2007年12月16日
山内と長谷部、本当の戦いはこれから:桝井聡
同じ高校出身、それも同じ投手。愛知・杜若高出身の右腕・山内壮馬(22=名城大)、左腕・長谷部康平(22=愛工大)が中日、楽天からそれぞれ1巡目指名を受け、先日2人とも入団発表を行った。熱望していた同じリーグとはいかなかったが、オープン戦、交流戦、日本シリーズなどでの対戦が今から待ち遠しい。
2人の出会いは高校入学後の練習だった。長谷部の当時の身長は168センチ。一方、山内は175センチ。山内は心の中で思った。「こいつは競争相手じゃないな」。無理はない。長谷部の当時の球速は117キロ程度。現在、最速152キロを誇る左腕は見る影もなく、1年生5人の投手の中で下から2番目の球速だった。
新入生の中で実力、体格ともに頭1つ飛びぬけていた山内は“将来のエース候補”としてその夏にベンチ入りを果たす。そんな関係が2年生になると少しずつ変化した。ひと冬を越えて体がひと回り大きくなった長谷部は格段に成長。2年夏、制球力をかわれ山内より先に背番号「1」を手にした。ここからは2人の背番号を巡る戦いが始まる。
2年秋、3年春と山内がエースナンバーを奪取。そして迎えた最後の3年夏、背番号「1」を手にしたのは長谷部だった。杜若高の関康行監督(49)は振り返る。「長谷部の成長はすごかった。特に球威に加えてコントロールが良かった。だから長谷部が先発。山内が抑えとして考えていた」。山内は長谷部が背番号「1」の布をひらひらとさせる光景が今でも目に焼きついているという。
結局、その夏の県大会は準決勝で豊川に敗退。先発・長谷部が6回3失点。2番手山内は3回無失点に抑えたが味方の援護はなかった。中日から指名された山内は会見の席で長谷部のことを問われて「今までもこれかも競争。先に1勝したい」とキッパリと話した。2人の物語はまだ始まったばかり。本当の勝負はプロに入ってからだろう。今後とも同級生ライバルには注目したい。
December 16, 2007 10:12 PM 投稿者:桝井聡
2007年12月12日
Vにヤジ、競輪は人間が走るから面白い:村上正洋
異様な表彰式だった。ファンから心ないヤジも飛んだ。ヒーローも複雑な表情だった。
競輪はあくまで個人競技。しかし、最終4コーナーまではラインと呼ばれるいくつかのグループに分かれての対抗戦だ。風圧による体力ロスを避けるため、選手は前の選手を風よけに使う。レースが動き出すまで9人が1列棒状に並んで走っているのを見たことがないだろうか。だいたい残り1周半を迎えると各ラインの駆け引きが始まる。機動力に自信のある選手が仕掛けて、そこに同県、同地区、遠征同士、あるいは競輪学校の同期など、つながりのある追い込み選手が続く。
各ラインの先頭を走る選手は、自転車1台分のリードを生かして逃げ切りを図るが、最後は力尽きることが多い。競輪選手のトップスピードは時速60キロを超える。先行した選手は全身で風を受けているのだから失速するのも無理はない。有利なのは先行選手の真後ろ(2番手)にいる選手だ。脚力を温存してゴール前で先行選手を抜けばいいのだから。3番手、4番手になるにつれて勝ち目は薄くなる。
各競輪場では年に1度、全国からトップクラスを集めて開設記念競輪が開催される。お祭りであり、地元選手にとっては晴れ舞台だ。先日行われた一宮記念決勝戦で中部ラインの先陣を任されたのは北京五輪代表候補の永井清史(岐阜)。同県の山口幸二(岐阜)が続くと思われたが、地元の主役・一丸安貴(愛知)に2番手の位置を譲って自身は3番手と宣言した。ファンも山口の意図を感じ取ってか一丸が断トツの1番人気だ。
レースは予想通り中部ラインが主導権を奪った。ゴール前で一丸が永井を捕らえたが、なんと3番手から山口が強襲して優勝をさらったのだ。一丸の優勝を信じて車券を買ったファンが、表彰式に臨む山口にば声を浴びせた。しかし、競輪は勝負なのだ。面食らった山口も一瞬、エキサイトしたが、すぐに冷静になり「ボクから買ってくれたお客さんもいる。全力で勝負しなきゃ一丸君にも失礼になる」とファンに説明した。地元Vを逃した一丸もだれを恨むわけでもなく「自分の力不足。ただ、それだけです」と潔かった。ラインの絆と個人の勝負。競輪は人間が走るから面白い。
December 12, 2007 03:37 PM 投稿者:村上正洋
