2006年05月27日
お金かけた土曜ワイド劇場!?
ダ・ヴィンチ・コード(米)
「超大作」の額縁に飾られてはいるが、原作が軽量化されて2時間ドラマのノリ。「宗教学者ラングドン教授の事件簿 ルーブル美術館館長が怪死! ダビンチの名画に隠されたキリスト教の真実を追え!!」という感じ。過度に期待値を上げず、ハリウッド級の予算をかけた土曜ワイド劇場だと思って見るのが楽しむコツだ。
ルーブル美術館の館長が死の間際に残した暗号と、レオナルド・ダビンチが作品にしのばせた「キリストの聖杯」の謎が2大テーマ。館長殺しの疑いをかけられた大学教授と、女性暗号解読官が2つの謎を同時進行で解読していく。
「インディ・ジョーンズ」が考古学者の聖杯探しアドベンチャーなら、本作は宗教学者の頭脳戦。フィボナッチ数列、アトバシュ暗号、テンプル騎士団、ローズライン、死海文書、マグダラのマリア…。知的好奇心をくすぐるキーワードが次々に登場する。
原作の情報量を2時間半に収めるあおりで、主人公たちがポンポンと暗号を解いてしまうのが残念。持てるIQと火事場のバカぢからを総動員して敵を振り切っていく“スレスレ感”が薄いのだ(敵キャラも薄い…)。「明智光秀は生きていた」「源義経はチンギスハンになった」「浦島太郎伝説」「かごめかごめの謎」など、日本人はこの手のトンデモ伝承ミステリーの楽しみ方を知っている。謎を楽しむ作り方においては「世界ふしぎ発見」や「特命リサーチ200X」の方がうまいのではないか。
カンヌ映画祭でブーイングと失笑を集めたヒロインのラストシーン(原作とは違います)。カトリックのフランスならではの過剰反応だろうと思っていたが、葬式仏教の私でもずっこけそうになった。2時間ドラマの“解決後のひととき”と思えば、これもほほ笑ましいけれど。【梅田恵子】
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2006年05月20日
行間を読みたくなる作品
雪に願うこと(日)
こんなにまで行間を読みたくなる作品とは。登場人物たちの過去、背景、はせる思い、彼らが雪にかける願いは何だろって思うのです。彼らが自分の気持ちの多くを語らないからこそ、「向こう側」を思わずにいられず、スクリーンの中にそっと入っていって、近くで見守りたくなるのです。
ばんえい競馬の厩舎を守る兄(佐藤浩市)にしろ、東京に出て行った弟(伊勢谷友介)にしろ、「母さん」と呼ばれるまかないさん(小泉今日子)にしろ、厩舎で働くみんなにしろ、ほとんどの人が自分の言葉をぎゅっとノドの奥に詰めて、飲み込んで生きているような気がします。その思いを感じるたびにもどかしく思うのですが、それでも、互いを思いやっているのが分かるので閉塞(へいそく)感はなく、むしろ、じんわりあったかい気持ちになるのです。
兄と弟の確執という、ごく身近でどこにでもありそうな物語なのに、描かれる世界の小ささを感じないのは、登場人物の向こう側に広がる世界を思わせてくれるからなのです。生きている世界は小さくても、それぞれの思いは果てしないんだな、と。
静かに進む作品だけど、ぶるんと震えるような映像もあります。全身が蒸気機関車のようになったばんえい馬の美しいこと美しいこと。朝焼けの中、体中から立ち上る湯気、勢いよく吐き出される鼻息。ぶるぶると踏ん張る足。スクリーンを見て、一緒に身震いしてしまったのは久しぶりかも。【小林千穂】
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2006年05月13日
嫌悪感よりも安らぎ
間宮兄弟(日)
こちらも選べるような余裕はないが、はっきり言って、どちらも恋人にはしたくないタイプだ。30歳をすぎた兄弟が仲良く同居し、毎晩枕を並べてその日の反省会をしたり、路上でグリコじゃんけんをする。現実にこんな兄弟が近所にいたら、不気味だし、ちょっと引いちゃうし、こんなご時世では通報されたっておかしくない。
それでも、見た人の大半は、嫌悪感よりも安らぎを覚えるはずだ。「善良」と「キモい」はしばしば紙一重だが、兄弟が善良で憎めない人にとどまっているのは、実は彼らこそ「大人」だからだと思う。
子供のように、無邪気に天真らんまんに生活を楽しんでいるが、それはあくまで社会の枠組みやルール、マナーを守った上でのこと。2人とも定職についていて勤勉だし、自分の事情や欲求よりも、他人への思いやりや配慮を優先する。帰りたがっている女の子の雰囲気を察すれば、引き留めない。他人の家庭の事情に口出しする訳でもない。彼らを天然記念物のような存在にみせるのは、それだけ現代がジコチュー人間ばかりになったことも物語っている。
それにしても、最近は、一見癒やし系の作品から教えられることが多い。30代女性が単身フィンランドに渡り、食堂を切り盛りしていく「かもめ食堂」には女性としての力強い生き方を教えられた。今作では、せちがらい現代でも、自分の心がけ次第で豊かな時間をすごせることに気付かされ、目からウロコだった。【近藤由美子】
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2006年05月06日
オジサン!?思い出し笑いが止まらない
ブロークン・フラワーズ(米)
オジサンになるということ。分別がつくこと。つまり、あきらめていくということ。疲れた日は特に、説明過多な小説より淡々とした随筆を読みたくなる。ジム・ジャームッシュ監督のつれづれなる新作は、そんなオジサン的心のすき間に忍び込む。
基本的にはビターな話なのに、思い出し笑いが止まらない。年老いたドンファンを演じるビル・マーレイ(「ゴースト・バスターズ」でマシュマロマンを退治していた人)の後退した生え際が、死んだ魚みたいな目で運転する哀愁が、私の二日酔い脳から離れない。電車の中でニヤニヤして隣の人に気持ち悪がられた。
ダラダラ暮らす金持ち独身熟年ニートが、20年前に自分の子供を産んだかもしれない4人の女を訪ね歩く旅。元カノたるや、シャロン・ストーン(「氷の微笑」)ジェシカ・ラング(「郵便配達は2度ベルを鳴らす」)といった(往年の?)エロエロ美女連だというのに、マーレイは見事にやる気がない。ガツガツしない。男女の機微を描写した4編のエッセーを読むがごとき軽妙さ。彼の息子が見つかるかどうかはお楽しみだが、結末近く、無気力ドンファンが少しだけ変わる。心の穴がちょっとだけふさがる。ドキッとする。
ジャームッシュのスカした名作「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は、無目的なままの若者の旅だった。あれから二十余年。監督の年輪そのままに、ほんの少しだけ映画の主人公が成長した。微笑と苦笑の、ギリギリ微笑寄り。「オジ賛歌」と「オジ惨歌」の、ギリギリ賛歌寄り。微妙なサジ加減が思い出し笑いを誘い、頑張ろうという気持ちに少しだけなる、オジサンであった。【高田博之】
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