2007年11月22日
三船敏郎と織田裕二
-椿三十郎(12月1日公開)-
この映画は圧倒的に不利な前提に立っている。どうしても黒澤明監督のオリジナル作品と比較されてしまうこと。ストーリー上にまぶされた様々な仕掛けやユーモアの初見ならではのインパクトが、旧作を知っている人間にとっては半減してしまうこと。モノクロからカラーに転じたことが表現上のプラスには働きにくいこと(モノクロ映像にパートカラーで色づけされた椿の花の強烈な印象がカラー映像の中で薄まってしまうし、陰影が随所にもたらす効果がどうしても弱くなる)―等々上げればきりがない。
今さらながらだが、黒澤監督の「椿三十郎」(62年)はパーフェクトな作品である。個人的には黒澤映画の中でも最も好きな作品であり、名画座とビデオで計3、4回は見ている。全編真芯で捉えて揺るぎがなく、新たな味付けをすれば芯を外すことになる。
森田芳光監督は徹底的にオリジナル版と寄り添うように撮り進めている。木材や土の色合い、着物…黒澤作品を光度分析して色を選んだような、気さえする。スタッフの丁寧な仕事ぶりと黒澤作品への深い敬意がうかがえる。
正義感に燃える9人の若侍の意気にほだされた腕利きの浪人三十郎が、とある藩の汚職と陰謀を暴く痛快物語は、藩内の人間関係と勢力図を巧妙に提示する山中の社殿の幕開けから一気に畳み掛ける。
織田裕二の三十郎は当時の三船敏郎より3歳若いことになるが、太く作った声に工夫がうかがえる。しっくりくる。冒頭シーンはかなり清潔な身なりで、食い詰めた印象には遠い気もしたが、苦闘を続ける中で少しずつ汚れていく様子がかえって分かりやすかった。
対して黒幕の懐刀として敵役となる豊川悦司は、旧作の仲代達矢よりやや丸い印象だ。切れ者でありながら三十郎に裏をかかれ続ける僅かな“抜け”がより強調され、ユーモア交じりの三十郎のキャラに重なる部分も増した。ラストの「あいつと俺は同じだ」という三十郎の“同族意識”を受け入れやすくしているのは確かだ。
若侍に組する腰元のガッツポーズ、そしてラストの織田×豊川の対決シーンがもっとも目についた旧作との違いだ。この腰元村川絵梨のキャラ、佐々木蔵之助の“押入れ侍”という笑わせどころの微妙な現代風アレンジは森田監督の得意なところ。中村玉緒と鈴木杏のおっとり母娘も-見た目もここまで“三枚目”でいいの、と思った鈴木の結い上げ髪姿も含め-森田流を感じさせる。
が、ラストの対決はン? 旧作が無ければ工夫もあるし問題なく目を見張るシーンなのだが、台本に「ここから先は文字では書けない」と記されたと言われる黒澤版に比べると、文字で描写可能の域に止まったと思う。
他も、風間杜夫、小林稔侍、西岡徳馬の3悪人、旧作の伊藤雄之助から“馬面”つながりの藤田まことと、おそらくベストと思えるキャストの演技には特別な気合いを感じる。森田演出はもちろんだが、背後の“クロサワの神通力”につき動かされたような印象だ。
松山ケンイチを始めとする若侍もいい。年齢には思えないほど役作りが深い。彼らが“大作感”を支えている気がする。
黒澤作品を知らない若者には、映画の面白さを心底味わえるはずである。そして、知っている年配者も色んな意味で楽しめた。