2006年12月17日愛国心って何だろう
教育基本法が59年ぶりに改正されることになった。教育目標には「国を愛する心」が盛り込まれている。これまでも改訂論が起きる度に「愛国心」や「伝統の尊重」などの考え方が欠けているとする賛成派と、国粋主義や国家への奉仕強要につながりかねないとする反対派の対立が繰り返されてきた。事は平和憲法の改正にまでつながる問題とあって、大いなる関心を持って行方を見守ってきた。
愛国心って何だろう。
誰だって自分の生まれ育った国なら、社会からよほど非道な仕打ちでも受けない限り嫌う者はいないだろう。たとえ積極的に愛さなくとも、国の存亡にかかわるような事態が生じた場合は、無関心ではいられまい(もちろんこれは戦争を仕掛けられたらやり返す、という短絡的な一事だけを指すのではない)。
だが、国会議員たちはこの前提を「NO」と言うのだろうか? 「国を愛する心」を教え込まない限り、今の子どもたちは日本が滅ぶまで無関心のままだと予想するのか。それともすでに彼らが絶望的なまでに、国から非道な仕打ちを受けていると確信しているのだろうか。
こう考えたとき、思い浮かぶのが、子どもの居場所のない今の日本の社会だ。親が自分の子を簡単に殺す時代。同世代の仲間からは「いじめ」という迫害を受け、教師にも親にも相談できず自殺に走る彼ら。これは日本という社会が与えた非道以外の何物でもないではないか。妙に納得がいった。国を、社会を愛せない要素は今、十分すぎるほどあるのだと。
だが話は逆のような気がする。無理やり「愛国心」を教え込むより先にやるべきは、そうした社会のひずみを正すことではないか。国を愛する心は、自分がその国に現在の幸福を感謝するところからスタートするものだと思う。
自分の育った場所を愛するのは自然なこと。その自然なことが「教育」という外部からのコントロールでないとできない時代が来たとは、何とも寂しい話である。