2007年10月20日
競輪版クライマックスシリーズも熱い!:川尻将志
プロ野球はいよいよクライマックスシリーズに突入。セ・リーグの第1ステージでは中日が阪神に連勝。巨人が迎え撃つ第2ステージがスタートした。さらに日本シリーズへの出場権を巡って熱いバトルが繰り広げられるわけだが、競輪界でクライマックスシリーズ同様のトーナメント方式で注目を集めているのが「レインボーカップ」だ。
レインボーカップはファーストステージ、セカンドステージ、ファイナルの3ステージで構成され、約3000人のA級選手の中から激戦を勝ち抜いたわずか9人(ファイナルでの最終日決勝戦のメンバー)がS級へ特別に昇級できる制度だ。
現在の競輪はS級とA級の2層制で、半年間の2期制で行われている。A級からS級に昇格するには、3場所連続完全Vで特別昇級する方法もあるが、極めて現実味が薄い。半年間で200位以内の成績を残し、その成績が反映されるさらに半年後に晴れてS級昇格を果たすのが通常だ。つまり普通に走っていては1年間は最低でもA級生活を送らなければならない。それがレインボーカップを利用すれば、半年間での昇格が可能。しかも、昇格後は1年間のS級定着が保障される特典付きだ。
今月の3日から四日市競輪場でレインボーカップセカンドステージが開催された。出場選手の中には1週間前にレースで落車し、肩を骨折しながら強行出場した選手もいた。「来期もA級だし、このチャンスを逃したくなかった。気迫だけで来ました」と悲壮感を漂わせて話す姿にはレインボーカップの重み、S級へはい上がろうとする意地が満ちあふれていた。
中部地区で12月5日から3日間、豊橋競輪場でレインボーカップファイナルが開催される。各地でハイレベルの戦いを勝ち抜いた54人が参加し、9枚のS級へのチケットを巡って壮絶な最終バトルを繰り広げる。将来性抜群の未来のスター候補性もずらりと顔をそろえるだけに、純粋にレベルの高いレースを楽しむことができる。競輪版クライマックスシリーズにぜひ、注目して欲しい。
October 20, 2007 04:48 PM 投稿者:川尻将志
2007年10月08日
「みる」と「やる」をつなぐパイプに:上野竜一
フットサルが新時代に突入した。9月23日、初の全国リーグとなるFリーグが開幕した。東京・代々木第1体育館で行われた開幕戦には、約7000人のファンが詰めかけた。Fリーグの大仁邦彌最高執行責任者(COO)は「Fリーグへの期待のあらわれ。この期待を裏切らないようにしたい」と話した。
現状、フットサルは圧倒的に「みる」よりも「やる」競技だ。1994年に「フットサル」と名称統一された後、Jリーグの盛り上がりや日本代表のW杯出場などによるサッカー人気の高まりに、性別や年齢を問わず少人数でやれる気軽さなどが重なり、競技人口が爆発的に増えた。愛好者は現在、約200万人いる。一方、「みる」競技としては、もともと競技としてのフットサルが盛んな関東で固定のファン層がわずかに存在する程度。やる競技として極めて高い人気を誇る反面、みる競技としての認知度はまだまだだ。
「みる人とやる人をつなぐ。Fリーグのピッチは、これからそういう場にならないといけない」。リーグ関係者の1人は開幕戦を見つめながらこう話した。プレーしたことがある人、これからやってみたい人、やらないけど見るのが好きな人、そんな人たちの足を会場へ運ばせる。「みる」フットサルを一般に認知させ、「みる」と「やる」をつなぐ太いパイプとなることがFリーグ成功のカギとなる。
実際に会場でみると、スピード感や迫力に目を奪われる。テンポの速いボール回し、テクニカルなプレーから次々とシュートが生まれる。接触プレーに制限が設けられている分、サッカーより速さと技術が際立ち、攻守がめまぐるしく変わるため、一瞬たりとも目が離せない。みる競技としても十分に可能性を秘めていると感じた。
9月29日にパークアリーナ小牧で行われた名古屋オーシャンズのホーム開幕戦は雨模様の中、1603人の観衆を集めた。名古屋の桜井嘉人代表取締役GMは「これだけの人がきてくれた。じーんときました。ここからです」と子供たちの姿が目立つ観客席に目をやりながら話した。
サッカー初の全国リーグであるJSL(日本サッカーリーグ)が誕生したのが1965年。地域への定着、観客動員やスポンサー、チーム経営の安定…。時間をかけて様々な問題をクリアし、Jリーグが誕生したのは93年のことだった。J同様に将来のプロ化を目指すFリーグ。ひとつひとつ課題を克服し、着実に根付いてほしい。
October 8, 2007 06:56 PM 投稿者:上野竜一
2007年10月01日
堂上剛の活躍がうれしい「先輩」親子鷹:村野森
中日堂上剛裕内野手は、選手寮・昇竜館館長の照さん(56)の長男だ。入団当初から親子鷹として注目され、昨秋、弟の直倫内野手(19)が入団してから、あらためてスポットが当たるようになった。それが刺激になったのか、今季は1軍抜てきのチャンスを生かし、7月29日ヤクルト戦(神宮)でプロ初本塁打。投手ながら通算4本塁打を記録した照さんとの史上6組目の「親子アーチ」を実現したのは記憶に新しい。
そんな堂上剛に優しい視線を送り続ける人がいる。オリックス堀井和人スカウト部長(59)。堂上剛がドラフト6巡目で中日入りした03年は、近鉄スカウトとして獲得を目指していた。「欲しい選手だったんよ。何とか指名できないかとかなり調査を進めていた。プロ1号を打ったと聞いたときはうれしかったわ」。チーム事情により指名できなかったが「モノになる」と踏んだ選手。活躍を見届けるのは、スカウト冥利に尽きるのだろう。
ただ、堀井スカウトの思いはもう少し深い。南海での現役時代、堂上親子と同様に「親子アーチ」を記録した過去があるからだ。昨年亡くなった父・数男さん(享年82)は昭和20年代、南海勃興期の名外野手。実働16年で1513安打、80本塁打を記録している。その父のいる南海に、悩んだ末に飛び込んだ。「オヤジは当時スカウト部長。現役のコーチだったら、入っていなかった。同じ外野手で比較されるし、気を遣うやろ」。同じチームに父がいるという複雑な心の機微は、当人でしかわからない。結局10年プレーし、3本のホームランを放った。
堀井スカウトは幼少時代、南海の本拠地・大阪球場が見える大阪・阿倍野に住んでいた。球場の照明がパッと落ちるのを合図に、母が「夜食」の仕度を始める。それが、現役時代の父に関するおぼろげな記憶だという。堂上剛もプロ1号を放った直後「(照さんの)ホームランの映像は見たことがない」と言った。父が現役を引退した後に父の大きさを知るというプロセスは、面白いように重なっている。
堀井スカウトは言う。「親子ホームランもそうやけど、うちは親子とも日本シリーズに出場してるんや。ちょっとすごいやろ」。確かにすごいが、数々の共通点を考えると、こう思ってしまうのだ。堂上剛も、82年の日本シリーズに出場した照さんに続き、今年の日本シリーズでベンチ入りするのではないか、と。
October 1, 2007 05:29 PM 投稿者:村野森
