2008年02月07日
まとわりつくカメラ
-アドリブ・ナイト(2月9日公開=韓)-
じりじりとまとわりつくストーカーのような視線。ヒロイン(ハン・ヒョジュ)を盗み見るようなカメラワークが印象的な幕開けだ。
韓国映画界の期待をになうイ・ユンギ監督の作品は実は初めてなのだが、独特の覗(のぞ)き見のような手法にまずは引き込まれた。
ヒョジュふんするヒロインを注視していた2人の若者は、痺(しび)れを切らしたように彼女に声を掛ける。「幼なじみのミョンウンではないのか?」。否定する彼女に散々食い下がった末に、2人はミョンウンの父親が死の床にある事実を突きつけて、家出中の娘の身代わりとして臨終に立ち会って欲しい、と懇願する。断りきれなくなった彼女は、郊外にあるミョンウンの実家に同行することになる。
親族や隣家の人たちの思惑が交錯する“最期の夜”に居合わせることになった彼女は、泥仕合に巻き込まれながら大切な“何か”も得ることになる-。
原作は平安寿子さんの短編小説。後半の山場となる親族、隣人のやりとりは、本音むき出しの罵(ののし)りあいだ。韓国風のバイタリティーにあふれているが、終始突き放したようなユンギ監督の目線はどこかさっぱりしている。不思議と“お茶漬け風味”を感じる。
ヒロインが家出中の娘の部屋に通され、1人きりになったところで部屋の主ミョンウンのソックスを履くシーンが印象的だ。ためらいから、ふと行方知れずの娘の気持ちと同化していく心の動きが手に取るようだ。空(うつ)ろな目にほんの少し安堵(ど)の色が宿ったような―ヒョジュの演技は瑞々(みずみず)しい。原作ではわずか2行で表現されているのだという。ユンギ監督の読解力なのだろう。
背景の色調も巧みに使い分けられている、気がする。冒頭のソウルの街中は淡いブルーで冷たい。ミョンウンの部屋はほんのり黄色く温かい。だが、差し込む月明かりは青い。全編に使用されている高感度カメラの自在な動きがドキュメンタリーのような自然な流れも生んでいる。
ヒロインをはじめ登場人物たちのキャラクターの輪郭はほどよくぼやかしてある。多面的ともいえる。心地よい余韻がある。韓国映画の多様化、成熟をあらためて実感させる作品でもある。
高岡早紀の若い頃に似ているハン・ヒョジュは20歳だが、高校在学中の03年に「ミスにっこり選抜大賞」で優勝して芸能界入りしたというから今年で5年目となる。日本映画のファンで、好きな作品は「ジョゼと虎と魚たち」「ランドリー」「ゆれる」「亀は意外と早く泳ぐ」…。何となく今作に空気が重なる。分かる気がする。
今回の作品では終盤、ヒロインの意外な素顔が明らかになる。あらためて序盤の様子まで遡(さかのぼ)って思い出してみると、一見そうは見えないのだが、よく見ればそんな雰囲気も-という感じを彼女は上手くかもしていると思う。次の作品が楽しみな女優さんだ。