2007年12月28日あの“思い出”列車へ
思い出行きの列車に乗った。少し大げさな入りになったが、記者が子供のころ家族旅行に行った最後の場所、千葉の鴨川に取材に行った。確かあれは小学4年だっただろうか。
午前8時半に新千歳空港を出発し羽田空港から千葉へJRで移動。東京から特急列車は出ていたが、1時間に1本と少ないため時間が合わず、そこから外房線に乗り鴨川へ向かった。しばらく眠っていたが、世田谷から千葉の現在の実家がある家に引っ越してからは、夏は房総半島に家族旅行に行くのが常だっただけに、目的地に近づくにつれ懐かしい駅名(当時は車で出かけたが…)が登場し、童心に帰り心が躍った。
まずは行川アイランド駅。行川アイランドは、鮮やかなピンク色をしたフラミンゴのショーが有名なレジャー施設で家族で何度となく訪れた。01年8月31日に閉園し駅は乗降者もなく寂れていたが、両親が見守る中、初めてみるフラミンゴに兄と弟と3人で大はしゃぎしたのを昨日のことのように思い出した。
次の思い出駅は館山駅だ。海水浴に行って初めておぼれた町だ。萩本欽一がプリントされたビニールボートに「欽ちゃん号」と名付け沖に出た。当時、泳げもしないのに海に飛び込み当然のようにおぼれた。兄が必死になって助けてくれたことは今でも忘れない。
終着の鴨川駅。当時、泊まっていたホテルでは、両親が奮発して幼い子供たちに不釣り合いな豪華な舟盛りがテーブルに並べられた。「ハンバーグがいい」って弟は泣いていたっけ。実家の押し入れにはお皿の形をした額に入ったその時の家族だんらんの写真がそっとしまってある。幼い兄弟3人がまだ若い両親の笑顔の間でポーズを作っている写真だ。
今、それぞれ家族が乗り込んだ列車のことを考えている。もう行き先はばらばらでほとんど会うこともない。その行き先が間違っているかどうかも分からないが、遠く離れそして歳をとって思うことはある。記者はいつもあのぬくもりに守られてきたんだと…。