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相原斎「新作チェック!」

2007年12月13日

娼婦の街の少女の歌声

-線路と娼婦とサッカーボール(12月22日公開=スペイン)-

 何と美しい歌声なのだろう。元娼婦であり、“後輩”たちにコンドームを売って生計を立てているマリナの歌がスーッと心に染みてくる。路上を歩きながら、不安に苛(さいな)まれた後輩の傍(かたわ)らで、ひたすら歌う。

 少女時代から20年間娼婦として働き、18年前に引退した彼女は片方の目がない。酒に酔った恋人につぶされ、別の男が義眼をくれたが、それもなくしてしまった。断片的に語られる半生は余りにも悲しい。

 だが、その声は不思議なほど澄んでいる。腹から出るような厚みもないし、年輪を感じさせるハスキーな魅力というわけでもない。少女のような美しさなのだ。この歌声を聴くだけで、この映画は見る価値がある。

 最近、ドキュメンタリー映画を見る頻度が高くなっている。「撮りたい」という衝動のようなものがよりダイレクトに伝わってくるからだと思う。

 旅行ライターからドキュメンタリーも撮るようになったスペインのチェマ・ロドリゲス監督は当初、グアテマラのストリート・ギャングに興味を抱いた。彼らから線路(リネア)沿いのスラムで働く最下層の娼婦たちのことを聞いた。

 彼女たちは2ドル半で体を売り、夫や恋人や子供や猫を養い、その夫や恋人の暴力に怯え、警察からも嫌がらせを受けている。人権を求めて今にも立ち上がろうとしている。サッカーチームを結成してアピールしようと考えている。ドキュメンタリーとして打ってつけの素材ではないか。

 片方の目がないマリナは、娼婦チーム(リネア・オールスターズ)の一員ではなく、応援団の1人に過ぎなかった。単なる“添え物”である。が、撮影が進むに従って“主役”の1人として膨らんできたのだという。さりげない語りに“重み”があり、歌には力がある。気が強く、美しく、恋人は服役中のギャング-というバレリアが、彼女の歌に癒され、涙するシーンが印象的だ。

 “添え物”がいつの間にか“主役”に。「撮りたい」思いに従う臨機応変こそドキュメンタリーの醍醐味だろうし、マリナの数々のエピソードがそれを具現している。

 メンバー全員が娼婦という素性を明かしたために女子サッカー大会の参加資格を失ってしまったリネア・オールスターズは、ジャーナリストや旅行会社の支援を受けながら“草サッカークラブ”を相手に各地を転戦する。世間の注目は集めるが、文字通り話題先行型で連敗が続く。だが、リネアのスラムしか知らない彼女たちにとって転戦先の風景はすべて新鮮であり、生きる喜び、のようなものを実感していく。

 初勝利の後、隣国エルサルバドルの娼婦チームとの“国際親善試合”が実現する。が、世間の注目もしだいに冷める。“お祭り騒ぎ”をきっかけに道が開けた者もいれば、そうならない者も…。

 無常観漂う中で、救いとなるのが、やはりマリナのエピソードである。チームの転戦と並行する形で彼女の家の“建築風景”が挿入される。豪雨で流された家を、「神様の導きで出会った」現恋人カルロスが仲間とともに修復している。廃物利用の文字通り雨風を防ぐだけの家だ。それでも終盤、彼女はカルロスの腕に抱かれて窓から荒んだ町並みを眺めながら「私は幸せだ」と繰り返す。思わず「本当に良かったですね」と返したくなる屈託のない笑顔だ。

 どうしようもない貧困、差別。娼婦たちの元気やマリナの笑顔も本来痛々しいはずなのだが、明るさがストレートに伝わる。ともすれば“上から目線”で見てしまいそうなこちら側が、逆に彼女たちの強さに励まされる不思議な作品だ。

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