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北海道発・記者ブログ

2007年12月 5日うまく飛べますように

 先日、北海道に帰省していた妻と長男を迎えに羽田空港へ行った。ロビーを歩いていて、ふと6年前の出来事を思い出した。01年12月、Jリーグアウォーズを取材したときのことだ。その年、札幌からはFWウィルが得点王、MF山瀬が新人王を受賞。当時、私は札幌担当をしていて、クラブ初となるJ1個人タイトル受賞の快挙を報じるため、横浜アリーナを訪れていた。

 翌日、新千歳空港が大雪で着陸困難となり、羽田空港で12時間、足止めをくらった。

 午前9時過ぎに羽田に到着して、仕方なくキャンセル待ち番号の紙をもらい、出発ロビーでぶらぶらしていると、中年男性に呼び止められた。「おいっ、その紙どこでもらうんだ、おいっ」。振り向くと、当時札幌監督を務めていた岡田武史氏だった。少しいらいらしているようだった。

 同氏もJリーグアウォーズに出席。我々同様、北海道へ戻る便が飛ばず、慣れないキャンセル待ちに四苦八苦していた。私は行列を指さし「岡田さん、あそこにちゃんと並ばないとだめですよ」と言った。私も記者1年目で余裕がなかった。その日の原稿のことやら、いつ帰れるか分からない焦りもあって、つい冷たい対応になってしまった。「あぁ、あそこか…」。岡田氏は寂しげに、キャンセル待ちであふれる人込みの中へ消えていった。

 午後9時近くになって、JALだけが、新千歳空港への離陸を決めた。幸い、同社のキャンセル待ち番号を持っていた私は搭乗することができた。「函館着陸」または「羽田戻り」の条件付きだったため、着陸の瞬間まで不安だったが、なんとか新千歳空港に下りた。空港から札幌へのJRもダイヤを変更して動いており、無事その日のうちに札幌へたどり着いた。ラッキーだった。

 あとから知ったのだが、岡田氏は結局、その日東京都内で一泊して、翌日の新千歳空港行きの便に乗り、結局、天候悪化のため函館空港に緊急着陸。さらに函館駅からJRで3時間以上かけて札幌に帰るという、超ハード行程を強いられていた。

 ジョホールバルで初のW杯切符、札幌でのJ1昇格、横浜でリーグ連覇と、実績も才能も運も兼ね備えている岡田氏だが、このときばかりは気の毒なほどアンラッキーだった(と思う)。オシム監督の病気のため急きょ代表監督として復帰する方向にあるが、果たして岡田ジャパンは無事「フライト」できるのか。私は不安でならない。勝手に心配している。

永野 高輔(ながの たかすけ)

 茨城県水戸市出身。06年北海道本社に入社。編集部東京駐在で整理業務担当。学生時代は両親が指導者だった影響でフェンシングに熱中。競技歴15年。00年富山国体出場。好きな食べ物は札幌・カリー軒のハンバーグカレー。1973年7月生まれ。

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