2007年8月18日戦争体験のない私が後世に継承していけること
8月15日、終戦記念日に書いています。
私の母は、父を知りません。祖母のおなかの中にいるときに戦死したからです。
祖母は、母を含めた子供3人を女手一つで育てました。畑で野菜を育て、リヤカーで町まで運び、それを売って生計を立てていたそうです。想像以上の困難を極めたことと思います。今も宮崎で健在。ですが、心底充実した人生を送ってきたかどうかは、疑問です。
毎年この時期になると、幼少のころの思い出がよみがえります。
国鉄上野駅の高架下。戦争で生き残った兵隊が物ごいをしていました。軍服姿で、片足や両足がなく松葉づえをついている人、頭に包帯をぐるぐる巻きにしている人…。人を呼び止めるための、笛で奏でるもの悲しいメロディー。子供心に胸に突き刺さり、今でも焼き付いています。
沖縄に行くと必ず、ひめゆり学徒が多数犠牲になった「ひめゆりの塔」を訪ねます。1945年(昭20)、本土最南端の特攻基地となった鹿児島・知覧の「知覧特攻平和会館」にも訪れたことがあります。
犠牲者の遺影や遺品、当時の写真や映像を直接目にし、心に刻む。戦争体験のない私が後世に継承していくとすれば、そんなことしかできないと考えています。
以前、戦時中と現代の若者が入れ替わってしまうテレビドラマが放送されていました。
戦時中の若者が、ごみためのようになっている東京・渋谷の駅前中心街、センター街を見て「こんな町にするためにおれたちは犠牲になっていたのか」と嘆くシーンがあります。
この言葉を聞いて、どのように感じますか?