2006年04月28日
スケート→競輪、転向組に事情あり:川尻将志
トリノ五輪が終了し、スピードスケートの牛山貴広(24)が競輪転向を表明。93期生として5月から競輪学校に入学することが決まった。牛山は男子団体追い抜きメンバーとして8位。個人では1000メートルで28位、1500メートルで35位、5000メートルで27位と、トリノ五輪では結果を残せなかったが、新天地での活躍が早くも注目を集めている。
武田豊樹(32=茨城)らスケートから競輪への転向組は少なくない。中部地区にも植松仁(31=岐阜)が代表選手として名前が挙げられる。植松は長野五輪のショートトラックに出場。500メートルで銅メダルを獲得した実績を引っさげての競輪転向だった。デビューして約5年、ここへ来て最高位のS級へ手が届くところまでやってきた。
これだけスケートから競輪への転向組が増えれば、その関連性が注目を集めるが「僕はトレーニングで自転車に乗ったことがなかった。最初はフラフラして大変でしたから。スケートが速いからと言って、自転車が速いとは限らない。大事なのは基礎体力があるか、ないかでしょう」と植松はキッパリ。自身がここまで苦難の道をたどってきただけに、説得力がある。
それ以上に植松が問題視するのが、スケート界の現状だ。「本当はスケートならスケートだけで食べていけるのがベストだと思う。日本にも早くそういった環境が整って欲しい」と切実に訴える。スケートで生計を立てていけるのは、ほんのひと握り。植松もスケート時代には所属企業を転々とするなど、苦労を味わってきた。スケートから競輪への転向は、決して前向きなケースばかりとは言えないのが実情だ。
「僕から競輪への転向を勧めることはしません。それはスケートで頑張っている人に対して失礼にあたるから」と植松は厳しい口調で話す。それでも、確かなこともある。植松が競輪で頑張る姿は、スケート競技者にとっては1つのモデルケースとして、何らかの道しるべとなるはず。スケート界と競輪界、それぞれの思いを背負って、植松の戦いは今後も続いていく。
April 28, 2006 11:09 AM 投稿者:川尻将志
2006年04月22日
名古屋MF本田が19歳と同居中…!?:北村泰彦
2年目を迎えた名古屋MF本田圭佑(19)が好調だ。15日新潟戦でプロ入り初の公式戦2試合連続得点を記録するなど「2年目のジンクス」もどこ吹く風だ。実は今季から選手寮を離れ、独立した。19歳と言えば遊びたい盛りの年頃。中には私生活の乱れから不振に陥る選手もいる。でも、本田はひと味違う。自らを厳しく律するため、ある試みを始めたのだ。
今季のチーム始動前の1月のことだった。練習場を訪れた本田は1人の若者を伴っていた。「またちょくちょく来ると思うんで、お願いします」。そう本田から紹介されたのは、山崎純君。本田と同じ19歳だ。記者が「よろしくね」と名刺を渡すと「まだ名刺持ってなくて。肩書きもまだ…」と恐縮しながら自己紹介してくれた。今季から本田と同居し、個人マネジャーとして食事など生活面を管理するのだという。プロモート色が強い日本の「マネジャー」とは趣を異にするが、欧州サッカー界では同種の例は珍しくないらしい。
2人の出会いは昨年7月。山崎君はまだ京都の大学に通う1年生だった。「面白くなかったんですよ。皆、飲み会とか遊ぶことばかり。俺、何しに来たんやろって…」。学生生活の現実に絶望していた矢先、共通の知人を介して本田と食事する機会を得た。最初は「うわ、本田や…という感じ」。新人ながら大活躍するプロ選手を前に腰が引けたが、サッカー談義を熱く交わすうちに本田の虜になった。「同い年でこんな意識高いヤツおるんやと。衝撃でしたね」。当時からマネジャーの存在を求めていた本田と、サッカー界で就職する夢を抱いていた山崎君の思いは一致した。大学中退を反対する山崎君の両親を、本田はまた熱い口調で説得。契約を結んだ上で「二人三脚」の挑戦が始まった。
新生活から4カ月。本田に聞くと、料理の腕前は「いけますよ」と言う。2人で議論しながら栄養バランスに気を使う。毎日のメニューはパソコンで管理している。「ビタミンをどうとるか。それが難しいんですよね」と本田。3月某日の練習試合後には、持参したおにぎりとオレンジをほお張る姿があった。準備したのは、もちろん山崎君。その頃にはもう名刺ができていた。肩書きは「専属ライフマネジャー」とあった。
微笑ましくも頼もしい19歳コンビは着実に歩を進めている。2人が笑ってシーズン終了を迎えられますように。そう願わずにいられない。
April 22, 2006 10:31 AM 投稿者:北村泰彦
2006年04月15日
売店の看板娘は速くて強い!:村上正洋
この4月から豊橋競輪場内の選手向け売店に看板娘が登場した。その三宅悠里さん(28)は、いずれは自転車競技で世界も狙える強さを兼ね備えた有望選手でもある。
選手向け売店のアイドル三宅さんは、自転車競技の実力もピカイチだ
故郷、京都の明治鍼灸大学を卒業後、豊橋市内の治療院へ勤務。そこの先輩に誘われてトライアスロンを始めたことが競技へ取り組む入り口だった。「もともと水泳は苦手だったし、スタートでいっせいに水の中に入ると、みんな殴り合いみたいになるのが嫌で(笑い)」と自転車競技一本に専念した。豊橋競輪場で汗を流す自転車競技愛好会「天狗党」に登録し、各種大会に出場。その実力は、同グループに所属しているプロの競輪選手にはさすがにかなわないが、普通の男子アマ選手と互角以上に渡り合える脚力だ。競輪選手の師匠・和田治恭の指導の下、トレーニングも街道練習、バンク、ウエートとプロ顔負けの本格派。昨年の全日本実業団大会では500メートルTT2位、女子ケイリン3位の実績がある。現在は来月に控える全日本アマチュア選手権(宮崎)に向けて猛練習の最中だ。
強くてかわいい。自転車競技者に女子選手の絶対数が少ないこともあって、さぞかしモテモテと思いきや、意外にも現在、彼氏募集中とか。「『サイクリングに連れて行って』という女の子ならかわいいかもしれないけど『今から練習行くよっ!』って言うと引かれるでしょう」と笑い飛ばす。
鍼灸師として独立した現在、往診する以外は売店勤務、そして自転車の練習に取り組む日々だ。恋人は自転車と言ってはばからない。「今は全アマで表彰台に乗ることが目標」と控えめに話すが、それが達成されれば世界選手権出場、そして夢の北京五輪も見えてくる。
April 15, 2006 10:26 AM 投稿者:村上正洋
2006年04月07日
「世界一」帰国して実感した福留:鈴木忠平
3月23日、東京駅。前日にワールドベースボールクラシック(WBC)から帰国したばかりの中日福留はうれしいショックを受けていた。名古屋行きの新幹線に乗り込むと、いきなり初老の紳士が右手を差し出してきた。「福留さん、ありがとう」。サインを求められたわけではない。およそ野球ファンとは見えない人から、ただ感謝だけを告げられた。世界一の立役者は一瞬おどろいたような表情を見せ、すぐに笑顔で握手に応じた。
WBC戦士が米国へ行っていた2週間、日本人の野球を見る目が変わった。たまたま休暇中だった記者は、準決勝の韓国戦での福留の代打決勝2ランを東北地方の温泉旅館で見た。その瞬間、ロビーのテレビ前では療養中の老人たちが大きな拍手。そのことを福留に伝えると「そうか。ハハハッ」と笑った。これが国際大会のパワーだと思う。
世界のサッカー少年はみなその国々の代表チームを夢見る。世界最大のスポーツイベントW杯があるからだ。ただ、これまでの野球は「巨人に入りたい」「メジャーリーガーになりたい」という少年はいても「日本代表になりたい」という子供はいなかったはずだ。世界各国が国を代表し、誇りをかけて戦う。ファン拡大を目指すなら、これほど魅力的な大会はない。帰国したばかりの選手、関係者はそれを強く実感したはずだ。
もちろん代表に関わった者には尊敬が集まり、義務と責任が生じる。名古屋への移動中の車内でトイレに立った福留が、また笑顔で戻ってきた。「今度はおばあさんに声をかけられたよ」。今度もサインを求められたわけではなく、祝福と感謝の言葉を受けたそうだ。世界一となった代表選手はこれまで野球に関心のなかった老若男女からも注目される。名古屋に帰る新幹線で、福留に新しい自覚が芽生えたのは間違いない。無様なプレーは出来ない…。そう、この日、車内であった2人の老人もおそらくこれからの福留を見ている-。
April 7, 2006 11:24 AM 投稿者:鈴木忠平
