阪のど真ん中であるにもかかわらず、
大阪人には敵意をもった目で見られる納豆を好きになったのは、
幼い頃からお母さんが食べさせたからだ。

納豆にメンチ切らない亀田くんって、なんとなくエエなあ。

January 25, 2007 10:39 PM | コメント (16) | トラックバック (0)

2007年01月24日

知らない間に、ごちそうさま:

記事「ブラックバスは日本円が好き?」で、
ブラックバスが日本の在来魚種の生態系を変えていることを懸念してみた。
こうした「在来魚対外来魚」の対立は、
日本だけでなく、世界的な問題となっているようだ。

たとえば、2003年の秋、米イリノイ州の川で、
35歳の女性がジェットスキーを楽しんでいたところ、
突然、約4.5キロの巨大なアジア鯉(こい)が水面に跳ね上がり、
尾ビレで彼女の顔を打った。

意識を失って川に投げ出されたが、運よく他のボートに助けられた。
脳震盪(のうしんとう)を起こした上に、鼻を骨折、背骨にもヒビが入っていた。

とても鯉のしわざだとは思えない。

commision.jpg

アジア鯉、大きいのになると、全長1.2メートル、
体重45キロにも達する。
(写真:五大湖漁業委員会提供)

人間を襲撃するわけではないが、
モーター音に驚くと、
水面から3メートルぐらいは飛び上がることもある。
今、イリノイ川では、この巨大な外来の鯉が問題なのだ。

どんな風にこの鯉が飛び上がるのか、この動画を見てみよう。
7~8回は飛びを見せてくれる。

時はさかのぼる。

アジア鯉は、70年代にミシシッピ川沿いの町にやってきた。
そこにナマズの養殖場があって、藻の繁殖を抑えるために、
アジア鯉を飼いだしたのである。

ところが、1993年にミシシッピ川が氾濫したものだから、
増水した川は、ナマズ養殖場を直撃、
養殖池が川に飲み込まれ、アジア鯉が逃げてしまった。

その数は少なかったけど、早いペースで繁殖を繰り返し、
1998年には、ミシシッピ川の支流のイリノイ川にも現れ、
この川の豊富なプランクトンを食べることで、
大繁殖となってしまった。

アジア鯉は、自らの体重の40%までプランクトンを食べるという。

近くにミシガン湖があり、
こんなとてつもないアジア鯉がここに侵入すれば、
45億ドルにものぼる漁業が大打撃を受けるのは必定というわけで、
この「エイリアン」を防ぐべく、湖の一口に電気バリアーを敷いたり、
法律を整えている。
現在は、このバリヤーが働いているが、永久というわけでもない。

大げさに言えば、アジア人を排斥した
第二の「黄禍」(イエロー・ペリル)を連想してしまう。

しかし最近の状況はちょっと変わってきた。

アジア鯉を食糧に使おうとしているのだ。
たとえば、動物園で飼われている動物の餌に、というわけ。。

なにしろ、食糧としては安い。
通常、だいたい1ポンドあたり30から70セントぐらいの
サバ、ニシン、カラフトシシャモなどを与えているけど、
アジア鯉となると、もっと廉価になり、
動物園は25%ぐらいをアジア鯉に変えたい意向だ。

動物園といっても、同様の需要を期待できる動物園が
200はあるから、かなりの需要を期待できる。
今まであまり好かれていなかったアジア鯉もビジネスとして脚光を浴びる。

さらに、ある業者は、州刑務所などを販売市場とみなす。
アジア鯉をパテに加工して売ろうというのだ。
どこでも、コスト削減で安いタンパク質を探している。

それに、いくらアジア鯉を捕獲しても、誰からも恨まれることはない。
むしろ、業者は州から助成金を受けているほど。
だって、外来魚をゼロにするのが、エコロジー問題に頭を悩ませる
行政当局の目標なのだから。

今、ミシシッピ川やイリノイ川では、
エコロジーの専門家が、アジア鯉の生態をさらに調査している最中だ。
ただし、調査官たちの中には、頭にはヘッド・ギアをつけ、
ボートの操縦席は網で囲い、
アジア鯉の「襲撃」を防ぐことを忘れてはいない。

ところで・・・

アフリカでも在来魚の生態系が外来魚の侵入により、
大打撃を受け、一種の悪夢となっている。

この実態をドキュメンタリー映像で描いたのが、
今、全国に順次公開中の「ダーウィンの悪夢」という映画だ。

darwin.JPG

「ダーウィンの箱庭」と呼ばれた、
アフリカの巨大な淡水湖・ヴィクトリア湖に、
巨大な肉食外来魚ナイルパーチが放流されたことで
湖畔の町の人々の生活が激変していく。

アジア鯉は偶発的な河川の氾濫だったし、
ナイルパーチは先を読めない人間の軽はずみな行為が
生態系を狂わせることになってしまった。

ビクトリア湖の場合、魚の生態系だけでなく、
魚を取り巻く人間をも狂わせた。

経済的には、むごいほどの「勝ち組」「負け組」を作り、
貧困、売春、エイズ、ドラッグ、ストリートチルドレン、環境悪化、
というように、人間界に負の連鎖を生じさせた。

またナイルパーチを積んで帰る飛行機が武器をもってくるという
疑惑もサスペンス風に描いている。
ナイルパーチは、アフリカの内乱にも関わっているのだ。

このナイルパーチだけど、日本では「白スズキ」として流通していた。
現在もお弁当、給食、ファミレス、機内食などで
安価な白身魚として重宝がられ、
フライやムニエルなどによく利用されている。

知らないうちに、日本人も「あ~、美味しかった」と言っているのだ。

(ただ、魚の生態系を壊す問題や武器輸出の問題は別として、
ナイルパーチについては、
こういう魚の肉を食べない運動などはナンセンスで、
要するに「富の分配」の問題だと思う)

January 24, 2007 04:37 PM | コメント (15) | トラックバック (0)

2007年01月22日

ブラックバスは日本円が好き?:

今年の初場所も、モンゴル出身の横綱・朝青龍さんが強かった。
三日目に出島さんに押し倒しで敗れたものの、
白星街道を突っ走って、20回目の優勝だ。

幕内の他のモンゴル勢6名のうち、鶴竜さんの6勝9敗を除き、
しっかり勝ち越して、ふがいない日本力士を尻目に気炎を吐いた。

また杷瑠都さんの途中休場は残念だったけど、
ロシア東欧勢は幕内で高い位置にいる。

十両クラスにも、3モンゴル、1ロシアがいる。
3力士が勝ち越しして、年内前頭入りを射程にしているようだ。

さらに、最下ランクの序の口を見ると、
今場所優勝したのは、久之海さんというトンガ王国からの人。
場所前に日本国籍を取得して場所に臨んだから、
迫力が違ったのだろうか、優勝してしまったようだ。
久之海さんは、2005年の名古屋場所から
両ひざじん帯断裂で休場、本場所から復帰しての優勝だから、
うれしさ百倍だろう、おめでとう!

こんな風に上クラスと下クラスの外国人人材充実度から見ると、
当分の間、外国人力士の時代が続くと思う。

伝統スポーツも、国際化の時代らしく、

   外来力士と在来力士の戦い

という風に、新しい時代を示し、興味深い。

強い外国人力士の活躍を見ていると、
これって、外来魚のブラックバス化を連想してしまう。

ちょっと外来力士と在来力士の対比を考えてみたい。

ookuchi.JPG

ブラックバスは、北米原産の淡水魚。全長約50センチ。
魚だけでなく、海老、蟹、蛙、鳥、鼠など動く物なら
なんでも食する、肉食魚で、飢えると同類も食べてしまうほどだ。
(写真:オオクチバス)

この外来魚が米国から日本に輸入されたのは、
1925年(大正14年)と言われる。
神奈川県の芦ノ湖に87匹放流された。
肉食魚であること、繁殖能力が旺盛であることなどを考えれば、
在来魚への影響が大きすぎることは誰にでもわかるのだけど、
この湖に放流されたのは、ここが他と隔絶された水系を持つから、
繁殖を限定できると考えられた。

1964年まで、5県にしか生息しなかったブラックバスは、
70年代のルアーフィッシングブームに乗り、
急速に生息地を拡大し始め、79年ごろには40府県となった。

釣りイベントが各地で開催され、有望なビジネスになると、
密放流が出てくるのは当然であった。

猛威を振るう外来魚の勢いを抑制するため、
行政はさまざまな策をとるが、いまだにいたちごっこの感がある。

滋賀県琵琶湖では、固有種が減少した理由をブラックバスなどの外来魚の
のせいにされ、日本釣振興会などが反論している。

ブラックバスが出現(1974年)する前にすでに、在来魚はひどい減少を示していた。
その理由は、国土開発による環境破壊、家庭排水・工場排水による水質汚染、
産卵場所の埋め立て、漁業業者の乱獲などだというもの。
そして出現後、さらに汚染が進行している。

この理由づけには、一理も二理もある。

またブラックバスを擁護する人たちは、
観光資源と見ての、バスの利益論や
生き物の命の平等論から正当化をはかるけれど、
根本的な問題の解決にはなっていない。

こんな風に、駆け足でブラックバスの猛威の経緯を見てくると、
相撲界とかなり似た経緯をたどってきたことがわかる。

sumo.JPG

映画「力道山」でよく知られた力道山さんは、
朝鮮籍をもち、日本人の養子という形で
相撲界に登録していた外来力士であった。

時代が下り、朝鮮籍の力士は少なからずいるにはいたが、
なにしろ風貌が日本人に似ていたので、
隠された状況が続いたようだ。

ところが、高見山さん、小錦さん、曙さんらの見た目で
外来力士だと識別できるので、舞の海さん対曙さんの勝負で、

   外来 VS 在来

のコントラストが鮮やかになってしまった。

ブラックバスの系譜で言えば、70年代中頃の
まだ牧歌的な外来と在来の対立に相当する。

ところが、モンゴル相撲の王者たちや
東欧ロシアなどから来た猛者が、旺盛なハングリー精神の塊で
相撲界に入って、活躍を始めた。

在来力士は苦戦し、観客の多くが日本人である以上、
外来力士の活躍は面白くなく、予想したほど観客増に結びつかず、
朝青龍の強さとは裏腹に、
マス席が売れないといった営業的マイナス状態が起きた。

この状況は、ブラックバスの繁殖力を理由とする
琵琶湖の在来種減少に似ている。

理由は、外来力士の強さにあるだけでなく、
すでに在来力士が見せてきた相撲が力強くなかったからだ。

衰退した理由はさまざまだ。

たとえば新弟子スカウトの難しさ、
体力の低下(小学生でも電車の座席に座りたがる)、
ケガの多さ(カルシウム不足など)、
興行・イベント事業の方法の失敗、
角界の閉鎖性、タニマチ体質、上下関係のつらさ、
他の洋式スポーツに押され気味の相撲自体の時代性など。

衰退した時期と一致していて、
外来力士にだけ、その理由を結びつけるのは短絡的だ。

ブラックバスは、同じブラックバスを食うという。

この厳しい自然のルールを、朝青龍さんが白鵬さんと戦う姿に重ねると、
また違った、心臓がぱくぱくする面白さに出会えそうだ。

(おまけ)
週刊現代が朝青龍さんを特集している。
あの八百長告発記事がもし本当ならば、金というルアー(擬似えさ)で
ブラックバス自身が釣りをしていたことになる。

ブラックバスのブラックジョークか。

January 22, 2007 10:33 PM | コメント (10) | トラックバック (0)

2007年01月21日

どげんかせんないかんが知事誕生!:

過去に暴力事件、性的スキャンダル。
自分が行った不祥事でイメージダウン、
終いには結婚も家庭も破綻した、タレントのそのまんま東さん(49)が、
いきなり宮崎県の行政トップ、知事に選ばれた。

宮崎日日新聞が候補者5名からマニフェスト(政権公約)を
とっていたが、東さんのを見て、

    お、なかなかニクイね!

と感じた。

これ

経済活性化、行政改革、その他の三つに分けて、
具体的な政策を明示して、それぞれに、

   期限
   数値目標
   手段
   財源

この4つについて明記している。
彼のマニフェストが実現可能かどうかは別にして、
仮に有権者として、見たとき、
この「具体性」はかなり魅力的に感じるのではないか。
他の候補のは、どうもわかりずらい。

選挙戦でタレントを呼ばず、地道に政策を訴えた、
既成政党に失望する無党派層の心をつかんだ、
短期間で「草の根」運動へもっていけた、
軽快なフットワークで選挙地を網羅した、
好きな学問の蓄積を有権者に嫌味なく見せた、
そして、時代が後押しした。

・・・こうしたいろいろなことが、当選を確実にしたのだろう。
明日の新聞は、評論家たちが理由付けしてくれるはずだ。

私は6つ目の「時代性」が最大のモメンタムになったと思う。
言ってみれば東さんは、「フリーター候補」だった。
投票率が上がれば、浮動票が動き、
厳しい労働条件にある若い人の支持が選挙を左右するのはは当たり前ではないか。

何の行政経験もない人を私は基本的には支持しないけど、
今回の選挙戦を見た限りでは、元長野県知事の田中康夫さんや
亡き青島幸男さんたちとは違って、宮崎県を救うのに必要なのは、
ビジネスの感覚が重要な条件に含まれることをよく理解した方だと思う。

ひとつだけ、東さんに注文。

2006年3月23日版の「第10回全国情報公開ランキング」を
見ると、宮崎県は去年の40位から26位にアップしてはいるが、
政務調査費の公開度など、30ポイントのうち1点しか獲得していない。

これは、ひどいものだ。

田中康夫さんは、26ポイントというレベルまで達成しているのだから、
明朗会計の県にして、財政危機を脱出してもらいたいと思う。

いろいろ紆余曲折のあった元・お笑い芸能人を
このまま終わらせないで、リベンジのチャンスを与えた
宮崎県人の、よく言えば包容力、悪く言えば、

    怖いもの知らずの度胸力

を感じる。

January 21, 2007 11:37 PM | コメント (14) | トラックバック (0)

2007年01月20日

亡くなった方の気持ちはどうなるの?:

司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」が
2009年秋からNHKでスペシャルドラマ化される。

1回あたり90分、全13回。
2011年秋まで3期に分けて放送予定で、
この秋から撮影を3年かけて行うそうだ。

1回あたりの制作費は、大河ドラマレベル(約6000万円)を超えるという。

軍人秋山真之を本木雅弘さん、兄・好古を安部寛さん、
俳人正岡子規を香川照之さん、その妹律を菅野美穂さんが演じる。

秋山兄弟や子規兄妹らの青春群像を通して、
明治期の近代国家建設に邁進した日本人の姿を描いた
小説のドラマ化である。

「坂の上の雲」の映画化・ドラマ化については、
生前の司馬遼太郎さんは、拒否の姿勢を通していた。

その理由は、小説で丁寧に書いてきたものが映像化されると、
好むと好まざるにかかわらず、イデオロギー論争に巻き込まれ、
右翼と左翼の両方から批判を受けてしまう危惧から、
この作品は、他のに映像化された自分の作品とは
分けて考えたいというものだった。

akiyama.JPG

確かに、映像化を考えると、とりわけ主人公の秋山真之さん(右写真)が
活躍するのが日露戦争なのだから、
どうしても戦争をリアルに描くことにより、
軍国主義を肯定するような印象を与えることになりかねない。

司馬さんが、映像化を拒否した理由を
私は正当なものだと高く評価したい。

司馬さんが亡くなられた後も、未亡人の福田みどりさんは、
ずっと映像許可は出さなかった。

しかし、2003年に、NHKの説得に負けて許可を出した。

この時も、ちょっと思うところがあったのだけど、
今、私が気になることは:

   死者が自分の著作物に対して生前からしてほしくないと発言していたことを
   著作権継承者が、死者の意思に反して行う是非

今回の「坂の上の雲」の場合、
司馬さんが遺言書もしくはその付言(ふげん)にでも、
「不許可」の意思を文章で表示していたら、
未亡人が葛藤することもなかった。

意思の観点では、
未亡人が許可を出していない時には、
未亡人は故人の意思を尊重していたが、
許可を出した時点で、自分の意思の方を優先させてしまったことになる。

未亡人も苦渋の決断であっただろうけど、
やはり私は、亡き司馬さんの意思を尊重していただきたかった、と考える。
なぜなら、亡くなった方は今の現実を知りようもないから、
なおさら、生前の意思を尊重しなければならないと思うからだ。


January 20, 2007 09:43 PM | コメント (14) | トラックバック (0)

2007年01月19日

電車を降りる人の空き座席は?:

記事「賀正 秀才たちの奇行・愚行」に対して、Nastyさんから、
次のようなコメントが寄せられました。
ありがとうございました。

・・・・・Nastyさんのコメント引用始め・・・・・

先日電車の中で、電車を降りる老人に席を譲られた子供に、一緒にいた母親が「しっかりお礼を言いなさい。大きくなったら今度はあなたが席を譲るのよ」と教えて大変感心しました。この親子は後の話を聞いていると、小学校受験の塾から帰る途中でした。母親の服装を見た所、かなり裕福と見受けました

この件によって「裕福な人は精神的な余裕によって子供にしっかりした教育を行うことが出来る」と結論を作ることが出来ますが、それもまた一般的に出来ることではないと思います。

どんな所にでも立派な人もそうでない人もいます。その中で自分に都合のいい一部をサンプリングすることで安易に世の中を割り切るのはマスコミがよくやる卑怯な行為だと思います。
ただ、子供を勇気を持って教育しようという意見にだけは同意します。

投稿者 Nasty : 2007年01月18日 17:30

・・・・・Nastyさんのコメント引用終わり・・・・・

これに添えるように、以下のコメントを私は書きました。

   ベビー日刊のコメント

   子供が老人に席を譲ってもらったんですか!?

   ふつうは、子供は老人に席を譲るんじゃないですか?

                      2007-1-18 23:29

すると、Nastyさんから、次のような返答が届きました。

・・・・・Nastyさんのコメント引用開始・・・・・

>子供が老人に席を譲ってもらったんですか!?
>ふつうは、子供は老人に席を譲るんじゃないですか?

よく読んでください。「降りる時に」譲られたのです。
「お嬢ちゃん、私はここで降りるからお座りなさい」と。
適当に読んで適当にコメントするのじゃ、まるきり2chのクズスレと変わりませんよ。
「まず人のいうことはよく聞いて返答する」というのは教育の基本じゃないでしょうか

            投稿者 Nasty : 2007年01月19日 10:21

・・・・・Nastyさんのコメント引用終わり・・・・・

私は、ブログ主催者として他の読者の読み間違いの可能性も含め、
質問をしたのです。

にもかかわらず、「2chのクズスレ」呼ばわりをして、
相手を罵倒するNastyさんのメンタリティには驚きました。

   Nasty(不快な・意地の悪い)

というHNらしいですが。

教育の基本さえ持ち合わせていないと、私に言う前に、
マナーの基本を身につけてほしいものです。
ここ「世界一小さい新聞」は、2chとは違うのです。

さて、Nastyさんは気づいておられないようですが、
このお話には、重要な論点が2つあると思います。

論点1 「この老人には降車の際に空き座席を
特定の人に委譲する権利があるかどうか」

今回のケースでは、目の前に親子が立っていたかどうかは不明ですが、
いちいち誰が座るなどと、言葉にする必要はありません。
老人の前に親子が立っていれば、
そのまま親か子供が座ればよいだけのことです。
また他の人であれば、その方が座ればいいだけのこと。

と、なると、少し離れたところに立つ子供に声をかけ
「ここにすわりなさい」と老人が言ったように思えます。

tube.JPG

一見、何の問題もないように思えますが、
たとえば、あなたが老人の前に立っていて、
老人が降りるために立ち上がった時、
「あ、座れるわ!」と思うのが普通です。

ところが、意に反して、
老人が特定の子供に声をかけ、座るように指示してしまったら、
あなたは、状況的・雰囲気的に、

   「え、私、座れないの?」

とは、言えなくなるでしょう。

つまり、降車すれば、その席に対して、
他の乗客が座る権利を有するにもかかわらず、
くだんの老人は、自分が失った権利を他の特定の人に
与えるように指定したことになるのです。

老人にとって、お受験親子の「見た目」で
その指定行為が決定された印象は否めません。
これが、薄汚れたジャージ姿のヤンキー親子だったら、
「ここに座りなさい」と言ったかどうかです。

基本的に、電車のような席(シルバーシートは除く)では、
自分が立った後の空き席は、フリーの状態になるとみなした方がよさそうです。
譲り合いのような良い雰囲気があれば、その雰囲気で席が決まるでしょう。

論点2 「老人が6歳児に席を譲るのは正しいか」

老人が降りた後の席を、特定の子供に指定したことを理解して読んだ上で、
私は、子供に老人が席を与えたことに非常に違和感を覚えました。

指定された子供は、今回のエピソードでは就学前になっていますから、
5-6歳ぐらいでしょうか。
本当によくしつけされた子供ならば、自分が座ることを断るでしょうが、
そういう天然記念物の子供が今の世の中にいるとも思えません。

行き届いた親なら、子供を甘やかされたくなく、
「ほかの方にどうぞ」と、お断りすることでしょう。

昨今、こうした、他人の子供を、
その時々の気分で、また衆目を浴びつつ「いいカッコ」で甘やかす、

   孫愛ごっこ 擬似孫体験

を好む高齢者が増えたことを、私は憂いています。
一種のこうした無責任な言動によって、
子供に甘やかす癖だけが残ることを
高齢者の方々に、もっと理解してほしいと思っています。

一見、親切、一見ものわかりのよい行為には、
隠された毒があることを理解したいものです。
この話には、格差、お受験、少子化、核家族、高齢社会など
いろいろな問題が含まれているようにも思われます。

最後に。

Nastyさんは、老人が子供に「席を譲った」という表現をされていますが、
これは間違いでしょう。
「席を譲る」とは、この表現をもし使いたいのであるなら、
降りる時ではなく、まだ座っていたい状態の時に使うべきで、
今保有中の権利を放棄して、他の人に、
「席を座る権利」を提供してあげることです。

私は、このブログの主催者であり管理人です。

2ちゃんねるのような、
名誉毀損の不法行為で賠償支払いの判決を受けながらも、
支払いに応じない、違法・逃亡する管理人が主催する掲示板と同列に扱われて、
きわめて不快感を抱いております。

毎日読んで下さる多くの読者、
コメントを書いて下さる方々に対しても、甚だ失礼です。

いらいらや腹立ちまぎれに相手を罵倒する前には、
ご自分の意見がうまく文章になって読者に伝わっているかどうかを
考えてから、コメントをしていただけますように。

ここでこうして、一つのトピックを立てているのが、
「適当に読んで適当にコメント」していないという何よりの証拠です。

January 19, 2007 09:18 PM | コメント (47) | トラックバック (0)

2007年01月18日

血税を吸い上げる領収書:

朝、新聞を読んで腹の立たない日はない。

今朝は、朝日新聞が、東京都品川区の自民党区議団の
築舘(つきだて)武雄幹事長(55)の不正手口を明らかにし、
マスコミとして良い仕事をしてくれた。

議員がまた税金を吸血ヒルのように吸い取っていた。

この区議の不正手口は、偽領収書つくりだった。

自分の後援会会員の親類の書店から、白紙の領収書をせしめ、
そこに自分のほしい金額を記入するという、
まあ何とも恥知らずの強欲全開だ。

こんな領収書でも議員が提出すればお金に変わるから、
偽札製造にも似ている。

区議の提出した収支報告書に添付した領収書を
朝日新聞が精査したところ、
不自然な領収書38枚が見つかった。

金額の記入の仕方に巧妙さが、うかがえた。
普通3万円以上の金額には収入印紙を貼る必要があるのだけど、
彼の領収書には、29,000円とか29,800円などと、
印紙不要にする金額がまじっていたという。

また記入された数字の筆跡に類似や差異があり、
バレては仕方がないと思ったのか、
築舘区議は、朝日新聞の取材に対して、
2001年よりこの書店から、
白紙の領収書をもらったことを認めている。

偽造領収書づくりで得たお金は、
新年会などの会費に使ったという。

また飲み食いだ。
口の卑しさにも程がある。

築舘区議がこのお金をひねりだすために使った名目は、

   「政務調査費」

であった。

築舘区議は2003年度から合計39枚のの偽領収書を提出し、
金額で100万円を超える不正金を得ていたことになる。

良心的な議員は「政務調査費」をきちんと使っているのに、
一部の議員は、これを「金の成る木」とみなしてきた。

築舘区議は、不正金を返還するという。
しかし、取材には、区議をやめる、とは決して言わない。

日本は罪刑法定主義で、法律に明記されない限り、
罰せられることはない。
しかし結果だけを見ると、この100万円は、
血税からの横領と同じではないか。

新聞社が調査をし、事実が判明しなければ、
100万円の区税を納めた区民から、
ちょろまかし続けたわけで、
人間として恥ずかしい行為と言える。

ところで、品川区と言えば、
確か去年に、税金の無駄遣いだと海外視察が批判されたはず。

・・・と思い出して、調べてみた。

自民党から4議員と区民連合から3議員の計7名が、
スウェーデン(社会保障制度)とスイス(災害対策など)へ
海外視察にでかけるという。

1週間で、議員一人70万、総額740万円の浪費。
今、海外調査をする緊急性や重要性などない。
共産党区議らが噛み付いたが、どこ吹く風であった。

まともな区議らは、

   「もしどうしても行きたいのなら、
   「政務調査費」として、
   月々19万円をもらっているのだから、
   その中から用立てるのが筋だ」

と、正論を吐いている。

今、ワーキングプア、生活保護など現実的に切迫した
区民の暮らしに支援をまわすべきなのに、
一部の議員のノーテンキ・自己中ぶりは呆れたものだ。

今まで海外視察、帰国後に、提案なり、詳細なレポートが
提出されたことはほとんど皆無だ。
今、23区のうち20区でこうした視察を中止しているのは、
当然のことだ。

言うまでもないが、この7名の海外視察区議の中に、
やっぱりアノ領収書錬金術師の築舘区議の名前もあった!

調べてみると、この人、
平成6年、9年、11年、そして18年と4回出かけている。
去年でかけたスウェーデンとスイスはそれぞれ2回目の旅行になる。

steel.JPG

清掃、ゴミ、リサイクル視察の名目は、視察の常套名目である。

   スウェーデン語で「清掃」「ゴミ」
   そして「領収書」って何と言うのかな。

ところで、区議らが出かけたスウェーデンは、「瑞典国」と書く。

132年前の明治6年4月24日、
岩倉使節団は、ストックホルムに到着。
翌25日国王オスカル2世に謁見。
諸機関、諸施設を猛烈に見学している。
(写真:「ストックホルム」府「ボリンデル」会社
ノ製鉄場)

岩倉具視たちの視察は、
日本が近代化に成功するための大事な視察であった。

kume.JPG

品川区議たちも、久米邦武(写真)の筆による
「米欧回覧実記」にある「瑞典国ノ記」とまではいかないにしろ、
なんらかの報告記はホームページにでも書くべきだろう。
領収書づくりほどは、簡単には作成できないけど・・・。
(写真:米欧回覧実記(四)岩波文庫)

sweden.JPG

・・・・・・・
1月17日の解答
五徳、蝶番(ちょうつがい)、肥後ノ守

January 18, 2007 11:17 PM | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年01月16日

激レア、レトロ、謎の箱:

ヤフー・オークションのページを覗いてみると、
そこには、無知の交錯する不思議な世界が現れる時がある。

私は古いものが好きで、ときどき遊びに出かけると、
例えば、

   激レア、レトロ色あせた年代物 謎の箱

あるいは、

   旧家の蔵からうぶ出し宝物 垂涎(すいぜん)物

という表現が使われたりすることがある。

J%20box.jpg

興味をもって出品の写真を見ると、
それが、江戸期には別に珍しくなかった紋入り「長持」であったりする。
(写真:長持)

名称がわからない場合、今時の人は、「謎の箱」と表現するのだろう。
しかし、すでに「長持」という言葉を知らない世代が
この世に生まれていること自体、かなりの驚きだ。

   激レア、むかし食品戸棚

ひょっとしたらアレでは?・・・と思って写真を見ると、
これも、祖母の台所に年季物として鎮座していた「蠅入らず」である。

確かに昔の食品戸棚なんだけど、
知っている世代から見ると、名称が忘れ去られたようで、
一種のさびしさを覚える。

中には、

   こんなモノ売るなよ~ォ

って思う品もある。
例えば、確かに昭和30年代のモノには違いないが、
牛乳瓶のフタだったり、アイスキャンディの棒だったりする。

昔を振り返れば、消えてしまった名称の中で生きていたと思う。

【あなたのレトロ度テスト】
右写真の品々の名称を答えてください。

tetsubin.jpg
buhin.jpg
naifu.JPG

写真右 鉄瓶の下に敷くもの
写真中 昆虫に似ているが・・・
写真左 和式ナイフ
(解答は次回)

January 16, 2007 10:26 PM | コメント (14) | トラックバック (0)

2007年01月15日

けっこうキツイぜ、「ニート」道:

第一話から続く・・・

3.〈トラブル〉型

社会性が身についていなさそうな雰囲気、
見た目のマイナスイメージを持っている。

対人関係が苦手で人見知りするからか、
就職後にトラブルに巻き込まれやすい。

いじめを受け、本人に問題がなくても、
対人関係での失敗が本人をさらに消極的にさせてしまっているので、
やはりコミュニケーション能力を伸ばさなければならない。

親が転勤族の人に、こうしたタイプが見つかる。
新しい人間関係構築に、ハンディを持っていると言えよう。

会社などでは、社会性が身についてない人に、
マニュアルという形で指導するが、
世の中、マニュアルどおりに人も物事も動かず、
はじき出される人も出てくる。

neet.JPG

(写真:僕って頭のいい子に生まれたんだけど、
教育がダメにしたんだ(ニートの言い訳))

そうした事態に遭遇した時、
結局必要になるのは、対人処理のできる社会的能力だから、
それをも持ち合わせていないとなると、もう逃げ出すしかないかも。

ただ「ニーター」を製造する側の特化された原因(いじめとか)が
判明している場合は、その原因を取り除く策で、
とりあえずのところは、他のモデルに比べて、
問題は、解決できそうだと思う。

4. 〈自分探し〉型

教育熱心な家庭に育ち、学歴もある。
キャリアUPへのこだわりが強く、
自分が学んできたものと職業が結びつきにくい。

大学卒業前に就職活動はするものの、きわめて限定される。
就職先なし、一般的な就職へは興味を持てず、
結局親に対して申し訳ない気持ちはあるものの、
目先、どうしてよいかわからず、
悩みつつも、意に反して「ニーター」へ。

気持ちの上では、理想と思える・思いたい仕事があり、
いつかそれが見つかるまでは、と先延ばししつつ、
歳月だけが過ぎていく。

親もこんな風に、楽観的だ。

   いいのよ、若いんだから、ゆっくり道を見つければ。

親も、自分の子は、今、自分探しの真っ最中、
きっと何かを見つけてくれるに違いない、
と、サポートしており、期待感と見栄がいっぱいの状態にいる。

「自分探し」は、言うまでもなく、

   天職

これを見つけるということだ。

さし当たって、私が思いつくことは、
「自分探し」は、現状で言えば、
自分が見えず、自分で決められない状態のことだ。

「やることが決まっていない」「やることがわからない」という
未決、未定状態のことだから、先はどうなるかわからない。

未定と言っても、社会経験に乏しい「ニーター」の未定と
社会経験の豊かな人の未定とは区別する必要がある。

そして、「自分探し」という流行語は、流行語であるゆえに、
ヨン様ブームに簡単に乗っかるような母親をだますには
もっとも有効な魔法の言葉といえるだろう。

5.〈自己喪失〉型

学力と就職後のビジネス力の違いがわからず、
高学歴で就職したものの、要求される仕事ができず、
役立たずの扱いをされ、その組織にいられず、ついに離職。

本人にとって、ある種、カルチャー・ショックを受けるわけだ。

自分に仕事が合わない、仕事ができないというのは、
本人にとって実に深刻なことで、心身ともに疲れてしまい、
落ち込んだまま、
親は大学卒業から就職への移行を当たり前に思っているから、
なぜ子供がうまく進めないのかと、戸惑う。

自信を失っているし、疲れているので、
次の仕事は恐れが先立ってしまう。

周囲は、

   のんびり探せ、ゆったりやれよ。
   あの仕事が合っていなかっただけ。
   そのうち・・・。

と、この慣れの勧めをするけど、
本人は?と言えば、その楽観主義を渡りに舟と、逆に利用、
ずるずるとバイト人生を歩み出して、
気づくと「自分探し」型や「根無し草」型のお友達。

いったん「ニーター」になってしまうと、
企業で正社員として働く人と比べて、金銭的な面だけで言えば、
現在、将来ともにはるかに格差がついてしまうのは明らかだ。

しかし、一方で「ニーター」たちは、必ずしも
葛藤を経験するとは限らないのだ。
発達途上に、すでに固定化してしまっている恐れがある。

   まあ、別にさ、これで、とりあえずんとこ、いいじゃないスか。
   とにかくさ、生きているんだし。
   ニートってそんなに迷惑っスか?

いつまでも正当化できるものではないし、
それができるのも、若いうちか。

年齢が重なってくると、けっこうきついよ。

January 15, 2007 09:05 PM | コメント (22) | トラックバック (0)

2007年01月14日

「ニート」で迷惑ですか?:

「ニート」という言葉を知らない人はいないと思うけど、。
90年代に英国で生まれた用語で、
職につかず、学校に所属せず、職業訓練に参加しない、
若者たちを指している。

しかし、日本語の「ニート」になると、定義的にちょっとややこしい。

ニートと別に「フリーター」というのもあって、
こちらは定職につかずアルバイト稼業で生計を立てる人たちのことで、
この「フリーター」には、まだ働く意欲があるのに対して、
「ニート」は、働く意欲を喪失している状態にいる人たちとされている。

しかし実際のところ、この二つは、周囲を見渡しても、
なかなか区別がつきにくく、「フリーター」としての仕事を
ちょっと休むと、「ニート」化していると思われがちだ。

   ニート=怠け性
   フリーター=仕事の飽き性

という等式が成立するのでは、という世間の見方もありそうだ。

よく言われるように、かつて普通の人生と見られた、

   学校 ⇒ 卒業 ⇒ 定職

というコースをうまく移行できない人たちだと捉えると、
わかりやすいように思う。

日本では大学生でも、
中学生レベルの学力程度しか持ち合わせない人もいる中、
最高学府の卒業証書を発行してもらって、「フリーター」になる人が
決して少なくない現状を考えると、
私は、話をわかりやすくするため、「ニーター」という合成語で、
時には「ニート」時には「フリーター」の人たちをくくってみたい。

「ニーター」は、およそ次の5パターンに分類できるかも知れない。

1.〈待ち人〉型

働く意欲はあり、求人を待ってもほとんどない。
地域経済が沈み、仕事そのものがない。
たとえばすでに栄養士の資格は持っているのに、
それを活かせる職の機会がなく、
せいぜい病院の調理補助のパートしかない。

地方経済の地盤沈下の影響を受けているのだ。

またこのタイプには、就職のために親元を離れられない理由があり、
親が病身であるとか、あるいは共働きであるため、
未成年の兄弟姉妹の世話をしなければならない
といった家庭の事情をもっていたりする。

しかし、地方や地域が活性化し、仕事の機会さえ豊富になれば、
問題を解決できるという言う意味で、
他のタイプに見られるような「精神的」な問題に立ち入る必要はない。

2.〈根無し草〉型

ぽーっと、なんとなく生きているような若い子たちがいる。
基本的な生活習慣、生きる意欲を失っている。
例えば、病気でもないのに、朝起きない。
うまく日常生活のリズムが身についていない。
家計が厳しく親は子供に関心を示す時間や気力がなかったのか、
ほとんど、しつけらず、野放しだ。

nap1.jpg

学校はなんとなくいる空間であり、
つんまらないと感じたら、学業は続かず、
日常的に、遅刻・早退・欠席が重なって、休学、退学へ。
当然、学校から職業斡旋の機能を利用することはできない。
(写真:目を覚まさないとニート化するぞ)

当然、人との付き合い方など、プライベートな域に限られ、
その外へ出て行けないし、出て行く気持ちも湧かない。
周囲の友人もほとんどが同じようにぶらぶらしており、
刺激を受けるほどの面白味もない。

遊ぶ金がほしくなったり、欲しい物を買いたくならない限り、
アルバイトはしない。
30歳近い歳になっても、親の庇護のもと、
おねだりのお抱え状態である。

このタイプの「ニーター」を考える時に問題になるのは、

   責任は誰にあるのか

この「ニーター」たちの存在に、
国家的レベルで焦眉の急の問題があることは明らかだ。
なぜなら、もしこのタイプの1億2千万人が日本中にあふれたら、
昼間の経済活動は停止してしまうからだ。

   彼らが好きなコンビニ弁当も作る人もいなくなってしまう

しかし、こうした「怠け性」の性癖から発する責任という議論になると、
なかなか結論がでない。

人間とは、生まれつきの資質、環境で作られた性格などが、
合成されているものであって、
例えば、有能な親のもとに生まれ、新生児から
上手に育てられて、前進的な志向を発展させられたら、
朝の早起きどころか、ティーンで企業家となることだってあり得る。

逆に怠惰な親に育てられたら、皆目自主性が生ぜず、
ぬくぬく惰眠をむさぼる子になり、
「ニーター」くんたちから、

   自分の子供なんだから、
   ちゃんと育てておいてくれよなあ~

文句の一つも言いたくなるのではないか。

この議論は、責任論で出てくる、いわゆる「意思決定論」である。

自分のやる気・やる気のなさ、強い意志・弱い意思といった
精神的な働きが、いったい、自分の中でいつ頃培われたのか。

そういう見えないものに、結局今の自分が動かされているわけで、
「怠惰の責任をとれ」と非難されても、
どうも、自分的にはしっくり来ない「ニーター」くんたちが
多いのではないかと思う。

となると、「ニーター」に仕事を与え、訓練するいう対処法だけでなく、
彼らがやる気とか意思力を発展させる大事な時期に、
どんな風にすれば、国にとって役に立つ人を育てることができるのか、
10年、20年の国家の計を立てることが大事に思える。

(次号につづく)

January 14, 2007 09:12 PM | コメント (13) | トラックバック (0)

2007年01月13日

自分に毒矢を射た中村ノリ選手:

オリックス球団と6度目の交渉をも決裂させ、
退団の道を選んでしまった中村紀洋選手(33)。

彼に対して他球団はこぞって冷たい態度を示すという最悪のケース。
となると、残念だけど、年俸ゼロで浪人となるかも知れない。

オリックス球団はある程度の上方修正を示し、
今流行りの言葉を使えば、「落としどころ」を探ったのだが、
中村選手のケガを「公傷」と認めなかったことが、
彼にとって決定的なものとなったようだ。

中村選手は、最終段階で、
「弁護士の利用」に後悔したような感想をもらしていたけれど、
米国の代理人と日本の代理人弁護士では、
交渉の実力には雲泥の差があるという認識を
欠いていたのではないか。

日本の弁護士のほとんどはいわば「法の手続き屋」であり、
決して「交渉術」の訓練を積んだプロフェッショナルではない。

米国の「交渉の魔術師」を頭に描いていたら、
失望を味わわされることが多い。

中村選手が頼んだ弁護士の記者会見時の態度を見ただけで、
交渉能力のレベルがわかろうというもの。
あの、自分の心をそっくり相手に見せてしまう態度は何だろう。
あれでは、タフな交渉相手には見えないし、
相手方は、心を見透かして、ほくそ笑むだけだ。

依頼人(中村選手)の利益が、今回まったく守られず、
あれで、着手金を得ていたら、
弁護士にとってオイシイ仕事だったと言える。

「世界一小さい新聞」は創刊以来、
同じオリックスの清原選手を応援している。
何本か彼と仏教の教えを結びつける記事を書いてきた。

   顔施力  筏(いかだ)の話  空(くう)

今回の中村選手の交渉から一つ、釈迦(しゃか)の教えを連想した。

   毒矢のたとえ

という教えがある。正確には「毒箭の喩え」と書く。

heart.JPG

釈迦が生きていた頃、インドにコーサラという国があり、
その国の財務官の息子にマールンキャプッタという青年がいた。

この青年は、絶対に解けない哲学的な問題を
常日頃から考えており、ようやく、

   「釈迦なら、正しい回答をくれるだろう」

と、釈迦の教団に加わった。

ところが、教団では修行ばかりしており、
青年が期待した難問題の解決は、釈迦から厳しく禁じられていた。

その理由は、たとえば「世界って何から成り立つのか」といった
世界の本体の超難解な哲学的課題は回答不能だし、
人間が生きることにほとんど意味がないからだ。

青年は、釈迦のところにおもむき、

   「もし回答を与えていただけないのでしたら、
    再び世俗に戻ろうと思います」

と、釈迦に回答することを迫った。

釈迦は、まず、青年に

   「本体の問題を解決してあげるから、
    出家しろ、と言った覚えがない」

と述べた後、「毒矢のたとえ」を説いた。

こういう説話だ。

ある人が毒矢に射られた。
当然ながら、彼の友人や家族の者たちは、
心配して、外科医を連れてきて治療をさせようとする。

ところが、毒矢を射られた男は、

   「犯人は王族か、バラモン族か、庶民族か、
    はたまた奴隷族か!」

と、自分を射た者の姓名がわかるまで、矢を抜くなと命じた。

さらに・・・

「射た者の背丈、出身地、皮膚の色がわかるまで抜くな」
と、言い張り、弓の種類、弓のツルの種類、矢の羽の種類などが
一々判明しない限り、毒矢を抜くことを禁じた。

釈迦は、俗世界へ帰るという青年に、上のたとえを話した後、

   本体論の問題に回答を与えられるまで、
   仏教の修行に入らないと言うのは、
   毒矢に射られた者が疑問点が解決するまでは、
   毒矢を抜いて治療をしてはならぬ、と言い張るのと同じで、
   これでは、永遠に輪廻の苦を解脱することはできないであろう。

と、静かに諭した。
青年はたちどころに、自分の誤りに気づき、
改めて苦悩解決のために、
釈迦の「空」(捨てるということ)の教えに従ったという。

私には、中村選手の「公傷」の議論が、
この「毒矢のたとえ」に相当するように思えてならない。

オリックス球団の考え、中村選手の考えが5度の交渉において、
なお解決する妥協案が見いだせなかったのだから、
最終、6度目の交渉では、中村選手は、
マールンキャプッタ青年がこだわった本体の難問のように
「解決できない問題」と認識する必要があったのではないだろうか。

もし中村選手が、この「公傷」の問題から離れることが出来ていれば、
球団が提示した8千万円+上方修正という妥協案を受け入れて、
今年も、清原選手らとプレーできたと思う。

その清原選手を見ていて、私は彼の生き方から学んでいるものがある。

それは、人生を抜き差しならぬようにする「執着」「こだわり」を
見事にスパッと切り捨てられる潔い態度だと言えばよいか。

   執着を切ることで、進展する大切さ

清原選手は、電話で中村選手にこのことを忠告していたのだろう。

January 13, 2007 10:16 PM | コメント (31) | トラックバック (0)

2007年01月12日

右に見えるのは手術室でございます:

「医療ツアー」と呼ばれるパック旅行が世界的に流行っている。

海外に出かけて医療を受け、なおかつ観光旅行も楽しめちゃう。
大満足の欲張りツアー。
診断書のお土産つきである。

医療ツアーは、もはや数千億ドルの大きな市場となっている。
その理由は、言うまでもなく、
十分な医療を受けられ、お値打ち価格。

例えば、アメリカで医療を受ければ、1万ドルかかるものが、
2500ドルとか、場合によっては、1000ドルで済むから、
医療サービス後、観光を楽しんでも、十分におつりがくる一石三鳥だ。

さらにコストだけでなく、例えばカナダなんかだと、
手術に1年や2年待たねばならないことがざらにあり、
緊急を要する場合など、海外でサービスを受ける他に
選択肢がないケースもある。

英国も同様で、NHSのサービスを受けるのには時間がかかり過ぎ、
またプライベート病院は高すぎる。

一方、貧しい国バングラデッシュなどからも
患者がツアーに参加するけど、
こちらの方は、自国ではほとんど利用できる医療がないから出かけて行く。

ところで、「医療ツアー」と言っても、別段、あたらしい言葉ではない。

すでに数千年前から実際に行われていた。
古代ギリシャでは、地中海地方の患者や巡礼が、
癒し系の神の霊験にあやかろうと、ツアーを組んでやってきた。

あるいは、ローマ時代の英国でも、例えば温泉都市バースへ
神殿の水を浴びるために大勢の患者がやってきた。
この水浴は2000年続いた慣わしだった。
今もその場所は遺っている。

そう言えば、かつて日本でも農閑期などに、
湯治場へ医療ツアーが組まれたこともあったっけ。

では、現代の医療ツアーは、どこへ向かうのか。

   インド、キューバ、コスタリカ、イスラエル、ヨルダン、
   ハンガリー、タイ、マレーシア

などが主だったところか。
最近では、ベルギー、ポーランド、シンガポールにも出かけるようになった。

英国人が自国よりポーランドの方が歯科医療が安いということで、
観光をかねて気軽に出かけていると、私が聞いたのは、
1998年の頃のことだったか。
これは、流行るだろうなあ、と思ったことを覚えているけど、
やはり医療ツアーへと発展していった。

ツアーの先として、とりわけインドに人気がある。
インド政府も患者とその家族に1年間の特別の滞在ビザを発行して、
国を挙げての、医療ツアー事業に乗り出している。

インドの利点は、提供する医療自体が安い上に、
医師の多くが欧米で医師の資格をとっており、
さらに、アメリカの医師の三分の一以上がインド系ということで、
信頼性を持てるからだ。

apollo.JPG

インドで、医療ツアーを率先して受け入れているのが、
大都市に38以上の病院、7000ベッド以上をもつ
アポロ・ホスピタル・グループで、
55カ国から延べ1400万人の患者を受け入れてきた。
(写真:アポロのHP)

医療ツアーには、利点ばかりではなく問題もある。
例えば、保険会社や政府が海外での支払いを助けてくれず、
患者はキャッシュで望まねばならないことが多い。

手術や治療を受けて帰国しても、その後、
現地の病院から遠く離れてしまい、
アフターサービスをなかなか思うように受けられず、
副作用や要手術となると、自国での医療機関の責任となってしまう。

万一、医療ミスなどで裁判なんてことになったら、
現地の裁判所へ訴えても、患者側には有利でない条件が多い。

しかし、アポロを初めとして、先頭を走る現地の医療機関は、
本国の医療機関と提携して、上記の不利さを克服している。

高級ホテルなみの施設で、廉価で高度な医療サービスを受け、
ついでにその国の観光を楽しんだ上に、
アフターサービスもしっかりとなれば、
日本からも出かけてみたい人は増えるに違いない。

January 12, 2007 03:23 PM | コメント (6) | トラックバック (0)