2006年12月26日悩みながら書いているんです
だれしも「嫌われたくない」という願望があると思います。もちろん、わたしもそう。ですが、記者は嫌われることが多い商売でもあります。
もう20年近く前、駆け出し記者時代のこと。とある高校のバレーボール部で、主力選手が公式戦のメンバー登録から外れたことがありました。理由は不明。過去に全国制覇もした強豪ですから“なぜ”が知りたくなります。わたしも3日を空けず練習場に通い詰めましたが、監督さんに話しかけても「練習に対する姿勢がなってない」としか答えてもらえず、真相は分からずじまい。露骨に「来ないでほしいなあ」という顔でした。
結局、同校は道予選を突破して全国大会に進出しましたが、そのときの記事は「控えにまわった主力組が出場選手を強力サポート」というテーマ。消化不良でした。ところが、全国大会に向けた取材のため同校を再訪すると、監督席の横にいすが用意されていました。監督にあいさつすると、ボソッとした声で「(記事)まあまあだったよ」。それまでが取材拒否に近かったですから、驚きました。
後日、主力組が外されたわけは知ったのですが、その時点で知らなかったわたしはキョトンとするしかありません。取材力不足のため真相までたどり着かなかったのですが、監督は「知ってて書かなかったのだろう」と思ったようです。
その後、さまざまな取材現場に“出会い”ました。事件や不祥事など、マイナス要素の多い内容だと、取材相手が露骨に嫌な顔をするケースは日常茶飯事でした。そのたびに自問自答します。「真相をつかむのが仕事」「事実を書くのが商売」。ですが「書けない」「書かない」と判断して、デスクに報告さえしないこともありました。弊社を含むマスコミの追求で自殺した取材相手もいました。今、振り返っても判断がベストか分からないケースもあります。
ただし、判断する軸はぶれないよう気を付けました。書かなくてはいけないこと。正義を振りかざし、書かなくてもいいことを書くこと。この2つを区別する、というのが最低限の基準。もちろん、取材相手に嫌われたくない、という理由は却下です。わたしも、そのために仲の良かった選手との関係がこじれたことがあります。
今、現場を離れ、デスクという役回りを務めています。現場記者が同じように逡巡する姿が、手に取るように分かることがあります。読者の皆さんが記事を裏読みする必要はありませんが、記者が悩みながら書いた記事を分かってもらえたら-。こんなにうれしいことはありません。