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北海道発・記者ブログ

2007年11月 4日反省貧語

 魚河岸の町、東京・築地で生粋の「親子丼」と出会った。たまねぎ、みつばなどの具材を一切使わず、上質な鶏肉と半熟状態の卵がこん然一体となり、熱々の丼飯をふんわりと覆っている。ほのかに漂うだし汁の香りが、食欲をかき立てる。鳥料理店「辰の字」(築地3の14の5)のランチタイムで味わえる、江戸前の逸品である▼親子丼は明治時代半ば、東京・人形町の軍鶏(しゃも)なべ専門店で創案された。手軽で栄養価の高い出前ものとして評判となり、近代化の時流に乗って、全国各地に広まっていった。広辞苑は【親子丼】(鶏の親と子の意)と記す。辰の字の店主は「ごちゃごちゃ入ってたら、面倒くさいでしょ」とうそぶく。親=鶏肉と子=卵が、絶妙なハーモニーを奏で、万人に好かれる味を演出している▼日本のことわざに「熱火を子に払う」とある。慌てふためき、火の粉を払い、隣のわが子にやけどを負わせる、親の愚行を示している。わが身に降り掛かった災難を他人に転嫁する、あさましい行為として、戒めている。あまた発覚する昨今の企業不祥事における、一部トップの姿がだぶる。ましてや、ボクシング亀田一家の父史郎氏の思いやいかに、である▼親子のきずなは固く、尊い。先日、長男興毅の「謝罪会見」に心を揺さぶられた。二男大毅の世界戦における「反則行為」を認め、丸刈りの頭を下げた。約80分間におよぶ、追求口調の手厳しい質問に、たどたどしいていねい語で真摯(しんし)に応じた。「史郎氏への思いは?」と問われ、感極まった。目に涙を浮かべ「ここまで育ててくれたのはおやじやし、感謝しています。みんなは悪いようにいろいろ言うけど、世界一のおやじと思ってるから…」と、20歳の素顔をさらけ出した▼子は親の背中を見て、育つ。興毅の会見と昭和40年代の人気漫画「巨人の星」のエピソードが交錯した。主人公の星飛雄馬は、高校入試の面接で父一徹の職業を問われた。背筋を伸ばし、胸を張って、こう答えた。「父は…、いや、オレの父ちゃんは日本一の日雇い人夫(労働者)ですっ」。親子二人三脚で球界およびボクシング界の頂点を目指す。独自のトレーニング法で幼少時から有無を言わさぬ、英才教育を施す。亀田親子と星親子の共通項は多い▼一徹は戦前、プロ野球巨人の内野手だった。第2次世界大戦に出征。チーム復帰後、戦地でいためた右肩を補完する、「魔送球」を生み出した。打者走者をかすめる危険な送球に同僚の川上哲治が「待った」をかけた。大戦の犠牲となったエース沢村栄治を引き合いに「わが巨人軍のエースは生涯、ビーンボールを投げなかった」と、現役引退を促した▼潔く身を引いた一徹はその後、飛雄馬の育成に心血を注いだ。ときにぶつかり合いながら、夜空に輝く「巨人の星」に思いをはせた。巨人入り後は一転、中日のコーチとなり、わが子の前に立ちはだかった。オズマらライバル打者を刺客に仕立て、壮絶な死闘を繰り広げた。心を鬼にして、血のつながったまな弟子の成長を願った▼飛雄馬の大リーグボール2号は、父考案の魔送球を応用していた。軽い球質と正確無比な制球を最大限に利する同1号同様、あくまでベースは「一徹スタイル」だった。下手投げからのスローボールで強打者を手玉に取る同3号こそ、「一徹超え」の証しだった。左腕の筋断裂とひき替えに、真の父離れを果たした▼子はいつか、巣立ちの日を迎える。追われるようにボクシング界を去った史郎氏は、一徹を見習ってほしい。苦境に立つ亀田兄弟は、飛雄馬を参考にしてほしい。自分自身で考え、悩み、もがき苦しみながら、プロボクサーとしての心と技に磨きをかけ、奔放な「亀田スタイル」からの脱却を目指すべき、である。半熟の卵は、生粋の親子丼でこそ、味わい深い。

白船 誠日(しらふね まさひ)

 北海道札幌市出身。92年北海道本社入社。編集部、販売部、編集部、営業部、編集部を経て07年4月から編集部東京駐在。過去にサッカー、高校野球など担当。1963年12月生まれ。

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