2007年11月15日
ヒッチコックが好きな人に
-モーテル(11月17日公開=米)-
近年のホラー映画にはどうも食指が動かない、という人の多くは過剰な残虐シーンやルール無視の突然の脅かしに引いてしまうのだ、と思う。緻密に積み上げられていく恐怖、暗闇や音へのシンプルな恐怖…ヒッチコックの作品群を懐かしむ人は少なくないと思う。
そんな往年のスリラー映画の味わいがこの作品にはある。
舞台は荒原の中にポツンと建ったモーテル、登場人物は全部で7人。設定はいたってシンプルである。その分、7人にはそれぞれストーリーの展開に関わる役割があり、少しずつ判明するモーテルのからくり屋敷のような作りが迷路のような物語を象徴している。
デビッド(ルーク・ウィルソン)とエイミー(ケイト・ベッキンセール)の夫妻は離婚目前の危ういカップル。親族のパーティーの帰りに道に迷い、やむなくさびれたモーテルで一夜を明かすことになる。
モーテルに至る車中のやり取りには身につまされる。すれ違い、口げんかの加減がリアルである。幹線道路を外れ、近道のつもりが迷ってしまった夫をなじる妻、イライラを募らせる夫。一方で、長年連れ添ったゆえの“絆”も見え隠れする。
対して、取り巻く環境はどんどん怪しくなる。街灯もない暗闇が不安を掻き立てる。演出的には、サイドミラーを“第2の画面”に利用し、妻の不安げな表情を際立たせる。ジャン=ジャック・ベネックス監督のデビュー作「ディーバ」(81年)でも効果的に使われていた手法だ。
問題のモーテルへの宿泊を余儀なくされ、しだいに追い詰められるに従って、夫妻のささくれは氷解し、絆が甦る図式だ。リアルな夫婦関係と、現実とは思えなくなっていく周辺環境が不思議なほど折り合う。今作がハリウッドデビューというニムロッド・アーントル監督の演出は堅実だ。ロス生まれながら、90年からつい3年前までハンガリーで過ごしたというプロフィールを見てしまったせいかもしれないが、全体にセピアなトーンが東欧調の重さのようにも思える。
詳述は避けるが、モーテルではスナッフ・フィルム(実際の殺人を撮影したフィルム)の製作が秘かに行われている。そのための秘密の地下通路などのからくりもあり、夫妻がこれを逆手に取って反撃を試みる場面もある。
血しぶきが飛び散るシーンは皆無といっていい。突然背後から、なんていうこともない。恐怖はじわじわと、しだいにその理由も明らかに、というオーソドックスなパターンをしっかりと踏んでいる。
妙な言い方になるが腰をすえてヒヤヒヤ、ハラハラを楽しめる作品である。逆にもの足りなさを感じるとしたら、「残虐」「意表」という部分が欠落しているからである。
片田舎のモーテルのセットは、実際に米国の田舎を知らないにも関わらず“いかにも”と思わせる質感がある。小物に至るまで細心の注意が払われているのだと思う。
米国のディープな田舎にひそむ言い知れない恐怖については、これまでも様々な映画で描かれてきた。「イージーライダー」(69年)のラストで主人公をオートバイごと吹っ飛ばした農夫の銃弾はいまだに鮮やかに記憶しているし、「悪魔のいけにえ」(74年)を始めとする類作ホラーの数々の根底にもその空気のようなものが反映されていた。
今作に漂う“田舎の恐怖”はそんな伝統に裏打ちされている。