2007年7月20日矢沢VS布袋
先日、テレビの音楽番組で矢沢永吉と布袋寅泰がセッションした。アコースティックギター、エレキギター、キーボードのシンプルな3人編成で「もうひとりの俺」(96年発表)を披露した。バラード調のメロディを奏でながら、永ちゃんのヴォーカルと布袋のギターが火花を散らした。「フォーッ、サイコゥ!」。額に汗を光らせ、サムアップした永ちゃんの笑顔が、3分足らずの「真剣勝負」を物語った。
矢沢のアイデアだった。スタジオ入り直前にベースおよびドラム抜きの演奏を提案した。楽屋で2人きりのリハーサルをこなし、本番に臨んだ。♪ 夜更けに 1人で…♪ 緊張感漂うステージで、57歳のカリスマが、YAZAWAワールドを展開した。44歳のギタリストは、長い両足でステップを踏み、キレのあるギターワークでサポートした。主役のヴォーカリストをリスペクトしつつ、黒いテレキャスターから矢のように放たれる独特の旋律で、存在感を示した。
今回の企画で、矢沢は女性バンドやオーケストラと共演した。オープニングはギタリスト山本恭司をバックに「Yes my Love」(82年発表)を切々と歌い上げた。さらに初セッションとなった布袋に対して「やっぱ張ってる人って、格好いいですよ」と敬意を表した。13歳年下のギタリストは収録後に「極上の緊張感を味わせていただき、感謝しています。すごいヴォーカリストの横でギターを弾く喜びを、また、思い出したというか、心から感謝してます」と話した。
20数年前のライブを思い起こした。学生時代、札幌市内のライブハウスで雑用係のスタッフを務めていた。80年代半ばの当時、実力派バンドが次々とデビューした。レベッカ、バービーボーイズ、レッド・ウォーリアーズ…。さらにアイドル路線? のチェッカーズ、渡辺美里、吉川晃司、色モノ系? の爆風スランプ、聖飢魔〓ら、多彩なアーティストたちの札幌初ライブを体感した。とりわけ、デビュー前の久保田利伸の歌唱力に身震いした。
圧巻は、BOφWY(ボウイ)のパフォーマンスだった。ヴォーカル氷室京介がシャウトする。負けじと布袋のギターがうなりを上げる。数百人の観客が一斉に腕を振り上げ、首を振り、「タテノリ」のリズムを刻む。上下黒革のコスチュームに身を包んだ4人組のロッカーと聴衆の熱気で、会場は酸欠状態に陥った。さらに「稲葉ジャンプ」を凌駕(りょうが)する? 過激な振動で階下のディスコの一部照明が落下した、と記憶している。
伝説のロックバンドBOφWYは、82年にアルバム「MORAL」でメジャーデビューした。氷室と布袋の個性と才能がぶつかり合い、オリジナリティーあふれる作品を世に送り出した。アルバム「INSTANT LOVE」(83年)「BOφWY」(85年)「JUST A HERO」(86年)「BEAT EMOTION」(同)など、日本のロックシーンで一時代を築き、88年に解散した。その後、98年リリースのベストアルバム「THIS BOφWY」は200万枚以上の売上げを記録した。
布袋は06年12月10日付けの日刊スポーツ「日曜日のヒーロー」で次のように語っている。
「ライブハウスで20人の友達を集めて始まって『何でお客が入らないんだろう』『もっといい曲書こうぜ』と、バンドで高め合いながら500人、1000人、1万人になって…。1歩1歩、リアリティーを持った経験を重ねて栄光を見たという世代なので強いですよね」。
「バンドにとって、ヒムロックがいるというのはすごく心強かった。エネルギーがあって、歌もうまいし、親分肌で引っ張ってくれるし。逆にオレを自由に『好きなようにやってくれ』と認めてくれたしさ。彼じゃなかったら僕もこんなに自由にやれなかっただろうし。僕は、彼と火花を散らすようなギタリストでありたいと思っていたし、同時に彼も、僕がただバックにいるギタリストではなく、どこかでそれを要求していたと思う」。
「ヒムロックや吉川や、いろいろなミュージシャンとセッションしてきて、相手のハートに火を付けたいタイプなんですよね。僕というギタリストは、背もでかければ目立つしさ、一緒にやったらめちゃくちゃ邪魔だなんだけど、僕がいなくなると寂しいな、代わりはいないぞというギタリストでありたいし。人と一緒にやるときはお互いが高め合って『1+1が2以上』の物を作れる。そういったセッションは向いているのかもね」。
20数年前、ヒムロック(氷室)の素顔に触れた。札幌初ライブのリハーサル終了後、1人の一般女性が非常口のドアをノックした。思い詰めた表情? でメンバーに面会を求めてきた。「氷室さんに伝えてください。○○が来たって…」。楽屋でくつろぐ布袋らに「あの~、面会の方が…」。「女っ? 男っ? 」。「氷室さんに、○○さんという女性が…」。他のメンバーが色めき立った。「ヒューっ」「いやいや、さすがっすね…」。クールなヴォーカリストは、照れくさそうな笑みを浮かべ、知人らしき女性を迎え入れた。
名だたるアーティストたちの北海道初ライブ-。当時の観客動員NO・1は渡辺美里だった。聖飢魔〓のデーモン小暮閣下は、黒ミサ? 終了後に「トイレ借りてもいいっすか。メーク落としたいんで…」と、平身低頭で世を忍ぶ仮の姿に戻った。レベッカのNOKKOは、キュートなダンスでミニスカートのすそをひるがえし、最前列の警備スタッフ(シラフネ含む)をドキドキさせた。長身の布袋はリハーサル時、天井の照明機器に頭をぶつけそうになり「髪の毛焼けちゃうよ」と、苦笑した。
数年前、紙面企画で元チェッカーズの藤井フミヤにインタビューする機会があった。あの、チェッカーズである。さらに、フミヤである。タータンチェックの衣装で一大ブームを巻き起こし「時代が動いた、って感じ。チェ・ゲバラの気分だったよ」と振り返る。その後、ライブハウス出演時の話題となり「すすきの、いいよね。あのころは楽しかったな。ライブの後、1000円札を握りしめて、メンバーみんなで『のぞき部屋』に行ったっけ…」。「そ、それ、書いていいんすか…」。まさに『あの娘とスキャンダル』である。
80年代デビューのアーティストたちの多くは、現在、不惑半ばである。少なからず、永ちゃんの影響を受けている。今回の企画で出演依頼を受けた布袋は「英国にローリングストーンズがあるように、日本には矢沢永吉がいる。日本の男で矢沢さんを嫌いな人なんていないでしょ。断る理由がない」と、快諾している。矢沢の自伝「成りあがり」(78年発表)は多感な思春期のベストセラーであり、バイブルだった、はずである。
BOφWY結成の約10年前、矢沢はロックバンド・キャロルのリーダーとしてデビューした。札幌冬季五輪が開催された72年にファーストシングル「ルイジアンナ」をリリース。黒の革ジャンにポマードべっとりのリーゼントスタイルでベース&メインヴォーカルを務め、若者たちの心をつかんだ。75年の「ラストライブ」は東京・日比谷野外音楽堂で行われた。炎につつまれながら、わずか2年足らずのバンド活動にピリオドを打った。
キャロル解散から5カ月後の同年9月、「I LOVE YOU,OK」でソロデビューした。その後の活躍は、周知の通りである。日本人ロックアーティストとして初の東京・武道館公演(77年)、CMタイアップナンバー「時間よ止まれ」の大ヒット(78年)、全編英語詞のアルバム「YAZAWA」リリース(81年)、米人気バンドのドゥービー・ブラザースをバックに「来日公演」(82年)、テレビドラマ「アリよさらば」主演(94年)…。デビュー36年目となる07年は、通算100度目の武道館ライブ開催を予定している。
57歳になった矢沢は、マリナーズ・イチローと対談したテレビ番組の書籍版「イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学」の中で、こう言っている。
「なにかに飢えている、なにか刺激が欲しいという人間は、いままでとは違う、自分の知らない世界の扉を、開けたくなるもんです。そして、扉を開けたら、そこで何かを感じるんです」。
「やっぱり、音楽好きなんですよ。やっぱり、いいステージしたいんです。ステージに立って、客がアンコールで盛り上がったときに、純粋に『今日、サイコー』って思ってる自分がいるわけですよ」。
だからこそ、シャウトする。派手にマイクを蹴り上げる。矢沢は8月開催の野外ライブ「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZO」(17、18日、小樽・銭函5丁目)に初出演する。海辺の特設ステージで「サイコウっ」「ヨロシクっ」と、ロック界のカリスマの貫禄を示す。この夏、いったい何枚の「E・YAZAWAタオル」が、北の夜空に舞うのだろうか。
※〓はローマ数字の2