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北海道発・記者ブログ

2007年2月19日「ようこそ札幌へ」と歓待しよう

 現在、沖縄・名護で日本ハムの春季キャンプを取材している。連日、多くのファンが名護市営球場を訪れ、選手たちの一挙手一投足に注目している。週末、地元のちびっ子ファンが色紙やボールを手に球場出入り口付近で声を張り上げる。「ひちょりさーん! サインくださーい! お願いしまーす!」。練習後、森本稀哲外野手ら選手は時間の許す限り、サインや記念撮影に応じている。

 南国の地で真冬の北海道に思いをはせた。35年前の72年2月3日、アジア初開催の冬季五輪、札幌五輪が開幕した。近隣在住および小学4年生以上の児童が、札幌・真駒内屋外競技場で行われた開会式に参加した。色とりどりの風船を片手にリンクを埋め尽くした。当時小学2年生。わずか2学年差で「豆スケーター」の資格を逸した。テレビ画面に映し出される光景が、やけにまぶしく、うらやましかった。

 地元開催の五輪を体感するため、毎日のように選手村に通った。氷点下の気温にめげず、ときに雪の降りしきる中、選手通用ゲート付近に張り付いていた。ある日、当時あこがれの日本選手が目の前を通り過ぎた。「笠谷選手! サインください!」。願いは届かなかった。ジャンプの笠谷幸生は足を止めることなく、村内に消えていった。少なからず、ショックを受けた。

 今なら分かる。日本ジャンプ陣のエース笠谷はそのとき、競技を控えていた。地元開催、金メダル候補…。幾多のプレッシャーをはね返すため、集中力を極限状態に高めていた。感覚的に「ゾーン(ピークパフォーマンス)」の状態にあった。事実、70メートル級で冬季五輪日本勢初の金メダルを獲得した。銀メダルの今野昭次、銅メダルの青地清二とともに表彰台を独占した。まさに歴史的快挙だった。

 35年後のこの春、日本ハムの2軍キャンプ地、沖縄・国頭村(くにがみそん)を訪れた。人口約5600人の過疎の村は「スポーツ交流」に活路を見出した。03年度から5カ年計画で野球場(メーンおよびサブ球場)、陸上競技場を整備した。総事業費で約40億円の一大プロジェクトだった。昨春から日本ハムの2軍キャンプを招致。同村教育委員会の宮城馨教育長は「施設だけじゃだめなんです。迎える側の気持ちが重要なんです」と、ハードに伴う「ハート」の重要性を訴えた。

 まさに「ホスピタリティー」の精神だった。大辞泉によると(1)心のこもったもてなし。手厚いもてなし。歓待。また、歓待の精神(2)異人歓待(いじんかんたい)、とある。出場選手1006人、6競技35種目で開催された札幌五輪当時、外国人選手と触れ合う機会があった。ある日、選手村で大男に囲まれた。意味不明の外国語で話しかけられ、困惑した。ボランティアの女性通訳を介して、チェコスロバキア(当時)のアイスホッケー選手とピンバッジを交換した。その瞬間、言葉以上に気持ちが通じ合った。

 札幌五輪を契機に100万都市の仲間入りを果たした札幌で2年に1度のノルディックスキーの祭典、世界選手権が行われる。参加47カ国、1087人の選手・役員が北海道を訪れる。日本ハムの本拠地札幌ドーム内に雪を搬入。開会式やクロスカントリー男女スプリント決勝を開催する。72年冬季五輪以来の夢舞台。街で外国人アスリートと出会ったら、ぜひ一声かけてほしい。「札幌へようこそ」「Welcome Sapporo」と。189万都市札幌の一員として「ハート」のあるホスピタリティーを体現したい。

白船 誠日(しらふね まさひ)

 北海道札幌市出身。92年北海道本社入社。編集部、販売部、編集部、営業部、編集部を経て07年4月から編集部東京駐在。過去にサッカー、高校野球など担当。1963年12月生まれ。

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