2008年01月31日
観てから読む
-チーム・バチスタの栄光(2月9日公開)-
ジョージ・クルーニーが主演した「スリー・キングス」(99年)は、湾岸戦争のどさくさに紛れて金塊強奪をたくらむ3人の米兵の物語だった。鮮明に覚えているのは本筋とは関係ないアニメチックな挿入映像である。銃弾が体内に撃ち込まれた後、どのように内臓を損傷していくかを具体的に示すものだった。内臓はいかにもCG風だったが、銃弾が残酷に命を奪っていく過程を否応なく記憶に焼き付けた。
当時、戦況はテレビゲームのように伝えられたが、戦場の生々しい命のやり取りを伝えようという製作者のこだわりだった、と思う。そんな映像を思い出したのは、今作のこだわりが「心臓」に象徴されており、手術中のそれが繰り返しアップになるからだ。それは想像より白く、湯掻く前のアンキモのように見える。繰り返し登場させることによって、劇中の医師たちの“慣れ”のようなものに、観客を同化させようという狙いなのだろう。試写会後「吐きそうになった」と言葉を交わす女性たちもいたが、私の場合は観賞後にアンキモが平気で食べられるくらい同化した。
現役医師の原作者・海堂尊氏の手術描写へのこだわりを、「アヒルと鴨のコインロッカー」(07年)の中村義洋監督が彼なりの手法で映像化した結果だ。「アヒル―」のときは、原作(伊坂幸太郎)に張りめぐらされた様々な仕掛けを映像にしてみせたこと自体に驚かされた。原作の本質をすくいながら、表面上のディテールを織り上げる技には感服する。
チーム・バチスタとは、成功率60%といわれる心臓手術(バチスタ手術)を専門にした医術チームのことで、舞台となる東城大学病院では26例の手術を連続して成功させているという設定で物語はスタートする。
が、その後の3例で立て続けに患者が死亡。病院長は内部調査を思い立ち、外科手術とは無縁の心療内科医・田口(竹内結子)と厚労省の役人・白鳥(阿部寛)がその任に当たる。どうしても「トリック」の仲間由紀恵=阿部寛コンビを思い浮かべてしまう。
仲間がふんした売れない手品師は一本調子にボケていたが、窓際医師の竹内の演技には振幅がある。序盤は極端な内また歩きで頼りないキャラクターを強調する。これが後半に少しずつ明らかになる“鋭さ”に「意外な」印象を与える。狙い通りなのだろう。阿部の役人は「トリック」の教授よりキレる感じだが、自己顕示欲の強さはピタリと重なる。十八番といっていい役柄だ。
チーム・バチスタのキャラもメリハリが効いている。リーダーのすご腕外科医・吉川晃司の不思議な貫録はなんだろう。「すかんぴんウォーク」(84年)の頃から思っていたことだが、この人がスクリーンに現れると他の登場人物を圧する感じになる。一方、思い込みが強く、やや軽い第2助手はいかにもいそうなリアリティーがある。玉山鉄二が上手い。さらに佐野史郎、池内博之、田中直樹…くせ者が揃っている。キャスティングの妙である。
竹内ふんする心療内科医がバチスタメンバーを動物にたとえてイラスト化するのだが、これを効果的に使うなど、観客に“パズル”を見えやすくしてくれる。原作者のこだわり、素材の味を活かしながら、口当たりの良い仕上がりになっている。
中村監督の作品に関しては「読んでから観る」より「観てから読む」方をお薦めしたい。結果を知らずにハラハラと楽しみたい。
2008年01月24日
子供に見せたいファンタジー
-テラビシアにかける橋(1月26日公開=米)-
ヒロイン・レスリーを演じるアナソフィア・ロブ(14)を見ながら、「ペーパームーン」(73年)のテイタム・オニールを思い出した。ブロンドのショートヘアということもあるが、明るさというか活力が湧き出てくるような印象が重なった。
オニールにはどこか寂しそうな一抹の“影”もあったが、ロブは底抜けだ。だからこそ、ストンと落とされるような終盤の展開に思わず泣かされる。最近、押しなべて子役たちは達者で、涙腺をくすぐられることも少なくないのだが、ストレートな明るさにやられるのは久しぶりである。
原作は世界で500万部以上を売った同名の児童文学。11歳の少年ジェス(ジョシュ・ハッチャーソン)は、姉2人、妹1人の貧しい家庭でのけ者扱いを受け、学校にもいじめっ子がいて居心地が悪い。心が安らぐのは絵を描いているときだけだ。
が、隣家に越してきた転校生のレスリーとは気が合った。芸術家夫妻の一人娘の彼女は個性的で田舎町の学校を窮屈に感じていた。先入観抜きで物事に接し、ジェスの絵の才能にもいち早く気付いた。
2人は家の裏の小川の向こう岸にツリーハウスを発見し、2人だけの世界を築く。想像の王国テラビシアでは2人は王と王妃。2人の想像は虚実を超えて、ファンタジーをつむいでいく。
「シンプソンズ」や「ラグラッツ」の製作で童心をつかんできたガボア・クスポ監督は、さりげなく現実と幻想の境界を曖昧にしていく。「ナルニア国物語」のように仕切り目がはっきりきている訳ではなく。気付いてみれば、見る側も2人のテラビシアに足を踏み入れているという作りだ。この滑らかな接合というか融合が上手くいっている。
テラビシアでの勇気ある行動は、現実世界にも反映され、真っ暗だったジェスの実生活にも明かりがさしてくる。が、とんでもない悲劇が2人に降りかかって…。
原作者のキャサリン・パターソンは実子デヴィットをおそった悲劇をきっかけにこの作品を書いたという。また、映画ではそのデヴィットが共同脚本で参加している。幻想的な作品のそこここに身につまされるようなくだりが挿入されるわけである。
冒頭で触れたロブの明るさとは対照的にハッチャーソンは哀しげな表情が印象的だ。繊細で場面に合わせて表情も自然に変化する。現在15歳であり、脱子役後の活躍が楽しみだ。
人生賛歌のファンタジーといえば、最近ではティム・バートン監督の「ビッグ・フィッシュ」(03年)があった。少年期を描いた今作に対し、あちらは晩年を彩るそれだった。
不思議なことにこの2つのファンタジーは同じような幕切れを迎える。今回主人公が完成した橋を渡って向こう側に見る風景と、「ビッグ―」の葬式シーンで主人公が目の当たりにしたそれはまさに相似形である。
2008年01月17日
ジョニー・デップの歌声と隠し味
-スウィーニー・トッド(1月19日公開=米)-
ひと手間ふた手間の違いで料理の味には格段の差が出る、という。この作品には想像以上に手間が掛かっている。隠し味が仕込まれている。
ブロードウエー・ミュージカルの映像化は少なくないが、今回は実際に舞台の曲を書いたスティーブン・ソンドハイムがスタッフとして立ち会い、歌唱場面の演出に関わっている。映画史の生き字引ともいえるベテランプロデューサーのリチャード・D・ザナックでさえ「ティム(バートン監督)とソンドハイムが(スタジオの)両側に立っている風景はあまりに興味深かった」と振り返っている。
一方、19世紀のロンドンのすすけた、重苦しい雰囲気を再現したのが美術のダンテ・フェレッティ。フェデリコ・フェリーニ監督の6作品に関わった達人である。さらっと聞き流したり、単なる背景として細部を見逃すのはもったいない。噛めば噛むほど味が出る。
ジョニー・デップの初めての歌声ばかりが注目されているが、名コンビのティム・バートン監督は完璧ともいえる周辺環境も整えているのである。ジャック・スパロウも良かったが、デップの底力を引き出すのはやはりバートン監督だ、と思う。コンビ作でいえば、「シザーハンズ」(90年)を連想させる内容で、より重く、哀しい。だが、暗いにも関わらず不思議に心に温かさを残す。コンビならではの味わいである。
主人公のトッド(デップ)は理髪師。彼の妻に横恋慕した悪徳判事(アラン・リックマン)のワナにかかり、監獄に送られる。15年後脱獄したトッドは再び同じ街で開業するが、妻は自殺し、一人娘はあの判事のもとに幽閉されていると聞かされる。ひょんなことで彼の秘密を知った同業者を殺してしまい、その死体の処理に困るが、大家のラベット夫人(ヘレナ・ボナム=カーター)がミンチにしてミートパイの原料にすることで解決してくれる。
判事への復讐の思いに駆られるトッドは商売道具のカミソリで殺人を重ねる。それまで客足の絶えていたラベット夫人のミートパイの店はおいしいと町中の評判となり繁盛する。1847年に初めて舞台にかけられたという原作は文字通りのブラック・ユーモアに貫かれている。やがて夫人が隠していた秘密が明らかになり、復讐劇は意外な方向へ…。
「スウィーニー・トッド」は97年にも映画化(ジョン・シュレジンジャー監督、ベン・キングスレー主演)されているが、この作品で描かれていたトッドの物欲的な部分は省かれ、今回は復讐劇に純化している。連続殺人鬼ではあるが、より感情移入しやすい設定といえる。実は先の映画化時にもバートンの名が監督候補に挙がり、スケジュールの都合で断念したいきさつがある。その長年の思いが冒頭で書いたような“手間”にもつながり、残酷な復讐劇を愛の物語に昇華させている、といってもいいのだろう。
さて、ようやくデップの歌声である。本当は先入観を持たないで聞いていただいた方がいいのかもしれないので詳述はさけるが、通常の話し声よりやや高い。想像以上に上手い。最初の歌はさりげなく歌いだすのだが、普通のセリフのように入りながら自然と盛り上げていく感じも堂に入っている。バートン=デップが織り成すきめ細かさにあらためて驚かされる。
首をカミソリで真横に裂いた後、首全体に血があふれ昔の郵便ポストのように見えるシーンは妙に美しい。バートン作品の“危ない部分”である。舞台とは違う、映画ならではの表現ともいえる。色んな意味で“怖い”作品である。
2008年01月10日
地球に見とれる
-アース(1月12日公開=独英)-
新しいツールはものの見方を変えてくれる。最近ではグーグル・アースが典型だ。地球が一惑星であることを再認識させ、自分の仕事場や自宅までズームアップすることで不思議な一体感も覚える。地球温暖化問題が、決して一過性ではなく、話題に上り続けていることにもこの新ツールがひと役買っている、と思う。
今回はそんなグーグル・アース的視点で製作された作品だ。その名も「アース」。最近、頻繁に製作される自然ものドキュメンタリーを集大成風に、その視点は天空から地上まで滑らかにズームアップしていく。
50億年前、隕石の衝突によって地軸に微妙な角度が生まれ、それこそが多彩な生物を生み出すきっかけになったという太古の逸話からスケール感を持ってスタートする。
製作に5年。撮影日数2000日という映像には確かに厚みがある。熱帯から北極まで幅広い。生命が溢(あふ)れかえる地域とかすかなそれとのコントラスト、それぞれの美しさにも目を奪われる。
総花的、網羅的なわけではない。際立つ部分にスポットが当てられ、ドラマもしっかり描かれる。生きるか、死ぬか。人間社会を映し出すような興亡に引き込まれる。
もっとも印象的だったのはゾウとライオンのエピソードである。
24年前になるが、「少年ケニア」のアニメ映画化に際して、原作者の山川惣治先生の現地取材に同行したことがある。草原でキャンプをはった夜、ガイドたちが大きな火を絶やさないのが気になった。彼らが恐れたのはライオンではなくゾウだった。大群が通過すれば、テントなどひとたまりないという。移動用バンの運転手は「お前たちはブレイブだから残る。俺はクレバーだから家に帰る」というようなことを言って、その夜は自宅に帰ってしまった。確かに後で、白日のもとで見たゾウの群は圧巻だった。
劇中でも、自力ではゾウがライオンを圧倒する。水を求めて移動するゾウの大群の周囲をライオンが徘徊するが、親ゾウに威嚇されて狙いの子ゾウには近づけない。わずかな水を飲むときは、ゾウが堂々と飲む近くでライオンは身をすくめるようにしながらおこぼれにあずかる図式だ。
だが、ライオンはあきらめない。子ゾウ狙いと見せながら、わずかなチャンスに一頭の親ゾウを群から引き離し、集団で襲いかかった。粘り勝ち。狡猾(こうかつ)さが強さを上回った瞬間だ。練り上げた脚本のような成り行きに息をのんだ。
「ディープ・ブルー」(03年)のアラステア・フォザーギル監督とアフリカを舞台に多くのドキュメンタリー作品を手がけたマーク・リンフィールド監督の共同作品となっている。
2008年01月03日
人情のアンサンブル
-歓喜の歌(2月2日公開)-
登場する男性たちはどうにも半端である。スジを通そうとしない。対照的に女性たちはしっかりと自己主張する。身につまされるやりとり。どこにでもありそうな光景。が、様々な思いが交錯しながら、最後は気持ちのいいクライマックスに至る。最近では「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(07年)を撮った松岡錠司監督は一見さらっとした描写の積み重ねによって登場人物たちの人情の機微を浮かび上がらせる。
原作は立川志の輔の新作落語。年末の2日間、地方の小さな町を舞台に物語はトラブルで幕を開ける。主人公は文化会館の主任(小林薫)。市役所から飛ばされてきた彼はまったくやる気がない。注意力散漫がたたって大晦日のイベントをダブルブッキングしてしまう。申し込んできたのが「みたま町コーラスガールズ」と「みたまレディースコーラス」だから無理もないが、晴れの日を目指して練習を重ねてきたママさんコーラスの2グループはともに譲らない。
庶民派のガールズが初のお披露目会ならセレブなおば様が集うレディースは結成20年の節目である。仕事も人生もなめていた彼がいきなり剣が峰に立たされる。女性たちのパワーに煽られ、難事に正面から立ち向かわざるを得なくなる。
植木等の“無責任男”のようにいつの間にか状況が好転していくわけではない。けっこうリアルに“壁”にぶつかり、不恰好にこれを乗り越えていく展開だ。周囲の様々な思惑に突っつかれながら、無責任な中年主任がしだいに仕事への情熱を取り戻す更生譚でもある。
小林をはじめとする出演陣アンサンブルが絶妙だ。誰かが引っ張る感じはない。目立とうというよりはセーブする意識のほうか勝っている印象だ。由紀さおり、藤田弓子、根岸季衣らいるだけで何かありそうなママさんコーラスのメーンの顔ぶれは、それでも、だからこそ、個性がほどよく光る。すごくいい人もすごく悪い人もいない。誰にも二面性がある。という当たり前の人間模様が逆に新鮮だ。
コワモテのコーラスメンバーの中で“理想の女性”として異彩を放つのがガールズのリーダーの元音楽の先生役の安田成美だ。唯一の、すごくはないがいい人かもしれない。ダメ亭主(光石研)も温かく包み、主任と部下(伊藤淳史)とともにダブルブッキングの落としどころを模索する。
そんな元先生が、いい加減のくせに“法律”の一線を越えるとなるとすっかり及び腰になる主任を後押しし、日常の一部のような雰囲気で違法行為の共犯者になってしまうところが面白い。詳述は避けるが、ここでの「違法」は法よりは義、的でやむを得ない行動である。主任に象徴される型から抜けられない「官」と自在な発想と行動をとる主婦の「民」がコントラストをなす場面でもある。
渡辺美佐子、浅田美代子らも今の年齢ならでは味を出している。「ミスサイゴン」のジジ役、平澤由美の声量、キャラも効果的だ。
季節感を気にする方ではないのだが、本来、年末に公開して欲しかった作品だ。