2006年10月30日
完全に見抜かれたニッポン人:
「日本人男子の行動の矛盾は、西欧人の目を驚かす」
米国の文化人類学者のルース・ベネディクト夫人は、
「菊と刀」という本で、そう書いている。
戦時中、米国政府の要請で書かれた日本研究論文だが、
彼女の考えは、60年を経た今も、日本人の行動を理解する上で、
非常に役立つ。
彼女は、こんな風に矛盾した行動を日本人男子は見せるという。
今の日本人男子にも当てはまる行動パターンなので、
長くなるが引用してみる。
彼らは大人になってから、
ロマンチックな恋愛にうつつを抜かすかと思うと、
急に掌を反すように家族の意見に無条件で服従する。
快楽に耽り、安逸を貪るかと思うと、
極端な義務を果たすためにどんなことでも進んで行なう。
慎重の必要を説くしつけが彼らを行動において
しばしば臆病な国民にしているが、
しかしまた彼らは時には猪突的と見えるまで勇敢である。
彼らは階層制度にもとづいて服従が要求されるような事態においては、
いちじるしく従順な態度を示すが、それでいて、
なかなか上からの統制には従わない。
彼らが非常に慇懃であるが、それにもかかわらず、
依然として傲慢不遜な態度を留めている。
彼らは軍隊で狂信的な訓練に服するが、
それでいて不従順である。
彼らは熱烈な保守主義者であるが、それでいて、
中国の慣習や西欧の学問の採用において相次いで示してきたように、
目新しい生活様式に心をひかれる。
(定訳「菊と刀」・長谷川松治訳)
私が書いた落合監督批判記事に対して、
(補足:よく読み・考え文章をつづってくださる方は除けて)
容赦なく中傷罵倒し、放火炎上ボヤ騒ぎに群がった人たちも、
きっと面と向かってはそういうことができないのに、
匿名やハンドル・ネームであるから実に「勇敢」で、
猪突猛進的になる。
落合監督が駒とみなす組織論を褒め称える反面、
自分自身が駒と扱われたとたん
不従順な態度を陰口というかたちで見せるのだろう。
では、私の目を驚かしたこうした行動の矛盾はなぜ
日本人に多いのだろうか。
ベネディクト夫人(写真)が教えてくれる解答は、
日本人の子供時代の訓育の不連続性から生じるというもの。
日本人は幼児期に「特権的生活」を送っている。
周りの大人たちが「まだ子供だから・・・」
「言ってもわからない・・・」「そのうちわかるよ・・・」
と、「特権」を享受させる。
要するに、一目をはばからぬ我儘が、
毎日毎日心に塗り込められてしまう。
ちょっと町に出れば、今もこういう「お子様」「お孫様が随所で見受けられる。
いくらその後、社会の規律を教えようとも、肝心な部分ではもう手遅れ。
大人になってからも、
彼らの意識の中に、彼らが自分の小さな世界における
小さな神様であった時代、思う存分に駄々をこねることさえ
できた時代、どんな願いでも叶えられるように思われた
時代の痕跡が残る
とベネディクト夫人は言う。
こんな風に、性格が二元性を帯びては、ストレスが溜まって仕方がない。
何でも自分の欲するままに振りまいたい自分と、
それが生活の秩序を作る束縛とを融合させねばならないからだ。
全国の高校で必修科目の未履修がどんどん発覚している。
佐賀県では調査書に履修虚偽記載がみられた。
教育者たちのこの姿を生徒は見せられてしまった。
「被害者」の高校生の中から、こんな声が上がっている。
きちんとした説明がないのが気に入らない。
「教育は人間形成のため」と言っておきながら、
受験の結果を出すためには何でもやっていいというのは
矛盾している
(毎日新聞ウエッブ版)
賢明な高校生が言うように、
ここでも言動の「矛盾」を見せる大人がいる。
生徒の前で、大人の二面性は影響が大きい。
「危険な自我」・・・とベネディクト夫人は表現するが、
今至る所でほころびを見せている日本社会の病根は、
ひょっとしたら、実に単純な先人の発想・知恵の中にこそ
解決策があるのではないか、と思う。
たとえば、「三つ子の魂百まで」という、見過ごせない諺がある。
October 30, 2006 02:39 PM | コメント (29) | トラックバック (0)
2006年10月27日
アメリカから見た硫黄島:
クリント・イーストウッド監督の「父親たちの星条旗」を試写会で観た。
この映画について、昨日発売の「週刊文春」で、
小林信彦さんが詳細に書いている。
詳細ゆえに、ネタばらしになっていた。
製作にもう一人のアカデミー賞監督のスティーブン・スピルバーグさんの
名がクレジットに連なっていれば、なおさら、
映画好きの人々の期待が大きいだけに
映画記事としては難しいところだ。
明日からの公開を楽しみにしている人たちには、
小林さんはちょっと過剰サービスをしたと言えそう。
次のようないくつかの点を念頭において見れば、
ちょっと流れを取りにくい映画がわかりやすくなるのでは・・・。
映画が始まってからしばらく、
カッティング・バックとフォースが繰り返され、
観客が混乱気味になったりだらけたりするけど、
そこはじっと我慢でしのいでほしい。
やがてそれが土台固めになるための監督の手法だ。
物語は、あらかじめ配られるプリントアウトにあるように、
三つの部分で成り立っている。
日本相手の戦争・戦闘
通信社が撮った有名な星条旗を兵士があげる写真の因縁
戦争ヒーローの悲哀
硫黄島での戦争シーンの描き方は、見事だった。
太平洋戦争の末期、日本の領土であった硫黄島で、
栗林忠道中将が率いる日本軍22000名が、
この3倍以上と言われた兵力を誇る米軍と互角以上に戦い、
ついに敗れた。
僕は五箇所ぐらいのシーンを今も震えるような
気持で思い起こすことができるが、
これは多分、見終わった多くの人にも
同様の思いを抱かせると思う。
「一枚のバッチリした写真さえ撮れば、戦争に勝てる」(拙訳)
と、映画の中でキャプテンが言っていた。
硫黄島(東京・サイパンの中ほどに位置する)の激戦の真っ只中で、
1945年2月23日、硫黄島に星条旗が翻った。
このシーンを通信社記者に撮影され、写真が世界に配られた。
写真の威力は絶大で、国民の士気を高め
戦争国債が飛ぶように売れることになる。
国家戦略に写真がプロパガンダとして取り入れられていく
過程に、もう一つのテーマ、「戦争ヒーローの悲哀」が
イーストウッド監督の筆でキャンバスに塗りこめられるのだ。
悲哀とは、戦争で生き残った兵士が戦闘でトラウマになり、
平時にも戦争を引きずりながら生きねばならないこと。
それは、何も太平洋戦争だけでなく、後のベトナム戦争や
イラク戦争などでも続くが、解決されていない。
戦争反対
映画を観る前と後では、たぶんこの4文字への印象が変わると思う。
この意味で、秀逸な反戦映画であった。
クレジットにつけられた写真はキャパばりで
観客の気持をカタルシスに導く。
最後の最後まで席を立たないで見続けてほしい。
「父親たち・・・」が「硫黄島2部作」の第一弾でアメリカから見た硫黄島。
そして、太平洋戦争開戦日に公開予定の第二部「硫黄島からの手紙」も
今から楽しみに待っていたい。
・・・・・・・
父親たちの星条旗(ワーナー・ブラザース映画/ドリームワークス・ピクチャーズ提供)
監督:クリント・イーストウッド
出演:ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチら
10月28日(土)から全国ロードショー
October 27, 2006 04:47 PM | コメント (17) | トラックバック (0)
2006年10月26日
酸欠化するニッポン:
寓居の前に小さな森がある。
東京はすっかり灰色の風景になってしまい、
まるで吸い寄せられるように、緑に寄り添ってしまった。
たぶん長く英国で生活をしたことも影響している。
緑についてはその地で多くを学んだ。
イギリスの風景画では、樹木が大きく役割を果たしている。
これは、イタリアルネッサンスの絵には人物がはびこって、
自然を人物の背景に遠景として描くのとは対照的である。
たとえば、ジョン・コンスタブル。
彼が描く空間には、かならずといってよいほど
老樹、大木が配置されている。
リーピング・ホースやヘイ・ウエインといった作品を見ると、
繁茂した樹林が際立って印象深い。
(写真:楡)
彼らの家具の材料を見てわかるように、
イギリス人は、オークが大好きだ。
実用性を好む彼らに、オークの特性である堅牢さや
外見の立派さがフィットするのだろう。
つまり実用性と美が要件として並ばないと満足できないのだ。
今使っているオークの小さな家具は、
羊が群れる村のオークションでセリ落としたものだ。
「いい家具は見ても触っても違いますね。
初めて見せてもらいました、こんなデザイン」
とは、先日お願いした引っ越し屋さんの言葉。
実に堅牢な家具で、それに触れていると、
1066年からほとんど一度も国の破たんを経験していない
国家の強さを感じてしまう。
と、同時に、日本人の美学との違いを感じる。
日本人は、実用性をまったく考えないで、花や木を愛でるようだ。
たとえば、本居宣長から、日本の古来の精神をひろえば、
敷島の大和心を人問はば
朝日ににほふ、山桜花
で、いさぎよさを象徴させる歌をひろうことができる。
「桜花」という名称は、日本の終戦時の悲しい昇華を連想させるが、
次のキーツの詩の強さから、やはりイギリスの精神の強靭さが感じられて面白い。
Those green-rob’d senators of mighty woods,
Tall oaks, branch-charmed by the earnest stars.
大森林の緑衣をまとう元老
亭々たる樫は厳粛な星たちに魅せられる (まさゆき訳)
October 26, 2006 12:50 PM | コメント (15) | トラックバック (0)
2006年10月24日
猫の手も借りたい:
公開に先駆けて、昨日
雨の中「父親たちの星条旗」を観てきました。
今日は、これを予定にしておりましたが、
御覧の通り、22日付けの記事のコメント返事
作業中(未処理部分がまだあります)で
猫の手(写真)も借りたい状態。
後日に書きます。
28日の公開日までにはアップの予定ですので、
ご理解ください。
結論から先に言いますと、すばらしい映画でした。
October 24, 2006 08:21 PM | コメント (26) | トラックバック (0)
2006年10月22日
コリンズ監督のツメのアカでも:
オレ流の落合監督が日本シリーズに臨み、先手を取った。
勝利だけを追及してきた生き方は、昨日も踏襲された。
落合監督は、3年間「勝利だけ」を追及してきた。
現役時代は「一匹狼」と言われ、
それは、監督になってからも、同じ。
マスコミへの気配りもほとんどなし、選手への配慮のみ。
後援会もない。批判も誤解も聞えぬふり。
ただ、広島監督のブラウンさんが、
「フェアプレーをしない球団と監督がいる」
と発言した時、暗に中日を批判する発言ととった落合監督が、
「ルールの中でやっている。うちの選手、スタッフを
バカにするな」と怒った。
むろん、これは選手らへの配慮を示さないと、
チームが崩れるという危機を防ぐためであったのは
否定できない。
チームの選手やスタッフには、ほとんど批判なく、
ほめる一方。
負けはすべて「オレの責任」・・・と言うと
一見「男気」(おとこぎ)に聞えるけれど、
選手の道徳的人格への配慮がないし、
自分ひとりカッコつけすぎ。
選手は、駒ですか?
コーチスタッフも、落合監督がいうように、
「全員オレが一本釣りをした」人たちで固めた。
オレ流の陰で泣くのは、まずスポーツ新聞をはじめとする
マスコミ関係の記者だ。
落合監督の記者イジメは、有名な話で、
記者たちの知識のなさを容赦なく批判する。
表情にメリハリが乏しい上に、
木で鼻をくくったような発言をされたら、
感情の動物である人間なら誰でも感じるものがある。
ほとんどコメントでの協力がない、エピソードがないため
記者は、紙面づくりに苦労が耐えない。
学校で言えば、落合監督は、ガリ勉だ。
自分の成績を上げる教師への批判はない。
あの先生は、オレの成績を上げてくれる。
だから、いい先生だ。
しかし、他のライバルはオレをじゃまする。
オレは自分の情報は言わないし、
負けることにつながることは、一切口にしない。
信子夫人が、野球にだけ集中する落合監督に
「もう少し周囲とコミュニションをとれば」
と諭したことがあるらしい、と朝日新聞記者は言う。
これに対して、監督は、
「オレは優勝するために呼ばれた。
他の監督みたいにお茶を飲んで仲良くしろって言うのか。
そんなヒマはない」
と答えたという。
これを聞いて、私は落合監督にまったくがっかりしてしまう。
またその最大の理由は、実は、
次の言葉に、象徴されている。
「選手を使う」
他の監督も使用することはあるが、
落合監督は、自分の監督哲学にこの言葉を最重要キーワードとみなしている。
勝利のためには「人を道具」と見なしている。
「これで使える選手と、使えない選手がはっきりした。
悪い者は切る。いい者は上げる」
選手は駒として扱う。勝つためには、当然だ。
そのどこが悪いのか。勝つために不必要と判断した者は、
迷わず排除する姿勢を貫くのだ。
「選手は道具」であるから、責任をとらせられない。
「責任は自分一人で背負う」というような
ゴウマンな言葉が口から出るのももっともだ。
「ファンは勝利を求めて球場に来る。
勝てば、気分良く家路につくんだ」
と、落合監督は、朝日の記者に語っている。
オレ流言葉にオレ様自身で心酔しているのじゃないか。
中日のファンは喜ぶだろうが、
負けた相手チームのファンはどうだろうか。
巨人・阪神戦は伝統の戦いと言われるが、
面白いことに、勝とうが負けようが、
両雄のファンは精神的に高揚して家路につく。
「清原選手の顔施」(4月9日付)という記事を書いた。
その記事で「笑顔」のファンを引き寄せる効用について述べた。
オリックスの新監督コリンズさんが来日したら、
どんな会話の球を投げて、「外人が苦手」な清原選手が、
どんな風に、それを打ち返すか興味津々で待っていた。
日刊スポーツ(10月21日付)は、こんな風に記述する。
(清原選手は)左ひざのリハビリ中ながら、
新監督の初動に敬意を表し、
ユニホーム姿で全体ミーティングに参加した。
約10分間の熱いメッセージの中で
「みんなの鼓動を1つに―というフレーズが、
すごく心に残った」という。そして
「オレがケツを蹴り上げたときは、愛情があるからだと
思ってくれ」とナインに呼びかけた新監督に対し、
「ケツをけられてみたい」とまで言った。
清原選手と新監督は、
1 野球は勝ってナンボのゲームであること
2 野球は選手同士、監督・選手間でも敬意をもつべきであること
3 言葉が響きあって、何かが生まれること
そして・・・
4 運命共同体であるスポーツ記者、カメラマンへの配慮が必要であること
・・・を教えてくれている、と思う。
二人の「顔施」(写真)で、カメラマンはいい写真が撮れて満足だ。
記者は、面白いコメントをもらい見出しに打てた。
野球ファンである読者は、スポーツ新聞を買ったことに
見合った何かを得たいと期待しているのだ。
「人を使う」「勝利に何の関係があるの?」
「勝つことがすべてだ」といったオレ流の言葉より、
魅力的な言葉と態度で人々が動き、働くことを知るべきではないか。
勝っていながら、人気がいまいち。
これでは、負けているより、もっと深刻な問題ではないか。
オーナーもつらい。
何かが人々に響かないのである。
煎じて飲むものが落合監督にあると思うがどうだろうか。
10月15日、横浜の監督業にピリオドを打った
牛島監督に、落合監督は花束を贈り、
「また現場に戻って来いよ」
という一見温かい、じつはデリカシーに欠ける言葉を添えた。
落合さんとの1対4トレードでロッテに移籍した牛島さんに
そう言ったからには、当然、来年のスタッフ構想に入っているはず。
球場との惜別の日、牛島さんに贈る言葉としては、
そこまで考えないと使えない言葉。
日ごろからリップサービスをしない落合監督だから、
これはリップサービスではないだろう。
ノリで言わないでほしい
――以上、オレ流意見でした。
コメンテーターのオレ流、私流意見をお待ちします。
・・・・・・・
コメント更新情報
「うちのボスは臭い!」司馬さん
「404億円のすっとぼけ」藤田さん
「ポール、真赤~に炎上離婚」幻の地上の楽園さん
「手っ取り早いウサばらし」匿名さん
「夢時間盗作の場所は裏切らない」こらこらさん他多数
October 22, 2006 08:55 PM | コメント (399) | トラックバック (0)
2006年10月21日
夢時間盗作の場所は裏切らない:
「宇宙戦艦ヤマト」などで知られる漫画家松本零士さん(68)と
シンガー&ソングライターの槙原敬之さん(37)の間で、
盗作騒ぎが起きている。
槙原が作詞・作曲し、ケミストリー(Chemistry)さんが歌う
「約束の場所」の詞の一部が、「銀河鉄道999」の台詞の
無断借用に当たると、松本さんが主張している。
問題の部分を比べると、こんな風になる。
「銀河鉄道999」の台詞の一部
時間は夢を裏切らない…
時間は決して僕の夢を裏切らない…って…
そう信じていたんだ。
だから僕の夢も時間を裏切ってはならない義務がある!
「約束の場所」の一節
夢は時間を裏切らない
時間も夢を決して裏切らない
その二つがちょうど交わる場所に心が望む未来がある
夢を携えて目指すその場所に僕が付けた名前は
約束の場所
レコード会社側は松本さんに謝罪に出かけたというが、
本人である槙原さんが同席しなかった点で、
松本さんの気持が、一層こじれて、
本人の謝罪を求めている。
個人的な感覚としては、私は、
これって、そんなにキツイかな~、と思う。
今日の日刊スポーツ(写真)によると、
レコード会社側が「盗作」を認めて、
レコード会社が「和解案」を松本さんに提示したが、
松本さんが拒否。
謝罪の場に同席しなかった上で、
槙原さん側が一貫して盗作ではないと主張している以上、
今度は、先に腰砕けしたレコード会社側と新たな問題が
生じているだろう。
槙原さんは、かつて薬物使用で逮捕されているから、
その再起をほぼ果たした今、新たな問題を抱えるわけで、
対応を間違うとかなりのダメージを受けることになる。
熱狂的なファンが多いだけに、
再ダメージは何としても避けねばならない。
問題の台詞と歌詞を比べてみると、
報道などでは、もう結論がでているよ、と言わんばかりに
似通った二行だけが示されているけれど、
台詞や歌詞の背景的なもの、雰囲気、コンセプトを考えると、
「盗作」と言い切るのはどうかとも思う。
松本さんにしても、宮沢賢治さんの影響を受けて、
「銀河鉄道999」のタイトルや発想を宮沢さんの「銀河鉄道」から
得ているのは明らかだ。
一方槙原さんも、宮沢賢治さんの影響を受けている。
2002年11月7日リリースのアルバム「本日ハ晴天ナリ」に
「雨ニモ負ケズ」という作品がおさめられているが、
これは宮沢さんの作品から得ている。
(ついでながら、同収録のAMAZING GRACEもどこかで聞いたタイトルね)
今回問題になったケミストリーの「約束の場所」というタイトル。
これは、THE ALFEEのBrave Loveで使用されたボキャブラリーと一致する。
Brave Loveは、「銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー」の主題歌。
約束された場所が
心のUtopia
未来はけして君を裏切らない
創作活動というものは、まったくの白紙から作品が生じるものではない。
今まで生きた時間、背景、イマジネーションの経路を通って、
作品が生まれるわけだから、
使う言葉には融通性があることを認めてやらねばならない。
今回の場合「時間」「夢」「裏切り」「約束」・・・といった
昔から人々が生きる中で、日常的にモチーフにしてきたものが、
両作品に重なってしまったと見ることはできないのだろうか。
もとはといえば、宮沢賢治さんの無限に開花する芸術の可能性が
漫画家とミュージシャンの創作に果実したわけで、
目くじらを立てて争うことでもないと思う。
槙原さんにも松本さんにもメンツがあるのはわかるけど、
二行のフレーズの類似で泥仕合なんて、
つまんないのではないか。
古典をたしなまない人たちが増えてきている現状では、
たとえば「銀河鉄道」が宮沢賢治の作品だと言ったところで、
知らない人からは、
あ、それって、松本零士の「銀河鉄道999」の
タイトルのパクリじゃん
と思われてしまうこともある。
何十行にもわたって、まる写しされた詞ならいざ知らず、
二行程度ならば、宮沢賢治さんに敬意を表して、
「共有財産」の一種と解釈、銀河のような
ふところの深さを見せてもらいたい、
と個人的には思う。
そして、あまり槙原さんを追及しすぎると、
風向きが変わるかもしれないのは、
過去のこうした紛争が教えてくれている。
October 21, 2006 03:58 PM | コメント (40) | トラックバック (0)
2006年10月20日
手っ取り早いウサばらし:
海外取材の過労から、妻の友人のカメラマンのKさんが緊急入院。
私たちは、都内の病院へ見舞いにでかけた。
病室へ入ると、彼女、「痛い、痛い」と言いながら、
婦長に左手を温かいタオルで手当てをしてもらっていた。
「点滴でこんなことになっちゃった」
と言うので、患部を見ると、紫色に腫(は)れている。
点滴の針を親指と人差し指の間あたりに打たれ、
そこが腫れているのだ。婦長が、
「点滴は手先へ近づければ痛いんですけど、
入ったばかりの看護師が不慣れで
すみませんでしたね」
手当てを終えて、そう言い残して去った。
でも、Kさんは、
「不慣れって、けっこうベテラン看護師さんだったわ。
もう7、8年やっていると言ってたもん。
さっきの婦長さんから、誰がこんな痛い場所に
点滴したの、名前覚えてますか・・・って聞かれたわ」
ちょっと感じることがあった様子で、妻が、
「その看護師にあなた何か言ったの」
「どういうこと?」
「何かもめたとか」
「彼女と? どうして?」
「だって、痛いこと、わかっていることなのに、するかな?
点滴って、腕の定番位置が一番楽って聞いたもの。
痛いところに注射針って、おかしいじゃない?」
「言われてみれば・・・」
ちょっと考えてから、彼女、
「お仕事を聞かれたので、
レディース雑誌でファッションの海外取材をしているの、
って答えた。
ちょっと過労で倒れちゃった・・・
そんな程度の話しかしてないけど」
「それじゃないの?」と私。
「え?」と彼女。
「看護師さんの彼女、夜勤とかで体きつくて、
いらいらしていたんじゃないか。
普段自分が見ているグラビア雑誌の写真を撮っていると知って、
カッコいい、うらやましい・・・
その人、ちょっと面白くなかったんじゃないか」
「・・・いじめ?」
「ま、ちょっとしたウサ晴らしじゃないか」
「バカ言わないでよ。デカバッグさげているの知っているでしょ?
どこのどこが、カッコいい、うらやましがる仕事なの?
場合によっては看護師さんより、重労働よね」
「でも、華やかな世界に見えたんだろ。
トレンディな職だと見えちゃたんだから、しょうがないだろ」
と私は言ったが、人の感情は、こんな風に
押さえが利かなくなっていると思う。
「ウサ晴らしのためのイジメ? 考えてもみなかったわ。
聞かれたから、言っただけじゃない」
と、彼女はショックを隠せなかった。
「そうだろうけど、OLですって言えば、少なくとも
逃れられた災難だったかも知れないよ」
「ほんと、生きにくいわね」と彼女は溜息をついた。
福岡県筑前町立三輪中2年の男子生徒がイジメを苦に自殺した事件で、
元担任教諭の言動がイジメを誘引したことが暴露された。
「刺客」と称して、小泉劇場での候補者報復イジメ、
会社では社員に仕事を与えず飼い殺しイジメ、
家庭ではリストラ父さんの人格をけなすイジメ。
かつて美智子皇后でさえイジメられた話は有名だ。
うらみ、ねたみ、さげすみ、ウサ晴らし、
自分の間尺に合わないと感じた時・・・
自己の感情をコントロールできない人たちは
今日も、どこかで誰かをイジメている。
・・・・・・・
コメント更新情報
「植草先生の「セーラー服病」再発」ジローさん
「いつも犠牲者は庶民です。」ていうかさん
「ジカタビストって知っているぅ?」カズボンさん
「うちのボスは臭い!」creamさん
「404億円のすっとぼけ」エクスカバリーさん
「ポール、真赤~に炎上離婚」くまさん他多数
October 20, 2006 08:58 PM | コメント (19) | トラックバック (0)
2006年10月19日
ポール、真赤~に炎上離婚:
英国だろうが、日本だろうが、
離婚には膨大なエネルギーがいる。
元ビートルズのメンバー、ポール・マッカートニー卿(64)と
ヘザー(38)の離婚裁判が修羅場と化そうとしていることが、
裁判資料の一部がマスコミにリークされ、表ざたになった。
5月には、マスコミ干渉が離婚の理由だと、
ポールもヘザーも言っていたけど、違うじゃないか。
ヘザーが主張するのは、
1 ヘザーはポールから4度の暴力を受けた。
そのうちの1回は割れたワイングラスで刺された。
2 ポールは結婚前にやめると約束したが、
ドラッグと酒を続けている。
3 ポールはヘザーに「恩知らずのあばずれ女」とののしった。
4 ヘザーが母乳をやるのを妨害。「あれは俺の胸だ」と言った。
5 休暇計画でガンを悪化させ手術を難しくした。
6 夜はトイレにいかないでいいように、アンティークのオマルを
買ってほしいと行ったら、怒鳴りつけて拒否した。
こうした主張が、13ページにもわたって文書に綴られていた。
ポールはノーコメントを通しているが、彼に近い筋は、
ヘザーが自分への世間の同情を最大限にするために、
リークしたものだと、非難している。
ヘザーの弁護士は、あの故ダイアナ妃を担当した
アンソニー・ジュリウス。
ポールの方は、ペイン・ヒックス・ビーチ法律事務所から、
チャールズ皇太子を弁護した女性弁護士を雇うというが、
ポールとヘザー間の攻防は、推定額10億ポンド(約2200億円)というから、
大変な戦いとなる。
過去記事「マッカートニーが踏んだ地雷」(5月18日付)で
述べたように、ヘザーは、交通事故で足を失った身障者さん。
地雷禁止活動を通じてポールと知り合い、
障害を越えて、愛が実った結婚、そして出産。
しかし、ここまでこじれてしまうと、
「愛」はお金の前には、まったくモロイということになって、
二人は、無惨な結末を迎えつつある。
要するに、これって、痴話喧嘩ではないか。
ヘザーは、本来はポールの前妻である
リンダが享受すべきものをそっくりいただいており、
ポールへ感謝、尊敬の念、子供を産めた喜びをもつべきだろう。
自分と結婚して資産が作れたのなら、
それをもらえばいいのであって、
確かめようのない痴話の中で起きたことを
世間に広げてしまうのは、恥知らずのすることだろう。
なんて惨めな話なんだ
と米国の読者がコメントしていたが、私もそう思う。
日本でも近年熟年離婚が増えている。
離婚後、男は若い女性と再婚をして
「もう一度春が来たよ」と思っていたら、
凍てついた極寒の地にいることもある・・・
という教訓を得るべきだろう。
恋人時代、二人はテレビに出演したことがある。
インタビューに答えて、ヘザーが、
私がポールと結婚したら、みんなは、
きっと財産目当てだと言うでしょうね。
それがイヤだから、今のままでいいの。
と、答えていたことを憶えているけど、
やっぱり「目当て」だったんだね?
October 19, 2006 07:56 PM | コメント (7) | トラックバック (0)
2006年10月18日
404億円のすっとぼけ?:
みずほ証券が東京証券取引所(東証)に「催告書」を送り、
404億円の損害賠償を求めていたが、
東証は、9月8日、賠償支払いなんかしないという、拒否の回答をした。
これを受けて、ついに、みずほ証券は、
来週あたり東証に対して損害賠償請求訴訟を起すという。
知人の金融記者Sさんが、この情報に触れて、
「東証は潔くないぞ!」
と言った。
株投資に興味のない人でも、「責任負担」を考える上で、
おもしろいケースなので、ベビー日刊で取り扱ってみたい。
まずみずほ証券がなぜ東証相手に裁判を起すのか、から始めよう。
去年12月8日、驚くべき事件が起きた。
東証の新興企業向け市場マザーズに
ジェイコムという総合人材サービス会社が上場したが、
この株式に対して、みずほ証券が誤って大量の売り注文を出したのだ。
同日取引開始直後、顧客から「1株61万円で1株」の売り注文を受け
実際に出した注文が「1株1円で61万株」の売り。
誤入力の警告画面が出たが、入力者は気づかず、→みずほの責任
1分25秒後にようやく誤りに気づいた。
そして、みずほ証券の入力者が、
取り消しの指示を3回入力するにもかかわらず、作動しなかった。
作動しなかった理由は、
東証のシステムの不具合で受付られなかったからだ。→東証の責任
注文取消しができなかったみずほ証券は、
東証の担当者と何度も電話でやりとりを行っていたという。
つまりすでに注文が約定する前に、東証は
この異常な注文を十分に認識し、認識できたわけだ。→東証の責任
どんなに異常な注文かというと、
ジェイコムの発行済み株式総数は14500株。
みずほ証券の売り注文は、この42倍に相当するんだもん。
異常注文だと認識した時に、どういう状況が次に生まれるかぐらい
取引所に勤務する者ならわかるはず。→東証の責任
もし約定すれば、実在しない莫大な株券を保有する
大量の株主が出現することを予測できないのでは、
東証は世界中から批判されるだろう。
次の恐るべき事態を予測し、迅速にこの誤注文事件に対処して、
すぐに取引を中断していれば、みずほ証券の損失も最小限に押さえられたのに。
しかし、東証は不備なシステムの動くまま放置していた。→東証の責任
実際、その日、この事態を見ていた
外資系証券会社のマネジャーは、呆れると同時に怒りを覚えると言った。
前場ですでに異常事態が起きているのに、
東証は後場に入ってから2時間半もの間、
そのまま取引を放置、最後にストップ高比例配分まで許していた。→東証の責任
「ここまで来ると、システム改善で解消できるのとは、
まったく次元の異なった問題だ」
と、マネジャーは指摘するが、まったく正しい指摘だ。
みずほ証券は、この悪夢のような誤発注で、
407億円という損失をこうむった。
取引が規定どおりであると東証は認めた。
これは、誤発注は通常の取引と同じ扱いがされたということだ。
個人投資家のトレーダーもしばしば誤発注をする。
よくあるのが、売りと買いの間違い注文。
安い値段で買うつもりが、うっかり売りを注文したために、
簡単に約定してしまい、確認すると誤発注だと気づく。
しかしすでに遅い。取引は成立した・・・となる。
でも、みずほ証券の誤発注は、東証のシステムの不備により
損失が生じているのは明らかだ。
となると、事後処理である損失負担は、
東証も負うのが常識ではないか。
東証が誤発注を認識し、事後に起きる事態を予測、
適正な判断をして処理しておれば、
みずほ証券の損失は、まちがいなく食い止めることができたからだ。
みずほ証券は、東証に対して404億円の負担を求めた。
それに対して東証は、支払わないという強硬な姿勢を見せた。
先の金融記者Sさんも、これは絶対おかしいという。
まずシステム不備を犯して迷惑をかけた東証が、
みずほ証券がかぶった損失を負担する。
その後、みずほ証券にその損失を分担してもらう。
これが筋ではないかというのだ。
それが適正な考え方だとすると、
今回、みずほ証券が東証に起した裁判は、まるで逆である。
裁判所はどういう判断をするのだろうか。
和解となる公算が強いだろう。
和解なら折半か。それでもみずほ証券が負う負担は大きい。
東証は、システムの不備で、世界中から苦情が出ていた。
ライブドア問題のときもひどかった。
この問題で、取引停止という前代未聞の失態を演じた。
大型分割で、ゴミ単位株の数を増やすことを追認してきて、
システムに負荷がかかるのがわかっているにもかかわらず、
放置してきたツケが、東京市場の信用をいっぺんに落とすことに
つながらせた。
株に興味のない口さがない人間に言わせると、こうなる。
賭博の元締めが逃げちゃった
October 18, 2006 05:58 PM | コメント (21) | トラックバック (0)
2006年10月17日
うちのボスは臭い!:
昨日10月16日は「ボスの日」。
話は、1958年にさかのぼる。
この日に特定日を提唱したのは、
米イリノイ州の会社秘書のパトリシア・ハロスキーさん。
大企業に勤めていた時、自分たちのボスの特別日がない。
そこで秘書のネットワークを使って、
ボスたちに敬意を払った日を作ろうと決めた。
で、その日がなぜ10月16日かと言うと、
ハロスキーさんの父上は、娘や息子の会社つとめの悩み事の
良き相談相手であった。
この父の誕生日が10月16日だったので、
1958年にこれを登録してしまった。
そして1962年に当時のオットー・ケルナー知事が
「ボスの日」を公式に宣言したことで、
ボスたちもけっこう気に入り、満面笑顔となったという。
さすがジョンソン&ジョンソンの子会社である、
売上高うなぎ上りの製薬会社ヤンセンファーマ(東京)が、
「ボスの日」にちなんで、20~30代の女性オフィス・ワーカー
305名を対象にした調査をした。
上司の身だしなみで気になる点はなにか?
気になるトップは、「口臭・体臭」で全体の92%と圧倒。
次に「フケ」の83%、三番目は「だらしない服装」の76%。
臭気への拒否反応は、当然の結果だろう。
女性オフィス・ワーカーがボスというからには、
日常的に顔をあわせるボスだから、係長、課長、部長。
年齢的には30~50が主流か。
そろそろ「男」であることを置き忘れ、骨まで
お父さん成り切りで、身だしなみに気が回らない、
下手をすると、臭さが漂うことになる年齢だ。
「口臭・体臭」は、自然に生じるものというよりは、
日ごろの心がけの悪さが出たものかも知れない。
中間管理層だからやたらストレスが溜まり、
どうしてもタバコや酒の量が増える。
タバコは、その煙が自分のスーツや体に付着させ、
臭気の原因になる。
喫煙のおかげで、健康な歯周辺の状況が、歯周病や歯槽膿漏へ悪化して、
それが口臭の原因となる。
日本はキスの国ではないから、
男は、歯磨き自体も熱心さに欠け、
欧米のドラッグストアのオーラルケアの商品に負ける。
また忙しいので昼間こまめに、歯の隙間をフロスしたり、
歯を磨いたりすることもできない。
詰まった食べ物カスから口臭は発生するのは当然だ。
酒をよく飲む人は、酒息が臭い。
また酒を飲む場所が、上司好みの臭気もろかぶりの場所、
焼肉屋、焼き鳥屋、居酒屋などだと、
スーツは付着する脂で台無しになってしまう。
毎日スーツを変えて会社にやってくる上司などいないから、
臭気がしみこんだスーツで来ることになる。
(写真:焼きながら食べたら、ひどい目に・・・)
出かける当日は、ぜひ「居酒屋服」を着用すべきだ。
また仕事の後、酒を飲み、帰宅しても、
夜遅いと、そのまま就寝。風呂も入らず、
前日の臭いつきの体で、出勤となり、
終日、部下の女性から嫌われることになる。
そこで、好かれるボスになるための、提案を書いておこう。
1 毎日風呂に入って、洗髪は当たり前。
2 タバコはやはりやめる。
3 料理を目の前で作る店で飲酒するのは控える。
4 とりわけ焼肉屋などへ行かねばならないときは、スーツはやめ。洗えるシャツかブルゾン。
5 常に口臭に気をつける。
6 髪はタイディにし、さっと洗髪できるようにし、ポマードなどは使用しない。
7 オーデコロンをつける。
8 下着やワイシャツ収納には、石鹸を入れておく。
9 靴下は会社で、できれば、1~2度履きかえる。
相手を不愉快にさせる臭気をあなどってはいけない。
嫌悪感を相手にもたれてしまうと、命令や指示を聞いてもらえなくなるからだ。
・・・・・・・
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「幸運は計画してつかめると言うが・・・」にけさん
「封印された安倍さんの史観」みなさん何様?さん
「ジカタビストって知っているぅ?」ムースさん他多数
October 17, 2006 05:08 PM | コメント (17) | トラックバック (0)
2006年10月16日
ジカタビストって知ってるぅ?:
日本文化のかなりの部分が、中国や朝鮮に由来しているように思うけど、
これぞ、日本が宝物発祥の地と思えるのが、地下足袋。
ちかごろ、欧州では、大地を踏みしめるシッカリ度の強さから、
地下足袋を、アウトドア用に履く人が増えている。
米国では、日本マニアがマーシャルアーツでトレーニングをする際や
忍者ごっこなどで履いている。
日本だと2000円ぐらいで手に入る地下足袋だが、
欧米では7000円前後で売られている。
地下足袋の起源は、奈良時代と言われ、
おそらく山で修行する僧兵用に工夫されたものだろう。
足の指が分かれたのは、室町時代というが、
地下足袋の耐久性を強くするために、つま先割れにしたのではないか。
先割れの点で、地下足袋が朝鮮の発祥では有り得ないのは、
「嫌韓派」なら、よく知っている。
豚のつま先が二つに割れているように、
ゲタを履く日本人を「チョッパリ」と称して軽蔑するからだ。
近く公開予定の米映画「父親たちの星条旗」を製作した
スピルバーグも撮影現場で地下足袋を愛用していると聞くが、
この映画は足場の悪い硫黄島を舞台にしているから、
おそらく大活躍だったに違いない。
しかし、正確には地下足袋ではなく、
足袋からインスピレーションを駆り立てられた
ナイキのエアリフト(写真)だろう。
私自身の地下足袋の思い出を探すと、
家に出入りしていた植木屋「植松」のおじさん
(「竹」ではなく「松」が自慢のおじさんだった)
が履いていた。
おじさんに頼んで、履かせてもらったことがある。
自分の小さい足が地下足袋の中で泳いでいた。
おじさんは、器用に12枚コハゼを止めていたのに、
子供の細い足首に留まらず、
ずり落ちたのを憶えている。
地下足袋生産地といえば、埼玉県行田市で、
トップメーカーは今も「力王」。
最盛期の1969年には年間生産350万足を誇った。
80%のシェアがあった行田地下足袋も、
昨今は、すっかり中国に生産を奪われてしまい、
先細りと思っていたら、去年あたりから、
ちょっとした地下足袋異変が起きている。
今ガキの間にファッション流行のきざしがあるというのだ。
ベビー日刊は、彼らを
「ジカタビスト」(Jikatabist)あるいは
「ジカタビアン」(Jikatabian)
と名づけておこう。
流行のきざしとは、屋外作業のための黒の布地の履物という伝統なものから、
色、素材、用途に革命が起きたのだ。
ジカタビストは、彼らの得意とするファッションセンスによって、
カラフルな地下足袋を求めた(写真)。
外国にも根強い愛好家がいる。
カラフルにするというのは、
ちょうど柔道着をカラフルにした発想に似ている。
次に素材。
これはウール、デニム、刺し子、スエード、カンガルーの皮など、
さまざまなものを利用している。
黒一色から、柄にも工夫がなされ、
幾何模様、ドット、数字、迷彩、チェック柄など豊富だ。
(写真:シューズデザイナーの故高田喜佐さんも
かつて地下足袋ブーツを製作していた)
白足袋では耐久性や路上でのリスクが懸念されるので、
祭用の用途も考えられ、だんじり祭りで有名な岸和田で広がりを見せている。
地下足袋にスパイク付きがあるから、
岸和田出身の清原選手が、来年あたり、
エキビジョンの試合に地下足袋で出場したら、受けるかも知れない。
地下足袋は、指股が分かれているため、
脚力強化のすぐれものアイテムとみなされ、
拇指球筋からアキレス腱、そしてふくらはぎが鍛えられる。
健康グッズ的要素も持ち合わせているという、
ジカタビストにとって、うれしい情報だ。
・・・・・・・
歴史クイズの答え
問1(C) 問2(B) 問3ムッソリーニ(イタリア)
・・・・・・・
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「採用されなかったイギリス人」ひでさん
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October 16, 2006 04:15 PM | コメント (12) | トラックバック (0)
2006年10月14日
いつも犠牲者は庶民です。:
対北朝鮮外交は、今、リスクだらけだ。
重要な情報は、米経由からしか入ってこない。
民主主義の日米は、マスコミが手の内を丸裸にするから、
北には手に取るようにこちらの情報が入っていく。
もちろんこの情報を北の国民は知るよしもないが、
金王朝の貴族たちはちゃんと手に入れている。
所詮、集団ナルチシズムに凝り固まった人たちだから、
情報で得られる客観性はわかっているが、
国民がわかっていない以上、ここで客観を認めることはできない。
そんなことをしたら国が瓦解するのはわかり切っている。
かつて日本軍の「大本営発表」のようにウソのつきっぱなしでいくしかない。
それができるのは、ウソのつき方、国民へのごまかし方が得意だからだ。
北朝鮮は貧国。
日本の植民地時代の遺産はとうの昔に使い切っている。
韓国にはある程度継承されたソフトの面も、
体制ががらっと変わった北では、後世に伝えようがない。
ドルや円が入る産業は経済制裁が厳しくなるにつれ、
どんどん先細りして、マツタケまで輸入禁止になった。
マツタケなどキノコ類にはカロリーがないから、
北の人には腹の足しにすらならない。
さらに食べるものがなくて、売れないウニを食べているというなら
この「贅沢さ」は、笑うどころか、哀れにさえ思えてくる。
主食の米は軍隊に回され、庶民の口にはまわってこない。
父の喪に長く服した将軍さまの儒教を元にした敬老精神は、
老人福祉に生かされているのだろうか。
新生児にきちんと与えられる母乳が出るほどの栄養状態にあるとは、
とても思えない情報が中国国境を経て伝わってくる。
オギャー! と、たまたま北に生まれたベビーにとっては、
母国で「クランボルツの理論」を応用するなどほとんど不可能だろう。
もう北朝鮮は、国民に満足を与えない社会であることは明らかだ。
しかし国民は、長く洗脳的にゆがめられたナルチストに落ちている。
将軍さまを過大評価し、自国以外を過少評価してきた。
自慢するもの、頼れるものは、自国以外で一笑に付されるものばかりである。
だから、原爆製造で、新たに頼れるものを作ろうとするのか。
北が怒っているのは事実だ。
中国が国益を考えて、日米と歩調を合わせたことで、さらに怒っている。
自分の国だけが正しい理由をもっていると思いこみ、
他には悪意だけを抱く。
その感情の行き着くところは、恐い。
ナルチスティックな、度はずれた空威張りをする人は、
ちょっとしたことにつまづいても、驚くから
とりわけ頼りにしてナルチシズムに陶酔できるものを
馬鹿にされたら、激烈に怒るはずだ。
原爆がそういう意味でのよりどころとなると、
北の態度は、それによって攻撃性を発揮する。
エーリッヒ・フロムあたりの精神分析を少したのみに考えると、
楽観論はどこかへ吹っ飛ぶほど、人間の怖さが迫ってくる。
*
天皇と将軍さまを比較したつもりはないのに、
コメンテーターの数人から比較したとか、
「歴史をもっと勉強しろ」と造詣の深い人たちから言われたので、
ちょこっと歴史テストをおまけしておきます。
次の設問のうち正しい選択肢はどれか。
問1 敗戦の翌年1946年5月に、米よこせデモ隊が宮城内に入ったことがあった。主食の配給が遅配となり人々は餓えていたので、「天皇の台所を拝見したい」という緊急動議が出た。さすがに天皇の台所は見ることができず、デモ隊は皇族の台所を見ることがかなった。次の選択肢のうち、見つかった皇族用の夕食献立はどれだったのか。
A 芋の雑炊
B アジの塩焼きと玄米と味噌汁
C お通しもの 平貝、キウリ、ノリ、酢のもの
おでん 種物、マグロ、ハンペン、ツミイレ、大根、わさび
さしみ マグロ
からあげ ヒラメ
御煮つけ 竹の子、ふき
みそおでん ねぎ、さといも 他二品
問2 昨日13日、民主党代表の小沢一郎さんが、衆院補選の応援のために神奈川16区に入ったと、日刊スポーツが報じた。街頭演説の場所は、相模原市津久井町。ここで「憲政の神様」と呼ばれた人物が誕生している。1946年にGHQから言いなりの代金を支払って、米国が戦争用に備蓄した食糧や、余剰物資、それも馬の飼料や虫の湧いた赤砂糖の配給を受け、干天の慈雨のように喜んだ国民を皮肉って、「憲政の神様」は次のような歌を詠んだ。日本支配階級と国民の奴隷根性を痛烈に批判したのである。この神様とは、誰か。
鬼畜なり うじ虫なりとののしりし
敵にめぐまれ舌鼓(したつづみ)うつ
A 鈴木貫太郎
B 尾崎行雄
C 芦田均
問3 右の写真は、米国の雑誌に載った、枢軸国をローストチキンにたとえた漫画。日本とナチスドイツはわかる。では、チキンのおしりあたりにいるのは、誰か。(解答は次回)
・・・・・・・
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「幸運は計画してつかめると言うが・・・」カビキラーさん他多数
October 14, 2006 08:59 PM | コメント (17) | トラックバック (0)
2006年10月13日
幸運は計画してつかめると言うが・・・:
新卒がサラリーマンになって、6ヶ月。
新しい職場に慣れてきて、
ビジネス特有の考え方も少しは身についたはず。
定年まで勤め上げるかどうかはわからないが、
これから人生の白いキャンバスに
キャリアを描いていくことになる。
先日、ビジネス誌の編集者Mさんと話す機会があって、
面白い考え方を教えてもらった。
知っている人は知っているだろうが、
知らない人はやっぱり知らない。
「計画された偶発性」という理論がある。
1999年に、米国のスタンフォード大のクランボルツさんらが
発表した理論だ。
クランボルツさんは、数百人にのぼるビジネスマン・ビジネスウーマンの
キャリアを分析して、
個人のキャリアの80%は、
偶然に起こる予期せぬ出来事によって決定されることがあり、
その偶発的な出来事は、主体性や努力によって、
最大限に活用することができる
という結論を得た。
この結論が正しいならば・・・
若い頃にキャリアの目標を確定し、
それを逆算したかたちで、キャリアの道を計画して、
実行していくのは、現実的でないことになってしまう。
そうすると・・・
偶発的な出来事を意図的に生み出すように、
またその出来事を利用するように積極的に行動すれば、
キャリアを創造する機会を生み出すことができるわけだ。
クランボルツさんの理論は、人間の能力の可能性や主体性を信じ、
偶発的な事件(人との出会いとか)をどう意味づけて、
幸運に向けてどう活用していくかが大事であることを教えている、
と編集のMさんは説明してくれた。
「でも、考えてみれば、偶発的事件を積極的に利用したものの、
うまくいかなかったという例も多んじゃないの?」
と、私は聞いてみた。
たとえば、古典を読むのが好きなので、
なんとなく文学部に入ってしまった学生がいるとする。
彼女は、バトミントンクラブに入り、そこの顧問が
法学部の教授で、法律に強い興味を覚える。
クラブに入ったこと、教授に出会ったこと、
法律に興味を開かされたことなどは、
すべて、偶発的な出来事である。
彼女はその偶発的なものを積極的に主体的に利用して、
法学部への転入を果たす。
1年間法律を勉強するが、どうも自分には向かないことに気づく。
たまたま悩み相談に応じてくれた友達の家に行くと、
お父さんが、医者をしており、アルバイトで
医療事務をしてくれないかと頼まれる。
お手伝いをしているうちに、税理士へ興味を発展させた。
税法の方はうまくいきそうだが、簿記がどうも身につかない。
勉強生活にストレスが溜まり始める。
友達に相談、父親との出会い、バイトの誘い、
医療事務の開始、税理士の勉強・・・
こうした事件はすべて偶発的なことであった。
しかし・・・
まだアップするキャリアにはなっていない経過を
考えて見ると、
結局、その時点でのキャリアをクリアするだけの
「能力」を本人が持ち合わせていないと、
かなりクランボルツさんの理論の実践はむずかしいと思えてくる。
彼は、キャリアを成功させた人の人生を
逆算して、偶発的な事件がそのキャリアアップに
果たした役割を検証したからではないか。
しかし、これからキャリアを積んで行こうと考える人は
逆算ではなく、将来に向けて、偶然的な事件に
オープンでいななければならない。
そうすると・・・
失敗に導く偶発的な事件も含むわけで、
偶発的事件を利用して幸運や成功に変えていくには、
主体である本人の「能力」(成功に導く偶発的事件の選択能力)や
仕事への「適性」自体が、重要な要件になってくると思われる。
「運も能力」「人脈も能力」というのは、このことかも知れない。
October 13, 2006 04:49 PM | コメント (11) | トラックバック (0)
2006年10月12日
65万人×nの涙:
昨日、北朝鮮の核実験についてBBCラジオが
どんな風に報道しているのかを聞いていたら、
イラク関連で、びっくりするような情報が伝えられていた。
ブッシュ米大統領が、去年の12月の演説で、
イラク戦争で負傷や疾病で死亡したイラク人の数を
「3万人」だと示していたが、
そんな生易しいレベルではなく、
なんと約22倍の推定65万5000人という数字が出た。
1日に約500人が死亡していたことになる。
わずか13日ほどで、阪神・淡路地震の死者数を
作り出していると言える。
英国の権威あるメディカル雑誌「ランセット」の
電子版に掲載されたこの記事だ。
(私が見る限り、日本の朝刊、ウエッブ版ニュースは、
まだフォローしていない)
調査したのは、米国ジョン・ホプキンス大の疫学専門家と
イラクの医師による合同チーム。
調査は、今年5月20日から7月10日まで実施された。
死体を数え上げる調査は不備が多く、
調査に使われた技法は「クラスター・サンプリング」で、
現実の実態を把握するすぐれもののリサーチ・メソッドだ
と専門家はいう。
米軍らのイラク侵攻前(2003年)・後のイラク人の年間死亡率は、
5.5人(1000人当たり)と13.3人(同)の違いが出た。
この数字は、過去3年半で、2500万のイラク人のほぼ2.5%に
相当する。
ただこうした数字にもバイアスがある。
たとえば、遺族の聞き取りを調査に入れているから、
家族が全滅したケースは抜け落ちている場合があるからだ。
しかしそれにしても、約65万人の死者の背後には、
負傷したままの人、リハビリ中の人、精神的傷を負った遺族など
イラク国内は、いまだ戦争の傷であふれ、なおも平和は遠い。
タイトルの「65万人×nの涙」のnには遺族の人数が入る。
October 12, 2006 07:25 PM | コメント (19) | トラックバック (0)
2006年10月11日
ウニなんか欲しがるな!:
マツタケやウニといった高級食材を輸出して、
外貨を稼ぐ度に、北の人たちは、
日本と自国の貧富の差、国際的な格差社会に
思いを馳せねばならないのだろう。
国も、季節同様極寒に向かっている。
伝えられるところでは、
北の人々の食生活は、飢饉状態だという。
日本人が草の根をたべてしのいだ、江戸期・天保の飢饉に匹敵する
という情報もある。
飢えた狼がどういう心理にいて、
どういう行動をとるかは、
餓島で九死に一生を得て、帰還した元日本兵ならわかるだろうが、
苦労とは縁の薄い戦後生まれの首相やその取り巻きに理解しろ
というのは、無理な話である。
人間が政治をつかさどるのは、日本も北も同じ。
人の心を読めるかどうかが政治家、戦略家の武器ならば、
その観点から言って、北の将軍様の方が上に決まっている。
日本だけでなく、中国もアメリカも、
完全にその内心を読まれてしまっている。
だって、中国も最近では、きっちり資本主義化に
たどり着いているからだ。
贅沢と美食に溺れた、平安時代の有力貴族藤原道長は、
重度の糖尿病を患っていた。
彼は、1日に1斗(18リットル)の水を飲んでも、
まだ乾きを覚えたという。
極端かも知れないが、大なり小なり暖衣飽食の時代を生きてきた
我らが宰相やそのブレーンが、餓えた狼に勝てる方法はあるのだろうか。
かなり私は悲観的に見ている。
北の国家予算など、
日経平均がちょっと下がっただけの損額と同じレベル。
これからは、北がちょっと、ごろついただけで、
株価が下がって、日本や欧米が何兆円も損をするのなら、
少しお金を北にまわしてあげることも、決して愚かな戦略とは思えない。
将軍さま、こっちへいらっしゃいよ。
もう北は寒いでしょうね。
この意味では、仲の悪い兄弟の韓国・ノムヒョン大統領がやろうとした
「太陽政策」という融和戦略は正しいかも知れない。
狼には、まず食べるものを与え、なだめすかさねばならないからだ。
将軍さまの地位や身分保障
側近の地位や身分保障。
国の青写真。
国民が悪いのではなく、責任は将軍さまにある、
しかし、将軍さまの責任はチャラにしてあげる。
思えば、欧米から「悪の枢軸」の一つと呼ばれた
軍国日本が、かつて追い詰められたときに、
ポツダム宣言で日本が救われた条件ではなかったのか。
天皇は、3月10日の東京大空襲を見ても無条件降伏をされなかった。
精神で勝てると一縷の望みを残され、
その後、8月に二発の原子爆弾の攻撃を受け、
そしてソビエト参戦によって、最後の決断へと至った。
北の将軍さまと天皇を比較してはいないが、
あえて、袋小路に追い詰められた国という共通点で言えば、
歴史は繰り返しそうな思いになる。
「経済制裁、経済制裁」と政治家も国民も声高に叫ぶが、
その実効性はこちらが思うほどに至っていない。
今も将軍さまはたらふく飯を食っているだろうし、
好きな映画を楽しむこともやめてはいない。
国民が餓えても、彼は餓えていない。
将軍さま、これからも映画三昧でいいですよ。
余生を西側のみんなと楽しみませんか。
お父様もあなたも国の象徴として、
新しくできる憲法に残してあげましょう。
あとは、国中をまわって、平和なアジアを作った人として
歓迎の嵐と拍手の中で、陶酔感が味えますよ。
イラクで失敗したアメリカの「武」の政策。
日本が、「悪の枢軸」から大変身をして、
「平和国家」になれた過程を北で再現できれば、
それこそ、戦前の日本で多くの民が辛酸を舐めたことが
よい形に生きるという思いつきを立ててみた。
世界が納得したらの話だけど、
いわば、マイナス札が一転してプラスになる
ツーテンジャックの妙味か。
October 11, 2006 05:10 PM | コメント (46) | トラックバック (0)
2006年10月10日
北朝鮮の毒キノコ:
北朝鮮からのマツタケ輸入が制限されているようなので、
不買運動で経済制裁をしたいができそうにない。
タイムやニューズ・ウイーク誌でさえも北朝鮮の非難記事を書く時、
a rogue state(ならずもの国家、悪党国家)
という単語をしばしば使う。
この10年に限ってみても、北朝鮮がやってきたことは、
ならずものと呼ばれても仕方がないだろう。
偽ドル、覚醒剤、拉致、密輸、人権侵害、テロ、武器輸出など。
かつて日本の政権の一翼をになった政党でさえ、
無批判にこの国を翼賛していたのだから呆れる。
武器輸出については、欧米の国々も取り扱っているので
とやかく言えないが、通常兵器以上のものとなると、
ことはやっかいだ。
北朝鮮の首都ピョンヤンの郊外に、
ほとんど利用しない、荒涼としたスナン飛行場があるが、
03年4月から7月にかけて、6回ほど
イランからIL-76輸送機が降り立ったことを、
米国のスパイ衛星が撮影した。
積み込まれたのは巡航ミサイルだった。
このならずもの国家から、パキスタン、リビア、シリアを含む
少なくとも6カ国がミサイルを購入していたという。
イランへはついでに原子物理学の科学者も運んで、
互いに協力し合っていたのだろう。
すでに中東の情報筋は90年代半ばにこの協力は始まっていた
ことをつかんでいた、とタイム誌は報じている。
今回の核実験がこの流れだとしたら、
7月初めのミサイル・テストもその流れの中にあるのだろう。
そうなると、誰でもわかることだろうが、
他のならずもの国家相手に、核兵器という
毒キノコの製造販売をすることになる。
今回の実験は、商品のデモンストレーションと見なせる。
(失敗実験という観測もあるが)
武器輸出が飯のタネとなれば、今や十分に機能しないことを
露わにしてしまった国連の力でやめさせることもできない。
中国もスネに傷をもっているし、
仲の悪い兄弟の韓国・ノムヒョン大統領の「太陽政策」という
融和政策も破たんした。
そして、近くの「親戚」が止められないのに、
遠くの他人が、あまりきつい制裁をやると、
あの国は、国連脱退をするかも知れない。
この流れになっていくとすると、
毒キノコを食らわせようとする元首が、ヤケッパチの無能ではなく、
冷静かつ酷薄な指導者に見えてくるから不思議だ。
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October 10, 2006 07:05 PM | コメント (6) | トラックバック (0)
2006年10月09日
核実験、骨董フェアそしてゲイカップル:
北朝鮮が翌日核実験を予定しているなんて知らないで、
昨日は、のんきに東京・新宿へ半日、遠足した。
新宿へ向かう電車の中で、若い男の子が二人、
仲良く、時々目と目でお話している姿を見て、
最近このような子たちが増えたね
と、私も妻と目と目で話した。
第11回 アンティークin新宿
という骨董フェアが10月6、7、8日と開かれ、
この日は、最終日。
こういうフェアは、初日もいいけど、最終日も狙い目。
西口の長いトンネルを抜けると、外はピーカンだった。
場所は、ホテルセンチュリーハイアットと隣接する
新宿第一生命ビルの1階ホール。
130余りの和洋の骨董ストール(出店)がでていた。
私と妻は、古物好きで、
英国シェフィールド市で研究生活を送っていた時も、
専門誌を読んでは、こまめに出かけた。
だから、自然に目が古い物に慣れてきた。
アンティークin新宿での出店の数は130余り。
数としては、あまりに少ない。
英国では一年中、骨董市が立ち、規模もさまざま。
でかいのになると、5-6000の出店。
ショーグランドと呼ばれるイベント用の土地があり、
競馬場、シティ・ホール、公園など、
スペースがあれば、骨董市が開かれるのである。
競馬場の6000規模になると、
全部見ようなんてとても無理、
ぷーんと馬ぐその臭いがして気分はピクニックだ。
今回の新宿の企画もその模倣だったが、
やはり、古物が好きな人間にはうれしい。
英米仏日などの混在した品揃えで、落ち着きがない。
悪く言えば、特色がない。
130程度では、客の感覚と合う店は4~5店がせいぜい。
私の感覚と他の客の感覚が違っても、
違うなりに、その人たちも合うのは4~5店という意味である。
こうした店には、こちらから見て、
品揃えにお店のマダムの主張といったものが感じられる。
取り扱う品が「コレだけ」というこだわりがあって、
例えば、コーヒーカップばかり、アクセサリーばかり、
本ばかりというような店や、
色をできるだけ一貫したものにしたり、
年代を絞り込んだり、
センスを絞り込んだり・・・と訴えるものを作っている。
面白いことに、日英と国が違うのに、
マダムの雰囲気が似ている人が、たまにいる。
日本語と英語が違うのに、喋り方、応対の仕方まで、
酷似しているのが、面白い。
意識が表情やふるまいを形づくるのだろう。
骨董品を眺めながら思ったけど、
値段がベラボーな店が多かった。
仕入れ価格を考えてみても無茶な話だ。
4~5倍で売っているのはザラで
さらに驚いたのは、値札をつけていない店も多かった。
客を見て、値段が変動するとは明朗ではない。
値段を聞いてから、値段の交渉となると、
スタートラインで客が負けている。
客は自分の足元を見られたり、服装や雰囲気で値踏みされているようで、
あまり感じがよいものではないし、
こういう店では買わない方がよい。
英国の子供向けの古いカレンダーがあって、
値段を聞くと、18000円と言われた時は、
正気かよォ、1桁間違いだろう
と、叫びそうになった。
ずいぶん、この手のカレンダーはチャリティショップで見かけたが、
せいぜい3ポンド(600円)ぐらいだった。
妻がコレクションしている子熊の「ルパート」の絵本が
数千円もして、
「日本では私もお金持ちになれるのね」
と皮肉を言っていた。
出店のオーナーが、しっかり今物ブランドを着ていたのは、
なんとも日本らしい。
儲けが彼の高額ブランド服になっていると思うと、
やはり暴利と言ってもいいのではないか。
Pという西荻窪の骨董屋さんのストール(出店)で、
古い色褪せたクリスマス柄のクッションを妻が見つけた。
もちろん英国物で、なんと8500円。
「お安くしますよ」と言ってくれたが、とりあえずスルーのそぶり。
いろいろ見て、やはり心に光るのは、あの品物。
欲しい顔を隠して、閉店1時間前に、交渉に入る。
「クッションの中身の羽毛、いらないので」
と、言うと、
「うちも羽毛だけ残っても困るし、一つでも売って帰りたいので
6000円でいかがですか」
ここまで来て、あと残り40分。
この時、
クッションが「連れて帰って!」と聞えた
と、後で妻は言っていたが、結局5000円で決まった。
私たちが、英国から持ち帰ったシェードを取り付けたくて、
アタッチメントを探していると話をしたら、
マダムが「それなら、今あるわよ。仕入れ値でいいから」
と譲ってくれた。
ふと、視線を他のストールに向けると、
今度は、スキンヘッドの西洋人と日本人の男性がそっと寄り添って、
コーヒーカップを選んでいた。
どう見ても、日本人がペット君だ。
ここにもいるのね・・・
帰りに寄った、伊勢丹のメンズ館でも、
ほんとに男の子のカップルが多かった。
彼らも、北朝鮮が翌日核実験をするなんて知るよしもない。
伊勢丹地下で、手をつないで、仲良く
ソフトクリームを交互になめ合っている姿も見てしまった。
そう言えば、戦後生まれの首相は、奥さんと手をつないで
中国を訪問している。
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・・・・・・・
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「日本柔道凋落の原因は」綾木誠之進さん
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October 9, 2006 06:24 PM | コメント (18) | トラックバック (0)
2006年10月07日
日本柔道凋落の原因は:
昨日の記事について、こらこらさんから
こんなコメントが届いていた。
柔よく剛を制すとはいうものの、
なかなかそれは難しいのではないのかな。
柔道、相撲などはでかい人種が強いモンね。
空手、剣道、ついでにオリエンテーリングなんかも、
いずれ外国人が席捲するとおもうよ。
東京オリンピックで日本の柔道指導者たちが思ったことは、
まさにこの認識であっただろう。
けれど、南郷継正(武道の達人、「武道の理論」の著者)さんは、
この認識が誤っていたという。
彼はまず、剣道と柔道の違いから解き明かす。
剣道は、武器を使って試合をする武道。
この武器は、誰でもたやすく手に入る。
一方柔道選手には、剣道のような武器は用いないし、また防具もない。
南郷さんは、柔道だって、剣道にあるような
この「武器」を作ることから始めねばならないと考える。
「武器」を作るとは、自分の体を武器化するということを意味する。
有能な指導者のもと、武器化するトレーニングをまず行う。
体の武器化とは、尋常な肉体ではなくなり、
手も足も腰も、通常のレベルの壁を打破している。
ところが、柔道は大衆スポーツ化してしまった。
体ができない前に技を知ってしまい、
乱取りなどで、練習を始めてしまう。
確かにこれだと、柔道は楽しめる。
しかし、体を武器化していない選手は、
体が仕上がらないままに、柔道の技を覚えていく。
さらに、体の大きい者が有利であるという、
誤った認識のまま柔道を続ける。
南郷さんは、このやり方が柔道を弱弱しく
ダメにしていくというのだ。
練習すればするほど上達する。
こういう考え方がある一方で、
練習すればするほど下手になる。
という考え方もあることを認めよ、という。
言葉を変えれば、体を武器化した後の練習と、
体をまだ武器化しない普通の体での練習ということだ。
ヘーシンクさんが、「柔道練習は、一人でもできる」と言ってのけたのは、
まさにこのことである。
何年経っても、上達しない人を「呉下の阿蒙」というそうだ。
こうした人が生まれるのは、武器化を行っていないからである。
だから、日本の柔道をメダルから遠ざけた指導者の
最大の欠点として、南郷さんは、
「技を創る」ことをあまりにも安易に考えすぎていること
をあげる。
畳の上での乱取りが練習だと思い込み、
それだと楽しいし、一人前のポーズで練習した気分になれる。
しかし、その選手の体は、ほとんど柔道を始める前と変わらない。
人並み以上の体をもともと持っていたら、
その人は、技を覚えていくにつれて、上達は早いように見える。
しかし、まもなく行き詰まり、「ずば抜けた技」を持つ選手にはなれない。
南郷さんは、上達には三つの段階があり、
それは次のような立体構図となると説明する。
Q=技を憶える段階
P=憶えた技を使用に耐えうるように仕上げる段階
X=使用に耐えうる技を使う段階
今の柔道の練習は、このQ→P→Xの段階をまともに経ていないゆえに、
トップのレベルに到達することは不可能になってしまった。
具体的には、Pの段階での練習が不足しており、
QからXに飛んでしまっているのである。
講道館から破門を受けた、柔道の鬼・木村政彦さんも、
ヘーシンクさんと同様に、
「柔道の練習は一人でもやれる」と述べたことがある。
二人とも練習相手があまりいなかったのに、
頂上へ登りつめた柔道家であるから、
この言葉の符合を軽んじてはいけない。
南郷さんは、さらに柔道の本質を説明する。
(柔道は)体そのものが技を構成することになっている。
現象的には、技そのものと体の動かし方をはっきり区別できない。
技を身につけていることと、その技を使うことが同一のものだと
思っていることが、間違っているのだ。
せっかちさが、ものごとの完成を妨げる。
もっとはっきり言えば、
基礎もなく行う乱取りが多すぎて、姿勢や素質がつぶれる。
南郷さんは、自分が育てた鈍才と秀才の二タイプの選手を比較する。
鈍才は、自ら鈍才であることを自覚しているから、
「馬鹿の一つ憶え」の練習をする。
一方、秀才タイプは、センスもいいし、体も並以上だから、上達も早い。
ところが、もっと先の高いレベルへの道で、
秀才タイプは鈍才に遅れをとるという。
人間技に頼っていたのでは、
そもそも限界を突破できるわけはない。
技は、人間的に備わっていたものではなく、
弱い人間が歴史的に創り上げてきたものである。
柔道を初めとする武道は、技を身につけて「超人」になるということだ。
そういう認識を持てば、体のでかいものが幅をきかす
現状が決して好ましいものでないことが理解できる。
女子レスリングの国際試合の舞台で、輝かしい成績を残した、
伊調さんや吉田さんら日本なでしこは、
栄監督の指導のもと、Q→P→Xの過程を完璧に通過したに違いない。
最高のレベルの状態に到達し、
「超人」の技を身につけているからこそ、
夢のような連勝街道を爆走し続けることができるのだ。
これは、仕事や学習のヒントになると思うが・・・。
October 7, 2006 05:09 PM | コメント (21) | トラックバック (0)
