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<title>北海道記者コラム</title>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/</link>
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<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2008</copyright>
<lastBuildDate>Sat, 23 Feb 2008 13:07:01 +0900</lastBuildDate>
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<title>チャンチャン</title>
<description><![CDATA[<p>　すべてひらがなで書き始めてから１８回目、このブログも最後となった。つたない文章で大トリを務めるのは恥ずかしい限りだが、致し方ない。昨年移籍してきた身としては、あまり会うことのない記者たちの人となりが見え隠れし楽しく読ませていただいた。全３３回書ききった１１人の皆さまお疲れさまでした。</p>

<p>　さて、最後だからといって何かネタがあるわけでもなく、終了が決まる前までは「子供と追いかけっこをして転んだ話」や「謎の腰痛の話」で茶を濁そうと考えていたのだが…。</p>

<p>　こまったときはしょしんにかえりひらがなで？　イヤカタカナガナカナカコウヒョウダッタ？　一括変換はもっと面白くなるはずだった…あぁ自己嫌悪。</p>

<p>　「でもそんなの関係ねぇー」はちょっと古い、これからは芋洗坂係長「ジンジンジンジカ～」か「ボラ～レタ　オォ～ヤーラレタ　オォォォ」って意味はない。整理のいいところは、反省はその日に、翌日に持ち越さないこと。やはり文章は本物の記者に任せて見出しに集中することにします。</p>

<p>　読者がどれほどいたのかは知りませんが、いままでありがとうございました。</p>]]></description>
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<category>018)shiota</category>
<pubDate>Sat, 23 Feb 2008 13:07:01 +0900</pubDate>
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<title>競馬モードに切り替わる転機</title>
<description><![CDATA[<p>　ケイバの春は近い。大雪に見舞われている札幌だが、馬産地では毎年恒例の種牡馬展示会が盛んに行われている。１２日のビッグレッドファーム（新冠町）を皮切りに、１８日ダーレー・ジャパン（日高町）、１９日社台スタリオンステーション（安平町）と、日本のサラブレッド生産の半数以上に携わる大手牧場の精鋭種牡馬たちが続々とお披露目された。</p>

<p>　顔なじみの取材陣が集まり、知人の生産者の方や馬主さんらとあいさつをかわす。競馬担当の記者にとっては１年でもっともホッとする時間、と同時に競馬モードに切り替わる転機でもある。「今年はあの馬で重賞を勝つよ」「走る２歳入厩させたから」。聞かせていただくこうした話は、シーズンを通すと結構、いやかなりの確率で当たる。が、記憶が曖昧で何度も失敗している。今年はしっかりとノートにメモしておくことにした。</p>

<p>　２０日、ホッカイドウ競馬の０８年度日程が発表された。ゴールデンウイークに合わせた３年ぶりの札幌スタート（４月２９日）。今年限りでの撤退が決まっている旭川ナイターは５月２８日から１０月１６日までのロングラン開催。したためたノートをフル活用したい。もちろん、読者のみなさんのために。</p>]]></description>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/okumura/okumura20080222.html</link>
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<category>015)okumura</category>
<pubDate>Fri, 22 Feb 2008 21:53:52 +0900</pubDate>
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<title>コンサドーレ札幌との再会</title>
<description><![CDATA[<p>　５年ぶりにコンサドーレ札幌のキャンプの取材にきている。場所は熊本。プロチームなんて１年たてばまるで違うチームに変わる。５年もたてば、右も左も分からない。当時からいる選手は曽田、砂川、西沢の３選手ぐらいだ。</p>

<p>　選手はすっかりかわってしまったが、スタッフには旧知の顔がたくさんいて、かなり感動した。広報の斗沢さん、マネジャーの斉藤さん、通訳の鈴木ウリセスさん、トレーナーの佐川さん。毎日、パソコンとカメラと資料のつまったパンパンのバッグを持って、あっちこっちわけもわからず飛び回っていたあのころに、戻ったような気持ちになった。</p>

<p>　５年前は、おもいっきりライバル会社でコンサドーレ札幌の担当記者をしていた。東京本社から転勤で北海道にきていた私は、社則で３年で本社に戻るのがルール。私は永住してもいいので、札幌で継続して取材の仕事がしたいと伝えたが、大きな会社の歯車の中では、個人の希望などかなうはずもなかった。</p>

<p>　それから５年間、内勤編集の仕事に従事した。出勤時には最低、財布と携帯電話と手帳さえあれば、あとは会社にすべて道具がそろっている。とにかく身軽。作業デスクに座り、出てきた原稿を読んで面白い見出しを考える。楽しい紙面になるようにレイアウトする。スポーツ紙には欠かせない大事な仕事だ。自分なりに面白さをみつけだしながら、気付いたら結構、時がたっていた。</p>

<p>　今回のキャンプ派遣が、果たして期待されてるのか、たまたま他の記者のスケジュールが合わず自分に回ってきたからなのかは分からない。今思うのは、ひたすら頑張るのみ。ネタをみつけなければならないプレッシャーと、背負いなれない取材バッグの重み。辛いのか楽しいのか今はよく分からない。ただ、会社を移って間違いはなかったんじゃないか…と少し思い始めている。</p>

<p>　特ダネを出す自信も、おもしろい話を書き続ける自信もあまりない。５年前よりは少しはましな原稿が書けているのだろうか。それも微妙だ。低次元な話なのだが、記者としての緊張感を味わえる貴重な１０日間を有意義に過ごしてきたい。６年ぶりのＪ１復帰にかける札幌と、５年ぶりの札幌キャンプ取材に臨む自分。いっぱいいっぱいのところで、少しでも進歩したいと１日１日もがき続けているあたりに、共感を覚える。</p>]]></description>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/nagano/nagano20080221.html</link>
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<category>014)nagano</category>
<pubDate>Thu, 21 Feb 2008 12:41:28 +0900</pubDate>
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<title>テキーラでつまずいた</title>
<description><![CDATA[<p>　依然（現在２月２０日）沖縄にいる。前回のブログでは今年の沖縄は寒いという話を書きました。さて、今はどうなったでしょう。はい、依然寒いです。まだ１度も半袖で外に出たことはないです。</p>

<p>　さて、今回はこんな前振りに関係なく、日本ハムの選手とのダーツ対決第２弾の話です。昨年の秋季キャンプではＹ選手、Ｉ選手と対戦し、ぼろ負けした話を書きました。今回は助っ人外国人Ｓと勝負しました。</p>

<p>　最初の話ではそうとううまいとのことだったので、ビールも飲まずにしらふ状態で待ち合わせた店に直行。ガチンコ勝負で１回戦は完全勝利。うわさほどでもないなと、たかをくくったのが災いしました。</p>

<p>　２回戦目、負けたらテキーラいっき飲みをかけた勝負。ここでつまずいた。接戦の末敗退。テキーラいっきがその後の勝負に大きく影響した。やればやるほどテキーラの量が増えていく。最後には勝敗の行方も覚えていない酩酊（めいてい）状態。気がつけばホテルのベッドの上にいました。結局勝負の行方はどうなったのだろうか。五分五分の勝負だったと思いたい。</p>]]></description>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/kurokawa/kurokawa20080220.html</link>
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<category>013)kurokawa</category>
<pubDate>Wed, 20 Feb 2008 09:59:51 +0900</pubDate>
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<title>家族に心から感謝したい</title>
<description><![CDATA[<p>　家族に心から感謝した２４日間だった。１月２１日から２月１３日までコンサドーレ札幌の１次合宿を取材するためにグアムに行ってきた。不慣れな土地での長期生活、初めての１人での海外。不安でいっぱいだったせいか出発前日に３９・６度の熱を出した。家族が付きっきりで看病してくれたおかげで夜には、だいぶ熱も下がった。翌日には微熱まで落ち着き、無事に日本をたつことができた。</p>

<p>　グアムで最も困ったのが食生活だった。夜に選手に個別インタビューを依頼していたため、仕事が終わるのが午後９時。宿泊していたホテルが街から約３０分の距離にあったため、どうしてもホテル内のレストランで食事することが多かった。１食２０００円以上と値が張るため、日本から送ってもらったカップめんやカップご飯、缶詰がありがたかった。</p>

<p>　期間中に急きょ、札幌でやっておかなければならないことが連発し、そのたびに家族総出で対処してもらった。忙しさと電話代が高いことを理由に、ろくに連絡しない私に代わって、いろいろな作業を終えていてくれた。帰国してから「ろくに連絡もしないで何やっていたんだ」と恨み節は言われたが、頼んだ面倒な作業についての文句は一切なかった。</p>

<p>　普段の生活では家族がいてくれることに対し、あまり感謝を覚えることはない。側にいて助けてくれることが当然だとすら考えていた。離れてみて、あらためて大切さが身にしみた。面と向かっては恥ずかしくてなかなか言えないが「ありがとう」と心から思った。</p>]]></description>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/kitao/kitao20080219.html</link>
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<category>017)kitao</category>
<pubDate>Tue, 19 Feb 2008 01:34:21 +0900</pubDate>
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<title>ぶれない心を</title>
<description><![CDATA[<p>　ドキッとさせられた。フリースタイルスキーのＷ杯猪苗代大会で約２年ぶりに実戦に復帰する女子モーグルの長野五輪金メダリスト、里谷多英（フジテレビ）を取材した時のこと。大会前、里谷本人と雑談しながら、「里谷不安！」の文字が躍った日刊スポーツ紙面の話しになった。</p>

<p>　記者は怒られるのかなっと思っていたが、そこで意外な言葉を発せられた。「気にしないですよ。記者さんも取材して誇りとか責任を持って書いているんですよね。背水の陣って言葉もいい意味でとらえていますよ」。ズシリと心にきた。</p>

<p>　その言葉で自分自身を見つめ直した。書きたいことがあって約１０年前に、この世界に飛び込んだ。それなのに、際限ない情報の波にのまれ、いつしか日々をこなすだけの毎日になってしまった。肝心の“書きたいこと”がだんだんぶれてきているように思える。「誇りを持って」選手たちと接し、記事を書いてきただろうか。里谷の２年ぶりの復帰は、腰、首に爆弾を抱えてのぎりぎりの復帰だったが、「スキーってやっぱり面白いですね。お客さんいっぱい入ってくれないかな」。里谷は自分の競技に誇りを持ち、ぶれない心があったからこそ帰ってきたんだと思った。</p>

<p>　北海道にきて１年４カ月が過ぎた。一般スポーツの記者になり、多くの選手に取材する機会を与えてもらっている。初めてスピードスケートの岡崎朋美（富士急）を取材したときは、「スケートを広めるためなら何だってやりますよ。ぜひ競技を見てもらいたいですね」。今季の開幕戦では及川佑（びっくりドンキー）が、「見てくれればスケートの面白さが分かる。そのために、もっといい滑りをしたい」と話してくれた。選手たちはみんな自分の競技に誇りを持って取り組んでいる。</p>

<p>　多くの選手の言葉を思い返し、原点に返れた気がする。今後はぶれない心で「誇りを持った」記事を書いていきたい。</p>

<p>　このブログは、今回が最後となった。たわいもない話題や話に加え、稚拙な文章力だったにもかかわらず、お付き合いしてくれた読者には感謝したい。</p>]]></description>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/matsusue/matsusue20080218.html</link>
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<category>010)matsusue</category>
<pubDate>Mon, 18 Feb 2008 18:31:12 +0900</pubDate>
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<title>ハイブリッド</title>
<description><![CDATA[<p>　ＴＶドラマ「鹿男あをによし」が面白くて見ています。番組内容の詳細はテレビ局のＨＰに譲るとして、主人公ふんする玉木宏の顔がシカになっている様を見て毎回笑ってしまいます。</p>

<p>　シカといえば、以前妻の実家に行ったとき、野生のシカが出現しました。冬で山に食べ物がなくなったせいで、民家近くまで降りてきたのです。防御ネットを張ったりして、被害の対策を講じていました。</p>

<p>　食べ物がなくなるといえば、ガラパゴス諸島でも異変が起きているそうです。テレビで知ったのですが、雄のウミイグアナと雌のリクイグアナの間で「ハイブリッドイグアナ」という雑種が生まれているのです。</p>

<p>　「ハイブリッド」とは、辞書によると動植物の雑種、異質のものの混成物という意味があります。</p>

<p>　「ハイブリッドイグアナ」出現は、地球温暖化の影響で海藻が枯れ始めたことが大きな要因だそうです。食べ物を求めたウミイグアナが陸に上がり、リクイグアナと交配。生き残るための、今までに考えられない新たな進化と言えるでしょう。</p>

<p>　ハイブリッド化はシロクマにも起きています。これもまた地球温暖化の影響なのですが、北極の氷が溶け、食べ物を得られる環境が損なわれていることが原因です。</p>

<p>　食を求め、氷の世界から陸を目指します。そこでイグアナ同様、グリズリーと交配し、「ハイブリッドシロクマ」が誕生…。</p>

<p>　専門家の見解では、本家シロクマは絶滅し、ハイブリッドシロクマだけが生き残るという、何とも切ない検証結果が出ているのだそうです。</p>

<p>　ハイブリッドといえば、ハイブリッドカーを真っ先に思い浮かべます。地球に優しいエンジンで、レオナルド・ディカプリオも乗っています。でも、ここで書いたように、世界的にはマイナスイメージのハイブリッドもあります。</p>

<p>　サッカーや野球でも、既存の選手と新加入選手の融合がチームの浮沈のカギとなります。私生活、例えば結婚生活を例に取れば、それまで別の人世を歩んできた者同士がうまく過ごしていくために、互いを受け入れ尊重していくという作業が必要です。</p>

<p>　私はあと２年もすれば４０歳。これまでにない変化が必要になってくる年齢です。いい「ハイブリッド化」を目指して、日々を過ごしていこうと考えています。</p>]]></description>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/inoue/inoue20080217.html</link>
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<category>009)inoue</category>
<pubDate>Sun, 17 Feb 2008 16:09:51 +0900</pubDate>
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<title>煙成貧語</title>
<description><![CDATA[<p>　映画監督の市川崑さんが亡くなった。訃報（ふほう）を伝える１４日付日刊スポーツは、１面および文化・芸能面に計１５点ほどの写真を掲載した。うち１０点は「くわえたばこ」でカメラにおさまっていた。代表作「東京オリンピック」（６５年公開）などの撮影現場で、女優吉永小百合とのツーショットで、映画「ビルマの竪琴」（８５年同）の制作発表で…。気骨あふれる口元と紙巻きたばこが、当たり前のように一体化していた▼紫煙が人世の潤滑油だったのだろう。１９１５年（大４）生まれの享年９２歳。生涯現役のまま、天寿をまっとうした。「東京オリンピック」で、躍動するトップアスリートの内面に切り込んだ。映画「犬神家の一族」（７６年同）など一連の横溝正史シリーズで、金田一ブームを巻き起こした。とりわけ、演出・監修を手掛けたテレビ時代劇「木枯し紋次郎」（７２～７３年放映）のスピード感あふれるカメラワークと映像美が、印象に残る。くわえたばこならぬ、長さ１０数㌢のようじが、クールな渡世人紋次郎のトレードマークだった▼たばこといえば、にわかに「成人論争」である。子どもと大人の「線引き」は２０歳か、１８歳か。鳩山法相が、成人年齢引き下げの是非について、法制審議会に諮問した。明治時代に定められた民法第４条「年齢二十歳をもって、成年とする」の見直しを検討する、という。喫煙だけじゃない。選挙権、婚姻、飲酒にかかわる規定のほか、少年法、競馬法、風営法、労働基準法、道路交通法など、年齢条項を含む法令は、数多い▼大辞泉によれば＝せい‐じん【成人】[名]スル１心身が発達して一人前になった人。成年に達した人間。おとな。現在一般的には、満２０歳以上の者をいう。２子供が成長して大人になること＝とある。振り返れば、１８歳時点で、喫煙も、飲酒も、馬券購入も、風俗も、経験していた。思いっきり背伸びして、一丁前の「大人」を気取っていた。しかしながら、精神年齢はあまりに未熟だった。心身の「心」が欠けていた。１０代後半から２０代にかけて、子ども以上大人未満の中途半端な年代だった、と記憶している▼江戸時代の武士は、１４～１７歳で元服の儀を迎えた。現代の中学２年生～高校２年生世代で、大人の仲間入りを余儀なくされた。そのために、幼少時から、文武両道において、厳格な鍛錬を施された、という。吉田松陰のことばに《士大夫道に志し、誠によく伏 〓（奚の右にフルトリ） の卵を育するがごときを得ば、又何ぞ其の生ずることなきを憂へん》とある。男子がひとたび、目的に向かって歩き出し、誠の道を貫こうとしたら、母鳥のように、まず忍耐を必要とする、と説いている▼札幌真駒内中の後輩にサッカー日本代表ＭＦ山瀬功治がいる。元服前？　の１２歳のとき、自らの意思で単身ブラジルに渡った。約２年半におよぶ武者修行で、心身の鍛錬を怠らなかった。元バイアスロン選手で８４年サラエボ冬季五輪代表の父功さんは「決して弱音は吐かなかった」と、当時を振り返る。帰国後、北海高に進学した。「勉強でトップになったら１万円やる、と約束したら、本当に１番になった。やると決めたら、徹底してやる、集中力があった」（功さん）。岡田ジャパンでサムライブルーの１０番を担う、アスリート山瀬の原点である▼サッカー日本代表は、１７日開幕の東アジア選手権（中国・重慶）に臨む。岡田体制下で初タイトルをつかみ、Ｗ杯アジア予選突破に弾みをつける。キーマンは、左右の前十字靱帯（じんたい）断裂（０２、０４年）、椎間板（ついかんばん）ヘルニアの手術（０６年）など、幾多の試練を乗り越え、不死鳥のごとく復活した、背番号１０である。武士の克己心と母鳥の忍耐力を兼ね備えた山瀬が、アジアのライバルに立ち向かう▼少子高齢化の現代において、山瀬は稀有（けう）な人材である。男はだまって…、の強固な意志と覚悟をサッカー道で体現している。剣豪・宮本武蔵の書「独行道」に《我事におゐて後悔をせず》《道におゐては死をいとはず思ふ》《身を捨ても名利はすてず》とある。もしも、である。生涯現役を貫いた市川監督が存命中、法制審議委員会から成人年齢の見直しに関する意見を求められたら…。おいしそうにたばこをくゆらせ「あっしにゃ、かかわりのないこって…」と、周囲をけむに巻くのだろうか。</p>]]></description>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/shirafune/shirafune20080216.html</link>
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<category>008)shirafune</category>
<pubDate>Sat, 16 Feb 2008 14:41:37 +0900</pubDate>
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<title>最高に焦った日</title>
<description><![CDATA[<p>　今回がここに書くのも最終回になる。これまで記者生活の中で起こったことをいろいろと書いてきた。入社間もなく丸１６年、最後は最も「やばい」と思ったことで締めさせていただきます。</p>

<p>　９７年、記者は米ノースカロライナ州の田舎町に出向いた。ＮＨＬのハリケーンズを取材するためだった。チームはその年、本拠地を同州に移した。新しい船出となる本拠開幕戦に赴いたわけだ。当時スタジアムのあったグリーンズボロの隣町に宿泊予約し、タクシーで会場に向かった。降り際、帰りも乗せて欲しいという旨を話したが、運転手に「ここは違う町だから。この町で呼んでくれ」と言われた。まあそうだろうと、そのときは大して気にもせず、取材に向かった。</p>

<p>　ナイター取材を終え、地元の電話帳を開き、タクシーを呼んだ。いる場所を伝え待っていたが、一向に来る気配がない。再度電話すると、答えは「もう向かっている」。しかし周囲にはタクシーの影も形もない。気付けば観客どころか、関係者すら帰ってしまっている。暗い駐車場横の入り口から、何度も電話したが返答は同じ。そのうち終業してしまったのか、通じなくなってしまった。</p>

<p>　さあ困った。行きのタクシーには２０分ほど乗っていた。歩こうかとも思ったがすでに深夜近く。距離に加え、その間の何もない風景を思い出すと、あまりにも危険だと思った。やばい。帰れない。どうすりゃいいんだ。アメリカの片田舎で１人たたずむ記者。半ばあきらめていたそのときだった。</p>

<p>　遠くの方にタクシーらしい光が見えた。このチャンスは逃せない。猛然とダッシュし、運転席に駆け寄った。電話していたタクシー会社とはまったく関係ない運転手だったが、懸命に隣町まで乗せてくれるよう訴えた。「チップも弾むから」と嘆願し、渋々ながら乗せてもらい、事なきを得た。</p>

<p>　もしあのときあのタクシーが来なかったら、どうしていただろう。考えても仕方ないが、流しのタクシーが極端に少ないアメリカでは、奇跡ともいえるような出来事だったのは確かだ。いろんなことがあったけど、あのときは本当に焦った。加熱する米大統領選で、ノースカロライナという言葉が出ると、あの日が思い出される。</p>]]></description>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/sunada/sunada20080215.html</link>
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<category>007)sunada</category>
<pubDate>Fri, 15 Feb 2008 20:27:05 +0900</pubDate>
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<title>つたない「ボクノート」ですみません</title>
<description><![CDATA[<p>　「大橋」という名字、たくさんいそうで、案外そうでもなそうで…、という名字だ。今までの人生で何人かの「大橋」さんと出会ったから、そこそこいるのだろう。私と同様に「巨泉」と呼ばれて、嫌な気持ち（とは限らないですね…）になった経験があるんだろうか。「大橋」さんを見かけるたびに、そんなどうでもいいことを考えてしまう。</p>

<p>　最近、よく見かける「大橋」さんといえば、大橋卓弥さんだろう。スキマスイッチのボーカルで、ソロ活動をしているためか、名前をよく聞く。スキマスイッチの曲はよく聞くのだが、不覚にも、ソロ活動をするまで「大橋」さんだと気づいていなかった。</p>

<p>　そのスキマスイッチに「ボクノート」という曲がある。「『歌詞が書けない』状況を歌詞にした」という曲。「できない」ことを正直に言って、商売になるのだから、何ともうらやましい。自分の仕事に当てはめて、「レイアウトができません」「見出しをつけられません」と正直に言ったら、「帰れ」とひと言言われて終わりだろう。紙面ができなければ商売にならないのだから、当たり前なのだが。</p>

<p>　思えば、このブログも毎回毎回、「書くことない」とうめきながら、何かしら書き殴ってきた。ネタも技術もない私にとって、拷問のような時間。１年以上、今回で３３本目になるが、文章力はつたないまま、成長せず、内容も前ふりだけ長くて薄っぺら（気づいてんなら直せよ）。ずっとネット上にさらされているかと思うと、恥ずかしい。</p>

<p>　前回書いたとおり（読んでない？）、異動するため、このブログからも解放される。と思っていたら、このブログ自体が終了してしまうとのこと（責任の一端があるかな…）。外部から他の人のブログを読んでみたいと思っていたのだが…残念。</p>

<p>　まぁ、こんなひどい「ボクノート」が垂れ流されるのも今日が最後なのでご安心下さい。今まで辛抱強く読んでくださった皆さま、お疲れさまでした。</p>]]></description>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/oohashi/oohashi20080214.html</link>
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<category>006)oohashi</category>
<pubDate>Thu, 14 Feb 2008 12:45:26 +0900</pubDate>
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<title>変わらない様子に安心</title>
<description><![CDATA[<p>　久しぶりに函館に出掛けた。仕事の関係で中央競馬開催中の夏場に訪れることは多いが、冬場はほとんど機会がない。数カ月ぶりに訪れると、駅前に新しいホテルができていた。数年前、同じ駅前に全国チェーンのホテルがオープンしたが、新たに五稜郭公園の近くにもできるという。北海道新幹線が着工したこともあって、今後ホテルは増えていくようだ。</p>

<p>　函館に通うようになって十数年になるだけに、様変わりする街も見てきた。市電は現在、湯の川と西部地区を結ぶ路線だけだが、最初に訪れてからの５年ほどは、ガス会社前回り線という別の路線があった。ここ数年で、駅庁舎も五稜郭タワーも新しくなった。函館競馬場も以前はコースの芝が野芝といわれる種で、ＪＲＡ競馬場の中でも有数の高速馬場だった。８８年にはサッカーボーイが、２０００メートルの日本レコードをマーク。その後１０年間破られることがなかった。今はコースが改装され、以前ほど速い時計は出ない代わりに、色鮮やかでクッションの効いた洋芝に替わっている。</p>

<p>　一方で、ずっと変わらず、ありがたいものもある。私の場合は、世話になっている飲食店。最初の年から長く世話になっている店がある。駅前の大門と呼ばれる地区にあるその店はカウンター８席ほどの小さいスナック。他社の先輩記者に連れられて行ったのがきっかけだが、以前は記者連中のほか、調教師さんも顔を見せ、座りきれないほどにぎわっていた。年功序列で、私はカウンターの中に入ることもしばしばだった。</p>

<p>　最初に連れて行ってくれた先輩記者は、異動のため、もう仕事で函館を訪れることがなくなった。競馬関係者の来店も減り、ここ数年は席が埋まるほどの繁盛ぶりには、私は遭っていない。「もう来年、店あるかどうか分からないよ」がママさんの口癖。それでも、なんとか？　営業している。今回、ふらっと出掛けてみた。あった！、客はいなかったが…。「○○調教師、△△騎手からメールがきたよ。うれしいよね」（○○も、△△も現在活躍中で有名）という、喜々としたママさんの話も聞けた。よかった、よかった。</p>]]></description>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/ootaki/ootaki20080213.html</link>
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<category>004)ootaki</category>
<pubDate>Wed, 13 Feb 2008 08:51:51 +0900</pubDate>
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<title>立つ鳥跡を濁さず</title>
<description><![CDATA[<p>　このブログですが、今回が最終回となってしまいました。これまで読んでいただいた皆さま、ありがとうございました。終わるとなると、ちょっと寂しいなぁ…。最後と言われると、人間いろいろと思うもので…なにを書こうか悩んでしまうのです。</p>

<p>　懐かしの「給食」を食べる機会が先日あったこととか…本当に尊敬してしまう、ある同僚のほのぼの話とか…世の中「世話する人間と世話される人間」のどちらかに分かれるという話とか…本紙紙面企画で日本ハム選手を取材したちびっ子記者に、ぜひ日刊スポーツに入社していただきたいと思っていることとか…日本ハム中田翔選手がどれだけ我々報道陣にとってありがたい存在であるかとか…Ｊリーグアウォーズでインタビュアーをしていた“レフティーモンスター”小倉隆史氏と僕との関係とか…コンサドーレの新外国人アルセウの退団について思ったことなどなど…残念です。</p>

<p>　だったら個人でブログでも始めればいいわけなんですが、なぜかそれだと続かない性格なんです。やっぱり仕事好きなんですかねぇ…。</p>

<p>　ではフロアで最後になってしまった（深夜に書いています）ので、ここらへんで店じまいとします。ご愛読ありがとうございました。</p>]]></description>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/furuhata/furuhata20080212.html</link>
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<category>003)furuhata</category>
<pubDate>Tue, 12 Feb 2008 10:41:28 +0900</pubDate>
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<title>長野五輪の栄光から１０年…</title>
<description><![CDATA[<p>　今年は長野五輪から節目の１０年らしい。ジャンプ団体の日本チーム、スピードスケート男子５００メートルの清水宏保、フリースタイル・モーグルの里谷多英らの金メダルなど、数々の感動的なシーンが思い出されるが、個人的にはそんなに年月が経過したのか、というのが率直な感想だ。</p>

<p>　というのも、長野五輪以降、ソルトレークシティー、トリノの冬季五輪２大会を取材したが、ずっと長野の栄光を追い続けているような気がするからだ。長野五輪の日本人選手の活躍を基準に考えるから、結果が出ないとすぐに「低迷」とか「惨敗」という見出しの躍る紙面になってしまう。</p>

<p>　ただ、冬季五輪の歴史を振り返ると、６８年グルノーブル大会までの１０大会で日本人メダリストは、５６年コルティナ・ダンペッツォ大会アルペン男子回転の猪谷千春ただ１人。金メダルは７２年札幌五輪ジャンプ７０メートルの笠谷幸生まで待たなければならなかった。日本人が活躍し始めたのは、７つのメダルを獲得した９２年アルベールビル大会からだ。</p>

<p>　先日、ジャンプの原田雅彦さんに取材する機会があったが、こんなことを言っていた。「どの国も１度落ち込んでからまたよくなるには１０年かかるんですよ」。確かにジャンプでは９２年にリレハンメルで五輪を開催したノルウェーは、長野、ソルトレークシティーの２大会でメダルなし。３種目すべてでメダルを獲得した０６年のトリノ大会まで１４年かかっている。</p>

<p>　環境の恵まれた欧州の強国でさえ、それだけの時間を要しているのだから、日本は言わずもがなである。しかし、各競技で若い芽は確実に育っている。２年後に迫ったバンクーバー大会ですぐに結果が出るかどうかは分からないが、長野の主役たちから確実にバトンは渡されているはず。悲観する必要はない。区切りの１０年を迎えた今年。やる側の選手も見る側の我々も、長野の呪縛（じゅばく）からそろそろ解放される時期にきている。</p>]]></description>
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<category>001)kobayashi</category>
<pubDate>Mon, 11 Feb 2008 09:51:18 +0900</pubDate>
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<title>スケートでピキピキと</title>
<description><![CDATA[<p>　プレゼントでスケートのチケットを頂いた。子供たちは１度も行ったことがないのでノリノリ、妻も久しぶりに滑りたいとにこやかだ。私はというと「スケートなんて行きたくないなぁ」とマイナス思考。子供のころから数えても４、５回程度、最後に行ったのは大学生のころで２０年ほど前だろうか、その時が最悪だった。</p>

<p>　なんとか立つことはできた、縁につかまり生まれたての子鹿のようにおぼつかない足取りで“歩いて”いた、それだけでも苦痛だったのに、ふらっとした瞬間お尻が垂直に落っこちた！　横から見ると人体がカタカナの「ヒ」の字に見えたことだろう。あの分厚い氷が割れたのではないかという衝撃、頭がクラクラした。見知らぬスケーターも「大丈夫ですか」と声をかけてくれたほどだ。しばらくすると友人たちは大笑い、今の奥さんにもしこたま笑われた。それがトラウマになり、以後、誘われても行くことはなくなった。</p>

<p>　なんとか自分を奮い立たせ出陣。子供たちと初心者教室に入ったのが功を奏した。おぼつかないながらも“滑れる”ようになり、スケートの楽しさを初めて実感できた。調子に乗り１日中滑っていたので翌日筋肉痛で、日常生活がおぼつかなかったのは言うまでもない。</p>]]></description>
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<category>018)shiota</category>
<pubDate>Sun, 10 Feb 2008 11:33:31 +0900</pubDate>
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<title>初めての体験ばかりに…</title>
<description><![CDATA[<p>　国境の長いトンネルを抜けると…。先日、出張で初めて新潟・越後湯沢に行った。小説「雪国」の舞台。有名なフレーズが自然と頭に浮かんできた。それほど越後湯沢駅に到着する前のトンネルは長く、暗やみを抜けてから飛び込んでくる雪景色は見事だった。文豪川端康成の世界を少しだけ体感できたのでは、とうれしく思った。</p>

<p>　初日、泊まった旅館は見るからに古かった。トイレ、ふろなどすべて共同。しかしそれはそれでまた情緒があっていい、くらいに思っていた。だが、甘かった。部屋のストーブは壊れており、廊下が丸見えのドアは「ない」に等しかった。「小浴場」に行こうとタオルは？と尋ねると「そういうのはね、自分で持ってきて」と返されてしまった。カメラ用のタオルをあれほどありがたいと思ったことはなかった。</p>

<p>　対して出張２日目以降の取材先だった苗場スキー場と、隣接する苗場プリンスホテルのスケールの大きさにはとにかく驚いた。山頂から見下ろすと、「巨大な要塞（ようさい）、宇宙ステーション」と形容したというユーミンこと松任谷由実の気持ちが分かった気がした。滞在していた４、５日には２８回目となる恒例のコンサートが開催され、大いに盛り上がっていたようだった。</p>

<p>　初めて体験することばかりで迷い、驚き、何かと考えさせられた新潟出張。新千歳空港に戻った時、長～いトンネルからようやく脱したような気分だった。出張先で風邪をこじらせたのは余計だったが、得難い経験になった。</p>]]></description>
<link>http://blog.nikkansports.com/general/hkwriter/okumura/okumura20080209.html</link>
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<category>015)okumura</category>
<pubDate>Sat, 09 Feb 2008 23:13:40 +0900</pubDate>
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