2006年08月26日
こってり派におすすめ
「UDON」(日)
実は、私も昨今のブームに乗ってしまった1人である。ここ数年、年に1度は休日をつぶして、本場の讃岐うどんを食べに行く。その度に、ゆでたてアツアツのめんに生卵としょうゆをかけただけの「釜玉」を食すのだが、その魔力から逃れることはできない。釜玉は別格だが「うどんは鍋焼きよりもかけ」。そう信じているシンプル派には少々、味付けが濃く、具だくさんな作品だった。
日本実写映画史上NO・1ヒット「踊る大捜査線」チームの新作は、ブームの栄枯盛衰から主人公(ユースケ・サンタマリア)が大切なものに気付いていく物語。温かい家族関係、学園祭のノリのようなユースケと仲間のうどん研究…シンプルな題材を絶妙のエピソードで味付けしていく。そこまではかけうどん風人間ドラマなのだが、随所に登場する回想シーンが実は鍋焼きうどん風にしている。「踊る-」はスリーアミーゴスら脇役という具をてんこ盛りにして成功した。今回も戦隊モノのような仮想ヒーロー「キャプテンUDON」を回想シーンに登場させた。
こうした仕掛けをどう思うかが、おいしいか、まずいかの分かれ目だろう。私のようなシンプル派はツルツル、テンポ良くすすりたいのに、薬味や具がこれでもかとぶちこまれ、煮込まれたような感じがするが、こってり派は「これぐらいじゃなきゃ、物足りないよ」なのかもしれない。【近藤由美子】
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2006年08月19日
失われた80年代が帰ってきた!
「スーパーマン リターンズ」(米)
超私的「80年代の3大絶望」は(1)受験失敗(2)甘酸っぱすぎて書けない恋バナ(3)たかが映画というなかれ「スーパーマン3」(83年)の不出来。
誉れ高き78年の1作目で空を飛ぶ興奮を知った。美人記者ロイスを空中デートで陥落させた81年の「2」では恋のワクワクに胸躍らされた。3悪人との対決もド迫力だった。だからこそ、コメディータッチのチープな駄作「3」には、期待値が高かった分、失望した。深く深くうなだれて映画館を後にした。87年の「4」がさらに劣化していたことは言うまでもない。
さて21世紀に復活した「リターンズ」。何が痛快かって「3」と「4」を全く無視して、「2」の続編の形を取っていることだ。間違いは間違いだったと開き直る憶面のなさが人生で必要な時もある。「2」でロイスと北極でメークラブしたクラーク・ケントが、5年の旅から帰ってくる。ロイスはイケメン記者と同せい中で子供までいるという衝撃の事実。20年前に期待した設定はこれだ。
弱さを内包するヒーロー像は随所に継承されている。我を張り通す政治的米国は嫌いだが“前科”を帳消しにするテキトー加減は憎めない。スーパーマンの一歩身を引く謙虚さを大統領に見習って欲しい。ジョン・ウイリアムスのテーマ曲と、100倍進化した特撮技術とともに、失われた超私的80年代が帰ってきた。感涙(やや大げさ)。
故手塚治虫氏が「2」の劇場プログラムで「スーパーマンはアトムの大叔父」と述べている。ということは、ウルトラマンもパーマンもタケちゃんマンも、スーパーマンの親せきだ。空飛ぶ謙虚超人好きの日本人ならば楽しめる、真の第3部。天国の「先代」クリストファー・リーブ氏もホッとしているに違いない。【高田博之】
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2006年08月12日
祈りに似た緊張感
「紙屋悦子の青春」(日)
銃後の人々を描いてきた黒木和雄監督の遺作だ。
携帯電話に消せない番号が残っている。そう、監督のもの。4月に亡くなった後も何となくそのままになっている。センチメンタルに言えば、まだつながるような気がするってところだろうか。
監督がこう言ったことがある。「生き残った者の使命として、伝えなければならないことがある」と。監督は青春時代をまさに銃後の中で過ごした。戦場じゃなくても、戦争はそこここにあった。友人を空襲で失った。被ばくした友人が、年を取ってがんにおかされた。生き残った監督も、作品で賞を取っても後ろめたい気持ちになるのだと話していた。穏やかでポツポツと話す語り口だったが、その内側には激情があった。
監督の番号をじいっと見ていると、生きている者に託されたような気になる。使命感とか、そんな志の高いものではなく、とにかく作品を見ることしかできないんだけど、戦争って何なんだと考えることだけでもいいんじゃないか、と。
今作は鹿児島の田舎町を舞台にしている。ドンパチも、空襲もない。物語も会話も静かに進むが、見る者に何か緊張を感じさせる。祈りに似たようなものだ。登場人物に対し「この人が悲しい思いをしませんように」「思いがけず愛する人を失いませんように」。見終わって緊張が解け、そんな気持ちを感じ続けていたことに気付いて、確実に戦争があの田舎町にもあったことを知る。
紙屋悦子(原田知世)が感情をあらわにするのは、たった1度。たった1度だからこそ、思いの深さが響いてくる。黒木監督の内側にあった激情の発露のようにも感じた。【小林千穂】
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2006年08月05日
ジャブ100連発にワンツーパンチ
「ゲド戦記」(日)
スタジオジブリの御曹司、宮崎吾朗氏(宮崎駿監督の長男)の第1回監督作品。メディアの酷評続きが逆に話題になっている。そこまで言わなくてもと思うが、原作を読んで検証したくなる珍作ではある。
「指輪物語」「ナルニア国物語」と並ぶ世界3大ファンタジー。全6巻の長編のうち、本作では「均衡が崩れつつある世界」を描いた第3巻「さいはての島」を中心に描いている。
前段の経緯をふっ飛ばしているため「この人、誰?」「それ、どこ?」「なんで?」の連続となる。王子アレンが父親を殺した理由は最後まで明かされず(ただの殺人者だよ)、なぜか魔剣を所持し、人間が竜に変身したのに誰も驚かない。「?」のジャブ100連発ですっかり参っているところに、男のグチと説教強盗のような長ゼリフのワンツーパンチ。息苦しい展開に、ファンタジーの見せ場がない。もっと主人公と一緒に飛びたかった。
演出も脇役も、過去のジブリ作品群を食い散らかしている感じ。声優問題という、ここ数年のジブリの弱点まで引き継いだ。岡田准一の渋いバリトンが17歳の少年と全く合わない。「ハウルの動く城」のキムタクといい、声優で客寄せをしなくてもいいほどメジャーになったのに、逆に著名人志向なのも不思議な話だ。
1度はハウルの監督に起用されながら駿監督に替わった細田守監督の「時をかける少女」(公開中)の方が、ジブリ的大冒険を生き生きと継承して大好評なのは皮肉だ。世襲という形で華々しく2代目をお披露目したジブリは、これからどこに行くのだろう。あらためて、駿監督のすごさを思い知った。そもそもゲド戦記は駿監督が大きな影響を受けたというスペシャルな小説。駿監督ならどうつくるのか。目にモノ見せてほしい。【梅田恵子】
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