2007年02月24日

ブ厚い体、声ヂカラ…身体能力映画だ

「ドリームガールズ」(米)

 日本のスポーツマスコミは「身体能力」という言葉を、負け惜しみ的意味合いをこめつつ多用する。例えばこんな感じ。「大リーグボール1号が見えないスイングに敗れました。星飛雄馬は、褐色の強打者オズマに身体能力の差を見せつけられました~っ」。

 スポーツだけじゃない。映画でも身体能力の差に圧倒されるとは…。女性3人組歌姫の成り上がりミュージカル。主要キャストは全員黒人。ビジネス・恋愛・差別。ドロドロ劇を経て至る解散コンサートまでズシンと腹にこたえっ放しだ。

 MVPはアカデミー助演女優賞にノミネートされたジェニファー・ハドソン。歌は一番だが見た目がジャイ子(ジャイアンの妹ですね)似のため、メーンボーカルを美人のビヨンセに奪われる役。ブ厚い体、肌ツヤ、声ヂカラ、歌オーラ。大リーグボールを場外にたたき出す迫力なのだ。

 彼女の身体能力ソングを聴いているうちに気付く。しょせんヒトは見た目だが、見た目は精神力に支えらているのだと。身体能力と脳みその因果関係。「脳ミソ筋肉」という体育会系蔑視(べっし)用語があるが、それとは違う。五輪陸上100メートル決勝を見た後に感じる生物学的感嘆。だからジャイ子が人種を超えて魅力的だ。優れた身体能力映画だ。

 歌で自己主張しまくるハドソンとオスカーを競うのが「バベル」の菊地凛子。こちらは自己主張しようにもできないろうあ少女を痛く演じる。私がアカデミー会員なら迫力に押されてハドソンに票を入れるかも。下馬評は劣勢だ。

 でも日本代表・凛子よ頑張れ。飛雄馬だって大リーグボール2号3号を編み出したじゃないか。例えばこんな感じ。「か細い極東の少女が身体“脳”力でハドソンに競り勝ちました~っ」。アカデミー賞の発表は25日(日本時間26日)。【高田博之】

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2007年02月17日

もう1つの主役、築地

「天国は待ってくれる」(日)

 かわいらしい小学生の3人組。男の子2人に女の子1人。3人は大の親友で、大きくなっても「僕たちの仲は変わらないね」。

 時は流れて、10数年後。3人は、それぞれに勤め始めているが、家も近い。勤め先も近い。相変わらずの仲良し。

 が、運命は非情。

 1人が交通事故。意識の戻らない寝たきりになってしまう。その病気の青年を抱えながら、親友男女2人が、周囲の家族たちが、どう生きていくか。そこを描いた映画です。

 見舞いに通い続ける日々。静かに流れる時間。3度目の正月。それでも若者は目を覚まさない。

 「今年も、もう桜が咲くわね」。病院の窓から外を眺める見舞いの客たちの言葉がつらい。

 舞台は築地。

 市場で忙しく働く青年の伯父。地元で喫茶店を営む女の子の両親。みんな彼の回復をひたすらに応援しながら、精いっぱいに変わらぬ日々を過ごそうとする。

 下町・築地の「心優しい」人情と、時の流れの非情さと。それを織り込みながら、遠慮がちに親友2人が、ささやかな式を挙げようとするが…。

 ところで、本社・日刊スポーツも築地にある。

 スクリーンに映し出される築地の風景は、季節の移ろいを感じさせ思いのほか美しい。
 見終わった後、あらためて会社の近くを歩いてみた。

 隅田川に架かる勝鬨橋を渡り、川っぺりに立つ。今、渡ってきた川の向こうの冬空を見上げると、明かりの付き始めた高層ビル群と、暗い広がりとなって流れる川面が、実に美しいコントラストを演出していた。この築地の景色も、またもう1つの主役だったのかもしれない。【馬場龍彦】

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2007年02月10日

橋田寿賀子ドラマ!?よくしゃべる

「となり町戦争」(日)

 ある日、自分の住む町が隣町と戦争を始める。開戦は自治体広報紙のお知らせ欄にも記述されているのに、大多数の町民はそんな話は知らない。役場からちょっとした偵察業務を依頼されたサラリーマンが「この程度なら」「よく分からないからまあいいや」とのんきな辞令式を重ねるうち、危険なドンパチに巻き込まれていく。

 町役場戦争推進室、町民向け戦争説明会、夕食作成業務、戦争フェア、闘争心育成樹、分担表3枚目の謎…。アイデア抜群の鉛筆画のような原作にどう「映像」という色をつけてくれるのか。色鉛筆タイプのカラフルを予想していたので、油絵のような重ね塗りにふいを突かれた。

 というのも、とにかく登場人物たちがよくしゃべるのだ。「役人は安全な役所の中から指示だけ出している」「黙っているのは認めたも同じ」「あなたもたくさん殺してますよ。その手を汚していないだけで」。すぐそこにある戦争の気配を感じろというメッセージが、セリフの山になって押し寄せる。原作より活字っぽいというか、橋田寿賀子ドラマっぽい。橋田ドラマは「家事をしながらテレビを見る主婦のために」あえて説明セリフを羅列する確信犯だが、映画での橋田手法に受け身がとれない…。

 戦争推進室の香西さんを演じる原田知世に癒やされる。「大好きな町のために」という一種の宗教にハマってニコリともしない善人を、奇跡の無表情で演じている。融通のきかないヒロインがぼんやりしたサラリーマンと微妙な情のつながりを持っていく過程に1本筋があって、恋愛反戦映画というどっちつかずの展開を支えている。いっそ同じキャストで「24」みたいなビデオレンタルドラマでじっくり描いてほしい作品である。【梅田恵子】

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2007年02月03日

気付かないところでだれかに守られてる

「幸福な食卓」(日)

 エンディングが印象的だ。ミスチルのバラードが流れる中、ヒロインの女子高生、佐和子はひたすら歩き続ける。しかも顔のアップのまま。プロモーションビデオかと錯覚してしまうほど長めだが、そんなことは気にならない。風を受ける表情が実に気持ち良さそうなのだ。佐和子とともに風を感じた余韻が、いつまでも心地よく残り続ける良質な作品である。

 タイトルには幸福感が漂うが、ヒロインが背負うものは重い。父親が自殺未遂し、母親が出て行き、兄は真剣に生きることをやめる。そして自分は父が起こした事件の後遺症に苦しむ。

 佐和子一家は皆、心優しい。だからこそお互い気を使うあまりに何も言えず、1つの事件で関係が崩壊する。希薄になりつつある家族の関係性、どんな家庭にも起こりうる現実を静かに突き付けている。

 物語は佐和子の目から見た家族の崩壊と再生を描いた。少女の視点に絞ったため、周囲の人たちの心の微妙な揺れ動きも期待する大人には少し物足りないかもしれない。自分のサバ嫌いを隠して彼女のサバを食べる恋人の気持ちを、後になって知る幼さもある。

 「気付かないところで、だれかに守られてるってこと」。佐和子の同級生で恋人の言葉が強く響いた。普段なら気恥ずかしくなるような言葉だが、幼さ=純粋な佐和子目線に慣らされたのか。それとも兄が妹、妻が夫を惨殺する痛ましい事件を耳にするやりきれない気持ちからか。いずれにせよ、他人の言葉に素直に耳を傾けさせる力を感じた作品だった。【近藤由美子】

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