2005年02月26日
社会ケータイノンストップサスペンス
「セルラー」(米)
何だか疲れて、ボーッとしたくて、都会の真ん中の公園で1人たたずむ。人間ウオッチングを決めこむか。OLもリーマンも学生さんも携帯電話でモシモシモシモシ。通信文化のらん熟に、心落ち着かぬまま昼下がりが過ぎていく-。
そんな社会形態(ケータイ)を、ノンストップサスペンスに仕立てたのが本作。運転中の軽薄青年のケータイが突然鳴る。女性の声で「監禁されてる。助けて」。彼女は粉々にされた固定電話のワイヤーを接触させて信号を送ってきたのだ。電話を切るともうつながらない。かくして青年は「通話中」のまま、女性を助けるべく街を駆けずり回る。
いかにもB級な雰囲気。欠点も散見するが、電話しながらのカーチェイスが楽しい(日本では罰金)。ワンアイデア設定だけで、怒とうのごとくラストまで引っ張る力業もアッパレ。見えない何かに追い立てられる社会ケータイの泣きどころをつき、人ごとじゃない。
時代に乗り遅れ気味のオジサンには、移動電話側の青年より、固定電話側の女性から社会ケータイの変遷を実感した。演じるのはキム・ベイシンガー。御年51歳にして色気健在。出世作のエロエロ映画「ナインハーフ」(氷愛撫!)で、ミッキー・ローク(猫パンチ!)の「ここには公衆電話もないから助けを呼べないぞ」というオオカミ的くどき文句で陥落した85年当時とは隔世の感がある。
昼下がりの公園。人間観察をしていると、ポッケで着メロが鳴った。「明日の休みは何する?」とメール。家族の顔が浮かび、何だかうれしくなる。つべこべ言っても、社会ケータイに少しずつ適応していく私である。
2005年02月19日
皮肉がぐんぐん迫ってくる
「大統領の理髪師」(韓)
強烈な皮肉を突きつけられてしまった。
韓国の60~70年代の軍事政権時代を、大統領専属の理髪師になった男(ソン・ガンホ)と家族を中心に物語っている。大統領の近くにいながら、最も政治から遠いところにいる男の視点、という皮肉。
理髪師は、無学であるがゆえ「マルクス病」の“症状”を、下痢だと思ってしまう。今の私たちだって、彼を笑うことはできないという皮肉。そして、結局は、思想や政治から遠いところにいる無学な人々が苦しむのだという皮肉…。
その皮肉をブラックユーモアで丁寧に表現していく。北朝鮮工作員が青瓦台を襲おうとするシーンでは、トイレに行きたくなる工作員が続出したり、花札で集まったのがスパイ活動だと拷問されたりする。それらが全部、ユーモアで包まれて語られるもんだから、余計に悲しいというか。笑えば笑うほど、物悲しさとやりきれなさと、突きつけられた皮肉がぐんぐん迫ってくる。
でも、ニュースの向こうにこういう家族がいた、今もきっといろんなニュースの向こうにこういう家族がいる、というのはストレートにズドンときた。当たり前だけど、見えているもの、起きていることの向こうには人間がいて、生活がある。父や母が子を思い、子が親を思い、日々働いてささやかな楽しみがある。そんなことをあらためて思い知らされた次第だった。
そんな簡単なことさえ見えなくなりそうになる中、目の前に出された皮肉の一撃が、効く。
2005年02月12日
個人的偏見を払しょくしてくれた作品
「ボーン・スプレマシー」(米)
ラドラムの原作が「ボーン・アイデンティティー」として映画化された02年当時、まったく興味が持てずに無視した。主人公ジェイソン・ボーンはスパイ小説界のスーパスターである。「1人ミステリー小説愛好会」の会員として黙々と活動しているネクラな私には、頭の中にこしらえたボーン像をぶち壊されそうな映画化は、大きなお世話でしかなかった。
が…。マット・デイモン演じるボーンが、空想の世界とそれほど矛盾がないのに驚いた。原作は、今ほどのハイテク社会ではない80年代(冷戦時代)だが、うまく現代にアレンジされてもいる。
序盤のかったるいロマンスを抜けると、いよいよ“行動開始”ののろしが上がる。盗聴防止機能のついた携帯電話から瞬時にデータを盗むハイテク・ボーンにもシビれるが、最も彼らしいのは1冊の電話帳というローテク情報から目標人物の宿泊ホテル・部屋番号まで割り出す機転の良さ。「この手があったか」「取材に使えそうだ」と次第に“ソノ気”にさせてくれるリアリティーこそが、このキャラクターの魅力であり「007」(おバカ映画にシフト中)のジェームズ・ボンドとの違いである。
ボーンがカッコいいのは、行動の数々が、任務上の専門能力というよりも“生き延びる知恵”であること。ボーンでなくても、例えば腕時計1つで方角を割り出してしまうような知恵のある男はどこかセクシーに見えるものだ。
映画は原作のおもしろさを超えられない(「太陽がいっぱい」を除く)。パート2モノは必ず駄作だ(「ゴッドファーザー」を除く)。そんな個人的偏見を払しょくしてくれる作品でもあった。そういえば「太陽がいっぱい」のリメーク「リプリー」もマット・デイモンだった。俳優は、ホントに作品次第だなあ。
2005年02月05日
重い、長い、リアルだがメッセージ性が…
「アレキサンダー」(米)
オリバー・ストーン監督。この名前を聞くと、つい身構えてしまう。ベトナム戦争問題を描いた「プラトーン」「7月4日に生まれて」、ケネディ大統領暗殺事件の真相を追った「JFK」…。重い、長い、リアルの3点セットを受け止めるには、見る方にもそれなりのパワーと覚悟がいる。今回もこれらのキーワードがしっかり踏襲されているから、気合を入れて見よう。
重い=今回のテーマは、史上初めて世界統一したとされるアレキサンダー大王の32年の生涯。これまでは現代史の暗部をえぐりだすことが多かっただけにミスマッチな先入観もあったが、ギリシャからインドにいたる10年間もの征服の旅に延々と付き合ううちに、物理的ヘビーさを実感させられる。
長い=上映時間は2時間53分。JFKで3時間を超えたストーン監督にとっては“標準”。「つくるからには言いたいことはすべて言わせてもらう」が信条の頑固一徹なのだから、仕方ない。
リアル=そんなストーン監督にとって、一番の問題はこれだっただろう。しかし、200億円以上の製作費を投じて時間を超越してしまった。砂漠をいくペルシャ人、象にまたがった人々とのジャングルの戦い、華麗なバビロン宮殿…。あくまで頑固に本物をつくり上げていった。
しかし、見終わったあとに頭を抱えるような、あの強烈なメッセージ性がない。どこまでも広がる地平線同様に…。初の歴史大作。ストーン印の3原則を死守するのに精いっぱいだったのだろうか。