2006年07月15日
応援歌にもドラマ凝縮、熱い夏がまた到来:八反誠
取材先の球場で何度も耳にし、自然に覚えた「歌」がある。高校野球ではスタンドに陣取る控え部員が、プロ野球の選手の応援歌などをそのまま歌って応援する光景が定着しているが、それはどの選手のものとも違うから耳に残った。愛知県のチームでは定番といえるまでに浸透。いつの間にか、口ずさめるようになった。
「マニュアル通りに生きたって何も始まらない 僕等の歩いて行く道はアスファルトなんかじゃない」
こう歌い、かっ飛ばせ~○○!!と続ける。
気になって調べると、人気グループB-DASHの歌う『平和島』という曲の一節であることが分かった。なぜ? 取材を進め「僕が最初だと思います」と断言する選手を突き止めた。
04年夏に甲子園で8強入りした中京大中京の磯村拓範内野手(現中京大1年)がその人。この曲が支えだったという。「僕はあの曲を聞いて中京大中京に行こうと思ったんです。だから、応援歌で使わせてもらいました」。
中学校3年の時、磯村は進学先に悩んでいた。競争の厳しい名門中京大中京か、1年からレギュラーになれそうな地元の公立校。公立校へと気持ちが傾きかけた時に、偶然耳にしたのが『平和島』。「アスファルトなんかじゃない」--あのフレーズで、厳しい道のりを避けようとしている自分に気付かされたという。
即座に中京大中京を選択。努力で1年秋にはレギュラーをつかみ、2年夏には甲子園へ。「人生を変えてくれた」と感謝する『平和島』の一節は、応援歌として甲子園のアルプススタンドにまで響き渡った。
高校野球は必ずしもさわやかで、すべてが美しいものではない。でも、聞こえてくるわずかワンフレーズに、こんなドラマが詰まっている。この夏もそんな熱い気持ちを、思いを、一つでも多く取材して紙面にできたら、と思う。
高校生が3年間のすべてをぶつける地元の地方大会は、14日の三重に続き、今日15日には愛知、岐阜もいよいよ開幕。熱い夏が今年もやって来る。
July 15, 2006 10:55 AM 投稿者:八反誠
2006年07月08日
父親の背中見て同じ競艇界志す娘:山本善憲
親子の絆が希薄になったと言われて久しい。親が子を、あるいは子が親を、互いを殺める嫌な事件が後を絶たないが、親の背中を見て育った子どもが同じ道を志す。そんな世界が競艇界には残っている。先日、デビューを飾った鈴木祐美子(20=三重)は父の光男(52=三重)が現役の競艇レーサー。ただ、子どもの頃から競艇選手を夢見ていたわけではなかった。
三重から新たに誕生した競艇の父娘レーサー鈴木光男(右)と娘の祐美子
「幼い頃から父が舟に乗っているのは何となく分かっていたけど、魚でも獲っているんだと思ってました(笑い)。競艇選手だと分かってからも、たまに優勝戦に乗って、テレビのインタビューに出るのを見るのが楽しみなくらいで、特にレースを真剣に見ることはなかったですね」。
それより、兄姉の影響で小学校から始めたバスケットボールに夢中になった。中学は愛知の名門中学に越境入学、高校は推薦で大阪の強豪校へと進学した。学生時代はバスケットに明け暮れたが、高校3年の時に「体も小さいし、このままバスケットを続けても…」と将来のことを考え始めると、ふと競艇選手の道が頭に浮かんだ。その思いは母を通じて、父にも伝えられた。
娘が自分と同じ職業を選んだことを父は「うれしかったですね」と喜んだ。自分が長年、魂を注いできたことを、娘が認めてくれた証でもあった。しかし、現実に選手を目指すとなれば心配ごとの方が多い。「危険をともなう仕事だし、生半可な気持ちで選手を目指してもらっても困りますからね」。父として娘の決断を喜びながら、厳しい世界に飛び込む決意を求めた。
「一生懸命やるのは当然ですが、まずは人として立派になって欲しい。陸の上では労を惜しまず、何でも進んでやって欲しい」。レーサーとしての大成より、まずは一社会人として恥ずかしくない人間になって欲しい。その目は厳しかったが、父親としての優しさにあふれていた。
「たまに家に帰ってきても、父がプロペラを作っている姿を子どもの頃からずっと見てきました。そんな父を尊敬していますし、私も立派な選手になれるよう頑張りたいです」。父の思いは娘の心にも、しっかりと届いている。
July 8, 2006 10:48 AM 投稿者:山本善憲
2006年07月01日
「魂」体現した杉田、物語の続き:北村泰彦
6月のある日、畑中ボクシングジムをのぞくと懐かしい顔があった。杉田竜平(29)だ。今年2月の東洋太平洋タイトルマッチのTKO負けで現役引退。もう5カ月がたとうとしている。いつからジムに? 一心不乱にサンドバッグを打ち込む姿を見ながら、畑中会長に訊ねると「6月からほぼ毎日来ている」と言う。
今年2月の東洋太平洋戦で王者スイコ(左)と戦った杉田
7月16日には引退式がある。けれど、記念スパーリングの予定はないから、体を鍛える必要もない。それでもジムを訪れるのは、ボクシングへの飢餓感なのだろうか。記者が抱いた疑問は当たりでもあり、外れでもあった。「やめた後、思い切りサンドバッグを叩きたくなることがあるんですよ。筋肉痛になるけど」。苦笑いをしながら、杉田は続けた。「後輩たちにハッパをかけに来てるんです。教えるのってけっこう面白い」。その答えを聞き、「そう来なくちゃ」とヒザを打つ思いだった。
杉田のボクシング人生は畑中ジムの歩みそのものだった。創設間もない畑中ジムに、飛騨古川から単身入門。ひたむきなファイトで、網膜裂孔など逆境を乗り越え、日本王者に2度就いた。世界王者にはなれなかったが、同ジムのプロ1号生として、畑中会長が何より大切にする「魂」のボクシングを11年間続けた。引退後の進路は自由だ。それでも、畑中ジムの志を後進に伝える存在として、彼は適役なのではないか。そう思っていた。
畑中会長は「トレーナーに? うん、いずれ戻ってくるのは分かっとるんだけどね」と確信の笑みを浮かべていた。杉田も否定しなかった。「自分でもそうなるのかなあ、という予感がなくはないですね」。あとは「ニート改めジプシーです(笑)」と自虐的に表現する生活基盤を整えてからだろうか。今度は畑中会長、杉田トレーナーのコンビで世界王者を-。号泣のTKO負けで幕を閉じた魂の物語には、まだ続きがありそうな気配だ。
July 1, 2006 11:11 AM 投稿者:北村泰彦
