2004年01月31日
荒れ馬から伝説の名馬へ…奇跡の実話
「シービスケット」(米)
サラブレッドが人を魅了するのは、この映画が指摘する通り「詩のような美しさ」に尽きる。90年12月23日の有馬記念、オグリキャップのラストランを思い浮かべる人も多いだろう。酷使され「もう走れない」といわれた“最強馬”が1着で駆け抜けた。17万観衆の祈るような大声援の中、ぶっちぎるようなスピードで最後の直線を力走する芦毛(あしげ)馬の美しさに、今も胸がいっぱいになる。
強さと悲劇性を兼ね備えたサラブレッドは、それだけでドラマチック。「シービスケット」も、30年代、大恐慌に沈んだアメリカが希望を託した伝説の名馬の物語だ。虐待されてとんだ荒れ馬に育ち、馬体も小さいという落ちこぼれ競走馬が、3人のワケあり男たちと奇跡をつかむまでの実話を描いた。
騎手のレッド、馬主のハワード、調教師のスミス。それぞれが心に深い傷を持ち、それだけに、つまずいた者への視線が優しい。骨折した馬にも、致命的なミスをした人間にも「構わんさ。ちょっとのケガで命あるものを殺すことはない」。勝ち組、負け組という無神経な言葉が平然と使われる世の中で「構わんさ」という思想のパワーにフイを突かれる。だれにだって事情はある。「何度つまずいたっていいじゃないか」。出来過ぎのようなエピソードからにじむシンプルな励ましは、実話だけに説得力がある。
10キロの減量をし、2カ月半の特訓をした主演トビー・マグワイアの騎乗ぶりは、武豊も太鼓判を押す。レース場面は現役のジョッキーが起用され、競馬の迫力がダイナミックに伝わってくる。そして、馬たちの演技力。朝霧の中で「何ジロジロ見てんだよ」と登場する印象的な場面をはじめ、暴れるシーン、力走するシーンなど、場面によって使い分けられた10頭の“ビスケット”たちも、主演賞ものだ。
【梅田恵子】
2004年01月24日
生きることの大切さとは…
「解夏」(日)
「僕の目になってほしい」。ベーチェット病にかかり、徐々に視力を失っていく主人公隆之(大沢たかお)が恋人の陽子(石田ゆり子)に投げかけたこの言葉に胸を打たれた。
病気が発覚した当初は陽子を思うがために別れを決意する隆之だが、それでも陽子は彼を支え続けようとする。決して弱気になって出た言葉じゃない。男としてのプライドもかなぐり捨て、たとえ目が見えなくなっても最愛の恋人とともに生きていこうとする強い意志が感じられる言葉だ。
2人の姿には「切なさ」は感じられない。2人がまさに手と手を取り合って懸命に生きていく姿はまぶしくさえ映る。陽子が見せる笑顔が隆之の生きる勇気となっているのだ。こんな2人の関係がうらやましく思えた。
原作さだまさしの故郷長崎が舞台になっている。異国情緒あふれる街並み、丘から見下ろした海、オランダ坂に代表される坂の数々。視力を失いつつある隆之が急な石畳の坂を1歩づつ確かめるように歩いていくシーンは、その息遣いが心にしみ入る。都会の平たんなアスファルトの上では伝えきれないシーンだ。
この映画を見た人は「泣ける」と言う。劇場でも観客がハンカチで目を覆う姿が目についた。でも泣けなかった。泣きたい気持ち以上に、生きることの大切さを教えられた。
【大越慈】
2004年01月17日
寺尾の「悟り芝居」に注目
「半落ち」(日)
主人公を演じる寺尾聡の穏やかな表情に注目して見てほしい。
主人公は妻殺しを自首した元刑事。犯行自体は潔く認めるが、犯行時刻から自首するまでの行動を、一切黙秘する。不信感を抱いた刑事、検事、新聞記者、弁護士たちがリレー形式で主人公と向き合っていく。
なぜ隠す。かかわった人間たちは最初こそ、じらされていたはずが、いつの間にか、やさしいまなざしで主人公を見つめ始める。真実は分からない。それでも、穏やかに黙秘し続ける主人公に、何かまっすぐな思いを感じ始めるからだ。
寺尾が好演している。もともと押し出しの強い演技をしない人だから、引いた芝居がピタリとはまる。黙秘を続ける役だから当然だが、劇中ほとんどしゃべらない。セリフがないと、眉間(みけん)にシワを寄せたり、うっすらと涙を浮かべてみたり、口元をわずかにゆがめたりと、無理に表情で芝居をしようとする俳優もいる。
ところが寺尾は、何もしない。が、無表情ではない。口を真一文字などにしなくても「オレは決めたんだ」という強い意志を感じることができる。これがきっと何かを悟った人間の表情なのだ。そこまで想像させる好演だ。表情豊かで芸達者な共演陣に囲まれたことも、いっそう寺尾の「悟り芝居」を印象づけている。
「泣ける映画」として評判だ。確かにツボは押さえているが、原作にこだわらず、もう少し登場人物の数を絞って、主人公とじっくり対峙(じ)させ、話をすっきりさせる手もあったと思う。
【松田秀彦】
2004年01月10日
イーストウッド監督が描く人生とは…
「ミスティック・リバー」(米)
生きていれば、つらいと思う瞬間なんていくらでも訪れる。悲しいと感じることなんて、そこら中に転がっている。それでも、みんな生きていく。この作品は、当たり前すぎて日ごろ忘れかけているこの人間の宿命を、痛みを伴いながら思い出させる。鋭利な刃物で斬(き)りつけられるような痛みではなく、まるで細長い針金を体の中に通されていくようなじわじわとした心の痛みと緊張感を強いられる。
少年時代、仲間の1人が連れ去られ、性的虐待を受けて帰ってきた。事件は、仲良し3人組の少年たちのそれぞれの心の底にへばりつき、友情と呼ぶには幼すぎた心のきずなは引き裂かれる。「代わりに僕が誘拐されていたら…」「なぜ僕が乱暴されなければならなかったのか…」。物語はトラウマを抱えて生きた3人が、ある事件をきっかけに再会した25年後から始まる。
原作は全米ベストセラー小説。クリント・イーストウッド監督は「失われた25年間」を現在の3人の姿を通して静かに、徐々に明らかにしていく。重厚な物語の運び方は、大げさな音楽や、エキセントリックな演技など一切必要としない。緊張を持続させる3人の俳優たちの演技は、こちらに泣くことすらも許さない。少年時代にゆがんだ関係が、大人になっても克服できない現実がつらく映る。
生きていくと互いが影響され合い、結局は何が正しく、何が悪いのか分からなくなる。「人生そんなものさ」というイーストウッド監督のささやきが聞こえてくる。アカデミー賞の大本命。
【松田秀彦】
2004年01月05日
「一妻多夫」に驚きの連続
「私の小さな楽園」(ブラジル)
イスラム教徒などの「一夫多妻」はよく聞くが「一妻多夫」なんて聞いたことがない。ブラジルの田舎町に住む中年女性が主人公。とりたてて美人ではないものの、ブラジルの大地のようなおおらかさ、太陽のような明るさで、次々と男たちを手玉にとっていく。
高圧的な性格の初老の家主、家事もこなす優しい中年、ハンサムで肉体派の若者。彼女はタイプが違う3人の男と同じ屋根の下で暮らしている。電気も水道もない貧しい生活を強いられながらも次々と男たちの子どもを産んでいく。
サトウキビ畑での過酷な低賃金労働に耐えながらも、男に対する情熱だけは決して失わない。この映画を見て、女性の持つ生命力、精神力の強さをあらためて感じさせられた。情熱の国ブラジルの女性は男をもしのぐパワーを持ち合わせているのだ。
一方、3人の男はそれぞれがけん制し合いながらも、どこか満足感を漂わせている。思わず「愛する女性を独り占めできなくて平気なの?」と問いかけたくなる。古き良き日本の夫婦の形を理想とする自分にとっては、信じられない映像の連続だった。女性のしんの強さを感じたと同時に、男たちのけなげさに心が痛んだ。公開中。
【大越慈】