2006年08月31日

安倍さん8月31日を守ってください:

すこし前、週刊誌のグラビアを見ていたら、
若い頃の安倍晋三さんが、奥様、お母様らご家族での
朝食風景があった。
献立として、干物、味噌汁、佃煮のようなものはあったが、
乳製品、フルーツ、ヤサイがまったくなかったので、
ちょっと心配していた。

最近、安倍さんが慢性の下痢に悩んでいると聞いたが、
食生活が関係あったのだろうか。
これだけで、ヤサイを摂らない偏食家だとは言うつもりはないが、
原因が激務によるストレスであるとしても、腸力をアップ、
免疫力をアップするヤサイを充分に摂取していただかないと、
次期総理の体は?・・・と心配になってくるではないか。

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今日8月31日は「野菜の日」。
全農が力を入れているらしい。
そう言えば、日刊スポーツに一面広告が出ている。

肉を出来るだけ取らない私が、
生の多くを得ているヤサイが主人公の日なら、
居住まいを正して、今夜も、大豆、ブロッコリー、
カリフラワー、タマネギ、サツマイモ、トマト、小松菜など
豊富なヤサイを使った料理を口にして、
お世話になっているヤサイさんに感謝する日と言えよう。

ヤサイの繊維質は消化を促進してくれる。
肉は活力源にはなるが、便に腐敗臭が出る。
とりわけ牛肉はひどい腐敗臭だけでなく、
活性酸素がたくさん発生するために、細胞の組織破壊が
進行して、大腸ガンになりやすい。
だから、肉とヤサイをバランスよく食べなさい、
と主治医はアドバイスしてくれる。

菜食主義者はリンパ球が多く、免疫力が高いという。
リンパ球が多いのは、副交感神経支配の世界といわれ、
気迫があまり湧かないという欠点を持つと言われるけど、
私が自分の仕事ぶりを見ると、必ずしもそうとは思えない。

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見落としていけないのが、キノコ類。
キノコは、消化しにくく、いつも消化管を動かしてくれるので、
体のリラックス効果があって、免疫力を高めてくれるそうだ。
消化管を元気に動かすのは、ベータ・グルカンという
不消化多糖が含まれているから。
というのも、人間の体にはこのベータ・グルカンを消化する酵素がなくて、
消化できないので、これを消化しようと必死に消化管が動くのだ。
消化管が動くと、リラックスする、つまり副交換神経を刺激しつづけることになる。
そのために便秘が治り、老廃物が体外に排出され、
腸管にリンパ球が増えて、免疫力が高まる。

ストレスや情緒不安定などが原因で起こる
腸管の機能異常として、
過敏性大腸症候群があるが、
この症状は便秘と下痢を繰り返す。
ストレスの直撃を受ける20代女性や、
30~40代のサラリーマンがかかりやすい。

便秘はストレスが強く、交感神経が緊張しているので、
体がその異常状態を脱するために下痢を起すわけで、
下痢止めを飲むより、まず便秘を治せといわれる。

veg3.JPG

下痢だと日常生活で困るので
早く治したい気持はわかるが、医者は、
まず交感神経の緊張を解いて、排泄を促すように、
食物繊維をたくさんとり、便秘を治すことを勧める。
下痢よりも便秘が悪者なのだ。

次期首相とみなされる安倍晋三さんには、
中国種のチンゲンサイや韓国種のニンニク、唐辛子を
しっかり食べていただいて、うるさい国に対して、
おもいっきり手腕を発揮してもらいたい。

健康関連記事
牛肉欲を減らせ!」(6月24日)
角砂糖12個」(5月5日)

August 31, 2006 09:16 PM | コメント (15) | トラックバック (0)

2006年08月30日

猫殺し作家と戦う武装子猫:

先日、直木賞作家の「子猫殺し」が話題になった。

発端は日経新聞8月18日付夕刊コラム「プロムナード」。
タヒチ在住の直木賞作家、坂東真砂子さん(48)自身が、
「子猫殺し」をしていることを告白した。

坂東さんはメス猫を3匹飼っているが、
野良猫と交尾をして子猫が生まれるのでやっかいだ、と思った。
メス猫に避妊手術をほどこすのは、
猫の本質的な「生」を奪うことになり、
それは人間の都合で奪うことを意味するという。

よって彼女は、育ててきた猫の「生」の充実の方を選択し、
やがて野良猫になって社会に迷惑をかける子猫を、
社会に対する責任として、殺すことを選んでいる、というのだ。

そして彼女は、どんな風に殺すか。

   家の隣の崖の下がちょうど空き地になっているので、
   生まれ落ちるや、そこに放り投げるのである。

文章の最後に坂東さんは、次の記述をわすれてはいない。

   それ(子猫殺し)に伴う殺しの痛み、
   悲しみも引き受けてのことである。

このコラムを読んで、理解に苦しむ箇所がいくつもあるが、
本当に、こういう痛みや悲しみを引き受ける人ならば、
ごみか何かを空き地にすてるように、
新生猫をポイ捨てするものだろうか。

私はこのネクロフィラスなやり方から、
例の子供を投げ捨てた15階男や、子供を橋から落とした母親
連想してしまい、ちょっと食事が進まぬほど
おぞましい気持に陥ってしまった。

坂東さんの書かれた全文はここで読めるから、
未読の方は目を通してほしい。
「鬼畜と罵倒される」と覚悟の上で、直木賞作家が書いた
「子猫殺し」の一文を読まされて、
さぞかし驚いたと同時に怒ってしまったことだろう。
日経の文化欄は、ホラー雑誌ではないのだから。

当然のことながら、たくさんの批判・抗議が、
読者をはじめ、一般の人からも寄せられた。
ネット上でも物議をかもし、そのほとんどが
坂東さんを支持できないという極めて健全で
まともな意見であった。

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neko2.JPG

では、ここで子猫ちゃんたちに
インタビューをしてみよう。

――大変なことになっていますね?

子猫A ボク、みちゃったにゃん。友達が、ママにゃんのおっぱい飲んでいる時に、首根っこをつかまえられて、連れていかれちゃったにゃん。それから会ってにゃい。

――その光景は、忘れられないですね?

子猫A にゃん。ボクは絶対生き抜いてやるにゃん。
子猫B もう毎日恐いにゃあ、日本のみなさん、応援してにゃあ。

(写真:武装する子猫AB)

・・・・・・・
ベビー日刊からのお知らせ
メッセ3000番の「サッカー好き」さん、
前後賞のyasminさんとエストラさん、
ささやかなプレゼントをお送りしますので、
「ハンカチ業界の救世主・佑くん」のコメントに
ご住所とお名前を書いていただき、発信してくださいますか。
個人情報保護のポリシーで、メモ後、コメントを破棄しますので、
ご安心くださいね。

August 30, 2006 07:58 PM | コメント (51) | トラックバック (0)

2006年08月29日

オーマイニュースに下心はないのか?:

韓国の市民参加型インターネット新聞「オーマイニュース」日本版が
昨日8月28日に創刊した。
代表はコリアンの呉連鎬(オ・ヨンホ)さん、
編集長は鳥越俊太郎さん。

市民参加型インターネット新聞というのは、
要するに、ほとんど報酬を支払わないで、
書きたい満足感をインセンティブ(やる気)にして、
奉仕記者に書かせた記事で、オーマイニュースを
クリックしてもらい、広告収入で儲けようという
狙いである。

昨今、日本ではサービス残業などの無報酬のシステムが
槍玉にあがり、よりよい労働条件を目指す動きが出てきた矢先に、
鳥越さんが、韓国のような労働倫理後進国に、
戻そうとしているのは、非難されてしかるべきだ。

   キーワード:オーマイニュース、コリアン、呉連鎬、鳥越俊太郎、市民参加型、
          投稿記事、著作権、斎藤環、勝ち組、負け組、銀行口座

昨日、ずいぶんたくさんの記事本数があがっているのを見たが、
そこから市民記者に支払われたのは3本とか。
それぞれわずか2000円の報酬である。

「市民記者」をタダでコキ使って、自分の報酬はいくらか、
あのNHK不払いで仕切っていたときに「明朗会計」を謳った人であるから、
この点も明朗会計で、情報を開陳してほしいものだ。

さて・・・

この市民参加型インターネット新聞には、
「オーマイニュース」市民記者規約というものがある。

規約は「Hobson’s Choice」(ホブソンの選択)である。
つまり、必ずコリアンが与えた規約に同意しなければ、記者になれないというわけだ。

次の規定はどうか?

   (2)投稿記事が採用された場合、当社ウェブサイトに
   編集済み記事として掲載された時点をもって、
   当該編集済み記事の著作権は、
   市民記者と当社との持分均等による共有となります。

無料で書かせて、ちゃっかり著作権は半分いただきというわけだ。
たとえば、どこかの雑誌が記事を使いたいというとき、
半分ネット新聞側が取るわけだ。
この抜け目なさは、まるで「搾取の構造」じゃないか。
中央公論(06年6月号)で、精神科医の斎藤環さんが、
「勝ち組」「負け組」をシステム論から看破したように、
ジャーナリストの鳥越さんは、コリア資本の恩恵で
ちゃっかり「勝ち組」のシステム入りを果したようだ。

さらにこんな規定もある。

   (4)当社は、市民記者の投稿記事に、
   自由に編集することができるものとします。

すでに市民記者は、この規約を受け入れた点で、表現者として敗北している。
匿名のコメントならいざ知らず、記者に責任をもたされた記事を
コリア資本によって「自由に」編集することを承諾しろ、とは何ごとか!

奉仕記者としてそこまでの自由を売り渡せという正当性は
一体どこにあるのか、きちんと説明してもらいたいものだ。

実際、韓国版のオーマイニュースは、国会議員によって、
名誉毀損で告訴され、紛争となっている。

この記事この記事を読もう。

ただで記事を掲載され、自由に編集をされてしまい、
そして、法的手段を講じられるというリスクがつきまとうではないか。

次の規定はもっとすごいぞ:

   (6)当社の市民記者に対する原稿料の送金先は、
   日本国内の金融機関の預貯金口座に限らせていただきます。
   (7)未成年、成年被後見人、被保佐人または被補助人のいずれかの方は、
   市民記者登録の申請の際に法定代理人、
   保佐人もしくは補助人の同意を得た上で行ってください。
   また、13歳未満の方は、原稿料の送金先口座として
   法定代理人(例えば、ご両親)名義の口座、
   あるいは法定代理人の指定する13歳未満の方ご本人の口座を
   登録しなければなりません。

未成年に親の口座を聞くなよ。

スクープでもない限り、報酬が生まれない。
その金額も、1本あたり、わずか2000円である。

その報酬を受け取るために、さまざまな個人情報、
とりわけ、規約にくわしく書かれている(!)銀行口座を教えねばならない。
おそらく登録したにもかかわらず、
一度も報酬を支払われない奉仕記者が大半だろう。

うがってみれば、この情報がほしいゆえの銀行口座登録のように思えないだろうか。
2000円だったら、小為替で送って充分だよ。
また支払の段階になってから、口座を登録してもらっても遅くはない。

鳥越さんは、ジャーナリストだ。
苦労して取材し、記事にし、そこからお金を稼ぐことに、
苦しさと喜びがあることを骨身に染みて知っているはずだ。

最低一つの記事に5000円ぐらい報酬を支払ってはどうか。
そして、記事の質によっては、ケースバイケースで考えるべきだと思う。

膨大な奉仕記者の貴重な時間消費の上にあぐらをかいて、
鳥越さんご自分は、いったいどれくらいの契約金や報酬を
得ているのか、真摯に考えてみるべきだ。

記者会見で代表のオ・ヨンホCEOは、こう言い切った。

   「市民記者は資本からも権力からも編集部からも
   自由にニュースを発信してもらう」(朝日新聞ウエッブより)

オ・ヨンホさんが、自分たちのために作った「市民記者規約」を
もう一度読み返してほしい。

   (4)当社は、市民記者の投稿記事に、
   自由に編集することができるものとします。

この規約って、鳥越さんが一番嫌がるところですよね。
鳥越さんの記者魂はどこに置き忘れてきたのか、と聞いてみたい。
これって、「商売人」に成り下がっていることだ。
「市民」記者をバカにしているとしか言いようがない。

一件あたりの銀行口座情報って、いったいどれくらいに金銭評価されるか。
このネット新聞は、年内に、奉仕記者を5000人まで増やし、
将来は万単位でさらに増やしていくという。

あぶない・・・きっちり、あぶない・・・。

(具体的記事についての批判は、近々書くつもりです)

August 29, 2006 10:10 PM | コメント (36) | トラックバック (0)

2006年08月28日

ハンカチ業界の救世主・佑くん:

従来の投手は、必ずアンダーシャツのグシャグシャした袖部分で、
日焼けした顔を拭いていた。

しかし今年は違った。

マウンドに立つ早稲田実業のエース・斎藤佑樹くんが
ポケットからハンカチ(ハンドタオル)を取り出して、
汗を拭く仕草が可愛いということで、
にわかに話題になっているのがハンカチ。

夏の甲子園からハンドタオル・ハンカチブームが起きるなんて、
だれが想像しただろうか。

yu1.JPG

佑くんファンは、圧倒的に女性。
女子高校生ばかりでなく、
幅広い年齢層の女性から注目を浴びているが、
中でもかなりの数の「ヨン様ファン」が流れてきていると、
私は読んでいる。

「ヨン様ファン」には更年期障害のおばさんたちが多く、
納得するところがあるからだ。
更年期障害の人って気温が高くなくても
いきなり発汗してしまうらしく、
ハンカチやハンドタオルが手放せない。

そういうところからも、
親近感をもって佑くんのハンカチ仕草をほほえましく眺め、
ファンになってしまったのかも知れない。

また女性にとって、ハンカチは特別なもので、
男性の気をひく「ハンカチ落とし」、
短いスカートでイスに座ったときに、ひざに置くたしなみ、
感情表現のためにハンカチの隅をかむ仕草など・・・。

真夏の甲子園のマウンドだから、
通常の綿の薄いハンカチでは、すぐ汗びっしょりになるから
汗拭きにはやはりミニタオルというわけだ。
普通の浴用タオルだと、ガテン系になってしまう。
ミニだと機能性が高い上に、洗濯後にアイロンも不要で、
球児にぴったり、他校の選手も佑くんを見習って使い始めた。

yu2.JPG

彼の使ったハンカチの色がブルーで、
早稲田実業が初優勝したものだから、
「幸せを呼ぶブルーのハンカチ」として
「ブルー」の色とハンカチの人気があがってしまった。
考えてみれば、「ドラえもん世代」はブルーなんだから、
人気の下地は揃っていた
と言えそうだ。

佑くんが使ったこのハンカチ、
2001年に主にギフト用として製造を開始したが、
2005年9月ごろに製造中止。
すでに在庫がなく、定価400円のこのハンカチが、
ネット・オークションで1万円を超える値段がついた
、という。

ところで・・・

ハンカチの発祥は英国で、
リチャード2世が14世紀に発明したとされるが、
日本と欧米では使い方が違うのは、よく聞く話だ。
日本ではハンカチは汗や手を拭いたりするために使うが、
欧米では、主に鼻をかむために使う。

レストランなどでブギュー、バリバリと大きな音を立てて、
鼻をかむレディを見かけることがあるが、
あれはエチケット違反ではないそうだ。
しかしたいていの日本人はびっくりしてしまう。

ついでながら、中国人は手鼻をかむ
中国人の大学教員が私と話している間に、
片方の小鼻を指で押さえ、チン!と手鼻をかんだのには、
驚いたというより、不潔に思った。やめてほしい。

もうひとネタ・・・

ブルーのハンカチと言えば、クリップス。
米ロサンゼルスに棲息するギャング集団で、
ブルーのバンダナをパンツの右側にたらすことが、
彼らの特徴となっている。
これはすでにファッションとして、
日本でも取り入れられて、街でも見かける。

一方、クリップスに対抗するギャングはブラッズと呼ばれ、
彼らは、赤いバンダナをパンツの左側にたらして、
自分たちの特徴としている。

できれば、夏の甲子園の決勝は、
早稲田実業のナインが「ブルーのハンカチ」を使い、
駒大苫小牧のナインが「赤のハンカチ」を使っていたら、
目印になるし、カラフルでオシャレ感もあって、
さらに試合が面白くなったかも・・・。

August 28, 2006 02:20 PM | コメント (24)

2006年08月26日

突っ込まれやすい犯罪学の仮説:

第一話第二話から続く・・・

犯罪学の仮説は、しばしば単純なもので、がっかりしたり、拍子抜けする場合も多い。龍谷大ロースクールの浜井浩一さんが立てる「日本の治安悪化は神話である」や「その神話は犯罪被害者によってもたらされた」というのも、よくある類いだ。

私が英国の大学院で犯罪学を齧ったときに、提出したエッセイは「夏の暑さと犯罪発生率の相関関係」であったが、アイスキャンデーの売れ行きなどのデータを探して書き上げたたことを思い出す。気温が異常に上がるとイライラするから、犯罪が増えるんじゃないか・・・という単純な思いつきだった。似たような仮説をケンブリッジ大の博士が立てていたのには、ちょっと驚きつつ、すこし仮説を修正した。

犯罪学を社会学の1ジャンルだと思えば、社会学の仮説の立て方や方法論の欠点や弱点が、そのまま犯罪学にも同じように出てくるのは仕方がない。それに、犯罪学は、人文ほど奥行きの深い学問ではないし、自然科学の緻密さもない。

criminal.JPG

刑事政策のための学問であるから、因果関係の学問とみなされる。犯罪行為の原因を追究する理論がほとんどで、犯罪を犯した個々人の生物学的、心理学的、社会的特性に焦点を置くしかなく、できるだけシンプルな因果関係で説明しないと、何が実際原因であるのかわけがわからなくなるというものだ。浜井さんは「街灯の明るさの改善が犯罪に及ぼす効果」という英米学者のレポートを翻訳しているが、これなど、まさしく刑事政策のための単純なレポートである。

「世界一小さい新聞」の記事「米学者が調べた千秋楽7勝7敗」(7月22日)で登場したスティーブン・レヴィット博士が「犯罪者はみんなどこへ消えた?」(「ヤバい経済学」第4章・東洋経済新報社刊)で紹介するように、「犯罪を減らした原因」の仮説は玉石混交というよりどっちもどっちの観を呈している点が指摘されている。科学としては、社会科学はいつまでも自然科学にかなわないことは、一つの重要な点として覚えておきたい。

治安は悪化している

ところで、「日本の治安悪化は神話である」のかどうかの議論だが、一つ記事(2004年2月)を読んでみたい。

浜井さんは「犯罪はそれほど増えていない。凶悪化もしていない」と真っ向から否定している。彼は「犯罪不安が犯罪統計の数字を増やす、という一面がある。対策をとればとるほど治安がさらに悪化したように見える」と述べる。この説明は、「市民が犯罪不安を覚えると、事件をレポートし、犯罪が発覚し、犯罪件数が増える」ということだろうか。

もう少し考えてみると、「対策をとればとるほど治安がさらに悪化したように見える」とは、たとえばある地域にひったくり事件が起き、パトカーが頻繁に巡視する政策がとられると、地域住民に「ちかごろこの辺りも物騒だね」という印象を与えてしまうということか。市民にとっては治安悪化の印象はつくが、逆に巡視によってひったくり事件は抑えられ、犯罪率が低くなるということだろうか。

しかし、第2話(8月24日)で紹介した資料「平成17年の犯罪情勢」(平成18年4月警察庁)では、平成8年から12年までは横ばいだが、平成16年まですこしずつ増加している。「治安悪化」という場合、犯罪では殺人・暴行・恐喝・強姦・窃盗といった犯罪を連想するが、たとえばホワイトカラー犯罪や知能犯罪(振込詐欺など)は「治安悪化」という印象ではないように思うが、どうだろうか。

では、「治安悪化」の印象につながる「凶悪犯」などの重罪認知件数の増加率はどうだろうか。「犯罪情勢」の132ページにデータ(平成8~13年)があるが、それによれば:

凶悪犯の認知件数
   平成8年   7,010人
   平成13年  11,967人(70%アップ)
そのうち・・・
殺人
   平成8年   1,218人
   平成13年   1,340人(10%アップ)
強盗
   平成8年   2,463人
   平成13年   6,393人(160%アップ)
放火
   平成8年   1,846人
   平成13年   2,006人(8.6%アップ)
強姦
   平成8年   1,483人
   平成13年   2,260人(52%アップ)

これで明らかなように、兇悪犯罪は増加し、治安は悪化している。

さらに「犯罪情勢」で、驚いた統計資料の一つが、高齢者の犯罪増加であった。95ページにデータが載っているが、それによると:

高齢者(65歳以上)の刑法犯総数
   平成8年  12,423人
   平成17年  42,108人(239%アップ)
粗暴犯
   平成8年    306人
   平成17年  2,142人(600%アップ)
窃盗犯
   平成8年   8,968人
   平成17年  27,333人(205%アップ)

浜井さんはこの点に触れていないようだが、刑法犯の全体から見ると、マイナーな数字に見えるものの、大切なものを見逃している。犯罪の増加率では突出しており、「治安悪化」の観点で、なぜ高齢者にこのような数字がでているかを考えるべきだろう。

また、F級と呼ばれる外国人犯罪を考える必要がある。犯罪認知率のデータは出せない。その理由は、犯罪が起きた場合それが外国人によるかどうかがわからないからだ。だから、ここではF級の検挙数や検挙率が大事になる。102ページにそのデータがある。刑法犯検挙件数は平成13年から増えている。検挙数は、10年間、ほぼ右肩あがりである。

8月17日に警察庁が発表したデータでは、今年上半期(1~6月)のF級の刑法犯の検挙数が10年前に比べて、東京都内では減少する一方、四国や中部地方では3倍以上に増えるなど、全国に拡散する傾向にあるという。四国では178件で10年前の約4.5倍、中部地方では4,598件で約3.3倍となっている。刑法犯の検挙人員のうち、中国人が43.2%を占め、次いでブラジル人が12.8%、ベトナム人が8.4%で、中国人の多さが際立っている。

ラフな検証だったけど、以上の点から判断しても、「日本の治安悪化は神話である」とはとても言えない状況ではないだろうか。

犯罪被害者がイメージを作る

もう一つの浜井さんの仮説は、「治安悪化神話は犯罪被害者によってもたらされた」というもの。第1話(8月23日)で、犯罪被害者率に大きな変化がないのに、犯罪が増えたと感じる人が多い理由が、犯罪被害者によってもたらされたという風に置き換えることができよう。

浜井さんによれば、犯罪は警察のポリシーによって増減したという。過去20年間の警察庁長官の訓示を調べ、犯罪統計にどう影響したか、分析してみたそうだ。彼によると、1988年金澤昭雄長官になって方向転換した。公安重視から「国民が求めている警察」への転換。次第にこの方針に従って警察官の意識も変わり、犯罪統計に影響を与えていった。

さらに警察の対応の悪さがマスコミや市民の間で厳しい批判にさらされ、警察は民事不介入の原則を変更しなければならないほど、いわゆる「泣き寝入り」の被害者の訴えを聞いた。そして、治安悪化神話は1990年代後半から、マスコミなどが報道で積極的に取り上げ始めた犯罪被害者によって強化され出した。報道量が増加して、犯罪被害者の痛みや苦しみに社会の関心が集まったために、体感的な治安悪化が強まり、実際の治安も悪化しているというイメージができあがったというのだ。

これは秋田県で起きた小学生2名殺人事件などの連日の報道を思い浮かべれば、小学生が連日どこかで命の危険にさらされているぞと思わせるほど強いイメージができあがっても不思議ではないことがわかる。その点では、犯罪被害者原因論は説得力があるだろう。しかし、治安は実際にも悪化している点は認めてほしいものだ。

関連記事
投げ落とし男の心の闇」(4月12日)
15階男はなぜ落としたのか」(4月13日)
秋田ケータイ容疑者の「優雅な」生活」(6月6日)
秋田事件28戸の被害」(6月9日)
「激情」の中で生きた鈴香容疑者」(7月16日)

・・・・・・
コメント更新情報
真夏の可愛いクソガキさま」ワッチャンさん
日本政府、いつもの遠吠え」ykさん
やっぱりアメリカ人には勝てないネ」南米太郎さん
韓男、日本雑誌に謝罪ジュセヨ」匿名さん
村上不安度(3)」ワッチャンさん
犯罪統計ってキョーミある?」たぬきそばさん他

August 26, 2006 09:35 PM | コメント (8)

2006年08月25日

やっぱりアメリカ人には勝てないネ:

アメリカ社会では、自分の生活がリッチになると、
収入の10%くらいは、チャリティに寄付する人が多い。
これは英国やオーストラリアでもそうだ。

ジャイアント米投資家のウォーレン・バフェットさんが、
米マイクロソフトのゲイツ会長が設立したチャリティ基金に、
バークシャー・ハザーウェイの株式16億ドル相当を寄付。

しかもこれ1回ではなく、資産の大半をこれからも寄付する計画だという。

million.JPG

来週76歳になるバフェットさんだが、今年6月に、
自分の資産の85%を寄付する計画を発表した。
85%と言えば、この時点で、その金額は推定440億ドル
(写真の百万ドルの札束の山が4万4000個か)。

1999年半ばで自己資産が180億ドルといわれていたから、
さらに3倍にふやしていることになる。
バークシャー・ハザーウェイは、彼が投資会社にフォーカスした
ビジネス帝国であり、まさに金のなる木である。

数百億ドルにまで膨れあがった資産であるが、
1950年代に、バフェットさんが投資を始めたときは、
わずか100ドルだった。

彼の投資法は、バリュー株を探すことに尽きる。
本質的に値打ちのある株を見つけると、
それをバーゲン価格で手に入れようとする。

自分が自信をもってわかっている業界以外の株を買うことはなく、
熟知した投資対象にしか興味を持たない。
徹底したファンダメンタルズ主義者と言える。

だから、リスク計算の達人と呼ばれる。
これが彼の圧倒的強みだ。

馬鹿な一つ覚えの投資でここまで財を成したわけではなく、
彼によれば、約50年の投資歴の中で、
12回の投資決断が、すべてにおいて違った結果を生んだという。
その時代時代の投資環境や彼自身の運・不運が影響したのだろう。

リスク計算の達人とはどういう意味か。
彼はこれを野心というが、一時的につぶれそうな企業を狙ったり、
市場がガタガタになっている状況のときに、
あえて株式を買いまくるのである。
こうすると、フランチャイズをもつ企業を安く買える。

彼の自信は、アメリカが裏書してくれているとも言える。
彼は、株式市場の方向性や金利の動向やアメリカ経済などには
ほとんど注意を払わないけれど、
結局彼の投資が成功したのは、アメリカ経済がここまで成長したからだ。
アメリカの富がすなわち彼の富を意味するのだ。

戦後一貫して、アメリカが世界の経済をリードしてきたが、
彼は、うまく超ハイテクセクターと関わることを避け、
自分が熟知している世界、たとえば保険業、消費ブランド、
新聞社などに投資してきた。
むろん彼が選ばなかった無数のセクターでも、
世界をリードする会社が伸びているが・・・。

彼のすごさはバークシャー・ハザーウェイの株主だけでなく、
自分が書いたレポートで無数の投資家にも莫大な富を与えたことだ。

今年7月1日付けの共同配信の海外短信にちょっと驚いた。
慈善事業に寄付することが前提で、
バフェットさんとランチをする権利がイーベイでオークションにかけられ、
一代で巨万の富を築いた投資家が、邦貨7100万円で落札した。

彼は「バフェット氏の哲学に多くのことを学んだのでお礼を言いたい」
と話していたそうだが、投資だけでなく、
バフェットさんは、さまざまな「種まき」をしてきたことになるのだろう。

August 25, 2006 08:55 PM | コメント (19)

2006年08月24日

犯罪統計ってキョーミある?:

第一話にコメンテーターからいただいたコメントを読んでいると
なおさらのこと、犯罪の議論が難しいことがわかる。

とりわけ今回の浜井仮説のように統計資料を根拠にすると、
その統計資料そのものが仮説立証に値するのかどうかの
ややこしい検証をしてから、議論を始めねばならない。
だから、正直なところ、しっかりとした議論はここではちょっと無理だ。

pen.JPG

一方で、カジュアルな議論なら、とても面白くて、
皆さんと進められると思う。
自分が生きている社会の実相を見るのに役立ち、
実際、実生活に応用のきく知識が身につく。

私も、今、すこし文献を読んでいる。

たとえば・・・

NPA(警察庁)が2006年4月24日にアップした
平成17年の犯罪情勢」という統計解説資料がある。
ここ10年ぐらいの犯罪率の統計が出ているので簡便だ。

「日本の治安悪化は神話である」
この仮説が正しいかどうか、を念頭において、
興味のある方は、犯罪率の統計を見ていただきたい。

book.JPG

明日のためのリーディング・タイムということで、
今夜は、おベンキョ中。

(つづく)

・・・・・・・
コメント更新情報
山本政務官は宅配おばさん?」なんだろうさん
日本政府、いつもの遠吠え」MENさん
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August 24, 2006 10:55 PM | コメント (10)

2006年08月23日

日本の治安は悪化しているか?:

昨日8月22日、一つの犯罪に関する調査が発表になった。

これは、龍谷大ロースクールの犯罪学教授浜井浩一さんが、
全国16歳以上の男女2000人をサンプルに行った調査なのだが、
なかなか興味を引く結果がでている。

2000年からの6年間で、犯罪被害率に大きな変化がない、という。
にもかかわらず、犯罪が増えたと感じる人の比率が、

   自分の住んでいる地域で   27.0%
   日本全体では        90.6%

という結果が出た。

自分の生活地点より、日本のどこかで治安が悪化していると
感じている人が多いことを示しているようだ。

またこの調査によると、たとえば暴力犯罪は、
警察が認知する刑法犯の約2%であるにもかかわらず、
人々の認識(感覚?)では、約38%ととらえ、
勘違いに近いほどの高い数字が出たというのだ。

調査をした浜井さんは、実証主義犯罪学者、
統計やアンケートなどの数字を元に仮説を立証するタイプの人で、
ある数年、犯罪白書の執筆も手がけている。

法務省の元官僚だから、ひょっとしたら、
しばしばあるように、警察に甘い人でないか、
という警戒は必要だろう。

浜井さんは次のような仮説をもっているようだ。

   「日本の治安悪化は神話であり、
   その神話は犯罪被害者によってもたらされた」

この仮説って正しいのだろうか。
すこし考えてみたい。

(つづく)

August 23, 2006 03:40 PM | コメント (8)

2006年08月22日

日本政府、いつもの遠吠え:

山中外務政務官が、今回の拿捕および銃撃事件で任務の目的としたことは、
4つあったと思う。

(1)遺体の引き取り
これは、しかし、政務官にしかできない仕事ではない。
そもそも日本側には大切な遺体であるが、
ロシア側は引き取っていただきたいと思っている預かりものである。
たやすく引き取らせてくれた。
交渉して持ち帰ったものではない。

もしロシア側が自己正当化するために必要な遺体であったならば、
(たとえば解剖をしてロシア側に重大な過失が明らかになるような場合)
決してこんなすんなりとは引き渡されなかっただろう。

(2)乗組員の家族からの預かり品を手渡すこと
渡してほしいと頼まれた品物は、衣類とか薬といったもので、
これらも、政務官でなければできない仕事ではない。
帯同した2名の外務省関係者でもできたことだ。

(3)ロシア国境警備局に対する抗議
「いかなる理由があっても、無防備の漁船に
発砲して乗組員を死に至らしめるようなことは
あってはならない」と抗議し、再発防止を求めたが、
これも、相手に言明するだけの仕事で、難しくない。
たいていはメモ片手に読めばすむものだろう。

以上三つは、十八史略で宋の太祖が言った

   様に依りて、葫蘆(ころ)を描くのみ

形どおりにひょうたんを描くくらい簡単な、
さしたる能力の必要が求められない実務と言える。

(4)拘束された乗組員の三名を一日でも早く連れて帰ること
これが一番難しく、一番大事なこと。

どんな職業にも技術がある。
技術にたけているかどうかが、その人の評価になる。
技術が宝であるし、それが無くては収入に結びつかないからだ。

では外交におきかえてみるとどうなるか。
その人の人脈、観察眼、歴史的認識、判断力、コミュニケーション力、
度胸、運の強さ・・・などあらゆる能力を総合した力が必要であることは
言うまでもない。

政務官になったからといって、外交術が身につくわけではない。
副大臣になったからといって、紛争国との交渉がうまくなるわけではない。

ある日刊紙は、厳しく、一方で馬鹿にして、
「御用聞き」という言葉で表現していたが、
私の表現では「宅配のおばさん」であったのが、山中政務官だ。

結局、現場トレーニングを積んでいなくても、
とりあえず派遣されて、とりあえず務まるのではないか。

外交にたける人は、理論と実践を積んで、外交の技を磨くものであることは
揺るぎのない認識だ。

この意味で、国後島のムネオハウスで、政務官の山中さんと面会した
三人の乗組員は、がっかりしたに違いない。
山中さんは、次のように報告した。

   (乗組員に)「何かございますか」と、お聞きしましたら、
   「何もございません」とおっしゃいました。

これでは、話にならないだろう。

この言葉は、乗組員自身が、自分が領海侵犯したから、そう言ったのか、
あるいは、政務官に失望したかはわからないが、
政務次官の服装、表情、雰囲気などから私は後の感じ方だと思う。

拘束されている彼らにしてみれば、
日本政府からどんな人が来て、一刻も早く自分達を助けてくれるのか
という期待感は間違いなくあったはずだ。

塩崎副大臣がモスクワへ出かけても、何の収穫もなかった。
塩崎さんに呼応して、山中さんの任務があるのだろうが、
だれでもできる仕事ではなく、一歩踏み出して、
その人物が能力を発揮して、外交で得点をとったという成果はでていない。

日本の外交のやり方を見て、常日頃から感じる希薄感は、
とりあえず、何かをして、それをもって、
仕事をしたという顔をされることである。

たとえば、厳しい会社生活で多くの営業マンが、
成果を獲得しないと、仕事をしたとみなされないことに比べると、
まさに「御用聞き」外交といわれても仕方がない。

型どおりの抗議をするためにわざわざ
モスクワへ出かけたのか、と言いたい。
棚上げしている北方領土問題の「解決」の糸口に
できなかったのか。
日本の漁民にとって、この事件が起こる以前よりも、
利益になる、しいては日本の利益になるような
鮮やかな、国民も喜ぶ利益を外交でもたらす・・・
そういったことができないのだろうか。

それが能力というものではないか。

一体、今までどれくらいパーティ外交をして、
高いワインを買いあさってきたのだろう。
パーティをすることが不要とまでは言うつもりはないが、
そのパーティでいかほどの現地人脈ができたのだろうか。

ファースト・ネームで呼び合える、
いざ!という時に、電話1本でコミュニケーションがとれる
という親密な関係を持つ外交コネクションを持つ人材は、
日本にいないのか。

ビジネスに置き換えて、日本の外交を見ると、
まるで子どもの使いのように見える。
山中政務官は、遺体を連れ帰ることが仕事だ
というコメンテーターがいるが、それは絶対間違いである。

彼女は、それ以上の仕事ができない。
できたら、するはずだ。
自分を強くアピールできることを拒む理由がないからだ。

せめて自分自身がここに残るから、3人を釈放してほしいと
ぐらいは言って、気迫や胆力を見せてほしいじゃないか。

このように考えれば、鈴木宗男さんや外務省のラスプーチンと呼ばれた
佐藤優さんの名前が浮かぶ。
このレベルの人たちが今、対露外交の舞台にいないということだろう。

花咲ガニを採りに出かけた「日本の領海」で
銃撃され、死亡した盛田さん。
問題をまた先送りすれば、同じような事件が再び起こるだろう。

北方領土はロシア帝国の侵略により獲得したものだ。
日本は朝鮮、台湾を戦後すぐに解放したが、
ロシアは今に至るも寸土(すんど)も返還していない。

千載一遇のチャンスにもかかわらず、
今回も北方領土は「日本の領土」であるという主張なしに、
北の海に向かって、犬の遠吠えを続ける日本政府である。

August 22, 2006 01:15 PM | コメント (29)

2006年08月21日

山中政務官は宅配おばさん?:

日本は外交ベタと言われている。
言われているだけでなく、改めてそうだと認めざるを得ない。

   もう一度言わせてほしい。

   へ、た、く、そ~ッ

たとえば、対北朝鮮や対中国の外交が成功しているとは
とても言えないのは、中学生でもわかることだ。

歴史教科書や靖国参拝への介入への対応、
瀋陽の日本領事館に北朝鮮難民が逃げ込んだ事件での主権侵害、
拉致問題の解決、ミサイル事件など、
相手に言われっぱなし、されっぱなしで、
日本国民の不満はつのるばかりである。

そして、このヘタクソ外交の流れは、
先日、北方領土の貝殻島近くの海域で、
北海道根室市の漁船が、旬の花咲ガニ漁をしていたところ、
ロシアの警備艇に拿捕(だほ)された事件にも続いている、と言える。

坂下船長を含め乗組員4名が拿捕され、
内ひとり、盛田光弘さん(35)が頭部を撃たれ死亡。
残る3名はロシア側に今も拘束されている。

記録を見ると、死者が出たのは、1956年以来、50年ぶり。
海上保安庁によれば、銃撃事件は、1950年以来39件。
また終戦翌年の1946年から拿捕された人は、
延べ9000人を超えるという数字がある。

日本側からすると、北方領土は日本の領土。
しかも事件が起きたのが、納沙布岬から4キロ足らずの近さだから、
漁民にとっては「わが家の庭」的感覚の場所。

hana.JPG

そして、獲物は花咲ガニ(写真)だった。
漁民は武装していないし、命まで奪うことはないだろう、
という強い気持が起きる。
変わり果てたご主人と無言の対面をした、
盛田光弘さんの妻・さとみさん(46)や
ご家族の心境を思うと、胸がつまってしまう。

だから、命を奪われた点を重くみて、
麻生外務大臣は、ロシア側に厳重抗議したし、
再発防止策と残る乗組員の早期解放を求めたのは当然だ。

一方・・・

ロシア側にしてみれば、自国のテリトリー。
許可区域外で違法操業をしていた日本の漁船に非があると、彼らは見る。
銃を使ったのは、彼ら沿岸警備隊員の仕事うちだろう。
日本の海上保安庁ならあそこまでやらないだろう、と日本人が思っても、
彼らは、日本人ではないのだから、彼らの行動基準でやる。

   領海に入れば、撃つ

天然資源で儲かる海だし、領土の歴史認識が違うから、
それぞれに言い分があり、だから緊張の海域となっている。

ロシアに怒りを感じると同時に、
現状を放置してきて、漁民に高いリスクを負わせている
日本政府にも充分、責任があるのは言うまでもない。

今回の事件はどんなふうに起きたのか。
非は、日本側とロシア側のどちらにあるのか。
それぞれの言い分がちがうが、どちらが正しいのか。

   真相は海だけが知っている

・・・と言ってみても、答えにならない。
結局当事者しか知らないし、事実認定は難しい。

真相を求めて、ロシア政府にきちんとした調査と詳しい説明を
出してくれるように日本政府が要求を出しているようだが、
自国に不利になるような報告書をロシア政府が提出するわけがない。

   じゃ、どうすればよいのか

このジレンマを解決するために、
日本の外務省が派遣したのが、政務官の山中あきこさん(60)だ。

この人

プロフィールや経歴を読んで、正直言って、

   参ったなあ
   マジかよ~

荷が重過ぎる、無理だな、とつい思ってしまった。

決して「女性である」という失望ではない。
たとえば、アメリカのライス長官を見ればわかるが、
あの力強さや貫禄、ブッシュさんからの信頼度は、
男性以上に見えるからだ。

今回、相手は、なにしろ大国主義のロシアなのだから、
それといい勝負のできる猛者外交官を選任してほしかったのは、
私だけではあるまい。

国後島にでかけた山中政務官は、
単なるお化粧した「宅配のおばさん」になってしまった。
緊急に駆けつけるという緊迫した時に、

   イヤリングをするヒマなんてないぞ~

と、細かいことまで言いたくなる。

で、彼女がやってくれたこと・・・

盛田さんの遺体を引き取り、根室に持ち帰ったこと。
国後島のムネオハウスで拘束されている3名に、
家族から頼まれた衣類や薬を届けたこと。

つまり、「宅配のおばさん」では、何の解決にもならなかったわけだ。

(つづき)

August 21, 2006 06:20 PM | コメント (8)

2006年08月19日

これでアナタも真人間(2):

第1話につづいて、別の事例を考えてみたい。

年齢が若すぎて、静かにものごとを考えて行動がとれず、ちょっと魔がさし、やってしまった・・・ということがある。

たとえば、悪さをするつもりで、高校生が仲間と自転車を盗んでつかまって、交番に突き出された、としよう。その後どんな風に、事態が進行していくのか、だいたい予想がつく。警察に送られ、簡単な取調べを受け、呼び出しを受けた親に引き取られる。息子の顔を見るなり、殴る親、「恥知らず」と叱る親、「うちの子に限って」という期待を裏切られて悲嘆する親、厳しい顔をしつつ、今夜のところは黙っている親、あるいは、子どものやったことをあえて正当化しようとする醜い態度を示す親などいろいろな対応を見せることだろう。

bicycle.JPG

高校生の方はといえば、自分のやった行為を犯罪と認識して、内心悪いことをしてしまったと反省する子がいる。内心悪いことをしていない、と思いつつも、うわべだけは、反省した表情で、ことを修めて、おりこうさんを装う子もいる。あるいは、内心だけでなく、外見もちっとも反省したそぶりを見せない子もいるだろう。この中で、おそらく一番深刻な問題として将来苦しむのは、軽い気持で、つい自転車(注:写真は本文とは無関係)を盗んでしまった高校生かも知れない。

彼は、人生の汚点に終生、後悔を抱き、この過ちは、人生の時々にフラッシュバックのように過去がよみがえるかも知れない。このような「気マジメな」彼は、どのように考えれば、仏教で救済されるのか。

仏は、悪をなすなかれ、多くの善を為すべし、さらばみずからのこころを浄めるといい、善をなすべしと勧める。究極の状態は、いかなる悪にも染まらない心を作ることなのだが、しかし、ここまで至るには大変な修行がいる。

ここで「悪」とは、仏教で言う殺生、盗み、邪淫、妄語、へつらい、悪口、両舌、貪り、怒り、邪見という「十悪業」のことで、この悪をまったくなさずに、人生を終える人はいないに違いない。窃盗という悪業をした高校生にとって、まず善行をなすことが一番てっとり早い、自己改革の道ということになる。

ただし、ここで新たな問題が生じてくる。それは、この善行をなして、過去をぬぐいたいという自分の欲望が我欲となるかどうかである。もし我欲であるなら、「空」の境地へ至ることをすすめる仏教と矛盾をしてしまう

行為としての善だって、打算や自己満足などをやはり含むけれど、常に善行をつづけることで、我欲を否定することをつづけていると理解できる。善行が我欲の毒消し的な働きをするわけだ。窃盗を犯した高校生が、将来に向かって、日々善行をつづけていくうちに、過去の犯罪を思い出すと、その事件すら、距離をもって静かに見ることが可能になるのである。過去を消せない以上、対象を眺める自分の目、心を変えることでしか方法がないということだ。

August 19, 2006 05:45 PM | コメント (6)

2006年08月18日

これでアナタも真人間(1):

空(くう)とは、何ものにも執着しない状態である。しかし、私たちは、この空がどういう状態を示しているのか、なかなか理解できない。

「空ではない」とは、何かに執着している状態であるから、心があるものに滞り、自由になっていないことはわかるだろう。空といっても、空しい、虚しい、空っぽという意味ではなく、我欲がない、固定した考えではない、形式的、形骸的、私物化していない、自由無碍に活作用をつづけている、といった状態を表している。

では、この空を私たちの生活に取り入れるにはどうすればよいのか。次のような事例を考えてみよう。

15歳のA少年がクラスで孤立感を持っている。自分の家の経済状態が少し苦しく、クラス全員が所有しているパーソナルコンピュータを買ってもらえないでいる。むろん学校の設備は利用できるが、友達が自分のコンピュータを持っているのを見るにつけ、うらやましく思える。この少年は、空(くう)へたどり着けるだろうか。

まず少年がコンピュータをほしいと思う気持から解放されないとしてみよう。次に何が起こるか。買えない理由は、家の経済状態に余裕が無いから。両親に無理を言えない。情けなく思うこともあるかも知れないし、経済的余裕のある親を持つ友達をうらやましく思うに違いない。不満が両親に向かい、当然、そんな風に見られた親は悲しく思うだろうし、場合によっては、他に優先順位の高い買物を後にして、コンピュータを子どものために買ってやることになるかも知れない。

アルバイトをすることもあるだろう。子どもだって、働くことの喜びを覚えることはとても大切ではあるが、この場合、年齢的にもまだそういうことより学習の方が大事であるから、勉強の時間を奪われて、成績の低下を招くおそれもある。

あまりにも欲しくて、コンピュータを盗むことがあるかも知れない。こうなると、もはや取り返しのつかない事態であり、「我欲」から解放されない子が、この結末に至る可能性があることを少しでも認識しておきたい。

一方、同じ15歳で、空(くう)を学ぼうとするB少年はどうか。彼がいきなり空の境地に達するのは無理だ。今、コンピュータを買うことが本当に必要なことかどうかをまず検討する必要がある。学校では、共用のコンピュータがあり、放課後や休み時間にそれを使うことは可能だ。

家に帰って使えない、という不満が少年の口から漏れるかも知れないが、少年は、コンピュータだけが生きる目的ではない。学校から帰宅後、家の手伝い、塾、食事、テレビ、ビデオ、ゲーム、お風呂、勉強などさまざまなタスクをしなければならない。そのため、たとえ自分だけのコンピュータを所有し、いつでも使える環境にいるけれど、今度は時間に余裕がない。

一方学校では、家でやっていることと同じようなことをすることもある。たとえば、友達とのボール遊び、読書、復習など。この比較的余裕のある時間を、コンピュータ操作に当てればよいのである。

おそらく、他の生徒がするように、だらだらとコンピュータを使うといったやり方ではなく、非常に効率的に操作していくことを覚えるだろう。

つまり空の練習は、自由に何をも自分の中に取り入れることになる。時間の観念、機転、アイディア、工夫・・・。人間が人間である証明とも言える頭脳を使って、生き方や生活を工夫していく。そして、自分の心の我欲から自分を解放させていく練習である。

コンピュータを買いたいと執着する少年と、買わなくても平気で、コンピュータを使いこなしていく少年との間には、空という考え方がどれだけ大きな働きをしているかがわかるだろう。


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August 18, 2006 06:25 PM | コメント (12)

2006年08月17日

気苦労耐えぬ母の手:

「女性の手」の写真を見て欲しい。

kougou.JPG

年齢を重ねていることはすぐわかる。
ツメも丁寧に切りそろえられ、
少し陽に焼けたようであり、
水仕事もいとわないようで、
力強さの中にふくよかさが感じられる。

決して、人工美ではない。
付けツメをしたり、マニュキアをほどこしたり、
華美さを押し付ける手ではまったくない。
どこにでも見られる、家庭を守る専業主婦のようでもある。

   これは、母の手のモデルと言ってもよいだろう

この写真を見て、誰の手なのか、お名前、わかりますか。

「続きを読む>>」をクリックする前に、
ちょっと考えてみてください。

kougou2.JPG

「美智子皇后陛下」である。

週刊文春8月10日のグラビアに、
皇后陛下が聖路加国際病院理事長の日野原重明さんと
話しておられるお写真が掲載されており、
日本の象徴である天皇の配偶者が、
このような手をしておられることを知って、
私は、すがすがしい驚きとともに感動を覚えた。

思えば、三人の宮さまをお育てになり、
公務の間には宮中四季折々の行事(お蚕のお世話を初めとする)をこなされ、
今上陛下のお見回りのお世話をされてこられた。

そして、いうまでもなく、外国との友好にも尽力なされた。

この手で握手を受けた人々は何を感じたのだろうか。

皇后陛下が、四人目のお孫さまとなるご親王を
この手でお抱きになる日も近い・・・。

・・・・・・・
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August 17, 2006 07:58 PM | コメント (10) | トラックバック (0)

2006年08月15日

予言されちゃってた日本の敗戦:

4月中旬に下記のように4回にわたって、
中国唐時代の予言集「推背図」(すいはいず)を紹介した。

そしてベビー日刊の解釈として、
驚愕!2013年中国が・・・」(4月14日)では、
中国が内部崩壊する驚くべき予言があることを述べた。

奇跡の中国経済は予言されていた!」(4月15日)では、
経済改革に辣腕を振るった元首相・朱鎔基さんの出現が
1300年以上昔の唐時代に予言されていたことを示した。

7年後中華人民共和国に内乱・・・」(4月16日)では、
2013~4年の辰巳の年に中国で内乱が起きる、
という解釈の記事を掲載した。

予言集「推背図」は、唐太宗の側近であった

   袁天罡(えんてんごう)さんと
   李淳風(りじゅんぷう)さん

の二人により、六二七年から六四八年の間になされたものだと
伝えられている。

ほとんどの予言が中国に関するものなのだけれど、
日本に関した予言が二つだけある。
一つは「太平洋戦争の大恥」(4月23日)で取り上げた
第45象の予言であり、あと一つは、今日取り上げる第39象だ。
この象では、1945年8月15日の日本の敗戦を予言している

   讖曰
   鳥無足       鳥に足無く
   山有月       山に月有り
   旭初升       旭(あさひ) 初めて升(のぼ)れば
   人都哭       人みな哭(な)く

   頌曰
   十二月中氣不和   十二月中氣 和(なご)やかならず
   南山有雀北山羅   南山に雀有り 北山に羅(あみ)あり
   一朝聽得金雞叫   一朝に金鶏叫(な)くのを聴けば
   大海沉沉日已過   大海は沈沈(ちんちん)として日すでに過(す)ぐ

39.gif

右絵を見ると、山の頂に一羽の鳥がいる。
夕陽か朝日かが、山裾の地平に見える。
本文の予言詩を読むと、朝日(旭)である。

まず讖(しん・予言の記録)から解釈していこう。

鳥に足無く、山に月有り、と書かれている。
鳥の字から、足を暗示する「灬」(れんが)をとり、
山の字を合成すると、「島」になる。
通説は、このように「島」の字の暗示だと解釈している。
しかし、この解釈では「月」が説明できない。

第一句と第二句の並び方は、並列的であり、
鳥と山は、並列、足と月も並列、
そして、「無い」も「有る」も、並列に扱われている点に注目すると、
やはり、「月」の意味がなくなる。

ただ「月」には「陰」の意味があり、
あえて、山に陰がある、と理解すると、
次の句の「旭 初めて升れば」と共鳴することになる。
すなわち、島があって、その島には山陰があった――と解釈できるのではないか。

通説でもこの島は日本のことであるから、
私の解釈では、日本はまだ注目されるほどの存在ではなく、
陰の存在であった――ということになるだろう。
そして、第三句、旭(あさひ)初めて升(のぼ)れば、とつづくことになる。

朝日が「初めて」昇ると、人みな哭(な)く、のである。
欧米の帝国主義・軍国主義にならう帝国日本の軍事行動が、
人々を泣かせることになる、という。
むろん、その行動は、「推背図」の舞台中国で行われたものをさす。
たとえば「三光作戦」と称するものだ。

三光作戦とは、中国語の

   焼光(焼き尽くす)
   略光(奪いつくす)
   殺光(殺しつくす)

からとっている。

頌(しょう・占いの言葉)の第一句では、
十二月中氣和(なご)やかならず、と言っている。
十二月に不安なことが起きているのである。
これは、日本による真珠湾攻撃のことをさしており、
太平洋戦争の勃発(ぼっぱつ)を、ここでは予言しているとみてよい。

南山に雀有り北山に羅(あみ)あり。
南山に雀がいて、北山に羅がある、という。
羅の字義は「網」(あみ)のことだ。
ここでは、雀ともども、一種のたとえだろう。

絵図では、鳥が山頂でにらみをきかせていた。
この鳥は、アメリカを象徴するのだろうか。
そう言えば、アメリカの国章はイーグル(鷲)だ。
朝日が、日本を象徴するならば、絵図では、日米の対比が、構図となるわけだ。

しかし、私は、この鳥を雀とみた上で、日本を象徴している、と解釈したい。
なぜなら、頌の第二句にある「雀」と呼応するからである。

一方、「推背図」研究家の鮑黎明氏は、
この「雀」を中国の成語から、日本を指すと解釈している。
そうすると、南山は、南洋の島々の山ということになり、
日本が南洋諸島を制圧したことをあらわしている。

北山は、北米を指し、したがって、そこにある網は、
アメリカによるもので、雀(日本)をその網で捕らえようというのだ。

このように解釈してくると、第三句・第四句が明らかになるだろう。

   一朝に金鶏叫くのを聴けば、
   大海は沈沈として日すでに過ぐ

この二行である。
鮑氏によると、一九四五年日本敗戦の年は、「乙酉」(きのととり)、
その八月は、「甲申」(きのえさる)に当たるという。
これを陰陽五行の「木火土金水」に当てはめると、
「酉」も「申」も「金」である。
よって、一九四五年八月を表現するときに、
「金鶏」という語句が生きてくるというのだ。

そういう一致は考えられようが、私は素直に、
「金鶏」を昭和天皇であると理解しようと思う。
「金」は極上な意味を持たせる冠(かんむり)だと考えれば、
鶏の中でも特別な存在となる。

「一朝に」は、「ある朝」と「予期せぬとき」の二つの解釈がある。
「ある朝」と解釈すれば、もし金鶏が叫(な)くことを、
一九四五年八月一五日の敗戦の「玉音放送」を寓意しているのであれば、
実際日本では正午の放送であり、「朝」ではない。

しかし、これは、唐の都・長安と日本とでは時差があり、
日本時間より一時間遅れているからであり、
実際は、午前一一時の放送であったから、
中国から見た場合、「朝」が正しい。
また「予期せぬとき」と理解していっこうにかまわない。

ある朝、人々は、天皇の敗戦の玉音放送を聞き、
わだつみの海に消えた人々に思いをはせ、
日本の命運はすでに終わったことを知るのである。

コメンテーターの皆さんは、絵図と漢詩とを呼応させ、
どのように新しい解釈をされるだろうか。

・・・・・・・
#ベビー日刊から皆様へのお願い#
 いつもご愛読いただいてありがとうございます。
 日刊スポーツホームページの「注目トピック」欄に、毎日「世界一小さい新聞」のタイトルが掲載されておりますが、明日16日より「注目トピック」欄にはタイトルを出さず、直にこちらに来ていただくことになります。「ブログ&コラム」および「インターネット連載」にはタイトルを載せます。
 面白く、斬新、するどい切り口でこれからも、できるだけ毎日記事を更新しますので、どうぞブック・マークをつけていただいて、ご愛読をお願いします。

August 15, 2006 06:10 PM | コメント (14)

2006年08月13日

僕の心はバンコク、体は甲子園:

夏の甲子園。

早実打線が炸裂して、1回戦の鶴崎工戦では13点を獲得。
昨日12日の大阪桐蔭戦との2回戦では、11点を挙げ、
実に24年ぶりの3回戦進出となった。
エースの斎藤がよい出来の上に、打線が強力だから当然の結果だろう。

この強力打線を引っ張っているのが、船橋悠くん。

しかし、彼は、深刻な事態の只中にいる。

koshien.JPG

7月30日、西東京大会で優勝を決めた日、
単身赴任していたお父さんの伸哉さん(46)が、
タイのバンコクで脳内出血を起し倒れた知らせが届いた。

お母さんの玲子さん(46)と兄・寛之さん(21)が、
急遽(きゅうきょ)、バンコクへ向かった。

甲子園の1回戦、2回戦と・・・
船橋悠くんは中心バッターとして活躍しているから、
バンコクではなく、日本にいることになる。

お父さんが入院するバンコクの病院に、家族と向かわなかった。
船橋くんの決断を私は尊重する。
それは、船橋家の問題であり、彼と早実の問題であるからだ。

しかし、バンコクか甲子園かという選択は、
形を変えて、私たちにも起こり得る選択であろうかと思う。

   人生とはいきなり選択を迫られるものだ

例えば、父親が病気になった。予断を許せぬかなり重い状態だ。
しかし、あなたは明日重要な仕事で渡米しないといけない。
どうする?

あるいは・・・

3年頑張ってきた入試の当日、母が脳梗塞で倒れ入院。
あなたはそれでも試験会場に向かうか。
親類の人が助けに来てくれ、「後はまかせなさい」と
言われたら、あなたは試験会場へ向かうか、それとも、
母親と一緒に救急車に乗るか。

とりわけ強調しておきたいことだが、
私は船橋くんを非難していないし、非難するつもりはないし、
彼の選択であって、私の選択ではない。

ただ・・・

誰にでも起こり得る、いはば一つの価値の選択、
それも人生にとって極めて重要な選択を
どんな風な基準や考えにもとづいてすればよいのかを
辛口のコメンテーターの皆さんと考えてみたい。

   バンコクに行くか、甲子園に行くか

船橋くんの選択はこの二者択一しかなかったのだろうか。

ほかに妥協案は考えられる。
8月はじめにバンコクへ向かい、父の容態が落ち着いたころ、
日本に帰国してチームに合流することはできた。
できたものの、彼が留守では打線が弱くなり、1回戦で敗れたかも知れない。
1回戦を彼抜きで勝っていれば、2回戦に彼も出場できただろう。

バンコクで看病する船橋くんとそのお父さんを
早実のナインが応援し、底力を発揮、
1回戦、2回戦突破・・・ということが起きたかもしれない。

あるいは、船橋くんは甲子園へ来たが、1回戦で敗れるということもあった。

こうしたシナリオは皆、2回戦突破の後、
過去を振り返って考えたシナリオである。

二者択一の選択は、一方を選んだら、もう一方を残せないのだ。
今回のケースでは、甲子園を選ぶと、バンコクへ行く事を
もはや優先できないことになる。

そうすると、選択をする基準を考えると、
その基準が好みとか利益とかの理由によるものなら、
選択した方を好んで選択したということだ。

実はAを選択したいのに、Bになったということも考えられる。
心理的にプレッシャーがかかり、自分の意思の自由を邪魔されて、
Bの選択をしなければならないという場合だ。

今回の場合、彼の選択は彼だけのものではないのかも分からない。
10年ぶりの出場、彼を含め優秀な選手が多く、
優勝も狙えそうな強力なチームに育っているのに、
ここで船橋くんが戦列を離脱するのは残念だ。

そんな風に船橋くんが思い、監督や選手たちが思ってもおかしくない。
彼にチームのプレシャーがかかり、
バンコクに行きたいが、甲子園に行かざるを得なかったのか。
そういう判断もなりたつだろうが、もはや、
その回答は船橋くんの心の中に踏み入らねばわからない。
また、アマチュア高校野球の選手には過酷すぎる状況だと思う。

お父さんの容態であるが、かなり悪いことは理解できる。
意識はあるが、会話が難しい状態であるという。

私は、脳出血の怖さを知っている。
手術、退院、リハビリ、後々の生活の厳しさを理解できる。

船橋くんはお父さんのもとに一刻も早く行きたいのか。
甲子園で優勝するまで頑張ってそれからバンコクへ向かいたいのか。

私たちは、船橋くんの選択した結果しか見るができない。

選択とは、自分が一番選択したいものである、と単純に考えてみると、
船橋くんは、お父さんのところへ向かうより、
甲子園に出て勝ちたかった・・・と思わざるをえない。

船橋くんの選択や考えを尊重した上で、

   私は頭を抱えてしまう

かつて、阪神優勝に大貢献したランディ・バース選手は、
子どもが病気という連絡が入ると、そそくさとアメリカへ帰った。
子どものこと以外、何も考えることがない。

これは、しばしば外国人選手に見られる行動だ。
妻の出産のためにでも、彼らは母国へ帰る。
実際、私の友人でも家族に何かあると、
そのことを優先してしまい、博士号の学位取得寸前でもそれを捨てたり、
大事にしていた仕事をいとも簡単にやめてしまうのを見てきた。

こういう事態になったら、
どういう行動をとるかをあらかじめ考えていたかのように、
実に素早く決断するのだ。

バンコクへ行くより、甲子園に残る方が
舟橋くんにとっては、価値があったことは間違いないだろう。

仮に自分が船橋くんの立場になったら、
という仮定はあまり意味がないかも知れない。
チームの中での彼の立場も実感でわからないし、
家族の絆の度合いもわからないし、お父さんの病状も正確にわからない。

ただ・・・

脳出血の怖さを知っていることで言えば、
私なら、母や兄と一緒にバンコクへ出かけたことだろう。
野球は、どこまで行っても野球であり、
命や家族以上に価値あるものとは、どうしても思えないからだ。

私が父であっても、すぐ子に来てもらいたいし、
私が子であっても、すぐ父に会いに行きたいと思い、
行動に移すことだろう。

あなたなら、どちらを選びますか?

・・・・・・・
#ベビー日刊から皆様へのお願い#
 いつもご愛読いただいてありがとうございます。
 日刊スポーツホームページの「注目トピック」欄に、毎日「世界一小さい新聞」のタイトルが掲載されておりますが、今月中旬より「注目トピック」欄にはタイトルを出さず、直にこちらに来ていただくことになります。「ブログ&コラム」および「インターネット連載」にはタイトルを載せます。
 面白く、斬新、するどい切り口でこれからも、毎日記事を更新しますので、どうぞブック・マークをつけていただいて、ご愛読をお願いします。

August 13, 2006 07:55 PM | コメント (48)

2006年08月12日

この3点セット、取扱い注意!:

日本人は、自己というものが弱い、と言われがちだ。

「個人」というものがしっかりしている西洋人は、
レストランでメニューを選択する時でも、
まず自分が何を飲みたいか、何を食べたいかを
はっきりというのが当たり前なのに、
日本人はしばしば、

   「あなたはどれにするの? 私、同じのでいいわ」

などと、ほかの人に同調してしまい、
どうも主体性というのが見えない。

そして、そうすることが人との潤滑油だと
思っているフシさえある。

個人がしっかりしていないから、個人を攻撃することも
個人が個人としての自分の責任を意識することも、
西洋人に比べると、消極的に思える。

   これは、日本語のせいではないか

というのが、本日の仮説である。

「私というものが、日本人には三通りあるようだ」
と言うと、ちょっと「何のこと?」と思うだろうが、
自分は自分だし、それ以外の自分が自分の中にあるはずがない。

でも・・・

多重人格というものがあり、自分の中に複数の人格があれば、
たとえば、Aという人格のときに、犯罪をおかした場合、
別のBという人格になっているその人に責任を問えるか?
・・・といった難しい話を今しているわけではない。

まったく多重人格と無関係かというとそうではなく、
私というものが、もし自分の中に三通りあれば、
やはり、責任があいまいになるということがあるのではないか。

この三通りとは:

   私、虫、気

例えば、あなたを好きではないことを日本語では三通りの言い方が可能である。

   (1)私、あなたが好きじゃない
   (2)あなたって虫の好かない人ね
   (3)あなたとは気が合わないみたいね

(1)の「私」は意思や感情を表す「主体」として理解できる。
ところが、(2)の虫は、「私」ではなく、「虫」が好まないのである。
「私」とは異なった存在があるわけだから、
「私」の責任はなく、「虫」の責任になる。

(3)の「気」は、心の状態のことだが、これも、
「私」とは違った言葉であり、
「気」という感情の状態が「私」とは別個の存在として、
私の中に生きている。
「私が合わない」と表現しないで、「気が合わない」と表現できる。
ここで主役は「私」ではなく、「気」である。

このようにある時は、「私」、
またある時は、「虫」、そしてある時は「気」が
それぞれ別個に人の内部に生じてしまうのでは、
責任が曖昧になるのは当然かも知れない。

いきなり人が怒り出し、それをとがめられたら、

   ちょっと虫の居所が悪かった

と言えば、「私」には罪がないという風に責任のがれをされてしまう。

子どもがわがままや癇癪(かんしゃく)を起せば、
その子どもに「虫が起きた」という表現で、
わがままや癇癪は「虫」が本人にさせたことになる。
(こういう子どもは大洗磯前神社で「虫切り神事」をしてもらえばいい)

わがままや癇癪を抑えるためには、「虫を殺す」ことが必要なら、
もはや責任を問われるのは「私」ではなく「虫」になってしまうのだ。

「私」があることをしたくなくても、
「気が進まない」と進まないのは「私」ではなく、
「気」のせいにすれば、自分の行為への責任は希薄になる。

責任が「私」「虫」「気」という三通りに還元できるのは、
メリットもある。
それは、集団の中で、もし失敗をした時など、

   あれは気のせい
   これは虫のせい

という風に、いったんは集団から離れそうになっても、
すぐ集団に復帰できる。
これは日本人のような集団的行動をしがちな人々には、
とても便利な装置として「気」や「虫」といった言葉が働いているようだ。


   ――参考文献:「しつけ ふぉるく叢書1」(原ひろ子・我妻洋)

・・・・・・・
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August 12, 2006 07:10 PM | コメント (18)

2006年08月11日

真夏の可愛いクソガキさま:

夏休みでどこにでも、ガキさまは出没する。

親がしつけをしないものだから、
しつけ糸がほつれたように、大人の空間が
子供によって侵食される現象が、あちこちで起きている。

平素はほとんど子供が来ない、おとな向けの静かなカフェに
仕事の打ち合わせで、私と編集者は入った。

注文をした飲み物が来るのを待っていて気づいたら、
周囲の人々がときどき一つの方向に、厳しい視線を送っている。

40過ぎの女性と小学3年ぐらいの男の子。
どうやら母子で、この男の子が騒がしいし、落ち着きがない。
騒がしいといっても並のレベルではない。
しかし、母親はまったく注意をしない。

椅子をはねるように立つと、
後ろに置いたデイバッグからプリントを出した。
母親がきちんと宿題ができているか入念にチェックしているらしい。
空いた別の席に座りに行ったり、
母親に、テレビの話を大きな声でしだしたり。
しまいには、ジュウタンの床でクロールを始め、
足をばたつかせる。

どうやら、この母子に対して、他の客はほとほと迷惑している様子である。
客は、午後の静かな時間をカフェで過ごしたい淑女たちで、
明らかに迷惑を感じつつも、母子の自主性にゆだねて、
いつか自分たちの愚かさに気づいてくれるように、
セキ払いをしたり、トイレに立ったりする。
また慣れないメンチをしきりに切っている人もいるが、
母子はぜんぜん気づきもしないし、知っていて知らんぷりか。

静かで落ち着いた空間がムチャクチャにされている。

もはや淑女たちの限界は明白である。

私はさりげなく、連れの編集者に言ってみた。

「フーリガンでやってみるか?」と私。
「映画・・・のアレやるんすか」と彼は飲み込みが早い。
「効果あると思うけど・・・いやなら私が・・・」
「いえいえ・・・私、行きます。もう頭は完全に激怒神社っすから」

彼はゆっくりと立ち上がり、
母子に近づくと、こう言った。

   失礼ですが、この可愛いクソガキさまのお母様っすか。
   他のお客様はみな、暑い夏の午後のひとときを静かに
   お茶とお菓子で語らいを楽しんでおられますので、
   なんとか、このクソガキさまをおとなしく
   イスに座られておいて下さいよ。

こういう頼み方をされるとは思わなかったのだろう、
母親は、ものすごく恐い顔で、編集者の方を完全に無視した。

従って、彼はもう一度頼まねばならなかった。

   私はこれから仕事で大事な打ち合わせをしなければならないんです。
   しかし、あなたの可愛いクソガキさまのおかげで、
   打ち合わせに集中できないのです。
   泳ぎたいなら、プールへお出かけくださいよ。それとも
   クソガキさまをソトに放り出したりしては、
   このお店に迷惑がかかりますが、どうなさいます?

私は、彼の言葉で母子たちが迷惑をかけていたことに気づき、
店にいる客たちにも丁重にわびることを期待したのだが、
そんな謙虚な人たちではなく、憮然とした顔で、居座り続けた。

母子がようやく去った途端、店内で予期せぬことが起きた。
客が一斉に編集者に感謝し、小さく拍手をした人もいたのだ。

   ありがとうございました!
   あの親子にはずっと迷惑をかけられて、
   もう本当においしい珈琲も台無し!
   でも、言えなくて・・・ああいうのは、
   あれだけのことを言ってやらないとわからないのよネ
   おかげでほんと落ち着きましたワ

異口同音の喜びの声を聞きながら、たったこれだけのことなのに
どうして母親は理解して「ごめんなさい」といえないのだろうか、
と思った。

友達感覚とゆとり教育の産物は、とりあえずなくなって、
静かな空間で、私たちや客は充実した時間を過ごすことができた。

彼は、3人の子供の、スマートなパパであることは、付け加えておこう。

August 11, 2006 07:10 PM | コメント (70)

2006年08月09日

義務を超えた「善の味」:

大学のある町に住んでいる。
その影響もあって、電車やバスに乗っている時に、
たまに、学生が驚くような自然な振る舞いで、
年配の人に席を譲るシーンを見かけることがある。

一方、多くの若者は電車の優先席を年配者や
体の具合の悪い方に譲るという社会的ルールを守らない。
目の前に老人や妊産婦がつらそうにつり革につかまって
立っている姿を見ながらも、
なお狸寝入りをして優先席に陣取っている姿は
日常の光景にさえなっている。

席を譲りたくないいろいろな理由が、彼ら側にもあるのだろう。

   ぼくだってアルバイトの帰りで疲れているんだ
   席を譲ると逆に老人とみなすのか、と怒られちゃってさー
   なんで見ず知らずの人に親切にしろって要求するの?

いずれにしても、席を譲らないわけである。

私がこれから話そうとしている中高校生や大学生は、
そうした優先席に陣取り、前に老人が来ると、
さっと席を替わる人たちのことではない。

通常、彼らが利用しても別に白い目で見られることもない席に座っていて、
老人の姿や身障者の姿を見た途端、
さっと・・・席を替わることができ、
その替わる姿が、まったく自然に行われた人のことを話しているのだ。

西洋の哲学に、カントの道徳的格律というものがある。

   「汝(なんじ)の意志の格律が、常に同時に、
   普遍的立法の原理として妥当しうるように、行為せよ」

自分の立てたルールでの行動は、
他のすべての人が従うルールとして通用するものでなくてはならない
と、いうことだ。

席を譲る学生は、老人に席を譲るというルールが、
他のすべての人が従うルールであることを認識している。

このすべては、老人が自分より席をゆずられるにふさわしい老人に
席を譲るということも、むろん含まれている。

しかし、このカントの道徳的格律は、自主自律ではあるが、

   義務

として道徳を考え、義務として善行を行うことを勧めている。

あくまで「義務」のカテゴリーでの行動なのだ。

では・・・

義務として席を譲るという気持を持たないで、
サッと、席を譲るということは有り得ないのだろうか。

時々、私が見かける学生たちの行動は、もはや
カントの道徳的格律を越えていると思えてならない。

これが、仏教でいう

   無我の実践

ではないだろうか。

義務として善行をしている限り、
そこには窮屈さがあり、こころから自由無碍(むげ)に発露する
善になりきっていないと言える。

無碍自在(むげじざい)の仏教の善行は、窮屈さから解放されており、
行う本人には、善を行っているという意識すらない。

   自然に善行をしないではいられない境地

にあってこその善行と言える。

他律的な義務によると、

   やりたくないけど、やらなくちゃならない

・・・といった心の葛藤や抵抗が残るが、
無我の実践による善行は、おこなわずにおれない心が
自然と動くのだ。

老人を見て、席をゆずる動きを自然にできる学生は
無我でそうできるのだろう。
ゆずる姿勢とゆずった後の、彼らの表情の自然さで
そのことを私たちは察知できる・・・。

これに似た経験は、仏教国でもない英国の地方都市でもあった。
若者が年長者や妊婦や体の不自由な人に席をゆずるという行為は、
もう完全に当たり前のことであって、むしろ
ゆずらないことは、マナー知らずのレベルの低い人間とみなされていた。

ひょっとしたら・・・

   義務によらない善行というのは、
   単に親の「しつけ」にすぎないのかも知れない。

関連記事
彼は無形文化財化する高校生」(7月23日付)

・・・・・・・
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August 9, 2006 07:55 PM | コメント (35)

2006年08月08日

あの頃のビキニ物語:

女性なら思うだろう。夏はオシャレにビキニを着こなしたい、と。この小憎たらしい小さな布片が、なぜ世界中の女性に受け入れられているのかをお話してみよう。

ビキニは、60年前の1946年7月5日に発明された。ワンピースの水着をトップ(胸の部分)とボトム(腰の部分)に分けるセパレーツ式は、1940年代に、へそを覆ったボトムの水着としてようやく定着していた。ここにいきなりビキニが出現したものだから、人々は驚いたに違いない。

発明した人は、きっちりフランス人のルイ・リードさん。やっぱりなあ~。この人は元クルマの技術者で、自分の母親が経営するランジェリー会社を手伝っているうちに思いついたらしい。そりゃそうだろう、クルマを触っている間に女性ものを思いつくのも有りそうな話だもん。

リードさんは、ナチスの占領が終わった後の解放感で満ち溢れる地中海の保養地でセパレーツの水着姿を見ているうちにこう思った。「この布切れをもっと小さくして、太陽の光を浴びれば、うっとうしかった戦争を忘れ、もっと開放的になれるんじゃないか」と。そこでアメリカ合衆国が原爆のテストをした、一つの環礁名にちなんで名づけられた小さな商品への発想へと向かったわけだ。ビキニは基本的に胸の部分が二つの三角形の布、腰の部分が前と後ろに二つの布という構成になっている。

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リードさんは、なんとフランスの公営プールでファッションショーを開いて、この小さな発明品を初公開することにした。ところが困ったことに、肝心のビキニを着るモデルが見つからない。あの頃の女性たちには、今では想像もできないほどの羞恥心があって、お断り。そこでリードさんは、ストリッパーのミシェリン・ベルナーディニ(写真)さんにお願いした。これとだいたい同じ時期に、ジャック・エイムさんが、「世界一小さい新聞」ではなく「世界一小さい水着」と称して「アトム」という商品を紹介している。同じようなことは起きるのね。

ビキニはこうしてデビューしたが、予想どおり「守旧派」から反発があった。フランスはさておいても、イタリアやスペインの当局はツーリストがビキニを着ることを禁止した。アメリカのファッション業界も困惑。たとえば1957年の「モダン・ガール」誌には「いわゆるビキニに言葉を尽くす必要はほどんどないよ。だって賢くて気品のある女性がこんなものを着るなんて考えられないもん」なんて書かれていた。アメリカ女性はオーソドックスな水着が相変わらずお気に入りだった。

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その点、フランスは進んでいる。「この水着はセックスを連想させるものじゃない。かわりに自由の謳歌と生の喜びの回帰である」と哲学好きなフランス人らしい文章も雑誌に載るようになった。でも、ビキニをこれだけ流行らせるキッカケを作った人が女優のブリジッド・バルドーであることを忘れてはならない。腰の布部をぐんと下げ、胸の部分もできるだけ小さくして挑発的にスクリーンに登場したものだから、たちまち人気が沸騰。「セックス子猫」のペルソナ