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北海道発・記者ブログ

2007年4月18日誇らしかった祖父の姿

 歓喜の渦のなかで自分自身の原風景をみた。道議選の登別市区でスピードスケートの五輪銅メダリストで自民党公認の堀井学氏が初当選を果たした。厳しいと言われた中での当選だっただけに、選挙事務所は歓声と涙で異様な雰囲気に包まれた。出馬表明から取材していただけに記者も胸が熱くなったが、胸にこだましたバンザイ三唱が自分の奥底に眠っていた記憶を呼び起こしてくれた。

 「この風景いつか見たな」。デジャヴのように浮かんできた風景は、だんだんはっきりとしたものとなり、やがて鮮明によみがえってきた。祖父が某政治家の後援会長だったこともあり、記者の幼少期は選挙とともにあった。選挙シーズンに突入すると祖父のマンションの1階に構えた選挙事務所には、ひっきりなしに人が訪ねてきた。当時、その人の流れは幼い記者の目には不思議な光景に見えたが、その中心にいた祖父の姿は誇らしく思えた。

 記者は祖父を尊敬している。身内には厳格だった祖父は世間でいう“おじいちゃん”ではなかったが、常に人の前に立ち、街を歩けばみんなが声を掛けてくるような人だった。夜は「また始まった」と周りに言われながら、陽気な酒で都々逸を歌い、武勇伝を語る。テレビのコンバットと水戸黄門、すしが大好きだった。吉田茂に似たかっぷくのいい祖父が、すし屋のカウンターに座っている姿が今でも見に浮かぶ。若いころのことを語りたがらなかったが、背中がひび割れるくらい休みなく働いたという。実際、記者が大学1年のとき83歳で亡くなるその日まで働き続けていたから頭が下がる。

 選挙で当選が決まるとあのバンザイ三唱。思い出したのはこのシーンだ。祖父は“先生”よりも態度がでかかったし、いつも大きく見えた。ああなりたいと思ったし今でも思っている。祖父は常に言っていた。「おれは人に恵まれた。とにかく人を大事にして人が集まる人間になれ。そして何でもいい。1番を目指す人間でいろ」。記者の人生の礎は紛れもなく祖父だった。

 あれから十数年がたち自らを省みる。北海道に転勤してきて半年、いまだ1人の友人もできない。33歳にして仕事は半人前で、すし屋のカウンターに座り祖父をまねても当然、まだまだだ。それでも、いつか祖父に「あれはおれの孫だ」と胸張って言ってもらえるような人生を送りたいと思う。

 堀井学氏の当選の日に思うがままにつづった。

松末 守司(まつすえ しゅうじ)

 東京都出身。06年北海道本社入社。主に夏は中央競馬、冬は一般スポーツを担当。前職の東京での夕刊紙記者時代は、中央競馬を6年間担当し10週連続で万馬券的中を記録した。1973年7月生まれ。

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