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北海道発・記者ブログ

2007年3月30日応援したいスポーツ選手

 記者であっても、応援したいスポーツ選手はいる。この日替わりコラムで、数日前に「取材対象者からサインをもらうことはありません。ファンじゃないんですから」という記者としての心得があったが(別に執筆者と不仲じゃないし、ケンカを売っているわけでもない)、サインをもらうことはないまでも、ファンに近い感情はある。
 武田豊樹という競輪選手がいる。現在、約3700人いる選手の中で、300人に満たない最高峰のS級1班に在籍している。25日まで行われていた日本選手権(湘南ダービー)でも、準決勝で敗退したものの注目度では上位だった。この武田選手、スピードスケートで02年2月のソルトレークシティー五輪に出場した後、同年5月に競輪学校に合格した。03年にデビューしてから瞬く間に出世したが、33歳の年齢が示すように、遅咲きといっていい。
 スケート選手時代も出世は遅かった。高校時代にインターハイを勝っているから遅咲きというと失礼かもしれないが、同期でライバルでもある清水宏保が94年リレハンメル大会で五輪に初出場したのに比べ、武田はそれから2大会後、8年遅れての出場となった。スケートで成績が伸びず、1度競技を離れるというブランクがあったためだ。清水が98年長野五輪で金メダルを取ったときには、たった1人でオーストラリアに渡り、自転車競技に打ち込んでいた。
 私が記者になって最初の年、初めてのスケート取材で話をしたのが、当時高校2年生の武田だった。釧路町阿寒での大会。優勝した彼を当時のコーチが「こいつは大物だよ。将来すごい選手になるから」と話してくれたのを覚えている。しかし、いかんせん、私が記者として小物だった。デスクを納得させる報告ができなかった。一応原稿は載ったものの、20行にも見たない小さい扱いだった。
 競輪選手への願望は20歳過ぎから持っていたことも聞いていた。スケート選手時代に寮でひそかに勉強に励んでいた姿も見てきた。競輪選手として資格年齢ぎりぎりの23歳で受験したが、残念ながら不合格。その後、国会議員の秘書などを経て、スケートに復帰し五輪に出場した。28歳のとき、競輪選手の受験資格年齢が取り払われ。29歳でようやく選手になれた。1度競技から離れたときは違って、スケートに限界を感じていたわけではない。武田にとってはずっと抱いてきた夢の成就だった。
 「自分は、この体1つで稼ぐ仕事をしたい」が口癖だった。苦労し、回り道をしながらも思いをかなえた。頑張りに敬服する。勝負の世界に生きるだけに、こちらも公平な目は失わないようにしようとは思っている。でも、応援したいと思う。当然、個人的に車券を買うときは武田から…が多い私です。
 逆に、応援したくないスポーツ選手は… これは言わないでおきましょう。

大滝 貴由樹(おおたき たかゆき)

 北海道新ひだか町(旧静内町)出身。90年北海道本社に入社。編集部、総務部を経て、再び編集部に。中央競馬を中心にギャンブル全般を担当。現在は出稿デスクを務める。1966年4月生まれ。

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