2007年4月16日いくつになっても親子の絆は普遍だ
映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(松岡錠司監督)が14日、公開された。原作はリリー・フランキー氏の自叙伝小説。主人公の「ボク」をオダギリ・ジョー、「オカン」を樹木希林が演じた。舞台は九州の地方都市から首都東京へ。時代は昭和から平成へ…。戦後日本を象徴する「東京タワー」をキーワードに親子の絆(きずな)を淡々と、濃密に描き出している。
映画のキャッチコピーは「これは ありふれた物語 けれど すべての人の物語」だった。この春、社内の異動で東京勤務となった。札幌生まれの札幌育ち。人生初の「東京暮らし」を機に、遅ればせながら、リリー・フランキー氏の原作を読んでみた。笑い、そして、泣けた。氏と同じ63年生まれだけに、時代背景や幼少時のエピソードなど、昭和の息吹が色鮮やかによみがえった。自身の実体験を重ね合わせた。
確かにあのころ、1日、1年の密度が高かった。野山を走り回り、昆虫や木の実を取りまくった。公園に怪しい紙芝居のおじさんがいた。自転車で転び、血だらけになった。くだらないコントを考え、級友を笑わせた。リレーの選手に選ばれ、算数が苦手だった。夏休みの宿題にギリギリまで手を付けなかった。「ヤンボー・マーボー天気予報」がテレビから流れていた。流行歌のレコードを欲しがった。中条きよしの「うそ」に大人の世界が見え隠れした。
時間は止まらない。年齢以上に加速する。小学校高学年になると、余計に背伸びしたがった。ふろに1人で入るようになった。ブルース・リーやビートルズにあこがれた。「宝箱」に大切に保管していたピンバッジやキーホルダー、切手、記念硬貨を手にしなくなった。異性を意識するようになった。そして、いつの間にか、白髪の目立つようになった母親の呼び方が「ママ」から「お母さん」に変わっていた。
30数年後、生まれ育った故郷を離れ、上京した。引っ越したばかりのマンションのベランダで“大東京”を実感した。夜空の星はうっすらと輝くだけ。周囲に高層ビル群がそびえ立つ。眼下の築地本願寺は低層建築ながら、圧倒的な存在感と威厳を示す。右手遠方に目を移すと、ライトアップされたレインボー・ブリッジがくっきりと浮かび上がっている。徒歩1分足らずの築地市場は早朝から観光客でにぎわっている。
その場外市場に昔ながらのスナック喫茶がある。人気のランチメニューはボリュームたっぷりの「なかおち定食」(950円)。昼時は周辺のサラリーマンやOL、市場関係者で混雑している。マスターいわく「昭和のころなんてさぁ、この辺でOLさんとか、若いアベックなんか見かけなかったもんだよ。午後2、3時を過ぎると、ネコしか歩いてなかったからさぁ…」。時代は常に変化している。
リリー・フランキー氏は原作の中で、小学1年のとき、法定伝染病の赤痢にかかり、隔離病棟の入院生活を余儀なくされ、地元紙に掲載された、と書いている。どきっとした。母親にメールで確認した。「おれって、子供のとき、赤痢で入院したよね」。ほどなく返事がきた。「3歳のころだね。あのときは死ぬかと思いましたよ。お母さん泣きながら、誠日を抱きしめていたものねぇ。それがどうしたの?」。札幌でひとり暮らす母親の涙と笑顔が交錯した。
35年生まれの母親は今年72歳になる。43年間、心配ばかり、かけている。ただ、時代が変わっても、年齢を重ねても、母は母であり、子は子である。親子の絆は普遍である。映画「東京タワー~」の主題歌を担当する福山雅治は14日付の日刊スポーツ紙面で「子供を信じて仕送りを続ける母は親ばかにも見えますが、僕は人を信じる気持ち、無償の愛を感じた」とコメントしている。
5月の第2日曜は「母の日」である。今年は何を贈ろうか。「今までいろいろ、ごめんね。そして、ありがとうね」の言葉とともに。