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北海道発・記者ブログ

2007年5月11日人生の転機って、心当たりあります?

 人生は、どこかに転機があるもの。4月に行われた北海道議会議員選挙登別市区で初当選した堀井学氏(35)が、10日開会した臨時道議会で道庁に初登庁した。スピードスケートで五輪に3度出場、初出場の94年リレハンメル大会で500メートルで銅メダルを獲得。引退後は会社を興し実業家として活動し、今度は政界への進出である。その堀井氏を見て思うのが、人生の転機についてだ。

 スポーツ界からの政界進出は珍しくはないが、堀井氏の転身は感慨深い。私がスピードスケート担当記者のころ、堀井氏は選手として絶頂期にあった。1000メートルで世界記録を樹立し、96年の世界スプリントでは、最初の500メートルで転倒したものの、残り3種目で1位。転倒が響き総合では最下位だったが、海外勢を含む誰もが堀井最強を認めていた。

 輝かしい実績を持つが、早い時期から才能を発揮していたわけではなかった。堀井氏の転機はスケートでまだ無名だった中学3年の冬。室蘭の中学に通っていた堀井少年は帯広にある名門、白樺学園高に進学したい意向を持っていたが、父治年さんは反対した。息子が厳しい練習に耐えられるのか。親の目の届かないところで、苦労はさせたくないという思いからだった。

 熱意に負け、白樺学園進学の条件として息子に突きつけたのが、全国大会出場だった。高いハードルを課すことで、治年さんにしてみれば、白樺学園進学をあきらめるだろうという考えと、その一方で発奮してほしいという思いがあったという。堀井氏はそれをクリアした。上位16人が全国大会に行ける中で、17位とは100分の2秒差の16位だった。スタートの号砲に少しでも反応が遅れていたら…、レース中に少しでもリズムを崩していたら…、全国はなかったかもしれない。五輪など数多くの大舞台を経験した堀井氏だが、中学3年時のそのレースは自身の原点とまで言う。

 自分の転機って、なんだろうか? 今のところ、思い当たることはない。そういえば、入社試験を受けるにあたって、郵送した履歴書の裏面を記入し忘れるという失態をした。人事担当者からの「どうしますか」という電話での問い合わせに、会社まで出向いて書き足すのが面倒で「履歴書自体を破棄してください。辞退します」と、1度はとんでもない返答をした。すぐに考え直して結局受験したわけだが…。これが人生の転機なら、なんとも情けないやら、恥ずかしいやら。

 まあ、そもそも「あれが人生の転機だった」なんて振り返られるほど大した人生は歩んでいない。いずれ語れるようになれるかどうかも不安…です。

大滝 貴由樹(おおたき たかゆき)

 北海道新ひだか町(旧静内町)出身。90年北海道本社に入社。編集部、総務部を経て、再び編集部に。中央競馬を中心にギャンブル全般を担当。現在は出稿デスクを務める。1966年4月生まれ。

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