このページの先頭

北海道発・記者ブログ

2008年2月 8日引き返す勇気

 関東で4日、久しぶりに大雪が降った。東京都心でも3センチの積雪を記録。東京競馬や青梅マラソンが中止になるなど大変な1日となった。北海道の人にとってはなんてことない積雪量なのだが、東京ではお約束のごとく交通機関がまひするなど多くの人がふり回された。

 ちょうど4日は休日で家にいた。北海道から関東に引っ越して5年目、すっかり雪道の運転など自信がなくなったので、路上の雪がとけるまで家でじっとしていた。

 自分みたいに慣れない人間が雪をなめると痛い目に遭う。10年前、死にかけたことを思い出した。98年11月、休暇を使って大学時代の友人と2人で、大雪山国立公園にあるヌプントムラウシ温泉という秘湯を目指したときのこと。前日から急に大雪が降り、十勝地方は一夜で真っ白い世界に変わっていたが、四輪駆動のジープだから…という安易な理由で山に入ってしまった。東京出身で釧路在住わずか1年の友人と、茨城出身で北海道の雪山初体験の自分。無謀な旅だったのは言うまでもない。

 新得町屈足から、十勝ダムを過ぎアスファルトが切れる所まで走り、曙橋という小さな橋を右折する。さらにダートを1時間ぐらい進みヌプン峠を越えると、突然視界が開けて谷間に出る。真っ白い雪原の中にぽつんとたたずむ丸太小屋の脱衣所を発見した瞬間、2人とも声が出ないくらい感動した。やっと着いたという安堵(あんど)と興奮。温泉の方向へ曲がるため友人が車を切り返した瞬間、奈落の底に突き落とされた。

 助手席に座る私の眼前で、雪の壁が突如崩れ、車は左前から真っ逆さまに小川に転がり落ちていた。がしゃ、ぐす…ぶすぶす…小川の溝にはまる格好で140度くらい裏返っていた。右上の運転席に友人。助手席に座っていた私の顔の前に小川が流れていた。

 転倒後、衝撃のあまりしばらくボウッとしていると目の前の小川から、ちょろちょろと赤い液体が流れてきた。血?ガソリン?爆発?…とにかく貴重品だけ持って急いで運転手側のドアを押し上げ脱出した。

 幸い2人ともケガはなく爆発もしなかったが、車は動かない。引き上げてもらおうとJAFを呼ぼうにも山奥で携帯電話は圏外。110番も119番もつながらない。最後に見かけた民家から車で13キロほど山奥に入っていた。

 残された手段は歩いて電波のつながる場所まで戻るしかなかった。晩秋の観光気分で乗り込んでいたから服装はジーンズにスニーカー。おまけに脱出の際、小川の水や雪にぬれ下半身はびしょびしょだった。とぼとぼと山道を歩きながら「ここで凍えて死ぬのかなぁ」と思った。

 体のしんを貫かれるような言いようもない“痛寒さ”にイラ立ち、途中で私のポケットに入っていたクシャクシャのマイルドセブンライトが奪い合いになったりした。

 あとで知ったのだが、その翌日からヌプントムラウシ温泉に向かう林道は冬季通行止めになった。山に入る間、1台の車とも出くわさなかった。そのままのたれ死にしていたら遺体は春まで発見されなかったのかもしれない。

 幸い、1時間ほど歩いて、ヘロヘロになったところでシカ狩りのため稚内から来ていたハンターに遭遇した。雪の中で動く我々を一瞬シカだと思ったらしい。猛吹雪の山中を、まさか人が歩いて向かってくるとは思わなかったのだろう。

 結局、ずぶぬれになった私たち2人は、シカが積まれるはずのパジェロの荷台に乗せられ救出された。車もウインチで引き上げてもらった。天井部分がひしゃげており、後ろのハッチバックからしか出入りできなくなっていたが、友人の家がある釧路までたっぷり4時間かけて帰ることだけはできた。

 救出された後も、山を出るまでは、すれ違う車はなかった。ハンターが我々より先にシカを発見し狩りを終え、とっとと山を出ていたら…。雪の恐ろしさ身をもって体験した。

 広島のスキー場で遭難したスノーボーダー7人が5日に救出された。助けられた1人が会見で「雪をなめていた」と言っていた。山頂からわざわざ雪が多い方へいくうちに道に迷ったらしい。あのときの自分と同じだ。危険を顧みないクソ度胸もときには大切かもしれないが、相手が大自然のときは、あえて引き返す勇気の方が大事だと思った。

永野 高輔(ながの たかすけ)

 茨城県水戸市出身。06年北海道本社に入社。編集部東京駐在で整理業務担当。学生時代は両親が指導者だった影響でフェンシングに熱中。競技歴15年。00年富山国体出場。好きな食べ物は札幌・カリー軒のハンバーグカレー。1973年7月生まれ。

このページの先頭へ