2004年12月25日

両者の持ち味を生かした娯楽作品

「エイリアンvs.プレデター」(米)

 「さよなら銀河鉄道999」(81年)で、メーテルとエメラルダスが旧友として情報交換している場面は、2人のカッコ良さが倍増して見えてうっとりした。デビルマン対マジンガーZ、ルパン対ホームズ、フレディ対ジェイソン…。この手のヒーローの豪華共演は実現しただけでわくわくさせられるものだ。宇宙トカゲのエイリアンと、地球外戦士プレデター。SFホラー界の2大モンスターが南極大陸で激突するのが今作である。

 南極大陸に地球最古の遺跡が発見され、科学者らが調査に乗り込む。そこはエイリアンとプレデターの牙城。“侵入者”である人間が1人1人餌食になる。

 人間を襲う段階を経て、両モンスターが戦い始める中盤以降、一気にスクリーンが盛り上がる。高度な知能を持ち、トカゲ退治に効果抜群の飛び道具を持つプレデターが有利にみえるが、バケモノ本能丸出しのエイリアンの強いこと。恐るべき繁殖力であちこちに寄生したトカゲがギャアギャアと飛びかかり、酸性のネバネバでプレデターを食いちぎる。弱っちい人間が相手では分からない両者の底力が全開で、強さが倍増して見える。ポール・W・S・アンダーソン監督は両シリーズを何百回も見たというオタク。両者の持ち味を生かした見せ場づくりがうまい。

 「エイリアン」のリプリー(シガニー・ウィーバー)を思わせる強い女が終盤のカギを握るが、このあたりからモンスターとの関係が変容して爆笑モードに突入。もし地球で彼らと出会えたらこうかかわりたい、という監督の夢なのだろう。そんなバカなとあきれるけれど、それはそれで楽しいと思わせ、娯楽映画のツボを外さない。結局、監督はどっち派なのだろう。ラストを見て、うなってしまった。

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2004年12月18日

ひりひり、冷え冷え…人間関係

「レディ・ジョーカー」(日)

 友情も家族愛も、仲間意識もありません。ひりひりするような人間関係だけです。「レディ・ジョーカー」たち、刑事たち、会社幹部たち。ちょっと指でつつけば、ガラガラと崩壊するか、内部から爆発するか、そんな関係ばかりです。実際に崩壊してゆく関係もあります。癒し? 純愛? 涙ほろり? そんなのごろごろ転がっていないのが本当のところだと思っているので、このひりひり、冷え冷えした人間関係が、より現実に近そうに思えるのです。

 その寒々とした雰囲気は冒頭から出ています。戦後すぐの東北の村に、吹雪の中を「日之出」というビール会社を解雇された青年が帰ってくるのです。食いぶちが増えて迷惑そうな顔をする家族の前で、彼はリュックからビールを取り出します。さぞ、寒かろう、冷たかろうに…。ビールの冷たさは会社、家族の冷たさで、それが約50年の時を経ても、冷え冷えと横たわっている、そんな雰囲気です。

 どこに感情移入していいのか、正直迷うかもしれません。登場人物たちが、何を求めて生きているかが、よく分からないのです。寂しいという人も、目立ちたいという人もいないのです。感情を押し込めて、黙々としているか、自分だけを見ている人ばかりです。でも、やはり、これが現実に近いのではと思うのです。

 「レディ-」の物井(渡哲也)と陽吉(加藤晴彦)、レディ(斉藤千晃)の関係だけは、もろくても、少し温かそうです、劇的感動があるわけではないですが、これくらいで十分。ベタベタに飽きた人はどうぞ。

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2004年12月11日

「ジヒョン・マジック」にまたかかる

「僕の彼女を紹介します」(韓)

 世の男性の奥底にひそむマゾッ気を刺激したヒロインが、日本に再上陸する。昨年、大ヒットした「猟奇的な彼女」のチョン・ジヒョン(23)とクァク・ジェヨン監督(45)が再びタッグを組んだ作品である。

 「ぶっ殺すよ」が口癖。気に入らなきゃ殴る蹴る。「深さを確かめたいの」と川に突き落とす…。冷静に考えれば「彼女」の行動は本当に「猟奇的」だったのだが、真っ直ぐな性格、正義感、そしてとびきりキュートな笑顔で、大半の男性たちを「殴られたい」「好きにならずにいられない」ととりこにしてしまった。

 今回も、役柄は全く同じ。いや、女性警官ギョンジンという名前が与えられた分、より個性が際立っている。誤認逮捕しては「私の辞書に『ゴメン』はないの」。気に入った男性に無理やり手錠を掛けて、仕事に付き合わせる。相手役は高校教師だが、その教室に押しかけては教え子の女子高生に「もうヤッたからね。手を出したら承知しないよ」とクギを刺す。一方では、ピアノが上手で、好きな人のためにはへたな手料理を一生懸命つくる。硬軟のギャップの激しさは「猟奇的-」以上だ。

 文字にするととんでもない女なのだが、チョン・ジヒョンが演じると毒気が抜けてテンポもよく、好感度が出てくる。同じ女として本当に不思議なのだが、男性たちがまたも「ジヒョン・マジック」にかかるのは間違いない。

 韓国や中華圏ではCM女王。クァク・ジェヨン監督も勢いのある韓国映画界屈指のストーリーテラー。明らかに柳の下のどじょうなのだが、このコンビなら2匹目も十分楽しめる。

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2004年12月04日

ゴジラには休息が必要…

「ゴジラ FINAL WARS」(日)

 時代を問わない。年齢も問わない。ゴジラはニッポンの男の子のアイデンティティーだった。

 70年代、春休みに劇場公開される「東宝チャンピオンまつり」が楽しみだった。陰がある初期作品と比べると、人格が円くなった善良ゴジラだったが、子供たちは映画館で恐れおののいた。「東映まんがまつり」のマジンガーZより奥が深かった。強くて優しい水爆の落とし子が、男の子を背伸びさせた。

 50年代、デビュー当時の「悪ゴジ」は、世界と肩を並べるためのパワーの源泉だった。70年代の高度成長的「善ゴジ」を経て、平成に再び「悪ゴジ」として復活したのは、弱くなった我々を叱咤(しった)激励するためだった。

 そして、28作目ファイナルウォーズである。ひとことでいえばハチャメチャ。突っ込みどころ満載の荒唐無稽(むけい)を、とやかく言うべきではない。ゴジラが本格的に登場するまで人間ドラマ1時間。じらされてじらされて、やっと主役とご対面の瞬間は感涙ものだ。

 後半は懐かし怪獣めじろ押しの至福タイム。マウントポジションからパンチ連打の「総合格闘系ゴジ」も時代の反映だろう。国辱的ハリウッド版「とかげゴジ」(円谷イズムへのリスペクトが皆無だった)を1発KOして拍手喝采(かっさい)。軽トラに乗ってシートベルトを締めるミニラにも心なごんだ。

 でも、でも、でも。悪ゴジと善ゴジが強引に同居する愛すべき大団円なシリーズ最終作に、イマドキの男の子たちはアイデンティティーを感じるだろうか。「ゴジラ松井」に夢を託せても、本家には心を許せないのではないか。戦士には休息が必要なのかもしれない。時代が再びラブコールを送る日が来ることを、まだ現役の男の子として切に願う。

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