2006年04月30日

転職したいなあ:

近年、就職しても1日(!)から数年でやめる若者が30%を超えるという。

最大の理由は、「こんなはずじゃなかった」という現実とのギャップだ。

実際に仕事をしてみて、自分がしたいこと・できることが、
就職前の期待とは違っていた。
自分がここまで環境適応できないとは思いもしなかった。

   つらいから、やめちゃえ・・・

こういう流れの人が多い。
軽い仕事を含めれば、仕事など五万とあるから
(情報交換のためのケータイは必須アイテムね)
そういう耐久性のなさを理由にあげるのだろうが・・・。

一言で言ってしまうと、

   軟弱
   読みが甘い

そして、転職して、ようやく探し当てた仕事を見ると、

   やめた仕事とどう違うの?

と思える、転職先の職種が多い。

30%以上の離職率は、そういう意味でも、私には納得できる。
本ブロッグでも取り上げたが、最近の若者は挨拶を大切に考えていない。

挨拶は社会との接点でのコミュニケーションの基本の基本だ。
極端なことを言えば、その基本の基本ができていないということ。
そして、幼年期から大学を卒業するまで、
多くの学生は、単なる「仲間内」の仲間内による仲間内言葉での
コミュニケーションを行うだけだ。

第一、一番身近にいる大人――両親、祖父母、親戚、近所の人々と
会話をほとんどしないので、大人にもまれていない。

社会に生きているように見えて、
社会の中で人々との接触の機会が極めて少ない。
現実から離れた環境で育ったものだから、
実際に現実に直面(就職するということ)すると、
不適応が自分に一気に襲いかかってくる。

だから、あわてて、自分が適応できる仕事を探すはめになるわけだ。

会社の現実は矛盾に満ちており、
さまざまな点で齟齬(そご)を生じる存在であり、しばしば反倫理的であり、
感情を逆なですることは、日常茶飯で出現する。
現実離れした期待は充足し得ないものであると、事実を認識してこそ、
その苦悩から解放されるということがわからないようだ。

今までの自分には与えられるものばかりであったが、
就職することで、自分で選択しなければならないことばかりで戸惑った、
という離職者の声があった。

これは、非常に言い得ていると思う。

一般に言えることだが、人が生きる技術に失敗するのは、
よい生活を営みたいという意思を持たないからではなく、
人々は自覚して、いつわかれ道にさしかかったとき、
適切な選択ができない、つまり意思決定の見通しが立たないからだ。

過去の人生、その都度の道の選択を間違えてきたのでは、
その間違えた道にいちいち戻り、あらたにエネルギーや時間を使うわけにはいかない。

人生は、2本の道を同時に歩くことはできない。
あの時、あっちの道へ行っておけばよかった、という後悔は先にたたない。
だから、意思決定、選択が重要になり、それがきちんとできるように
訓練するのが、成長ということになると思う。

しかし、それができないと、
結局、自分がわからない・・・という結論に達してしまう。

今、いろいろなアンケートの回答で、顕著(けんちょ)に見られる傾向は、
「わからない」「どちらともいえない」という曖昧な回答が増えているということだ。

現実的可能性に立脚して、判断すれば、二者択一は可能であろう。
しかし、選択能力が低下していては、「わからない」というしかない。
卑俗な言い方をすると、

   社会経験が乏しく、幼い

国をあげて、若者をもっと鍛えねばならない。

April 30, 2006 12:36 PM | コメント (11) | トラックバック (0)

2006年04月29日

清原選手の筏(いかだ):

清原選手が苦悩し、顔施(がんせ)が消えた。

私は、4月9日に、彼は顔施を与える人で、
そのことで、チームを明るくし、一味違うチームにできると書いた。

顔施、正確には「和顔施」、お布施の一つで、
人々の心を変える「笑顔」である。

思えば、移籍してからの清原選手の周囲には笑顔が溢れていた。
野球環境として、申し分のない時間が流れていた。
夫人のバース・デイに放った、移籍第一号・・・。

196の痛み

しかし、あのデッド・ボールで一変、
彼は苦悩の中にたたきこまれ、「故意」や「当ててもかまへん」と
いう気構えで死球を投げてくる投手に対して
乱闘予告をしてしまった。

ぶつけた投手が危険球退場の処分を受けるだけに対して、
標的にされた選手は、場合によっては、選手生命に関わることにさえなる。

清原選手は89年に投手にバットを投げつけたことを反省し、
以後18年にわたりいかなる死球にも耐えてきたという。
しかし去年巨人で頭部死球のせいで、打撃フォームを崩し、
調子を崩されてしまった。
死球の数も196で、史上最多である。

言葉を変えれば、彼が耐えてきた期間、
何も状況は変わらなかったといっても良い。
死球被害者の痛みは彼らの痛みだけだと思っていたわけだ。

「故意」で死球を投げてくる投手は、見ていて分かる、と清原選手はいう。
しかし「故意」か「偶然」かは、投手の心の中を見なければならない点に、
審判が判定を下すことの難しさがある。

しかし、死球を故意に投げる不埒な投手の心を抑制できる策はあるはずだ。
選手会の幹部が上部組織に働きかけてみてはどうだろう。
死球とその後遺症に悩む清原選手や、すでに選手生命を絶たれた選手を思うと、
このままにしておくことは、道義的にも、問題があるのではないか。

その清原選手である。

今朝の日刊スポーツで、自ら登録抹消を申し出たことを知った。
私は、彼が、「乱闘予告」をしたとき、
どんどんぬかるみに入るなあ・・・と恐れた。

彼の心の中には、いろいろな人がいる。
それが良い意味でも悪い意味でも、彼の心を束縛している。

たとえば、亡き仰木監督。
精神的支えになっていることは、
「手も足も、そして”心”の部分もしっかり治したい。
神様、仰木さんがそういう時間をくれたと思う」
という発言でもわかる。

そして、負の意味では、巨人の桑田投手。
今回清原選手の自らの登録抹消には、
桑田選手が同じ時期、登録抹消したことに、呼応しているに違いない。

さらに家族やファン、そしてチームメイト、監督。
彼の中で、大事に思うものがうずまいて、
彼の行動に無理をさせてきたのではないか。

抹消期間最短10日で、チームにもどれるように、
リハビリとトレーニングをするという。

我執から離れること

仏教の教えは、これをも「我執」「欲」に分類している。
色即是空という教えの「空」(くう)は、
何ものにも執着しないことだ。
執着し、滞(とどこお)る時は、生命の流れはとまる。
前に発展するには、空の力を借りねばならないのだ。

仏教では、それは法といい、つまり真・善・聖などの理念だが、
執着から離れた自由な基準のことである。

変な言い方かも知れないが、
今、心の中にある大事なものから離れて(仏教では「捨てる」という)、
空を活用するしか、彼には解決はないように思う。

raft.bmp

このことに関して、仏教には有名な教えがある。
原始経典「中部経」22の「蛇喩経」の中にある、

   筏の喩え(いかだのたとえ)

が、それだ。

ある人が大河の前に立ち尽くしている。
こちらの岸は危険であり、むこうの岸は安全である。
だから渡らねばならない。
渡らせてくれる船も小舟もない。
その人はワラや薪(たきぎ)を寄せ集めて、ようやく筏(いかだ)を作る。
そして手を使い、足を使い、対岸に命がけで渡ることができた。

仏は弟子に、「では、その男は筏をどのように取り扱うのが正しいか」と聞く。

筏は男にとって「大恩人」だ。
これがあってこそ、自分は助かった。
だから、この筏をアタマにのせ、または肩にかついで、
目的地へ出発する。

これが正しい扱いと言えるか・・・と仏は問う。

ただしい取扱いというのは、筏を陸に捨てておくか、
水中に浮かべて残しておき(誰かのために残しておく)、
自分は目的の場所へ出発することではないか。

仏は、筏のたとえを使い、最後には、
仏の道を教える弟子たちに、「教法」さえも捨てることをすすめる。
「教法」を捨てられたら、むろん「非法」を捨てることができ、
「空」の境地で、束縛なく自由に行動できると言うのだ。

精神が解放された以上、
この境地では、体も自由に動くようになる。
自力治癒力でリハビリも思うがままだ。

私たちの日常でも、精神のこわばりの解決が必要だ。
ストレスで首が動かなくなったり、突然声が出なくなったりすることを、
思い浮かべたらよいのではないか。
心と体が直結していることがわかる。

かけがえのないもの、家族、ファン、チーム、仰木監督などすべてが
執着の元であるという仏の考えは、かなり反発を招くものだ。
しかし、この執着の元が、彼をして、乱闘予告を生み、
苦悩を生んできたのは明らかだ。

    「頑張って治して必ず役に立とうと思っている」

清原選手は今、一番仏の教えに近いところ、
人生を考えるに最適な位置にいると思う。

ぜひ治療に専念して、もう一度、私たちにあの「顔施」を見せてください。

April 29, 2006 01:23 PM | コメント (17) | トラックバック (0)

2006年04月28日

3億円ドアが開いた理由:

昨日4月27日夜、ホリエモンが、94日ぶりに、
3億円の保釈保証金を積んで、東京拘置所のドアを開けた。

証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載など)の容疑で起訴され、
容疑を否認していると伝えられるにもかかわらず、保釈された。
これは異例のことだ。
異例というのは、通常では認められていないということ。

   人質司法

と呼ばれる司法批判がある。
これは、容疑者はすぐに逮捕・勾留という身柄拘束されると、
自白するまで保釈を認めないという捜査のやり方の批判だ。

警察の中の代用監獄、誘導尋問、厳しい尋問、接見禁止など
の弊害で、早く釈放されたいために、
少なくない被疑者が、事実がないのに、
また事実を曲げて、ウソの自白をしてしまうことになる。
軽微な罪ではありふれて行われていることだと容易に想像できるし、
氷山の一角はときどき警告的に新聞記事に登場する。

たとえば、アメリカでは起訴前が普通なのに、
日本で保釈が許されるのは、起訴後だ。
アメリカは、日本に比べ、勾留期間もはるかに短いし、
「推定無罪の原則」に基づく人権意識がつよいからである。
これは、日本の一般国民が、「推定無罪」の概念に明るくなく、
被疑者に懲罰を求める感情が強いからである。
また保釈を認めるかどうか判断する裁判所が、
保釈に反対する検察に対する信頼が厚く、一方、
被疑者への嫌悪感を強くもっているからだ。

しかし、長期間拘置所に勾留しておくことは、弊害が多すぎる。

被告人は職場を首になり、会社経営者は会社を、
自営業者は店を倒産させかねない。
家族への弊害も大きく、離婚とか子供の激しい環境変化といった
社会問題にもなり得る。

起訴事実を否認するとされるホリエモンは、しかし、
初公判前に保釈になった。

   なぜか。

第一に、裁判所の世間受けする一種のポーズではないか。
捜査段階ですでに自白しているのに、
第一回公判までは「証拠隠滅の懼れ」があるというので、
保釈が認められないのが一般だ。
しかし、社会的地位のある人や著名人の場合、
一般人よりも認められやすい、というのが現場の声だ。
裁判所は人権に配慮しているぞ、と世間にアッピールするのである。
マスコミのかっこうのネタになるだろうから、
その効果はあるかも知れない。

第二の理由は、近年の訴訟手続へのダイナミックな司法改革の
一貫にのっていることだ。
昨年から「公判前整理手続」が導入されている。
これは、争いのある事件の審理促進を狙った制度なのだが、
保釈の手段に使える、という。

整理手続を使い、検察官請求証拠について証拠決定を終了させてしまえば、
保釈決定の一番ネックになる「罪証隠滅のおそれ」がほとんどなくなり、
裁判官によっては、保釈決定に傾くことになる。

今回のケースは、上二つの理由が重なって、
裁判所は保釈決定を下したと見ることができそうだ。

April 28, 2006 11:02 AM | コメント (10) | トラックバック (0)

2006年04月27日

バラエティの現場では・・・:

大阪へ転勤二年目のTVディレクターが早めの休みをとって
東京へ戻ってきた。

新幹線で3時間足らずなのに、視聴者の違いって
こうもはっきり分かれるとは、
あの空気に慣れるまでちょっと戸惑ったよ、と言う。

彼は、大阪と東京の両方のバラエティ製作を経験している。
はっきり言って、東京と大阪では全く考え方が違うなあ、とのことである。

「どう違うの?」

「東京はすべて作り物だな。大阪はすべてノンフィクション」

「作り物とノンフィクション?」

「うん。東京はすべて作り物だけに、
ネタ出しから、すごく緻密に計算し、
台本を作り、仕込みに関してもぬかりなく・・・」

「なるほど」

「すべて台本通りにロケが進み、
台本通りに編集し、OAされるんだ」

「それじゃ、まるで皆様のNHKじゃないか」

「ある意味、やりやすいわけで、
こちらもハラハラしないで済むし、
演者もコントの一つとして安心してノッて演じられる」

「で・・・大阪は?」

「大阪の視聴者はね、すべて素(す)のリアクションでないと受けないんだ」

「素のリアクション?」

「だからさ、台本はあって無いようなもの。
現場の流れでころころ変わり、
現場の流れでオチに向かうんだ」

「それで、時間内に対応できるのかい?」

「たとえば、クイズ番組なら、提示問題は現場で変わることはないのだけど、
その他は台本どおりにはいかない。
逆にスタッフ自体も台本通りに淡々と進むと面白くないのだ」

「だったら、悪乗りってことも・・・」

「ただ、結局おかしな方向にいってしまって、
収拾がつかなくなったりする事もあるけど」

「ハプニングというやつだな。
時々見る方が、つらいほど、きつい突っ込みがあるよな」

「どっちのやり方が正しいというんじゃないんだ。
ただ、タレントが安心するのは東京スタイルだなあ。
逆におもしろがられるのは大阪スタイルと言えるかも」

で・・・名古屋ってどうなんだろうなあ?

April 27, 2006 10:13 AM | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年04月26日

ボクはママに抱かれたかった:

ゴールデン・ウイークの過ごし方にもいろいろある。

ちょっとリッチに海外旅行。
あるいは近場でショッピング、お食事、
そして、家でごろ寝に、テレビ三昧。

しかし、一部の女性は、この休みをどう利用するか。

体をいじるという点では共通しているが、一つは、

   美容整形

まあ、これは罪でも何でもなく、好みの問題だと思えるので、
止められないだろう。

問題は、二つ目である。

   人工妊娠中絶手術

これはやめた方がいいだろう。
母体を傷つけ、後で精神的トラウマになるし、
いいことはないだろう。

ここ数年、日本の年間人工中絶数は30万台。
そして、未成年による数は増えている。
闇の手続を含めると、生まれる世代の半分が流されているという。

アメリカでも、写真のマーク君(19-22週)は思っただろう。

   ボクは生まれたかった。
     ママに抱かれたかった。
       パパにも会いたかった。

(体の傷をみてほしい)

Baby Mark.JPG

少子化という言葉は、子供が少ないという意味だけでなく、
子供が中絶の手続で抹殺されているという意味を持つ。

2-3割減らし、子供を育てたいという気持をもってもらうことで、
少子化問題はかなり和らぐのではないか。

ところで、分かりきっていることだが、
中絶手術の折に、胎児は、体を傷つけられている。


だから、こういう疑問が起きる。

   胎児は、痛みを感じることができるのだろうか。

もし少しでも苦痛を感じるのであれば、
あの恐ろしい手術のとき、せめて苦痛を除去してあげないといけない。

そう、「せめて」である。

将来ヒトであっても、今現在はヒトではないという
道徳人格のカテゴリー問題は抜きにして、
現にホモサピエンスの子供なわけであるから、
苦痛への配慮は当然のことであろう。

妊娠中絶の90%は、妊娠13週目以前におこなわれている。
その期間の中絶ならば、胎児は苦痛を感じることはないとされており、
胎児自体に麻酔をかけることはされない。
さらに、それ以降の中絶可能な13-24週目の手術においても、
胎児たちに麻酔をかけることはされない。

英国デイリー・テレグラフ紙の科学専門のロジャー・ハイフィールド記者は、
この問題に関心をもち、何本か記事を発表している。
一つの記事では、英国政府の調査をとりあげ、
胎児は妊娠24週までに痛みを感じるという報告をのせている。
調査をしたジョンストーン教授によれば、
直接胎児に傷をつけて検査する場合は細心の注意をしなければならないそうだ。

そもそもいつ胎児が痛みを感じるようになるかについては、統一見解がなく、
20週目までに痛みを感じる例もあるという。
別の記事で、ヴィヴェッテ・グローヴァー教授は、
「17週から24週の胎児を中絶する場合は、麻酔を使用するべきである」
と警告している。

ハイフィールド記者の記事で使われている資料では、
妊娠21週目以降に中絶をされた胎児が、
中絶のさいに泣き叫ぶのが観察されたという報告もあったそうだ。
すでに妊娠13週目に胎児に痛みを感じる能力が備わっていると主張する医師もいる。

いうまでもないが、胎児の体は発達途上にあるから、当然だ。
その脳や神経システムも発達途上にある。
胎児が、痛みを感じる能力がないという結論は、
胎児の体の機能と比較して、
「皮質」と「視床」の間の神経接続が発達していないゆえに、
痛みを感じないからだそうだが、
痛みを感じるのか・感じないのか、専門家の間でも答えの出ない問題であるから、
こうしたあいまいさを残す以上、
麻酔の使用を認めるべきではないかという見解が優勢だ。

人工中絶は、子供を滅した上に、母体だけでなく、心にも傷をつけることだから、
安易な理由では行うべきではない。

一人でも思いとどまってくれる、そうなれば、この記事を載せた甲斐がある。

April 26, 2006 11:21 AM | コメント (42) | トラックバック (0)

2006年04月25日

仲の悪い食べ物たち:

一緒に食べると、食材の取り合わせが悪いという迷信的伝承に、
食い合わせと云われるものがある。

食に関した伝承なので、「悪い」とは、消化に害を及ぼすという、
食材の組み合わせのことだ。
科学的根拠にとぼしいかも知れないが、やはり気になる。
中国から伝わった陰陽五行思想を日本人が食に応用したものと言われている。

kuiawase.bmp

たとえば、ウナギに梅干は、一般的。
なぜ仲の悪い食べ物同士かというと、
脂っこいウナギに梅干の強い酸味が刺激して、
消化不良を起こす原因となるからだ。
つまり胃腸が弱っているときに、
高い脂肪分と強い酸味を含むものの組み合わせは医学的意味合いで注意を要するのだ。
だから、写真にあるように、ウナギに酢も食い合わせか。

カニに柿はどうか。
この組み合わせは、カニは昔から傷みやすいと言われ、
食中毒をを起こしやすいし、柿は消化が悪いと言われる。
しかし、新鮮なもの、量を適度にとれば、
たいていの組み合わせは問題はないようだ。
他には、タコに梅、タコに柿、鮎にごぼう、アサリにまつたけ、
こわ飯にフグ、タコにワラビ、天ぷらにスイカなど。
これらはたぶん知っている人も多いでしょうが。

一方、現代に新しい食い合わせが登場してきている。
栄養素の吸収作用からみた食い合わせの重視である。
相殺効果を招くのだ。

たとえば、ハムやソーセージなどの加工食品とカルシウム食品の組み合わせは、
加工食品に含まれる防腐剤や凝固剤としてのリン酸塩が、
カルシウムを吸収できないようにして、
体内で結合して体外への排出の促進をしてしまう。
カルシウムと食物繊維の組み合わせは、
食物繊維がカルシウムを吸着して体外へ排出するそうだ。

従って、ダイエットで両方を同時にとっている女性は注意を要する。
鉄とタンニンの組み合わせでは、
吸収されにくい栄養素の鉄は、タンニンをとり過ぎると、
さらに吸収しにくくなる。
具体的には、食事をしながら、タンニンの多い緑茶、コーヒー、
紅茶の飲みすぎはよくないし、
鉄分の豊富な昆布を緑茶で呑むのは避けたい。
この意味では、貧血予防に鉄分が豊富なマグロを食する人は、
濃いお茶を飲みすぎることは、感心しない。

あまり深く考えずに毎日食事をとっている場合が多いが、
ちょっとこんなことにも関心を持つのも悪くないでしょう。

April 25, 2006 09:44 AM | コメント (6) | トラックバック (0)

2006年04月24日

千葉7区はオミズ道に負けた!:

(斎藤健さん当選の原稿を用意していたので、
急遽差し替えを余儀なくされ、遅くなりました)

昨日4月23日の衆院千葉7区補選は、文字通り補選にすぎないのだが、
時代を反映しているように思った。

選挙間近に、

   「元キャバ嬢」VS「東大・ハーバード大卒キャリア組

などと週刊誌に見出しが踊っていた。

ここ数年、私が感じているのは、

   日本ってオミズ化しているなあ

ということである。

たとえば・・・結婚式にスリップドレスを着て、
素足にミュールを履いて、茶髪でもOKである。

女子大生は、タンクトップでミニスカート、ネイルアートの付けツメして、
ブランド・バッグ、男子は「イケメン」ホストでアルバイト、
テキストブックを持たずに、どこへ行くつもり?

主婦は、風俗でのアルバイト、ホスト遊び・・・。

そして今回「元キャバ嬢」。
この「キャリア」に関しては、本人は恥ずかしげもなく認めた。
「キャバ」の正確な定義は知らないが、
普通の主婦なら、自分の夫に「行ってほしくない場所」であることは間違いないだろう。
家庭内トラブルの元にもなるだろう。

ショート・風俗キャリアであろうが、
本人の意識の中に、肯定するものが根強い以上、
この意識に支配されて、永田町へ行くだろう。

選挙活動として、自転車で回る姿を見て、

   「可愛いね」

という声が聞かれていた。
フェロモン効果だろう。

普通なんの関係もない若い女性の手など触れるはずもない。
しかしこの選挙期間中は、

   「がんばってね」

と言えば、肩を叩こうが、手を握ろうが、
一緒に写真を写そうが、許される至福の時にいられたのであろう。

それはかつて、自分たちのパートナーが
「ヨン様」を追っかけていたことに似ている。

ある調査によれば、30代から60代の男性に
圧倒的に彼女は支持されていたという。

そういうレベルではなく、
斎藤健さんとの政策論争を聞いてみたかった。

当選の挨拶を聞いたが、古株議員の手垢のついた、
カンニングペーパーどおりの言葉で、何の新鮮さもなかった。

かつて民主党には、2002年に殺された石井紘基さんほどの逸材がいたが、
4年で隔世の感がある。

そして、また子供が余計な、知らなくてもよい言葉を
覚えてしまった。

   「キャバ嬢ってなーに?」

千葉7区の人は、どう答えるのだろうか。

April 24, 2006 11:59 AM | コメント (47) | トラックバック (0)

2006年04月23日

太平洋戦争の大恥:

一部の読者から「推背図」をもう少し取り上げてほしい
という強い要望がありましたので、
第45象について解釈を試みました。
日本人に忘れがたい歴史的事象を語っていると思えるからです。

第45象は次のように書かれています。

腑に落ちる解釈かどうか

45.gif

   讖曰
   有客西來       客有りて西より来る
   至東而止       東に至って止まらん
   木火金水       土無し
   洗此大恥       この大恥(だいち)を洗わん

   頌曰
   炎運宏開世界同    炎運は宏開して世界は同じ
   金烏隱匿白洋中    金烏(きんう)は白洋中に隠匿され
   從此不敢稱雄長    これより敢えて雄長(ゆうちょう)を称(とな)えず
   兵氣全消運已終    兵気はすべて消えすでに終わる

絵図を見ると、太陽に向かい、二人の男が、槍(やり)を構えている。
1984年に発売された「推背図」関連の著書の著者は、
この45番目の象を1988年9月、第三次世界大戦が海上で勃発する、
と解釈してしまった。むろん、予言解釈は外れている。

そして次の新版では、
「湾岸戦争の勃発と東西冷戦の終結を鮮やかに予言!」
と、変更した解釈を提示している。

私は彼の解釈の失敗をあげつらっているのではなく、
このように予言解釈は、そして、とりわけ
まだ起きていないことの予言の解釈の場合、難しい・・・
ということを言いたいのである。

第45象について、私の解釈は、まったく異なる。
予言詩を一読すると、まず象の順番に違和感を覚えるはずだ。
「推背図」は、全部で60象あり、ひとつの前提として、
私たちは、歴史で起きた事件を順番に予言していると思い込んでいる。

しかし、長い期間に伝承されてきた以上、
実際、いくつかの象で、時代的に前後するものがあった。
この第45象の場合、間違って、この位置に入れられてしまった、
というのが私の推理である。
そうとしか考えられないほど、戦前のある史実を表しているからである。

例によって、予言詩に素人訳をつけてみたい。

   讖の予言はいう。
   客があり、その客は西の方角から来た。
   西から東へきて、止まってしまった。
   土がない。

   頌の予言はいう。
   炎が広く開かれ、世界は同じになった。
   太陽は、海の中に隠された。
   これよりあえて覇を称えることはしない。
   戦う気力はすべて消滅し、すでに終わった。

讖の予言詩から見ていくと、まずひっかかるのが、
「客有りて西より来る」の「客」とは誰か、
「西」とは、どこを基準にしての「西」に当たるのか、だ。

次に、東に至って止まらん、と予言は言う。
西から東へきて、止まってしまったのだ。
しかし、何が止まってしまったのか、が明らかではない。

土のない状況とは?

第三句に「木火金水」とある。これは何か? 
もし五行(木火土金水)のことを言うのならば、「土」がない。

私は、「土無し」とあえて読み下してみた。
「土が無い」という状況であり、同時に「木火金水は有る」という状況は、
どういう状況を言うのかを想像たくみに考えてみた。

結論から言うと、これは「空母」のことである。

空母は、木と金属でできている。
水は海洋であり、空母はその上に浮かび、火力で動く。

しかし、海洋に浮かぶ以上、「土」(陸)がない。
もし、「空母」であるならば、絵図によって、さらに解釈は発展する。
絵図の太陽は、旭日旗で象徴される日本海軍である。
それに槍を向けているのは、米軍であり、その友人の英軍だ。

この解釈を念頭において、第一句に戻ると、
西から来た客は、「日本海軍」の空母ということになる。
讖の予言詩は、ミッドウェー海戦を暗示しているのである。

史実では、日本海軍は、ミッドウェーで、
アメリカ海軍と対峙して、止まった。
それは日付変更線上の位置だ。
そして、日本軍は、完敗を喫した。
その敗北が、第四句の「この大恥を洗わん」に表現されている。
この敗北の恥辱を太平洋の波でそそがんとせん、というのである。

頌に、言う。
炎運は宏開して世界は同じ。
炎が広く開かれ、つまり戦争が起こり、それは世界大戦になった、という。

金烏は白洋中に隠匿され、と第二句は予言する。
「金烏」は、太陽の別名だ。
太陽の中に三本足の鳥がいるという伝説による。

こうした私の解釈は、讖の四句と共鳴しあい、
「金烏」を日本海軍の空母である、と推理できる。
白洋中は、太平洋。
空母は、太平洋の藻屑となったことを指す。
この空母は、ミッドウェー海戦で沈んだ、四艘の空母

   赤城、加賀、蒼龍と飛龍

さらに、その後沈んだ

   瑞鶴、翔鶴、龍驤

なども指す。

「烏」が鳥であることは、鶴に呼応する。

海戦に敗れたからには、これより「敢えて雄長を称えず」ということになる。
つまり、これ以上、日本は覇を称えることはせず、
その力は知れたもの、余命も知れたものとなった、わけである。

兵気はすべて消え、すでに終わる。
この第四句は、もはや決定的である。

兵隊の気迫はすでになく、やがて消え去る、というのだ。

このようにミッドウェー海戦およびその後の敗北を思い描き、
予言者李淳風らは、日本の敗戦を遠く唐の時代に予言していたのであろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

未来、中国や世界はどんな風に予言されていたのか、
という質問がありましたので、簡単にお答えしておきます。

56.gif

第56象は、中国で「デジタル戦争」がぼっ発することを示唆しています。
このときは、まだ大規模な戦争ではないようですが、
次の第57象で、やがて核戦争まで発展することになります。

57.gif

子供が、この大火を消そうとします。
この子供は、生まれたばかりの新しい国際連盟のような機関だと
私は解釈していますが、
新国連軍の尽力により、地球は救われることになります。

その後は、58象と59象と続き、
人類はどうやら、至福に近いときを迎えます。
第三次世界大戦によって、幾多の尊い人命は奪われ、国土が荒れたが、
最終的には、平和が築かれ、それも、かなりユートピア的な世界がやってくるようです。

地球が滅ばなくて、よかったですね、みなさん。(^^y

April 23, 2006 10:38 AM | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年04月22日

警告、あなたは縮む!:

先日、スタバで、サラリーマン同士のこんな会話を聞いた。

  最近のばあさんさ、縮んでないか?

  縮む?

  ほら、通りなんかで見かける年寄り、縮んだみたいに、
  小柄な人多いと思わないか。

  それって、曲がっているんだろ?

  もちろん、デパートのありがとうございます状態の人はいるよ。
  でも、ボクがいうのは、一回り縮んだような人のこと。

  気になるのか?

  見ていてつらいし、あれって、痛くないのかな~、
  じいさんもいるし、いずれ俺たちもか・・・ってね。

国の対策が必要不可欠

原因は「骨粗そう症」という、一般にかなり軽んじられている病気だ。
骨のカルシウム量が減り、骨がスポンジのようにスカスカになる。
あるいは、スの入った大根のように、内部が粗くなることを言う。
こういう状態は、骨が弱くなることだから、骨折が非常におきやすい。

腕や脚の付け根が折れやすいそうで、とりわけ、脚の付け根が折れる
大腿骨頚部骨折は、高齢者の寝たきりの原因の三番目にランクされている。

重い荷物を持っただけで、背骨がつぶれる圧迫骨折をおこすと、
背中が曲がって、食力減退、呼吸障害を招くという。

oste.bmp

年齢を重ねると、骨のカルシウム量が減るのだが、
日ごろのカルシウム不足、運動不足をばかにしてはいけない。

高齢の女性は、性ホルモンの一種のエストロゲンというものの
産出量が、閉経後に急速に低下するそうだ。
エストロゲンには、骨芽細胞の活動を高める作用があるため、
閉経によって骨粗鬆症へと進行しやすいというわけだ。

ある調査によると、日本女性の50歳代で、4人に1人、
60歳代で2人に1人、70歳以上では10人に7人が
この病気にかかっているそうだ。
人口で言うと、なんと1100万人。

治療が可能だそうだが、
この病気は、目に見えない分、やっかいだ。
またすぐ痛みとかの自覚症状がでないから、
自分が病気だと、認識していない。
そして結果が長い年月を経て表れるから、あなどれない。

原因のひとつに若いころからの無理なダイエットがあげられる。
骨量検査をして、日頃、カルシウムや運動に気をくばる人は少ないだろう。

トリノオリンピックで日本選手団主将を務めた岡崎朋美さん。
彼女のしっかりとした歯並びがとても美しい。
骨格に力強さがあることが印象的だ。

週刊文春4月27日号の阿川佐和子さんとの対談で。

  阿川 岡崎さんは北海道のお生まれで、おうちは酪農家。
  岡崎 百頭ぐらい乳牛を飼っていて、濃い牛乳を飲んでましたから、
     骨には自信があるんです。
  阿川 あ、やっぱり違いますか。
  岡崎 はい、強いですね。兄なんかトラックから落ちて機械にぶつかって、
     眉間が陥没したんですけど、骨は大丈夫だった。よく死ななかった
     っていうぐらいの怪我だったんですけど。
  阿川 牛乳のおかげ(笑)。
  岡崎 でも、今牛乳が売れなくて捨ててるらしいです。・・・

牛乳を飲もう。

我が家でも、朝の食卓には必ず、カルシウムだけでなく、
ビタミン、ミネラルの摂取を考え、
牛乳、シリアル、チーズ、果物(とりわけ、朝のリンゴは金、と言われます)
そしてブラウン・ブレッドをのせている。

今朝も、私の骨は喜んだに違いない。

April 22, 2006 10:22 AM | コメント (8) | トラックバック (0)

2006年04月21日

母親たちの極上見栄:

英語教育に関して興味深い、新しい現象が起きている。

それは何か。

和製インター

日本にインターナショナルスクールというカテゴリーの学校がある。
戦後すぐに設立された伝統的なインターナショナルスクール以外に、
近年、雨後の竹の子のように、和製インターができている。

inter.bmp
元々インタースクールは、日本に在住する外国人の子供のための学校。
生徒の会話は英語、授業も英語が使われる。
英語を日本語に変えると、外国に在住する日本人が、
現地で日本人学校に通うようなものである。
なんのことはない、たとえにすれば、当たり前のことだ。

ところが、この和製インターに、
日本人の子供を通わせている日本人の親が増えているのだ。
さきほどのたとえをもう一度すると、
現地の非日本人家庭の子供を好んで、日本人学校に通わせているようなものだ。

ちょっと変な感覚だが、
インターに通う子供が増えている。

なぜなんだろうか?

英語教育に詳しい英語ムック女性編集者に聞いてみた。

   「自分のあこがれを子供に託したいのもあるし、
   インターに通い、英語で授業を受ける子供。
   それを見守る母親になりたいのかなあ・・・
   自分も自分の夫も英語が話せないから、
   カッコいいと思っているんじゃないですか。
   また芸能人の子供が通っているのを、
   雑誌なんかで見ますからね」

母親は、インターに子供を通わせることを、
一種のブランドと意識しているのだろうか。

授業は英語のみ。
先生はネイティブ・スピーカー。
間違いなく英語が上達するに違いない。
英語を使えるようになるのは、国際人の第一歩?

暗記中心の日本の学校教育とは一線を画す。
なぜ、どうしてそうなの? 
リーズニング、ロゴスが支配する、
考えるテクニックを学ぶ授業だ。

燦然と輝くブランド。

   「確かに授業でも英語ですから、上達は早いでしょうね。
   学費は一年に200万円以上かかるなんて当たり前。
   大学までたどりつくだけで、数千万円の親の負担でしょうから、
   平均レベルの家庭ではまず無理。
   そんなことも含めて、ブランドと見なしたい気持はわかりますけど・・・
   どうかしら?って思いますね」

と、先ほどの編集者。

子供の負担・親の負担

しかし、実際に、日本人はインターの中でかなり苦戦している。
大学生なら、強い動機で、英語力や学習力をつけようとするだろうが、
小学生にそれを期待するのは、あまりにもかわいそう。

編集者は続ける。

   「英語の力をつけてこそ、他の教科もわかるわけですからね、
   日本語で学ぶ方がそりゃ、早いですよ。
   その問題の英語も、実力から言うと、
   ネイティブに劣るわけですから、
   子供の負担は相当なものでしょう」

編集者は、英語に関してもっとも問題は、
実は、家庭にあるという。

和製インターに通う生徒は日本人が多く、その両親も日本人である。
学校でいくら英語を使っても、家に帰れば日本語だ。
英語のシャワーを一日中浴びてこそ、ネイティブに近い力を
つけることができるのだから、
かなり環境的には十分ではないと言えよう。

そうなると、次にどういうことがこの子供たちに起きるのか。
編集者は、このような状況の中で育つと、
どっちつかずの子ができるという。
自国、つまり日本の文化や歴史を知らず、
ただ英語を少しくらいうまくなったと言っても、
英語圏の人がどの程度評価してくれるかといえば、
あまりに心細いのではないか。

親が見栄を持つ分、それが子供に反射して、
「英語できないじゃーん」と子供が親を馬鹿にすることもありそうだ。

   これはつらいなあ・・・!

私の友人のアメリカ人(翻訳家)、奥さんは日本人で、子供は男の子。
彼は今、日本の公立中学に通う。
彼は、完璧なバイリンガルである。
それは両親の母国語が異なるからであり、
多感なときに、双方から生きるための大事な言葉を教えてもらっているからである。

和製インターの日本人は、ここまでのレベルには到達できないだろう。

となると・・・

父親の和製インターの学費負担、子供の学習環境上の負担を考えると、
母親の見栄に付き合わされることに、私は、同情したくなる。

人間としての型ができる大事な子供の時期、
教育については、子供に無理のない選択を考えてほしいものだ。

(写真は本文とは関係ありません)


April 21, 2006 10:30 AM | コメント (16) | トラックバック (0)

2006年04月20日

日本語でしゃべらナイト:

日本の政策というのは、
たいていの場合、二重や三重の動機を持っているように思える。
いかにもといった御題目で提案がなされ、実行されても、
何のことはない、それはある一部の人たちの利益を満たすことが
隠れた動機になっていたりする。
今までがそうであったように・・・。

税金を出させる名目の作り方が、ほとんど天才的にうまく、
海外視察と称し、観光旅行をしたがる議員たちみたいなものだ。

二重や三重の動機があるのが当たり前ならば、
小学校の段階で英語を必修化しようという「たくらみ」も、
子供のコミュニケーション能力の養成という目的・動機とは
別のものがありそうだ。

平たく言えば、小学生をダシに使っている。

文部科学省は、子供たちにコミュニケーション能力を身につけさせたいのなら、
英語ゲームとか英語遊びで英語に慣れ親しませるのではなく、
ただしい日本語でコミュニケーションをとれるように、訓練をしてもらいたい。

日本語で行えば、子供も少しはできるようになるだろう。
海の向こうの肩を持つわけではないが、
向こうの子供たちは大人相手にしっかり会話のキャッチボールができる。

日本の子供の多くは、大人とまともな会話はできない。
初対面で大人と会って、ある内容の話しをして、最後に挨拶でしめくくる。
こういう通常大人が行う会話を運ばせる技術を
ほとんど身につけていない(大人も不足だが)。

文部科学省は、日本語で挨拶すらできない、
生活人としてのコミュニケーション力を身につけていない子供が
社会に溢れている現状を直視すべきだろう。

さらに問題なのは、社会のひずみが、この小学校の英語教育に、
投影されてしまうということだ。

クラスメートより先に、英語塾へ行く子供と行けない子供の格差が出ている。
親が経済的に豊かで、塾のフィーを払ってくれる子とそうでない子の差ができる。
小学校から英語に出遅れた子、つまずいた子は、
その後、英語アレルギーに苦しくことになるだろう。

また人より英語を先んじてやり出した子は、つまらない優越感で、
中学からの英語をバカにして、授業中に他の生徒に迷惑をかけるだろう。
あるいは、すでにわかっていることを聞かされる授業に身が入らず、
結局、その子にとってもマイナスになるだろう。

今、そうでなくても、国語・算数・社会・理科についても、
「ゆとり落ちこぼれ」が続出している現実がある。

ゆとり、落ちこぼれの次に、
また文部科学省は、税金を自分達流に使いたいために、
さらに「英語落ちこぼれ」を作り始めている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

クイズ答え

ムリーマ    村山元首相
キャータ    中田選手
イニャミョート   稲本選手
ーバ     東芝

(たくさんの有意義なコメントありがとうございます。
明日は、和製インターナショナル・スクールの話に続けたいと思います)

April 20, 2006 10:49 AM | コメント (9) | トラックバック (0)

2006年04月19日

石原都知事に激しく同感!:

文部科学省は、日本の子供をどんな風にしたいのか。

05年度の調査では、公立の小学校全体の93.6%に当たる
20,803校で、「英語教育」をやっている。
1年では、75.1%、6年生では、90.3%の普及率だ。

あいさつや歌やゲームを通じて、英語に触れさせるというものにすぎない。
それは、教育というよりも、遊びに近い。
いつもながら、日本人のなじみのあるやり方、
何かをしながら、何かをする、
英語を好きになるキッカケになればイイナ式。

発音が命の英語

英語を使って誰がその遊びを教えるのかというと、
小学校教員と補助教員(英語圏から募集した人材)。
日本人の教員は英語を教えることを専門に学び、
実践してきた人たちではない。
むしろ、一般の大学卒のように、英語を苦手とする人たちである。

英語の教員資格をもった中学・高校の教員の「平均的英語レベル」は
トフルという留学検定テストで偏差値最高664点で550点とか。
これは、ようやく英語圏の大学に入れる程度である。
小学校の英語教師の英語力はさらに低いことは明らかである。

中学でも550点程度でよい、ましてや小学校ならさらに低いレベルでよい、
というのは、英語を理解していない者の発言である。

言うまでもなく、英語は、日本語ではほとんど経験しない
アクセントと発音を最重要にする言語であるから、
正確な音が出せない、聞き取れない状態では、
コミュニケーションが取れないのだ。

英語でたとえば、次の音書きで、どういう単語を思い浮かべるか。
ゴチック字は強く発音し、長音は伸ばして発音してみてください(答えは明日)。

   ムリーマ
   ナキャータ
   イニャミョート
   ツーバ

通じない発音のまま、小学生低学年から教えられたら、
その子の先行きは、大変暗く、一生英語恐怖症。
外国人から話しかけられたら、逃げる日本人、「あの」タイプである。

英語嫌いの教師に英語を教えられる子の悲惨さを考えてほしい。
また教師の精神的負担や、いかばかりか。

日本語で挨拶できないのに・・・

中教審外国語専門部会は、あろうことか、
高学年で週1時間、必修化することを提言している。
その理由は「コミュニケーション能力の育成」だという。

「え~ッ、正気か~ッ」と言いたい。

英語でやっていることは、挨拶もその一つである。
英語圏の映画を観てもわかるが、
挨拶とは、

   ハロー(こんにちは)
   サンキュー(ありがとう)
   プリーズ(どうぞ)

この三つを基本としている。
これをきちんと言えることが、コミュニケーションの基本的ルールだ。

翻って、今の小学生のどれくらいが、「日本語」でそれができるのか。

昨日も、前から来た小学生に私は道をよけてあげたら、
「ありがとう」も言わなかった。

近所の高学年の小学生と顔を合わせても「こんにちは」も言わない。
道を「どうぞ」と譲ってもらったことは滅多にない。
こちらの足を踏んでも、知らん振り。
ぶつかっても、知らん振り。

石原都知事は、首都大学東京の入学式で、
英語必修化提言を痛烈に批判した。

   「日本人がものごとを考えるのは、やっぱり日本語で考えざるをえない。
    日本語のもたらす語感、日本人独特の感性、情緒を皆さんが
    持たなければならない」

そんな風に日本語の特性を強調したそうだ。

誰もが理解できる正しい日本語をスラスラと話し、
相手とコミュニケーションを取れる子供に育ててほしい。
これがあらゆる言語に普遍的に通じる真理である。

日本ほど自国の言語をおろそかにする国はない。

  やっぱ、チョー、うざい、エロカワ

これらは、日本語ではなく、テレビを通じて覚えたバカ語である。
小学生がこんな言葉を使っても、注意する先生も親もほとんどいない。

日本語をまともに話せない上に、
遊びながら、発音不正確の単語を並べるだけでは、
クソの役にも立たない。

(つづく)

April 19, 2006 10:49 AM | コメント (38) | トラックバック (0)

2006年04月18日

口内汚染に喜ぶ舌:

  30種類の白い粉で、できたミートボール。
  水と油と添加物で作られる白い液体コーヒーフレッシュ。
  サボテンについた虫を潰して作る健康飲料。

これらは、添加物によって作られている。
まるで魔術のようだ。

生きて行くうえで、食品を取らないことは考えられない。

現代人にとって、食品とは三つの意味があると思う。

  1、生きるための源になるもの。
  2、美味ということで心を満足させるもの。

そして、

  3、利益や経済効率を産むもの。

しかし、どうやら、現代人は1を忘れてしまって、
2と3に熱心になっているのかも知れない。

このことに警鐘を鳴らしているのが、今話題の書

  「食品の裏側」(安部司・東洋経済新報社・1470円)

である。

foods.bmp
本来は生きるために摂られる食品が、
現代社会では、さまざまな付加価値を要求されている。

柔らかい物はいつまでも柔らかく食べたい(パン、もち等)。
味付けにもっとコクをつけたい(豚骨ラーメン、ダシ入味噌等)。
コシがあって、キレのよい味にしたい(うどん等)。
安価な材料を使って、高価な材料に負けないものを作りたい(しょうゆ、酒、酢もどき等)。
見た目が美しくさせたい、長持ちさせたい、腐らせたくない(てんぷら、弁当等)。
機械で作り安いもの、コストのかからないものを製造したい(スナック菓子等)。

このような多種多様な要求を満足させるのが、添加物である。

著者の安部さんは、添加物の元トップセールスマンだった。
しかし、ある日、ご自分の子供が、安部さん自身が開発した、
添加物まみれの加工食品を「美味しい~ッ!」と喜んで食べる姿を目の当たりにして、
自分のやってきたことを猛反省し、仕事をやめる。
そして、一転、添加物まみれの現代人の食生活へ警鐘を鳴らし始める。

実際、人々が気楽にスーパーで買う弁当にも、
ふんだんに添加物が入っている。

soboro1.JPG
実際一つ買ってみた「鳥そぼろ弁当」なのだが、
裏の表示を見ると、びっしりと添加物名が、並んでいることがわかる。

soboro2.JPG
さらに一つの名称が一つの添加物の名称ではなく、
一括表示というのがあって、一つの名称の中に、
何種類もの添加物が入っているのだ。

本書では、

  台所にないもの=食品添加物

という定義をしている。

台所には調味料として、普通あるものは、
「しょうゆ」「味噌」「塩」「酢」、「化学調味料(グルタミン酸ナトリウム)「重曹」、
反対にないものは、
「ソルビン酸」、「安息香酸」「コチニール」「ポリリン酸」など。

しかし、著者は、添加物=敵という対立構図では、
ここまで添加物時代が進行しては、もはや、
乗り切れないと言う。
添加物を排除することはできないならば、
折り合うところを探そうとしているのだ。

時間や効率や便利さを添加物から得ているとしたら、
せめて、自宅で食事を作るときには、
できるだけ添加物のない食事を取るように努力するとか、
加工食品を買う場合にも、できるだけ添加物の少ない目の、
あるいは安全な添加物をとるように、
知識をふやすことを提唱する。
つまり、添加物とうまく共存していくしかないと言うのだ。

本書を読んで、驚いたことがいくつかある。

添加物表示不要としてよいケースがあり、
法律でそれは認められていること。

家庭で母親が手作り料理を作っても、
調味料や、材料となる加工食品などが、
すでに添加物まみれになっているので、
あまりにも廉価な醤油やお酒を使うと、
結局、さほどちがわなくなってしまうということ。

そして、添加物が認可されているとしても、
認可の段階で、複数の添加物同士の作用(複合汚染)については
ほとんど検査されていないことである。

本のタイトル「食品の裏側」は、
「食品の隠された裏側」と「食品の包装の裏側の表示」の
二つの意味合いだと解釈してよいだろう。

説得力ある文体とデータで私たちに添加物に関心を持たせ、
それを十分認識させてくれる良書と言える。

April 18, 2006 10:25 AM | コメント (13) | トラックバック (0)

2006年04月17日

近頃の二枚腰女たち:

「世界一小さい新聞」により、
五名の方々が、選ばれました。

森昌子さん
離婚した女性、本来同情も湧くが、どうもこの人には湧かない。
タレント御用達、平積み商法のG社からおなじみ告白本。
お涙頂戴の演歌路線をまた歩いている。
昔、松本伊代さんが本出した時、タモリさんに聞かれた。
「どんな出来?」
「私、本まだ読んでないんですけど」
・・・って、思わず言ったそうだ。
前夫・進一さんとはすでに済んだ話をぶり返し、
言ったもの勝ちとは、なんだかねえ。
これって、アッコさん、どう思う?

辻元清美さん
シンガポールの中国語新聞「聯合早報」で
「辛口娘」として事実歪曲の売国語録連発。
事務所を通じて「読んでいませんので、確認できてません」
・・・との週刊新潮記事。
確認したら、ベビー日刊のコメント欄にも
コメント入れておいてね。

小柳ルミ子さん
慰謝料1億円も免責? ルミ子(53)、
「もう一度!」美人ホステスと再婚間近の
賢也(40)に会いにいった夜・・・
これ、女性週刊誌のタイトル。
ンも~、うろついてくれるなよ、金返してんだからさ!
賢也くん(ルミ子さんの呼び方)に代わって、お願いしておくね。

井脇ノブ子さん
千葉7区の補選で、森元首相が言った。
「……ピンクの服を着た人がビラを持って歩いているようだが、
『ばかにするな』と言う人が多い」
ノブ子さん初当選で、初めて写真を見たが、
見た目9割の彼女、大阪に超常現象出現か!
って、印象でしたねえ。

田中真紀子さん
21世紀の政治感覚ゼロ。
「小泉の母」から今度は「一郎の妻」へ?
そのうち「由紀夫の継母」か「晋三の出戻り姉」になるのかしら。
で、最後は「シングルマザー」でしょう。

April 17, 2006 09:58 AM | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年04月16日

7年後中華人民共和国に内乱・・・:

文藝春秋06年3月号で、作家の水木楊さんのフィクション
「驚愕の近未来予測・中華人民共和国が消滅する日」を
読みました。

北京五輪と上海万博の影に、人民の怨嗟(えんさ)の声が
封じ込まれ、社会・経済の矛盾が一気に噴出し、
クーデターが起こり、中国歴史の定説「歴史は繰り返す」どおり、
中華人民共和国も瓦解(がかい)。
2015年、新しい中国として「大中華共和国連邦」が
設立されるという・・・内容でした。

基本は陰陽思想

では「推背図」は、どのように近未来の中国を予言しているのか。

中国の予言は、陰陽思想を基本としている。
この思想は、自然現象の観察から発想を得ており、
自然現象の二つの対照的なものを提示して、自然界の解明に用いたもの。
たとえば、男女、白黒、南北、天地などもそうだ。

01.gif
推背図第1象の讖(しん)の第三句は、

    「日月循環 周而復始」

と言い、予言の本質が、陰陽思想によるものであると明言している。
「陰陽は循環する。回って再び始まる」というわけだ。
壮大な歴史から見ると、
繰り返される中に、中華人民共和国の崩壊なども想定内なのである。

本題に入ろう・・・

ベビー日刊と李修如女史の解釈は次のようになった。
結論から言えば、7年後の辰年(2013年)から2年間、
中国に内乱が起き、一旦は落ち着くが、
やがて、中華人民共和国は8つに分裂するというものだ。

48.gif
まず48象は次のように予言する。

    讖曰
    卯午之間        卯午の間
    厥象維離        象を厥(かけ)るも維(い)は離れる
    八牛牽動        八牛 牽動(けんどう)す
    雍雍熙熙        雍雍(ようよう)たり熙熙(きき)たり

    頌曰
    水火既濟人民吉    水火すでに済(ととの)い 人民は吉
    手執金戈不殺賊    手に金戈(きんか)を執り 賊を殺さず
    五十年中一將臣    五十年中 一将臣あり
    青青草自田間出    青青たる草は田の間より出づる

絵図には、蛇と龍の戦いが描かれている。
蛇の口から火炎が吐かれ、一目瞭然、一対一の戦争である。
近い将来、中国で起きる内乱を描いているのは明らかだろう。
それは、いつ頃のことなんだろう?

讖の第一句に、卯午の間、とあることに注目したい。
卯年と午年の間は、辰年か巳年だから、
戦争は辰巳の年、二年にわたるとみていい。

  2013~4年

2025~6年からの12年周期のどれかとも考えられるが、
前回レポートした47象は、朱鎔基さんについて予言されていたから、
やはり2013~年説をとりたい。

鼻に特徴あるキーパーソン

例によって素人訳をつけてみよう。

    讖の予言にいう。
    卯年と午年の間に内乱が起こる。    
    内戦でも法律に従うが、道徳は人心から離れた状況だ。
    朱を姓とする人物が活躍する。
    のびのびと国家を運営する

    頌の予言にいう。    
    内乱は終わり、人々はよい運を得ている。
    特別な武器を使い、賊軍を殺さず捕らえる。
    五十年に一人の逸材がいる。
    異様な鼻の形に特徴を持つ人物である。

すこし注釈すると・・・

ここで「象」は法律のこと。
昔、おきてや法は、門の入り口の上に掲げた。
「維」は、道徳の基礎となるもので、
「四維」といえば、礼・徳・廉・恥の四つを指す。

「八牛」は八頭の牛ではなく、「朱」という文字を合成する。
例によって、暗号解読の拆字(たくじ)法が使われている。

台湾の専門家は、「水火すでに済い、人民は吉」のくだりを
五行思想を、元にして、台湾の過去の歴史に当てはめている。
しかし、五行をしつこく当てはめると、
たいていの史実に当てはまる、というのが私の考えである。

干支は60の組み合わせがあるが、
五行はその60に対して、20%当てはまるからだ。
ただここで、「水火」は、名前の一部、つまりへンやツクリに、
水や火が含まれている人が、争ったことを意味しているのだろう。

五十年に一人の逸材の特徴が「鼻」であると、
なぜ言えるのか?

青青たる草は田の間より出づる、と予言詩はいう。
予言者たちが、「青青草自田間出」に拆字(たくじ)法を利用しているとすれば、
どんな漢字が合成されるか。

「青青草」から、草カンムリを得る。
次に「自」と「田」と「サ」(草カンムリ)から「鼻」という字を合成できる。
「鼻」という名はめったにないだろうから、
その逸材は、異様に鼻の大きな人物なのだろう。
「間出」とは、一目を忍んで出ることをいうから、
彼は「鼻」に劣等意識をもっているのかも知れない。

中国に危機は続く

しかし、48象が描いた内乱は治まったものの、
次の危機が中国を待っている。

49.gif
49象では、中国の都市部で危機的状況が起き、
その病巣を取り除くために指導者はやっきとなり、
その頃には、国は8つに分割されていることが予言されている。

50.gif
50象にはちょっと気になる予言がある。
頌の予言の第二句に、

    白米は倉に盈(みち)ても銭に値せず

とある。これは、白米、食料は倉庫に溢れているのだが、
市場的価値がない、ということだ。

中国で、食料汚染の災禍が起きるのだろう。
米国や英国の狂牛病のように、またダイオキシン汚染のように、
中国の輸出品の大部分を占める食料が汚染され、
各国から輸入を禁じられ、
倉庫にそれらが溢れている状況を予言していると考えられる。
予言でなくとも、今の状況から近未来にこのような形で
結果するのは明らかだろう。

経済が壊滅的な打撃を受け、人心は乱れる。
犯罪も増える。このようにして、
「豺狼(さいろう)は隊を結びて街中を走り」という第三句に引き継がれる。
「豺狼」は、山犬と狼だ。
おそらく強盗・強奪の集団が市街を跋扈する、という社会不安が広がるのだ。
そう「推背図」は予言していると思う。

以上、解読レポートでした。

April 16, 2006 11:14 AM | コメント (9) | トラックバック (0)

2006年04月15日

奇跡の中国経済は予言されていた!:

(昨日の続き。以下、私と李修如女史の
共同解釈を元にしたレポートです。
ちんぷん漢文などとは言わないでね)
47.gif
第47象の絵図には、御覧のように、
たくさんの書が積まれた書棚が描かれている。
なんだかおかしい書庫の脚に注目してしまうが、
右端の脚では、立たない。
しかし、これは書き手が下手だったからで、
本題には関係なさそうだ。

予言詩は次のように書かれている。

    讖曰
    偃武修文        武を偃(や)め 文を修む
    紫薇星明        紫薇星 明(めい)たり
    匹夫有責        匹夫 責あり
    一言為評        一言 評為(な)す

    頌曰
    無王無帝定乾坤    王なく帝なくも 乾坤(けんこん)を定む
    來自田間第一人    田の間よりより来り 第一の人
    好把舊書多讀到    旧書を把(つか)むを好み 多読に到る
    義言一出見英明    義言ひとつ出て 英明を見ゆ

平易な口語訳と訳に補いを入れながら書くと、次のようになるだろうか。

    讖(しん)の予言にいう。
    中国は国策の路線を変え、戦争をやめて、学問を習う。
    (ちなみに、書の「武双」に「偃武修文」という熟語があります)
    天子の星が明るく輝いている。
    責任をになう、一人の男がいる。
    その男が、一言何かを言うと、評判になる。

後の頌(しょう)の予言を読むと、現代中国に関心がある人なら、
この男が誰であるかは、すぐ浮かぶのではないか。
Zhu Rongji.bmp
経済改革に辣腕(らつわん)を振るった元首相・朱鎔基(しゅ・ようき)さんである。
在職は、1998年3月から2003年3月まで。

いかに朱鎔基と符合するか

では、朱鎔基さんは、どんな重要な発言したのか。
彼は、最初の閣議で、副首相と大臣たちに、

    「五つの要求」
    「三つの約束」

の二つを求めた。

前者は、

    公僕意識を持て
    勇気をもって真実を話せ
    厳格に職務遂行をせよ
    清廉を保ち腐敗するな
    勤勉に学び働け

の要求であった。後者は、

    閣僚の戒めとして、接待簡素化・宴会なし、
    会議の低コスト化、
    役人の活動の低コスト化

を約束させた。彼の言は、国民の評判となり、支持を得たのである。

次に、頌の予言を平易に訳してみよう。

    旧来の王政や帝政でない制度で国のかたちができている。
    田舎出身の優秀な人材である。
    その人物は古典を好むたいへんな読書家だ。
    この人物は、正義の言葉を吐く。

少し注釈を入れると、
「田の間より来たり」は、「田の間」だから「畦」(あぜ)で、田舎出身。
「第一の人」と言えば、あの「阿Q正伝」にこういう表現の箇所があった。

    状元(科挙の最高階の試験に一番で及第した者)だって、
    「第一人者」じゃないか。「おめえなんか、何だい」だ。

「第一の人」を「科挙に一番で合格した人」と理解することも可能だ。
そうすると、田舎出身の優秀の人材ということになる。
朱鎔基さんは、湖南省長沙の農村出身である。

あるいは、別の推理が可能かも知れない。
「田の間」と「一の人」で、「器」と言う字が作れる。
田の間とは、四つの「口」に分けられるから、
「一人」を合成すると、「大」となり、
これを四つの「口」の間にはめると、「器」という字を作れる。
(こうした暗号解読を拆字(たくじ)法と言います)

また朱鎔基さんの「鎔」は、鋳型のこと、
いわば道具(器)を意味する。
ここにも、予言詩と見事な符合があるのだ。

文化大革命で痛んだ知識人たちが、古典に通じることで、
回復し、国力となっていっているのがわかる。
朱鎔基さんは、まさにそうで、幼年期から「三字経」「百家姓」などの啓蒙書、
「論語」「孟子」果ては「水滸伝」を読みあさった。

高校時代には「モンテクリスト伯」「赤と黒」「ジャン・クリストフ」などの
文学書やシェイクスピアの十四行詩に親しむ文学青年だった。

最後の第四句「義言ひとつ出て 英明を見ゆ」が
さきほどの讖の第四句「一言 評為す」と呼応している。
この文人政治家は、正義の言葉を吐き、
その賢さが天下にわかるのだ。

実際、朱鎔基さんは清廉(せいれん)で決断力と指導力に富む政治家であった。
とりわけ大胆な経済改革は国内外から高く評価された。
日本では、あまり知られていないが、
その手腕は、海外のメディアからは「経済皇帝」と称されたほどだった。

唐時代の予言者・袁天罡と李淳風の二人は、
1300年の時空を越えて、
朱鎔基さんの見事な業績とその人物を予言していたことがわかる。

この47象が2000年前後とすれば、
次の48象はそれ以降の事件を予言していることになる。

明日は、いよいよ48象で、近未来に中国で内乱が起きることを
大胆に予言したハイライトをレポートします。

(次号完結)

April 15, 2006 09:36 AM | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年04月14日

驚愕!2013年中国が・・・:

(「世界一小さい新聞」から、3回に分けて、
週末企画第1弾・ノンフィクション歴史近未来推理を
お送りしたいと思いますが、
打ち切るも続くも読者のリアクション次第です)

ボランティア通信員の李修如女史(在・台湾)から、
興味深い研究レポートが届きました。

「推背図」(すいはいず)という、中国の古い予言集があります。
日本ではほとんど知られていませんが、
その的中率においては圧巻のものがあり、
中国本土や台湾の一部の人々に、その存在は知られています。

この予言集の48番目の予言から、
中国の崩壊という驚くべき予言が見つかりました。

「推背図」とは何か

予言集作成者は、中国唐の時代の予言者たち、
唐太宗の側近であった、

    袁天罡(えんてんごう)
    李淳風(りじゅんぷう)

の二人である。
予言は、627年から647年の間になされた、と伝えられている。

「推背図」は、全編60象(絵図の意味)から構成されており、
それぞれの象に、一幅の絵図が描かれ、

    讖(しん・予言の記録)
    頌(しょう・占いの言葉)

という二種の漢詩が添えられている。

この絵図と漢詩があいまって、
唐以降の時代の歴史事象や人物を暗示するだけでなく、
私たちが生きる現代、さらにその未来までを
予言として提示されているのである。

「推背図」という語の意味だが、
これは、最後の60番目の絵図で示されているように、
「背をうしろから推す」ということだ。

60.gif
絵図では「推す」(おす)は「押す」という物理的行為に見えるが、
もともと「推す」には「推理する」という意味があった。
あるいは、預言者の李と袁が予言を終えて、
「さあ、帰ろう」とばかりに
互いを促している様子にも受け取れる。

しかし「推背」という二語がもつ「前へ推しやる」という意味から、
未来へ推しすすめるという意味に広げることもできそうだ。

さらに、具体的な予言を第二象から二人が続けてきて、
第60象に至り、二人が、

    「もうそれ以上、推理するのはやめよう」

と、一方がうながしている姿とも受け取れる。
あまりに予言が的中するので、ほどほどにしておかないと、
自分たちの立場が危ない、とでも言うように……。

そもそも歴代の皇帝は予言者を重宝したものだが、
一方で、よく的中させる予言を嫌い、
場合によっては、抹殺することまでしたそうだ。

その理由は、皇帝の知りたい予言は、
皇帝自身の栄枯盛衰であり、
自分の地位にかかわる事件の勃発(ぼっぱつ)であるわけだから、
たとえば、予言者にいつごろ自分が部下に殺されることとかが
わかってしまうと、内心おだやかでない。

それどころか、その情報がもれると、
部下の自分からの離反を招くことになり、
予言者を抹殺することで、耳に栓(せん)をしようとするわけだ。

信用できる文献か

占いなどたいていは信用できない。
ノストラダムスの大予言の騒ぎのときも、
結局7の月に何の異変も起きず、
「解釈を間違えたものの、予言は当たるはずだ」と、
理由にもならない弁明をしている。

では、「推背図」はどうか。

国学院大学の中野達先生は、「東方宗教」という学術誌に、
70年と93年の二回にわたって、「推背図」を紹介している。
これが、本邦唯一のしっかりした文献だ。

この研究は、「推背図」がいろいろ形を変えて、
唐以降、テキストが出ていることに言及したもので、
李修如女史や私が使用するテキスト(予言詩)は、
民国36年7月広益書局発行の冊子である。
民国36年とは、1947年に当たる。

仮に意図的に1947年以前の歴史を予言に当てはめ、
メイクアップしたとしても、それ以降の歴史を予言集に
織り込むことができないのは明らかだ。

驚くべきことに、「推背図」は、

41.gif
41象で、朝鮮戦争(1950-52)
42.gif
42象で、毛沢東による粛清、三反運動(1951年)
・五反運動(1952年)
43.gif
43象で、台湾の中国政策(1990年代)
46.gif
46象で、湾岸戦争(サダム・フセインとブッシュ)

などの歴史的事件を的中させているのである。

もっとも現在に近い事件を予言するのは、47象。
ここで、近年の「中国の奇跡」ともいうべき、
瞠目(どうもく)すべき経済的発展の立役者となった人物を
暗示する予言の言葉が連なっている。

・・・そこで明日は、具体的な謎解きをしてみましょう。(つづく)

April 14, 2006 09:33 AM | コメント (10) | トラックバック (0)

2006年04月13日

15階男はなぜ落としたのか:

雑誌編集者の友人は、この問題の背景について、
電話口でこう言った。

「ひどい社会だからね、やっぱり。
見てみろよ、今の世の中を。
生を滅ぼすことばかりしているじゃないか。

家が売られると、生きている木で溢れる庭をつぶす。
更地にして、生きている土をコンクリでおおう。
自然の空間が街から消えて、後は、
建物も道路もコンクリばかり、まるで死の街だよ」

さらに・・・

「ネクロフィラスな人って、夜が好きだよなあ。
太陽がなく、ネオンがきらめく場所に安住する。
人間は、24時間を生のサイクルで生きる必要があるのに、
眠らせようとしない人々がいる。これじゃ、ストレスがたまりっぱなしだ。

たとえば、親が子供に暗い見通ししかもたない状況もそれだな。
受験の失敗のおそれ、将来の不安・・・脅迫観念ばかりがふくらむよ、実際。
子供の生が育つことに関心はなく、
型にはめ、流行を追い、子供を窒息させる・・・
そんなことが溢れているのが今の社会じゃないか」

つづいて、私。

「ああ、そうだな、まったくひどいストレス社会だよ。
人間が効率を考えて作った結果、それらが人間を縛っている。
人は生をもつというより、まるで物として扱われる。

自分の体を商品として売る売春、援助交際。こりゃなんだ?
金でほっぺを叩いて、人を使役するえらそうなやつら。
食べ物は生の源泉であるという認識をもたず、
美食を追い求め続ける風潮、そして、美食の果てに病気にたどりつくわけだ」

    今井はなぜ子供を投げ落としたのか。

SPA!(4月18日号)で、坪内祐三さんは、こんな風に言う。

    しかし、41歳のやる犯罪とは思えないよね。
    12~13歳の子ならわかるよ。
    「子供を落とす」ってことをしでかすのが。
    でも成熟した大人が――。

この感想は、少し短絡なように思える。
フロムを通して動機をさぐると、今井はもっとも弱いものを滅ぼすことで、
死を愛好する自分の志向を満足させようとしたのである。
自分を自殺によって滅ぼせず、その代償として、少年を投げ殺したのだ。

最近小学生が被害者になる事件が多い。
でも、それらは実は、大人の事件なのである。
弱い子供にしか向かえない大人の事件なのである。

今井は、15階から下へたたき落とす「力」を発揮する必要があった。
「子供みたいな犯罪」ではなく、
「破壊に魅せられた大人」だからこそできる力の誇示のかたちであったと思う。

しかし、今井は責任を取らねばならない。
責任逃れのために、社会や環境のせいにはできない。
少年を投げ殺して、最高の気分になれたのだから。

「ところで、君もストレス、大丈夫か」
友人はぽつりと聞いた。
「こんな風に話せる友達がいるのもいいものだ」
と、私。

本音で話せる友人がいる、というのもストレス解消の一つになると思う。
しかし、根本的な問題が狂った社会にある以上、
ストレスを生まない、健全な社会に戻していく必要がある。

非力さを感じつつ、「世界一小さい新聞」は、ささやかに提言をしておきたい。

   街からコンクリートを減らそう。
   更地にせず、庭を残せ。残る緑を守れ。
   緑がないところに、人間の生はない。
   生を活かすために食べ物をとる。
   社会の最小単位の夫婦、家族のきずなを密にする努力をする。
   効率至上主義、お金万能、人を物とみなす風潮をなくす。
   人や自分自身に無関心な生き方をしない。

April 13, 2006 11:25 AM | コメント (15) | トラックバック (0)

2006年04月12日

投げ落とし男の心の闇:

小学生が15階から飛び降り!?

このニュースを聞いた時、一瞬、
15階から飛び降りるなんて恐いことをするかな?
と、疑念が頭をよぎったことを覚えている。
その後は、ニュースで報道されたとおりの発表である。

マンションの15階から、9歳の少年を投げ落とすという
殺人行為の異様さだけでなく、
普段の男の生活からは、想像もできない残忍な行為を
なぜしたのか、その心の闇をマスコミは探ろうとしている。

    なぜ子供を投げ落としたのか

ちょっと思い当る節があったので、
先日、友人の雑誌編集者に電話をかけてみた。
昔、彼と議論したことを思い出したからだ。

「投げ落とし」男については、
お互い新聞や雑誌で報道されている範囲の知識しか持ち合わせていない。

「最近やたら思い出すんだよ、
昔、君とフロムについて、ちょっとイン(in)したよな」
と、友人は答えた。
どうやら彼も同じことを感じていたようだ。
fromm.bmp
精神分析の大家であるフロムは、
「人間の心には二つの志向が混在する」という仮説を立てている。
二つの志向とは、
ネクロフィリア志向(「死を愛好する」という語義)と、
バイオフィリア志向(「生を愛好する」という語義)である。

彼によれば、ネクロフィリア志向の人は、
死体、腐敗、排泄物、汚物に魅せられる人々のことをいう。
病気や埋葬や死について話すのが好きな人々のことをいう。
この志向の純粋タイプとして、ヒトラーやスターリンをあげる。

ヒトラーは破壊に魅せられ、自国の破壊、周辺国の破壊、
民族の破壊、そして自分の破壊(自殺)で最高の満足を得た。
ネクロフィリア志向の人は、過去に住み