2007年07月29日
髪留めに被爆者の思い
「夕凪の街 桜の国」(日)
広島の原爆がモチーフでも、反戦を振りかざす作品ではない。佐々部清監督は「半落ち」や「チルソクの夏」などで厳しい現実に直面した人間ドラマを展開、その中に希望を見い出せる作品を作り続けてきた。その姿勢は本作も変わらない。心に痛みを抱えながらも、今を生きようとする人々を丁寧に描き切った。
「夕凪の街」「桜の国」の2部構成。過去と現在に生きる2人の女性を中心に物語が進んでいく。
真摯(しんし)に生きる姿を演じる俳優は皆、素晴らしいが、中でも麻生久美子がいい。原爆で生き残った罪悪感にさいなまれながらも一生懸命生きた女性、皆実を丁寧に表現した。
透き通る声で話す広島弁が印象的だ。決して微笑みを絶やさないのだが、どこか陰がありそうな顔立ちだからだろうか。明るい振る舞いが悲しい表情よりもかえって切なく、胸を締め付けられる。ドラマ「時効警察」でのコミカルな演技とは一転して終始、鼻を刺激し続ける。
物語を過去と現代に分けながらも、1つの物語としてしっかりつながれている。皆実から引き継がれた髪留めが、物語の時間軸をうまく束ねた。その時代を生きようとした女性たちのそれぞれの思いがギュッとつまった象徴に見える。髪留めを見るたび、どんな言葉よりも生きることへの思いの深さを感じて染み入ってしまう。
大手映画会社には「地味過ぎる」と映画化を断られたという。そんな小さな作品だからこそ、大切な人に手渡したい気持ちになった。そっと引き継がれていった、あの髪留めのように。【近藤由美子】
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2007年07月22日
自分の子供度測れます
「リトル・チルドレン」(米)
「リトル・チルドレン」とは大人になれない大人のことを指すそうです。そういえば、「大人だね~」という行動パターンの1つに「割り切る」というのがありますよね。少し発展させて「落としどころを見つける」「あきらめも肝心」なんていうパターンもあります。これがなかなかできない人が「大人になれよ」と言われてしまうわけです。
結婚して子供もいて、経済的に何不自由ない。端から見ても、そこそこ幸せそう。そのまま流されるように生きていく手もあるけどこのままじゃいけない。忍び寄る焦燥感。そんなあきらめきれない男女が本作の主人公です。
男は主夫。昼間は子守、夜は妻に子供を任せ、司法試験突破を目指し勉強中。女は3歳の娘の母。ネットのアダルトサイトで○○する夫に幻滅中。偶然の出会いを経て、2人はひかれ合います。
満ち足りていた学生時代を取り戻す男。愛の渇きを潤すように情事を求める女。互いに足りない何かを埋め合わせるかのように逢瀬を重ね、ついに逃避行まで計画…。要は不倫の話でしょ、と片付けることもできますが、割り切った夫婦関係を断ち切ろうとする2人に共感度を高めていく自分は、もしかしてリトルチルドレンなのか? 子供度を測るための映画とも言えそうです。
実は2人のほかに「このままじゃいけないと思っている人」が2人登場しますが、こちらは少し複雑な事情を抱えています。変わりたいけど変われない。変わってしまった不倫カップルと対比させながら見ると、人間ってしょうもないけど愛らしいなんて気持ちになれるかも。【松田秀彦】
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2007年07月15日
強烈さも怖さもない
「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(日)
キューティーハニーこと、サトエリこと佐藤江梨子が演じているのは、キレイだけど性格ブス、ゴージャスに見えて安っぽい、自己顕示欲と自己愛と勘違いで人間の器が満たされている女優志望の女。両親の事故死で、この女、澄伽が帰省してくるのが物語の始まりです。
家族みんなを緊張させ、怖がらせ、兄や妹を服従させる澄伽ですが、その怖さが、残念ながら底が見える怖さというか…。おだててナンボ、女王さま扱いしてナンボ。実はこういうタイプが一番、御(ぎょ)しやすいんです。家族がここまで怖がる、もう一押しの強烈さが、澄伽にはなかったかもしれません。
家族の不和、故郷に帰って来る兄弟、じっとりわき上がる不穏な雰囲気…。香川照之とオダギリジョーが兄弟を演じた「ゆれる」と設定が重なって見えました。この作品は「何が怖いって、人の心が怖いわ~」と思った作品でした。「腑抜け-」にはそこまでの怖さがなかったのが、またまた残念。
サトエリも熱演してますが、お人形さんのようにスラリと伸びた足ばかりに目がいってしまいました。「演技が全然ダメな女優を演じる演技」が、ミョーに板についていると思ったのは、私だけかな? もっと強烈な最強勘違い女が見たかったです。
光っていたのは、兄嫁役の永作博美。夫に吹っ飛ばされて、ごろごろ転がっても、笑顔。彼女の方がある意味、強烈。身近にいても「御しやすい」なんて絶対思えないタイプです。【小林千穂】
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2007年07月08日
ペネロペ胸の谷間、付け尻…全てが官能的
「ボルベール<帰郷>」(スペイン)
10年前。スペインでフラメンコ観賞した時の強烈な記憶がよみがえった。踊り手のしなやかな指の動き。ギターと歌に乗せて強く刻むステップ。4畳半ほどの狭い舞台からあふれ出る情熱に圧倒されたのと同じ感覚だ。本作も同じスペインの映画。悲しみからくる生への情熱と力強さ、色気がギュッと詰まっていた。
ペドロ・アルモドバル監督の故郷、ラ・マンチャが舞台。力強く生き抜く3世代の女性を中心に描いた。
主演のペネロペ・クルスがいい。自分の夫を殺した娘をひたすらかばい続ける。一方で、わだかまりがあったまま死んだと思っていた母親に何十年ぶりかに再会し、すがり付く。母親としての強さ、子供としてのもろさ。このギャップを情熱たっぷりに演じている。
何よりあふれでる色気に驚いた。ハリウッド作品で見せる頼りなげな英語よりも、母国語でまくし立てる方が堂々として見え、強さを感じる。たくましい女性になりきるために付け尻までしたという。そして胸の谷間。監督が「映画界を見渡しても、彼女の胸の谷間は最高」と絶賛するのも素直に納得するほど、女性の目から見ても悩ましい。
ペネロペだけでなく、映像や音楽、すべてが色っぽく映る。監督は過去の作品同様、赤色を効果的に使用した。においも同様に効果的だ。殺された夫の血、食事、ペネロペがピンときた母のにおい。様々なにおいを立ち上らせる。さらにはペネロペが堂々と歌い上げる(口パク?)哀愁たっぷりの「ボルベール」。すべてが官能的で五感を心地よく刺激された気がする。【近藤由美子】
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2007年07月01日
個性派マツケンの普通ぶり見もの
「ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ」(日)
映画館に足を運ぶことが少ないオジサンたちにはなじみが薄いかも知れませんが、今や若い映画ファンの間でマツケンと言えば、サンバの松平健ではなく、松山ケンイチになりつつあります。現在22歳。5年間で何と20本以上の映画に出演しています。その役柄も面白いぐらいに統一感がありません。若いわりに尊敬する俳優がゲイリー・オールドマン(この人も悪役が多めとはいえ、出てくるたびにキャラクターが激しく違う)というシブい好みもうなずけるカメレオンな仕事ぶりです。強烈なオーラを感じさせない代わり、どんな人物にでもなりきれるしなやかさを持っています。
さてそのマツケン。本作では沖縄の水族館にやってきた新任獣医を演じます。意気揚々と乗り込むも、飼育員の仕事をやらされ、不満タラタラ。遠距離恋愛の悩みも抱えながら、仕事場では先輩とも衝突。懐深い館長に見守られ、担当したイルカと向き合ううちに成長していく。いってみれば等身大の若者像。これをごく自然に演じています。必要以上に前に出てくる余計な存在感がない分、役がしっかりなじんで見える。最近では嵐の二宮和也の演技を見る時によく感じる“しっくり感”をこの人も持っているような気がします。そういえばこの2人、顔つきもどこか似てますかね。
病死を防ぐため尾びれを切断したイルカに再び満足な泳ぎをさせようと奔走する「プロジェクトX」的な展開もあるストレートな感動作。動物、海、水族館、若者の成長…。家族向け映画にふさわしい要素もそろっていますが、若き個性派マツケンの普通っぷりを楽しむための作品でもあります。【松田秀彦】
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