2006年11月29日
競輪場の有効活用を:川尻将志
11月23日から4日間、一宮競輪場では開設56周年記念が開催された。一宮競輪場では今年最大のビックイベントの前日と、開催中の26日に場内では盛大にフリーマーケットが行われた。現在、競輪ファンの高齢化が問題視されているが、この時ばかりは家族連れからカップルまで、普段の競輪開催中とは違った客層がつめかけ、まるで別空間。白熱のレースと同様、大いににぎわいをみせていた。
各競輪場では定期的にサイクルフェスティバルを開催している。競輪選手のトークショーはもちろん、キャラクターショーや、フリーマーケットまで、競輪とは関係ないアトラクションも多数用意し、イベントを行っている。イベントがどれだけ競輪ファンの獲得につながるかは未知数だが、地域社会に競輪場の存在を知らせるためには、1つの有効な手段だろう。
競輪場にはまだまだ色んな可能性が残されている。広大なスペースには、観覧席も、イベントホールだってある。場内でミニコンサートを開催してもよし、物産展を開いてもよし、もちろん、自転車に触れ合うためのイベントも面白い。より多くの人たちに競輪場、そしてレースの魅力を広めるために競輪場を有効活用することが、今の時代に求められている。
名古屋の待ちを歩く若者や、柳ケ瀬のサラリーマンに聞いてみたい。果たして何人が競輪場の場所、そこへ行くための交通手段、施設そのものに関して知っているのか。もし何らかの形で競輪場で開催されたイベントに参加していれば、ふとした瞬間に思い出し、レースに足を運んでくれるかもしれない。競輪が生き残っていくためには新規ファンの獲得が絶対条件。競輪という大きな魅力を持ったソフトが、その存在を正しく理解されることなく、消えていくことだけは許されない。
November 29, 2006 02:42 PM 投稿者:川尻将志
2006年11月21日
なぜ?中日V決定試合、地上波中継なし:上野竜一
これも野球人気の低下が叫ばれる、時代の流れなのか…。2年ぶり7度目のセ・リーグ優勝を飾った中日のV決定試合となった10月10日の巨人戦(東京D)は地上波で中継されなかった。
放映権を持つ日本テレビ系列の中京テレビには、試合当日朝から1000件を超える苦情が寄せられた。「何とか放送したかった。でもどうしようもなかった」。中京テレビの伊豫田祐司編成部長は、無念の表情で振り返る。
「放映権」と「協定」。中継を阻んだのは2つの壁だ。放映権を持つ日本テレビは、すでに9月中旬の時点で10月の巨人戦ナイター中継を地上波で行わないことを決めていた。放映権がない以上、中京テレビとしては、基本的にその方針に委ねるしかなかった。
もうひとつの壁が、キー局と系列局との間に交わされている協定。日時や時間帯によって、キー局からの放送を受ける枠が事細かに取り決められており、簡単に名古屋地区だけ別番組を差し替えるという訳にはいかないのだ。仮に試合の放映権を持っていたとしても、差し替える枠によっては、キー局との調整は困難を極めるという。
放映権を持つ日本テレビが中継を決めていれば問題は起こらなかった。伊豫田編成部長は「10年前、いや3年前でもおそらく中継されていた」と話す。日本テレビが早々に10月の巨人戦ナイターの地上波中継なしを決めたのは、視聴率の低下が大きな要因だ。今季の巨人戦ナイターの関東地区の平均視聴率は9・6%(ビデオリサーチ調べ)。99年(平11)を最後に20%を割り、今季とうとう2ケタを切った。同局が優勝チーム決定前に地上波の打ち切りを決めたのは今回が初だった。
巨人がこのまま低迷を続ければ、視聴率の上昇は難しいだろう。そうなれば中継の縮小傾向は来季以降も加速するかも知れない。一方でパ・リーグのプレーオフ、日本シリーズなどを見ても、地元球団を抱えるそれぞれの地域では人気、盛り上がりとも決して冷え込んではいない。ここにも地方と東京の難しさが潜んでいる。
来季はセ・リーグでもプレーオフが導入される。「地域限定」の盛り上がりはさらに強まるだろう。視聴率が激しく争う世界だが、せめてクライマックスの「ここ一番」だけでもそれぞれの地域で視聴できるシステムに変更できないだろうか。
November 21, 2006 02:05 PM 投稿者:上野竜一
2006年11月17日
追い込まれた競輪・加藤に爆発の予感:村上正洋
1着賞金1億円。今年もKEIRINグランプリ(GP)が12月30日、東京都京王閣競輪場で行われる。出場選手は今年のG1ウィナーに加えて、獲得賞金ランク上位者の計9人。
昨年12月、G1全日本選抜競輪で初タイトル、その勢いでGPも制して賞金王と一躍シンデレラボーイとなった加藤慎平(28=岐阜)が、今年はまだGP出場権を手にしていない。加藤は先日のG2「ふるさとダービー防府」に参加。G2のため優勝してもGP出場へは直結しないが、V賞金1400万円は賞金上積みに重要な一戦だった。ところが、賞金争いのライバル、手島慶介が優勝したことで、賞金でのGP出場は絶望的。GPへは残るG1全日本選抜での優勝しかない窮地に追い込まれた。
加藤が一気にまくしたてる。「今はすがすがしい気分ですよ。チマチマ賞金のことが気になっていたころはホントに苦しかったけど、本来、オレのスタイルじゃない。賞金で出る人は1年を安定して成績をまとめていける人。オレは爆発力の勢いでここまできたから、逆に開き直っていける。去年の賞金王としてGPに乗らなきゃとずっとプレッシャーになっていたけど、今、この状況に置かれて去年とまったく同じ気持ちになった。去年も11月の時点でGPの権利もなかったから。悔しいけど、去年がフロックだったと考えたら楽になりました」。
日ごろからGP出場への意欲を聞いていただけに、さわやかな表情は意外だった。最後に加藤が言った。「でも、何の根拠もないけど、12月30日、京王閣にいるような気がするんですよね」。
これまで新人王戦での優勝など、一発勝負に無類の強さを発揮してきた加藤だ。あながち強がりでもない。
November 17, 2006 01:36 PM 投稿者:村上正洋
2006年11月08日
ウッズと中嶋、不思議な9年ぶり「再会」:村野森
日本シリーズの熱狂の中で、めぐり合わせの不思議を感じた。日本一をかけた舞台で日本ハムの「抑えキャッチャー」中嶋が、中日の2冠王ウッズをキリキリ舞いさせる…。当の2人もこんな場面が来ることを考えていなかったはずだ。
97年秋。中嶋はフロリダ州セントピータースバーグにいた。オリックスからFA宣言し、メジャー移籍を目指していた。城島がマリナーズ入りする7年も前の話で「日本人初のメジャー捕手」には先駆者の響きがあった。結局エンゼルスと西武の2者択一を迫られ、悩んだ末に条件のよかった西武を選んだ。移籍後しばらく経っても「メジャーの夢を見る」と話していた。
97年秋。中嶋のいたグラウンドに、実はウッズもいた。9年間の米球界生活でメジャーに上がれず、KBO(韓国プロ野球)が始めて主催した「外国人合同トライアウト」を受験しにきていた。体は今より少し小がら。斗山入りが決まった後「活躍してメジャーに戻ってくる」とギラついた目で話していたのを覚えている。韓国球界が外国人を受け入れるのはその年が初めてで、ウッズにとっては「都落ち」の気分だったのだろう。
日本シリーズをはさみ、2人に互いを覚えているか聞いてみた。いずれも覚えていなかった。中嶋は言う。「自分のことで必死やったからな。クールボー(元阪神)が韓国のテストを受けていたのは覚えているけど…」。ウッズにも、同じグラウンドにいたはずの中嶋の記憶はなかった。
そんな2人が、何の偶然か日本シリーズで激しく戦った。中嶋はオリックス時代の96年以来10年ぶりの日本一になり「来年も野球をやれそうだよ」と笑っていた。ウッズは年俸5億円のミリオネアになっており「もうメジャーでやるつもりはないよ」と言った。同じ時、同じ場所で同じようにあがいていた2人が、野球人生をサクセス・ストーリーに変えていたことがちょっとうれしかった。
November 8, 2006 02:09 PM 投稿者:村野森
2006年11月04日
落合英が見せてくれたプロの生き方:桝井聡
中日落合英二投手(37)が10月30日に会見し、今季限りでの現役引退を発表した。右肩痛の不安が消えなかったのが理由だった。
黙々とナゴヤ球場を走り込む姿が忘れられない。入社1年目の記者は、毎朝のようにナゴヤ球場に通った。最初は選手の名前も顔もわからなかった。数少ない知っている選手の1人が、落合英だった。今季は故障で出遅れ、開幕は2軍スタート。6月27日に1軍登録されたが、5試合登板してだけで8月3日に抹消された。右肩痛が影響だったのだと思う。その後は再び2軍生活。若手に交じって汗を流す生活は、シーズンが終わった後も続いた。
大ベテランなのに、偉ぶる様子がまったくなかった。深々とあいさつされ「記者はルーキーなのに」と恐縮したことは数知れず。トイレで居合わせたときも、グラウンドの端っこからも、記者があいさつする前に、いつも先にあいさつされた。記者が持っていく新聞に食い入るように見入り、野球の話だけでなく雑談にも乗ってくれた。練習が終わり「送っていこうか」と言ってくれたこともある。何をしていいかわからずおどおどする記者に、いつも「頑張って」と励ましてくれた。
シーズン終了後、今年も中日からは3人の選手が引退を宣言した。そして、6人が来季の契約をしないことを通告されている(11月3日現在)。その中には記者と同じ世代の選手もいる。ダメなら切られるプロの世界で15年も生き抜いてきた落合英は、素直にスゴイと思う。
引退後のことは明言していない。だが、落合英なら、どんな仕事に就いたとしても成功すると思う。1軍選手が帽子のツバに落合英の背番号「26」を書き込んでプレーするほど人望があり、右も左もわからない新米記者にまでプロの生き方を見せてくれた。記者も早く1人前になって、もう1度取材させてほしいと思う。
November 4, 2006 02:08 PM 投稿者:桝井聡
