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北海道発・記者ブログ

2007年4月 5日たった4年で北海道のチームになった日本ハム

 日本ハムの07年シーズン本拠地初戦が3月30日にあり、わたしも日本ハム担当記者の“小間使い”として札幌ドームに足を運びました。西武との試合は延長12回2-2の引き分け。今季6試合目にして3試合目のドローと、ちょっとスッキリしない結末でしたが、目に焼き付いた光景がありました。

 7回まで西武先発のルーキー岸から4安打しか打てず、無得点。敗戦ムードが漂い始めた8回裏の攻撃で、日本ハムは1死から田中賢が左中間に二塁打を放ちました。ですが、3番坪井は二塁ゴロ、4番セギノールは三振。札幌ドーム全体がため息に包まれ、一塁側内野席からは観客が帰り始めました。

 「やっぱり、お客さんはこの当たりで見切っちゃうよね」。記者仲間とそんなことを話しながら三塁側内外野席を見やると、帰ろうとする人がほとんどいません。外野席にいたっては動こうとしません。0-2のまま9回のマウンドに向かう先発ダルビッシュへ、声をかけ続けます。「日本ハム、たった4年で北海道のチームになったじゃない」。この日、心からそう思いました。

 わたしが初めて札幌ドームで日本ハム戦を見たのは、03年の対オリックスでした。平日のナイター。翌04年の札幌移転が決まっていましたが、観客はパラパラいた程度。「来年から大丈夫かなあ」と心配したことを覚えています。日本ハムへの応援と、オリックスの道産子選手への拍手に差がありませんでしたから。敗戦濃厚となった7回には、その少ない観客がゾロゾロと帰り始めました。

 そんな状況から、わずか4年で、この雰囲気。「新しいもの好き」。だけど「飽きっぽい」と揶揄(やゆ)される道産子気質ですが、ハム党のチーム愛は本物になったようです。

 試合は日本ハムが9回にしぶとく4安打を集中し、引き分けに持ち込みました。試合時間4時間20分は確かに長いかもしれません。ですが、最後まで残ったファンは、納得して帰路についたのではないでしょうか。

 選手もそうでした。紙面には限りがあり、お伝えできなかった森本選手の言葉を、ご紹介します。

 「全体的にみたら相手ペース。ファンの人も吹っ切れないで見ていたんじゃないですか。その中で追いつけた。札幌ドームの開幕戦、何とかしたい、そんなみんなの意思でした。どちらかといえば、勝ちに近い引き分けだと思います」。

 このコラムを書いている4日の時点で楽天と最下位争い中ですが、まだまだ、これからです!

阿部 政信(あべ まさのぶ)

 北海道剣淵町出身。89年北海道本社に入社。90年から一般スポーツを担当。96~97年にコンサドーレ札幌の誕生、1度目のJリーグ(当時)昇格を見届ける。冬季五輪は94年リレハンメル、98年長野と2大会連続スキー担当。98年にデスクとなり、販売部(04~06年)を経て06年デスク復帰。1967年2月生まれ。

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