2003年08月29日
ジェームス・ブラウンの物まねは必見
「ゲロッパ!」(日)
「コテコテで、めっちゃ楽しいでぇ」「絶対、泣かされるわ」。こんな前評判に後押しされるように、行列、満員の映画館へ。
スクリーンには派手なコートを着込んだ西田敏行が大写し。彼は、小さな組のヤクザの親分だ。ン? ちょっと寂しそうな顔。
なぜかといえば、2日後に刑務所に入る身。その前に「25年前に別れた1人娘に会いたいなぁ、どうしても会いたいなぁ…」と、人知れず悩んでいる。この娘(常磐貴子)との再会が、ストーリーの縦糸である。
ここにもう1本、糸が絡まってくる。それは、子分たちが、その収監間近の親分を思い、ひそかに彼の大好きなソウル歌手・ジェームス・ブラウン(来日中の設定)を誘拐して、会わせて、喜ばそうと計画する。
で、どう絡まるか。
成長した娘は「そっくりさん一座」をプロデュースする社長になっている。その一座の中にはジェームス・ブラウンのそっくりさんもいる。慌て者の子分たちが誘拐したのが、このそっくりさんの方。話はいや応なしに、父娘の再会の場へと向かっていく。(これ以上のストーリーは、劇場で見てもらいましょう)。
感想。おもしろいっ!。
井筒和幸監督は「小さな組」や「そっくりさん一座」など、決して世の中から一流とは見なされない人たちを素材に、それでも彼らが、熱いハートで「一流がなんぼのもんじゃ」とギラギラに人生を闊歩(かっぽ)する様子を力強く描いて見せるのである。虚勢を目いっぱいに張り、美人と見るとすぐにカァーッと好きになる連中。だけど、それのどこが悪いんや。その方が「ツンとすました人生」より、よほど人間的やないか! と、問いかけるのである。(難点は、ちょっと展開がドタバタしすぎかな)。
そして、最高の見せ場は、西田が、再会した娘に贈るジェームス・ブラウンの物まねパフォーマンス。しびれるほどのうまさでした。
【P・S・私の隣りに座っていたお客さんへ】 私の隣りの若いお兄さん。アンタや、うるさ過ぎ。独り言で「そうや、そうや」「それで、ええんや」とか、小さい声とはいえ、独り言を言い過ぎ。それで最後は大泣き。何なんねん! まぁ、これが、この映画の正しい見方…。
【馬場龍彦】
2003年08月24日
「欠点発見不能的高尚芸術…」最高評価!
「HERO」(中)
赤、赤、赤、赤。赤の洪水。ウッ、目が痛い。赤がチクチク瞳に刺さる。でもスクリーンから目が離せない。まばたきすら不可能だ。そんなイタキモチヨサが病み付きになりそうだ。
鮮やかな赤い衣をまとった絶世の美女が銀杏の葉が竜巻のように渦巻く黄金色の林の中で闘う。2人はスゴ腕の女剣士。演じるのはマギー・チャン(アジアで最も妖えんな香港の演技派。興奮チャイナ服の「花様年華」)とチャン・ツィイー(古今東西最もかれんな乙女、涙ちょちょぎれ「初恋のきた道」)。「マトリックス」をしのぐ優雅なワイヤーアクション。そのキレイなこと。最後は黄金の林が真っ赤に変色し、決着がつく。カメラはほんの0・5秒間だけ勝者の剣に流れる一筋の鮮血を映し出す。赤が際立つベストバウトを、筆者は映画史上最も美しい決闘シーンに選出した。
出「色」バウトは赤だけではない。秦の始皇帝の命を狙う5人の刺客たちの闘いを、主人公ジェット・リー(現世で最も強いマーシャルアーツ俳優。カンフーだけはすごい「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」)が、赤、青、白、黒、緑の5色を基調に語っていく。空を埋め尽くす何万本もの矢。心を映すろうそくの炎。生き物のような砂、雨、布。のけぞるシーン目白押し。ネタバレになるので書けないが、テーマも普遍性があり、見終わった後、深く考え込んでしまう。
運動会と文化祭と期末試験と夏休みと修学旅行とバレンタインが一挙にやって来たような1時間39分のカオス。謎の中国人風にキャッチコピーをつけるなら「欠点発見不能的高尚芸術兼備大衆娯楽極彩武侠絵巻」。中国発パーフェクトな5人の刺客の5色の闘いに最高評価です。
【高田博之】
2003年08月16日
昼はTVプロデューサー夜は殺し屋
「コンフェッション」(米)
にわかには信じられない話だ。人気バラエティー番組のプロデューサーが、実はCIA(中央情報局)の雇われヒットマンだった。映画のシナリオのような話だが、実在の人物が書いた自伝の映画化だという。今の日本で言えば、さしずめテリー伊藤氏あたりが、公安警察の一員で、国益のために人を何人も殺している、なんてことになろうか。
もっとも、真実かどうかなどあまり重要ではないのかも。遠山の金さんも、水戸黄門も、タイガーマスクだって、スーパーマンだって、普段はみんな普通の人だった。面白ければそれでいいのだ。
本作も、ことさら「真実」を主張せず、「事実の持つ重さ」を強調したりもしない。むしろ、敏腕プロデューサーとして絶頂を極めながら、殺し屋稼業に足を踏み入れてしまったことに端を発する主人公の苦悩や葛藤(かっとう)に重きを置いている。
少年時代から、かなりの変わり者だった。仰天発言やエピソードの連続で、人生そのものがバラエティー番組のような男。その変人ぶりが、日本の人気番組「パンチDEデート」の元ネタ番組「デート・ゲーム」など、今やバラエティーの王道といわれる発想を生み出す原動力となった。
演じるサム・ロックウェルという俳優は、一見さえない男で、どちらかと言うとわき役タイプ。事実これまで主演作は、ほとんどない。ところが、長く交際するカノジョや、CIA、テレビ局の政治などに翻弄(ほんろう)され、苦もんの表情を浮かべる時、まさに適役と気づく。正統派二枚目では味わえない表情と演技を見せてくれる。どこにでもいそうな顔立ちが、信じられない話を、もしかしたら、と思わせる雰囲気も持っている。
人気俳優ジョージ・クルーニーの第1回監督作品でもある。興行成績、つまり稼ぎを気にするスタジオ側の強い要望で、監督専念とはいかなかった。俳優としても撮影現場に立つというあわただしい状況の中、クールな眼差しで、悲哀感漂う作品によく仕上げたと思う。クリント・イーストウッド、ロバート・レッドフォード、メル・ギブソンら監督進出したスター俳優たちは、高レベルの作品を生み出してきた。クルーニーも、何とか、その仲間に入れそうだ。
【松田秀彦】
2003年08月11日
CG俳優の誕生は一見の価値あり
「ハルク」(米)
暴れっぷりは、まるで緑色のゴジラ。水爆実験の被ばくで狂暴化したのが、ご存じ怪獣王ゴジラ。本作の主人公ハルク様は、ガンマ線を浴びたため、怒りを感じると巨大化して破壊を繰り返してしまう。ボブ・サップをほうふつとさせる筋骨隆々の肉体は、銃弾やミサイル程度は、いとも簡単に跳ね返す。戦車だって砲塔をつかんでジャイアントスイングだ。ビルの壁だってビリビリ破いちゃう。
私の妻も、ここだけの話だが、激怒するとティッシュペーパーの箱を投げつけ、私のお気に入りのCDだって目の前でバリバリっと割るハルク状態(巨大化はしませんが)に陥ることがある。無条件降伏の低姿勢を貫けば、何とか命だけは助かるが、ハルク様は、そうはいきません。
怒りを鎮められる唯一の方法が、恋人の愛情なのだ。もともと科学者だったハルク。研究所の同僚だった恋人にウルウルした瞳で見つめられると、途端に人間に戻る。暴れることで得る不思議な高揚感と、怒りをコントロールできない自分への嫌悪。自分の中にひそむモンスター魂による葛藤(かっとう)に苦しむ。
特筆すべきは、CGで作られたハルクの造形だ。かつて「ジュラシック・パーク」で恐竜を復元させた特撮工房「ILM」が手がけたその勇姿は、ただ驚くばかり。コミックの映画化だけに、造形表現は、勝負どころだった。皮膚の質感、微妙な表情の変化、筋肉の躍動感、重量感あるアクション。これら難題を、高レベルでクリアしている。恐るべきCG俳優の誕生は、一見の価値あり。
残念なのは、全編に漂う重苦しさ。少年時代のトラウマを何度も絡ませ、ダークな人間ドラマを狙ったのだろう。映画からテンポを失わせ、全体を間延びさせてしまった。なぜハルクになったのか、ではなく、破壊しながら苦しむ葛藤に感情移入させてほしかった。
【松田秀彦】
2003年08月08日
“1人”の犬…涙止まらず
「さよなら、クロ」(日)
60年代、長野県・松本市の高校に迷い込んできた野良犬「クロ」。学校の名物犬として10年以上も住みつき、木村亮介(妻夫木聡)には獣医になる夢を、自殺を図ろうとした五十嵐雪子(伊藤歩)には生きる勇気を与えた。1匹の野良犬が、受験、就職、恋愛などの悩みを抱えた思春期の高校生の支えとなっていく。彼らにとってクロは「ペット」ではなく「親友」とでも呼びべき存在だった。
驚くべきは「クロ」が作品の中で、出演する俳優たちと同等の立場で描かれているという点。単なる人間のペットとしての扱いではなく、1人(匹?)の生徒、職員であるかのようにストーリーに絡んでいく。クロと触れ合うことで、若者たちが人生にとって大事な何かを見つけていく。あくまで「動物」を主人公として登場させたこれまでの動物映画とは一線を画した作品に仕上がっている。クロの切なさだけにクローズアップするのではなく、周りにいる若者の切なさを感じさせる成長過程も同等に描いている。クロの死と引き換えに、ようやく実を結んだ亮介と雪子のラブロマンス。流した涙の量も倍になった。公開中。
【大越慈】
2003年08月01日
運命が熱く交差する!
「パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」(米)
ジョニー・デップ(40)演じる一見情けない海賊ジャック・スパロウに注目。冒頭からスパロウは逃げる、逃げる。船を盗もうとして見つかり、逃げ回ったが結局捕まり牢獄(ろうごく)に入れられてしまう。逆境の中でも、冷静にしたたかに次のチャンスをうかがうスパロウを、デップが表情豊かに演じている。アクションシーンも華麗なわけではなく、どちらかといえば危なっかしい。これまでのイメージを覆すデップの海賊だ。気が付くと、彼だけを目で追っていた。
デップは、今回の役柄のモデルをローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズに求めたという。一見けだるそうな表情と話し方、秘めている熱い魂…、これらの演技は、ステージのリチャーズをイメージしたのかもしれない。役づくりに関して監督から特に指示はなく、デップは自由奔放に演じたという。
ハリウッド有数の演技派として知られるデップ。出演依頼が届いた時、「海賊を演じたくない俳優がいると思うかい」と快諾したという。強い海賊を演じる俳優は数多くいるが、「情けない海賊」を演じられるのはデップだけかもしれない。その役柄を、デップが心から楽しみながら演じているように感じた。
【大越慈】