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北海道発・記者ブログ

2007年9月25日言い訳は反省してない証拠

 見ていて本当に気分が悪くなる。人を殺しておいて、その言い分かと思う。光市の母子事件、福岡飲酒事故、いずれも報道を見るたび、はらわたが煮えくり返る。記者自身、実際に取材してないから詳細が分からない部分はあるが、とても許せる範ちゅうにない。

 言っていることを聞く限り、2人の被告に同情の余地はない。「生き続けなければいけない」とか「前の車がブレーキを踏んだから」とか。そういう話ではないと思う。まず自分が何を犯したのか。人の命を、しかも身勝手な理由で奪っておいて、素直にそれが反省できないのだろうか。

 もし自分の周りの人間が理不尽な理由で突然いなくなったら。我が身に置き換えて考えただけで、被害者の気持ちは伝わってくるはずだと思う。本心から悪いと思っているなら、言い訳などできないだろ。

 記者も学生時代、トラブルから他人にケガを負わせたことがある。過程はどうあれ、結果、そうさせた自分が悪いのは確か。学校からの処分は素直に受け入れた。それが当たり前だと思ったし、相手に申し訳ないことをしたという思いだったから。彼らは記者から見ればそれ以上に取り返しのつかないことをしてるのに、結局は保身ばかり。そんな言葉が出てるうちは、心から反省などしていないだろうと確信できる。

 記者の周りでも同じ。失敗した際、謝るより先に言い訳をする人間がいる。そういう人は必ずといっていいほど、過ちを繰り返す。反省し、2度と同じようなことが起こらないよう努力すれば、そんなことにはならない、と思う。でもやる人間は何度もやる。「人間は変われる」というが、そんな簡単なものじゃないし、実際変われた人は相当な努力をしたんだと思う。記者が感じる被告2人には、その可能性はまったく感じられない。

 反論のある人もいるだろう。「知ったふりしやがって」と思うむきがあってもそれは結構だ。ただ人間の血が通っているなら、彼らを許すことなどできないと思うのが普通だろう。何の罪もない人が不幸になる。それが大罪にならないようなら、何も信用することなどできない。

砂田 秀人(すなだ ひでと)

 北海道札幌市出身。92年北海道本社に入社。編集部、広告部を経て、97年から2年間、米国駐在。帰国後はコンサドーレ札幌や日本ハムを担当。04年11月から東京駐在として紙面製作。07年4月から編集部勤務。1970年3月生まれ。

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