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北海道発・記者ブログ

2007年11月15日私も横浜(マニアックな)をぷらぷら

 先日、高校時代からの友人と酒を飲んだ。相鉄線の二俣川駅で待ち合わせ。相鉄線は横浜駅から市の中心を外れ、栄えていな…じゃなくのどかな方へ向かっていく路線だ。子供のころ、いつも使っていたのだがもう何年も乗っていない。久しぶりに降りた二俣川駅。ほとんど変わらない街並みが懐かしく、うれしくなった。

 その友人と昔話が弾んで、つい話し込んでいるうちに、終電の時間が過ぎてしまっていた。ネットカフェで夜を明かしながら、ふと思い出した。自分が卒業した高校の、裏の林を抜けた所に、在日米軍の上瀬谷通信施設があった。そこにある何もない草原と真っすぐに伸びる「海軍道路」と呼ばれる道の桜並木が好きだった。せっかく近くまで来ているのだから、ちょっと寄っていこうか。翌朝、2駅先の三ツ境駅で降り、昔を懐かしみながら、歩いてそこへ向かった。

 母校・瀬谷高校の脇を抜け、林の中へ進む。荒れた道は、何だか山奥のような雰囲気。30分歩いて林をすぎると、開放感のある場所に出る。道の脇にある看板は英語。一応、横浜市内なんだけれど…。さすがに米軍の施設だ。と言っても米兵の姿はないというか、人がいない。誰とも会わぬまま、米軍関係者が居住しているのか、田畑や背の低い集合住宅を左右に見ながら30分、ようやくお目当ての場所に着いた。

 そこには高校時代に見たのと同じ、草原と並木道。遠くを見れば畑や森林しか見えず、のどかそのもの。草原で、犬の散歩をしている人まで同じ(ように見える)。私はあれからずいぶんと年をとったのに、ここはあのころと同じように時計が止まっている。まぁ欲を言えば、桜が咲くころであればなお良かったが。満開の花が道の上にアーチを作るは見事だがこればかりはどうしようもない。ただ、先に幹線道路があるせいか、案外車通りも多かった。そのため、結構騒々しかったのは残念だったが。

 ともかく生まれ育った場所や、好きだった場所が変わらないで残っている、ということが何だかうれしかった。「ふるさとは遠きにありて思うもの」と言うが、近い場所にあってもいいものだなぁ、と思う。いつまで同じでいられるか分からないが、できるだけ長い間、懐かしい姿を残しておいて欲しいな、と思う。

 ……ってしかし、誰もわからないような場所の話を延々と書いちゃったな…。同じ横浜出身のS田先輩、「ぷらぷら」の道は奥が深かったです。

大橋 直樹(おおはし なおき)

 神奈川県横浜市出身。02年に北海道本社のレース専門アルバイト(東京勤務)として入社し、04年に正式入社。現在は編集部東京駐在に所属。紙面のレイアウトや見出しをつける整理業務を担当している。1981年1月生まれ。

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