2006年12月26日

日本への深い思いあふれる「硫黄島からの手紙」

 日本で世界先行公開された「硫黄島からの手紙」が20日、ようやく米国でも限定公開されました。

 先日行われた試写会では、エンディングロールが流れると劇場は拍手に包まれる大盛況。すでに、ゴールデン・グローブ賞の外国作品賞ノミネートをはじめ、ナショナル・ボード・オブ・レビュー、ロサンゼルス映画批評家協会賞で最優秀作品賞を受賞。来年1月に発表されるアカデミー賞でも、ノミネートが確実視されるなど、アメリカ人にはなじみの薄い字幕入り作品ながらとても高い評価を得ています。

 日本を舞台にしたハリウッド映画の代表と言えば、80年代は「将軍 SHOGUN」「ベスト・キッド2」「ブラック・レイン」などがありましたが、90年代になると日本を舞台にした作品は消滅。しかし、03年に「キル・ビル」「ラスト・サムライ」「ロスト・イン・トランスレーション」が相次いで公開され、ハリウッドにおける日本の注目度が急上昇。その後も「The JUON/呪怨」、「SAYURI」、「ワイルド・スピード×3 TOKYO DRIFT」などが製作され、「バベル」でも日本が舞台のシーンが登場。来年は「ラーメン・ガール」の公開も控えており、ハリウッド映画で日本が舞台になる機会が劇的に増えています。

 しかし、まだまだアメリカ人のフィルターを通したおかしな日本が描かれることが多いのも事実。えー? って首をかしげることも多い中で、この「硫黄島からの手紙」には、本当に感服しました。

 アメリカ人のクリント・イーストウッド監督が、日本側から見た太平洋戦争を撮ることだけでもすごいことなのに、日本人キャストを使って全編日本語で製作している。しかも、日本にとても敬意を払って描いていることがヒシヒシと伝わってくる。日本への深い思いがあふれており、これがハリウッド映画であることを忘れてしまうほどでした。

 戦争を知らずに生まれ育った私たち世代にとって、平和、衣食住何一つ不自由しない豊かさは当たり前。わずか60年前に灼熱の硫黄島で祖国のため、本土にいる家族を守るために、生きて帰ることを願いながら戦いつづけた多くの兵士たちがいたことを知りません。生きて帰ることはできないと知りながらも、最後の最後まで戦い続けた栗林忠道と彼の部下たち。見終わった後、言葉が出てこなかった。ただただ、ぼう然とエンドロールを眺めていました。悲しい、悲惨、戦争に勝ち負けはないという事実…。この作品を説明する言葉はたくさんあると思いますが、そのどれも簡単には口に出せないほど、ずっしりと重く心に戦争の悲惨さが残る作品でした。

 「靖国で会おう」「天皇陛下、万歳!」の台詞は、特に印象に残っています。こう言い残して敵陣が待ち構える戦場に飛び出して行く兵士や、自決する兵士たち。この言葉をどんな思いで叫んでいたのでしょう。これらの言葉は近年の太平洋戦争を扱った邦画には出てきていないと記憶しています。それ故に、そこにハリウッド映画ならではの実直さを感じた。もし同じテーマで日本が製作したなら、まったく違った描き方になっていたことでしょう。

 公開初日の劇場には、当時戦争に参加していたと思われる世代が多く、老夫婦たちが静かに映画を鑑賞する姿が印象的でした。アメリカ側からの視点で描いた「父親たちの星条旗」は、摺鉢山に星条旗を掲げる5人の海兵隊員と1人の海軍兵士の写真のエピソードを基に、英雄に祭り上げられた3人の兵士たちをドキュメンタリー仕立てに描いているのに対し、「硫黄島からの手紙」はより戦争とそこで戦う兵士に焦点が当てられています。

 コンピューターゲームで遊ぶように簡単に人を殺す人増え、悲惨なニュースが蔓延している昨今。おん年76歳のイーストウッドが撮った「硫黄島-」は、そんな現代人に戦争の恐ろしさや生きることの大切さを訴えかけています。戦争はゲームではなく、人と人との現実の戦い。時として人を狂わせ、人間としての理性を失わせることもある。国籍は違えども、彼らは人の子であり、祖国には愛する家族が帰りを待っている。戦争では多くの人の人生や命が犠牲となり、悲しい涙や血が数多く流されているのです。

 年齢を重ねるとごとに作品に深みが加わるイーストウッド監督。次はどんな作品を製作するのか、今から楽しみです。

(このコラムの更新は毎週火曜日です)

December 26, 2006 09:56 AM

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