2007年12月 2日あれ? 選手の姿が…
スピードスケートの取材を担当して2年目のシーズンを迎えたが、あれ? と思うことがあった。昨季、ようやく面識ができた何人かの選手の姿がみえない。どうしたのかなと思い同じ学校の選手に尋ねると「次が決まらなくて辞めました」の言葉が返ってきた。
現在、企業でスピードスケート部があるのは富士急、日本電産サンキョーなど数えるほどしかない。不況などの影響で多くが廃部に追い込まれた。大学まで競技を続けても受け皿がなく結局、辞めるしかないのが現状だ。これはスケートに限らず、ほかの冬季スポーツでもそうだ。将来の夢を持てず競技人口も減少の一途をたどっている。
全日本スケート連盟に登録のある北海道所属の中学、高校選手は98年に646人いたが、07年には406人にまで減った。富士急の清水知美コーチは「若い有望な選手も先が見えなくて辞めていってしまう。上に続く選手がなかなか出てこない」と現状を危惧している。
今季、山昭に所属を変えたソルトレークシティー五輪代表の小原悠里は、06年トリノ五輪代表を逃した後、富士急を退社し自分でスポンサー探しをする苦労を味わった。昨季、地元の支援チーム「とかちチームAA」に所属が決まってからも貯金を切り崩しギリギリの生活の中で競技を続けていたという。小原は「私が後輩たちの見本になれればいいと思う。自分自身で苦労して頑張ればきっと誰かが見ていてくれる。とかちチームAAにも新しい会社にも感謝している。好きなことをやってきて良かったし、今はすごく充実している。そういう心を持って続けたい」と話した。
日本は98年長野五輪でメダルラッシュに沸いたが、トリノ五輪ではフィギュアの金メダル1個に終わった。競技のレベルを上げるには底辺の底上げが必要不可欠。冬季スポーツ界の変革は急務だ。