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北海道発・記者ブログ

2007年1月23日災害に対する備えは必要です

 後輩大橋記者の「地震への備え、再認識」というブログを読んで安心しました。というのは、大手広告代理店電通のインターネット調査で20日、地震への備え「なし」が約7割に上ったことが分かったからです。身近な若者に「備え」の意識があり、うれしくなりました。

 皆さんはいかがですか? 私は、先日の千島列島沖地震で北海道に津波警報が発令されたとき、改めて災害の恐ろしさを思い起こされました。「TSUNAMI」(津波)という言葉が世界的に広がった、3年前に起きたスマトラ沖地震。この世のものとは思えない大津波が町や人を飲み込んでいく。あの衝撃を受けたテレビ映像が、頭に浮かんできたのです。

 この津波で大きな被害を受けたタイの極上リゾート地プーケット島を、私は地震の半年後に訪れました。

 宿泊した海沿いのリゾートホテルは大打撃。海岸に近い棟は完全に破壊され、立て替え工事が行われていました。海岸もグチャグチャ。砂浜は白さを失い、海は茶色く濁っていました。海岸前の道端で、被災者と思われる年輩の女性が、服飾品の屋台を出していました。「買ってください」。訴えるように見つめられ、胸が締め付けられました。

 プーケット島で最も被害が大きかった地域は、パトンビーチ。島内で最も栄えている場所です。当時、復旧工事は続いていたのですが、メーン通りは活気を取り戻していました。オープンカフェやレストランは観光客らで埋め尽くされ、その客目当ての立ちんぼ(風俗嬢)が「オニイサン、アソバナ~イ? 」と片っ端から声をかけていました。食べ物の屋台もズラリと並び、夜になるとギラギラと光るネオンが、通りを昼間のように明るくさせていました。

 だが、突然、歓喜あふれるパトンビーチが悲鳴につつまれたのです。津波警報です。情報によると、人々を恐怖のどん底に陥れたスマトラ沖地震と、ほぼ同じ震源地の地震が発生したとのことでした。

 人々は生活の糧となる屋台を放り出し、女性は走りにくいハイヒールを手に、高台を目指しました。私もビールを飲むのを止め、彼らに続きました。海岸沿いの道路は封鎖され、唯一の交通網となった山道は、避難した人々であふれかえっていました。パトンビーチはもぬけの殻。犬1匹いませんでした。

 結局、この地震で津波は発生しませんでした。大きなけが人もなし。被害は出ませんでした。ホッ。

 北海道では過去に大地震がいくつも発生しています。93年の南西沖地震は、奥尻島に大きな被害をもたらしました。いつ自分の身に降りかかるか分からない災害。私も津波の被害に遭うかも知れない場にいたのです。

 地震をテーマにしたあるテレビドラマでこんなセリフがありました。「1週間分の水を準備していた人間がどれだけいるのか」。私のまくら元には水と乾パン、懐中電灯などが入ったリュックサックと、自転車用のヘルメットが置いてあります。大橋記者のまくら元に何が置いてあるか、気になります。

井上 学(いのうえ がく)

 東京都中野区出身。94年北海道本社入社。販売部、編集部、広告部と異動し、06年1月編集部に復帰。これまでコンサドーレ札幌や高校野球などを担当。ハワイをこよなく愛す。1970年4月生まれ。

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