このページの先頭

北海道発・記者ブログ

2007年4月 4日曽根田選手に「ありがとう」

 トリノ五輪ノルディックスキー距離代表の曽根田千鶴選手(28=自衛隊)が3月いっぱいで現役を引退した。2月の世界選手権前は「W杯自己ベストの11位を更新するまでは辞めませんよ」と現役続行に意欲を見せていただけに、シーズン最終戦となった全日本スキー選手権(3月22~26日、音威子府)の取材で本人から知らされたときは少なからず衝撃を受けたし、寂しさも残った。

 曽根田選手との出会いは白旗山競技場で行われた今年1月4日のサロモン杯だった。女子パシュートで優勝し取材する機会を得た。こちらは昨年12月から距離担当となった身。ソルトレークシティー五輪代表を逃した悔しさをバネにトリノ五輪代表をつかんだこと、その後のW杯の代表から漏れたこと、このレースに勝たないと世界選手権に出られないことなどなど、予備知識を頭にたたき込んで取材に臨んだ。

 過酷さを極める距離競技。鬼気迫ったレース中の姿から、さぞやストイックなんだろうと思い身構えて声をかけたが、笑顔の絶えない気配りの人だった。レース後で疲れているはずなのにこちらの質問に嫌な顔せずに1つ1つ言葉を選びながら丁寧に答えてくれた。それからというもの距離担当としてまだまだ若輩者の記者は、曽根田選手に声をかけては取材をしたものだった(本人は迷惑だったかもしれないが…)。

 「何かネタないの」との記者の失礼な質問に「何にもないですよ」と言いながらも「じゃあ、どこにもしゃべってないネタ教えますね」とちゃめっ気たっぷりに話してくれた。その気配りと笑顔に記者は何度助けられたことか。笑顔の裏には苦労や悔しさは数え切れないくらいあったはずなのに…。

 引退は2月の世界選手権中に決めたという。大会では思うような成績を残せなかったが、アルペンから転向して17年間の距離人生を「滑り慣れた白旗山で行われた世界選手権に出られて良かった。悔いはないです」と笑顔で締めくくった。こちらは世話になりっぱなしだったのに「お世話になりました。ありがとうございました」と逆に言われてしまった。記者と取材対象という関係だが、何か恩を返したかった。ありがとうが相変わらずうまく言えない記者は、感謝の気持ちを伝えられず悔いが残った。

 今、終わるということの意味をあらためて考えている。何かを始めれば必ず終わりはくる。終わることに終わりはない。当たり前にそこにあったものや人がいなくなる悲しみや寂しさや後悔は、時間の経過とともに薄れていくとはいえ、永遠に続いていく。

 学生時代にも同じような寂しさを感じた。学生時代は約束しなくても毎日、仲間や友だちと会えた。卒業して初めて約束しなくても明日また会える喜びを知った。やんちゃだった学生時代、仲間にも随分、世話になったが、一体何を返し残せたのだろうか。

 これからも多くの人と出会い別れがくる。その時にもう同じ後悔はしたくない。その人との出会いに意味を持たせるためにも何でもない1日でも大事に接していきたい。そして今度こそ「ありがとう。あなたに出会えて本当に良かったです」と素直に伝えたい。

松末 守司(まつすえ しゅうじ)

 東京都出身。06年北海道本社入社。主に夏は中央競馬、冬は一般スポーツを担当。前職の東京での夕刊紙記者時代は、中央競馬を6年間担当し10週連続で万馬券的中を記録した。1973年7月生まれ。

このページの先頭へ